今日の一言「やることが(オンラインで)多い」
目が、かなり疲れている。重い。
さすがにまずいと、目を休ませる。蒸しタオル等で目を温める。血行を良くすると少し良くなる。
しかし、画面を見続けるのはよくないと、本棚の「司星者セイン」(2巻)をおもむろに手に取る。
面白いんだよなぁ――。ズァグ氏が、魔女王と謁見するシーンが、ものすごく好み。戦闘するわけではないのだけれども、命がけの戦い(ズァグ氏側が。魔女王の圧倒的強者感の描写がすごい)。

中々上手いだろう。しかしこれは、画像のトレースである。
オリジナル>模写>トレース
の順にすごい、のかな。
しかし、トレースでも、半年前とかは、これぐらいの出来にするのもできなかったろう。
写真とか画像から、「必要な線」を選んでなぞる、というのは、ある程度技術がないとできないことだと思う。
前書き
FF14について、プレイしているよりも、話をしている(チャット)時間の方が長いのでは、と思うぐらいである。実際そんな気がする。目が、かなり疲れている。重い。
さすがにまずいと、目を休ませる。蒸しタオル等で目を温める。血行を良くすると少し良くなる。
しかし、画面を見続けるのはよくないと、本棚の「司星者セイン」(2巻)をおもむろに手に取る。
面白いんだよなぁ――。ズァグ氏が、魔女王と謁見するシーンが、ものすごく好み。戦闘するわけではないのだけれども、命がけの戦い(ズァグ氏側が。魔女王の圧倒的強者感の描写がすごい)。
イラストコーナー
中々上手いだろう。しかしこれは、画像のトレースである。
オリジナル>模写>トレース
の順にすごい、のかな。
しかし、トレースでも、半年前とかは、これぐらいの出来にするのもできなかったろう。
写真とか画像から、「必要な線」を選んでなぞる、というのは、ある程度技術がないとできないことだと思う。
あとがき
(かっこ書きである。短い! しかし、土日にイラストを何とか描いたことは自分を褒める。土日は少々、片付けなければいけないこともあって、気持ちがややそぞろに。それでも、土日中にブログも投稿しようと思っていたのだけれども、結局間に合わなかった。なんやかんや、でも、楽しい毎日をすごしている。仕事も、まぁストレスが零というわけではもちろんないけれども、一時期よりかは楽。これから忙しくなる可能性があるけれども、まぁ何とかなるだろう。そわそわしていると、何か、あまり書くこともできないな)PR
今日の一言「睡眠時間をちゃんととろう」
上のようなことは、「私がんばってる~♪ だから心配して~」という意味では全然なくて、ばかなことやってるな、自分、注意しよう……という戒めである。
ただ、どうしても、自分ひとりではなくて、相手がいると、時間というもののコントロールは非常に難しくなる。
雑なのは許していただきたい。初めて、横向きに挑戦したということで(自分を)評価しよう。
もちろん難しかったが、「初めてだから、まぁ、こんなもんでしょ」という自分へのハードルがかなり低かったので、心理的には楽だった。
しかし、時間をかけて、「線」をきれいにすることはできる気がするが、こっから、「かわいく」するためにどうしたらいいかは検討がつかないな……。
本当は、個別に返信したいのだけれども、個別の返信としようとすると、「本当にありがとうございます」しか書けない気がして、こっちにだらだらと書こうと思う。
タイトルは、本音について。
特に、インターネットという場における「本音」の取り扱いについて書こうと思う。
ポイントを勝手な抽出すると以下のような内容を頂いた認識である。
・ネットにおいて意思表示は特に大事
・チャットという情報が残る媒体であっても、すべて(自分がその場にいないこと)の把握は不可能
・偽ろうと思えば、リアルよりも簡単に偽れる
・だから、知りえない情報についてあれこれ思いを巡らせても仕方がない(むだ)
(そして、それ以外にも、個人的にとても嬉しいことなどもメッセージ頂いた)
私が、このブログに書いてきたことは、「本心」(=本音)である。
表現をやや大げさに、外連味にすることはあっても、「嘘」は書いていない。
「間違い」はあるかもしれないが、「嘘」はない、純粋な内容である、と思っているし、そうあろうとしてきた。
しかし、それが本当なのか、証明する方法はない。
疑うことは、いくらでもできる。
だから、「伝えられていないこと」「書かれていないこと」「想像するしかないこと」は、まったく何も考えないということは不可能だろうが、思い悩み過ぎる必要はないと思う。
ありがとう、と表では言いつつ、裏ではばかにしてたりする……そんな可能性もあるかもしれない。
でも、その人はそうじゃないと、信じられるかどうか。
信じるしかないと思う。
まえがき
一時期、仕事で睡眠時間4時間とかの日々があったけれども、最近、何時間寝てるんだか、良く分からない。休日は、日中帯に突然眠くなって、2時間、3時間昼寝(というか意識が飛んでいる)ときがある。上のようなことは、「私がんばってる~♪ だから心配して~」という意味では全然なくて、ばかなことやってるな、自分、注意しよう……という戒めである。
ただ、どうしても、自分ひとりではなくて、相手がいると、時間というもののコントロールは非常に難しくなる。
イラストコーナー
先にイラストコーナーに入る。50分ぐらいは練習に使った。雑なのは許していただきたい。初めて、横向きに挑戦したということで(自分を)評価しよう。
もちろん難しかったが、「初めてだから、まぁ、こんなもんでしょ」という自分へのハードルがかなり低かったので、心理的には楽だった。
しかし、時間をかけて、「線」をきれいにすることはできる気がするが、こっから、「かわいく」するためにどうしたらいいかは検討がつかないな……。
本音について
これは、とある方から頂いたメッセージに対しての返信という意味も込めて書こうと思う。本当は、個別に返信したいのだけれども、個別の返信としようとすると、「本当にありがとうございます」しか書けない気がして、こっちにだらだらと書こうと思う。
タイトルは、本音について。
特に、インターネットという場における「本音」の取り扱いについて書こうと思う。
ポイントを勝手な抽出すると以下のような内容を頂いた認識である。
・ネットにおいて意思表示は特に大事
・チャットという情報が残る媒体であっても、すべて(自分がその場にいないこと)の把握は不可能
・偽ろうと思えば、リアルよりも簡単に偽れる
・だから、知りえない情報についてあれこれ思いを巡らせても仕方がない(むだ)
(そして、それ以外にも、個人的にとても嬉しいことなどもメッセージ頂いた)
私が、このブログに書いてきたことは、「本心」(=本音)である。
表現をやや大げさに、外連味にすることはあっても、「嘘」は書いていない。
「間違い」はあるかもしれないが、「嘘」はない、純粋な内容である、と思っているし、そうあろうとしてきた。
しかし、それが本当なのか、証明する方法はない。
疑うことは、いくらでもできる。
だから、「伝えられていないこと」「書かれていないこと」「想像するしかないこと」は、まったく何も考えないということは不可能だろうが、思い悩み過ぎる必要はないと思う。
ありがとう、と表では言いつつ、裏ではばかにしてたりする……そんな可能性もあるかもしれない。
でも、その人はそうじゃないと、信じられるかどうか。
信じるしかないと思う。
あとがき
(かっこ書きである。また……唐突な眠気が襲ってきた。しかし、今寝ると、生活リズムがまた完全に壊れそうだから、少し我慢する。お風呂に入ってみるのも効果的だろうか……。いま、外に出て、風に当たったら、ものすごく、気持ちの良い気候だった。精神的な、心理的な充足……いわばネットのやりとり、というのも好きだけれども、身体で感じることが不要ということを思ってるのではない。美味しいものを食べたら、やっぱりおいしいのだ。先日、仕事から帰って家について、炭酸水がどうしても飲みたくなったので、近所の自動販売機械を探しに散歩に出かけた。結論、どこにも売ってなかったのだが、しかし、夜の、涼しい風を受けて、人通りも車通りも少ない道を歩くのは、ほんと、気持ちがよかった)今日の一言「前回記事に頂いたコメントを記事に」
要するに、リアルよりも、「ネット」に助けられた経験があるので、「ネット上の知り合いなんて」とか「いい歳した大人がゲームなんて」とかいう風潮は疑問がある、ということだ。
いやいや、そもそも、もう、そんな風潮なんて、ないのかもしれない。
しかし、ネットと一概に言っても、既に環境は10数年前とは全く異なっているだろう。
実名を前提としたネットの利用というのも普及している。
ただ僕は、あいもかわらず、「ネット」といったときに、そこには匿名性が大事だと思わざるをえない。
今回の記事は、前回頂いたコメントを一部抜粋しながら、僕が思ったことを書いていこうと思う。
まえがき
前回の僕は、「正直、僕が数年前にとっても落ち込むことになったリアルの事情で、そのときはさすがに心も折れそうだったけれど、立ち直れて――しかも、こうして遠慮なく書くことができる場所ができたというのは、「リアル」で知り合った方々ではなかった。」と書いた。要するに、リアルよりも、「ネット」に助けられた経験があるので、「ネット上の知り合いなんて」とか「いい歳した大人がゲームなんて」とかいう風潮は疑問がある、ということだ。
いやいや、そもそも、もう、そんな風潮なんて、ないのかもしれない。
しかし、ネットと一概に言っても、既に環境は10数年前とは全く異なっているだろう。
実名を前提としたネットの利用というのも普及している。
ただ僕は、あいもかわらず、「ネット」といったときに、そこには匿名性が大事だと思わざるをえない。
今回の記事は、前回頂いたコメントを一部抜粋しながら、僕が思ったことを書いていこうと思う。
世の中は変わる
>いい年してゲームばかりやりやがってっていう風潮は昔ありましたね。でも、今ってそんな感じないんだよね。esportsっていう概念もでてきたし。結局、世の中は変わるし、○○がダメっていうのって所詮その程度のものなんだなぁって思います。
今は、そんな感じがだいぶ和らぎましたが、しかし、人の心はそんなに変わるものじゃなくて、やっぱり「本心」的には、「ゲームなんて」という考えの人はいる気がしますね。社会的地位の向上というのが、人生の目的なんだろうな、と感じる人もいます。
だから、やはり、リアルでは少し気を使いますね。そしてそれは正しい気がしています。
だから、やはり、リアルでは少し気を使いますね。そしてそれは正しい気がしています。
昔の秋葉にいたような典型的なオタクの人を知っているんだけど、ああいう人目を気にせずに自分がしたいことに打ち込める人は既に勝者だなって思います。まぁ、誰かに勝ったっていうわけでもないんだけど、ああなれたら人生を楽しめていると思うんだわ。僕も憧れます。「生きる意味」なんてものがなくても、ただ、日々生きること自体が楽しいとなれたら、それは既に人生というゲームに勝ってるんだと思います。勝ってるどころか勝ち続けてる、ってことでしょうね。
>わたしはリアルとかネットって分けて考える必要ないと思うんですよね。匿名性や物理的な距離感という違いはあるものの、結局リアルじゃないですか。ネットが良くないものって思われているのって匿名だから身元がわからない人とかかわっているっていうことで良くないって思われているんじゃないかって思うんですよね。もちろん、ネットだからダメっていう人もいるんでしょうけど、ゲームと同じで世の中変わっていくし、そういう人は無視していればいいんじゃないかって思います。あと、自分は相手の身元が不明でも危害を加えられる恐れがない限りいいんじゃないかって思います。結局はインターネットに対するかかわり方を知らない人間の過度な恐れがそういう風潮を生んでいるんだと思っています。インターネットに対するリテラシーがない人が痛い目にあってインターネット怖いって言っているだけ。株と同じ気がします。
はい、そう思います。「結局リアル」じゃないか、というのは、ほんとそうだと思います。
むしろ僕は、「純粋性」を思ってしまう。
住所も、顔も、性別すら分からなくても、そこでのやり取りというのは「嘘」なんかじゃないと思います。
確かに、文字ベースのやりとりは、いくらでも「表現」できると言えなくもない。
しかし、文字ベースのやりとりというのは、果たして本当に「文字」だけなのか。書き込み、発言のタイミング、頻度や区切り方で示されることもある。文字として見えるから、他の人へのかかわり方なども、見ることもできる。
そのように総合的にみれば、ネット(文字ベースのやり取り)も表現されていることが多いんじゃないかと思います。
あと、逆に、僕は「嘘」でもよい気もしています。
それは、「リアル」の方が「表現」=「取り繕い」は難しいので、「嘘」はつきづらいですが、でも、それが故に「リアル」だと騙されたときが危険。
文字ベースのやり取りの方が、「表現」=「取り繕い」は簡単でしょう。でも、仮にそれが「嘘」だったとしても、別にいいんじゃないかと思います。
リアルでも、ネットでも、結局疑えばきりがないわけで、危害が発生しない限りは、別に騙されていてもよい気もします。
適度な距離感、重要ですよね。
僕はそもそも、こうやって書いたりしていないと、自分の気持ちもよく分からなくなるようです。
一人で、様々な出来事に、向き合う時間がどうしても必要。
四六時中人と一緒にいるというのは、向いてない気がします。
そういう意味で、僕はネットという環境に適合しやすかったんだろうなと、コメント頂き思いました。
僕は、コミュ障害で人見知りで、人間嫌いだと自分で思ってました。
でも、「適切な距離感」があったときの人間関係は、とても好ましいものだと、そう思いまし た。そんなことを思うきっかけが、「ゲーム」だったというのも、また珍しいタイプの人間なんでしょうね。
でも、僕みたいな珍しい人間が、今後も増えてきて、「それも当たり前」という世の中になったらいいなと思います。
(――コメント引用元記事「人間関係難しい」)
同じく、「続けることってとても大事だよね」とコメント頂き、「その通りですよね」と言っていたのに、実効性がないとかっこ悪いので、今日も練習した。40分ぐらい。
ただ、色々やることがあるため、今回は下描き段階で妥協――。
あれだな、うん。やっぱり、いろんな向きの練習しないと、上達はしない気がする。後ろ向きとか、横向きとかもやらなきゃ、と思う、のだけれど、モチベーション的になぁ……。
むしろ僕は、「純粋性」を思ってしまう。
住所も、顔も、性別すら分からなくても、そこでのやり取りというのは「嘘」なんかじゃないと思います。
確かに、文字ベースのやりとりは、いくらでも「表現」できると言えなくもない。
しかし、文字ベースのやりとりというのは、果たして本当に「文字」だけなのか。書き込み、発言のタイミング、頻度や区切り方で示されることもある。文字として見えるから、他の人へのかかわり方なども、見ることもできる。
そのように総合的にみれば、ネット(文字ベースのやり取り)も表現されていることが多いんじゃないかと思います。
あと、逆に、僕は「嘘」でもよい気もしています。
それは、「リアル」の方が「表現」=「取り繕い」は難しいので、「嘘」はつきづらいですが、でも、それが故に「リアル」だと騙されたときが危険。
文字ベースのやり取りの方が、「表現」=「取り繕い」は簡単でしょう。でも、仮にそれが「嘘」だったとしても、別にいいんじゃないかと思います。
リアルでも、ネットでも、結局疑えばきりがないわけで、危害が発生しない限りは、別に騙されていてもよい気もします。
>自分もそうですが、適度な距離感が合ったほうが人と付き合っていくことは簡単なので、結果的に良い関係が築けるんだと思います。言いたいことも言いやすいですし。それっておかしいことなのかといえば、普通のことで、ただ、世の中的にはまだインターネットの使い方がわからない、怖いっていう人が一定数存在するので、世間からは変なことって言われているだけだと思います。インターネットが出現して実はまだそれほど時間がたっていないので、対応できない人も結構いるんじゃないかなって思います。
適度な距離感、重要ですよね。
僕はそもそも、こうやって書いたりしていないと、自分の気持ちもよく分からなくなるようです。
一人で、様々な出来事に、向き合う時間がどうしても必要。
四六時中人と一緒にいるというのは、向いてない気がします。
そういう意味で、僕はネットという環境に適合しやすかったんだろうなと、コメント頂き思いました。
僕は、コミュ障害で人見知りで、人間嫌いだと自分で思ってました。
でも、「適切な距離感」があったときの人間関係は、とても好ましいものだと、そう思いまし た。そんなことを思うきっかけが、「ゲーム」だったというのも、また珍しいタイプの人間なんでしょうね。
でも、僕みたいな珍しい人間が、今後も増えてきて、「それも当たり前」という世の中になったらいいなと思います。
(――コメント引用元記事「人間関係難しい」)
イラストコーナー
すっかり忘れてた、イラストコーナー。同じく、「続けることってとても大事だよね」とコメント頂き、「その通りですよね」と言っていたのに、実効性がないとかっこ悪いので、今日も練習した。40分ぐらい。
ただ、色々やることがあるため、今回は下描き段階で妥協――。
あれだな、うん。やっぱり、いろんな向きの練習しないと、上達はしない気がする。後ろ向きとか、横向きとかもやらなきゃ、と思う、のだけれど、モチベーション的になぁ……。
あとがき
(かっこ書きである。「所詮ネット上」ではあるのだけれども、3つぐらい、1週間内で人間関係の問題が発生した。そのどれも、取り敢えず爆発はしないで済んだけど、正直全部初めてといっていいようなことで、僕はたいそう「感情的」になった。睡眠が短くなった。目が覚めるのだ。緊張感がある。正直怖い――という表現が近い気がする。不安、なんだろう。それは、裏に「楽しい」があるだけに、余計に怖い。「楽しい世界」があるからこその、それが壊れる可能性があるという恐怖。いつか書いたことあるかもしれないが、僕が「生きる意味」を考えてしまうのは、「死ぬのが怖い」からなのかもしれない(「死にたい、消えたい」といっていた10代? 20代とは真逆に思える)。それと、今「不安だ」という気持ちは近い気がする。壊れないで欲しいから、怖いのだ。そこまで、感情移入するものではない気もする。――でも、これは、いい、のだと思う。僕は、物語が好きだ。全然実現できていないが、いつか、本当に面白い作品を自分でも書きたいと思っているし、読みたいと思っている。そして、その「物語」を楽しむためには、自分の「感情」もとても重要に思うのだ。だから、この「不安」な気持ちも、否定や、捨てようとするのではなく、大事に向き合いたいと思う。――ただ、何と言っても、それよりも重要なことがあることは言うまでもない。「健康」。これが一番大事だ。人のことは言えないが、僕が関わる皆には、本当に元気でいて頂きたいと思っている)
今日の一言「他のやりたいことや楽しいこと面倒なことつらいことがあっても、このブログは続ける」
イラストの練習も、続けよう。
と。だいぶ忙しかったから、改めて決意を書いておいた。
ただ、ゴールデンウィークは、ちゃんとカレンダー通りにお休みだったので、可能なら毎日更新ぐらいしようかなとも思っていたのだけれど、結局1回だけだったな。
ただ、オンラインゲームであって、ゲーム内以外のやり取りも増えた、ということが理由もある。
そのため、ゲームする時間自体は減った。
でも何か、それはそれでイイというか、何かもっとより楽しい気がする。
ただ、やり過ぎると、たぶん、「疲れる」と思う。
この塩梅が非常に難しい気がする――自分の性格や能力もあいまって。
すごいな、と思った人がいる、ということか。
まず、僕をそのゲームに誘ってくれて、最初に楽しみ方とか操作とか細かいところも含めて丁寧にレクチャーしてくれた友人。
そのこと自体もすごいなと思うけれども、今回その新しいコミュニティを作ろうとしているときも、とても丁寧にアドバイスなどくれた。
性格悪いことを書けば――とにかく、このブログは忌憚を完全排除したものなので、書いてしまうが、「自分が関係ないことにも丁寧に対応する人」というのはホントすごいと思う。
これは、仕事でもそうだ。直接担当じゃない仕事でも、相談したら、丁寧に、的確に考えてくれる人がいた(異動しちゃったけど)。
同じゲームする仲間である――というと聞こえはいいけれども、僕が新しいコミュニティ作るということは、その方と関係する時間は相対的に少なくなるわけである。
ひどい言い方をすれば、「裏切り」と捉えられる可能性だってあるわけだ。
(僕は、基本的に人間不信なので――という表現が適切じゃないことも知ってるが、要は、「人間怖い」と思ってるというか、小心者なのでそう思うだけかもしれないが)でも実際、そういう捉え方(もう自分のことはどうでもいいって思ってるのね! みたいな)する人もいると思う。
だからこそ。その友人のことを、すごいなと、素直に思った。
上手く表現できているか分からないが、その、「物語的な真実」を実感――実体験できた気がして、とても嬉しかった。
同じ観点だけれども、もう一人の方もすごいなと思った。
僕が所属させてもらっていたコミュニティのマスターさんも、上の友人と同じように相談にのってくれた――それ以上に、僕が新しく作ろうとしているコミュニティの宣伝までしてくれた。
すごいなと、素直に思った。
ただ、今回は、GW中に練習していたものを掲載。先にブログを終わらせるため。
今日は、この後、時間が許す限りイラスト練習しようと思う。
一枚目は、先日から途中まで描いていたものを、一応全身描いてみた、と。手足をちゃんと描かないとやっぱり駄目だね……。あと、棒立ちだとやっぱり何ら感慨がわかないというか魅力がわかないというか。
2枚目は、同じく、アタリをしっかり目にかいて、身体の比率を学ぼうという習作。
ただ、コントラポスト(軸を傾けるポーズ)をかけると、少し「絵」という感じがしてくる。
なんか、「物語」が生じるというのはある。
「上手いんだけど魅力に欠ける絵」というのがあるらしい。
僕はそもそも上手くはないが、ただ、そのイラストから何が伝わってくるのか、何を伝えようとしているのか、というテーマがあるイラストが、やっぱり「いいね」を押したくなるということなのだろうと思う。何となく分かる気がする。
まえがき
週末、泊りで朝から翌日夜まで旅行、みたいなことがない限り、このブログは続ける。イラストの練習も、続けよう。
と。だいぶ忙しかったから、改めて決意を書いておいた。
ただ、ゴールデンウィークは、ちゃんとカレンダー通りにお休みだったので、可能なら毎日更新ぐらいしようかなとも思っていたのだけれど、結局1回だけだったな。
忙しい理由
ゲームが原因なんだけどね。ただ、オンラインゲームであって、ゲーム内以外のやり取りも増えた、ということが理由もある。
そのため、ゲームする時間自体は減った。
でも何か、それはそれでイイというか、何かもっとより楽しい気がする。
ただ、やり過ぎると、たぶん、「疲れる」と思う。
この塩梅が非常に難しい気がする――自分の性格や能力もあいまって。
すごいなと思うこと
簡単に言えば、新しいコミュニティを作ってみよう、という試みをしているということだけど、すごいなと思ったことがある。すごいな、と思った人がいる、ということか。
まず、僕をそのゲームに誘ってくれて、最初に楽しみ方とか操作とか細かいところも含めて丁寧にレクチャーしてくれた友人。
そのこと自体もすごいなと思うけれども、今回その新しいコミュニティを作ろうとしているときも、とても丁寧にアドバイスなどくれた。
性格悪いことを書けば――とにかく、このブログは忌憚を完全排除したものなので、書いてしまうが、「自分が関係ないことにも丁寧に対応する人」というのはホントすごいと思う。
これは、仕事でもそうだ。直接担当じゃない仕事でも、相談したら、丁寧に、的確に考えてくれる人がいた(異動しちゃったけど)。
同じゲームする仲間である――というと聞こえはいいけれども、僕が新しいコミュニティ作るということは、その方と関係する時間は相対的に少なくなるわけである。
ひどい言い方をすれば、「裏切り」と捉えられる可能性だってあるわけだ。
(僕は、基本的に人間不信なので――という表現が適切じゃないことも知ってるが、要は、「人間怖い」と思ってるというか、小心者なのでそう思うだけかもしれないが)でも実際、そういう捉え方(もう自分のことはどうでもいいって思ってるのね! みたいな)する人もいると思う。
だからこそ。その友人のことを、すごいなと、素直に思った。
上手く表現できているか分からないが、その、「物語的な真実」を実感――実体験できた気がして、とても嬉しかった。
同じ観点だけれども、もう一人の方もすごいなと思った。
僕が所属させてもらっていたコミュニティのマスターさんも、上の友人と同じように相談にのってくれた――それ以上に、僕が新しく作ろうとしているコミュニティの宣伝までしてくれた。
すごいなと、素直に思った。
イラストコーナー
唐突に始まるイラストコーナーだ。ただ、今回は、GW中に練習していたものを掲載。先にブログを終わらせるため。
今日は、この後、時間が許す限りイラスト練習しようと思う。

一枚目は、先日から途中まで描いていたものを、一応全身描いてみた、と。手足をちゃんと描かないとやっぱり駄目だね……。あと、棒立ちだとやっぱり何ら感慨がわかないというか魅力がわかないというか。
2枚目は、同じく、アタリをしっかり目にかいて、身体の比率を学ぼうという習作。
ただ、コントラポスト(軸を傾けるポーズ)をかけると、少し「絵」という感じがしてくる。
なんか、「物語」が生じるというのはある。
「上手いんだけど魅力に欠ける絵」というのがあるらしい。
僕はそもそも上手くはないが、ただ、そのイラストから何が伝わってくるのか、何を伝えようとしているのか、というテーマがあるイラストが、やっぱり「いいね」を押したくなるということなのだろうと思う。何となく分かる気がする。
あとがき
(かっこ書きである。思うんだけど、コミュニティって、――例えばサークル。学校の部活・サークルとかでも、社会人サークルでも何でもいいけど。僕は、「一人でやってても楽しい」ことじゃないと続かないし、本当は楽しめないんじゃないかと思う。「あの人に会いたいから」その場に行く――というのはあると思う。それも事実だろうし、マイディーさんもそんなことを言っていた気がする。卵が先か鶏か、の議論かもしれないし、どっちが正しいということもないと思うが、僕は、「人」自体ではなくて、「一緒にやること」があることが重要だと思う。もちろんよく聞くところの、オンラインゲームで、「ゲーム自体はもう飽きたけど、ギルメン(FCとかクランとかのメンバー)」に会いたいからインするんだよな、というのも実際あるんだろう。ただ、それは長続きしないというか、いびつさを僕は思う。それはきっと、その人との「お喋り」がしたいんだろうが、その状態ではきっと、そのうちそのゲームはしなくなるんだろうと思う。だから、やはり、「コンテンツ」が重要だと思うのだ。これは、戦闘系のコンテンツとか、新しいストーリーが、というだけを言いたいのではない。ただ、フィールドをまったりと散歩するのだって、一つの提供されるコンテンツだと思う。そこには、「やりたいこと」があるのだ。いやいや、でも、誰かと協力しないとクリアできないコンテンツ、というのもある、というのはそうだろう。だから、一人でやって楽しめることよりも、みんなでやって楽しめることの方が高尚だ、というのはそうかもしれない。二転三転したことを書いているのは自分でもそう思うが、結構、これまでの価値観とのパラダイムシフトな気もするような。――まぁその、何を書きたいかと整理すれば、楽しいんだけど、割と消耗はしている気がする。いい意味で。たぶん。コミュニティ関係の記事を書いて公開した日の翌日とか、25時ぐらいに寝たのに5時ぐらいに目が覚めたからね(笑)。先日書いた、ツイッターのさばき(情報を追うこと)も大変だ(基本、通知しか追わないようにすることにしたが、やっぱり気になってホームからスクロールしたり)。まぁでも、今は少し過渡期だと思うから、多少負荷があっても、自分の「ちょうどいい」を模索したいと思う)
今日の一言「イラストに費やした」
メモ大事。しかし、メモするまでもないと思ってしまうのが、そもそもよくないんだろう。いや実際、とるに足らないことなのだろうが、しかし、そういうのが逆に生きる上で大事だったりするのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
さてゴールデンウィークだ。嬉しい。
GW中もお仕事の方もいるようだが、僕は1~4時間ぐらい家で準備すれば終わりそうな程度で、基本カレンダー通りなので問題なかろう。
平和だ。
というか、おそらく、5月中は割と忙しくはないと思われる。6月から、年度末にかけて忙しそうだ。さらに年度末は、きっと異動になるだろう。9割ぐらいの確率に思う。
これから先、いつまで、今の仕事を続けるのか。
正直、状況は年々厳しくなっていくように思える。さらに、立場上(経歴、年数)という問題も、より仕事を厳しいものとしていくだろうと思える。
何のために生きるのか?
この問いに答えられる人は、多くない。真剣に考えたことがある人も、多くないのではないだろうか、というと、少し語弊はありそうだ。
現なる僕は、というと、たぶん、ここ数年、一時期よりは、全然真剣に考えていないだろうと思える。
ブログタイトル詐欺である。
しかし、ライトなことしか考えられない昨今であっても、それでも、「何故生きるのか?」というワードは、日々……というと大げさだが、生活している中でたびたび沸き起こる問題ではあり続けている。
例えばそう、「異動」ということを考えたときも、そうだ。
キャリア形成とか、スキルアップ、結婚や子供、親など家族のこと、引っ越し、住居、年金、健康、運動、――つらつら挙げられるワードの根底には、常にあり続ける問題に思われる。
成長、をやめた人間は、退化していくだけに思われる。「現状維持」というのが、僕は目指すところであるが、しかし、現状維持をするにも、漸進的な成長が不可欠に思われる。
その一方で、「成長」に対しての伸びしろは様々だ。そして、おそらく、年数を重ねるごとに、伸びしろは減っていくだろう。理由は、思考・体力的な問題。「体」というのは、年数に対して衰えていくものだという認識がある。違うかな。若者は別だろう。しかし、30代以降は、衰えていくんじゃないかな。
筋トレは、ルーチン復活する、といつぞやか、書いたけれど、一応続けられている。1か月にはなったかな?
調べてみると、直近は、4月11日分はやったとのことだ。こういうことを調べるときに、ブログは便利だなと思う。――しかし、1か月にはまだなってなかったのか(笑)。
まぁ、3週間ぐらい続けられると、しばらくは惰性化することができる。「惰性」という文字はよくないけれども、慣性の法則的に続くという意味である。とりあえず続けていこう。
「生か、死か」
について悩んでいた10代(20代?)とは異なり、30代になったら、とりあえず「生きていること」は前提として考えられるように――感じられるようになった。
これは大きい変化に思われる。――今、そう思っているだけかもしれない。ただ、こういうことを書いたことはなかったように思われるので、とりあえず書いておこう。
んでまぁ、生きている、生きる――ということを前提にしたとき、何が一番大事か、というと、「健康」に思われる。もちろん、精神的な健康もそうだが、肉体的にも大事だ。
そんな風なことを思い始めたのは、数年前な気がするけれども、特に意識するようになったのは、癌で亡くなってしまった「光のお父さん」原作者のマイディーさんのブログを読んだというのは一つ契機ではあると思う。
んでな。割と死ぬのって、一瞬に思われる。何を当たり前、と自分でも思うし、そもそも、むかしから、「メメントモリ」(死を思え)的なことは感じ、むしろ意識するようにと思っていた。
ただ、上のマイディーさんのブログを、亡くなる1年前ぐらいから続けて読んでみれば、「死ぬ気はなかった」というのがひしひしと伝わってくる。
それでも、最後は、――光のお父さん追悼の映画の最後に、お父さんからのメッセージが流れるんだけど、そこでのマイディーさんの最後の言葉は、「もうええやろ」といったものだったという。
癌の苦しみ――痛み、僕など、想像も及ばないものだろう。
ただ、卑近な例であれだが、胃カメラをやったとき、あの苦しさが毎日続くなら、これは死んだ方がいいな、と思ったりした。大の大人が、涙を浮かべて悶える。
ともかく、そう、死は突然やってくるということである。
だから、毎回僕が思うこととして、1日1日を大切にしようということだ。
後悔がない人生にした方がいい。誰もかれも。
ただ、「公共の福祉」じゃあないが、他者の人生の邪魔をしてはならないと思う。
「自由」というのは簡単ながら、実現は非常に難しい概念に思われる。「平和」というのも同じく。
5月3日は、憲法記念日である。憲法について覚えていることをメモしておく。
3つの原則。国民主権。平和主義。そして基本的人権の尊重。
基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。
基本的人権は、公共の福祉の範囲で認められる。
しかし、公共の福祉とは何か。比較衡量論と、二重の基準論というものがある。
比較衡量論とは、人権を制限した場合と、制限しなかった場合のメリットデメリットで結論する方法。
二重の基準論は、経済的制限よりも、精神的制限の方が、厳しく判断するというもの(精神的な制限をしてしまうと、それが誤りだったり良くなかった場合にも、取り返しがつかなくなりやすい)。
どんどん他の事思い浮かんでしまうんだよな。
まぁ、気にせず今回のイラストコーナー。
今回は――がんばったんだ。がんばったんだが、これぐらいしかできませんでした(進撃の巨人風に。ええと、最終巻って何月だっけ? 6月9日らしい。まだまだか)。

前回のイラストのときかいたとおり体をかいてみる。
正面からの立ち絵というのは、モチベーション的に非常に難しいことが分かった。
面白くないんだよなぁこれが。
けれども、身体の比率をいまいちど勉強しなおそうと思った。
確かに、本とかで、6.5頭身が標準的で、それ用のアタリとか比率も解説されてるんだけど、その方法が大変なんだよな。
そもそも、「1/5の位置」とかってのが、至難の業である。
1/3の位置のとりかたは、こちらのサイトで分かった。
すげー。これは便利かもしれない。
が。それでも、フリーハンドでかこうとすると、そもそもアタリをかくのが大変である。
図形ツールをつかえば、まぁ、そこそこ簡略化できるものの、それすら面倒である。面倒というか、細かいズレとかが逆に気になり始めるというのもある。フリーハンドだと、もはや「ずれ」しかありえないから、かなり諦めがつく(かっこわらい)。
(※)
というように、あれこれ調べたり試したりかきなおしたりしているうちに、4時間以上は費やした。
そして完成にはいたらず。練習のみでお茶を濁す。――しかし、そもそも、色付けたとしても、立ち絵だと、「完成!」って気分にもなれない気がする。まぁ、その感覚自体が、成長といえなくもない気もするが。
※上の画像だけど、頭身の位置をクリップスタジオPROの「定規」という機能の「ガイド」という機能を使ってみた。ペンとか、範囲指定ツールなどの設定で、「スナップ」をオンにすると、ガイドのとおりまっすぐ描けることが分かった。便利な気もする。ただ、まだ使いこなせない。あと、「ガイド」だと、画像化した場合に表示されないようだ。
まえがき
なんか、その、色々書こうかな、と思っていたことがあっても、色々他のことしているうちに雲散霧消。メモ大事。しかし、メモするまでもないと思ってしまうのが、そもそもよくないんだろう。いや実際、とるに足らないことなのだろうが、しかし、そういうのが逆に生きる上で大事だったりするのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
さてゴールデンウィークだ。嬉しい。
GW中もお仕事の方もいるようだが、僕は1~4時間ぐらい家で準備すれば終わりそうな程度で、基本カレンダー通りなので問題なかろう。
平和だ。
というか、おそらく、5月中は割と忙しくはないと思われる。6月から、年度末にかけて忙しそうだ。さらに年度末は、きっと異動になるだろう。9割ぐらいの確率に思う。
異動
異動というワードで少し考えてみたくなった。これから先、いつまで、今の仕事を続けるのか。
正直、状況は年々厳しくなっていくように思える。さらに、立場上(経歴、年数)という問題も、より仕事を厳しいものとしていくだろうと思える。
何のために生きるのか?
この問いに答えられる人は、多くない。真剣に考えたことがある人も、多くないのではないだろうか、というと、少し語弊はありそうだ。
現なる僕は、というと、たぶん、ここ数年、一時期よりは、全然真剣に考えていないだろうと思える。
ブログタイトル詐欺である。
しかし、ライトなことしか考えられない昨今であっても、それでも、「何故生きるのか?」というワードは、日々……というと大げさだが、生活している中でたびたび沸き起こる問題ではあり続けている。
例えばそう、「異動」ということを考えたときも、そうだ。
キャリア形成とか、スキルアップ、結婚や子供、親など家族のこと、引っ越し、住居、年金、健康、運動、――つらつら挙げられるワードの根底には、常にあり続ける問題に思われる。
成長、をやめた人間は、退化していくだけに思われる。「現状維持」というのが、僕は目指すところであるが、しかし、現状維持をするにも、漸進的な成長が不可欠に思われる。
その一方で、「成長」に対しての伸びしろは様々だ。そして、おそらく、年数を重ねるごとに、伸びしろは減っていくだろう。理由は、思考・体力的な問題。「体」というのは、年数に対して衰えていくものだという認識がある。違うかな。若者は別だろう。しかし、30代以降は、衰えていくんじゃないかな。
筋トレ
全然、上のサブタイトル「異動」というのがそぐわない内容になった気がするけれども、気にしないで先に進む。筋トレは、ルーチン復活する、といつぞやか、書いたけれど、一応続けられている。1か月にはなったかな?
調べてみると、直近は、4月11日分はやったとのことだ。こういうことを調べるときに、ブログは便利だなと思う。――しかし、1か月にはまだなってなかったのか(笑)。
まぁ、3週間ぐらい続けられると、しばらくは惰性化することができる。「惰性」という文字はよくないけれども、慣性の法則的に続くという意味である。とりあえず続けていこう。
「生か、死か」
について悩んでいた10代(20代?)とは異なり、30代になったら、とりあえず「生きていること」は前提として考えられるように――感じられるようになった。
これは大きい変化に思われる。――今、そう思っているだけかもしれない。ただ、こういうことを書いたことはなかったように思われるので、とりあえず書いておこう。
んでまぁ、生きている、生きる――ということを前提にしたとき、何が一番大事か、というと、「健康」に思われる。もちろん、精神的な健康もそうだが、肉体的にも大事だ。
そんな風なことを思い始めたのは、数年前な気がするけれども、特に意識するようになったのは、癌で亡くなってしまった「光のお父さん」原作者のマイディーさんのブログを読んだというのは一つ契機ではあると思う。
想像以上に死は身近
上の前の小見出しも、「筋トレ」と全然関係なくなったけれども、気にせず続ける。んでな。割と死ぬのって、一瞬に思われる。何を当たり前、と自分でも思うし、そもそも、むかしから、「メメントモリ」(死を思え)的なことは感じ、むしろ意識するようにと思っていた。
ただ、上のマイディーさんのブログを、亡くなる1年前ぐらいから続けて読んでみれば、「死ぬ気はなかった」というのがひしひしと伝わってくる。
それでも、最後は、――光のお父さん追悼の映画の最後に、お父さんからのメッセージが流れるんだけど、そこでのマイディーさんの最後の言葉は、「もうええやろ」といったものだったという。
癌の苦しみ――痛み、僕など、想像も及ばないものだろう。
ただ、卑近な例であれだが、胃カメラをやったとき、あの苦しさが毎日続くなら、これは死んだ方がいいな、と思ったりした。大の大人が、涙を浮かべて悶える。
ともかく、そう、死は突然やってくるということである。
だから、毎回僕が思うこととして、1日1日を大切にしようということだ。
後悔がない人生にした方がいい。誰もかれも。
ただ、「公共の福祉」じゃあないが、他者の人生の邪魔をしてはならないと思う。
「自由」というのは簡単ながら、実現は非常に難しい概念に思われる。「平和」というのも同じく。
5月3日は、憲法記念日である。憲法について覚えていることをメモしておく。
3つの原則。国民主権。平和主義。そして基本的人権の尊重。
基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。
基本的人権は、公共の福祉の範囲で認められる。
しかし、公共の福祉とは何か。比較衡量論と、二重の基準論というものがある。
比較衡量論とは、人権を制限した場合と、制限しなかった場合のメリットデメリットで結論する方法。
二重の基準論は、経済的制限よりも、精神的制限の方が、厳しく判断するというもの(精神的な制限をしてしまうと、それが誤りだったり良くなかった場合にも、取り返しがつかなくなりやすい)。
イラストコーナー
僕の思考って、上の小見出しのように、「深く」考えることができないんじゃあないだろうかと悲しくなる。どんどん他の事思い浮かんでしまうんだよな。
まぁ、気にせず今回のイラストコーナー。
今回は――がんばったんだ。がんばったんだが、これぐらいしかできませんでした(進撃の巨人風に。ええと、最終巻って何月だっけ? 6月9日らしい。まだまだか)。
前回のイラストのときかいたとおり体をかいてみる。
正面からの立ち絵というのは、モチベーション的に非常に難しいことが分かった。
面白くないんだよなぁこれが。
けれども、身体の比率をいまいちど勉強しなおそうと思った。
確かに、本とかで、6.5頭身が標準的で、それ用のアタリとか比率も解説されてるんだけど、その方法が大変なんだよな。
そもそも、「1/5の位置」とかってのが、至難の業である。
1/3の位置のとりかたは、こちらのサイトで分かった。
すげー。これは便利かもしれない。
が。それでも、フリーハンドでかこうとすると、そもそもアタリをかくのが大変である。
図形ツールをつかえば、まぁ、そこそこ簡略化できるものの、それすら面倒である。面倒というか、細かいズレとかが逆に気になり始めるというのもある。フリーハンドだと、もはや「ずれ」しかありえないから、かなり諦めがつく(かっこわらい)。
(※)
というように、あれこれ調べたり試したりかきなおしたりしているうちに、4時間以上は費やした。
そして完成にはいたらず。練習のみでお茶を濁す。――しかし、そもそも、色付けたとしても、立ち絵だと、「完成!」って気分にもなれない気がする。まぁ、その感覚自体が、成長といえなくもない気もするが。
※上の画像だけど、頭身の位置をクリップスタジオPROの「定規」という機能の「ガイド」という機能を使ってみた。ペンとか、範囲指定ツールなどの設定で、「スナップ」をオンにすると、ガイドのとおりまっすぐ描けることが分かった。便利な気もする。ただ、まだ使いこなせない。あと、「ガイド」だと、画像化した場合に表示されないようだ。