今日の一言「休みな気がしないが明るいうちに終われるとまぁましに思う」
仕事とはなんだろう。
Youtube動画見て、面白かったと、感動したとき、しかしそれは一か月のサラリーマンの給料分を払う必要は、ない。
ああ、いい作品だったなと、ただそれだけで終わる。有料動画もあるだろう。一回100円かもしれない。100円でも、1000人が見たら10万円だ。
マッサージ師さんに、肩をもんでもらう。20分3000円くらいだろうか。気持ちがよい、以上、である。サービスである。
モノとサービスの「移動」が価値を生み、金を生み、仕事が生まれる。
「便利」を手放せば、仕事は減る。――例)電気水道インフラ
「自由」を手放せば、仕事は減る。――例)24時間営業のコンビニ
「活動」を手放せば、仕事は減る。――例)交通サービス
「安全」を手放せば、仕事は減る。――例)警察・警備
上の考え方では、「役に立たないものは切り捨てる」という功利主義が前面に登場するだろう。
弱者や、働けないものは社会的な「コスト」になる。
そういった考え方が、望ましい、生活のしやすい、だれもが暮らしやすい社会とは相いれないことは感覚として分かる。
しかし、努力をしない人、できない人、フリーライダー、だらける人、そういったコストをどこまで許容すべきなのか。
紙の本を買ったのだが、結局キンドルの電子版を隙間の時間に読んでるぐらいで、いまだに読み終わってはいない。
電子版は半分以上を読んだ。
死に対しての僕の考え方と似ている気がしたので、割と読みやすい気がする。
神の概念とかに拘らず、反対意見も挙げてそれを検証していくスタイルに説得力があるように思う。
自殺についての考え方。自殺は絶対究極に正しいわけでもないが、絶対にダメなものでもない、というのが教授の意見だと思う。そして僕もそう思う。
人生を数値で表してみる。もちろん、これは比喩的なものだ。単純に快楽と苦痛の総和としてみる。仮に「幸福量」と呼んでみる。
長く生きるにつれて、どんどん幸福量が下がっていく。
しかし、幸福量が0でなければ、死ぬ必要などない。仮に失意のどん底で、つらいいじめにあっていようが、しかし、アニメや映画見て感動する時間が少しでもあれば、まだ死ぬべきではない。創造価値がなくても、体験価値がある。
しかし、さらに幸福量が下がって、0よりも小さくなったとする。
苦痛しかない。良いことがあっても、苦痛はそれをはるかに上回る。まともな思考もできない。高熱にうなされたことがある人はわかるだろう。いくら学校や会社が休みでも、大好きな漫画やゲームすらやる気にならない。ただ、痛みや苦しみが通り過ぎるのを待つだけだ。
そんな苦痛がずっと続くだけの人生。
これに対して、「人生とは何か」の著者精神科医のフランクル氏は、いやいや、それでもまだ生きる意味はある、態度価値があるのだ、という。態度価値とは、他者がみて、「ああ、あの人は立派な人だ」と影響を与えるようなもの――と僕は認識している。違うかもしれない。そのあたりがまだ理解できていない。でも、例示されていたのは、そんなようなもんだった。生きる意味は、人生から逆に求められているのだ、と。
僕はその態度価値的なことがよく分からない。やっぱり、苦しみしかない人生だと、死んだほうがまし、という状態があるのではないかと思う。
問題は、それが「今」なのか、というところだと思う。
高熱でいくら苦しんでも、「死んだほうがましだ」と思う人はいないだろう。
回復する見込みがあるからだ。
でも、回復する見込みなんて、分かるものだろうか。99%死に至る病でも、1%の確率で助かる可能性があるのでは……?
要は、1%でも回復するかもしれないから、自殺は、だめだ、と、結論するかもしれない。――でも、きっと僕は、なんかしっくりこなかったろうと思う。
しかしシェリー教授は、さらに一歩進んでいる。
下の、こんな例だ(僕の記憶だけで書くので、細部は違うかも)。
あなたには、選択する権利がある。
99%の確率で、一生続く拷問を受けるかもしれないが、1%の確率で、一生お金に不自由しない暮らしができる選択をするか、何もしないかだ。
と。
この場合は、多くの人は、99%を選んだほうが賢い。それが妥当だ。物語的には、99%を選択した方が面白いのだろうけど、それはリスクが大きすぎる。
重い病気におかされた人の選択も同様ではないか、ということだ。
確かに、医療技術の発展により、劇的に回復する可能性が、1%はあるとする。しかし、世界の症例においては、5年以内に増悪し、死に至るケースが99%だとする。
まだ、そういった選択ができるような思考ができる状態だと、想像するのが難しいが、そもそも、もう何も考えることもできず、体も動かせず、ただ痛みに耐えるだけの時間が、延々と続く――そんな状態で、確かに、1%は回復する可能性があるけれども、もう殆どは死んでしまう……そうだとしたら、どうする?
快楽と苦痛の量だけが、人生なのか、そこに考える余地はあるかもしれない。フランクル氏のいう、態度価値だってあるはずだ、そういう考え方もあるかもしれない。
でも、凡人な僕としては、やっぱり、自殺は必ずしもダメというわけではない、と思う。
もちろん、いじめを苦にして自殺、なんてのは、あっちゃいけないと思うわけであるが。
久々に、カテゴリを、「生きる意味」にした。
イラストは、どうしようかな、ネタは何もないのだが、簡単にでも描こうかな。
とにかく、今回の記事は、仕事で気が休まらないので、書くことにしたものだ。
めっちゃ心配。
自分でコントロール完全にできることじゃないと、心配。
やっぱり、管理職とか向いていない気がする。今は平社員だが、今以上に気が休まらない気がする。
50%ぐらいの成功率の時が一番人は頑張れる、とかって自己啓発も読んだことある気がするが、それは、俺にはつらい。
不安すぎる。いやその、「できませんでした」が通用すればいいけれども、たいていそういう仕事ばかりじゃないだろう。ピザのデリバリーで、注文されたけど家がわからなかったので届けられませんでした、じゃあダメだろう。
不安。
不安とは何か。
そんなことはどうでもいい。単に、落ち着いた生活がしたい。
落ち着いた生活とは何か。知らない。
知らないことは、実現されられない。引き寄せの法則。自らが望んだ人生にしかならない。
お絵描き添削に応募したら「落書きを楽しんでいるレベルですね」と言われてしまうが、まぁしかし、1時間ぐらいでこれぐらいの出来までは描けるようになったというのは成長といえなくもない。
まぁ、雑なのであるが、なんか正確にアタリを描かなくても、なんとなくの立体は描けるようになった気がする。
うーん、でも、見れば見るほどいろいろ直したくなる……というのは、きっと悪いことではないのだろう。
直したい、というのは良いと思う。
なんかいまいちだけど、どうしたらいいか分からない、これは良くないと思う。
まえがき
休日も仕事のことを考えないといけないというのは、面倒なこと、限りない。仕事とはなんだろう。
Youtube動画見て、面白かったと、感動したとき、しかしそれは一か月のサラリーマンの給料分を払う必要は、ない。
ああ、いい作品だったなと、ただそれだけで終わる。有料動画もあるだろう。一回100円かもしれない。100円でも、1000人が見たら10万円だ。
マッサージ師さんに、肩をもんでもらう。20分3000円くらいだろうか。気持ちがよい、以上、である。サービスである。
モノとサービスの「移動」が価値を生み、金を生み、仕事が生まれる。
「便利」を手放せば、仕事は減る。――例)電気水道インフラ
「自由」を手放せば、仕事は減る。――例)24時間営業のコンビニ
「活動」を手放せば、仕事は減る。――例)交通サービス
「安全」を手放せば、仕事は減る。――例)警察・警備
上の考え方では、「役に立たないものは切り捨てる」という功利主義が前面に登場するだろう。
弱者や、働けないものは社会的な「コスト」になる。
そういった考え方が、望ましい、生活のしやすい、だれもが暮らしやすい社会とは相いれないことは感覚として分かる。
しかし、努力をしない人、できない人、フリーライダー、だらける人、そういったコストをどこまで許容すべきなのか。
死とは何か
シェリー教授の本について購入したのはいつだったか。紙の本を買ったのだが、結局キンドルの電子版を隙間の時間に読んでるぐらいで、いまだに読み終わってはいない。
電子版は半分以上を読んだ。
死に対しての僕の考え方と似ている気がしたので、割と読みやすい気がする。
神の概念とかに拘らず、反対意見も挙げてそれを検証していくスタイルに説得力があるように思う。
自殺についての考え方。自殺は絶対究極に正しいわけでもないが、絶対にダメなものでもない、というのが教授の意見だと思う。そして僕もそう思う。
人生を数値で表してみる。もちろん、これは比喩的なものだ。単純に快楽と苦痛の総和としてみる。仮に「幸福量」と呼んでみる。
長く生きるにつれて、どんどん幸福量が下がっていく。
しかし、幸福量が0でなければ、死ぬ必要などない。仮に失意のどん底で、つらいいじめにあっていようが、しかし、アニメや映画見て感動する時間が少しでもあれば、まだ死ぬべきではない。創造価値がなくても、体験価値がある。
しかし、さらに幸福量が下がって、0よりも小さくなったとする。
苦痛しかない。良いことがあっても、苦痛はそれをはるかに上回る。まともな思考もできない。高熱にうなされたことがある人はわかるだろう。いくら学校や会社が休みでも、大好きな漫画やゲームすらやる気にならない。ただ、痛みや苦しみが通り過ぎるのを待つだけだ。
そんな苦痛がずっと続くだけの人生。
これに対して、「人生とは何か」の著者精神科医のフランクル氏は、いやいや、それでもまだ生きる意味はある、態度価値があるのだ、という。態度価値とは、他者がみて、「ああ、あの人は立派な人だ」と影響を与えるようなもの――と僕は認識している。違うかもしれない。そのあたりがまだ理解できていない。でも、例示されていたのは、そんなようなもんだった。生きる意味は、人生から逆に求められているのだ、と。
僕はその態度価値的なことがよく分からない。やっぱり、苦しみしかない人生だと、死んだほうがまし、という状態があるのではないかと思う。
問題は、それが「今」なのか、というところだと思う。
高熱でいくら苦しんでも、「死んだほうがましだ」と思う人はいないだろう。
回復する見込みがあるからだ。
でも、回復する見込みなんて、分かるものだろうか。99%死に至る病でも、1%の確率で助かる可能性があるのでは……?
自殺は絶対ダメではない
ここまでの思考で、僕は納得するだろうと思う。要は、1%でも回復するかもしれないから、自殺は、だめだ、と、結論するかもしれない。――でも、きっと僕は、なんかしっくりこなかったろうと思う。
しかしシェリー教授は、さらに一歩進んでいる。
下の、こんな例だ(僕の記憶だけで書くので、細部は違うかも)。
あなたには、選択する権利がある。
99%の確率で、一生続く拷問を受けるかもしれないが、1%の確率で、一生お金に不自由しない暮らしができる選択をするか、何もしないかだ。
と。
この場合は、多くの人は、99%を選んだほうが賢い。それが妥当だ。物語的には、99%を選択した方が面白いのだろうけど、それはリスクが大きすぎる。
重い病気におかされた人の選択も同様ではないか、ということだ。
確かに、医療技術の発展により、劇的に回復する可能性が、1%はあるとする。しかし、世界の症例においては、5年以内に増悪し、死に至るケースが99%だとする。
まだ、そういった選択ができるような思考ができる状態だと、想像するのが難しいが、そもそも、もう何も考えることもできず、体も動かせず、ただ痛みに耐えるだけの時間が、延々と続く――そんな状態で、確かに、1%は回復する可能性があるけれども、もう殆どは死んでしまう……そうだとしたら、どうする?
態度価値
もちろん、上の考えは、「幸福量」の考え方を基盤にしている気がする。快楽と苦痛の量だけが、人生なのか、そこに考える余地はあるかもしれない。フランクル氏のいう、態度価値だってあるはずだ、そういう考え方もあるかもしれない。
でも、凡人な僕としては、やっぱり、自殺は必ずしもダメというわけではない、と思う。
もちろん、いじめを苦にして自殺、なんてのは、あっちゃいけないと思うわけであるが。
久々に、カテゴリを、「生きる意味」にした。
イラストは、どうしようかな、ネタは何もないのだが、簡単にでも描こうかな。
とにかく、今回の記事は、仕事で気が休まらないので、書くことにしたものだ。
めっちゃ心配。
自分でコントロール完全にできることじゃないと、心配。
やっぱり、管理職とか向いていない気がする。今は平社員だが、今以上に気が休まらない気がする。
50%ぐらいの成功率の時が一番人は頑張れる、とかって自己啓発も読んだことある気がするが、それは、俺にはつらい。
不安すぎる。いやその、「できませんでした」が通用すればいいけれども、たいていそういう仕事ばかりじゃないだろう。ピザのデリバリーで、注文されたけど家がわからなかったので届けられませんでした、じゃあダメだろう。
不安。
不安とは何か。
そんなことはどうでもいい。単に、落ち着いた生活がしたい。
落ち着いた生活とは何か。知らない。
知らないことは、実現されられない。引き寄せの法則。自らが望んだ人生にしかならない。
イラストコーナー
なんか、30分時間があれば、なんか描いてみようかという気持ちになるのは良い傾向に思うのだが、実際やり始めると、どうにも時間を使ってしまう。1時間15分ぐらいだろうか。お絵描き添削に応募したら「落書きを楽しんでいるレベルですね」と言われてしまうが、まぁしかし、1時間ぐらいでこれぐらいの出来までは描けるようになったというのは成長といえなくもない。
まぁ、雑なのであるが、なんか正確にアタリを描かなくても、なんとなくの立体は描けるようになった気がする。
うーん、でも、見れば見るほどいろいろ直したくなる……というのは、きっと悪いことではないのだろう。
直したい、というのは良いと思う。
なんかいまいちだけど、どうしたらいいか分からない、これは良くないと思う。
あとがき
(かっこ書きである。あああ、気分転換のイラストのはずが、「どうしたらいいか分からないのは良くない」というのはまさに仕事である。なんか今のままではいかんのだが、どう改善したらいいか不明――これはストレスである。あーもうやだなぁ……。あーもう、酒だ、酒をもってこい。もう冷蔵庫にビールがありません! なんだと!! せぷくだ! ふはは、しかしこんなときように、ジンを常備しているのだ。ライムジュースと混ぜる。ジンライムというらしい。そのままだな。――違った。炭酸水を使ってるので、ジンリッキーというらしい。ちなみに、ギムレットは、ジンライムをシェイクしたものだそうだ(細部に違いはあるのだろう)。へー。まぁ、その、いずれ終わりはくる。来年異動になるかもしれないし、会社がなくなるかもしれないし。そうしたら、今のプロジェクトの悩みなんて、全然大したものではないのだ。不安があれば、それを取り除く行動を続けるだけだ。――という考えのもと、休日にも仕事をしているというのもある。結局不安でゆっくり休めないなら、何かしら進めといたほうがましだろう)PR
今日の一言「土日も仕事だった」「しかし悲しいかな土日の方が進捗が良い気がする」
タイトルの通り土日も仕事になってしまった。
さらに、仕事終えてじゃあイラスト描いて、ブログ書いてしよう! と思ったらネットが繋がらなくなって、スマホとかタブレットは繋がることからしてWI-FIの子機が原因だろうと推定し、慌てて閉店間際の電気屋に走った。
原因は不明だが、直接的な原因は恐らく想定どおり、無線子機が原因のようだ。外付けのWI-FI子機を接続すると、無事繋がった。買ってまだ1年ぐらいだった気がするが……。
今度は、割と高かったが、エレコム製のものにした。
先週の目標において、土日の天気を事前に調べるとか言っていたが、そんなこと虚しく土日も仕事になったという。
サムネ、汚いな。ただ、線画は超がんばった。アタリ、ラフ、下書き、と、それぞれの段階でそれなりに丁寧に望んでから線画に入った。そうすると、線画の時間は割と短かった気がする。やはり何事も、準備をしっかりしていると、本番は楽だということか。
影つけは来週あたりに入るか、それとも、その他の背景を先に描いていくか検討。
これをベースにして、年明けのピクシブデビューの作品を完成させたい。一応構想は二つ。シュタゲのクリスと無職転生のエリスの赤髪コラボレーションにするか、最近発売された新型のkawasakiのバイクを背景に描くか、と考えている。
と、こうやって文章にしていて思いついたが、それほど好みではないが、GunslingerGirlのペトラも赤髪だった。トリオを描くのでもよいかもしれない。
ともかく、しばらくは素体(一人ずつ)の練習をしようと思う。
それで、今回のクリスであるが、自分の中では90点である。90点というのは、もう少し拘れば良くできるポイントはある気がする部分がマイナス10点分という意味で、大体現状の実力は出せたと思う。要は本気だ。
一方で、どうすればよいか分からないが、不満な点もある(これは、どうしていいか分からないので、マイナスの点数には加味されないものだ)。
一つは、足の立体感(むちむち感)である。
ちなみにこれは、フィギュア(1/8?1/7スケール)の画像を参考に描いた。ふつーに、フィギュアすげーと思ったのはおいておいて。
んで、足なんだが、タイツ? を描くのは初めてというのもあるが、これは色塗りの際に工夫の余地があるのかもしれない。なんかでも、フィギュアにおける足のぷにっと感が、イラストで全然反映できていない気がするのが残念な点の一つ目。
もう一つは、顔だ。端的に似ていない。今回のでも、かわいくなくはない、と思うが、しかし、二次創作の上では致命的な問題ともいえる。しかし、これも似ていない理由がよく分からない。目か、輪郭だと思うのだが、それをどう直していいか分からないのである。
ちなみに下書き段階が下。
いろんな方が(動画で)、下書き段階でいったん色をおいてみると、イメージがわいて、線画修正もはかどる、というのを実践してみると、確かに、やったほうが良いなと思った。下書き段階で簡単にでも色を塗ってみると技術的なことはよく分からないが、モチベーション(この絵を完成させよう!)という気持ちがわく気がした。
WINDOWSの検索バーに、「ワコム」と打つと、「ワコムタブレットのプロパティ」というのがでてくる。そこで、ペンに、ボタンが二つついているが、その設定を変更できる。
デフォは、確かスポイトツールと何かだったと思う。
が、スポイトはあんまり使わないので、「元に戻す」ボタンと、「手のひらツール(スクロール)(移動)」に設定してみた。
結果、めちゃくちゃ効率アップした(気がする)。特に、元に戻すボタンはよく使う。スクロールも、拡大しながら細部を描いている時などに非常に便利。描きやすい場所に画面をペンで動かせるというのがすごく良い。
上の設定だけでなく、キーボードやマウス操作でよく使うなってものがあるならば、積極的にペンのボタンに設定するのがよいと思う。
統計学の本。統計学とは、三つに分類できるそうだ。
・記述統計学(全量扱う)……平均とかもこれかな?
・推計統計学(サンプルを分析)
・ベイズ統計学(主観も扱う)……これがなんだか面白そう。まだ読み届いてないので全く分からない。
記述統計学の中には、多変量解析という、複数の数値を扱った分析――回帰分析とかもあるという。なんか聞いたことあるけどなんだかわかんねーってずっと思ってたので、これを理解することを目的に買ったといえる。なんか理解できた気になったらブログに書く。
今回は、「分散」について学んだ。
分散ってのは、平均との差を、「偏差」というが、この偏差を二乗した合計を、データの数で割り返した数字ということだ。
――以上! まだこれしかわかってない。偏差値って何? ってとこまでしっかり理解したいと思う。
とりあえず、へーっと、思ったのは、分散という考え方が何故「2乗」するか、という点だ。
単純にデータの「ばらつき」をみたいのなら、偏差を足し合わせてみればいいじゃない……としてやってみると、偏差の合計は必ず「0」になるということだ。へー。
んじゃあ、偏差について、プラスマイナスの絶対値をとって足し合わせたらいいんじゃない?
ということで、それは「平均偏差」という言葉で、ちゃんとそういった概念もあるのだという。でも使われることはないのだとか。
まえがき
ブログ間に合わないかと思ったが、なんとかなりそうだ。タイトルの通り土日も仕事になってしまった。
さらに、仕事終えてじゃあイラスト描いて、ブログ書いてしよう! と思ったらネットが繋がらなくなって、スマホとかタブレットは繋がることからしてWI-FIの子機が原因だろうと推定し、慌てて閉店間際の電気屋に走った。
原因は不明だが、直接的な原因は恐らく想定どおり、無線子機が原因のようだ。外付けのWI-FI子機を接続すると、無事繋がった。買ってまだ1年ぐらいだった気がするが……。
今度は、割と高かったが、エレコム製のものにした。
先週の目標において、土日の天気を事前に調べるとか言っていたが、そんなこと虚しく土日も仕事になったという。
イラストコーナー
今回は、途中までであるが、アップロードする。サムネ、汚いな。ただ、線画は超がんばった。アタリ、ラフ、下書き、と、それぞれの段階でそれなりに丁寧に望んでから線画に入った。そうすると、線画の時間は割と短かった気がする。やはり何事も、準備をしっかりしていると、本番は楽だということか。
影つけは来週あたりに入るか、それとも、その他の背景を先に描いていくか検討。
これをベースにして、年明けのピクシブデビューの作品を完成させたい。一応構想は二つ。シュタゲのクリスと無職転生のエリスの赤髪コラボレーションにするか、最近発売された新型のkawasakiのバイクを背景に描くか、と考えている。
と、こうやって文章にしていて思いついたが、それほど好みではないが、GunslingerGirlのペトラも赤髪だった。トリオを描くのでもよいかもしれない。
ともかく、しばらくは素体(一人ずつ)の練習をしようと思う。
それで、今回のクリスであるが、自分の中では90点である。90点というのは、もう少し拘れば良くできるポイントはある気がする部分がマイナス10点分という意味で、大体現状の実力は出せたと思う。要は本気だ。
一方で、どうすればよいか分からないが、不満な点もある(これは、どうしていいか分からないので、マイナスの点数には加味されないものだ)。
一つは、足の立体感(むちむち感)である。
ちなみにこれは、フィギュア(1/8?1/7スケール)の画像を参考に描いた。ふつーに、フィギュアすげーと思ったのはおいておいて。
んで、足なんだが、タイツ? を描くのは初めてというのもあるが、これは色塗りの際に工夫の余地があるのかもしれない。なんかでも、フィギュアにおける足のぷにっと感が、イラストで全然反映できていない気がするのが残念な点の一つ目。
もう一つは、顔だ。端的に似ていない。今回のでも、かわいくなくはない、と思うが、しかし、二次創作の上では致命的な問題ともいえる。しかし、これも似ていない理由がよく分からない。目か、輪郭だと思うのだが、それをどう直していいか分からないのである。
ちなみに下書き段階が下。
いろんな方が(動画で)、下書き段階でいったん色をおいてみると、イメージがわいて、線画修正もはかどる、というのを実践してみると、確かに、やったほうが良いなと思った。下書き段階で簡単にでも色を塗ってみると技術的なことはよく分からないが、モチベーション(この絵を完成させよう!)という気持ちがわく気がした。
ペンタブの設定
絵の内容はそうとして、今回、ペンタブの、ペンの方のボタン設定をいじってみた。WINDOWSの検索バーに、「ワコム」と打つと、「ワコムタブレットのプロパティ」というのがでてくる。そこで、ペンに、ボタンが二つついているが、その設定を変更できる。
デフォは、確かスポイトツールと何かだったと思う。
が、スポイトはあんまり使わないので、「元に戻す」ボタンと、「手のひらツール(スクロール)(移動)」に設定してみた。
結果、めちゃくちゃ効率アップした(気がする)。特に、元に戻すボタンはよく使う。スクロールも、拡大しながら細部を描いている時などに非常に便利。描きやすい場所に画面をペンで動かせるというのがすごく良い。
上の設定だけでなく、キーボードやマウス操作でよく使うなってものがあるならば、積極的にペンのボタンに設定するのがよいと思う。
統計学
土日も仕事かーあーあーあーって思って本を衝動買いした。統計学の本。統計学とは、三つに分類できるそうだ。
・記述統計学(全量扱う)……平均とかもこれかな?
・推計統計学(サンプルを分析)
・ベイズ統計学(主観も扱う)……これがなんだか面白そう。まだ読み届いてないので全く分からない。
記述統計学の中には、多変量解析という、複数の数値を扱った分析――回帰分析とかもあるという。なんか聞いたことあるけどなんだかわかんねーってずっと思ってたので、これを理解することを目的に買ったといえる。なんか理解できた気になったらブログに書く。
今回は、「分散」について学んだ。
分散ってのは、平均との差を、「偏差」というが、この偏差を二乗した合計を、データの数で割り返した数字ということだ。
――以上! まだこれしかわかってない。偏差値って何? ってとこまでしっかり理解したいと思う。
とりあえず、へーっと、思ったのは、分散という考え方が何故「2乗」するか、という点だ。
単純にデータの「ばらつき」をみたいのなら、偏差を足し合わせてみればいいじゃない……としてやってみると、偏差の合計は必ず「0」になるということだ。へー。
んじゃあ、偏差について、プラスマイナスの絶対値をとって足し合わせたらいいんじゃない?
ということで、それは「平均偏差」という言葉で、ちゃんとそういった概念もあるのだという。でも使われることはないのだとか。
あとがき
(かっこ書きである。土日仕事で、来週から一週間か……と気が落ち込むが、しかし、確か3日は休みだった。なら大丈夫だ! いやしかし、3日も休めるか分からない。3日も休めるようなら土日も仕事してない、というのもある。まぁ、明日頑張るだけだ。一つ書いておけば、仕事で何かできても、「やったぜ!」という達成感はそんなにない。褒められても、感謝されても、――いや、嬉しくないわけではないが、「嬉しい」ぐらいで終わる。しかし、イラストとか創作物が完成すると、「やったぜ!」という気持ちになる。――ああ、そういう意味だと、VBAとかツールで時間がかかっていた業務が短縮化できたときは「やったぜ!」って気持ちになる。なんかでも、会議とかプレゼントか、他部署調整とかで上手くいっても、そんなに「やったぜ」とはならない。「終わって良かった……」と胸をなでおろすぐらいだ。心臓に悪いだけだ。つまんねー。と、仕事に愚痴をいうぐらいなら、なんかその、もっと良い感じの仕事につけばいいじゃないかと思う。だがしかし、今の会社にだって、そういうことすることができる仕事ってあると思うんだよな。そういうのを回してもらえたらいいんだが。まぁいいや、仕事のことなんてどうでもいい。明日も早起きせんといかんが、ビールだ、ビールをもってこい! いや、ジントニックでも作るかな。とにかく、ブログはいったん今日はここまでにしよう)
今日の一言「全力で休日しよう」「来週は……」
それで、今週の休日は、ダメダメだった。またいつぞやかのように、ずっと眠っていたようなものだった。いや、一時は起きたりもしていたが、起きたり寝たりで、めりはりがなかった。布団の上でいた時間が長かった気がする。書棚の手の届く範囲の漫画読んだりしていた。
最低限、一度は出かけなければ具合が悪くなるというのも分かっていたので、カフェに勉強に出かけた、が、たいてい、カフェに行けば目は覚めることも多いのだけれども、今週はそれでもダメだった。
とにかく、ダメだった。ダメな休日だった。ああ……もう……。
今週はイラストなしのまま終わってしまう……いや、イラストというより、ブログを書く気力すらない……、いやいや、それは、だめだ、やろう。
ということで、イラストコーナーである。
ざつだ!!
まさに落書きである。一応新しいことにいろいろ挑戦している形跡はあるものの、実を結んでいない。パースをもっとしっかり意識して、身に着けて、アウトプットできるようにならないと、背景付きのイラストを描けるようにはならないだろうなと思った。
ちなみに、めっちゃ旨そうなラーメンを描こうという目的で描き始めたはずが、なんか出来上がったのは「孤独」といったタイトルが似合いそうな作品となった。作品――というには、ラフすぎる状況だが。
そうだ、やはり、目標は大事だ。
目標は、とにかく今年は、毎週一枚は描いて画力をアップさせ、来年になったら、令和3年1月~3月の間に、ピクシブデビューして、イイネを10個もらうのだ。
そのための、構想を練る必要もある。
どんな作品にすべきか。
想定しているのは、二次創作である。何故なら、「タグ」的に多くの人に目に留まりやすいからだ。
その時点で流行っていて、さらに自分も好きな作品にするのがベターだろう。
自分も好き、というのが大事だ。何故なら、品質に直結するからだ。
鬼滅の刃は流行っているが、そんなに描こうという強い気持ちは沸かない。シュタゲあたりかな。複数作品のコラボでもよい気がする。
構図も考える必要がある。
いやそもそも、「いいね」をもらうために頑張るというのは、よくないことだろうと思う。
描きたいからかく、それだけでいいはずだ。しかし、それだと、モチベーションが続かない。実際に、下がっている気がする。当時に比べたら。しかし、色を付けてない頃、線画――というか、今にして思えばラフレベルの時期――今年の6月~7月ぐらいは、そんなにモチベは高くなかった。とりあえずルーチンだしな、ぐらいで描いていた気がする。今、そういう時期なのかもしれない。
まえがき
今週は天気良かったのか。全然、知らなかった。来週の目標は、あれだ、土日を迎える前に、土日の天気を調べるということにしよう。めちゃくちゃ、低い目標だが、それすら達成できるか分からない。それで、今週の休日は、ダメダメだった。またいつぞやかのように、ずっと眠っていたようなものだった。いや、一時は起きたりもしていたが、起きたり寝たりで、めりはりがなかった。布団の上でいた時間が長かった気がする。書棚の手の届く範囲の漫画読んだりしていた。
最低限、一度は出かけなければ具合が悪くなるというのも分かっていたので、カフェに勉強に出かけた、が、たいてい、カフェに行けば目は覚めることも多いのだけれども、今週はそれでもダメだった。
とにかく、ダメだった。ダメな休日だった。ああ……もう……。
イラストコーナー
そんな状態では、まともな活動はできない。今週はイラストなしのまま終わってしまう……いや、イラストというより、ブログを書く気力すらない……、いやいや、それは、だめだ、やろう。
ということで、イラストコーナーである。
ざつだ!!
まさに落書きである。一応新しいことにいろいろ挑戦している形跡はあるものの、実を結んでいない。パースをもっとしっかり意識して、身に着けて、アウトプットできるようにならないと、背景付きのイラストを描けるようにはならないだろうなと思った。
ちなみに、めっちゃ旨そうなラーメンを描こうという目的で描き始めたはずが、なんか出来上がったのは「孤独」といったタイトルが似合いそうな作品となった。作品――というには、ラフすぎる状況だが。
そうだ、やはり、目標は大事だ。
目標は、とにかく今年は、毎週一枚は描いて画力をアップさせ、来年になったら、令和3年1月~3月の間に、ピクシブデビューして、イイネを10個もらうのだ。
そのための、構想を練る必要もある。
どんな作品にすべきか。
想定しているのは、二次創作である。何故なら、「タグ」的に多くの人に目に留まりやすいからだ。
その時点で流行っていて、さらに自分も好きな作品にするのがベターだろう。
自分も好き、というのが大事だ。何故なら、品質に直結するからだ。
鬼滅の刃は流行っているが、そんなに描こうという強い気持ちは沸かない。シュタゲあたりかな。複数作品のコラボでもよい気がする。
構図も考える必要がある。
いやそもそも、「いいね」をもらうために頑張るというのは、よくないことだろうと思う。
描きたいからかく、それだけでいいはずだ。しかし、それだと、モチベーションが続かない。実際に、下がっている気がする。当時に比べたら。しかし、色を付けてない頃、線画――というか、今にして思えばラフレベルの時期――今年の6月~7月ぐらいは、そんなにモチベは高くなかった。とりあえずルーチンだしな、ぐらいで描いていた気がする。今、そういう時期なのかもしれない。
あとがき
(かっこ書きである。あっという間に、12月が来る気がする。人生あっという間だな。悔いのない人生にしよう。――なんか、なんだっけ、なにか、思い出せないんだが、やっぱりなんか人間関係面倒くさいな、と、そんな風に思ったことが、先週あった気がした。社会性、コミュニケーション、情報共有、ホウレンソウ、人は一人では生きていけない、共同作業、――そういった様々なもの、大事だ、非常に大事だ、大事なのは分かっている、が、なんかそういうのに向いていない気質な気がしてならない。なんでだっけ? 思い出せない、何があったか、具体的エピソードが出てこないんだけど、会社かどこかで、「ほっといてくれ」的な何かがあった気がする。ネットという適切な距離感が保たれる空間に慣れすぎているのかもしれない。なんか、話しかけられたりすると、それまでの作業とか思考が全部すっ飛ぶんだよな。YOUTUBEの途中から再生ではなく、また最初から再生みたいになる。オンラインゲームのパーティで、最悪な結末を迎えたというこんな話も読んだ。ネットでも、こじれるときはこじれる。しかし、ネットのよいところは、「もうギルド抜けます」ってなれば関わらなくて済むようになるし、それでもダメなら「もうゲーム辞めます」で完全シャットアウト可能な点だ。そういった選択的人間関係が可能になったという点だけを取り上げれば、なるほど人間関係の希薄化というのはあるのかもしれない。しかし、「濃厚」なやり直しのきかない人間関係というのは、むしろ私は害であるような気がしてならない――では家族は? 家族は、濃厚な、濃密な関係の代表格だろう。だから、家族をつくらない人も増えているのかもしれない。まぁでも今この時間に思うに、創造的な趣味があれば濃密な人間関係はいらない気がする。その、「濃密」なり濃厚の定義は曖昧だが。それと、創造的な趣味が必要か、についても不明だ。なんとなくそう思っただけで根拠はない。ゲームは、創造的な趣味ではない気がする。しかし、「やばたにえん」というプレイ動画は面白かった。ああ、そんな、布団の中でそんなことばっかりしていたから、土日は何もできなかったのか。まぁいいや、来週の自分に期待して、もう終わりにする)
今日の一言「メモがてらブログを使うのはどうなのか」「いいんじゃないか」
とある動画で、大学教授が学びについて述べられていたのを聞いたので、それを受けて感じたことのメモ。
メモで大事なのは、話の内容はともかく、自分がどう感じたかだ。
一方で、自殺者は、ことに若者(30歳ぐらいまで)はその倍以上。
コロナで年寄が死ぬより、若者が自殺する社会というのは希望がない社会であり、重大だ。
今こそ学びが必要だ。
何を学べばいいのか、近代史だ。
中高年クライシスを、近代の日本人はどうやって乗り越えたのか。
後世に残せるものは、立身出世ではなく、あの人は立派に生きたのだという周囲の、そして後世の人の記憶なのだ、と。
そんな感じの話が、1時間ぐらいだった。
長かったので、2倍速で全部みた(かっこ笑い)。
途中、眠くなるよね。2倍速だから何とかなった。
大学の授業で、講義のみのやつって、全部オンラインでいいんじゃないかと思った。よく聞き取れなかったところは一時停止して巻き戻して、長いなってところは2倍速で見れたりするだろうし。
ああ、そういえば、巻き戻すってのも、テープ世代にしか通じないんだっけ。じゃあなんていうんだ? 戻る?
ええと、まぁそれはよいとして、話としては良いことを言っていた気がした。全然、上から目線のつもりはないのだけれども、中高年クライシス――要は、「わたしは、このままでよいのだろうか」というのは、昔の人もあったんだなぁと、そんな風に思った。
中高年、といいつつ、若いうちからそんな風に陥る人もいるということだ。僕の場合は、大学生ぐらいから、「ぼくは、このままでよいのだろうか」と思い続けて、今なおそんな状態な気がする。
最近もう一つ、二・二六事件で暗殺された教授将軍(?)渡辺錠太郎氏の伝記読んだ。
読んだといっても、最初の60ページぐらいだけど。でも面白かった。その人は、めっちゃ勉強家だったらしい。
第一次世界大戦のころヨーロッパで活動していて、「戦争はいけない。しかし、争いを(すぐに)なくすことはできない」といったリアリストだったという。正確に引用すると、「勝っても負けても戦争は国を疲弊させるだけ、したがって、軍隊は強くてもいいが、戦争だけはしてはいけない」ということだそうな。
上のようなことが書かれた紹介記事を読んで、興味をひかれたのだ。20世紀前半でも、そういった考えの人はいたのだなと。それも、陸軍の偉い立場の人で。
何をみて、何を思ったのか――その、「何をみて」の部分までしか書かれていないからだ。
感想。感想――うーむ。忘れてしまったわ(かっこ笑い)。
勉強は大事だと思う。しかし、何を学べばいいのか、それは難しい。
知識というのも、ノード(小知識)と、リンク(小知識の関連)であって、ノードを単に増やすだけでは「使える」知識にはならない。
誰がために、何をするのか、全然分からない。
1時間だと下ぐらいが限界……。あたり~下書き45分、色15分ぐらいか。何描こうか悩んでいた時間も含めると1時間以上使っている。ほんとは、きれいな「球」だけ描いて終わろうと思っていたのだが、全体的に中途半端になってしまった。1時間で描くのを「ワンドロ」(1hourのドローイング)というようだ。ほんと、時間はあっという間だ。
ぼーっとしている時間を、限りなく少なくしたい。
まえがき
イラストがない投稿に久々になるかもしれない。とある動画で、大学教授が学びについて述べられていたのを聞いたので、それを受けて感じたことのメモ。
メモで大事なのは、話の内容はともかく、自分がどう感じたかだ。
希望のない社会
新型コロナウイルスでの死者は、日本で2000人ぐらいだろうか。一方で、自殺者は、ことに若者(30歳ぐらいまで)はその倍以上。
コロナで年寄が死ぬより、若者が自殺する社会というのは希望がない社会であり、重大だ。
今こそ学びが必要だ。
何を学べばいいのか、近代史だ。
中高年クライシスを、近代の日本人はどうやって乗り越えたのか。
後世に残せるものは、立身出世ではなく、あの人は立派に生きたのだという周囲の、そして後世の人の記憶なのだ、と。
そんな感じの話が、1時間ぐらいだった。
長かったので、2倍速で全部みた(かっこ笑い)。
学校の先生って感じ
授業、って感じだった。なんか、懐かしくもあったので見ていた、というのもある。途中、眠くなるよね。2倍速だから何とかなった。
大学の授業で、講義のみのやつって、全部オンラインでいいんじゃないかと思った。よく聞き取れなかったところは一時停止して巻き戻して、長いなってところは2倍速で見れたりするだろうし。
ああ、そういえば、巻き戻すってのも、テープ世代にしか通じないんだっけ。じゃあなんていうんだ? 戻る?
ええと、まぁそれはよいとして、話としては良いことを言っていた気がした。全然、上から目線のつもりはないのだけれども、中高年クライシス――要は、「わたしは、このままでよいのだろうか」というのは、昔の人もあったんだなぁと、そんな風に思った。
中高年、といいつつ、若いうちからそんな風に陥る人もいるということだ。僕の場合は、大学生ぐらいから、「ぼくは、このままでよいのだろうか」と思い続けて、今なおそんな状態な気がする。
最近もう一つ、二・二六事件で暗殺された教授将軍(?)渡辺錠太郎氏の伝記読んだ。
読んだといっても、最初の60ページぐらいだけど。でも面白かった。その人は、めっちゃ勉強家だったらしい。
第一次世界大戦のころヨーロッパで活動していて、「戦争はいけない。しかし、争いを(すぐに)なくすことはできない」といったリアリストだったという。正確に引用すると、「勝っても負けても戦争は国を疲弊させるだけ、したがって、軍隊は強くてもいいが、戦争だけはしてはいけない」ということだそうな。
上のようなことが書かれた紹介記事を読んで、興味をひかれたのだ。20世紀前半でも、そういった考えの人はいたのだなと。それも、陸軍の偉い立場の人で。
感想
上の内容で終わると、つまらない読書感想文だ。何をみて、何を思ったのか――その、「何をみて」の部分までしか書かれていないからだ。
感想。感想――うーむ。忘れてしまったわ(かっこ笑い)。
勉強は大事だと思う。しかし、何を学べばいいのか、それは難しい。
知識というのも、ノード(小知識)と、リンク(小知識の関連)であって、ノードを単に増やすだけでは「使える」知識にはならない。
誰がために、何をするのか、全然分からない。
イラストコーナー
なんも思いつかなくなったので終わろう……このまま投稿しよう……と思ったのだが、なんかイラストないのも寂しいなと思い、15分ぐらいで簡単なの描くぐらいならいいかなと思ったのだが、気づいたら1時間描いていた。1時間だと下ぐらいが限界……。あたり~下書き45分、色15分ぐらいか。何描こうか悩んでいた時間も含めると1時間以上使っている。ほんとは、きれいな「球」だけ描いて終わろうと思っていたのだが、全体的に中途半端になってしまった。1時間で描くのを「ワンドロ」(1hourのドローイング)というようだ。ほんと、時間はあっという間だ。
ぼーっとしている時間を、限りなく少なくしたい。
あとがき
(かっこ書きである。しかし、「ぼーっとしている時間」も含めて、時間であり、一日である。すべて100%緊張状態は続くわけがない。しかし、カットできる時間もある気がする。たとえば、仕事が終わって帰ってきたとき。明日の心配やら、今日の失敗やらで、気持ちが興奮状態である。ゆったりまったり、「映画みたり楽しも~♪」という気持ちには一切ならない。そんなとげとげした状態が1~2時間続く。当然眠れもしない。睡眠時間は最近5時間ぐらいな気がする。足りない気がするが、休日それを取り戻すかのように寝るという、まったくもってダメなパターンである。とりあえず、今日はでも、なんかラフ過ぎるイラストではあるが、まぁでも、ベタ塗でも色付けるとなんかまぁいいんじゃんという気もしてくる。ちょっとでも何か完成させると気持ちは悪くない。小さな、達成感というやつか。「希望」とか、社会をよくするための学習とか、難しいことは分からないが、小さくてもできることを、楽しみながら増やしていけるというのが、良いこと、幸せなことなんじゃないかなと思う。帰りに食べたラーメンも旨かった、今日は良い日であった、として締めくくろう)
今日の一言「終電に焦る」
あっという間に時間が過ぎた。いやまぁ、でも、土日が休みだからいっか……。いや、月曜日は早くいかねばやらなきゃいけないことが終わってない。
うーむ……。
能力というのは、同じ種類で同じ量をできる力ということである。
同じような種類のことでも、量が違えば、能力を超えている仕事なのである。
あー疲れたわ……。
描いたイラストと着色したイラストが親交ある方のサイトで掲載して頂けたのである。嬉しかった。
いやー、頂きものコーナーとかって、昔から憧れであったのである。まったく絵がかけなかった自分は、「謹賀新年」とか「キリ番おめでとう」とかのイラスト交流を見て「いいなー」と遠目に見ていた。ってかキリバンとかって言葉自体がもう懐かしいレベルの言葉なんだろうな。遅咲きの青春というのは懐古主義過ぎるか。
そして、責任とは、問題を解決することである。
上位の役職は、問題を解決する責任が重いから賃金が高いのである。
んでまー、その問題は、想定されないものも含まれる。想定できないことも発生する。自然はカオスだからだ。今までの方法は通用しないことが起こる。それを解決する責任がある。
そんなこと可能なのか。
そのための方法は、昔から考えられてきたということだ。
例えば、ニーバーの仕分け。ニーバーという政治にも神学にも大きな影響を与えた人が近現代にいたという。
ざっくり説明する。
・ 変えられないことは受け入れる平静な心をもつ。
・ 変えられることは勇気をもって変える。
・ その両者を見極める知恵を身に着ける。
こういった自己啓発本とか、方法論というのは、抽象的になればなるほど心に響きにくいが、しかし、改めて、変えられないものは変えられないのだと思い返すことは必要だろう。
ある困難な、大きな問題に出くわしたとき、立ちすくむだろう。何もできることはないような無力感に襲われることもあるだろう。
そんなときに、まずは、問題に対する行動について、変えられないことと、変えられることに分けてみるのだ。
エレファントテクニックとか、WBSとか、とりあえず作業を分けてみることが出発点に思われる。
分けた後に、それに数値で可変度をつけてみる。可変度が高いものは取り組める。可変度が低い、0のものは、取り組んでも意味はない。
問題と解決の目標はセットに思える。
不安――漠然とした不安があったとき、その不安を適切に見積もることが必要だ。いったいに何の不安なのか。
先般のコメントで、理解について説明いただいた。
腑に落ちた部分を記載する。
まず理解とは、点と関連なのであるということ。「ノード」と「リンク」という言葉を用いられていた。分かりやすい。
そして、優れている部分が次の、「客観的な理解」と「主観的な理解」を分けているところである。
客観的な理解とは、ノードとリンクとで構成されるネットワークのアウトプットの確かさで表現されるものだという。
主観的な理解とは、ネットワークのアウトプットの確かさもそうだが、その「複雑さ」も必要だということだ。
僕が幾何平均の例で、理解したとは言えない、といったのは、ある数値の集合の積の結果を、累乗根にしたもの、という理解は「ノード」でしかなく、その幾何平均がどういったケースで、どのように用いればよいかという「リンク」部分が不足しているように思える。
そして、ここから僕がふと思ったことだが、僕のその「主観的理解不足」と感じる要因が、「記憶」の確かさにあるようにも思う。
例えば、先般当ブログで出会った方(最近お姿を見かけないので心配しているが)から、人類普遍の6要素というのを教えてもらった。僕は初見だった。インプットのため、一週間ぐらい、毎朝思い出すようにしていた。
その成果を、次に示す。
復讐は許される。(やられたらやり返す)
先制攻撃は許される。(危害を加えられそうになったら先に対処する)
善行にはお返しをする。(助けられたら、お礼をする)
嘘はつかない。
約束は守る。
強者は弱者に配慮する。
たぶん、大まかにはあっている。完璧な日本語の再現はできていない。ただ、主旨はあっているように思うので、自分としては合格である。
これは単にアウトプットの確かさ、という点でも表現できるが、記憶は、すぐに薄れていくものだ。
何かを参照すればアウトプットできる、ということは少なからず多いだろう。
んで、最近の仕事は、数値を扱うことが多い。んで、その数値が誤っていると、甚大な問題というか被害というかが発生することになる。
非常に気が重い。責任が重いともいえる。
たとえば、AブックのBセルからCブックのDセルに値をコピーする作業は、誰でもできる。それが固定化されるなら、僕はマクロでもVBAでも使えるので、さっさと自動化するだろうと思う。
しかし、その簡単な作業でも、量が多かったり、例えば、その扱う数値が数千万から億レベルだと、単純な作業でも「怖い」と思わないだろうか。僕は自称HSPのつもりなので(とかっていったらもっと困ってる人に怒られるんだろうか。まぁでも、HSPチェックに割と当てはまっている気がする)、非常に怖い。
あああもう、つまらないことを書いた。そんなことはどうでもいいのだ。
そんなつまらないこと書いてどうするんだ。酒だ、酒をもってこい!! プシュ。ごく、ごく。旨い。先日も書いたが、アサヒのTHE RICHっておいしいな。生ビールじゃないビールの税率があがって、生ビールの税率が下がったらしい。令和2年10月から。確かにそんな気がする。
ビールを頑張って描いた。
なんかそれっぽさがある気がする。まぁロゴとかテキトーであるが。ただ、変な麒麟を模した絵をかくのが結構楽しかった。ロゴに書いてあるのは、「PREMIUM」「OTUKARE」「一番旨」「BEER」である。当たり前だが指かいたら隠れちゃった。
下が文字なし、トリミング前のもの。
ディープブリザード氏の動画を割と見て勉強しているのであるが、イラストの世界で構図も大事だということである。
要は、絵において、ストーリーを見る人に感じさせられるかということだ。
湯船につかる女の子がビールを持っている。仕事から帰ってきた僕を出迎えてくれているのか、もしくは、一人一日の終わりにプレミアムビールを楽しむ自分時間を過ごしているのか。そういった何か妄想を読者に与えられる絵が良いということである。なるほど。ちなみにお風呂での飲酒は危ないらしいからやめましょう。
ビール飲んでいい気分になってきたから、もう一つかいておく。下のイラストは、先週時点のものだ。
今回の完成版と似ているが、なんか違うだろう。
何が違うのか。
先週の俺は、悩んでいた。なんか可愛くない。上手くない、変だ。
でもまぁ、ビールはとりあえず今の実力は出せた気がするし、来週はこれをアップするかなぁ、そんな風に思っていた。
しかし、今日、おそらく、2~3時間で、修正したところ、どうだ、まぁまぁ、かわいくなったのではなかろうか。
理由はお分かりだろうか。
目、も、確かに直した。
しかし、原因はそれだけではなかった。
(下手な)原因の大きなところは、「頭の大きさ」であった。頭が、「小さかった」のである。
俺は驚いた。
かわいくかく、というのは、「小顔」というのをどっかで読んで覚えていた。
だから、目を小さくしたり、輪郭を調整したり、いろいろ先週も悩んで直していたのだ。でも、よくならなかった。
今日、新しい自分の目で見てみて、「あれ、もしかして、後頭部が小さすぎるんじゃ……」と思って、試しに、後ろに広がるようにかきたしてみた。
そしたらどうだ、割とよくなったのではなかろうか。その修正自体は、おそらく、15分ぐらいである。
たったの15分で、劇的ビフォーアフターなのであった。イラストの世界は奥深いものであることを、改めて知るのであった……。
まえがき
まてまてまて、先週のことがよく覚えていない。あっという間に時間が過ぎた。いやまぁ、でも、土日が休みだからいっか……。いや、月曜日は早くいかねばやらなきゃいけないことが終わってない。
うーむ……。
能力というのは、同じ種類で同じ量をできる力ということである。
同じような種類のことでも、量が違えば、能力を超えている仕事なのである。
あー疲れたわ……。
イラスト掲載
暗澹とした毎日の中で、嬉しいこともあった。描いたイラストと着色したイラストが親交ある方のサイトで掲載して頂けたのである。嬉しかった。
いやー、頂きものコーナーとかって、昔から憧れであったのである。まったく絵がかけなかった自分は、「謹賀新年」とか「キリ番おめでとう」とかのイラスト交流を見て「いいなー」と遠目に見ていた。ってかキリバンとかって言葉自体がもう懐かしいレベルの言葉なんだろうな。遅咲きの青春というのは懐古主義過ぎるか。
ニーバーの仕分け
話が変わるのだけれども、「問題」というのは、要するに通常生活や仕事の上では発生しない。通常を超える事態が起こるから問題なのである。そして、責任とは、問題を解決することである。
上位の役職は、問題を解決する責任が重いから賃金が高いのである。
んでまー、その問題は、想定されないものも含まれる。想定できないことも発生する。自然はカオスだからだ。今までの方法は通用しないことが起こる。それを解決する責任がある。
そんなこと可能なのか。
そのための方法は、昔から考えられてきたということだ。
例えば、ニーバーの仕分け。ニーバーという政治にも神学にも大きな影響を与えた人が近現代にいたという。
ざっくり説明する。
・ 変えられないことは受け入れる平静な心をもつ。
・ 変えられることは勇気をもって変える。
・ その両者を見極める知恵を身に着ける。
こういった自己啓発本とか、方法論というのは、抽象的になればなるほど心に響きにくいが、しかし、改めて、変えられないものは変えられないのだと思い返すことは必要だろう。
ある困難な、大きな問題に出くわしたとき、立ちすくむだろう。何もできることはないような無力感に襲われることもあるだろう。
そんなときに、まずは、問題に対する行動について、変えられないことと、変えられることに分けてみるのだ。
エレファントテクニックとか、WBSとか、とりあえず作業を分けてみることが出発点に思われる。
分けた後に、それに数値で可変度をつけてみる。可変度が高いものは取り組める。可変度が低い、0のものは、取り組んでも意味はない。
問題を問題として認識することが大事
というテクニックは大事だと思うが、まず、問題を適切に問題として認識することが大事だろう。問題と解決の目標はセットに思える。
不安――漠然とした不安があったとき、その不安を適切に見積もることが必要だ。いったいに何の不安なのか。
先般のコメントで、理解について説明いただいた。
腑に落ちた部分を記載する。
まず理解とは、点と関連なのであるということ。「ノード」と「リンク」という言葉を用いられていた。分かりやすい。
そして、優れている部分が次の、「客観的な理解」と「主観的な理解」を分けているところである。
客観的な理解とは、ノードとリンクとで構成されるネットワークのアウトプットの確かさで表現されるものだという。
主観的な理解とは、ネットワークのアウトプットの確かさもそうだが、その「複雑さ」も必要だということだ。
僕が幾何平均の例で、理解したとは言えない、といったのは、ある数値の集合の積の結果を、累乗根にしたもの、という理解は「ノード」でしかなく、その幾何平均がどういったケースで、どのように用いればよいかという「リンク」部分が不足しているように思える。
そして、ここから僕がふと思ったことだが、僕のその「主観的理解不足」と感じる要因が、「記憶」の確かさにあるようにも思う。
例えば、先般当ブログで出会った方(最近お姿を見かけないので心配しているが)から、人類普遍の6要素というのを教えてもらった。僕は初見だった。インプットのため、一週間ぐらい、毎朝思い出すようにしていた。
その成果を、次に示す。
人類普遍の6要素
そもそも、6要素、という言い方だったかも不明で、心配なのだが、僕が今、何も見ずにアウトプットできるのは次のことだ。復讐は許される。(やられたらやり返す)
先制攻撃は許される。(危害を加えられそうになったら先に対処する)
善行にはお返しをする。(助けられたら、お礼をする)
嘘はつかない。
約束は守る。
強者は弱者に配慮する。
たぶん、大まかにはあっている。完璧な日本語の再現はできていない。ただ、主旨はあっているように思うので、自分としては合格である。
これは単にアウトプットの確かさ、という点でも表現できるが、記憶は、すぐに薄れていくものだ。
何かを参照すればアウトプットできる、ということは少なからず多いだろう。
んで、最近の仕事は、数値を扱うことが多い。んで、その数値が誤っていると、甚大な問題というか被害というかが発生することになる。
非常に気が重い。責任が重いともいえる。
たとえば、AブックのBセルからCブックのDセルに値をコピーする作業は、誰でもできる。それが固定化されるなら、僕はマクロでもVBAでも使えるので、さっさと自動化するだろうと思う。
しかし、その簡単な作業でも、量が多かったり、例えば、その扱う数値が数千万から億レベルだと、単純な作業でも「怖い」と思わないだろうか。僕は自称HSPのつもりなので(とかっていったらもっと困ってる人に怒られるんだろうか。まぁでも、HSPチェックに割と当てはまっている気がする)、非常に怖い。
あああもう、つまらないことを書いた。そんなことはどうでもいいのだ。
そんなつまらないこと書いてどうするんだ。酒だ、酒をもってこい!! プシュ。ごく、ごく。旨い。先日も書いたが、アサヒのTHE RICHっておいしいな。生ビールじゃないビールの税率があがって、生ビールの税率が下がったらしい。令和2年10月から。確かにそんな気がする。
イラストコーナー
先週途中まで(線入れ、下塗り)までしていた作品を今日完成させたのでアップロード。ビールを頑張って描いた。
なんかそれっぽさがある気がする。まぁロゴとかテキトーであるが。ただ、変な麒麟を模した絵をかくのが結構楽しかった。ロゴに書いてあるのは、「PREMIUM」「OTUKARE」「一番旨」「BEER」である。当たり前だが指かいたら隠れちゃった。
下が文字なし、トリミング前のもの。
ディープブリザード氏の動画を割と見て勉強しているのであるが、イラストの世界で構図も大事だということである。
要は、絵において、ストーリーを見る人に感じさせられるかということだ。
湯船につかる女の子がビールを持っている。仕事から帰ってきた僕を出迎えてくれているのか、もしくは、一人一日の終わりにプレミアムビールを楽しむ自分時間を過ごしているのか。そういった何か妄想を読者に与えられる絵が良いということである。なるほど。ちなみにお風呂での飲酒は危ないらしいからやめましょう。
ビール飲んでいい気分になってきたから、もう一つかいておく。下のイラストは、先週時点のものだ。
今回の完成版と似ているが、なんか違うだろう。
何が違うのか。
先週の俺は、悩んでいた。なんか可愛くない。上手くない、変だ。
でもまぁ、ビールはとりあえず今の実力は出せた気がするし、来週はこれをアップするかなぁ、そんな風に思っていた。
しかし、今日、おそらく、2~3時間で、修正したところ、どうだ、まぁまぁ、かわいくなったのではなかろうか。
理由はお分かりだろうか。
目、も、確かに直した。
しかし、原因はそれだけではなかった。
(下手な)原因の大きなところは、「頭の大きさ」であった。頭が、「小さかった」のである。
俺は驚いた。
かわいくかく、というのは、「小顔」というのをどっかで読んで覚えていた。
だから、目を小さくしたり、輪郭を調整したり、いろいろ先週も悩んで直していたのだ。でも、よくならなかった。
今日、新しい自分の目で見てみて、「あれ、もしかして、後頭部が小さすぎるんじゃ……」と思って、試しに、後ろに広がるようにかきたしてみた。
そしたらどうだ、割とよくなったのではなかろうか。その修正自体は、おそらく、15分ぐらいである。
たったの15分で、劇的ビフォーアフターなのであった。イラストの世界は奥深いものであることを、改めて知るのであった……。
