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パスティーシュとかエピゴーネンとか横文字
2017/07/27 00:02 | Comments(0) | 創作について
今日の一言「語彙力があるのは良いことだが」「知識人ぽく振舞うのは何かいや」


横文字について

 パスティーシュ:作風を真似ること
 エピゴーネン:模倣作品。原作に比して劣っている場合が多い。
 オマージュ:発展作品。原作に比して優れている場合が多い。
 パロディ:二次創作的なみたいな。

 正確に、言葉の違いを理解したうえで、専門用語(テクニカルターム)や横文字を使うのは、まったく構わないと思う。
 しかし、なんかかっこいいとか、偉そうだとか、頭よさそうに見えるという感覚で、そういった文章を書くというのは、後々読んだときに頭を抱える可能性がある。俗にいう黒歴史だ。

 いやあえて、字義は同じもしくは似ていても、その「字面」がかっこいいから使う、というのは、表現の世界においてはアリだと思う。
 こう、頭に浮かぶイメージってのは、厳密な辞書的な意味とは異なる場合だってあるだろう。
 ただ、自分を大きく見せたいとか、何やら「すごいこと書いてる風」に見せたいだけで、「この作品はパスティーシュにもなっていない駄作ですね」とか書いてるのは、如何かと思った。いやその、そういった言葉をさも当たり前に使うようなコミュニティ内だったらいいけど、アマゾンレビュー的な場所で……ねぇ……。

 まぁ、単に僕が「パスティーシュ」という言葉を知らなかったので調べてみましたと、そういう話である。そんなの、常識だろうと思う方もいるだろうし、「へーそうだったんだ」という方もいると思う。僕がここで書きたかったのは、その事例が云々ではなく、その「適度な言葉遣い」の選び方とは、難しいものだなという感想である。

 例えば、僕はブログではいつも、中学生でも分かるレベルを基本にして(時に無視をして)いる。ただ、僕がそう思っても、やっぱり理解ができないような表現や、下地、概念、考え方、感情、知識、積み上げ、まぁいろいろあるんだろうなぁと思うわけである。

創作ルーチン

 はっきり言おう、これ、大変である。
 いやぁ、そもそも、音楽でもなんでも、創作というのは体力も精神力も必要となる重労働である。
 確かに、スポーツは明確に、見た目的に、体力的に息が切れるから、分かりやすく重労働だ。
 しかしそれとは違った意味で、創作は重労働だなぁと、今更ながら感じている。
 メインは、精神的に、ということになるが、それをルーチンとするとなると、時間確保とか種々調整だとか、体力要素も必要になってくるのである。

 それで、そこに費やす時間が9割がた楽しければよいのだが、いやぁ思ったよりつらいのである。

いつまで続けるか

 そういや、ルーチンをするのに明確な目標を決めていなかった。
 まぁ、習慣化すれば、明確な目標などなくても、言い方は悪いが、惰性で続けられるようになったりする。しかし、特に最初のうちは、いくつかのチェックポイントをもうけていた方がいい。

 今日とか、免除規定に該当しない、21時前に家に帰りつき、23時前までは特にフリーだったというのに、気づいたらぼーっと時間を過ごしてしまった。危ない危ない。そして、眠気も襲ってきたから、危うく早速ルーチン失敗になるところだった。

 面倒だし、面白くもないけれども、ほぼ習慣と化しているこのブログを用いて、その創作ルーチンに関しての話題を繰り返し持ち上げることで、初期の失敗を避けるようにしていきたい。

灰と青春

 いや、そもそも、ぼーっとしていたわけじゃあなかった。ペルソナ4を2話ぐらい見進めた。
 そして、下のこれが、時間が消えた理由だった。



 隣り合わせの灰と青春。ウィザードリィというゲームのノベライズ。このウィザードリィって、確か、ある精神科医さんのブログで取り上げられてたやつじゃあないかなぁ確か。

 で、まぁ、これを、今週ぐらいから少しずつ読んでいたのだけれども、一気に読み終わったしまった。kindle、これは良いものかもしれない。どこでもなんか手軽に読める。

 面白かったな~。なんだろ、ライトノベルってジャンルなんだろうか? キンドル版に挿絵は一つもなかったけど、なんだか、ゲームとかアニメとか、そんな雰囲気が文字媒体から伝わってきた。

 良いんだけど、もうちょっと、ヒロインのかわいさを表現できていたらよかったかなぁ。なんか、エピローグの余韻があんまりなかった。
 結局黒幕的なのもそのまま放置的な感じだし、なんだか大円談、って感じはしなかった。
(でも、とりあえずラシャが生き返ってくれてよかった!)

ペルソナ4

 そいで、ペルソナ4なんだけど、これ、小学生の女の子の過去が明らかになるパートと、文化祭でミスコンとかやっちゃうパートなんだけど、いやぁこれも面白かった。

 女の子のパートの話は、なんか、泣けた。なんかその、――家族っていいよね(?)。

 文化祭のパートの話は、なんか、笑った。なんかその、――青春っていいよね(?)。

 あー、これが俗にいう、小並感(こなみかん・しょうなみかん):小学生並みの感想、ってやつなんだな。

 なんか、掘り下げて書こうと思うとなんかかける気もするけれども、吊革広告で見た「徒然チルドレン」的な奴が、ニコニコ動画チャンネルで最新話無料で見れたのでちょっと見てみたら、ややー、これもなんかくすりと笑えた。――青春っていいよね(2回目)。


(そして時間切れと睡魔により唐突に終わる)

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ルーチンは始めが肝心だ
2017/07/24 22:00 | Comments(3) | 創作について
今日の一言「なんかつらい」「物語に入り込めていない」
※某ツールをDLして使ってくださった方へ。移行ツールの動作確認のご報告ありがとうございます。ちゃんと動くか心配だったので、よかったです。

書く



 今日の進捗。
 いやー、きついな。何だろう、こう、とってもこっても、書くのがつらい。

 2016年の9月ぐらいに書いた作品は、あれは何だか構想が浮かんで、一週間ぐらいで書きあがった。ま、見れば、文字数は1万字に到達していないから、一日1500字程度でよいということか。

 しかし、なんか、中編から長編にしようと思うと、この、途方のなさが気持ちを揺さぶる。――これ、ほんと書ききれるのか?

 非常に荒いプロットは作った。A3の白紙の紙に、マインドマップみたいにして、登場人物・敵・集団・組織の関係性を、実線や点線の矢印で結んでいく。そして、それぞれの場面、物語で明らかになっていく順番などを整理する。――うんうん、これなら、じぶんでもちょっと面白いと思える物語になるだろう、と。

 しかしだ、それぞれの話の軸となるエピソードが全然決まっていない。
 登場人物の設定もあまい。敵……一般モンスター的な奴には、鋼鉄城カバネリに出てくる屍(カバネ)みたいなのをイメージしているが、その能力や外見のイメージがかたまっていない。

 地理は?
 時代設定は?
 武器や道具は?
 社会思想は?
 風俗は?
 テクノロジー・技術は?

 足りない。全然足りない。

古い雑記が出土する

 高校ぐらいかな、友人と作品のプロット(設定)などのやりとりしたメモ帳みたいなのが見つかる。
 読んでみる……うーん、なるほど、これよかは、今のほうがいいものを作れそうだ。だが、じゃあ、すぐさまそれと同じ文量を書けるか、というと、つらい。

 逆に、いい表現だったり、面白い展開じゃないと、書いていて楽しくなさ過ぎて、つらい。面白くない。

 でも、だ。一発で面白い描写ができるなんて、思わない方がいい。これまでも、僕は一度書いてから、時間をおいて読み直して、「あー、ここはこうしようか」「この場面はもう少しこっちに配置するか」「表現を足さないとわからないな」とか推敲を重ねていくのである。

 確かに、音楽のアーティストは、ライブなんかやって、その一体感によって観客を魅了する。
 でも、一発のレコーディングで上手いのがとれるか、というと、そうではない場合だってあるだろう。何回か音合わせして、繰り返し練習して、よい作品ができあがることだってあるのではないか。


 で、まぁ、その、「設定」に尽力しているのが伺える。
 しかし、「設定」をつくれるのと、小説を書けるのとは違うと思う。――と、思ってきたが、やっぱり、「設定」も大事だと思った。特にファンタジーをつくるなら。
 というわけで、『空想世界構築教典』を読み出す……うーん、おもしろいな、これで半日ぐらいつぶせるだろう……ってそうじゃない!

漫然と本を読むのは如何か

 男は本なんて読まないんだぜ。本なんて読む奴なんてオタクじゃん?

 みたいに言う人もいるらしい。なんかニュースでやってた。嘘だろう、とそういう記事は話半分にしか読んでいないのだが、まぁそういう人もいるのかもしれない。
 どっかの経営者・社長は、「本なんて、所詮他人の経験でしょう? それより、自分の経験を語れる人のほうが、信頼感あるよね」みたいなことを言っていた。

 僕は本を読むのは全然苦じゃあないが、しかし、ただ読むというのが果たしてよいことか。

 この、「本の読み方」的なのも、探せばいーっぱい出てくる。
 多読がよいとか、問題意識をもって読まないとだめだとか、その逆だとか。

 まぁ、そんなん、言いたいように言わせておけばいい。どれが自分にしっくりくる言葉なのか、方法なのか、なんて、そんなのやってみて、感じてみて、自分で決めればいいことなのだ。

 他人のアドバイスはありがたいが、結局、決めるのは自分だ。


 という前提において、僕は、「創作する」という目的・目標においては、やっぱり、漫然とただ読んでも身につかないと思う。

 やっぱり、「表現したいこと」というのがあったうえで、それに向かっていくために必要な方法を、本や他者のアドバイスへ求めるのはいいと思う。けれども、最初から答えを求めようとしてもダメだと思う。

自己啓発的~ウケル~(嘲笑)

 あー、上の書いたことは、誰かへの啓発なんかじゃあない。ただ、自分が「そう思いたい」ってだけだ。

 そうでも書いておかないと、流されやすい自分は、ブレる。

 そうやってブレてぶれてここまでやってきて、それはホント失敗だったと思う。


 ――後悔は何も生まない。ただ反省のみをすべし。


 と思ってきたが、後悔するべきは、もっと、自分の「思い」というのを、他者とか、社会とかの「あるべき論」「不安を煽り立てるような奴」から、自由であるべきだったことだと思う。

 結局、着飾って生きても、何もならん。――いや、これだって、単に一時的な、その場限りの、条件付きの、たまたまの、気まぐれな回答の一つに過ぎない。「着飾って生きる」ことだって、何ら悪いことではないかもしれない。

 

ということを書くのをやめよう

 ってお前よう! ここまでで、だいたい2000字だぞ?
 今日のルーチンってかノルマってか、目標分を超えてるぞ?
 お前は、どうして、このノリで作品を書けないんだよ!

 もう少し、生産的でありたい……。


(作品を公開しようという思いが強いからいけないのかもしれない。もっと、書きたいように、好きなように書ければもしかして……。例えば、視点のブレとか、描写・表現の時代や設定との乖離問題――例えば、「獰猛なトラのように襲い掛かった」的な表現があったとして、その時代やその地域に、またはその世界に「トラ」というのは果たしてどれほど認知度がある存在なのか――とかを無意識に考えてしまうから、筆が止まってしまうのかもしれない。もっと単純に、重複した言葉を使うと読みづらいとかかっこ悪いとか……。そういうのは一切無視して、まずは物語の軸として、表現ではないんだけど、でもプロット以上のもの、的なのをつくるのは、……ありかな? 長編とか難なくかけてる現代ファンタジーとかロボットものとかを得意とする某からくりサーカスに出てくるヒロインと同じ名前の某お方や、奇抜なアイディアや登場人物を描かせたら右に出る者はいない旧約聖書に出てくるソロモン72柱の第一位の悪魔と同じ名前の某お方は、どうしたらそんなに書けるんだろう。なんかこう、楽しくいっぱいたくさん面白いのを書けるようなそんなアドバイス求むッ!(そんな魔法はない! 頑張れよ!))

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創作進捗グラフ作成ツール(Ver.1.0)
2017/07/23 17:26 | Comments(0) | 創作について
今日の一言「データ移行ツールの方が時間かかった」

月間集計機能追加

 創作進捗グラフ作成ツールだけれど、今回、各月の累計文字数を集計して、月間グラフを作成できる機能を追加した。

DLはこちら→創作進捗グラフ作成ツールver.1.0




 メニューの赤いボタンを押すと、



 こんな感じの入力フォームが出てきて、集計したいシートの年月(YYYYMM)の開始と終了を入れると、上の画像のフォームの後ろにあるようなグラフが作成される。ちなみに文字数累計なので、基本減ることはないと思うので、右肩上がりの棒グラフになると思う。

 一応、当初目指してた機能は実装できたので、ヴァージョンを1.0として、メジャーデビューさせた。

データ移行ツール

 そして今回は、既に使用してくださっている方が1名いるため、データ移行ツールも開発した。
 そして、今回の機能実装よりも、格段に時間を要したのがこっちだった(笑)。しかし、ファイル操作について理解が深まってよかったと思う。「こっちの命令はファイル名指定だったり、こっちはフルパスじゃないといけなかったり」とか、複雑で直感ではお手上げだった。それでも、ググればいろんな情報があって、ほんと便利だなぁと思う。それでも、ある程度命令の構文を覚えておかないと、応用もできなきゃ、そもそも作るのに時間がかかりすぎて駄目だ。……とはいえ、マクロ・VBAは、どうにも構文とかオブジェクト・メソッド・プロパティとかそれ自体が長すぎて、とても覚えられる気がしない。VBA辞典とか手元に置いてやるもんなのかなぁ。まぁ優良なサイトが多いから、ネット環境が使える状態で開発するなら、それで十分かもしれないが。


↑こんなんあると便利だなぁと思いつつ、やっぱり辞典と名の付くものは高いなぁ。

セミナー的な

 ちなみに、VBAの講座とか調べてみると、やっぱり4~5万円ぐらいかかるらしい。
 そしたら、まぁ、個人で使う範囲の設計実装はできるようになったから、「お金が浮いた」的に考えてもよいかもしれない。マクロは適当に使っていたけれど、VBAを使い始めたのはここ半年ぐらいである。
 やっぱり、変数、配列、条件分岐、ループ、オブジェクトといった、プログラムの基本的なことが分かってると、新しく他の言語を学ぶ時も入りやすいというのはあるのだなぁ。まぁ、英語がわかっているとドイツ語とかもできちゃう、というのは、やっぱりにわかに信じられんが(だって、外国語は文法がいくらわかってても、単語がわからなきゃどうしようもないことって多いと思うんだ)。

 で、まぁ、パソコンだけど。昔は、ワープロで文字を打てるだけで「すごい」と言われていた時代があって、エクセルで表計算ができると「ものすごい業務改善だ!」と言われていた時代があって、パワポ使えると「よし、今度のプレゼンは君に任せた!」と言われていた時代があって――あったのか?
 ただ、格段に、一般人ができることが増えてきていると思う。

 その代わりに、失ったものというのはあるんだろうか?
 この疑問は、牧歌的な、就業中に休憩したりとか、仕事が午前で終わったら午後はみんなでバレーしたりとか、そんなバブル時代を思い浮かべるというものではない
 個人的なスキル的な意味である。つまり、パソコンを使える人が増えたことによって、昔の人ができたことが、できなくなっているようなことってあるのだろうか?

 もし、「ない」としたら、昔の人よりも、今の人の方が優れているということになる。(もちろんこれは、個々多様性を無視して、一般的な人全般というものを考えている。化学で出てきた、理想気体みたいな奴)

 その考えで行けば、古代、中世、近代、現代と、人は、脳神経細胞の容量は増やさずに、能力を高めていったのだ、ということになる。それってすごいことじゃあなかろうか。
 まぁ確かに、平均寿命的なやつを考えてみると、人生における可用時間自体が増えているともいえるだろう。そりゃあ、電気がなかった時代は、夜に読書なんてできやしなかったわけだし、あ、いや、そもそも本がなかったか。

 そう考えれば、僕らはとても恵まれているってことになるわけだが、果たして、両手離して喜んでいていいのかな、とも思う。

 VBA使えても、「じゃあ今度はアクセスも使ってRDBMS作って!」とか、果てしなく要求されていくんだろうか。そしたらある程度、自分の能力に蓋をするというか、あんまり何でもできるとか、やったりとかしない方がいい気もしてくる。でもそれって、本当は矛盾なんだと思うんだよなぁ。思うんだけど、でも、実力の120%で頑張るよりも、70%ぐらいで、ながーくゆるーくやっていくというのが、本当は最も効率がよいんじゃないかとも思うわけだ。

 で、今度は、その「ながーく」という終わりを、どこに置くか? ということである。最近、再雇用とか生涯現役とか言われたり、確かに、70代でも働いている人が増えてきているだろう(たぶん。増えてはないのかもしれない。でも、結構役員とか、長老的な人はみかける)。

 でもまぁ、昨日とか書いているのは、「何でもかんでも社畜乙とかいうのはおかしい」ということであって、プラスして、「何でもかんでも老害退け」というのもどうなのか、と思うわけである。
 頭も冴えて能力もある人が、ある年齢になったら近所のマンションの清掃集会に参加したり、町内会の出し物の準備に精を出すしかなくなるってのも、それまたもったいないのではなかろうか。
 世の中、働きたくない人だってたくさんいるんだから、働きたい人がその分働いてくれるのは悪いことではなかろう。まぁ、働かない人には賃金は支払われないから、結局だれもかれもが働かないといけないわけだが。

勤労の義務

 二大義務とは、勤労と納税であり、納税はまぁともかくとして、勤労という概念は、昨今実態とあっているのだろうか、とふと疑問。
 この、勤労ってのが、「汗水流して働く」というイメージであって、それがゆえに、「仕事は楽しい」というイメージが持ちにくくなっているのではあるまいか。僕は正直、社会人になるのが億劫でならなかった。とはいえ、学生という状態も、本来日本の大学生はとてもモラトリアムで楽しいと言われるが、別にそれほど執着するほどでもなかった。ので、現在も、未来も、ましてや過去も、どうでもよかった(というのが、過去記事なんか読んでいるとくみとれる)。

 もっとこう、大人たちが、「大人って楽しいんだぜ」とか、「働くことって気持ちいいんだぜ」とかって、若い人や子供たちに、――それは決して欺瞞ではなく――みせていくことが必要なんじゃなかろうか。

 ブラック企業とか、過労死とか、そんな低レベルなことは当然唾棄すべきだが、それ以上に、「あー学生のときが一番楽しかったよ~」「中高生はいいね~夏休みがあって」とか、そんなことも言ってんじゃねぇよと。

 体たらくな大人ども! もっと人生って、生きることって楽しくて喜ばしいことだって、もっとしっかり見せやがれってんだ!!


 ――ま、僕もすでに、大人と呼ばれる立場の人間になってしまったわけだけど。

創作について

 と、まずいまずい、また話がそれた。
 そんな、仕事とか勤労とかそんなんどうでもいいんだ。創作だ!

 ということで、ある方に影響され、僕も上記ツールを活用し、毎日グラフをアップしていくことにしよう。ということで始めた。(ちなみに新しい奴。その他のも順次グラフ作成する。公開するかは未定)
 目標は、毎日書く。そう、例え1文字でもだ! ……いや、それはさすがにあかんやろう。最低限、一文とする。それなら、たとえ、

 ――爆散。

 とかでもありだ。……いや、それぐらいならもう少しいけるんじゃないか?
 ……いやいやとか思っちゃうのはダメなパターンだ。毎日、ってのをなめてはいけない。これは特に、習慣づくまでは、完璧厳格に守り抜いていく必要があるのだ。

 




 免除規定は……そうだな、平日は、21時以内に帰宅し、23時までに特段の予定が無い場合以外とする。特段の予定とは例えば、自サイトで故障が発生し対応が必要になったとか、家に知人が来たとか。
 それと、基本作業はこのデスクトップPCからにしよう。そういえば、先日内蔵カードリーダを断線させたら、それ以降、かなり機嫌がよくなった。買った当初の、あの素早くて頼りがいのあるPCさんに戻ってくれた。よかった……あのときの僕の行動や気持ちは、無駄じゃあなかったんだね……。と、そうそう。作業はデスクトップに限るということで、泊りとか家に帰れないときも免除とする。
 休日も同様とする。

 これぐらいでよいだろう。あとは、この新たなルーチンを、自分の意識に刷り込んでいく必要がある。何度も何度も。それをしなければ、気持ち悪いと思うまで……。


(ほんと、気乗りしないときは全く書けなかったりする。それが、ブログとかだと、確かに最初は嫌だなと思いながらも書いていると、だんだんといろいろ書けるようになってくるのだ。創作についても是非そうなりたいものだ)




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近況メモ:ペルソナ見た・サイト改修・PERのメモ
2017/07/10 12:00 | Comments(2) | 創作について
今日の一言「メモ」

ペルソナ4のアニメ

「ペルソナ」。仮面と訳されることもある。

 人は、他者と関わる際に、社会的な人格をもちいる。社会的な人格とは、建前だったり、礼儀だったり、マナーだったり。それが「ペルソナ」(仮面)である。
 誰しも、「本音」と呼ばれる部分がある。――本心、潜在意識と呼ばれたりもする。それを、ペルソナによって隠しているのだ。

 そして、このアニメーション作品では、どっちのこと言ってるんだろう? 
 まぁそんな難しいことおいておいて、第二の自分(つよい!)(≒スタンド)をもちいて、敵を倒していく作品だ!(雑)

 よく分からないな、と思っていたが、第三話までみて、あれ、よく考えたら第二話みてないな、と気づいた。そりゃあよく分からないはずだ。

 多分、真夜中テレビという異次元に入り込むと、自分の「本心・本音」の具現化したのが存在している。そいつは、時に醜悪な感情を表出している。でもそれを認めて、そんな気持ちの悪い自分というのも、自分の一つの要素なのだと理解することを通じて、「ペルソナ」(≒スタンド)が使えるようになるのだろう。

 とすると、本心の方がペルソナってこと? でもそうすると、原義としての、「社会的人格」「仮面」といった意味が反転していないか? と思う。
 いや違うのだろう。本心とか、仮面とか、そういった区別自体がさほど意味をもたない、ということを表現しているのだろう。獰悪で邪悪な心もまた、自分の一部なのだと。

 取り敢えず2話をみよう。話はそれからだ。

 しかし、3話目の、ちえちゃんが自分のペルソナに追い込みかけられるのは結構面白かった。

 大人は引き受けるものだ、と先日の記事で触れたけれども、大人とは、自分の複数の要素を統合して認めることができる人のことを言うのかもしれない。
 いや確かに、子供を育てたり、部下を育てたりと、「育てることができる人」(誰かの模範となれる)というのが、大人の要素ではあるだろう。むしろ社会的には、その要素だけで十分に思われる。
 けれども、いかに言動が品行方正で立派な大人であろうと、自身の人格の陶冶ができていなければ、大人として不十分なのではなかろうか。なんてね、どうでもいいか。

サイトの改修

 プログラミング実施。大体2~3時間所要。作品の情報を増やすため、データベースに新しい項目を追加し、新規投稿・編集・一覧表示・1件表示のロジック部分を改修。
 SQLも、使っているうちにだんだん覚えてきた。次の目標は、検索機能の強化だなぁ。せっかく情報があっても、それを上手く検索したり使えなかったりしたら、意味がない。

 そして、今更ながら、CSSをもう一度勉強しなおそうかと思った。CSSも、HTMLも、当時サイト構築したころからヴァージョンがあがっていて、色々便利な機能やかっこいい機能なども手軽に使えるようになっている。
 クライアント端末のスペックも――何かっこつけた書き方してんだ、単に、利用する人たちの使うパソコンの性能も全般的に向上しているから、ブラウザ側の処理で多少負荷をかけても大丈夫になってきている。それどころか、最近、広告が多いサイトが多い。大昔は、あんなん、表示するだけで大変だった。僕が小学校ぐらいのときのパソコンなんて、数百キロバイトの画像を開くだけで一苦労だった。

 時代は変わって、いろいろ便利になっていっている。しかし、「やりたいこと」というのが明確になっていないと、使える技術だけが広がっていき、覚えることばかりが増えていき、結局、何が「やりたいこと」なのか分からなくなってしまうことになりかねない。

 そういう意味で、実践って、とっても大事だなぁと思うわけである。

プライス・アーニングス・レシオ

 PERの略。
 何って、株の話だ。

 非常に基本的な用語のようであるが、なかなか概念が自分の中に定着しないので、これまた何も参照せずに、いったん、自分の知識を整理する。

 まず求め方。

 時価総額 ÷ 純利益

 または、

 株価 ÷ 一株当たり利益

 となる。

 時価総額とは、株価×発行株式数である。
 ある企業で、発行株式数が「5,090,000」であった。して、株価が319円であった。
 5090000×319 = 1,623,710,000 が、時価総額。

 この企業の有価証券報告書を参照し、28年度末の純利益が、131百万円であった。

 すると、1623百万円 ÷ 131百万円 = 約12倍 となる。

 これが、PERである。


 もう一つの求め方。

 株価(319円) ÷ 一株当たり利益(26円) = 約12倍 となる。

 これで、どれぐらいの期間(何年間)で、株価のもとがとれるか、ということを見る指標ということだ。
 当然、少ないほうが、株価に対して利益が大きいということだから、お得な銘柄であるといえる。
 100万円で事業をはじめて、1年で100万円の利益を出せるならPER1倍。これだけ考えると、単純にPERが低い銘柄を買えばよいような気になるが、そう単純でもないようである。これから勉強が必要だ。

 例えば、割り返す数字に、「純利益」が使われている点。
 純利益とは、その企業のメインの以外の活動も含めた、最終出た利益のこと。つまり、本事業でうまくいっていなくても、資産(土地とか建物とか、人とか)を売り払って、臨時で利益が出ているだけの可能性もある。
 そしたら、一時的にPERは小さい数字をはじくかもしれないが、翌年にはあえなく倒産、とか、そんな可能性もあるだろうたぶん。

(そのほか、例えば、業界の平均を調べるとか、その企業における推移を調べるとかも必要)


まとめ

「お前のブログはなげーんだよ。もっとテーマしぼって短く書けよ」

 と、そこまで言われてはいないが、気を付けようとは思った。しかし、どうにも難しい、というか、短い記事だと面白くない。ので、三つまとめてみた。

 PCの調子がよくなくなったので、強制終了。


(しかし、近況メモ的なのは、書いていてもあんまり面白くないな。あとから読んだら、どうだろうか。まぁ、しばらくして読み返してみよう。あんまりダメそうなら修正するか消そう)



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批判も大事だけど創造を考えてほしい
2017/06/27 20:26 | Comments(2) | 創作について
今日の一言「正解するカドについてがっかりした、という人たちの気持ちも分かる」「まだ未完だけどねー」

今日は短い記事になると思う

 正解するカドを、現在アマゾンプライムで配信されている話まで視聴す。
 いやー、スカイ? ツカイ? さんかわいいなぁ。――と、そうではなくて、なるほど、序盤の展開と後半とで作品の雰囲気が変わってきたのは間違いないだろう。

 前半の、僕に感じさせた壮大なテーマ(勝手に抱いていただけかもしれないが)は徐々に薄れていって、ラブコメの要素も盛り込まれ始めたから驚きである。

 とはいえ、僕は別に、ツカイさんが実は「〇〇でした」というところまでは、全然気にもならなかった。
 いいじゃないか、異方存在の力を否定する根拠として、人の自然な進化を望むというのはいいじゃないか、美しい、ありだ。
 さらに、ツカイさんのおやっさんも、よいこといってる。
「人はなー、簡単に壊れちまうんだ。だから与えられた命(人生)を精一杯やんなきゃなんねーんだよ。はは、おめえはまだ(幼いから)わかんねーか」

 必死に生きて、そして死ぬ。そして少しずつ進化(生物学的なものではなく、社会発展的な意味で)してきた人類の尊さ、美しさ。いいじゃないか。



 手放しでその、ツカイさん側の考えを肯定するわけではない。
 ただ、ザシュニナさん(シンドーさん)側との対立軸としては、十分な根拠のように僕は思えた。
 その二者間の思いがどう交錯するか、調整されるのか。そして、ワム(無限のエネルギー)やサンサ(異次元の自分をコントロールし、結果的に眠らなくても済むようになる)を手にした人類はどう発展していくのか。
 ワクワクするストーリーじゃあなかろうか。

サンサが登場したあたりから

 正直な思いとしては、サンサが提供されたあたりから、ちょっとハテナマークが浮かび始めた。もう少し、「ワム」ネタで引っ張ってもいいんじゃないかと思ったのだ。
 それが、眠らなくても済むようになるサンサが提供されることで、能力のインフレーションみたいな状態になった。現に、サンサによってもたらされる影響が十分に描かれないまま、次の「ナノミスハイン」(時間も重力も全部コントロールできる)が提供されることで、人はもはや神に近しい力を手にしたのだった。

 それによって人はどうなる? 社会はどうなる? 人の思考や思想は変わるのか? 経済はどうなる? 政治は、国境は?


 そういった疑問に触れる前に、ザシュニナさんの真の目的(?)が明らかになってしまい、ツカイさん側との武力衝突(?)になってしまう。

 これは確かに、多くの視聴者の期待を裏切ったことであろう。かわいいツカイさんとシンドーさんがラブラブになっていく様に嫉妬したわけではあるまい。きっと違うだろう。シンドーさんはかっこいいから仕方がない、うん……(血涙)。

 と、それはともかく。
 だからといって、「がっかりだ」「つまらない」「過度の期待だった」「不正解なカドだった」とか、そういってしまうのは如何なものか。
 

批判するのはよいが

 僕もどっちかというと、なんか違ってきたな、と思ったほうではあるが、でも、ふつーに面白いと思う。
 序盤のあの、圧倒的な期待感というか、ストーリーやエピソードは、簡単にはうみだせないと思う。
 それに映像の素晴らしさ。毎年アニメをチェック、なんてやってこなかったからよく分からないが、最近の作品はみんなあんなレベルなのか。最近、「老人Z」(1990年ぐらいの作品)を見返したせいか、感覚がおかしくなっているのかもしれないが。


 まぁいいんだ。正直な感想ってのは大事である。つまらないと感じたものを、無理に面白いと思う必要はない。

 だけれど、単に面白い、つまらないと、それだけで終わってしまったら、僕はそっちのほうがつまらない。

 面白かったら、その面白かった理由や原因を考えて、再現性(次に見ようと思う作品の傾向の選別、といったレベルでもいい)を高めるのもよいだろう。(まぁしかし、面白い作品は、それだけで価値があるので、無理にその理由を求めようとするのは野暮であったりする。)


 もっと大事なのは、つまらなかったら、その理由や原因を考えることだ。
 そうじゃなきゃ、せっかく見たのに、もったいないじゃないか。知り合いやブログで愚痴や批判を書くのに使ってもいいが、「つまんねー」「だよねー」で終わっては、まったくつまらない。

 そこをぜひ頭を切り替えて、じゃあ自分だったらどんな物語を創造できるか、という風にしたら如何だろうか。


 これは決して、つまらない作品の肯定をしたいのではない。
 それは違う。つまらないものはつまらない。このことを否定したいのではない。

 しかし、「つまらない」という思いがあったとき、それは貴重な体験でもあるのだ。「つまらない」というのは、そこに、何かの「期待」があったのだ。

 これは、何もアニメの作品に限ることではない。人と話す時だってそうだ。
「あいつの話、おもしろくねーんだよな」
 というのもあるだろう。それは何故か? 同じ話を繰り返しするからなのか? 過去の武勇伝ばっかりだからなのか? お説教臭いからなのか? 愚痴ばっかだからなのか?
 たいていは上のそれらが原因であるが、だが、もっと突き詰めてその理由を探ってみるのもよいだろう。そうすると、こっち側(きき手)として、会話を面白くもっていくような方法(頷き、コーチング)ができるかもしれない。

 言うまでもないが、この、他者との会話についても、つまらない話を面白いと思えとか、そういうことではない。つまんねーもんはつまんねーんだ。ヨイショしたりする必要などはない。
 ただ、それを、単に「つまんねーんだよハゲ!」とか言うんじゃあ、それこそ面白くないだろう、ということである。つまらないなら、その理由をやんわりとでも、はっきりとでもいいが、ちゃんと伝えてあげたほうが、WIN-WINにならないだろうか。そうなるためには、お互い、「聞く耳」をもっていなければならない。そして、それをつなぐのが、シンドーさんとか、交渉する人の役目なのだ。そういう意味で、正解するカドのテーマというか、登場人物の役割というか立ち位置というかは面白いと今でも思う。そういう人たちをメインキャラクターとしてスポットしたのは、それだけでこの作品に価値があるといえないだろうか。
(他にそういう作品があるとか、そういう問題ではない。この作品として創み出されたこと自体の価値を言っている)

昔の作品を読んで

 先日。
 話は変わるが、高校とか、それぐらいの、自分の作品が見つかった。
 ある友人と、メッセンジャーとかのアプリケーションを用いて、お互いの作品を読んでもらったりしていた。
 その作品が、なんというか、つまらないのである。(逆に、友人の作品は、設定としてちょっと面白そうに思った)
 文章作法自体もよく分かっていなかった時代である。キャラクターも、邪気眼を発揮しそうな感じだ。まぁ、今の方が、同じストーリーにしたとしても、もっと面白く書けるだろう。そういう意味では、少しばかりかは成長を感じられてよかった。
(話が少し脱線するが、某サイトで、新たに経験(習熟度)を選択できるオプションが追加されたが、ある方が「中級者」と選んでいたのである。驚いた。いや、貴方は明らかに上級者でしょう? と思った)

 しかし、なんだ、その、過去の自分についてだが、アイディア的には、よく頑張っているなぁと思ったのである。
 いろいろと、鬱屈した思いをもっていそうである。ネタというか、プロットについても、いくつも見つかった(といっても、10に満たないが)

 その、書きたいという情熱は、彼にはあった。そして、その情熱、思いに、今の僕は、果たして、勝っているといえるだろうか。



 過去の自分の作品に、友人は的確に、しかし全否定することはなく指摘をしてくれていた。
 今の僕も、過去の自分の作品を、こてんぱんにすることはできるだろう。しかし、それが果たして、よいことだろうか。俺は全然そうは思わない。
(先に書いておこう。正解するカドはプロの作品であり、一人がつくっているわけでもない。アマチュアの作品に対する批評等と同じ次元で語ることの誤謬は理解しているつもりである)

 惜しむらくは、残念だと思うのは、過去の自分の作品が、ちゃんと完結していないことである。
 陳腐だっていい。面白くなくたっていい。ネガティブだっていい。それでも、ちゃんと、最後まで形にして欲しかった。ダメだしするとしたら、その点である(その点は、一緒に作品を書いていた友人にも当てはまる。せっかく面白そうな話だったのに、残念だ)。


 正解するカドは、プロの作品だから、きっと完結はするだろう。それがひとまず、すごいことだと、まずは認めようではなかろうか。その次に、では、どうしたら、どんな作品だったら、最高に面白いのか。パラダイムシフトを引き起こすような重大なものになりえるのかと、考えてみようではなかろうか。

 そんな大層な作品など、どこにあるのだろう。アラビアの夜の種族に出てくる、「災禍の書」だろうか。

 そうしたら、僕らは、まだまだ、思考をやめてはならないと、そう思わなかろうか。

 確かに、世の中には素晴らしい作品であふれている。

 だからといって、単なる消費者になってそれでよいのだろうか。

 物語を、自分で創るということを諦めてしまってよいのだろうか。

 僕はつくる(作る・創る)人を尊敬する。そして、僕は創る人になりたい。

 そして、ここでいう創るというのは、もちろん、「作品」だけではなく、自分自身、人生ってやつも含むのである。



(……ってなんだこれ。すっげー中二病的な記事だな。恥ずかしい。しかし、こんなんレベルじゃあないほど恥ずかしい文章がぎょうさん見つかった!(かっこわら) いわゆる黒歴史である。でもちょっと待ってほしい。黒歴史をなかったことにするのって、ちょっと勿体ないのではなかろうか。そして、本当に、今の自分だったら、黒歴史よりも良いもの(作品であったり、思考であったり、感情であったり)ができるのか。根っこでどこか、変わってないものもあるのではなかろうか。もしくは。それどころか、そこでしっかりと具現化できなかったことで、何か失ったまま、見つけられなかったまま今の今まできてしまったことがあるのではなかろうか。
 今年の目標はなんだっけ?
 整理をすることだ。部屋もそうだし、費用面もそうだし、思考もそうだ。感情だってそうだ。過去に執着することも、囚われることもよいことではない。けれども、忘れてよいことばかりではないはずだ、と思う)



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