今日の一言「目標を掲げてから二回目」「良かった」
毎週更新の日だ。
しかし、そんな実感は全然ない。
無いけれども、記憶に残っていたから、やろうと思った。全然習慣化していないが、
平成31年3月30日(土)まで。
は、続けようと決めたので、モチベーションは維持したい。
書くこととしては、
前書き
土曜日だ。毎週更新の日だ。
しかし、そんな実感は全然ない。
無いけれども、記憶に残っていたから、やろうと思った。全然習慣化していないが、
平成31年3月30日(土)まで。
は、続けようと決めたので、モチベーションは維持したい。
書くこととしては、
・今日の一言で、一週間(ぐらいが)「良かった」or「悪かった」か
・前書き
・何か本文的なの
・一週間の振り返りの理由
である。
そうか、今日の一言のところで、良かったか悪かったのか書かないといけなかったのか、と後付けで追記する。良かった、と思う。
やっぱり、ごく後半の展開が自分的には残念だった。バトルはやっぱり人類にとっては正解なんだろうか……。
と、いうよりも、今週よかった理由に挙げてもいいくらい、「Angel Beats!」が面白かった。
これ、2010年の古い作品なんだが、――というか、おもった。2010年って、今、自分思ったより、書いている瞬間よりも、もうかなり昔なんだな。
「結構前の作品」
って意味で書こうとしたけれども、ほぼ10年前か。10年。
「あれから10年――」
みたいなナレーションって、もう相当経った的に感じるけれども、2010年という数字的には、そんなに前の気がしない。
それってたぶん、「自分が生きていた時代」だからというのもある気がする。
ので、書こうと思っていたのは間違いないし、実際書いていたのだけれども、投稿に至らなかったことは言い訳しておく。
今も、体調があまりよくない――なんだ、花粉症か、画面酔いなのか。
そして、嫌な夢を見た。
過去に、2、3度、「死んだ夢」をみたことがある。
あれは、原体験として、全経験としても、最大に怖いだろう。
死んだ夢は、自分の意識があるかないか分からないその境界のような状態――「ほぼ無」で、永遠に、文字通り永遠にその状態が続くことを感じさせる夢である。
いつも思うが、文字にすると、その怖さが半減どころか、全然続かない。
だが、まともに思考することも、体を動かすことも(むしろ体なんてもはやなかろう)、何もできないのに、うっすらと、曖昧で真っ暗な意識の断片がふらふらとし続けるのだ。
死が、「完全な無」だったらどんなによいことかと、発狂しそうになりながら思うのだ。
――という夢の、新しいバージョンが今回あった。
死刑をまつ夢だ。
刑務官のような人と、自分が、会話している。談笑。ふだんの、日常のような感じだ。
「今日の労務は、世界史の勉強をしましょう」
そういって、青い表紙の新品の大学ノートが机に置かれる。
そして、表紙に自分の名前を書くように促される。
自分は、ペンをとり、自分の名前を書こうとするが、そこで気づく。
自分は、これから、死刑になるのだと。
「薬物注射ですか」
刑務官は、微笑を崩さないまま首を振った。
「薬物注射がいい……そのほうが、眠ったように死ねるから」
自分の思いは、刑務官に伝わったのだろうか。
しかし、思いはともかく、その要求が実現することなどないことがすぐに分かった。
「では、絞首刑ですか」
今度は、刑務官は何も動じなかった。
それで、答えが分かった。
「さ、名前を書いて」
促されるまま大学ノートに向かう。
ああ、しかし、僕は本当に死刑になるのだ。だから、こんなノートに名前を書いたって、好きな世界史の勉強をしたって、全部なくなってしまうんだ。
苗字まで書いたところで、手が震えて、かけなくなってしまう。
「どうせ、名前なんて書いても、これも、すぐに捨ててしまうんでしょう」
悲鳴にも似た声がでる。
刑務官は動じない。
しばらく僕は、ただ恐怖を感じていた。
様々な思いが浮かんできた(ように思った)。
出会った人。
楽しかったこと。
嫌だったこと。
様々なことが浮かんで、それらが全部消えてしまうんだと、自分がこの世界から、社会から、なくなってしまうんだということが、ただ、ただ、とてつもなく、どうしようもなく、恐怖だった。
とか。
で、寝ていたけれども、頭の痛さで明け方に何度か目が覚めた。
正直、「悪かった」。
しかし、まぁその、夢の話だし、一週間の振り返りとしては、最初の方に書いたかもしれないが、仕事での問題も取りあえず方向性も見えたし、来週は落ち着かせられそうであるから、まぁよかったと思う。
だが、昨日今日、土日という意味では、「悪かった」評価をしたいところである。
(かっこ書きである。何か、当初考えていた振り返りの記事と全く違うようになった。まったくもって体調の悪さと、夢のせいだ。土曜日に更新すると決めて、2回目でこの体たらくは落ち込んでしまう。が、いつもの免除規定で(ちゃんと書いてなかったが)、体調不良や、その他イベントによって書けないときは除外されるので、早速これを適用しようと思う。来週は多分、日帰りで旅行には行くが、まぁ大丈夫、書けるだろう。というか、本当は、「Angel Beats!」について書こうかと思っていたのである。あらすじは、見終わってからWIKIみたら、ほぼこれ、ストーリーなんじゃないかと思うくらい完全にまとまっていた。完全ネタバレに思う。見てない人は見ちゃいけないと思う。まぁその、僕の言葉で悪意のある表現をすれば、「よくある学園ものにバトルを持ち込みつつギャグパート多めだが感動させにくる作品」である。あまり好みの作品ではない気がしたが、導入は、シュタインズゲートと同様に、OP曲だった。「My Soul,Your Beats!」という曲なんだそうだが、これも今調べた。Angel……以下面倒なのでAB作品――のOP曲ということも知らなかったが、ニコニコ動画のアニソンメドレー的なので聞いたことがあって、「あぁ、いい曲だなぁ」と思っていたのだ。そんな状態で、アマプラでAB作品が「おすすめ」みたいにあがってきたので見てみると、「あ、この曲だ!」っとなって見始めたのだ。そんな動機だった。今回の僕のみた夢の話と関係ないようだが、今思うに、関係している気がしてきた。AB作品のテーマの一つに、「消滅」というのがあって、満足すると、その世界(現実を模して構築され隔絶された異世界)から消えるのである。その消滅とは何か、その世界とは何かということが打ち出されつつ作品は進んでいくのであるが、不思議なことに、「満足したら消える」のである。登場人物たちは、自分のやりたかったことを成し遂げたとき、幸せそうな顔をして消滅していく。そのシーンは、それはそれで感動的なのだけれども、しかし僕は、99%の感動のうち、対1%の部分で、「なんか怖い」と思っていたのではなかったか。「満足した死」って、何なんだろう。本当にそんなものあるのか――いや、その消滅する瞬間の彼彼女らは、そんな疑問なんて思わずに、本当に満たされて消えていったのだろう。でも、――だが、本当に、そうなのか。……なーんてことを、土曜日に書ければいいかなーぐらいに、先週? 今週? は思っていたのである。それがこんなことになるなんて……。また来週、覚えていたらもう少し詳しく書いてみようかな。あと、とある方のブログで、作品公開が順調にスタートされていて、そっちも見に行きたいが、まだ十分に確認できていない。ああ、そうそう、その中で、「人を不快にするコンテンツの発信は許されるのか」といったテーマが書かれていた。僕などより相当深く考えられているようであったが、このテーマについては、自分なりにも考えておいた方がいいだろうな、と思ったので、これも書きたい。関係ないけど、上の死刑の話で、そもそも自分が何か悪いことをしたのかとか全然分からないが、ただ、怖かったことは事実だけれども、でもそれでも、いや逆に、死刑制度はあっても仕方がないんじゃないかなって思った、逆に。いやそりゃ本当に怖かったのだけれども、ただ、それは、殺される被害者だって同じことだと思う。いやその被害者が、通り魔的に一気に首をかっきられて死んだら、「思考的恐怖=死が何かは分からないこと」もなく死ぬから、死刑という制度はおぞましいかもしれない、けれども、監禁して、体の端から徐々に切り刻んで死に至らしむようなことだったら――いや、その、個別具体的な状態を勘案して刑を考えるなんて、そもそも難しいと思うけれども、それでも、「感情的に」死刑というのはあった方がいいような気がした。死刑撲滅派の人たちは高尚な精神をもっているのかもしれないが、今のところ僕は、(夢の)経験的に、そこまでの精神はもてなそうだ)
である。
そうか、今日の一言のところで、良かったか悪かったのか書かないといけなかったのか、と後付けで追記する。良かった、と思う。
正解するカドは序盤はやっぱり面白い
アマゾンプライムで「Angel Beats!」を見終わって、暇だったので「正解するカド」の0話~2話ぐらいを流しで見ていたら、やっぱりこれ面白かった。すごいワクワクする。キャラクターもいいね。やっぱり、ごく後半の展開が自分的には残念だった。バトルはやっぱり人類にとっては正解なんだろうか……。
と、いうよりも、今週よかった理由に挙げてもいいくらい、「Angel Beats!」が面白かった。
これ、2010年の古い作品なんだが、――というか、おもった。2010年って、今、自分思ったより、書いている瞬間よりも、もうかなり昔なんだな。
「結構前の作品」
って意味で書こうとしたけれども、ほぼ10年前か。10年。
「あれから10年――」
みたいなナレーションって、もう相当経った的に感じるけれども、2010年という数字的には、そんなに前の気がしない。
それってたぶん、「自分が生きていた時代」だからというのもある気がする。
死刑を待つ夢
――といったところまで書いて、どうしようも、本当に頭が痛くなって、力尽きてしまった。ので、書こうと思っていたのは間違いないし、実際書いていたのだけれども、投稿に至らなかったことは言い訳しておく。
今も、体調があまりよくない――なんだ、花粉症か、画面酔いなのか。
そして、嫌な夢を見た。
過去に、2、3度、「死んだ夢」をみたことがある。
あれは、原体験として、全経験としても、最大に怖いだろう。
死んだ夢は、自分の意識があるかないか分からないその境界のような状態――「ほぼ無」で、永遠に、文字通り永遠にその状態が続くことを感じさせる夢である。
いつも思うが、文字にすると、その怖さが半減どころか、全然続かない。
だが、まともに思考することも、体を動かすことも(むしろ体なんてもはやなかろう)、何もできないのに、うっすらと、曖昧で真っ暗な意識の断片がふらふらとし続けるのだ。
死が、「完全な無」だったらどんなによいことかと、発狂しそうになりながら思うのだ。
――という夢の、新しいバージョンが今回あった。
死刑をまつ夢だ。
刑務官のような人と、自分が、会話している。談笑。ふだんの、日常のような感じだ。
「今日の労務は、世界史の勉強をしましょう」
そういって、青い表紙の新品の大学ノートが机に置かれる。
そして、表紙に自分の名前を書くように促される。
自分は、ペンをとり、自分の名前を書こうとするが、そこで気づく。
自分は、これから、死刑になるのだと。
「薬物注射ですか」
刑務官は、微笑を崩さないまま首を振った。
「薬物注射がいい……そのほうが、眠ったように死ねるから」
自分の思いは、刑務官に伝わったのだろうか。
しかし、思いはともかく、その要求が実現することなどないことがすぐに分かった。
「では、絞首刑ですか」
今度は、刑務官は何も動じなかった。
それで、答えが分かった。
「さ、名前を書いて」
促されるまま大学ノートに向かう。
ああ、しかし、僕は本当に死刑になるのだ。だから、こんなノートに名前を書いたって、好きな世界史の勉強をしたって、全部なくなってしまうんだ。
苗字まで書いたところで、手が震えて、かけなくなってしまう。
「どうせ、名前なんて書いても、これも、すぐに捨ててしまうんでしょう」
悲鳴にも似た声がでる。
刑務官は動じない。
しばらく僕は、ただ恐怖を感じていた。
様々な思いが浮かんできた(ように思った)。
出会った人。
楽しかったこと。
嫌だったこと。
様々なことが浮かんで、それらが全部消えてしまうんだと、自分がこの世界から、社会から、なくなってしまうんだということが、ただ、ただ、とてつもなく、どうしようもなく、恐怖だった。
かっこ書きに向かう
といった夢と、あと、事故にあう夢をみた。あう、というか、同乗していた車で、事故をおこした、というか。車線変更してきた人をひいた。最初自分が運転していると思って、路肩にとめようと思っても止め方がわからず焦っていたら、自分は助手席だった。とか。
で、寝ていたけれども、頭の痛さで明け方に何度か目が覚めた。
正直、「悪かった」。
しかし、まぁその、夢の話だし、一週間の振り返りとしては、最初の方に書いたかもしれないが、仕事での問題も取りあえず方向性も見えたし、来週は落ち着かせられそうであるから、まぁよかったと思う。
だが、昨日今日、土日という意味では、「悪かった」評価をしたいところである。
(かっこ書きである。何か、当初考えていた振り返りの記事と全く違うようになった。まったくもって体調の悪さと、夢のせいだ。土曜日に更新すると決めて、2回目でこの体たらくは落ち込んでしまう。が、いつもの免除規定で(ちゃんと書いてなかったが)、体調不良や、その他イベントによって書けないときは除外されるので、早速これを適用しようと思う。来週は多分、日帰りで旅行には行くが、まぁ大丈夫、書けるだろう。というか、本当は、「Angel Beats!」について書こうかと思っていたのである。あらすじは、見終わってからWIKIみたら、ほぼこれ、ストーリーなんじゃないかと思うくらい完全にまとまっていた。完全ネタバレに思う。見てない人は見ちゃいけないと思う。まぁその、僕の言葉で悪意のある表現をすれば、「よくある学園ものにバトルを持ち込みつつギャグパート多めだが感動させにくる作品」である。あまり好みの作品ではない気がしたが、導入は、シュタインズゲートと同様に、OP曲だった。「My Soul,Your Beats!」という曲なんだそうだが、これも今調べた。Angel……以下面倒なのでAB作品――のOP曲ということも知らなかったが、ニコニコ動画のアニソンメドレー的なので聞いたことがあって、「あぁ、いい曲だなぁ」と思っていたのだ。そんな状態で、アマプラでAB作品が「おすすめ」みたいにあがってきたので見てみると、「あ、この曲だ!」っとなって見始めたのだ。そんな動機だった。今回の僕のみた夢の話と関係ないようだが、今思うに、関係している気がしてきた。AB作品のテーマの一つに、「消滅」というのがあって、満足すると、その世界(現実を模して構築され隔絶された異世界)から消えるのである。その消滅とは何か、その世界とは何かということが打ち出されつつ作品は進んでいくのであるが、不思議なことに、「満足したら消える」のである。登場人物たちは、自分のやりたかったことを成し遂げたとき、幸せそうな顔をして消滅していく。そのシーンは、それはそれで感動的なのだけれども、しかし僕は、99%の感動のうち、対1%の部分で、「なんか怖い」と思っていたのではなかったか。「満足した死」って、何なんだろう。本当にそんなものあるのか――いや、その消滅する瞬間の彼彼女らは、そんな疑問なんて思わずに、本当に満たされて消えていったのだろう。でも、――だが、本当に、そうなのか。……なーんてことを、土曜日に書ければいいかなーぐらいに、先週? 今週? は思っていたのである。それがこんなことになるなんて……。また来週、覚えていたらもう少し詳しく書いてみようかな。あと、とある方のブログで、作品公開が順調にスタートされていて、そっちも見に行きたいが、まだ十分に確認できていない。ああ、そうそう、その中で、「人を不快にするコンテンツの発信は許されるのか」といったテーマが書かれていた。僕などより相当深く考えられているようであったが、このテーマについては、自分なりにも考えておいた方がいいだろうな、と思ったので、これも書きたい。関係ないけど、上の死刑の話で、そもそも自分が何か悪いことをしたのかとか全然分からないが、ただ、怖かったことは事実だけれども、でもそれでも、いや逆に、死刑制度はあっても仕方がないんじゃないかなって思った、逆に。いやそりゃ本当に怖かったのだけれども、ただ、それは、殺される被害者だって同じことだと思う。いやその被害者が、通り魔的に一気に首をかっきられて死んだら、「思考的恐怖=死が何かは分からないこと」もなく死ぬから、死刑という制度はおぞましいかもしれない、けれども、監禁して、体の端から徐々に切り刻んで死に至らしむようなことだったら――いや、その、個別具体的な状態を勘案して刑を考えるなんて、そもそも難しいと思うけれども、それでも、「感情的に」死刑というのはあった方がいいような気がした。死刑撲滅派の人たちは高尚な精神をもっているのかもしれないが、今のところ僕は、(夢の)経験的に、そこまでの精神はもてなそうだ)
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