今日の一言「特殊相対性理論が先で一般が後」
ところが、まず書いておこうと思ったのは、「判断」的なことである。正直、今、それほど熱量を持てていないのだけれども、今日の昼ぐらいに、急激に、「これは書かねば!!!」と思ったので、書く。
某著名人の方の一部は、「自粛なんて意味がなかった。経済を破壊しただけだった」という主張をなされている。
結果的に、経済はかつてないほど冷え込んだ。これは事実に思われる。
ただし、自粛をすることが誤りだったのかどうか、これは分からないと思うし、僕が仮に判断する立場なら、自粛すべきという判断をしたと思う。
これは深い思考の下ではない。単純に、経済は取り返しがつくが、死んでしまったら取り返しはつかない、という点だけである。――いやすぐさまに、経済も取り返しがつかないということも言えるし、経済によって死ぬ人もいるだろう。
ただし、十分な情報がない中、爆発的に広がる可能性があり、死に至る感染症が、どういった影響があるかを考えれば、多くの人の判断は自粛やロックダウンを支持するだろう。
今の段階だから言えることと、その状況下での制約の中で言えることとでは、まったく違う。
ここで、逆に言えば、十分な情報を速やかに集められる状態でなかった、ということ自体が、敗北であったともいえる。
医療現場のキャパシティはどれぐらいなのか。感染者数の増加率はどれぐらいが推測されるのか。そこから導かれる結果として、一日の感染者数がどれぐらいになれば、集中治療室のキャパを超えて医療崩壊が起きるから、この時点で感染者数がこれ以上であれば、ロックダウンをするしかない――、こうしたストーリーがあれば、その状況下でも多くの人は納得せざるえないだろうし、その後に、経済が想像以上に冷え込んだとしても、あの時の判断がああだこうだ、という人も少ないだろう(きっと、ゼロになることはない)。
戦になる前の準備で、勝敗は決するのである。物語的にはつまらないけれども。ただ逆にその前提がある中での戦局を覆すような英雄的活躍は面白いだろう。
後になってからああだこうだ言ってもしょうがないだろう。と思う。
何故このことを、書いておかなければ(使命感)と思ったか、具体的な何かエピソードがあったのか、天啓だったのか、本当にもう全然覚えていないが、書かなければと思ったことは、確かこんなようなことだったと思う。
書いてみると、なんとまぁ平々凡々である。
数字は大事。ただ、数字に意味を与えるのは、またストーリーテラーである。
ブラックホールの話をしよう。
ブラックホールとは、光も抜け出せないほど強力な重力をもつ、高密度の天体である。
光は一瞬、と表現されたりするが、光もまた有限の速さをもつ。確かに、比ゆ的に、1秒で地球を7週半する速さなので、地球で暮らす分には一瞬である。
ただし、光でさえも、秒速30万kmという有限の速さをもつのである。
そして、光は粒子の性質をもつ。ただし、質量はゼロなので、万物最高速度である。(超光速ニュートリノというのがあったような。検証されたんだっけ?)
その粒子、フォトンが、人体の網膜という器官で反応すると、「見える」と脳が認識するのである。
そのフォトンも脱出できなくする、それがブラックホールだ。
どんぐらいの質量が、どんぐらいの密度になると、ブラックホールになるかというのは、計算式(方程式?)で求められる。シュヴァルツシルト半径と呼ばれる。
しかし、ウイルスも、万物の最小などではない。
一昔前は、「原子」が最小と考えられた。
今、そう思っている人は少ないだろう。
クォークとか、素粒子が最小構成要素といわれる。
それよりも小さいものは、あるのか、ないのか。
一方で、万物の最小単位は決まっているらしい。
それは、「10ナノ×ナノ×ナノ×ナノ」だという。
ナノは、10億分の1である。
10ナノは、1億分の1なので、数字で表すと下になる。
1
―――――――――――――――――――――――――――
100,000,000×1,000,000,000×1,000,000,000×1,000,000,000
10×マイナス35乗
まぁ、全然想像がつかない。
ただ、意外と、絶対にこれ以上は小さいものはない、という単位がこれなのだといわれると、わりと「へー」という気になる。
では何故これが最小単位なのか。
これ以上は、原理的に見ることができないからだそうだ。
これ以上小さいものを見ようとすると、ブラックホールが発生し、原理的に何も観測できないのだ。ブラックホールの先は、イベントホライゾン、事象の地平線の先である。
ウイルスが電子顕微鏡で見えるのは、電子よりもウイルスが大きいからだ。
ちなみに、電子とクォークでは、クォークの方が小さいのだろうと思う。もっとも、電子も、粒子といいつつ、干渉縞実験が示すように波のような性質ももつ。厳密な大きさという概念はないのかもしれない。
でまぁ、要するに、小さいものをみる、というのは、小さいものを放出して当ててはねっかえりで観測する、ということである。
レーダーは光の反射、潜水艦のソナーは音波の反射で観測する(間違ってるかもしれない)。
より小さなものをみるには、よりエネルギーが高い(波長が短い・高密度な)ものを放出する必要がある。
小さく小さく、高密度に――としていくと、結果。
ブラックホールになる、というわけである。
その、ブラックホールになる大きさというのが、先の、10ナノ×ナノ×ナノ×ナノだということだ。
だから、それ以上小さい世界は、無いに等しいのだ。
まえがき
タイトル的に、物理の話になりそうじゃないか。ところが、まず書いておこうと思ったのは、「判断」的なことである。正直、今、それほど熱量を持てていないのだけれども、今日の昼ぐらいに、急激に、「これは書かねば!!!」と思ったので、書く。
データによる判断
昨今の自粛の件である。某著名人の方の一部は、「自粛なんて意味がなかった。経済を破壊しただけだった」という主張をなされている。
結果的に、経済はかつてないほど冷え込んだ。これは事実に思われる。
ただし、自粛をすることが誤りだったのかどうか、これは分からないと思うし、僕が仮に判断する立場なら、自粛すべきという判断をしたと思う。
これは深い思考の下ではない。単純に、経済は取り返しがつくが、死んでしまったら取り返しはつかない、という点だけである。――いやすぐさまに、経済も取り返しがつかないということも言えるし、経済によって死ぬ人もいるだろう。
ただし、十分な情報がない中、爆発的に広がる可能性があり、死に至る感染症が、どういった影響があるかを考えれば、多くの人の判断は自粛やロックダウンを支持するだろう。
今の段階だから言えることと、その状況下での制約の中で言えることとでは、まったく違う。
ここで、逆に言えば、十分な情報を速やかに集められる状態でなかった、ということ自体が、敗北であったともいえる。
医療現場のキャパシティはどれぐらいなのか。感染者数の増加率はどれぐらいが推測されるのか。そこから導かれる結果として、一日の感染者数がどれぐらいになれば、集中治療室のキャパを超えて医療崩壊が起きるから、この時点で感染者数がこれ以上であれば、ロックダウンをするしかない――、こうしたストーリーがあれば、その状況下でも多くの人は納得せざるえないだろうし、その後に、経済が想像以上に冷え込んだとしても、あの時の判断がああだこうだ、という人も少ないだろう(きっと、ゼロになることはない)。
戦になる前の準備で、勝敗は決するのである。物語的にはつまらないけれども。ただ逆にその前提がある中での戦局を覆すような英雄的活躍は面白いだろう。
情報収集とストーリーが大事
上のようなことは、時事的なことなのだが、仕事の上でも、どうにも、後出しじゃんけん的な発想をする人がいると、気力が下がる(なんだかなぁと思う)。後になってからああだこうだ言ってもしょうがないだろう。と思う。
何故このことを、書いておかなければ(使命感)と思ったか、具体的な何かエピソードがあったのか、天啓だったのか、本当にもう全然覚えていないが、書かなければと思ったことは、確かこんなようなことだったと思う。
書いてみると、なんとまぁ平々凡々である。
数字は大事。ただ、数字に意味を与えるのは、またストーリーテラーである。
ブラックホールについて
以上、面白くない話、終わり。ブラックホールの話をしよう。
ブラックホールとは、光も抜け出せないほど強力な重力をもつ、高密度の天体である。
光は一瞬、と表現されたりするが、光もまた有限の速さをもつ。確かに、比ゆ的に、1秒で地球を7週半する速さなので、地球で暮らす分には一瞬である。
ただし、光でさえも、秒速30万kmという有限の速さをもつのである。
そして、光は粒子の性質をもつ。ただし、質量はゼロなので、万物最高速度である。(超光速ニュートリノというのがあったような。検証されたんだっけ?)
その粒子、フォトンが、人体の網膜という器官で反応すると、「見える」と脳が認識するのである。
そのフォトンも脱出できなくする、それがブラックホールだ。
どんぐらいの質量が、どんぐらいの密度になると、ブラックホールになるかというのは、計算式(方程式?)で求められる。シュヴァルツシルト半径と呼ばれる。
森羅万象最小の単位
さて、細菌も小さいが、ウイルスはもっと小さい。電子顕微鏡がなければ見えない。電子顕微鏡がない時代においては、ウイルスは、「呪い」と同じだ。ウイルスを操作することができれば、その時代において大層権威な呪術師として名をはせるだろう。しかし、ウイルスも、万物の最小などではない。
一昔前は、「原子」が最小と考えられた。
今、そう思っている人は少ないだろう。
クォークとか、素粒子が最小構成要素といわれる。
それよりも小さいものは、あるのか、ないのか。
一方で、万物の最小単位は決まっているらしい。
それは、「10ナノ×ナノ×ナノ×ナノ」だという。
ナノは、10億分の1である。
10ナノは、1億分の1なので、数字で表すと下になる。
1
―――――――――――――――――――――――――――
100,000,000×1,000,000,000×1,000,000,000×1,000,000,000
10×マイナス35乗
まぁ、全然想像がつかない。
ただ、意外と、絶対にこれ以上は小さいものはない、という単位がこれなのだといわれると、わりと「へー」という気になる。
では何故これが最小単位なのか。
これ以上は、原理的に見ることができないからだそうだ。
これ以上小さいものを見ようとすると、ブラックホールが発生し、原理的に何も観測できないのだ。ブラックホールの先は、イベントホライゾン、事象の地平線の先である。
ものを観測するとは
電子顕微鏡は、電子を放出し、観測対象にあてて、その反射によって(この表現が正しいかは不明)観測する。ウイルスが電子顕微鏡で見えるのは、電子よりもウイルスが大きいからだ。
ちなみに、電子とクォークでは、クォークの方が小さいのだろうと思う。もっとも、電子も、粒子といいつつ、干渉縞実験が示すように波のような性質ももつ。厳密な大きさという概念はないのかもしれない。
でまぁ、要するに、小さいものをみる、というのは、小さいものを放出して当ててはねっかえりで観測する、ということである。
レーダーは光の反射、潜水艦のソナーは音波の反射で観測する(間違ってるかもしれない)。
より小さなものをみるには、よりエネルギーが高い(波長が短い・高密度な)ものを放出する必要がある。
小さく小さく、高密度に――としていくと、結果。
ブラックホールになる、というわけである。
その、ブラックホールになる大きさというのが、先の、10ナノ×ナノ×ナノ×ナノだということだ。
だから、それ以上小さい世界は、無いに等しいのだ。
あとがき
(かっこ書きである。宇宙の開闢は138億年前といわれる。しかし、宇宙は膨張しつづけているので、もう、宇宙の果てには絶対に行けないのだ。しかし、超光速の移動手段が得られれば別だ。瞬間移動と、どこでもドアのようなワープは、原理的に違うように思える。瞬間移動は、超光速ないしは光速に近い移動速度のようなイメージである。ワープは、時空の歪みで移動するイメージである。サイエンスフィクションは夢があって面白い。人類はすごい)PR
コメント
光には粒子の他にも波としての性質があり、波としての性質があることで宇宙での距離や膨張を観測できていたと記憶しています。
強い重力は光の進行にも影響を及ぼし、屈折させたり、歪ませたりするわけですが、光さえ逃さないほど強い重力、すなわちブラックホールはその周辺の光をも逃さないため、観測不可能な「黒い穴」として認知されていたんですよね。
ブラックホールに落ちていくと時間の進みが遅くなるとか、wikiとか見てるだけでも途方もないことがあれこれ書いてあって面白いんですよね。理解できているかというと微妙なんですけど(笑)
強い重力は光の進行にも影響を及ぼし、屈折させたり、歪ませたりするわけですが、光さえ逃さないほど強い重力、すなわちブラックホールはその周辺の光をも逃さないため、観測不可能な「黒い穴」として認知されていたんですよね。
ブラックホールに落ちていくと時間の進みが遅くなるとか、wikiとか見てるだけでも途方もないことがあれこれ書いてあって面白いんですよね。理解できているかというと微妙なんですけど(笑)
◆面白くない話
>仮に今支持率とかの云々で政権交替したとして、大変な思いするのは交替した政党と、それによって振り回される国民だと思うんですけどね。
非常に重要なことが集約されていると思います。これも、これが野党側も分かっているから、実は本気で政権取りにいっていないといった批判も聞いたことがありますね。
なんだか、上から目線コメントのように思われるかもしれませんが、私の書きたかった意図をちゃんと読み取ってくださっていて、さすがだなと思いました。
>ネトゲをやる中で知り合った外国人医師
面白いですね! その出会い一つが一つの物語になりそうなぐらい。――いやぁでも昨今は、珍しくない話なんでしょうか。
詳しくは存じ上げませんが、そういった出会いがあるってのも、ネットや、ゲームの良い面の一つだと思っています。
私自身も、ネトゲやっていて、外国の方で、その外国自体は私はあまり好きな印象はなかったのですが、英語チャットしながらゲームで同じミッションを共にクリアして「うおぉぉやったぜ!」みたいに分かち合ったのはいい経験だなぁと思ったりします。
もう少し脱線すると、物理(的距離)至上主義はやっぱり肌感覚であわなくて、「人間はやっぱりリアルなコミュニケーションが一番大事だ」的なことを言っている有識者が、実は自粛により一緒にいる時間が増えて逆に家族関係が悪化しているとか、そんなことがあったら(黒く)笑えます。
絶妙なバランス感覚を要求される、現代は非常に難しい時代なのだなと思います。そして、それをあまり難しいとも思わない人たちが増えていって、それが当たり前になって、そして新しい困難性が生まれていくのだろうな、と、僕がしばしば暗澹たる気分になる思考パターンとなります(かっこ笑い)。
●ブラックホール
アインシュタインの名前は小中学生のときに聞いたことぐらいはあって、すごい物理学者なんだなぁぐらいに思っていたのですが、20代ぐらいのときに本を読んでて、「時間も相対的なものである」ということを発見したのだということを知って衝撃を受けた気がします。
コメント頂いた通りブラックホールは途方もないですよね。潮汐力といって、ブラックホールに近づくと、縦に引き伸ばされて横に押しつぶされていくらしいです。それと同時に、時間の進みも遅くなる。外からの観測者からは、ブラックホールに吸い込まれる人は、永遠にそこで潰され続けているように見えるという。小林泰三氏の「海を見る人」という作品がまさにそれを題材にしているお話しで面白かったです。
>仮に今支持率とかの云々で政権交替したとして、大変な思いするのは交替した政党と、それによって振り回される国民だと思うんですけどね。
非常に重要なことが集約されていると思います。これも、これが野党側も分かっているから、実は本気で政権取りにいっていないといった批判も聞いたことがありますね。
なんだか、上から目線コメントのように思われるかもしれませんが、私の書きたかった意図をちゃんと読み取ってくださっていて、さすがだなと思いました。
>ネトゲをやる中で知り合った外国人医師
面白いですね! その出会い一つが一つの物語になりそうなぐらい。――いやぁでも昨今は、珍しくない話なんでしょうか。
詳しくは存じ上げませんが、そういった出会いがあるってのも、ネットや、ゲームの良い面の一つだと思っています。
私自身も、ネトゲやっていて、外国の方で、その外国自体は私はあまり好きな印象はなかったのですが、英語チャットしながらゲームで同じミッションを共にクリアして「うおぉぉやったぜ!」みたいに分かち合ったのはいい経験だなぁと思ったりします。
もう少し脱線すると、物理(的距離)至上主義はやっぱり肌感覚であわなくて、「人間はやっぱりリアルなコミュニケーションが一番大事だ」的なことを言っている有識者が、実は自粛により一緒にいる時間が増えて逆に家族関係が悪化しているとか、そんなことがあったら(黒く)笑えます。
絶妙なバランス感覚を要求される、現代は非常に難しい時代なのだなと思います。そして、それをあまり難しいとも思わない人たちが増えていって、それが当たり前になって、そして新しい困難性が生まれていくのだろうな、と、僕がしばしば暗澹たる気分になる思考パターンとなります(かっこ笑い)。
●ブラックホール
アインシュタインの名前は小中学生のときに聞いたことぐらいはあって、すごい物理学者なんだなぁぐらいに思っていたのですが、20代ぐらいのときに本を読んでて、「時間も相対的なものである」ということを発見したのだということを知って衝撃を受けた気がします。
コメント頂いた通りブラックホールは途方もないですよね。潮汐力といって、ブラックホールに近づくと、縦に引き伸ばされて横に押しつぶされていくらしいです。それと同時に、時間の進みも遅くなる。外からの観測者からは、ブラックホールに吸い込まれる人は、永遠にそこで潰され続けているように見えるという。小林泰三氏の「海を見る人」という作品がまさにそれを題材にしているお話しで面白かったです。
posted by endoat 2020/05/22 22:08 [ コメントを修正する ]
今回の新型コロナの関連については、「前例がなく」「新種のため既存の検査では精度が安定しているとは言えず」「治療方法や特効薬の研究・確立もこれから」「にも関わらず感染力は高く」「長い潜伏期間中でも感染する」と厄介な要素てんこ盛りな中で、手探りで対応していかなければならない状況でした。
対応が早かったのか遅かったのか、適切だったのか、他に良い策はなかったのか、そういった議論をできるのはまだこれからで、終息しきった後に振り返って反省点を話し合い、似たような事象が発生した際に反省を活かした対応ができるようになっていれば問題視することはないと思っています。まずは国を主導する政府の方針に従って「終息した」と言える段階に到達するのを優先すべき段階だと思います。
私が個人的に思っていることと言えば、メディアの政府批判に踊らされている人が多過ぎる、という点。
ネトゲをやる中で知り合った外国人医師と話をしたこともありますが、「日本は被害が極めて少なく、良い施策も多く打ち出しているが、そういう良い面がほとんど報道されていない。批判ばかりだ」と言っていました。
撮影した日付が違うものをニュースで流してSNSで指摘されてバレたり、専門家でもないコメンテーターが現場のことを知らずにウケの良さそうなことを喋っているだけだったり、メディアも野党も与党批判に偏り過ぎていて、公平性が感じられません。
というか、批判や揚げ足取りをするだけで代案や提案がなさ過ぎてメディアも野党も正直言って支持しようと思えません。
民主政治というものの構造を考えれば、政府批判はその政府を選んだ国民批判でもあると思うわけですが、そういうところまで考えが及ばない人、流されてしまっている人がそれだけ多いということなのでしょうね。
仮に今支持率とかの云々で政権交替したとして、大変な思いするのは交替した政党と、それによって振り回される国民だと思うんですけどね。