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暗黒モードだって徹底する
2016/12/14 19:00 | Comments(0) | イライラ対処
今日はかなりいやぁな仕事があったが、終わってみるとお客さんから意外に褒められたというか感謝された。

普段気難しい相手なので、逆に嬉しかった。

後は、知人と久しぶりの会食をした。



しかし、帰りは、23時となり、気分もよくない。



なんか、誰か、こんなときは面白いブログでも書いてくれよ。

リアル物語が読みたいんだよ。最近、婚活頑張っている女性のブログも読んでるけど、本当面白い。残念ながら、下手な小説より断然面白いよ。

でも、こういうときに限って誰も更新しない。

更新した人も、短い。つーか、アメーバブログ、クソ過ぎる。いつ開いても、スマホからだと読み込み遅すぎる。



こういうときは、自分の過去ログを読む。


完全に自画自賛、手前みそだが、

10個に1つぐらいで、そのうち三割ぐらいの内容は、結構面白い。最近読了押してくれる方が減っていったので、あーやっぱりつまんねーんだろーなーと思っていたけど、いや、たまには面白いよ、自分の書いた内容だが(笑)


まぁでも、面白いというより、きもい、と思う人が多いんだろうなぁ。
そんななか、自分で面白いとか、もう数ヵ月たってるから、書いたときの思考も感情もなくても、それでも面白いと少し思うのは、きっと、やっぱり俺は変人なのだろうか。

ある飲食店においての客の会話


青年二人が、人生について、どうやって生きようか、仕事しようか、対人関係のありかたとか、色々話してるのが聞こえてきた。

いいぞ、色々なやめ若人よ。

そんななか、誰でも苦労して生きてるのを知って、自分も頑張ろうと思った、との発言があった。



うーん。いい考え方だけど、危険だな。
苦労というのを、相対化して自分のモチベーションにするのは良い方策とはいえない。


もっというと、苦労を前提に考えてしまってる時点で思考エラーだ。

頑張りゃ報われる、って考えは即刻捨てていい。
てめーの頑張りなんて、他者に伝わらなきゃ無価値だ。逆に、上手くその頑張りを伝えられるなら意味がある。しかしそれは、もっというと、自分自身で頑張ってる、と感じる必要がない、ということでもある。


わかるかな?

数ヵ月後の俺なら、分かってくれるだろうか?

最近、予約投稿をしている。
いまはまだ、数日程度だけど、忘れた頃に投稿されるぐらいになったら、新しい試みで面白いかなとか。



あーしかし、面倒だなぁ。
とか、そういったこと書くのを、無駄なのに、何故書いているのか、と、そのこと自体を問題にしている記事とか面白いよね。


話が少し違うが、

貯金頑張ってきて、いっぱいたまったなぁ、嬉しいなぁと思ってる人がいて、インフレなったらどうするのだろうか。

資本主義はイデオロギーであり、一種の信仰に過ぎないが、その支配下におかれると、お金が絶対価値に思えるが、そもそも金は流動的なものだ。

稀少性で価値が高まったり、バブル的に投資が投資を呼ぶといった自体もある。修正された資本主義と様々な現代システム、制度によって安定ははかられてるとはいえ、普通に交通事故で死ぬリスク程度にはあるだろう。


お金にもコミットできず、

恋愛にもコミットできず、

あとはなんだ? にんげん、人生で、絶対的なものは何かあるか?

友情? 家族? 上司? 仕事?

時間? 寿命?


そうだな、いずれは死ぬ、ということは、今の僕も信じられている。


めめんともり


僕らは死ぬ。

いつか死ぬ。

死ぬとは何だ?

死ぬとは無だ。無駄か?

闇だ、ゼロだ、終わりだ。

しぬ、しぬ、死ぬ……


あぁ……めちゃくちゃ怖くなってくるな。

なんだろか。
頑張れば頑張るほど、無気力というか、虚しさが増していく。ゆいつ、物語を創作したりサイトつくったり、この書いていること自体は、無気力を助長しない。


だから、くだらなくても、書いていいのだと、過去の僕はかっぱしていた。ありがとう、おかげで、いま、なにもしたくなくて苦しくとも茫然としているなか、なんとか、時間を過ごせている。ありがとう、ありがとう。

救ってくれる人


離婚という自体に陥ったとき、僕が奇跡的に救われたのは、ある二方のおかげだと書いた。

もっと遡れば、その前の自分自身の危機を救ってくれたのが、反転してその離婚の危機を引き起こした方だけど、それ以前の危機においても、僕の思考に影響を与えたある一方がいた。

ゆえに、僕は孤独ではなく、多くの人に支えられてここまできた……と、書くのが一般的に美しい文章だが、残念なことに、家族兄弟を含めても、10人に満たないとしか思えない。


いやもちろん、ここでの支えというのは、存在規定レベルの重大な案件において、ということであって、それいがいにお世話になった人は多いだろう。



だが、正直、残念なことに、申し訳ないが、どうでもいいレベルだ。その程度俺も他者に与えているし、与えられてもいるし、その程度だ。

いいぞもっとやれ


大分、暗黒モードになっているな。

帰宅後

 いいぞ、もっとやれ。
 何故、
もっとやれ、なのか。

これ書いてるときは本当に気分はよくないが、実はあとから読んで、あぁわかるわかる、となることが多いのである。

それは特に、本当にかなり落ち込むまで表現していた方がいい。
鬱の人は、重度になると、言葉がなくなるだろう。しかしだ、であればなおさら、その描写の価値というのはあるのではと思う。


よく、中高生のブログとかツイッターとかでも、まぁ日々の生活の不平不満とかは見受けられるし、街を歩いていても聞こえてくる。

けれども、所詮はひとこと二言の、賞味30秒の感情に過ぎない。

お前、よく人のこと書けるなと自分でも思うが、愚痴が多い人は嫌いである、この、嫌いという表現も実は厳密ではない、そもそも、嫌いになるほど興味をわけない、というのが実態だ。
人を憎んだり嫌ったりできるのは、ある程度の関係の上での話だ。あまり関わらなくていいひとが相手に、あいつは好きだ嫌いだと、よく女性のコミュニティにおいてはそれが噂話としてネタになって、そのコミュニティ維持に貢献するけれども、正直自分はそこに価値を見いだせない。

このあと、孤独についての記事を書くだろうが、むしろ一人でいた方がいい。むしろ、他者のなかにいることがもっと、孤独を深める可能性さえある。


愚痴も表現になれば面白い



愚痴を嫌いだといった。
一方、このブログ、特にこの記事なんてぐちでしかない。
が、
何故あとから読んで面白いと思うことがあるのか?


それは、自分のブログだけじゃない、負の感情や、日常の不満や問題点を表現されている方々の記事は、やはり面白いのだ。


それに、生産的な価値はないかもしれない

しかし、ランチで職場の上司の愚痴をいう程度のカタルシスよりかは、よっぽど有意義だ、というのはすぐさま、ある、特定の人の話題、に止めてはならないことかいておくべきだ。


僕が表現と書いたのは、
具体的描写が面白いとか、詳細だとかそういうことではない、

むひろ、抽象化である。

簡単に書けば、こういうことがあった、それはこうだから、社会は、人間は、現代は、こうこうこうだと感じる、と。

そういうロジックになってる話はちょっと面白い可能性が増える。

いつぞやの、ある、青年たちは、その結論がどうであれ、こういう、経験をして、こういう事情から、今後こうしていこうと思う、というロジックになっていた。
だから、僕は内容に共感はなかったものの、そういう考え方があるということを知ること自体面白かったし、興味がわいたのだ。

面白い記事を書くには?



これは、一般的に面白いもの、とか、そんな意味ではない。
自分にとって、今後未来の自分が読んだときあっ、ちょっと笑える、とか、面白いなとか、役に立つ、とかイライラの溜飲がおさまったとか、いまも、10に1つくらいはそういうのあるが、その、割合を増やすにはどうしたらいいか?


まず、暗黒面に堕ちる。

ノンストップでわきあがる感情というか言葉を書きなぐる。


少し落ち着く。


書いた内容を構造解析する。

その上で、書いた内容にたいしての感想をのべる。



スケルトン作るとこんなものか。

抽象化するとものすごい簡単なんだけど、実践するのは難しいかな。
まぁ、今後、このあたりを、カテゴリ分けと合わせて注意していくことにしよう。







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