くたくたである。
恐らく、家にたどり着くと、24時近いと思う。
ルーチンって、日付変更されても有効なんだっけ?
ああ、そもそも、可用時間が2時間とれないから、今日初めて、ルーチン免除該当じゃなかろうか。
でも、何だか、やらなきゃって気持ちだ。
そして、明日も、もっと遅くなる可能性があるから、免除該当しそう。
二日も連続で該当したら、そのままずっとやらなくなる、というのが、これまでの経験上よくあることだ。
まずいぞ、土日の正念場を乗りきったら、いきなりまた崖っぷちに立たされたみたいである。
体調の悪いときの免除ルール構築もまだなのに、それどころじゃなさそうだ。とにかく、今日は帰って、24時過ぎようが、筋トレストレッチ音読をする、絶対だ。
ちなみに、恥ずかしいから書いたこと今までなかったけれども、30秒ルールというのも自分のなかで存在する。これが構築されたのがいつだったか、全く覚えていないが、ジパングという漫画で、戦艦の最大戦闘速度、という言葉が気に入って、30秒戦速(さんじゅうびょーせんそー)と呼んでいる。
運用は非常に簡単。
まず、必ず行う、絶対行うことを想起する。
例えば、朝、眠くて、起きれない、布団からでれない、あと、5ふん寝たい、とか身体的欲求など、抗えない強い問題が発生する。
そのとき、絶対に身体を起こし、顔を洗いにいく、と銘記する。
次に、30秒戦速! と叫ぶ。これは心のなかでも、実際に口に出してもいいが、大抵口に出せるほど元気がないときに用いる、最終切り札なので、心の中だけが多い。
次に、30秒からカウントダウンしていく。
そして、ゼロ秒になるまでに、必ず、銘記した行動を起こすのである。
こんなアホみたいなことを、ときに真剣にやって、実際に行動をする場面もこれまで何度もあった。そして、この30秒ルールは、今まで、一切失敗したことがない。
どんな命令も、必ず、0秒になるまでに実行できてきた。
これが、もはや、自分の中で絶対に破れないルールになってくると、それが相乗効果、重ねがけのように、そのルール自体がそのルールの強化に繋がるため、より強固なものになる。
だから、逆に滅多なことでは使えなくなったりするのだけれど、いざというときは役に立つ行動方策である。
先日も、過去記事において、ウェイティングタイム、というルールをみつけた。まぁこれは忘れてしまっていて、規定にはならなかったけれども、考え方としては役に立ちそうと思った。
いや、本当は、ダメブログ界のブログたちに付く、心ないコメントについて、書こうと思っていたのだけれども、時間が足りなそうだというのと、嬉しいコメント頂いたこととで、優先度が下がった。
ただ、メモしておこうと思うのは、とにかく、このダメブログ界というのを、自分は本当に最近知ったということである。
繰り返し話題にあげるのは、記憶のためでもあるし、未来に繋げるためでもある。
素敵な人との出会いもありながら、誹謗中傷コメントの哀しさを思う。
ああ、やっぱり、俺が、人間嫌い、と表現した、あの瞬間は、決して間違いじゃない、……いや、感情エラーなのはそのとおりとは思うが、でも、そう感じさせてしまった事象を思えば、仕方がなかった、と思わざるえない。
これが、昨日書いた、後悔も言い訳も嫌いだ、という意味だ。
この、仕方がなさ、……仕方がない、と表現すると、諦めとか妥協のようだが、しかし、本当に心から、どうしようもなかった、仕方がなかったと思うのであれば、それは後悔でも言い訳でもなく、ただ、全力でやりきったあかしである。
自分に言い訳や後悔してもなんの意味もない。
それは、下手すれば、自分の非を認められない頑固じじいになるが、客観的な、相対的な基準における非というのは、当然認めざるえない。
現実において、テストで70点しかとれなければ、頑張りが足りなかったとの指摘はさけられない。資格試験に落ちたら、それは勉強が足りなかったことに他ならない。
そこは、反省、すべきだ。
後悔しても仕方がない。できなかった自分を分析し、それは行動だけでなく、心も、感情も引っくるめて、そうたいとしての分析を……
あああ、まずい、このまま終わったら、単に自己啓発ブログみたいじゃないか。
ちがう、そうじゃないんだ、いや、なにが?
よく考えると、ここ数ヵ月、いやそれ以前からかもしれないが、特に何か考えて書いているってことがない。
単に思ったこと、メモしなきゃってことを、ほぼ、自動筆記で書いている。
なんだ、俺、何がしたいんだっけ?
ううん……なんだ、かなり混乱してる。
俺はだれだ?
目的は……そう、意味を、徹底的に、考えなきゃ、いけないんだ。
しかし、それ、本当にできてるのか?
他者を気にしたり
物理環境の忙しさに
いや、それは現実物理時間は確かに要しているものの、それを言い訳にしていないか?
いつだかの記事で書いたよな?
もう2016年終わるぜ?
いいの?
あと、いくつ記事をかけるだけの時間残ってると思ってんの?
仮に、今年中に答えを出さなきゃならないとしたら、
一日ひとつのペースとしたら、60個の記事のうちで、
答えを出さないといけないんだよ?
そう考えたとき、ほんとに、今日、この選んだ話題が適切だった?
胸をはって、正解たったと、そう言い切れる?
お前は本当に、今日一日を、全力で生きたと、そう言い切れる?
俺は……
とにかく、ルーチンをこなすことに残りの時間を使う
恐らく、家にたどり着くと、24時近いと思う。
ルーチンって、日付変更されても有効なんだっけ?
ああ、そもそも、可用時間が2時間とれないから、今日初めて、ルーチン免除該当じゃなかろうか。
でも、何だか、やらなきゃって気持ちだ。
そして、明日も、もっと遅くなる可能性があるから、免除該当しそう。
二日も連続で該当したら、そのままずっとやらなくなる、というのが、これまでの経験上よくあることだ。
まずいぞ、土日の正念場を乗りきったら、いきなりまた崖っぷちに立たされたみたいである。
体調の悪いときの免除ルール構築もまだなのに、それどころじゃなさそうだ。とにかく、今日は帰って、24時過ぎようが、筋トレストレッチ音読をする、絶対だ。
ちなみに、恥ずかしいから書いたこと今までなかったけれども、30秒ルールというのも自分のなかで存在する。これが構築されたのがいつだったか、全く覚えていないが、ジパングという漫画で、戦艦の最大戦闘速度、という言葉が気に入って、30秒戦速(さんじゅうびょーせんそー)と呼んでいる。
運用は非常に簡単。
まず、必ず行う、絶対行うことを想起する。
例えば、朝、眠くて、起きれない、布団からでれない、あと、5ふん寝たい、とか身体的欲求など、抗えない強い問題が発生する。
そのとき、絶対に身体を起こし、顔を洗いにいく、と銘記する。
次に、30秒戦速! と叫ぶ。これは心のなかでも、実際に口に出してもいいが、大抵口に出せるほど元気がないときに用いる、最終切り札なので、心の中だけが多い。
次に、30秒からカウントダウンしていく。
そして、ゼロ秒になるまでに、必ず、銘記した行動を起こすのである。
自己コントロール
こんなアホみたいなことを、ときに真剣にやって、実際に行動をする場面もこれまで何度もあった。そして、この30秒ルールは、今まで、一切失敗したことがない。
どんな命令も、必ず、0秒になるまでに実行できてきた。
これが、もはや、自分の中で絶対に破れないルールになってくると、それが相乗効果、重ねがけのように、そのルール自体がそのルールの強化に繋がるため、より強固なものになる。
だから、逆に滅多なことでは使えなくなったりするのだけれど、いざというときは役に立つ行動方策である。
先日も、過去記事において、ウェイティングタイム、というルールをみつけた。まぁこれは忘れてしまっていて、規定にはならなかったけれども、考え方としては役に立ちそうと思った。
理性によるコントロール
いや、本当は、ダメブログ界のブログたちに付く、心ないコメントについて、書こうと思っていたのだけれども、時間が足りなそうだというのと、嬉しいコメント頂いたこととで、優先度が下がった。
ただ、メモしておこうと思うのは、とにかく、このダメブログ界というのを、自分は本当に最近知ったということである。
繰り返し話題にあげるのは、記憶のためでもあるし、未来に繋げるためでもある。
素敵な人との出会いもありながら、誹謗中傷コメントの哀しさを思う。
ああ、やっぱり、俺が、人間嫌い、と表現した、あの瞬間は、決して間違いじゃない、……いや、感情エラーなのはそのとおりとは思うが、でも、そう感じさせてしまった事象を思えば、仕方がなかった、と思わざるえない。
これが、昨日書いた、後悔も言い訳も嫌いだ、という意味だ。
この、仕方がなさ、……仕方がない、と表現すると、諦めとか妥協のようだが、しかし、本当に心から、どうしようもなかった、仕方がなかったと思うのであれば、それは後悔でも言い訳でもなく、ただ、全力でやりきったあかしである。
自分に言い訳や後悔してもなんの意味もない。
それは、下手すれば、自分の非を認められない頑固じじいになるが、客観的な、相対的な基準における非というのは、当然認めざるえない。
現実において、テストで70点しかとれなければ、頑張りが足りなかったとの指摘はさけられない。資格試験に落ちたら、それは勉強が足りなかったことに他ならない。
そこは、反省、すべきだ。
後悔しても仕方がない。できなかった自分を分析し、それは行動だけでなく、心も、感情も引っくるめて、そうたいとしての分析を……
あああ、まずい、このまま終わったら、単に自己啓発ブログみたいじゃないか。
ちがう、そうじゃないんだ、いや、なにが?
よく考えると、ここ数ヵ月、いやそれ以前からかもしれないが、特に何か考えて書いているってことがない。
単に思ったこと、メモしなきゃってことを、ほぼ、自動筆記で書いている。
なんだ、俺、何がしたいんだっけ?
ううん……なんだ、かなり混乱してる。
俺はだれだ?
目的は……そう、意味を、徹底的に、考えなきゃ、いけないんだ。
しかし、それ、本当にできてるのか?
他者を気にしたり
物理環境の忙しさに
いや、それは現実物理時間は確かに要しているものの、それを言い訳にしていないか?
いつだかの記事で書いたよな?
もう2016年終わるぜ?
いいの?
あと、いくつ記事をかけるだけの時間残ってると思ってんの?
仮に、今年中に答えを出さなきゃならないとしたら、
一日ひとつのペースとしたら、60個の記事のうちで、
答えを出さないといけないんだよ?
そう考えたとき、ほんとに、今日、この選んだ話題が適切だった?
胸をはって、正解たったと、そう言い切れる?
お前は本当に、今日一日を、全力で生きたと、そう言い切れる?
俺は……
とにかく、ルーチンをこなすことに残りの時間を使う
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