今日の一言「イラストに費やした」
メモ大事。しかし、メモするまでもないと思ってしまうのが、そもそもよくないんだろう。いや実際、とるに足らないことなのだろうが、しかし、そういうのが逆に生きる上で大事だったりするのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
さてゴールデンウィークだ。嬉しい。
GW中もお仕事の方もいるようだが、僕は1~4時間ぐらい家で準備すれば終わりそうな程度で、基本カレンダー通りなので問題なかろう。
平和だ。
というか、おそらく、5月中は割と忙しくはないと思われる。6月から、年度末にかけて忙しそうだ。さらに年度末は、きっと異動になるだろう。9割ぐらいの確率に思う。
これから先、いつまで、今の仕事を続けるのか。
正直、状況は年々厳しくなっていくように思える。さらに、立場上(経歴、年数)という問題も、より仕事を厳しいものとしていくだろうと思える。
何のために生きるのか?
この問いに答えられる人は、多くない。真剣に考えたことがある人も、多くないのではないだろうか、というと、少し語弊はありそうだ。
現なる僕は、というと、たぶん、ここ数年、一時期よりは、全然真剣に考えていないだろうと思える。
ブログタイトル詐欺である。
しかし、ライトなことしか考えられない昨今であっても、それでも、「何故生きるのか?」というワードは、日々……というと大げさだが、生活している中でたびたび沸き起こる問題ではあり続けている。
例えばそう、「異動」ということを考えたときも、そうだ。
キャリア形成とか、スキルアップ、結婚や子供、親など家族のこと、引っ越し、住居、年金、健康、運動、――つらつら挙げられるワードの根底には、常にあり続ける問題に思われる。
成長、をやめた人間は、退化していくだけに思われる。「現状維持」というのが、僕は目指すところであるが、しかし、現状維持をするにも、漸進的な成長が不可欠に思われる。
その一方で、「成長」に対しての伸びしろは様々だ。そして、おそらく、年数を重ねるごとに、伸びしろは減っていくだろう。理由は、思考・体力的な問題。「体」というのは、年数に対して衰えていくものだという認識がある。違うかな。若者は別だろう。しかし、30代以降は、衰えていくんじゃないかな。
筋トレは、ルーチン復活する、といつぞやか、書いたけれど、一応続けられている。1か月にはなったかな?
調べてみると、直近は、4月11日分はやったとのことだ。こういうことを調べるときに、ブログは便利だなと思う。――しかし、1か月にはまだなってなかったのか(笑)。
まぁ、3週間ぐらい続けられると、しばらくは惰性化することができる。「惰性」という文字はよくないけれども、慣性の法則的に続くという意味である。とりあえず続けていこう。
「生か、死か」
について悩んでいた10代(20代?)とは異なり、30代になったら、とりあえず「生きていること」は前提として考えられるように――感じられるようになった。
これは大きい変化に思われる。――今、そう思っているだけかもしれない。ただ、こういうことを書いたことはなかったように思われるので、とりあえず書いておこう。
んでまぁ、生きている、生きる――ということを前提にしたとき、何が一番大事か、というと、「健康」に思われる。もちろん、精神的な健康もそうだが、肉体的にも大事だ。
そんな風なことを思い始めたのは、数年前な気がするけれども、特に意識するようになったのは、癌で亡くなってしまった「光のお父さん」原作者のマイディーさんのブログを読んだというのは一つ契機ではあると思う。
んでな。割と死ぬのって、一瞬に思われる。何を当たり前、と自分でも思うし、そもそも、むかしから、「メメントモリ」(死を思え)的なことは感じ、むしろ意識するようにと思っていた。
ただ、上のマイディーさんのブログを、亡くなる1年前ぐらいから続けて読んでみれば、「死ぬ気はなかった」というのがひしひしと伝わってくる。
それでも、最後は、――光のお父さん追悼の映画の最後に、お父さんからのメッセージが流れるんだけど、そこでのマイディーさんの最後の言葉は、「もうええやろ」といったものだったという。
癌の苦しみ――痛み、僕など、想像も及ばないものだろう。
ただ、卑近な例であれだが、胃カメラをやったとき、あの苦しさが毎日続くなら、これは死んだ方がいいな、と思ったりした。大の大人が、涙を浮かべて悶える。
ともかく、そう、死は突然やってくるということである。
だから、毎回僕が思うこととして、1日1日を大切にしようということだ。
後悔がない人生にした方がいい。誰もかれも。
ただ、「公共の福祉」じゃあないが、他者の人生の邪魔をしてはならないと思う。
「自由」というのは簡単ながら、実現は非常に難しい概念に思われる。「平和」というのも同じく。
5月3日は、憲法記念日である。憲法について覚えていることをメモしておく。
3つの原則。国民主権。平和主義。そして基本的人権の尊重。
基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。
基本的人権は、公共の福祉の範囲で認められる。
しかし、公共の福祉とは何か。比較衡量論と、二重の基準論というものがある。
比較衡量論とは、人権を制限した場合と、制限しなかった場合のメリットデメリットで結論する方法。
二重の基準論は、経済的制限よりも、精神的制限の方が、厳しく判断するというもの(精神的な制限をしてしまうと、それが誤りだったり良くなかった場合にも、取り返しがつかなくなりやすい)。
どんどん他の事思い浮かんでしまうんだよな。
まぁ、気にせず今回のイラストコーナー。
今回は――がんばったんだ。がんばったんだが、これぐらいしかできませんでした(進撃の巨人風に。ええと、最終巻って何月だっけ? 6月9日らしい。まだまだか)。
前回のイラストのときかいたとおり体をかいてみる。
正面からの立ち絵というのは、モチベーション的に非常に難しいことが分かった。
面白くないんだよなぁこれが。
けれども、身体の比率をいまいちど勉強しなおそうと思った。
確かに、本とかで、6.5頭身が標準的で、それ用のアタリとか比率も解説されてるんだけど、その方法が大変なんだよな。
そもそも、「1/5の位置」とかってのが、至難の業である。
1/3の位置のとりかたは、こちらのサイトで分かった。
すげー。これは便利かもしれない。
が。それでも、フリーハンドでかこうとすると、そもそもアタリをかくのが大変である。
図形ツールをつかえば、まぁ、そこそこ簡略化できるものの、それすら面倒である。面倒というか、細かいズレとかが逆に気になり始めるというのもある。フリーハンドだと、もはや「ずれ」しかありえないから、かなり諦めがつく(かっこわらい)。
(※)
というように、あれこれ調べたり試したりかきなおしたりしているうちに、4時間以上は費やした。
そして完成にはいたらず。練習のみでお茶を濁す。――しかし、そもそも、色付けたとしても、立ち絵だと、「完成!」って気分にもなれない気がする。まぁ、その感覚自体が、成長といえなくもない気もするが。
※上の画像だけど、頭身の位置をクリップスタジオPROの「定規」という機能の「ガイド」という機能を使ってみた。ペンとか、範囲指定ツールなどの設定で、「スナップ」をオンにすると、ガイドのとおりまっすぐ描けることが分かった。便利な気もする。ただ、まだ使いこなせない。あと、「ガイド」だと、画像化した場合に表示されないようだ。
まえがき
なんか、その、色々書こうかな、と思っていたことがあっても、色々他のことしているうちに雲散霧消。メモ大事。しかし、メモするまでもないと思ってしまうのが、そもそもよくないんだろう。いや実際、とるに足らないことなのだろうが、しかし、そういうのが逆に生きる上で大事だったりするのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
さてゴールデンウィークだ。嬉しい。
GW中もお仕事の方もいるようだが、僕は1~4時間ぐらい家で準備すれば終わりそうな程度で、基本カレンダー通りなので問題なかろう。
平和だ。
というか、おそらく、5月中は割と忙しくはないと思われる。6月から、年度末にかけて忙しそうだ。さらに年度末は、きっと異動になるだろう。9割ぐらいの確率に思う。
異動
異動というワードで少し考えてみたくなった。これから先、いつまで、今の仕事を続けるのか。
正直、状況は年々厳しくなっていくように思える。さらに、立場上(経歴、年数)という問題も、より仕事を厳しいものとしていくだろうと思える。
何のために生きるのか?
この問いに答えられる人は、多くない。真剣に考えたことがある人も、多くないのではないだろうか、というと、少し語弊はありそうだ。
現なる僕は、というと、たぶん、ここ数年、一時期よりは、全然真剣に考えていないだろうと思える。
ブログタイトル詐欺である。
しかし、ライトなことしか考えられない昨今であっても、それでも、「何故生きるのか?」というワードは、日々……というと大げさだが、生活している中でたびたび沸き起こる問題ではあり続けている。
例えばそう、「異動」ということを考えたときも、そうだ。
キャリア形成とか、スキルアップ、結婚や子供、親など家族のこと、引っ越し、住居、年金、健康、運動、――つらつら挙げられるワードの根底には、常にあり続ける問題に思われる。
成長、をやめた人間は、退化していくだけに思われる。「現状維持」というのが、僕は目指すところであるが、しかし、現状維持をするにも、漸進的な成長が不可欠に思われる。
その一方で、「成長」に対しての伸びしろは様々だ。そして、おそらく、年数を重ねるごとに、伸びしろは減っていくだろう。理由は、思考・体力的な問題。「体」というのは、年数に対して衰えていくものだという認識がある。違うかな。若者は別だろう。しかし、30代以降は、衰えていくんじゃないかな。
筋トレ
全然、上のサブタイトル「異動」というのがそぐわない内容になった気がするけれども、気にしないで先に進む。筋トレは、ルーチン復活する、といつぞやか、書いたけれど、一応続けられている。1か月にはなったかな?
調べてみると、直近は、4月11日分はやったとのことだ。こういうことを調べるときに、ブログは便利だなと思う。――しかし、1か月にはまだなってなかったのか(笑)。
まぁ、3週間ぐらい続けられると、しばらくは惰性化することができる。「惰性」という文字はよくないけれども、慣性の法則的に続くという意味である。とりあえず続けていこう。
「生か、死か」
について悩んでいた10代(20代?)とは異なり、30代になったら、とりあえず「生きていること」は前提として考えられるように――感じられるようになった。
これは大きい変化に思われる。――今、そう思っているだけかもしれない。ただ、こういうことを書いたことはなかったように思われるので、とりあえず書いておこう。
んでまぁ、生きている、生きる――ということを前提にしたとき、何が一番大事か、というと、「健康」に思われる。もちろん、精神的な健康もそうだが、肉体的にも大事だ。
そんな風なことを思い始めたのは、数年前な気がするけれども、特に意識するようになったのは、癌で亡くなってしまった「光のお父さん」原作者のマイディーさんのブログを読んだというのは一つ契機ではあると思う。
想像以上に死は身近
上の前の小見出しも、「筋トレ」と全然関係なくなったけれども、気にせず続ける。んでな。割と死ぬのって、一瞬に思われる。何を当たり前、と自分でも思うし、そもそも、むかしから、「メメントモリ」(死を思え)的なことは感じ、むしろ意識するようにと思っていた。
ただ、上のマイディーさんのブログを、亡くなる1年前ぐらいから続けて読んでみれば、「死ぬ気はなかった」というのがひしひしと伝わってくる。
それでも、最後は、――光のお父さん追悼の映画の最後に、お父さんからのメッセージが流れるんだけど、そこでのマイディーさんの最後の言葉は、「もうええやろ」といったものだったという。
癌の苦しみ――痛み、僕など、想像も及ばないものだろう。
ただ、卑近な例であれだが、胃カメラをやったとき、あの苦しさが毎日続くなら、これは死んだ方がいいな、と思ったりした。大の大人が、涙を浮かべて悶える。
ともかく、そう、死は突然やってくるということである。
だから、毎回僕が思うこととして、1日1日を大切にしようということだ。
後悔がない人生にした方がいい。誰もかれも。
ただ、「公共の福祉」じゃあないが、他者の人生の邪魔をしてはならないと思う。
「自由」というのは簡単ながら、実現は非常に難しい概念に思われる。「平和」というのも同じく。
5月3日は、憲法記念日である。憲法について覚えていることをメモしておく。
3つの原則。国民主権。平和主義。そして基本的人権の尊重。
基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。
基本的人権は、公共の福祉の範囲で認められる。
しかし、公共の福祉とは何か。比較衡量論と、二重の基準論というものがある。
比較衡量論とは、人権を制限した場合と、制限しなかった場合のメリットデメリットで結論する方法。
二重の基準論は、経済的制限よりも、精神的制限の方が、厳しく判断するというもの(精神的な制限をしてしまうと、それが誤りだったり良くなかった場合にも、取り返しがつかなくなりやすい)。
イラストコーナー
僕の思考って、上の小見出しのように、「深く」考えることができないんじゃあないだろうかと悲しくなる。どんどん他の事思い浮かんでしまうんだよな。
まぁ、気にせず今回のイラストコーナー。
今回は――がんばったんだ。がんばったんだが、これぐらいしかできませんでした(進撃の巨人風に。ええと、最終巻って何月だっけ? 6月9日らしい。まだまだか)。
前回のイラストのときかいたとおり体をかいてみる。
正面からの立ち絵というのは、モチベーション的に非常に難しいことが分かった。
面白くないんだよなぁこれが。
けれども、身体の比率をいまいちど勉強しなおそうと思った。
確かに、本とかで、6.5頭身が標準的で、それ用のアタリとか比率も解説されてるんだけど、その方法が大変なんだよな。
そもそも、「1/5の位置」とかってのが、至難の業である。
1/3の位置のとりかたは、こちらのサイトで分かった。
すげー。これは便利かもしれない。
が。それでも、フリーハンドでかこうとすると、そもそもアタリをかくのが大変である。
図形ツールをつかえば、まぁ、そこそこ簡略化できるものの、それすら面倒である。面倒というか、細かいズレとかが逆に気になり始めるというのもある。フリーハンドだと、もはや「ずれ」しかありえないから、かなり諦めがつく(かっこわらい)。
(※)
というように、あれこれ調べたり試したりかきなおしたりしているうちに、4時間以上は費やした。
そして完成にはいたらず。練習のみでお茶を濁す。――しかし、そもそも、色付けたとしても、立ち絵だと、「完成!」って気分にもなれない気がする。まぁ、その感覚自体が、成長といえなくもない気もするが。
※上の画像だけど、頭身の位置をクリップスタジオPROの「定規」という機能の「ガイド」という機能を使ってみた。ペンとか、範囲指定ツールなどの設定で、「スナップ」をオンにすると、ガイドのとおりまっすぐ描けることが分かった。便利な気もする。ただ、まだ使いこなせない。あと、「ガイド」だと、画像化した場合に表示されないようだ。
あとがき
(かっこ書きである。あれ、割と長くなったので、タイトルにある「SNS疲れ」ということについて書く。そんなに、悪い意味じゃあないんだけど、最近、FF14用のツイッターを開設してみた。そうすると、フレンドさんたちがまぁ、つぶやいてくれて、まぁ、面白いんだけど、ただ、情報が早すぎて疲れる、ということである。あと、そもそも、自分が知らないこと話したりしていたり、盛り上がったりしていると、疎外感――と書くと大仰だが、なんか寂しくなる。仕方がない、というのは分かっている。これは構造的な問題だろう。むしろ、知らないことを知るためのツールでもあるんだろうから、それを嫌だと思うならそもそもやらない方がいい。でも、気になる情報もあるし、自分も参加したいイベントごとを知るきっかけになったりするし、有用なのも間違いない。――それに何より、「楽しい」のも間違いない。自分のつぶやきに反応してくれる人がいるのも嬉しいし、好きになった人とゲーム外でも繋がれるのは楽しいことだ。今、「好き」と書いたが、他者とは、「好き」「嫌い」「知らない(目に入らない)」のどれかしかない。そして、「好き」というのも、「おーるすべてかんぜんに好きー!」というのではなく、人とは多面的多元的なので、ある部分が好き、というに過ぎない。でも僕は、一部分だけでも、「ああ、この人はいい人だなぁ」と思えることは価値があることだと思うし、そういう人と繋がれるのはとても嬉しいことに思うのである。とかってまぁいろいろ考えたり感じたりしていると、僕は、悪い癖というか、性格なのか、よくないことと思うんだが、「面倒だ」と思い始めるわけである。この「面倒」というのは、「このいい関係性が壊れたら嫌だな」というのとか、「なんか乗り遅れたらいやだな」とか「嫉妬」とか、まぁ色々ひっくるめて生じることに起因するように思われる。――まぁそれらは、今後なるようになっていくんだろうと思うのだけど、一つ、愚痴的に書いておかないと気が済まないことがあって――というのは、そもそも今回にかかわらず、ツイッター自体が好きになれてなかった理由でもあることなのだが、「単発で意味が分からないことを連発されるとイライラしてしまう」ということなのである。どういうことか、これは少し詳しく書かなければ多大な誤解を生みそうだが、もはやあとがきのレベルを超えてしまいそうだ。ああ、そうか、そもそも、ここら辺のことを記事にしようと最初思ってたのかもしれない。簡単に書く。いやそもそも、ツイッターって、「つぶやき」なんだから、「単発で意味の分からないこと」もあっていいと思う。ただ、「●●って、▽▽なんだなぁ」というつぶやきはいいんだ。その「●●」部分がない状態のつぶやきが多い人が多いと、面倒くささが飛び上がる。「みなきゃいい」が通じないのがツイッターの仕組みであるように思う(通知オフという機能があることは知っているが、そういう問題じゃないんだよな)。要はまぁ、主語にあたることがないと、意味がとれない、ということだ。さらに、その「●●」が、自分の興味のないことだったり、知らないことばっかりだったりすると、それはそれで嫌になってくるのである。でも、人に強要することでもないし。困ったもんだね。いやじゃあそもそも、そういう人をフォローしなきゃいいじゃん? ってなるじゃん? そういう問題でもないんだなぁ、そこが難しいところである)PR
コメント
>GW
ああああ(顔を覆う)。
GW前、「旅行もできないし、GWすることないわー」みたいに仰られてた人もいましたが、まぁ僕らはふつーに忙しいですよね(笑)。
>イラスト
いえいえ、そんな……、でもありがとうございます!
ただ、私も「見た目それっぽければヨシ!」派です。ただ、私の場合アタリをちゃんと描いてないと、それっぽくすらならないという……。それか、修正、修正っと、逆に時間かかってしまう場合もあったり。
>ツイッター
ありがとうございますありがとうございます。
ネット界には割と長くいるつもりですが、ツイッターに関してはまだまだ始めたばかりの初心者の認識です。ので、アドバイスめちゃくちゃ参考になります。
フォロー100人とか、想像できない世界です(笑)。
やはりアドバイスの「1」が基本にはなりそうですね。
常時追ってくのは平日とか絶対無理なので、まとめてみることになりそうですが、全部みようとすると多分数スクロールでは足りない。となると、ある程度ここまで~といった風に決めちゃうしかないですね。
「2」のミュート機能の、「指定ワード」がミュートできる機能があるのは初めて知りました。なるほど、ちょっと工夫次第ではよさげですね。
気にしすぎないのも大事ですよねぇ。ただ、目に入ると気になっちゃうのが性な気がするので(笑)、なんとかできないものか……。
他にも、例えば「いいね」機能も、同じきっかけの話題(一緒に●●にいったー)とかってのを複数の方がつぶやいていたとき、誰か一人への「いいね」になってないかとか、気になっちゃったり。そもそも、別にいいねしなくてもいい、その人が気にするとは限らない、という前提はあるにせよ、なーんか、気になったり心配になったりするんですよね。
まぁでも、色々問題や運用を考えなければなところはありますが、ほんと便利でイイツールだなとは思いました、ツイッター(いまさら)。
ああああ(顔を覆う)。
GW前、「旅行もできないし、GWすることないわー」みたいに仰られてた人もいましたが、まぁ僕らはふつーに忙しいですよね(笑)。
>イラスト
いえいえ、そんな……、でもありがとうございます!
ただ、私も「見た目それっぽければヨシ!」派です。ただ、私の場合アタリをちゃんと描いてないと、それっぽくすらならないという……。それか、修正、修正っと、逆に時間かかってしまう場合もあったり。
>ツイッター
ありがとうございますありがとうございます。
ネット界には割と長くいるつもりですが、ツイッターに関してはまだまだ始めたばかりの初心者の認識です。ので、アドバイスめちゃくちゃ参考になります。
フォロー100人とか、想像できない世界です(笑)。
やはりアドバイスの「1」が基本にはなりそうですね。
常時追ってくのは平日とか絶対無理なので、まとめてみることになりそうですが、全部みようとすると多分数スクロールでは足りない。となると、ある程度ここまで~といった風に決めちゃうしかないですね。
「2」のミュート機能の、「指定ワード」がミュートできる機能があるのは初めて知りました。なるほど、ちょっと工夫次第ではよさげですね。
気にしすぎないのも大事ですよねぇ。ただ、目に入ると気になっちゃうのが性な気がするので(笑)、なんとかできないものか……。
他にも、例えば「いいね」機能も、同じきっかけの話題(一緒に●●にいったー)とかってのを複数の方がつぶやいていたとき、誰か一人への「いいね」になってないかとか、気になっちゃったり。そもそも、別にいいねしなくてもいい、その人が気にするとは限らない、という前提はあるにせよ、なーんか、気になったり心配になったりするんですよね。
まぁでも、色々問題や運用を考えなければなところはありますが、ほんと便利でイイツールだなとは思いました、ツイッター(いまさら)。
posted by endoat 2021/05/04 05:46 [ コメントを修正する ]
半分以上終わってしまったという事実に心が折れそうです_:(´ཀ`」 ∠):
>イラスト
凄いかっちり描いてることに感心しております。
私なんて感覚がシリアスギャグごちゃまぜのマンガなので多少歪んでたりアンバランスだったりしても「見た目それっぽければヨシ!」な感じになってますね……。下手すると同じキャラを描いてるつもりでも頭身どころか体のパーツのサイズや形状が毎回違うレベルです。
>Twitter
Twitterはフォロー/フォロワーという繋がりが増えて、その人たちが活発であればあるほどにタイムラインの流れが早くなり、密度も増し、追うのだけでも一苦労、見ているだけで簡単に時間が過ぎていく、というSNSの特性を凝縮したような感じはありますね。
Twitterが出来る前、mixiやブログなどの頃から私も感じていた「繋がりが増えれば増えるほど、嬉しい反面めんどくさい」というのはTwitterではより顕著かもしれませんね。
ブログなどと違って、Twitterは1回のツイートに文字数制限もあるため、「短く呟く」「頻繁に呟く」といったことが気軽にできる、ある種巨大な掲示板みたいなものになっています。
私も遠藤さんが思っているようなことは少なからず抱いており、解決策というほどでもないですが以下の対処をしています。
1.無理に追わない
……仕事中などはチェックせず、帰宅後に数スクロール程度遡る程度の流し見と、通知のチェックでよしとする
2.ミュート機能を使う
……ブロックする程ではない人をミュートする(相手には何の影響もないが自分から見ようとしない限りタイムラインや通知に現れなくなる)
……見たくないキーワードをミュート指定しておく(そのワードが含まれるツイートが現れなくなる)
このうちの1は割と自分の時間を捻出するという意味も含めて特に気をつけているというか、心がけているところですね。全部チェックしようとすると時間がかかりすぎて、他のことに割きたい時間まで使ってしまいかねない。
後はまぁ、やはり「あまり気にし過ぎない」に尽きるかもしれません。
ぶっちゃけ私もあんまり人付き合いは良い方ではないしブログなども定期更新すると決めてなければ筆不精で放置してしまいがちなので、振る舞い方は「自分本位」です。
自分がツイートしたいことをツイートし、追いたい人は追いたい時に追う程度で、タイムラインを全部チェックはしない、やりたいことがある時はそっち優先、と「無理してまで、他の都合を押してまで見ない」はそれなりに意識していたりします。
他者との接点が出来る以上、「繋がった人の動向が気になる」のはある程度仕方ないところではありますし、面倒事に遭遇することもありうるわけですが、SNSもツールですから、自分にとって楽な使い方をする、というのも大事なことだと思う次第です。