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雑誌の面白さ――信仰の不在――
2011/05/16 23:59 | Comments(0) | TrackBack() | 思考及び書くこと
図書館で雑誌を読んだ。

法学セミナーという雑誌で、サンデル教授の白熱教室について、「正義」について。
もう一つは都市政策に関する雑誌で、道徳教育について。内田樹氏の文章が面白かった。

ジャック・ラカンさんによれば、教卓の向こう側とこちら側、それに別れていれば教師として成り立つ、みたいな。
「知の非対象性」――十五少年漂流記では、ゴードンさんとか年長の人が、教員免許をもった先生でもないのに、「学校」をつくり、学習させる。
つまり、知ってる人と知らない人の関係があれば、「教師」「生徒」の関係は成り立つのだ。

けれども、今、教育は、「消費者マインド」となっている。
どういうことかといえば、教育における市場価値というのは、「いい大学に入る」とか「いい企業に就職する」といったもの。そういった目的があるから、「この先生の授業は、大学に入るために有用か?」といった視点に生徒もなる。
そうすると、「道徳」なんて無価値だよね、となる。

前提として、公教育とは何だろうか?

良識ある市民を育てることだという。
そもそも、社会が成り立つためには、7%の良識ある市民(すなわち、公的な意識、個の利益のみならず全体のことを考えられる人)がいれば、社会はなんとかまわっていくらしい。

7%の根拠は分からないけれど、妙に納得させられた、というのは、まぁ、やっぱり、人間は個人主義――この言い方は微妙で、「自分が一番大事」というニュアンス、ただこれもちょっと明確ではない(言いたいことを言い表せていない)。

100%良識ある市民だったら、それはよいだろう素晴らしいだろう。ただ、そんな高レベルを要求する社会、そんなシステムは長続きしないということだ。その通りだと思う。
パレートの法則なんてのもある。8:2の法則。

ただ、今の学校教育が、そのような市民を生み出すように機能しているとは思えない。
受験勉強よりも、思いやりとか協調性が大事です! といったことを挙げたとして、それは単に、「受験勉強」が、就職に役立たなくなって、もっと全人的な能力(例えば「コミュニケーション」とか)が要求されるようになったから、ともいえる。

もちろん、そういった理念をもった教師も大勢いることだろうが、「システム」上そうなっていないと思う。というより、社会全体が、消費者マインドにつつまれている気がする。

まぁ、そんな「思う」レベルの話しを書いても、「へー」で終わってしまうし、「いや『私は』そう思わない」といわれたらそれまでのものだ。よく他の人の日記やブログを読んでいると(そもそも日記とブログって何だろう? 日記はもともと、他者に読まれる前提で書かれはしない)、「思う」レベルのことを「至上」としている人がいる。もしくは、いやこれがもっとやっかいなのだけれども、「規則」「ルール」「マナー」「道徳」「法律」といったものを普遍に通用すると思っている人もいる。そういう人の文章は、どこかしら「面白くない」――そう、結局そのレベルの戯言だから聞き流して欲しい。



例えば、最初に挙げた法学セミナーの方の、正義についての話だけれども、リベラリズムとリバタリアニズムの違い、後者の方がより一層、政府の介入をよしとしない、今でいう新自由主義路線のようなものらしいが、そもそも何が正義(正しいのか)といったことも、突き詰めれば普遍ではないということだ。

であるから、私は前々から、「信仰」の重要性を思っている。
宗教を信じろ、というのではないけれども、宗教はやはり、歴史的に、社会的に、民族的に、重要な意味をもってきた、そして今でももっていると思っている。
まぁ逆に、そういうこと書いてしまうということで、問題は明らかに、私の「信仰のなさ」であるのだけれども。


まぁ、戯言の結論を無理やりだせば、当初の目的、タイトルの通り、雑誌も面白いな、ということだけだ。
結局、私程度のブログで言えるのは、「感想」だけだ。

この「無意味性」を最近よく思う。

若いうちは「自意識」というものが強いけれども、この歳になってくると、如何に無力かがしみわたって感じられる。
それは、社会に影響を与えられない、ということを嘆いているというよりも、むしろ、「社会に影響を与えることしか意味が無い」ということを感じるということだ。

つまり、上記の消費者マインドじゃないけれども、結局、「有益性」が重要となる、誰しも。コミュニケーションだって、それは「ビジネス」で有効だからだ。(最近よく感じることでもある。飲み会とか、「楽しむ」ためのものだなど最初から思っていないけれども、ただし、重要なのは、「楽しむ」ことが「必要だ」ということだ。)

――と、ここでは一度区切りをつけ、19日のブログに続きを書いていこう。「自動記述」のように。

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