時間ない!
いやそれは、主体的でない言葉だ。時間はただ無常に過ぎていくのみである。
とか、いったところで、やっぱり、時間ないわなぁ。
帰宅がやはり23時過ぎると、ほかにできることがない。その中で、ひとつふたつだけ、選んで行う。その優先度は、先日書いた通り、物語だ、とはいえ、他にゴミ捨てとか作業があったり、やらなきゃまずいこともあるので、やっぱり、時間ない! という感覚になる。
だが果たして、本当にそうか?
もっと前から準備し、対策をしておけば、回避できたのではないか?
生きる意味は重要だ、としながらも、未来なんて分からない、と思う、
それは、明日のことでさえもそうだ。
ある方のスケジュールみせてもらったが、分刻みで予定がはいっていた。
サイト構築が思いの外進んだのが日曜日だが、土曜日の予定によって、身体と精神的には、正直休みなしの二週目に突入した感覚である。
新しいデータベースの設計と構築ができたのは進捗だなぁ、この、サイトのことと、このブログのこと関係しないし
そして、二日後のいまにおいて、何が、残すことなのか。
感想。
人に伝えるプラス要素
断片的な過去の記憶
テーマパークで過ごした甘い一夜
家族
人
拒絶といじめ
不合理、理不尽
目のいたさ
仕事が重い。
ある、精神科医のブログにおいて、恋愛至上主義も崩壊した、とあった。
この恋愛至上主義への懐疑はかなり以前からあって、その要請から逃れるため、様々な努力をしたことは記憶に新しい。
そしてこの記事では、新しい価値観を、やはり早急に探し求めなければ、いつまでもレイトマジョリティとして、苦しみ続けるだろうということだ。
ある方が、小説は、ある程度の技術がそなわれば、答えのない無限大の世界であると述べられていた。
視点や気付きが神がかっている。しかし、重要なのは、そのあとの感想や感覚の表現、すなわち、答えがない何でもありという価値観自体への疑念という点。
これは、ものすごく重大で重要な感覚に思われる。
世界の反転、価値観の反転、劇的な思考の変化は、莫大なエネルギーを必要とする。
残念なことに、この問題点を、うまく表現するすべをいまはもっていない。
だが、この問題が明確になれば、いわゆるふわふわした、生きづらさ的な感覚を、ようやく言語表現としてとらえることができそうなのだが、いま、こうして言語化していくなかで、ますます遠ざかる感覚である。
消えていく、消えていく、世界が、
詩的な表現にならざるえないほど、この問題は、未踏の場所でに或る
確信的に増していくのは、この、世界にたいしての、アプローチとしての、実感めいたものである。
認知するものが世界であり、この認知は己の生み出すものでありかがら、その自らはせかいにより規定され続ける。
この連関により、僕の感覚は変化し続け、そして、緩やかに思うがままにかたちづくられる
異なる時系列の短文をひとつの記事にすると、カオスだな。
短い記事で投稿したが、あまりにつまらないと思って消してしまった。それをいくつかまとめてみた。
書いているときの感覚が違うとどうだろう。
とりあえず、
もういろいろやってられねぇと、泣き言やてきとーなことを言いまくって逃げ出した!
まぁそのおかげで、上手くいった部分もありそう。
他の人の約束とかも反故にした。
そのせいで、自分を責めるクソ良心の奴が俺を苛めてくるが、知るか、と言いたい。
言いたいけど、どこか、完璧を求めてしまう、誰からも好かれたいと思ってしまう。
ああ、面倒だ!
誰からも好かれたいために、そもそも他者存在自体が面倒なものにかわっていく。
やりたくない。
その感情は、面倒だ、という感情である。
面倒だ、とはなんだ?
つまらない、苦労する、嫌な思いをするものが、面倒なものだ。
じゃあ、小説書くのとか、ピアノの練習とか、それは時に苦しいが、面倒なものなのか?
面倒なものは、できるだけやらなくていいのか?
ストイックさとは何か。自分に厳しいことだ。自分に厳しいとはなんだ? いやなことを、苦しいことをむりやりすることか?
仏陀さんや、ヘルマンヘッセのシッダールタさんほどじゃないが、嫌なことを耐えるのであれば、俺は結構頑張れる。頑張れていた、やんなきゃだめなこと、といわれたら、感情なんて後回しである。
その結果、その結果として、この世界が残酷で苦しみに充ち溢れて無味乾燥でクソつまんねえものに見えてきたわけだ。
いや違うのか?
そもそも僕に、感情はあったのか?
何か、やりたいことはあったのか?
面倒じゃないことってあったのか?
いやそれは、主体的でない言葉だ。時間はただ無常に過ぎていくのみである。
とか、いったところで、やっぱり、時間ないわなぁ。
帰宅がやはり23時過ぎると、ほかにできることがない。その中で、ひとつふたつだけ、選んで行う。その優先度は、先日書いた通り、物語だ、とはいえ、他にゴミ捨てとか作業があったり、やらなきゃまずいこともあるので、やっぱり、時間ない! という感覚になる。
だが果たして、本当にそうか?
もっと前から準備し、対策をしておけば、回避できたのではないか?
未来予測
生きる意味は重要だ、としながらも、未来なんて分からない、と思う、
それは、明日のことでさえもそうだ。
ある方のスケジュールみせてもらったが、分刻みで予定がはいっていた。
答えのない毎日が
サイト構築が思いの外進んだのが日曜日だが、土曜日の予定によって、身体と精神的には、正直休みなしの二週目に突入した感覚である。
新しいデータベースの設計と構築ができたのは進捗だなぁ、この、サイトのことと、このブログのこと関係しないし
そして、二日後のいまにおいて、何が、残すことなのか。
感想。
人に伝えるプラス要素
断片的な過去の記憶
テーマパークで過ごした甘い一夜
家族
人
拒絶といじめ
不合理、理不尽
目のいたさ
大音量で
仕事が重い。
恋愛至上主義
ある、精神科医のブログにおいて、恋愛至上主義も崩壊した、とあった。
この恋愛至上主義への懐疑はかなり以前からあって、その要請から逃れるため、様々な努力をしたことは記憶に新しい。
そしてこの記事では、新しい価値観を、やはり早急に探し求めなければ、いつまでもレイトマジョリティとして、苦しみ続けるだろうということだ。
虚無主義の否定
ある方が、小説は、ある程度の技術がそなわれば、答えのない無限大の世界であると述べられていた。
視点や気付きが神がかっている。しかし、重要なのは、そのあとの感想や感覚の表現、すなわち、答えがない何でもありという価値観自体への疑念という点。
これは、ものすごく重大で重要な感覚に思われる。
世界の反転、価値観の反転、劇的な思考の変化は、莫大なエネルギーを必要とする。
表現の足りなさ
残念なことに、この問題点を、うまく表現するすべをいまはもっていない。
だが、この問題が明確になれば、いわゆるふわふわした、生きづらさ的な感覚を、ようやく言語表現としてとらえることができそうなのだが、いま、こうして言語化していくなかで、ますます遠ざかる感覚である。
社会要請の崩壊
消えていく、消えていく、世界が、
詩的な表現にならざるえないほど、この問題は、未踏の場所でに或る
確信的に増していくのは、この、世界にたいしての、アプローチとしての、実感めいたものである。
認知するものが世界であり、この認知は己の生み出すものでありかがら、その自らはせかいにより規定され続ける。
この連関により、僕の感覚は変化し続け、そして、緩やかに思うがままにかたちづくられる
そして三日後
異なる時系列の短文をひとつの記事にすると、カオスだな。
短い記事で投稿したが、あまりにつまらないと思って消してしまった。それをいくつかまとめてみた。
書いているときの感覚が違うとどうだろう。
とりあえず、
もういろいろやってられねぇと、泣き言やてきとーなことを言いまくって逃げ出した!
まぁそのおかげで、上手くいった部分もありそう。
他の人の約束とかも反故にした。
そのせいで、自分を責めるクソ良心の奴が俺を苛めてくるが、知るか、と言いたい。
言いたいけど、どこか、完璧を求めてしまう、誰からも好かれたいと思ってしまう。
ああ、面倒だ!
誰からも好かれたいために、そもそも他者存在自体が面倒なものにかわっていく。
面倒とは何か
やりたくない。
その感情は、面倒だ、という感情である。
面倒だ、とはなんだ?
つまらない、苦労する、嫌な思いをするものが、面倒なものだ。
じゃあ、小説書くのとか、ピアノの練習とか、それは時に苦しいが、面倒なものなのか?
面倒なものは、できるだけやらなくていいのか?
ストイックさとは何か。自分に厳しいことだ。自分に厳しいとはなんだ? いやなことを、苦しいことをむりやりすることか?
仏陀さんや、ヘルマンヘッセのシッダールタさんほどじゃないが、嫌なことを耐えるのであれば、俺は結構頑張れる。頑張れていた、やんなきゃだめなこと、といわれたら、感情なんて後回しである。
その結果、その結果として、この世界が残酷で苦しみに充ち溢れて無味乾燥でクソつまんねえものに見えてきたわけだ。
苛々してるがゆえの戯れ言か?
いや違うのか?
そもそも僕に、感情はあったのか?
何か、やりたいことはあったのか?
面倒じゃないことってあったのか?
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