役に立つ文章は必要か?
今日の一言「臨時の記事だ」「またスマホからだ」
◇前書き
前回の記事は、小見出しとの間に改行を挟んでいたが、投稿すると消えてしまった。
編集の観点からいっても、スマホは適切ではないと思う。
さて、とある方のブログ記事を読んでいて、文章講座サロンに参加されたということである。それについて、ふと思ったことをメモしておこうと思う。
◇必要性
個人的に、その方の文章力は卓越しているので、単純に、向上心があってすごいなと思った。よく自己啓発的な云々において、自分と異なる分野の人とか、普段付き合わない人と交流することは大事だという。そういった意味において、脳機能の普段使わない部分がワーキングバーストでレバレッジなサムシングを引き起こすことだろう。
是非どんなことが話し合われて、どういった方向性が目指される集まりで、そこでどんな気づきや学びがあったのか、続報をお待ちしたい。ちょっと一歩離れたところからの興味津々は野次馬的で好きではないが、まぁ、単純に興味があるというのが自分の感覚のメモしておきたいことだ。
◇役に立つこと
そこで、キーワードが「役に立つ」という言葉だった。「オタクは役に立たないことに熱中する生き物だ、だから異質な環境でやっていけるのか」(曲解・極解)と述べられていた。
オタクって何だろうか、そもそも最近、オタクという言葉もきかなくなっている気がする、という、どーどーめぐりの疑問が一つ浮かんだが、まずもって、オタクは役に立たないことに興味を持つ、という定義をしておこう。
一方で、そのサロンでは、「うける」文章とは、役に立つ文章であるとされているということだ。
役に立つ、という次元は、二つあると思う。
実用的な面と、精神的な面。または、物質的な面と精神的な面。もしくは、お金がもうかるという面と、心が満たされる面、と表現してもいいと思う。
おそらく、そのサロンでは、文章を書くことでお金を稼いで生きていこうと、そういう人たちの集まりなのではないか。で、お金を稼ぐという面での役に立つというのは、上の二元論においては、前者である。
◇お金の価値
ここで少しわき道にそれて、お金を稼ぐというか、お金という存在自体を考えてみる。教科書的な、価値の尺度です、的なことではなくて、もう少し自分に引きつけて考えてみる必要がある。
現実問題、お金は、物品取得のためのツールである。そして、物品、生活必需品がなければ、僕らは数日と生きていくことができない。だから、お金を稼ぐ。
反面、実はお金を使うというのも難しいことである。一ヶ月10万円しかなければ、余剰のお金を捻出するのは難しいだろう。その次元においては、お金は、生活必需品レベルの存在だ。
しかし、一ヶ月20万、30万ならば、どうだろう。まぁ初月は、贅沢なお肉を食べて使い切ってしまうかもしれないが、しばらくしたら余るだろう。
そこですぐに、高級車や、高級マンションに住みかえれば、使い切ることは当然可能だが、じゃあ、例えを100万ないし200万にするだけだし、そういう意味ではない。とにかく、お金が余ったとしよう。
投資する、というのが一つお金の使い道で考えられる。しかし、投資にも積極的な投資とそうでないものがあると思っていて、ある意味で、経済循環の中の投票行為である、という考えが僕は好きである。まぁ実際、株式は、上場された時点で企業に入るお金は決まっていて、いくら株価があがったところでその企業にお金が入るわけではない。もちろん、株主のために株価向上をうたうのだろうが、どこまでモチベーションになるのかは、勉強不足で分からない。
話が少しそれた。要は、余剰で経済は実は回っているのである。本当に、生活必需品レベルでのお金の量は超えている。もちろんその、どのレベルを最低レベルとするか、というのはある。昔は諦めていた病気も、現代医療で治せるという場合もあるだろう。「昔は対処しようがなかった病気なので、死にました」というのはただの医療過誤とされるだろう。
◇投票活動
話がそれるので、小見出しを変えて方向転換を試みる。つまり、僕らは、極度の貧困でなければ、余剰資金がある、ということだ。そこをまず認める必要がある。
いやいや、生活が苦しいんだ、かつかつだ、という人もいるだろう。恐らく、現実が見えていないとか、もっと大変な人はいるとか、批判が大きくなると思われる。落ち着いて欲しい。
そもそも、投資とか、貯金とか、それは余剰なのだ。
本当にその日ぐらしでなければ、限界ぎりぎりレベルではない。もちろん、全く余剰がなければ、将来の不安で満足な精神状態を保てないだろうが、まぁそんな議論をしたいのではなくて、おまえ等全員恵まれているんだぜ、と、まずは認めてみよう、という試行である。
◇投票
文章を書いてお金を稼ぎたい、そのためには役立つ文章を書くべきだ、というときの、役立つというのは、投票したくなるような文章を作り出す、ということである。
この、投票という言葉は、商品の対価とは異なる。商品の対価、まぁ値段というのは、その物品を手に入れるために必要なお金の量である。
対して、投資、投票というのは、「これから先」も価値に含めている。
要するに、株式だったら、これから先もっと株価が上がるだろうと、取り引きしたらもっと大きな利益が得られるだろうと言う期待。投票は、たとえば政治なら、この政治家に投票したら、もっとよい行政をしてくれるんだろうという期待。
期待、があると、人はお金を払いたくなる。そうでなければ、値切りたくなる。豚肉は、もっと安いスーパーがあったら、そっちで買うだろう。だが、そこでしかないもの、それ以上の価値があると感じられる物には、多少高くてもお金を払う。
文章だったら、この人は、もっと新しい視点や、もっと新しいことや、気づかなかったことを教えてくれると思う、とか。エンターテイメントとしては、この作品は面白かった、だがきっと、この感動を超える何かも、この先うみだしてくれるんだろうという、期待。
◇後書き
何の話だっけ……。だめだ、スマホからだと、流れがよく分からない。でも、いったん、メモしたかったことは書けたような気もする。
書けたっけ。なんだ、その、オタクは役に立たないものを求めるのに、役に立つことだけを目指す文章って、無味無臭の、カフェインレスコーヒーみたいな奴何じゃないかって、そんな方向性を書きたかった気がする。
この記事だと、役に立つことは必要だ、という結論に思われるかもしれない。そうじゃない。
むしろ、オタクは役に立たない物を求める、というのが、しかし、それは、役に立つの次元の前者の、お金になる、というレベルであって、後者の役に立つというレベルもあるんじゃないか、と。うまく繋がりを書けないが、本文中で書いた、おまえ等みんな余剰的に生きてるんだぜ、ということを考えたときに、前者の役に立つと、後者の役に立つに、優劣はないんじゃないかと、思うわけである。
だから、そのサロン的なサムシングにおいて、その役に立つが前者だけの方向性だけが追求されるものであれば、当然違和感があるんだろうし、広い意味での役に立つなら、……まぁとはいえ逆に実践的な講座にはならないかもしれないので、難しいところだろう。まぁそういう意味もあって、興味があることは間違いない。
(かっこ書きである。うーむ、論理的ではない文章になった気がする。推敲できる環境にないので、気が向いたら直すかもしれない。とりあえず、字間隔がくっつき過ぎなのはなおしたい。まぁでもその、俺は、その人の書く文章を面白いと思うのである。それは、「役に立たない」(ここではいい意味で用いているのは当然だが、しかし、面白いという自体が役に立っているともいえる)記事だろうと、魂魄揺さぶられる作品だろうが、どちらもだ。だからその、まぁなんだ、これからも、読ませてもらいたい、と思う、なんだそりゃ。とにかく、現状は言葉が出尽くしたのと、時間切れ)
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