今日の一言「何だか二日間ぐらい調子が良くないな」「失言か、頑張ろうという思いが原因なのでは?」
体調が悪いわけでもない。何か、特段、イベント(事象)が発生したわけでもない。
ただ、得体のしれない苛立ちが身体の周りを浮遊しているようだ。
何故だ? 何があった? 俺は誰だ? 俺は何を求める?
これは、この感覚は、「生きる意味は何ぞや」とか、随分ユートピア的なことをのたまっているときには、発生していない状況である。これは、今までにあった感覚・感情なのか、それとも、上手く表現できなかっただけなのか。
分からない、ただ、あまり、良い状態ではなさそうである。この状況のときに、どう対応すればよいか、よく分からない。風呂か? ごはんか? ううむ、生理的な原因ではないのかもしれない。
でも、疲れるもんは疲れるんだ。休む時は休むんだ。そのバランスである。バランス……随分テキトーなものいいである。
精神医学において、精神療法と薬物療法とがある。どちらが重要かとか、そういう問題じゃない。鬱がひどくなって今にも自殺しそうな人に、薬の処方が必要な時もある。しかし、今まさに生きる意味を失って自殺しようとしている人へ、生きる意味を見つけるための療養が必要なときもある。
書きたいことは、結構、あったはずなのに、どんどん抜け落ちていく。そして、今、ここで、アウトプットしようとしたとき、何も浮かばない。この哀しさ……、自分というモノが、抜け落ちていくような感覚。
目のメタファー。正常な目の機能は、目、それ自体を見ない。異常になると、目、それ自体が見えるようになる、それは、まともな視野を保てないだろう。
自己、も同様であるという。正常な自己は、自己自身を見ない。自己距離化、自己超越化されている。
何か結節点、書くことの、そのきっかけ、契機。
それが、抜け落ちていく。
以外に早く帰ってきたと思ったら、既に23時を過ぎている。3時間ぐらいは、身体の重さで何もできなかった。寒かったのだ。部屋が、寒かった。
あーその、なんだ、ダメだ。書けない。
余計な通信をしない、とすれば、ダラダラとネットをみるようなこともなくなると思う。時間と、お金の節約だ。
電気代は、好き放題に使って4000円~5000円ぐらい。水道代は2か月で3000円ぐらい。ガス代が3000円~4000円ぐらい。ネットが、5000円ぐらい。
そうすると、インフラで2万3000円ぐらいになっていることになる。
うーむ。高いな。減らそう。
物も、もっと減らそう。書類は大分減ってきた。今年は整理の年だ。物も、お金も、思考も、全般的に、クリアにしていく。
そういや、大学の同窓会みたいな通知がきた。出会い(職業・異性)とか求めるなら、行った方がいーんだろうな。
気乗り、しないな。
何だか最近、先輩からの飲み会の誘いとかも断っている気がする。付き合い悪いとか思われてきたかな、さすがに。まぁ仕事が嘘じゃなくて忙しいってのもあるのだけれど、実際外の部署にいると分からないからな。
趣味のサークル的な奴(異性的なのは無い)も、先日は行ってきたけれども、何だか、気乗りがしていなかった。何故だ、まぁ、行ったらそれはそれで楽しかったけれど。
投資のセミナーにも参加してきた。一つ二つ、やってみようかな、というのがあった。けれども、気乗りがしない。
よくあるやつだ。躁鬱を繰り返すのである。それほど最近「躁」な気はしていなかったけれども、そうだったのだろう。
この状態になると、これまで続けられている、ルーチン作業、筋トレ、ストレッチ、音読なども、何だかめんどーになってくるのである。そして、一日、二日とやめてしまい、そのまま、ずーっと頽落堕落に陥っていくのである。
ここはまた、しばらく、ルーチンを維持することに意識を集中しよう。新しいこと、ヤメ。人と関わること、ヤメ。
無理しない。ここは、体力、精神を温存する。
いつも、この状態で、逆に「焦って」しまい、ますます鬱状態がひどくなっていくのである。そろそろ、自分の心身について、理解と実践をちゃんとさせたいものだ。
気乗りしない、というか、何だか、苛々めいた感覚なので、ちょっといつもと違うのかもしれないが。
む……鼻水が、これは、風邪気味なのかもしれない。やっぱり、睡眠不足は良くないのだろう。寝るか、しかし、昼寝して、変な時間に目が覚めてしまった。
けれども、とあるリンク先の友人(※)のブログにおいて、ウォーキングしたとか、寝過ごして失敗したとか、何だかやる気でねーなぁとか、そんなの読んでると、ああ、あの方でもそんなこともあるんだなぁ、そんな風に感じることもあるんだなぁ、と思って、ちょっと面白かったり、やる気になったりするから、あながち、生活感的な記事が完全無駄、ではないと思うのだ。
これが、多分、FBとかツイッターとかだったら、うぜぇ、ってなるのかもしれない。その辺、よく分からないし、やろうとも思わない。というか、そう、ツイッターなんだが、そんなに呟きたいと思うことがない。いやお前、こんな長い愚痴とか書いとるやん、というのはその通りだけど、短い言葉で「疲れたー」とか、「ねむひ」とか書いて、それ、何? みたいな。これ、あまり公に書けないけれども、と言いつつ苛々のせいか、書いてしまうのだが、今とあるアカウントでやっているツイッターで、宣伝とか、そういった中身のない呟きが多すぎて、どうにもあまり、使う気になれない。正直無駄な情報が多い。俺の使い方が悪いのかもしれないが、例えば、世界の綺麗な風景BOTとか、創作に必要なネタBOTとか、定期的に面白い情報を投下してくれるものを読むのは良いのだけれども、同じ作品の宣伝を、何度も何度も繰り返したり、文脈が無いと分からないようなつぶやきだとか、先述の中身のないつぶやきだとかが多くて、辟易である。
(いや、最近ツイッター始められた某方のことは全く意図していない。サイト更新しました! とか通知は良いのだ、逆に嬉しいものである)
※友人、と書くと、おこがましいのだろうか? 友人……と言っていいのだろうか? 相手からはそんな風に思われてないのではないだろうか? そんな思いが即座にはしる。ただ、友人って、何なんだろう。会社で知り合って、趣味の活動を一緒に休日にする人もいるけれども、会社で知り合った人は友人とは言ってはいけないのだろうか? 年齢が違うと、先輩後輩、になって、友人ではない? ネットで知り合った人は友人ではない?
なんだろ、俺は正直、どうでもいいと思う。他者との関係に対して、知り合いだとか、友人だとか、親友だとか、知己だとか、そんなレッテル貼ることに意味を感じない。とはいえ、その、関係の社会学的な、どこからが友人という状態になるのか、それが社会状況や、年齢コーホートや、文化価値などに左右されるのだろうか、という研究をやってみようと思ったことはある。先行研究が少なすぎてやめた。という、誰もやらないというのは、やっぱり、どうでもいいことなんだろう。
ふむ……しかし、若干、書く前よりは、気分が落ち着いてきたような、そんな気もする。
やっぱり、最近、何を書くかとか、構成とか考え始めちゃったのが、ストレスになっていたのかもしれない。
2016年の4月~6月ぐらいは、もうほんと脈絡なければ、テキトウ感まんさいである。いや今もそうだけれども、もっとひどかった。この「苛々対処」記事カテゴリは、ほんとチラシ裏みたいな感じだ。というか、このチラシ裏って、何だろ、チラシの裏って普通印刷されていて、あんまり後ろが白紙のチラシってみたことないんだけど。ってこう、どうでもいいことを書いているのである。
そうさなぁ、今日はもう時間切れだけど、またしばらく、無茶苦茶感情の吐露的なの書いてもいいかもしれない。それを公開するかどうかはおいておいて……いや、公開しないなら書かなくていい。公開できない感情ってなんだよ。素直になるんだろ? 率直に生きるんだろ? 自分を隠して生きるのはもう沢山なんだろ?
おーいい問いかけじゃないか。好きだよ、そういうの。ちょっとまた、書く気が発生してきた。そうだな、問いかけ、大事だな。先日も、コメントを頂いて、落ち込んだりもしたけれど、私、元気です。
(魔女の宅急便風に)
何とも憂鬱である
不愉快な感覚が、どうにも続いている。体調が悪いわけでもない。何か、特段、イベント(事象)が発生したわけでもない。
ただ、得体のしれない苛立ちが身体の周りを浮遊しているようだ。
何故だ? 何があった? 俺は誰だ? 俺は何を求める?
これは、この感覚は、「生きる意味は何ぞや」とか、随分ユートピア的なことをのたまっているときには、発生していない状況である。これは、今までにあった感覚・感情なのか、それとも、上手く表現できなかっただけなのか。
分からない、ただ、あまり、良い状態ではなさそうである。この状況のときに、どう対応すればよいか、よく分からない。風呂か? ごはんか? ううむ、生理的な原因ではないのかもしれない。
書くことが分からなくなる
読む、ことの方が楽だなぁ。書くの、疲れる、アウトプットするの、疲れる。疲れるとか嫌だとか面倒だとか、そういうマイナス言語使うと、脳のパフォーマンスを下げるからよくない。でも、疲れるもんは疲れるんだ。休む時は休むんだ。そのバランスである。バランス……随分テキトーなものいいである。
精神医学において、精神療法と薬物療法とがある。どちらが重要かとか、そういう問題じゃない。鬱がひどくなって今にも自殺しそうな人に、薬の処方が必要な時もある。しかし、今まさに生きる意味を失って自殺しようとしている人へ、生きる意味を見つけるための療養が必要なときもある。
書きたいことは、結構、あったはずなのに、どんどん抜け落ちていく。そして、今、ここで、アウトプットしようとしたとき、何も浮かばない。この哀しさ……、自分というモノが、抜け落ちていくような感覚。
目のメタファー。正常な目の機能は、目、それ自体を見ない。異常になると、目、それ自体が見えるようになる、それは、まともな視野を保てないだろう。
自己、も同様であるという。正常な自己は、自己自身を見ない。自己距離化、自己超越化されている。
何か結節点、書くことの、そのきっかけ、契機。
それが、抜け落ちていく。
以外に早く帰ってきたと思ったら、既に23時を過ぎている。3時間ぐらいは、身体の重さで何もできなかった。寒かったのだ。部屋が、寒かった。
あーその、なんだ、ダメだ。書けない。
お金の話
家計の見直しをしてみると、スマホ代が高いことに気づく。データ容量的に、それほど使っていない。1か月1.5GBぐらいである。の、わりに、定額プランに入っている。よし、1GB制限に変えてみよう。それで1000円ぐらいは安くなる想定。現在7000円~8000円である。余計な通信をしない、とすれば、ダラダラとネットをみるようなこともなくなると思う。時間と、お金の節約だ。
電気代は、好き放題に使って4000円~5000円ぐらい。水道代は2か月で3000円ぐらい。ガス代が3000円~4000円ぐらい。ネットが、5000円ぐらい。
そうすると、インフラで2万3000円ぐらいになっていることになる。
うーむ。高いな。減らそう。
物も、もっと減らそう。書類は大分減ってきた。今年は整理の年だ。物も、お金も、思考も、全般的に、クリアにしていく。
そういや、大学の同窓会みたいな通知がきた。出会い(職業・異性)とか求めるなら、行った方がいーんだろうな。
気乗り、しないな。
何だか最近、先輩からの飲み会の誘いとかも断っている気がする。付き合い悪いとか思われてきたかな、さすがに。まぁ仕事が嘘じゃなくて忙しいってのもあるのだけれど、実際外の部署にいると分からないからな。
趣味のサークル的な奴(異性的なのは無い)も、先日は行ってきたけれども、何だか、気乗りがしていなかった。何故だ、まぁ、行ったらそれはそれで楽しかったけれど。
投資のセミナーにも参加してきた。一つ二つ、やってみようかな、というのがあった。けれども、気乗りがしない。
気乗り
あー、なるほど、これ、多分、あれだ、その、鬱モードだ。よくあるやつだ。躁鬱を繰り返すのである。それほど最近「躁」な気はしていなかったけれども、そうだったのだろう。
この状態になると、これまで続けられている、ルーチン作業、筋トレ、ストレッチ、音読なども、何だかめんどーになってくるのである。そして、一日、二日とやめてしまい、そのまま、ずーっと頽落堕落に陥っていくのである。
ここはまた、しばらく、ルーチンを維持することに意識を集中しよう。新しいこと、ヤメ。人と関わること、ヤメ。
無理しない。ここは、体力、精神を温存する。
いつも、この状態で、逆に「焦って」しまい、ますます鬱状態がひどくなっていくのである。そろそろ、自分の心身について、理解と実践をちゃんとさせたいものだ。
気乗りしない、というか、何だか、苛々めいた感覚なので、ちょっといつもと違うのかもしれないが。
む……鼻水が、これは、風邪気味なのかもしれない。やっぱり、睡眠不足は良くないのだろう。寝るか、しかし、昼寝して、変な時間に目が覚めてしまった。
こんな生活感まんさいの記事意味あるの?
まぁ、他者にとって、意味はないだろう。別にお前がどうなろうがしったこっちゃない、と。けれども、とあるリンク先の友人(※)のブログにおいて、ウォーキングしたとか、寝過ごして失敗したとか、何だかやる気でねーなぁとか、そんなの読んでると、ああ、あの方でもそんなこともあるんだなぁ、そんな風に感じることもあるんだなぁ、と思って、ちょっと面白かったり、やる気になったりするから、あながち、生活感的な記事が完全無駄、ではないと思うのだ。
これが、多分、FBとかツイッターとかだったら、うぜぇ、ってなるのかもしれない。その辺、よく分からないし、やろうとも思わない。というか、そう、ツイッターなんだが、そんなに呟きたいと思うことがない。いやお前、こんな長い愚痴とか書いとるやん、というのはその通りだけど、短い言葉で「疲れたー」とか、「ねむひ」とか書いて、それ、何? みたいな。これ、あまり公に書けないけれども、と言いつつ苛々のせいか、書いてしまうのだが、今とあるアカウントでやっているツイッターで、宣伝とか、そういった中身のない呟きが多すぎて、どうにもあまり、使う気になれない。正直無駄な情報が多い。俺の使い方が悪いのかもしれないが、例えば、世界の綺麗な風景BOTとか、創作に必要なネタBOTとか、定期的に面白い情報を投下してくれるものを読むのは良いのだけれども、同じ作品の宣伝を、何度も何度も繰り返したり、文脈が無いと分からないようなつぶやきだとか、先述の中身のないつぶやきだとかが多くて、辟易である。
(いや、最近ツイッター始められた某方のことは全く意図していない。サイト更新しました! とか通知は良いのだ、逆に嬉しいものである)
※友人、と書くと、おこがましいのだろうか? 友人……と言っていいのだろうか? 相手からはそんな風に思われてないのではないだろうか? そんな思いが即座にはしる。ただ、友人って、何なんだろう。会社で知り合って、趣味の活動を一緒に休日にする人もいるけれども、会社で知り合った人は友人とは言ってはいけないのだろうか? 年齢が違うと、先輩後輩、になって、友人ではない? ネットで知り合った人は友人ではない?
なんだろ、俺は正直、どうでもいいと思う。他者との関係に対して、知り合いだとか、友人だとか、親友だとか、知己だとか、そんなレッテル貼ることに意味を感じない。とはいえ、その、関係の社会学的な、どこからが友人という状態になるのか、それが社会状況や、年齢コーホートや、文化価値などに左右されるのだろうか、という研究をやってみようと思ったことはある。先行研究が少なすぎてやめた。という、誰もやらないというのは、やっぱり、どうでもいいことなんだろう。
小見出しが超えてるよ!
これが6つ目か。ただ、この記事は複数日の「つぶやき」のまとめなので、まぁ許してもらいましょう(自分ルールに対して)。ふむ……しかし、若干、書く前よりは、気分が落ち着いてきたような、そんな気もする。
やっぱり、最近、何を書くかとか、構成とか考え始めちゃったのが、ストレスになっていたのかもしれない。
2016年の4月~6月ぐらいは、もうほんと脈絡なければ、テキトウ感まんさいである。いや今もそうだけれども、もっとひどかった。この「苛々対処」記事カテゴリは、ほんとチラシ裏みたいな感じだ。というか、このチラシ裏って、何だろ、チラシの裏って普通印刷されていて、あんまり後ろが白紙のチラシってみたことないんだけど。ってこう、どうでもいいことを書いているのである。
そうさなぁ、今日はもう時間切れだけど、またしばらく、無茶苦茶感情の吐露的なの書いてもいいかもしれない。それを公開するかどうかはおいておいて……いや、公開しないなら書かなくていい。公開できない感情ってなんだよ。素直になるんだろ? 率直に生きるんだろ? 自分を隠して生きるのはもう沢山なんだろ?
おーいい問いかけじゃないか。好きだよ、そういうの。ちょっとまた、書く気が発生してきた。そうだな、問いかけ、大事だな。先日も、コメントを頂いて、落ち込んだりもしたけれど、私、元気です。
(魔女の宅急便風に)
PR
コメント
コメント!! ありがとうございます!
>ただ、少し情報量がおおい様に感じる
むぉーん。いやぁ、昔と比すると結構コンパクトになってきたのですがね! もっとファイトします。というか多分、長く感じさせるというのは、段々同じようなことばっかりで飽きさせているということな気もしなくもないですね。
ただあまり気にすると何も書けなくなる可能性があるので、この辺りは適度に検討いたします!
というのと、やっぱり、1か月~半年後ぐらいの自分が読んで見たとき、面白いと思うか、長いと思うか、そのあたりを判断基準にしたいという思いもあります(自分大好き人間だな!)。結構スマホからべしべし投稿していた時期もあったのですが、それら短い記事は全部消しちゃいました。読み返したとき面白くなさすぎだった(というか、その書いたときの感覚が一切思い出せないがゆえに、ホントの意味で駅構内の落書きになりさがってしまっていた)ので……。
>憂鬱な時に無理しないって大事だよ
自分の能力が落ちている実感があるとヤバい 休むべき兆候だと思う
大事なことだと思います。で、ですね、まさにこれを最近考えていたのですよ!! そう、ある方にもお聞きしたことがありますが、そもそも「休む」ってなんじゃいな、と。
例えば、大きな課題や問題に直面している時に、一歩下がって道端で休憩したとして、その眼前そびえる課題問題の影が足元を覆っていたとしたら、ううむ……心休まるとは思えないわけです。
例えば、鬱状態になって会社を休んだ人がいたとして、結局有休が少なくなっていって、そろそろ会社に行かねば……となるのであれば、その「休む」ことに、何の意味があるのか。いや、今まさにプラットホームから飛ぼうとしてしまうような危険状態な人であれば、急性に物理的時間的に休むことが必要でしょう。ただし、それはあくまで、緊急避難的に思えるわけです。
>あと、アクラシアの話は面白かったから今度続きをきかせてほしい
おお! マジでございますか!! ありがとうございます、嬉しいであります。しかしまぁ、お恥ずかしながら、ある人、というか、ある本の受け売りだったりします。完全記憶に頼って独自の言葉で書いたので、あるいみオリジナルと強引にいってもよいですが。
そう、このオリジナル問題も、僕は未だによく分かってません。人の思考って、どこからどこまでが、個性であったりオリジナルであって、どこからが剽窃とかパクリとかになるのでしょう。よく分からないので、僕はこれについては、「実感」という概念で対応することにしています。
>ただ、少し情報量がおおい様に感じる
むぉーん。いやぁ、昔と比すると結構コンパクトになってきたのですがね! もっとファイトします。というか多分、長く感じさせるというのは、段々同じようなことばっかりで飽きさせているということな気もしなくもないですね。
ただあまり気にすると何も書けなくなる可能性があるので、この辺りは適度に検討いたします!
というのと、やっぱり、1か月~半年後ぐらいの自分が読んで見たとき、面白いと思うか、長いと思うか、そのあたりを判断基準にしたいという思いもあります(自分大好き人間だな!)。結構スマホからべしべし投稿していた時期もあったのですが、それら短い記事は全部消しちゃいました。読み返したとき面白くなさすぎだった(というか、その書いたときの感覚が一切思い出せないがゆえに、ホントの意味で駅構内の落書きになりさがってしまっていた)ので……。
>憂鬱な時に無理しないって大事だよ
自分の能力が落ちている実感があるとヤバい 休むべき兆候だと思う
大事なことだと思います。で、ですね、まさにこれを最近考えていたのですよ!! そう、ある方にもお聞きしたことがありますが、そもそも「休む」ってなんじゃいな、と。
例えば、大きな課題や問題に直面している時に、一歩下がって道端で休憩したとして、その眼前そびえる課題問題の影が足元を覆っていたとしたら、ううむ……心休まるとは思えないわけです。
例えば、鬱状態になって会社を休んだ人がいたとして、結局有休が少なくなっていって、そろそろ会社に行かねば……となるのであれば、その「休む」ことに、何の意味があるのか。いや、今まさにプラットホームから飛ぼうとしてしまうような危険状態な人であれば、急性に物理的時間的に休むことが必要でしょう。ただし、それはあくまで、緊急避難的に思えるわけです。
>あと、アクラシアの話は面白かったから今度続きをきかせてほしい
おお! マジでございますか!! ありがとうございます、嬉しいであります。しかしまぁ、お恥ずかしながら、ある人、というか、ある本の受け売りだったりします。完全記憶に頼って独自の言葉で書いたので、あるいみオリジナルと強引にいってもよいですが。
そう、このオリジナル問題も、僕は未だによく分かってません。人の思考って、どこからどこまでが、個性であったりオリジナルであって、どこからが剽窃とかパクリとかになるのでしょう。よく分からないので、僕はこれについては、「実感」という概念で対応することにしています。
posted by 遠藤at 2017/02/02 23:57 [ コメントを修正する ]
私は「休む」を以下の様に定義しています。
「負担を感じる、ストレスを感じるものから距離をとる」
つまり、以下のような行動は私にとっては「休む」ことです。
・出来ない仕事をNoと断る
・会社に行かない
ただ、確かに、「有休の範囲内で休む」っていうのはストレス溜まりますね。私の場合、1ヶ月休んだだけだと何の効果も感じなかった。いま3ヶ月目だけど、少しマシになってきたかなぁってくらい。
今になって思うのは、もっと安んでおけば良かったなぁって、疲れを感じる前に休むことが必要だったっていう事ですね。実は疲れてからでは遅かったなぁって思ってます。
話は変わって哲学って、今の社会とか生き方について考える良い教材だと思うんだよね。そこら辺を楽しく話せるといいよね。頼んだぜb
そして、投資セミナーについてもおしえてけろw
「負担を感じる、ストレスを感じるものから距離をとる」
つまり、以下のような行動は私にとっては「休む」ことです。
・出来ない仕事をNoと断る
・会社に行かない
ただ、確かに、「有休の範囲内で休む」っていうのはストレス溜まりますね。私の場合、1ヶ月休んだだけだと何の効果も感じなかった。いま3ヶ月目だけど、少しマシになってきたかなぁってくらい。
今になって思うのは、もっと安んでおけば良かったなぁって、疲れを感じる前に休むことが必要だったっていう事ですね。実は疲れてからでは遅かったなぁって思ってます。
話は変わって哲学って、今の社会とか生き方について考える良い教材だと思うんだよね。そこら辺を楽しく話せるといいよね。頼んだぜb
そして、投資セミナーについてもおしえてけろw
posted by QUWEat 2017/02/03 04:33 [ コメントを修正する ]
どうもQUWEさん、コメントありがとうございます。
>「負担を感じる、ストレスを感じるものから距離をとる」
>・出来ない仕事をNoと断る
>・会社に行かない
定義的には間違いなさそうですね。使えそうです。問題はその方法ですかね。QUWEさんも仰る通り、僕は、「夏休みの最後症候群」と呼んでいますが、「距離を取ること」というのは、「解決」とか「離脱」に繋がらない場合があります。であれば、ぶちあたって問題解決を図った方がいいような気がするのです。
まぁ程度の問題ですね。がむしゃらにただサンドバックになっても、効率も悪いですし、ただ精神をすり減らすだけでしょうから。
なので、いまここで、休むべきなのか、戦うべきなのか、結局これに悩んであまり休むことができなくなるのを何とか、定型的な方法で解決する策を思いつきたいものです。
>話は変わって哲学って、今の社会とか生き方について考える良い教材だと思うんだよね。そこら辺を楽しく話せるといいよね。頼んだぜb
頼まれました! ただ、「考えるためだけの思考」というのは、むかーしはその傾向がかなり強かったですが、今は逆に嫌悪気味なので、結局自己(自分の感情論的なノイズ)も混ぜ込んでしまうと思います。どうかご容赦を……。
>そして、投資セミナーについてもおしえてけろw
いやー、これは、ほんっと初心者向けのやつだったので、熟練のQUWEさんにお話しすることは……。
ただ、復習というか、勉強しなおす機会にはいい気もしますので、頑張ってみます。
>「負担を感じる、ストレスを感じるものから距離をとる」
>・出来ない仕事をNoと断る
>・会社に行かない
定義的には間違いなさそうですね。使えそうです。問題はその方法ですかね。QUWEさんも仰る通り、僕は、「夏休みの最後症候群」と呼んでいますが、「距離を取ること」というのは、「解決」とか「離脱」に繋がらない場合があります。であれば、ぶちあたって問題解決を図った方がいいような気がするのです。
まぁ程度の問題ですね。がむしゃらにただサンドバックになっても、効率も悪いですし、ただ精神をすり減らすだけでしょうから。
なので、いまここで、休むべきなのか、戦うべきなのか、結局これに悩んであまり休むことができなくなるのを何とか、定型的な方法で解決する策を思いつきたいものです。
>話は変わって哲学って、今の社会とか生き方について考える良い教材だと思うんだよね。そこら辺を楽しく話せるといいよね。頼んだぜb
頼まれました! ただ、「考えるためだけの思考」というのは、むかーしはその傾向がかなり強かったですが、今は逆に嫌悪気味なので、結局自己(自分の感情論的なノイズ)も混ぜ込んでしまうと思います。どうかご容赦を……。
>そして、投資セミナーについてもおしえてけろw
いやー、これは、ほんっと初心者向けのやつだったので、熟練のQUWEさんにお話しすることは……。
ただ、復習というか、勉強しなおす機会にはいい気もしますので、頑張ってみます。
posted by 遠藤at 2017/02/03 23:02 [ コメントを修正する ]
生活感満載の記事に意味はあるとおもうんだ
よんでて面白いからね
ただ、少し情報量がおおい様に感じる
憂鬱な時に無理しないって大事だよ
自分の能力が落ちている実感があるとヤバい
休むべき兆候だと思う
あと、アクラシアの話は面白かったから今度続きをきかせてほしい
コメント欄(前の)でぜひ