今日の一言「早めに着手する」「余裕をもって仕上げようとすると書きたい気持ちは薄い」
一切外に出ないようにする、というのは、緊急事態宣言が出たからというのはあまり関係ない。そもそも後から、ああ、今日からだったんだっけ、ぐらいの認識だった。
東京より、大阪の方が緊急事態のようである。
今回の目的がおそらく、GWを見据えてのものなんだろうなぁとは思う。
緊急事態も何も、移動や営業が制限されたこういった社会が通常になるのかもしれないな。
日本国憲法では、公共の福祉に反しない限り、財産権や、居住、移転、職業選択の自由が保障されるから、おおっぴらに制限される世の中というのは難しいだろう。
とはいえ、「緊急」が、1週間も2週間も、1か月も2か月も続くようでは、「慣れ」が生じるのは致し方ないと思う。
「戦争をしている」
というのは、いついかなる時に敵から攻められて、殺されるか分からない状況。
現代戦では、空から爆弾が降ってくる。
平和な日本で生まれた僕は、それがとても怖かった。
いや、体験したわけではないが、想像するだけで怖かった。到底、まともな精神で、まともに日常など送れない気がした。
しかし意外と、新聞で戦果が報じられる程度に、人々は「戦争」というのを、遠いものに感じていたかもしれない。
「怖い」
という観点では、交通事故(電車、車、飛行機事故)などで、一瞬で命が奪われる可能性もある。「でも」普通に生活できている。
意外に、人間の精神は図太くできているのだろう。
差し迫った恐怖がなければ、生活に影響が及ぶほどの「怖い」という感情は生じないのだろう。もしくは、最初は生じても、たいていの人は適用(慣れ)するのだろう。
逆に、不謹慎かもしれないが、「慣れ」というのは、必要な精神であると思う。
慣れることもなく、ずっと「怖い」を感じていたら、精神崩壊するだろう。
あと、表情をちゃんと描いてみようと思った。怒った表情か、困った表情かにしようとして、困った方にした。
初心にもどって、顔のパーツの配置を、本を参考に正確にするように心がけてみた。下描きもしっかり描いた。
今のところの全力だ。これ以上は、できない。
全力っていって、こんなもんかーっと思われるだろう。
驚くことなかれ、これでも3時間弱ぐらいは要している。
まず、「線」がやっぱりちゃんと引けないことが分かった。線を引く、これだけが、まずもって難しい作業なのである。
あとバランス。左右反転は必須。
しかし、左右反転して、おかしいところをなおしはじめると、みるみる時間がなくなっていく。
1枚かくときの、最初の左右反転が怖いね。「お、割とうまくかけたかな」って時は、左右反転しても、さほど直しが不要の場合がある。
今回は、反転しながらなおしていった。反転の怖いところは、反転させてなおして、また戻したら、またさらに直して――と、無限ループになる場合があることだ(笑)。
まぁ、とりあえず、今の自分としては、これぐらいのクオリティの場合は、アップロードしてもいいかな、という気持ちになる。
ので、これをベースに、来週は身体を描いていこうかな。体も、改めて、正しい配置(割合)というのを調べなおしながらやってみようかな。
ちなみに、今回の顔のアタリのやり方はちょっと難しかった。
参考に、下に載せておく。
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まえがき
今日は、一切外に出ないことを決めた。そうすると、食事が味気なくなってしまうが、備蓄を整理するという意味でもよいだろう。一切外に出ないようにする、というのは、緊急事態宣言が出たからというのはあまり関係ない。そもそも後から、ああ、今日からだったんだっけ、ぐらいの認識だった。
東京より、大阪の方が緊急事態のようである。
今回の目的がおそらく、GWを見据えてのものなんだろうなぁとは思う。
緊急事態も何も、移動や営業が制限されたこういった社会が通常になるのかもしれないな。
日本国憲法では、公共の福祉に反しない限り、財産権や、居住、移転、職業選択の自由が保障されるから、おおっぴらに制限される世の中というのは難しいだろう。
とはいえ、「緊急」が、1週間も2週間も、1か月も2か月も続くようでは、「慣れ」が生じるのは致し方ないと思う。
戦時下
不謹慎なことを書いてしまうけれども、僕は小さいころ、「戦時中」というマインドが不思議で仕方がなかった。「戦争をしている」
というのは、いついかなる時に敵から攻められて、殺されるか分からない状況。
現代戦では、空から爆弾が降ってくる。
平和な日本で生まれた僕は、それがとても怖かった。
いや、体験したわけではないが、想像するだけで怖かった。到底、まともな精神で、まともに日常など送れない気がした。
しかし意外と、新聞で戦果が報じられる程度に、人々は「戦争」というのを、遠いものに感じていたかもしれない。
「怖い」
という観点では、交通事故(電車、車、飛行機事故)などで、一瞬で命が奪われる可能性もある。「でも」普通に生活できている。
ウイルス下
「緊急事態」の中での生活というのは、意外とそんなものかもしれない。意外に、人間の精神は図太くできているのだろう。
差し迫った恐怖がなければ、生活に影響が及ぶほどの「怖い」という感情は生じないのだろう。もしくは、最初は生じても、たいていの人は適用(慣れ)するのだろう。
逆に、不謹慎かもしれないが、「慣れ」というのは、必要な精神であると思う。
慣れることもなく、ずっと「怖い」を感じていたら、精神崩壊するだろう。
イラストコーナー
今日は、顔だけに特化して描くことにした。あと、表情をちゃんと描いてみようと思った。怒った表情か、困った表情かにしようとして、困った方にした。
初心にもどって、顔のパーツの配置を、本を参考に正確にするように心がけてみた。下描きもしっかり描いた。
今のところの全力だ。これ以上は、できない。
全力っていって、こんなもんかーっと思われるだろう。
驚くことなかれ、これでも3時間弱ぐらいは要している。
まず、「線」がやっぱりちゃんと引けないことが分かった。線を引く、これだけが、まずもって難しい作業なのである。
あとバランス。左右反転は必須。
しかし、左右反転して、おかしいところをなおしはじめると、みるみる時間がなくなっていく。
1枚かくときの、最初の左右反転が怖いね。「お、割とうまくかけたかな」って時は、左右反転しても、さほど直しが不要の場合がある。
今回は、反転しながらなおしていった。反転の怖いところは、反転させてなおして、また戻したら、またさらに直して――と、無限ループになる場合があることだ(笑)。
まぁ、とりあえず、今の自分としては、これぐらいのクオリティの場合は、アップロードしてもいいかな、という気持ちになる。
ので、これをベースに、来週は身体を描いていこうかな。体も、改めて、正しい配置(割合)というのを調べなおしながらやってみようかな。
ちなみに、今回の顔のアタリのやり方はちょっと難しかった。
参考に、下に載せておく。
あとがき
(かっこ書きである。あとがきは、FF14のことを書こうか。最初、FF14をはじめたばかりのころ、「ストーリーがちゃんとしてて面白い」と書いた。しかし、その気持ちも、徐々に少なくなっていっていた。ただ歩いてまわるだけで楽しかった街並みも、「移動が面倒」と思うほどには、慣れてきてしまっていた。ダンジョンの攻略や、新しいジョブに挑戦してみたり、CWLS(クロスワールドリンクシェル。異なるワールドの人ともグループチャットができる機能)に参加したり、当面飽きることはなさそうだなと思いつつも、逆にメインストーリーへの求心力(僕のモチベーション)は少なくなっていた。――逆に、そのCWLSとか、フレンドさんの進捗的に、僕の知らないことを話していたりする(先のコンテンツのこと)ので、一緒に遊べなくてつまんないなと思ったりしていた。そういう意味で、同じぐらいの進捗の人とも遊べたらと思う。とはいえ、それだって、1夜にしてその進捗状況だって変わるのだから、仕方がない。であれば、メインストーリーを、自分も進めるしかない、そんな風に思っていた。――ということで、あまり乗り気ではなかったけれども、まぁ、進めてみたところ、突然、蒼天編に突入する前のストーリーが、急展開を見せた。なんとなく、「こんな感じになりそうだ」ということは、伏線が十分にはられていたので推測できた。方向性はあっていた。しかし、見事に推測を超えた展開になって驚いた。……いやはや、人間不信になったね(笑)。てゆーかさー、もみあげ長い、元グリダニア国の兵士とか、あいつを仲間に入れるの反対だったんだよな。あいつ、帝国に情報売ってたくそ野郎だぜ? そもそも、グリダニアぬるすぎだと思った。何故そんな重罪者、反逆者をクビにするだけで済ましてるんだよ。森のおきてかなんかで、処刑はできないにしても、数か月で放免とか、ぬるすぎっしょや。まぁ……でも、僕も、「あのときは悪かったよ~」とかいってたから、「ああ、会心して仲間になるパターンか」とか思ってたよ。そしたら、やっぱり裏切るのかよ! と。逆にすがすがしい展開だ。金に目がくらむような悪い奴はどこまでいっても悪いやつなんだな……。悪い奴が改心して仲間になる、という展開はおとぎ話にすぎないんだな……って、これ(FF14)も物語なんだが。まぁそんなこんなで、急展開を見せたストーリーで、僕は改めて、ストーリーに引き込まれた。怒りと憎しみをもって。だが、その憎しみは、某ウルダハ国の戦士が少し晴らしてくれた。だから僕は、少し落ち着いてこの先のストーリーを進めようと思う)
今日の一言「久しぶりにお酒を飲みながら書く」
――と、書き始めると、「え、どうした?」と心配をしてくれる方もいるかもしれない。
オカルトでも、スピリチュアルでも、新興宗教でもマルチ商法でもない。逆にそう書いた方が怪しいかもしれない。
いや実際、スピリチュアル系のブログ記事がふと目に留まって読ませていただいたというのがきっかけではある。
しかし、問いとしては、「生命とは何か」、というものだった。
これは、見方を変えれば、科学的でもあれば、現実的でもある。
その理屈、ロジック、そこに至る過程、アプローチなどによって、「うさんくさ」くもなり、「アカデミック」にもなるのだろうと思う。
ちなみに、そのきっかけとなった記事においては、「――だから、すべての、人間以外の生命に対しても責任や尊敬の念をもつことが必要だ」という主張だと思われた。(生命には、「ウイルス」も含まれるという定義であった)
そして、霊魂とは「エネルギー」のことだという。
エネルギーというのも、「物理学」的でもありながら、スピリチュアル的なニュアンスも含む言葉に思う。
ちなみに、僕の中でのエネルギーという言葉の定義、というか、イメージは、「移動を発現させるための原因」というものだ。「動力」といってもよいかもしれない。もっといえば、単に「力」といってもいいかもしれない。エネルギー=力。
要は「動き」の発生源。
物理的な観点での、位置エネルギー運動エネルギーというイメージはその通りだが、それだけじゃなくて、口頭による情報伝達もまた、エネルギーだと思う。「情報」という、物理ではないけれども、見えないものが動く、というイメージ。磁力や、光もそうだろうが、目に見えないものでも、「力」は伝わるのだ。
万物の起源は「素粒子」だ。光は「光子」だし、原子は「クォーク」だったりする。
で、魔法が発生するのは、世界に、魔法の元となる粒子が豊富に漂っているからだ。
ファイナルファンタジーでは、それを「エーテル」という。
自然のエーテルを体内に取り込み(もしくは変換)して、魔法を使う。それが幻術士。強大な魔法は、エーテルを大量に消費し、その土地を枯渇させる。だからより強大な白魔法は禁忌とされた。
一方、赤魔導士は、体内にあるエーテルだけを使って魔法を使うそうだ。
へー。っとなった。あ、ファイナルファンタジー14での設定の話だ。
どうやら、完結したらしい。まじか。
そろそろ完結だという噂はなんか見た気がしていたが、も終わっちゃったのか。
本屋さんに最終巻、単行本も出ているか見に行ったけど、それは6月ぐらいらしい。
どんな最後なんだろうか。
楽しみだが、寂しいな。
まぁ、終わらない物語はない。ネバーエンディングストーリーは無いのだ。
いやしかし、ほんと、ネタバレされると殺意すらわきそうである。
しかしそれは、かなり楽しみにしている作品だからこそである。
どうでもいい作品は、むしろ「おち」だけ知りたい、という場合すらある。
ネタバレ、で思い出したけれども、以前、「不快な情報」問題を、僕も、そして他の友人のブログでも論じられておられたことがあった気がする。
エログロ的な、衝撃的なコンテンツについて、「不快なら、見なきゃいいじゃないか」というのは、僕はその通りに思う。なんでも規制する必要があるとはおもえない。
ただ、「ネタバレ」に置き換えたらどうだろうか。
ネタバレが気になるなら、それに類する情報をみなければいい……それは確かに。
しかし、巧妙に、ネタバレじゃないように装いながら、――もしくは、ヤフートップページの記事タイトル的にネタバレが仕込まれていたら。
「見なきゃいい」
これは正しいことに思うが、「見ないことの保障」もされるべきに思った。
ということはやっぱり、「ゾーニング」ということになると思う。
「このコンテンツは不適切な云々……」とか「ここから先はネタバレを含みます」とか、そんな風に注釈があって、自分の意志で「クリック」しなければ見えないような仕組み、それがあればいいと思う。
そういう仕組みがあれば、何も、表現的なコンテンツにおいて、規制というのは一切必要ないんじゃないか、すら思う。
イラストモチーフは、FF14のリテイナー(倉庫番)さん。アイテムやお金(ギル)を預かってくれる。それだけじゃなくて、冒険に行ってアイテムを集めてもくれる頼れる雇人だ。
体が雑……ではあるが、しかし、前回、前々回と比べると、手と体の全体を描こうとしていることは評価に値する。あと、さらに雑だが、オブジェクトも描いてみた試みは褒めてやろう。
(褒めないと、来週も頑張れない……!(かっこわらい))
いやぁしかし、なかなか上達が見られませんなぁ。
しかし、ふと、かなりイラスト始めたばかりのころ……色付け始めのころのイラストをみてみると、「あれ、今の方が上手くないか?!」と思った。
所要時間は同じぐらいのはずなのだが……。
しかしながら、「まぁまぁできたな!」という感触的には、当時の方があったきがする。
その頃は、目標レベルも低かったのだろう。
今はなんか、高くなっちゃったわけではないが、ピクシブに投稿されている作品なども見始めたことによって、なんかモチベーションが低く(比べることはできないのに、比べてしまう)状況になったのかもしれない。
メインストーリーの話だ。ネタバレ……は、このブログには書いてもいい気もするが、まぁ、何が起こるか分からない世界だからぼかして書くか。
何が書きたいかというと、ですね、なんかその、「冒険者って色々頼まれ過ぎでしょ!」と思うわけであった。
便利屋過ぎる。
いいように使われる。
政治の道具。
「ありがとう」
「おねがいね」
「貴様を冒険者部隊の隊長にする」
「無事でよかった」
「さすがは英雄殿」
必要としてくれるのはありがたい。でもですね、みなさん、ちょっとこき使いすぎじゃないですかね!!(かっこわらい)
と思ったのであった。
うーむ。これは、僕が、「いい大人」になってしまったからだろうか。
若いうち、――小学生ぐらいだったら、「勇者になって頑張るぞ!」的な感性だけだったかもしれない。「偉い人、大人に認められていく!」ということに快感すらあったのかもしれない。
僕はだいぶ、不信感がつのっていった(笑)。
いくら「超える力」があるとはいえ、星の加護があるとはいえ、こきつかいすぎでしょう!!
「アシなんとかさん」という、人外の……人外どころか、生命という枠組みすらはずれた存在との戦いに駆り出されるのは、まぁ、わからないでもない。それは僕しかできないことだ。
でもですよ、他国との政権争いとか、北方の鎖国国家とドラゴン族との戦いとか、「関係なくね?」と思ったりした。
そもそも、「蛮神」や「アシなんとかさん」との戦いのときに、援軍を求めたが、冷たくあしらわれたことなど、ボクは忘れてない。都合よすぎるなじゃあないかなぁ! 勝手に滅んでしまえ! ぐらいに思った。
――でも、ゲーム内のボクは、決意を帯びた表情で、強く頷く。
何も言わない。すべて分かっているといわんばかりに。
エオルゼア全土の太平のためには、必要なことなのだと。
金銀名誉等報酬はいらない。使命感と責任感で、それで十分だと。
――か、かっこいいじゃないか。
分かったよ。じゃあ、一緒にやってやろうじゃないか!!
――てな感じで、不満も大きくなりつつも、それを込みでストーリーも楽しんでいる。
まえがき
「すべての生命には、霊魂が宿っている」――と、書き始めると、「え、どうした?」と心配をしてくれる方もいるかもしれない。
オカルトでも、スピリチュアルでも、新興宗教でもマルチ商法でもない。逆にそう書いた方が怪しいかもしれない。
いや実際、スピリチュアル系のブログ記事がふと目に留まって読ませていただいたというのがきっかけではある。
しかし、問いとしては、「生命とは何か」、というものだった。
これは、見方を変えれば、科学的でもあれば、現実的でもある。
その理屈、ロジック、そこに至る過程、アプローチなどによって、「うさんくさ」くもなり、「アカデミック」にもなるのだろうと思う。
ちなみに、そのきっかけとなった記事においては、「――だから、すべての、人間以外の生命に対しても責任や尊敬の念をもつことが必要だ」という主張だと思われた。(生命には、「ウイルス」も含まれるという定義であった)
そして、霊魂とは「エネルギー」のことだという。
エネルギーというのも、「物理学」的でもありながら、スピリチュアル的なニュアンスも含む言葉に思う。
ちなみに、僕の中でのエネルギーという言葉の定義、というか、イメージは、「移動を発現させるための原因」というものだ。「動力」といってもよいかもしれない。もっといえば、単に「力」といってもいいかもしれない。エネルギー=力。
要は「動き」の発生源。
物理的な観点での、位置エネルギー運動エネルギーというイメージはその通りだが、それだけじゃなくて、口頭による情報伝達もまた、エネルギーだと思う。「情報」という、物理ではないけれども、見えないものが動く、というイメージ。磁力や、光もそうだろうが、目に見えないものでも、「力」は伝わるのだ。
エーテル
いきなり物語とかゲームの話になるが、「魔法の世界」の、魔法が顕現する原因は、「魔素」だったりする。万物の起源は「素粒子」だ。光は「光子」だし、原子は「クォーク」だったりする。
で、魔法が発生するのは、世界に、魔法の元となる粒子が豊富に漂っているからだ。
ファイナルファンタジーでは、それを「エーテル」という。
自然のエーテルを体内に取り込み(もしくは変換)して、魔法を使う。それが幻術士。強大な魔法は、エーテルを大量に消費し、その土地を枯渇させる。だからより強大な白魔法は禁忌とされた。
一方、赤魔導士は、体内にあるエーテルだけを使って魔法を使うそうだ。
へー。っとなった。あ、ファイナルファンタジー14での設定の話だ。
進撃の巨人の完結
話がいきなりかわるが、進撃の巨人が、週刊誌? 月刊誌? では、もう完結したらしい。どうやら、完結したらしい。まじか。
そろそろ完結だという噂はなんか見た気がしていたが、も終わっちゃったのか。
本屋さんに最終巻、単行本も出ているか見に行ったけど、それは6月ぐらいらしい。
どんな最後なんだろうか。
楽しみだが、寂しいな。
まぁ、終わらない物語はない。ネバーエンディングストーリーは無いのだ。
いやしかし、ほんと、ネタバレされると殺意すらわきそうである。
しかしそれは、かなり楽しみにしている作品だからこそである。
どうでもいい作品は、むしろ「おち」だけ知りたい、という場合すらある。
ネタバレ、で思い出したけれども、以前、「不快な情報」問題を、僕も、そして他の友人のブログでも論じられておられたことがあった気がする。
エログロ的な、衝撃的なコンテンツについて、「不快なら、見なきゃいいじゃないか」というのは、僕はその通りに思う。なんでも規制する必要があるとはおもえない。
ただ、「ネタバレ」に置き換えたらどうだろうか。
ネタバレが気になるなら、それに類する情報をみなければいい……それは確かに。
しかし、巧妙に、ネタバレじゃないように装いながら、――もしくは、ヤフートップページの記事タイトル的にネタバレが仕込まれていたら。
「見なきゃいい」
これは正しいことに思うが、「見ないことの保障」もされるべきに思った。
ということはやっぱり、「ゾーニング」ということになると思う。
「このコンテンツは不適切な云々……」とか「ここから先はネタバレを含みます」とか、そんな風に注釈があって、自分の意志で「クリック」しなければ見えないような仕組み、それがあればいいと思う。
そういう仕組みがあれば、何も、表現的なコンテンツにおいて、規制というのは一切必要ないんじゃないか、すら思う。
イラストコーナー
そしていきなりイラストコーナーに入る。イラストモチーフは、FF14のリテイナー(倉庫番)さん。アイテムやお金(ギル)を預かってくれる。それだけじゃなくて、冒険に行ってアイテムを集めてもくれる頼れる雇人だ。
体が雑……ではあるが、しかし、前回、前々回と比べると、手と体の全体を描こうとしていることは評価に値する。あと、さらに雑だが、オブジェクトも描いてみた試みは褒めてやろう。
(褒めないと、来週も頑張れない……!(かっこわらい))
いやぁしかし、なかなか上達が見られませんなぁ。
しかし、ふと、かなりイラスト始めたばかりのころ……色付け始めのころのイラストをみてみると、「あれ、今の方が上手くないか?!」と思った。
所要時間は同じぐらいのはずなのだが……。
しかしながら、「まぁまぁできたな!」という感触的には、当時の方があったきがする。
その頃は、目標レベルも低かったのだろう。
今はなんか、高くなっちゃったわけではないが、ピクシブに投稿されている作品なども見始めたことによって、なんかモチベーションが低く(比べることはできないのに、比べてしまう)状況になったのかもしれない。
FF14の話
思い出したので、FF14のことを書く。メインストーリーの話だ。ネタバレ……は、このブログには書いてもいい気もするが、まぁ、何が起こるか分からない世界だからぼかして書くか。
何が書きたいかというと、ですね、なんかその、「冒険者って色々頼まれ過ぎでしょ!」と思うわけであった。
便利屋過ぎる。
いいように使われる。
政治の道具。
「ありがとう」
「おねがいね」
「貴様を冒険者部隊の隊長にする」
「無事でよかった」
「さすがは英雄殿」
必要としてくれるのはありがたい。でもですね、みなさん、ちょっとこき使いすぎじゃないですかね!!(かっこわらい)
と思ったのであった。
うーむ。これは、僕が、「いい大人」になってしまったからだろうか。
若いうち、――小学生ぐらいだったら、「勇者になって頑張るぞ!」的な感性だけだったかもしれない。「偉い人、大人に認められていく!」ということに快感すらあったのかもしれない。
僕はだいぶ、不信感がつのっていった(笑)。
いくら「超える力」があるとはいえ、星の加護があるとはいえ、こきつかいすぎでしょう!!
「アシなんとかさん」という、人外の……人外どころか、生命という枠組みすらはずれた存在との戦いに駆り出されるのは、まぁ、わからないでもない。それは僕しかできないことだ。
でもですよ、他国との政権争いとか、北方の鎖国国家とドラゴン族との戦いとか、「関係なくね?」と思ったりした。
そもそも、「蛮神」や「アシなんとかさん」との戦いのときに、援軍を求めたが、冷たくあしらわれたことなど、ボクは忘れてない。都合よすぎるなじゃあないかなぁ! 勝手に滅んでしまえ! ぐらいに思った。
――でも、ゲーム内のボクは、決意を帯びた表情で、強く頷く。
何も言わない。すべて分かっているといわんばかりに。
エオルゼア全土の太平のためには、必要なことなのだと。
金銀名誉等報酬はいらない。使命感と責任感で、それで十分だと。
――か、かっこいいじゃないか。
分かったよ。じゃあ、一緒にやってやろうじゃないか!!
――てな感じで、不満も大きくなりつつも、それを込みでストーリーも楽しんでいる。
あとがき
(かっこ書きである。FF14のことを書こう。楽しい。人混みは、大の苦手である。しかし、ゲームの中の人混みは楽しいなと思った。リンクシェル(クロスワールドリンクシェル)という、グループチャットをできる仕組みで、20人、30人? ぐらい集まってわちゃわちゃするのは楽しかった。しかし、ライブとか、集会とか、飲み会とか好きな人の気持ちも、分からんでもない、ような、やっぱり分からないような。まぁ、「わかる」として、ではなぜ僕は、リアル人混みは嫌で、ゲームならいいんだろうかと、ふと思った。「帰りが楽」というのはあるかもしれない。集会が終わったら、「さよならー」と電車で帰るのか、パソコンの電源を落とすのかの違いはあるだろう。しかしそれだけだろうか。やっぱり、以前、このブログにコメント頂いた友人の言葉が関係する気がする。つまり、リアルの場合、「生命の危機」というのがあるわけだ。楽しそうに談笑していても、いつ豹変して殴り掛かられるか分からない――という例えは極端だけど、まぁそういうリスクがないことはない。別に相手に問題がなくても、トラックが突っ込んできたり、何かが起こる可能性はある。そういう違い、なのか。不思議。しかも、僕はコミュ障である。そうコミュ障なのだ。知らない人の中に行くと――、知らない人じゃなくても、大人数を前にすると緊張するのだ。緊張……というか、そわそわというか、不安になるのだ。――しかしただ、何か一緒に楽しむものがある場合は、知らない人とコミュニケーションするのも楽しいんだなと思った。そういう体験もできるということで、オンラインゲームは面白いと思う。――いや、オンラインゲームというか、FF14は、ということだろう。これ、GTAOnlineではかなりありえないことだろうから(かっこわらい)。――とはいえ、GTA5でも、以前書いたけど、高難易度コンテンツをクランというかギルドというか入ったコミュニティで、何日かかけて一緒にクリアして喜び合ったときのことは、今も覚えている。ああ、あれはPS3でのことだったか。Geforceの録画機能が使えていたら、動画保存できてたんだろうが。もうあの頃一緒に戦ってくれた人たちには二度と会えないと思うが、思い出の中で、生き続ける……とかっこよく締めくくろうとしたが、しかし、残念なことに、4人パーティのうち、1人しか全く覚えていない。誰と行ったかすら、その程度になってしまうのだなと、少し寂しい。……ああ、お酒飲みながら書くと、いつにもましてダラダラぐちゃぐちゃになるのだな)
今日の一言「何を書けばいいんだろう」
とはいえ、まぁ、ノー残業デーというわけには行かない状況であるが、睡眠時間を4時間しか確保できない、といった状況ではなくなった。
しかし、FF14を2月ぐらいから始めたため、それなりに睡眠時間が削られている。
だが、とりあえず、6時間睡眠は確保していこうと思う。
30代半ばともなれば、大事なことは富や名声などではない。
健康。
健康が一番大事だ。
そして、復活させようと、書いた。
結局やってなかった。(おい!)
いかんな……。これではいかん。
ということで、今、今日の分の筋トレは終わった。
ふむ……。やはり、久しぶりにやると、今まで余裕でできていたことも、結構つらいな。
しかし、久しぶりだと、「やった感」がすごくある。もはやルーティンになっていたころは、何の感慨もなく、ただ、ただ、ノルマという意識でやっていただけだった。つまらないものだった。しかし、やらないといけないという使命感だけだった。
そうなってしまったときは、ある程度の休息というのは必要なのかもしれない。
――というわけで、とにかく、今日から毎日続けていこうと思う。4月の中途半端な日だけれども、そんなことはどうでもいい。やることになった日が、吉日だ。
雰囲気は、なんとなく似せられた気がする。
(顔に古傷みたいなのがあることも今回、元にした参考画像を見ているうちに気づいた(笑))
細かいところはいろいろあれだけれども、でも、2時間半ぐらいで頑張った。
(2時間半というと、前回よりも短いかもしれない。しかし、今回は「手」を描いていないので、比べることはできない)
下書きから線入れするときのギャップがいつも慄く。
下書きの方が上手だったのに……と思う現象だ。
今回は、身体の比率とか、顔の大きさとか、顔の中のパーツとか、選択ツール(変形・自由変形)でたくさん調整した。
――と描いただけだと、なんのこっちゃか分からないな。途中経過も残しておけばよかった。
と、下書きは残っていた。
ここまでで、だいたい、50分ぐらい。――50分か。こうやって時間を描いてみると、わりと時間がかかってるんだなぁ。
んで、あーだこーだ、やって、完成(3時間弱)にいたる、と。
こうやってみると、目とか、顔の輪郭とか、下描きから修正しているのが分かるな。
ともあれ、いろいろ、ちゃんと参考資料を見ながら描いたのは久々な気がする。
見て描く、というのがほんと大事だよと、先人たちは口をすっぱくしておっしゃられている。素直に先人のいうことを聞くのはとても大事だ。
歳をとると、なかなか頑固になるという。
先人というのは、年齢のことではない。
その道で長く活躍されている人のことを言うのだ。
僕は、上のようなことを思っている。
若いから、年齢が上だから、とか、今まで思ったことはあんまりない。
若い方が、体力があるような気がする。でも、それだって、一概に言えない気もする。
とにかく、経験がある人の方が強い、と僕は思う。
そんな中で、「マネジメント」とは何なのか。
ようは、係長とか、そういう職種。立場?
自分より詳しい人――、そういう人たちをまとめる立場の人。
「判断」をすればよい、というかもしれない。
しかし、その判断は、「専門性」がなくても可能なのか? そうはあまり思えない。
最近の世の中は、本当に難しくなってきたと思う。
ジェネラリストとスペシャリストの境界とは何なのか。
真に正しいマネジメントとは何なのか。――とか、ドラッカーをちゃんと熟知してもおらずに議論はできないのだろうが。
最近、本を読む気力が起きないんだよなぁ……。
結局、なんやかんやいっても、「知識」とか「暗記」が重要な部分が多いし。「知識」がなければ、判断もできないと思うんだよな。
いやいや、優秀な部下からの情報があれば判断できる、というのもあるかもしれないが、その部下の情報の真偽とか、上がってくる情報がすべてなのか、足りないものはないのかとか、そういうことを思いつくには、やはり知識は土台として必要に思える。
まえがき
めっちゃくちゃ忙しかった、昨年の12月から2月にかけてであるが、現状は少し落ち着きをみせている。とはいえ、まぁ、ノー残業デーというわけには行かない状況であるが、睡眠時間を4時間しか確保できない、といった状況ではなくなった。
しかし、FF14を2月ぐらいから始めたため、それなりに睡眠時間が削られている。
だが、とりあえず、6時間睡眠は確保していこうと思う。
30代半ばともなれば、大事なことは富や名声などではない。
健康。
健康が一番大事だ。
筋トレ復活
いつぞやか、筋トレをさぼっていると書いた。そして、復活させようと、書いた。
結局やってなかった。(おい!)
いかんな……。これではいかん。
ということで、今、今日の分の筋トレは終わった。
ふむ……。やはり、久しぶりにやると、今まで余裕でできていたことも、結構つらいな。
しかし、久しぶりだと、「やった感」がすごくある。もはやルーティンになっていたころは、何の感慨もなく、ただ、ただ、ノルマという意識でやっていただけだった。つまらないものだった。しかし、やらないといけないという使命感だけだった。
そうなってしまったときは、ある程度の休息というのは必要なのかもしれない。
――というわけで、とにかく、今日から毎日続けていこうと思う。4月の中途半端な日だけれども、そんなことはどうでもいい。やることになった日が、吉日だ。
イラストコーナー
今回は、FF14でお世話になっているフレンドさんを描いてみる。
雰囲気は、なんとなく似せられた気がする。
(顔に古傷みたいなのがあることも今回、元にした参考画像を見ているうちに気づいた(笑))
細かいところはいろいろあれだけれども、でも、2時間半ぐらいで頑張った。
(2時間半というと、前回よりも短いかもしれない。しかし、今回は「手」を描いていないので、比べることはできない)
下書きから線入れするときのギャップがいつも慄く。
下書きの方が上手だったのに……と思う現象だ。
今回は、身体の比率とか、顔の大きさとか、顔の中のパーツとか、選択ツール(変形・自由変形)でたくさん調整した。
――と描いただけだと、なんのこっちゃか分からないな。途中経過も残しておけばよかった。
と、下書きは残っていた。

ここまでで、だいたい、50分ぐらい。――50分か。こうやって時間を描いてみると、わりと時間がかかってるんだなぁ。
んで、あーだこーだ、やって、完成(3時間弱)にいたる、と。
こうやってみると、目とか、顔の輪郭とか、下描きから修正しているのが分かるな。
ともあれ、いろいろ、ちゃんと参考資料を見ながら描いたのは久々な気がする。
見て描く、というのがほんと大事だよと、先人たちは口をすっぱくしておっしゃられている。素直に先人のいうことを聞くのはとても大事だ。
歳をとると、なかなか頑固になるという。
先人というのは、年齢のことではない。
その道で長く活躍されている人のことを言うのだ。
マネジメント
ふと、思った。僕は、上のようなことを思っている。
若いから、年齢が上だから、とか、今まで思ったことはあんまりない。
若い方が、体力があるような気がする。でも、それだって、一概に言えない気もする。
とにかく、経験がある人の方が強い、と僕は思う。
そんな中で、「マネジメント」とは何なのか。
ようは、係長とか、そういう職種。立場?
自分より詳しい人――、そういう人たちをまとめる立場の人。
「判断」をすればよい、というかもしれない。
しかし、その判断は、「専門性」がなくても可能なのか? そうはあまり思えない。
最近の世の中は、本当に難しくなってきたと思う。
ジェネラリストとスペシャリストの境界とは何なのか。
真に正しいマネジメントとは何なのか。――とか、ドラッカーをちゃんと熟知してもおらずに議論はできないのだろうが。
最近、本を読む気力が起きないんだよなぁ……。
結局、なんやかんやいっても、「知識」とか「暗記」が重要な部分が多いし。「知識」がなければ、判断もできないと思うんだよな。
いやいや、優秀な部下からの情報があれば判断できる、というのもあるかもしれないが、その部下の情報の真偽とか、上がってくる情報がすべてなのか、足りないものはないのかとか、そういうことを思いつくには、やはり知識は土台として必要に思える。
あとがき
(かっこ書きである。平日を、もう少し有効活用したい。70%ぐらい仕事で、15%ぐらいゆとりで、15%ぐらいを遊び、というのがちょうどいい気がする。時間配分というか、思考占有率的に。――そういえば、最近、映画もアニメも漫画も一切みていない。そういえば、進撃の巨人は、次あたりが最終巻なんだっけか。寂しいなぁ。進撃の巨人が終わってしまうと、集めている漫画がついに、何もなくなってしまう。時代の流れですな。そういえば、モンスターハンターのハリウッド映画(実写)が上映されているらしい。今週あたり見に行けばよかったな。来週とか行ってみようかな。――と、少し、「いろいろやってみようかな」という思考の余裕ができてきた今日のこの頃。もう少し仕事が落ち着けば、いいなぁ)
今日の一言「新年度の係は決まった」
ええと、あっという間である。
何事も計画的にやらなければ、何も成せない。
計画的……というけれども、突発的なことが多い。まぁ、突発的なこと、というのも想定しておけば、突発ではない……とかいうのはトートロジーだ。
森羅万象熟知していれば、何事も突発ではないのだ。
しかしそれは、面白くない人生というものかもしれない。
と、言われたりするけれども、予測できないことが楽しい、というのも、また何か違う気がする。
命をかけたバトルじゃないと、生きがいを見いだせないという戦闘狂の人もいるのかもしれない。
仕事に置き換えれば、利益を出すことでしか生きがいを見いだせないとか、業務の効率化を突き詰めることでしかやりがいを見いだせない人とか。
手の練習をがんばってたんです――品質がイマイチ(成長が感じられないということ)なのは許してください。
がんばった――というのは、どう表現すればいいのか。
手を9個ぐらい描いた、という数で示せばいいのか。分からない。
そもそも、「手の描き方」講座を読んでいた時間もある。
なので、個人的には頑張ったのであるが、しかし、まぁそんなもんか、と思われることもあるだろう。
目がなんか、調子が悪い気がする。と、思ったら、ディスプレイの設定が何か変わってて、ブルーライト軽減の設定がなくなっていた。
んで、今日気づいてブルーライト軽減レベルをあげてみたら、割と目の疲れが少なくなった感じ。
ディスプレイが明るすぎるのはやはりよくないね。
ただ、会社でも、21時を過ぎたあたりから目が明かなくなってくる。「眠い」というより、ほんと、目がつらい……という状態になる。こまめな休息が必要だろう。
まえがき
先週を振り返って……。ええと、あっという間である。
何事も計画的にやらなければ、何も成せない。
計画的……というけれども、突発的なことが多い。まぁ、突発的なこと、というのも想定しておけば、突発ではない……とかいうのはトートロジーだ。
森羅万象熟知していれば、何事も突発ではないのだ。
しかしそれは、面白くない人生というものかもしれない。
と、言われたりするけれども、予測できないことが楽しい、というのも、また何か違う気がする。
命をかけたバトルじゃないと、生きがいを見いだせないという戦闘狂の人もいるのかもしれない。
仕事に置き換えれば、利益を出すことでしか生きがいを見いだせないとか、業務の効率化を突き詰めることでしかやりがいを見いだせない人とか。
イラストコーナー
書くことが見つからないので、描いたことのコーナーに早速入る。
手の練習をがんばってたんです――品質がイマイチ(成長が感じられないということ)なのは許してください。
がんばった――というのは、どう表現すればいいのか。
手を9個ぐらい描いた、という数で示せばいいのか。分からない。
そもそも、「手の描き方」講座を読んでいた時間もある。
なので、個人的には頑張ったのであるが、しかし、まぁそんなもんか、と思われることもあるだろう。
体の調子が良くない気がする
家にいても、イラスト描いてても、ブログ書いてても、集中力が続かない。目がなんか、調子が悪い気がする。と、思ったら、ディスプレイの設定が何か変わってて、ブルーライト軽減の設定がなくなっていた。
んで、今日気づいてブルーライト軽減レベルをあげてみたら、割と目の疲れが少なくなった感じ。
ディスプレイが明るすぎるのはやはりよくないね。
ただ、会社でも、21時を過ぎたあたりから目が明かなくなってくる。「眠い」というより、ほんと、目がつらい……という状態になる。こまめな休息が必要だろう。
あとがき
(かっこ書きである。書くことが浮かばない。それもそうだが、モチベーションが高まらない。つい最近の大きな失敗によって落ち込んだのも影響するだろうか。それにしても失敗した――。失敗したという記憶はずっと残るだろう。反省とか、次につなげられたらいいんだけど、ね。後悔だけが残るパターンか。そういえば、効率――。効率を突き詰めていく、というのは悪いことではないと思う。ただ、効率化することで、何か良いことがあるのか、というのも思うところだ。効率化することが当たり前、とはいえ、当たり前を当たり前にこなして当たり前だといわれたら、やっぱり人はやる気をもてないのではないだろうか。仕事にやる気はいらない、というのもあるが。ううーむ。いや、そんな、書いていて全く面白くないことを、僕はどうして書いているのか。なんか正直、ノルマだからブログも書いている感じだよな。ほんとは、書きたいからかくべきなのだが。まぁしかし、これは、あるある現象だ。結構な周期で訪れる、やる気がでないモードだ。こういうときは、とりあえず、耐え忍ぶしかない。やめてしまうのは簡単だ。ブログをやめたところで、誰にも怒られはしないだろう。たぶん。だが、一人怒る奴がいる。自分だ。――何も、こんな益体もないことを書く必要はないのだ。せっかくの場だ。創作に活用したり、思索を深めたり、たくさん有意義なことに活用できる場なのだ。それを活用できないのだとしたら、やる気がないとしか言いようがない。――いや実際やる気がないのだが……。と、は、い、え、だ。「とりあえず」でも、続けることが必要だ。そうでもしないと、本当に後悔することになるだろう)
今日の一言「目標の一つは達成できそうもない」
何とかなったといえば何とかなったけど、とりあえず起こしてしまったことは消えない。
しかしまぁ、お金で解決できるレベルの問題は、まだ良い方なのかもしれない。
人の命にかかわるようなミスをしてしまったらと思うと、恐ろしい。
最近イラストへの気力が少なくなっている。
最初のうちは、描くだけで楽しかったんだけどな。
完成度のイマイチ感は許してほしい。
今回は、「手が苦手」ということで、手と腕の練習をしていた。描いては消してを繰り返した。その練習時間も含めて……いやぁ、でも、2時間ぐらいしかかけてない気はするな。
とりあえず、腕の凸凹を練習。うーむ、来週も同様に練習しないと、すぐに忘れてしまいそうだ。まだ全然手探りである。
簡単な形でいいから、テンプレみたいなのをインプットしたい。
そうしないと、写真見て書いても、なんか、線をこう、なぞる……トレースするわけではないんだけど、「構造」が分からないで写真をただ見てても上達しない気がするんだよな。
考えて描かなきゃいけない。でも、頭が痛くなってくる(苦笑)。
しかし、分かってはいたけど、ブルーレイディスクだった。
外付けのブルーレイディスクプレーヤーもっててよかった。埃をかぶってたが、押し入れの奥から取り出す。動いた、よかった。
が、しかし、中に入っているだろう、映像はみることができなかった。
同梱のMP3は取り出すことができたからまぁいいけど。
なんか、ブルーレイは、コピーガードがかかっているせいで、パソコンではみれないっぽい。
不便だなぁ。
著作権保護は大事だと思うけれども、自分で買ったものなのに見れないってのは、仕組みとしてどうなのか。
まぁ、アマゾンミュージックで購入しても4000円で同じ値段だし、いいんだけどさ……。
ちなみに、レンタルは禁止で、TUTAYAとかGEOとかにはおいてないらしい。
久々に都心に出かける用事があったので店舗をみてみたけど、やっぱりなかった。
まぁでも、サントラ、いい感じ。ゲーム内の音質よりも品質が高いっぽい。
んで、まぁ、ウォークマンに移そうとしたら、今度、ソニーの「Media Go」というアプリが廃止され、新しくメディアセンターというものに変わっていた。
PCを入れ替えすると色々と足りないものが発生する。
んで、その新しいアプリが非常に使いづらかった。慣れなのかもしれないけれども、直感的ではない……。必要な機能が見つからない。なんでこう、新しいものって、必ずしもいいものとは限らないのか。
いや、単に自分が新しいものについていけなくなっているだけなのか……。
いや、違う。ウォークマン内の曲を検索できる機能がないというのはおかしいだろう。
あと、いろいろ操作しているといきなり強制終了が発生するのが、1時間に2回も3回も起きると、これはもう欠陥アプリだと思いたくもなる。
初めて4人パーティを組んで攻略するダンジョンだ。
光のお父さんでも、最初のダンジョンのことは詳しく描かれる。
あと、光のお姉さんというプレイ動画で、マイディーさんがダンジョン攻略の解説をしてくれてたりもする。
第8話【FF14】マイディーから教わる「サスタシャ浸食洞」攻略編
さすが、マイディーさんは教え方も上手だなって思った。
――というのは前置きで、この小見出しで書きたいこととして、やっぱり、挨拶はした方がよい、ということである。
先日、知らない人たちと、僕もそのサスタシャ洞窟に行くことになった(コンテンツファインダーというマッチングの仕組みを使って)。
そこでは、なんと、誰も挨拶をしなかった。
僕だけした。
まぁでも、それは初めてのことではなかったし、僕自身も、知らない人と、一期一会のコンテンツファインダーという仕組み(単にレベル上げともいえるかもしれない)で、わざわざ毎回挨拶は必要なのかな、と最初のころは思ったりもした。
でも、まぁ僕は、最初に声をかけてくださったメンターさんからも、「挨拶はした方がいいですよ」と教えていただいたし、FF14公式の初心者ガイド(DVD版のゲームを購入すると冊子がもらえる)にも、初めは「よろしくお願いします」とあいさつするように、ということも書いていて、ああ、そういう文化なんだな、と思って、自分ではするようにしていた。
ただ、強制できることではないのかな、とも思っていた。
が、今回その参加したダンジョンでは、初見の方というか、不慣れな方が多かった。
いや僕も、駆け出し初心者である。とはいえ、その最初のダンジョンのサスタシャは、もう何十回とクリアしている(あまりダンジョンが多く解放されていないころから、コンテンツファインダー……というか、パーティプレイするのが楽しくて、何回も行っていたので)。
さすがに慣れてしまっていた。
ただ、初見の方にとっては、いろいろ新鮮だろうし、道に迷ったり、タンクという敵の攻撃を受ける役割の人を無視して攻撃する人がいたり、タンクの人も敵視をとらずピンチになったり、ギミック(罠)について教えてあげても無視されて罠が発動したりしても、まぁ、そういうのも楽しいよねぇ……と少しもやもやしながら、頑張ってサポートしながらついていっていた。
そして、まぁ、不安は多かれ、なんとかボスも倒してクリア。
「お疲れさまでしたー」
と僕は挨拶する。
しかし、誰も挨拶せず、みんな無言のまま退出。
ぽつーんと残される僕。
うーむ……。
うーむ。
確かに、いろんな楽しみ方がある。挨拶するしないというのも、自由ではある。「たかが」ゲームというのもある。
だが、だが。だがしかし。「僕は、楽しくなかった」。
せめて、最初に、「初見ですが、よろしくお願いします」とか、最後に、「ありがとうございました」とか一言あれば、ああ、頑張ってよかったな、と思ったかもしれない。
印象に残る、残念な体験の一つとなった。
――だからせめて、僕は、せめて最初と最後の挨拶くらいはしようと思う。
まえがき
仕事で重大な問題が起こっててんやだったのは先週か。早いな過ぎるのは。何とかなったといえば何とかなったけど、とりあえず起こしてしまったことは消えない。
しかしまぁ、お金で解決できるレベルの問題は、まだ良い方なのかもしれない。
人の命にかかわるようなミスをしてしまったらと思うと、恐ろしい。
イラストコーナー
あれだ、その、気力が向かなかった。最近イラストへの気力が少なくなっている。
最初のうちは、描くだけで楽しかったんだけどな。

完成度のイマイチ感は許してほしい。
今回は、「手が苦手」ということで、手と腕の練習をしていた。描いては消してを繰り返した。その練習時間も含めて……いやぁ、でも、2時間ぐらいしかかけてない気はするな。
とりあえず、腕の凸凹を練習。うーむ、来週も同様に練習しないと、すぐに忘れてしまいそうだ。まだ全然手探りである。
簡単な形でいいから、テンプレみたいなのをインプットしたい。
そうしないと、写真見て書いても、なんか、線をこう、なぞる……トレースするわけではないんだけど、「構造」が分からないで写真をただ見てても上達しない気がするんだよな。
考えて描かなきゃいけない。でも、頭が痛くなってくる(苦笑)。
FF14のサントラを買う
4000円という高額だったけれども、ポータブルミュージックプレーヤーに入れたくて、購入。しかし、分かってはいたけど、ブルーレイディスクだった。
外付けのブルーレイディスクプレーヤーもっててよかった。埃をかぶってたが、押し入れの奥から取り出す。動いた、よかった。
が、しかし、中に入っているだろう、映像はみることができなかった。
同梱のMP3は取り出すことができたからまぁいいけど。
なんか、ブルーレイは、コピーガードがかかっているせいで、パソコンではみれないっぽい。
不便だなぁ。
著作権保護は大事だと思うけれども、自分で買ったものなのに見れないってのは、仕組みとしてどうなのか。
まぁ、アマゾンミュージックで購入しても4000円で同じ値段だし、いいんだけどさ……。
ちなみに、レンタルは禁止で、TUTAYAとかGEOとかにはおいてないらしい。
久々に都心に出かける用事があったので店舗をみてみたけど、やっぱりなかった。
まぁでも、サントラ、いい感じ。ゲーム内の音質よりも品質が高いっぽい。
んで、まぁ、ウォークマンに移そうとしたら、今度、ソニーの「Media Go」というアプリが廃止され、新しくメディアセンターというものに変わっていた。
PCを入れ替えすると色々と足りないものが発生する。
んで、その新しいアプリが非常に使いづらかった。慣れなのかもしれないけれども、直感的ではない……。必要な機能が見つからない。なんでこう、新しいものって、必ずしもいいものとは限らないのか。
いや、単に自分が新しいものについていけなくなっているだけなのか……。
いや、違う。ウォークマン内の曲を検索できる機能がないというのはおかしいだろう。
あと、いろいろ操作しているといきなり強制終了が発生するのが、1時間に2回も3回も起きると、これはもう欠陥アプリだと思いたくもなる。
FF14の挨拶について
サスタシャというダンジョンがある。初めて4人パーティを組んで攻略するダンジョンだ。
光のお父さんでも、最初のダンジョンのことは詳しく描かれる。
あと、光のお姉さんというプレイ動画で、マイディーさんがダンジョン攻略の解説をしてくれてたりもする。
第8話【FF14】マイディーから教わる「サスタシャ浸食洞」攻略編
さすが、マイディーさんは教え方も上手だなって思った。
――というのは前置きで、この小見出しで書きたいこととして、やっぱり、挨拶はした方がよい、ということである。
先日、知らない人たちと、僕もそのサスタシャ洞窟に行くことになった(コンテンツファインダーというマッチングの仕組みを使って)。
そこでは、なんと、誰も挨拶をしなかった。
僕だけした。
まぁでも、それは初めてのことではなかったし、僕自身も、知らない人と、一期一会のコンテンツファインダーという仕組み(単にレベル上げともいえるかもしれない)で、わざわざ毎回挨拶は必要なのかな、と最初のころは思ったりもした。
でも、まぁ僕は、最初に声をかけてくださったメンターさんからも、「挨拶はした方がいいですよ」と教えていただいたし、FF14公式の初心者ガイド(DVD版のゲームを購入すると冊子がもらえる)にも、初めは「よろしくお願いします」とあいさつするように、ということも書いていて、ああ、そういう文化なんだな、と思って、自分ではするようにしていた。
ただ、強制できることではないのかな、とも思っていた。
が、今回その参加したダンジョンでは、初見の方というか、不慣れな方が多かった。
いや僕も、駆け出し初心者である。とはいえ、その最初のダンジョンのサスタシャは、もう何十回とクリアしている(あまりダンジョンが多く解放されていないころから、コンテンツファインダー……というか、パーティプレイするのが楽しくて、何回も行っていたので)。
さすがに慣れてしまっていた。
ただ、初見の方にとっては、いろいろ新鮮だろうし、道に迷ったり、タンクという敵の攻撃を受ける役割の人を無視して攻撃する人がいたり、タンクの人も敵視をとらずピンチになったり、ギミック(罠)について教えてあげても無視されて罠が発動したりしても、まぁ、そういうのも楽しいよねぇ……と少しもやもやしながら、頑張ってサポートしながらついていっていた。
そして、まぁ、不安は多かれ、なんとかボスも倒してクリア。
「お疲れさまでしたー」
と僕は挨拶する。
しかし、誰も挨拶せず、みんな無言のまま退出。
ぽつーんと残される僕。
うーむ……。
うーむ。
確かに、いろんな楽しみ方がある。挨拶するしないというのも、自由ではある。「たかが」ゲームというのもある。
だが、だが。だがしかし。「僕は、楽しくなかった」。
せめて、最初に、「初見ですが、よろしくお願いします」とか、最後に、「ありがとうございました」とか一言あれば、ああ、頑張ってよかったな、と思ったかもしれない。
印象に残る、残念な体験の一つとなった。
――だからせめて、僕は、せめて最初と最後の挨拶くらいはしようと思う。