忍者ブログ
   
中途半端になった休日
2020/10/26 01:50 | Comments(2) | 思考及び書くこと
今日の一言「全力で休日しよう」「来週は……」

まえがき

 今週は天気良かったのか。全然、知らなかった。来週の目標は、あれだ、土日を迎える前に、土日の天気を調べるということにしよう。めちゃくちゃ、低い目標だが、それすら達成できるか分からない。

 それで、今週の休日は、ダメダメだった。またいつぞやかのように、ずっと眠っていたようなものだった。いや、一時は起きたりもしていたが、起きたり寝たりで、めりはりがなかった。布団の上でいた時間が長かった気がする。書棚の手の届く範囲の漫画読んだりしていた。

 最低限、一度は出かけなければ具合が悪くなるというのも分かっていたので、カフェに勉強に出かけた、が、たいてい、カフェに行けば目は覚めることも多いのだけれども、今週はそれでもダメだった。

 とにかく、ダメだった。ダメな休日だった。ああ……もう……。

イラストコーナー

 そんな状態では、まともな活動はできない。
 今週はイラストなしのまま終わってしまう……いや、イラストというより、ブログを書く気力すらない……、いやいや、それは、だめだ、やろう。

 ということで、イラストコーナーである。




 ざつだ!!
 まさに落書きである。一応新しいことにいろいろ挑戦している形跡はあるものの、実を結んでいない。パースをもっとしっかり意識して、身に着けて、アウトプットできるようにならないと、背景付きのイラストを描けるようにはならないだろうなと思った。

 ちなみに、めっちゃ旨そうなラーメンを描こうという目的で描き始めたはずが、なんか出来上がったのは「孤独」といったタイトルが似合いそうな作品となった。作品――というには、ラフすぎる状況だが。


 そうだ、やはり、目標は大事だ。
 目標は、とにかく今年は、毎週一枚は描いて画力をアップさせ、来年になったら、令和3年1月~3月の間に、ピクシブデビューして、イイネを10個もらうのだ。
 そのための、構想を練る必要もある。

 どんな作品にすべきか。
 想定しているのは、二次創作である。何故なら、「タグ」的に多くの人に目に留まりやすいからだ。
 その時点で流行っていて、さらに自分も好きな作品にするのがベターだろう。
 自分も好き、というのが大事だ。何故なら、品質に直結するからだ。
 鬼滅の刃は流行っているが、そんなに描こうという強い気持ちは沸かない。シュタゲあたりかな。複数作品のコラボでもよい気がする。
 構図も考える必要がある。

 いやそもそも、「いいね」をもらうために頑張るというのは、よくないことだろうと思う。
 描きたいからかく、それだけでいいはずだ。しかし、それだと、モチベーションが続かない。実際に、下がっている気がする。当時に比べたら。しかし、色を付けてない頃、線画――というか、今にして思えばラフレベルの時期――今年の6月~7月ぐらいは、そんなにモチベは高くなかった。とりあえずルーチンだしな、ぐらいで描いていた気がする。今、そういう時期なのかもしれない。

あとがき

(かっこ書きである。あっという間に、12月が来る気がする。人生あっという間だな。悔いのない人生にしよう。――なんか、なんだっけ、なにか、思い出せないんだが、やっぱりなんか人間関係面倒くさいな、と、そんな風に思ったことが、先週あった気がした。社会性、コミュニケーション、情報共有、ホウレンソウ、人は一人では生きていけない、共同作業、――そういった様々なもの、大事だ、非常に大事だ、大事なのは分かっている、が、なんかそういうのに向いていない気質な気がしてならない。なんでだっけ? 思い出せない、何があったか、具体的エピソードが出てこないんだけど、会社かどこかで、「ほっといてくれ」的な何かがあった気がする。ネットという適切な距離感が保たれる空間に慣れすぎているのかもしれない。なんか、話しかけられたりすると、それまでの作業とか思考が全部すっ飛ぶんだよな。YOUTUBEの途中から再生ではなく、また最初から再生みたいになる。オンラインゲームのパーティで、最悪な結末を迎えたというこんな話も読んだ。ネットでも、こじれるときはこじれる。しかし、ネットのよいところは、「もうギルド抜けます」ってなれば関わらなくて済むようになるし、それでもダメなら「もうゲーム辞めます」で完全シャットアウト可能な点だ。そういった選択的人間関係が可能になったという点だけを取り上げれば、なるほど人間関係の希薄化というのはあるのかもしれない。しかし、「濃厚」なやり直しのきかない人間関係というのは、むしろ私は害であるような気がしてならない――では家族は? 家族は、濃厚な、濃密な関係の代表格だろう。だから、家族をつくらない人も増えているのかもしれない。まぁでも今この時間に思うに、創造的な趣味があれば濃密な人間関係はいらない気がする。その、「濃密」なり濃厚の定義は曖昧だが。それと、創造的な趣味が必要か、についても不明だ。なんとなくそう思っただけで根拠はない。ゲームは、創造的な趣味ではない気がする。しかし、「やばたにえん」というプレイ動画は面白かった。ああ、そんな、布団の中でそんなことばっかりしていたから、土日は何もできなかったのか。まぁいいや、来週の自分に期待して、もう終わりにする)



拍手[1回]

PR

コメント

 感化されてペンタブ買ってしまったではないですかどうしてくれるんですか責任取ってくださいね(´・ω・`)
 とまぁ冗談はさておき、とにもかくにもペンタブで線を描くという感覚に慣れるためにちょいちょいいじっていますが、まだ「ただ線を描いて色を落としているだけ」な段階ですね。

 そういえば、「ささっと描いたそれなりの完成度のファンアート」と「時間かけて頑張ったオリジナルの絵」では前者の方が受けが良いことが多い、なんてのがイラストレーターたちの「あるある」だったりするそうで。
 オリジナルでも、看板キャラ、マスコットキャラ的な、「自分が飽きずに繰り返し描いて載せられる存在」みたいなのを生み出して、そこから認知を広げていくというのもいいかもしれませんね。

>「濃厚」な人間関係
 いわゆる毒親とか、本人にとって害にしかならないのに状況や周囲の認識から離れるに離れられない関係というのもありますしね。
 濃厚な関係性だから良い、というものもあれば、だからこそ度し難いというものもあると思います。そして、希薄な関係においても然りで、結局のところ「良い悪い」で語ること自体がナンセンスなのかもしれません。
 むしろ、そんな「いつでも切れてしまう」「いつ切れるか分からない」ような希薄なはずの関係でありながら長く続いているものこそ貴重な関係性と言えるのではないでしょうか。

 ゲームそれ自体は創造的な趣味ではないかもしれませんが、創造に繋がるかもしれない想像的な趣味ではあると思ってます。
 私にとってオンラインゲームが長続きする時って、一緒に楽しく遊べる相手(決まった特定の誰か達だけではなく、一期一会のマッチングであろうとも)がいる場合がほとんどで、そういう人との繋がりは設計されているゲーム部分だけではない遊びや楽しみ方が生まれるから続けられているような気がしています。
 かつてラグナロクオンラインを遊んでいた時期も、リアルの友人何人かと始めたのですが、それ以外にも偶然仲良くなった人とも良く交流するようになって、モチベーションが維持されていました。
 でもこれ、ゲーム以外のオンラインの関係にも言えることなんじゃないかと思いますよ。
「誰からも反応もらえなくていい。自分は好きに発信をし続ける」
 って思いを持ち続けて活動するのって、鋼みたいな強靭な精神がなければ難しいと思いますから。
posted by 白銀URLat 2020/10/28 22:54 [ コメントを修正する ]
>感化されてペンタブ買ってしまったではないですかどうしてくれるんですか責任取ってくださいね(´・ω・`)

 すみません……!
 責任とって、毎週必ず白銀さんのイラスト更新見に行きますね(笑)
 いやぁでもしかし、自分のやったことで、他の方への影響を与えられるってのは中々嬉しいものですね。

> とまぁ冗談はさておき、とにもかくにもペンタブで線を描くという感覚に慣れるためにちょいちょいいじっていますが、まだ「ただ線を描いて色を落としているだけ」な段階ですね。

 早速色付けまで! いやしかし、白銀さんとは土台が違うので、自分と比べるだけ失礼になってしまいますね。すぐに遠く見えないところまで行ってしまわれそうですが……。
 とはいえ、身近にイラスト(どころかその他創作)する人がいないので、お互い切磋琢磨していけたら嬉しいですっ!

> むしろ、そんな「いつでも切れてしまう」「いつ切れるか分からない」ような希薄なはずの関係でありながら長く続いているものこそ貴重な関係性と言えるのではないでしょうか。

 逆説的ですが、おっしゃる通りと思います。あれですね、お金がなくなってもなお残った人が本当の友人になった、的なそんな感じのエピソードチックなのに似てる気がします。

> ゲームそれ自体は創造的な趣味ではないかもしれませんが、創造に繋がるかもしれない想像的な趣味ではあると思ってます。

 ゲーム禁止条例が発出された香川県に言ってやってください!(笑)
 まぁ、何事も「やりすぎ」はよくないですからね。嗜好性が高いというのはそのとおりと思いますし。その点はギャンブルに近いかもしれないとも思います。
 しかし、ゲームにはストーリー性もあって、物語に触れる――しかも小説や映画と違い、実際に自分がロールプレイ(操作)できるというのは、ゲームの色あせない魅力に思います。

>「誰からも反応もらえなくていい。自分は好きに発信をし続ける」
 って思いを持ち続けて活動するのって、鋼みたいな強靭な精神がなければ難しいと思いますから。

 そうですね。
 そもそも「誰にも伝わらなくてよい」と、本当に思っていたら、「発信」なんてしない気がします。
 僕も、このブログもそうですが、「たくさんの人」に何か伝えようという気持ちはありません。でも、白銀さんをはじめとして、ふらりと立ち寄ってコメントしてくださった加古歩さんとか、何かしらの強い関わりをもてる可能性、そういったのはとても大事にしたいと思っています。
posted by endoat 2020/11/02 00:56 [ コメントを修正する ]

コメントを投稿する






Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字 (絵文字)



<<休日も仕事になりだした(統計学の本を買った) | HOME | 希望のない社会(ある大学教授のお話)>>
忍者ブログ[PR]
アクセスランキング