今日の一言「鬱状態の制御が肝要だね」「せっかく早く帰ったのに惰眠とは情けない」
ここで、一つ提案なのだけれども、「時間が無い」として、できるだけ「整理された」言葉で短縮メモしようというのは方法としてはアリだと思いながら、ある意味残念なことに、「書きながら整理する」という方法もあるのだということだ。
本来、先日のコメントにおいて、「情報過多である」とのご指摘を受けたところである。これは全く私もそのように感じていて、それゆえに、小見出しは5つまで、というルールを設けたところでもある(早速先日破っていたけれども)。
ただ、これは、できるだけ不真面目に読むべきものである、と思う。頭の良い人や、真面目な人などは、本、書籍、記事、文章を、できるだけ「精読」しようとする。言葉の一つ一つの意味を理解しながら、文脈を理解し、この著者は何を言わんとしているのか、何を理解すべきなのかと、積み重ねながら読んでいくのである。あまり好きな言葉ではないが、理系的、である。
しかしそもそも、「あーそれでねぇ、というか、あのー、いやぁ、その」とか、そんな言葉が入っている時点で、真面目に読む価値などないのである。
しかし同時に、その間、タイミング性、口語性というものもある。人間の脳の理解構造としては(もちろんいつものとおり、頭の回転がすこぶる速い人は論外であり、僕はいつも「凡人」を想定している)、人から発せられた言葉について、その意味を、瞬時に理解することは「無い」のである。
※忙しい自慢としかならない。ただし、この「忙しい」と感じることの状況をメモすることの意味については以前述べた(記事記述時の状況把握)。
この並記は、文章表現としては、エラー、間違いである。しかしながら、言葉の意味については、「クオリア」なんて概念を持ち出すまでもなく、人それぞれ異なっている。それはもちろん、教養の多寡という問題もありながら、その人自身の来歴という問題など、思考体系が全く同一であるという考えなど、捨て去った方がいい。まぁそれをよく分かっていない人が多いために、争いが絶えないのだと、僕はひそかに思っている。
それはともかく、並記の理由というのは、その「僕の中では同意味」としていることを、可能な限り多くの人への理解可能性のための、傲慢な語を使えば「配慮」なのである。
(そしてもちろん、この「限りなく多くの人への」というのは、未来の自分も含まれる)
ところで、身体を鍛えるというのは、面白いことだと思う。
肩こりがひどいのはあまり改善されていないし、服を着るとみためには全然わからないけれども、脱いでみると結構変わってきている(というか、数年前に戻ってきているといったほうがいいか)。
ほんと、真面目に筋トレをされている方には、とてもじゃないが「やってます!」となどいえない程度であるけれども、100日ぐらい続けているとそれなりの効果はあるということだ。
この小さな積み重ねが、楽しい実感、嬉しい実感につながってくれたらいいと思うが、まぁ、あまり期待はしない方が良い。
そして、整理の語の定義としては、ここでは、「捨てる」ことと、「体系化すること」が挙げられる。
大目標へのアプローチとしての目標は、2月末までに、「人間とは何か」を読了することである。
そして、その中目標へのアプローチとしては、一週間に90ページ、ということであった。
現在、120ページほどまできた。
今週末までに、180ページまでいかなければならない。
で、ルーチンと絡めて、音読をしているのだけれども、だいたい平均すると、1ページ3分弱ぐらいであることが分かった。2ページで5分ぐらいである。
ということは、残り60ページなので、あと三日ぐらいで150分必要である。単純に3で割ると、一日50分。平日に確保するには、最近では厳しい時間である……。
と、こうやって分割していけば(これをエレファントテクニックとか言うらしいが、まぁ名前なんてどうでもいい)、より詳細なスケジュール感として、自分がこのタイミングに何をしなければいけない、という意識(動機)を向けていくことができる、というわけだ。
これが、PDCAサイクルの、チェックとアクションの部分である。
小まめにチェックするのも大切だけど、そもそもの、「目標」を意識することを忘れてはならない。
ので、この目標については、紙に書いて机に貼ってある。いやでも目に付くわけだ。
が、その、目標を達成する(小手先の)テクニックよりも重要なことがある。
(と、何か大きなことを書くような前ふりをしつつ、まぁこれだって探せばいくらでも手に入る情報でしかない(※1)だろう)
それは、目的(動機)の意識化である。
そもそもこれ、何のためやってるんだっけ?
という、強烈な問い、WHY、WHY、WHY!!! というのを、「は? バカじゃね?」「○○だからに決まってんじゃん」と磨り潰し退けられるような、強烈な目的(動機)を、常に意識していなければならない(※2)。
その強い目的(動機)がはっきりと、明瞭になっていないと、眠いとか、お腹空いたとか、今日は苛々して気分がのらない! とか、そんな生理的欲求に忽ちに負けてしまうのである。
(この生理的欲求対処、としては、「環境構築」も重要であることは言うまでもない、とかいいつつ書いてるけど)
※1:この、「しかない」という考えが浮かぶことが、「病的である」という指摘なのが、フランクルさんの「人間とは何か」で述べられている、気がする。まだよく分からないが、これに対しての見解について、是非読み取りたいと思う。読み取れたら記事にして、それを音読して、ウォークマンに入れてきいて、繰り返しインプットしたいと思う。
※2:これとは別に、何かを実現させる方法は、実はある。それがルーチン(決まりきった定常的な行動)である。ただし、ルーチンとは、それ自身が目的化した目的的行動である、とも言い換えることが可能だ。甚だ詭弁的だが、そう考えれば、結局大事なのは目的、となる。
コメントについては、拍手コメント含めて、すべて拝見・拝読させて頂いております。この場を借りて、改めて厚く熱く御礼申し上げます。
ところで、神経症的な私としては、すぐさまレスポンスができないことについて、大変申し訳ない感覚が生じるのである。さらに、この記事を含めて、最近はある方を参考にして、若干のタイムラグ(予約投稿)になっていることが多いのである。
ということは、コメントを当日18時に頂いたとして、19時に予約投稿で記事が投稿された場合に、「おい、俺のコメント差し置いて記事書いてんのかよ。ちょー不快だぜこいつ」と思う方もいるだろうと思うのである(いないかもしれない、ただ、様々なブログなんかを見ていると、まぁそんな人も少なくない)。
そもそも、コメント(その他投稿サイトに対する感想など)に対して、作者が必ず返信しなければならない、というルールは、実際には存在しないと僕は思っている。
とはいえ、それは、ある意味においては、暗黙のルールだと実は思っている。感想やコメントをくれた方に対して、例えその内容が、自分の意図に反するものであったとしても、感想やコメントをくださった方への感謝の気持ちは、表明すべきだと思うのだ。
いやもちろん、「ある意味で」と書いたのもあるが、その感想やコメントが、「害毒」であること当然ありえる。
害毒……例えば、誹謗中傷だったり、「いやいや、その考えは間違っている」だとか、「絶対こうしたほうが面白いよ!」だとか、そうした、「決めつけ」的なものである。
(あー、まぁ、僕は結構そういうのも慣れているから、別にそういった感想やコメントをもらっても問題ないけど、それが嬉しいかというと、多分そんなことはなさそうだ)
逆に、である。
誹謗中傷とか、「荒らし」に対して、無視するのが一番良い、というのは、まったく至極論理的である。筆者著者作者からのレスがあると、感想やコメントを書いた人は嬉しいのだ。その嬉しいというのは、荒らしの人であっても、同様だ。むきになって反論してくる様が、逆に面白かったりするのである。
だから、「おい無視すんなよカスが!」とか言ってくるとしても、完全無視していればそのうち飽きてしまうだろう。まぁ、エスカレートすると、DOS攻撃とか物理的に攻撃をしかけてきそうであるが。まぁそこまでいけばそりゃ犯罪だ。
逆に、である。
感想やコメントに対して、返信しない人には、なんか、それなりの対応でいいのかな、って思うのである。これは仕方がない。それに、感想やコメントをそれほど欲さない人もいる。単にアフィとか収益が目的なら、PVだけあればよかったりするし、その目的じゃなくても、単に「読みましたー」的な意味があるだけで、満足する人もいるのである。
まぁ、そんな一般論的なのはどうでもよく。
僕は、どうかといえば、そうだなぁ……やっぱり、自分の書いたこと(思ったこと)について、それが相手にどう伝わったのか、どういった感情を与えられたのか、というのを、やっぱりPVとか数字じゃなくて、それを言葉で、文章で欲しいなと、そう思う。
いやまぁ、ボイスレスポンス(音声による返信)とか、そんな機能があればそれでもいいけど。ただ、どこでもいつでも性を考えると、聞くの面倒そうだな(かっこわらい)。
おぉ……かなり厳しい時間になっている。寝よう。
(睡眠不足解消と思考整理とどっちを優先すべきか)
頭とスケジュールを整理
書きたいことがある、ないとは別として、忙しすぎて制御ができていない(※)。ここで、一つ提案なのだけれども、「時間が無い」として、できるだけ「整理された」言葉で短縮メモしようというのは方法としてはアリだと思いながら、ある意味残念なことに、「書きながら整理する」という方法もあるのだということだ。
本来、先日のコメントにおいて、「情報過多である」とのご指摘を受けたところである。これは全く私もそのように感じていて、それゆえに、小見出しは5つまで、というルールを設けたところでもある(早速先日破っていたけれども)。
ただ、これは、できるだけ不真面目に読むべきものである、と思う。頭の良い人や、真面目な人などは、本、書籍、記事、文章を、できるだけ「精読」しようとする。言葉の一つ一つの意味を理解しながら、文脈を理解し、この著者は何を言わんとしているのか、何を理解すべきなのかと、積み重ねながら読んでいくのである。あまり好きな言葉ではないが、理系的、である。
しかしそもそも、「あーそれでねぇ、というか、あのー、いやぁ、その」とか、そんな言葉が入っている時点で、真面目に読む価値などないのである。
しかし同時に、その間、タイミング性、口語性というものもある。人間の脳の理解構造としては(もちろんいつものとおり、頭の回転がすこぶる速い人は論外であり、僕はいつも「凡人」を想定している)、人から発せられた言葉について、その意味を、瞬時に理解することは「無い」のである。
※忙しい自慢としかならない。ただし、この「忙しい」と感じることの状況をメモすることの意味については以前述べた(記事記述時の状況把握)。
理解スピードと口頭理解
僕の記事においては、同じ意味の言葉が、並記して書かれている。上の例で行けば、「本、書籍、記事、文章」と並記しているが、別に「文章」とだけ書けばよいのである。意味理解、文脈理解としてはそれで十分である。この並記は、文章表現としては、エラー、間違いである。しかしながら、言葉の意味については、「クオリア」なんて概念を持ち出すまでもなく、人それぞれ異なっている。それはもちろん、教養の多寡という問題もありながら、その人自身の来歴という問題など、思考体系が全く同一であるという考えなど、捨て去った方がいい。まぁそれをよく分かっていない人が多いために、争いが絶えないのだと、僕はひそかに思っている。
それはともかく、並記の理由というのは、その「僕の中では同意味」としていることを、可能な限り多くの人への理解可能性のための、傲慢な語を使えば「配慮」なのである。
(そしてもちろん、この「限りなく多くの人への」というのは、未来の自分も含まれる)
ルーチンについて
もうすでに24時をまわっている。惰眠のせいで、それほど眠くない。ルーチンもまだしていない。ところで、身体を鍛えるというのは、面白いことだと思う。
肩こりがひどいのはあまり改善されていないし、服を着るとみためには全然わからないけれども、脱いでみると結構変わってきている(というか、数年前に戻ってきているといったほうがいいか)。
ほんと、真面目に筋トレをされている方には、とてもじゃないが「やってます!」となどいえない程度であるけれども、100日ぐらい続けているとそれなりの効果はあるということだ。
この小さな積み重ねが、楽しい実感、嬉しい実感につながってくれたらいいと思うが、まぁ、あまり期待はしない方が良い。
目標へのアプローチ
さて、先日の目標を振り返ってみよう。まず、大きな目標として、2017年は、「整理の年」である。この整理とは、思考および住環境を含める。そして、整理の語の定義としては、ここでは、「捨てる」ことと、「体系化すること」が挙げられる。
大目標へのアプローチとしての目標は、2月末までに、「人間とは何か」を読了することである。
そして、その中目標へのアプローチとしては、一週間に90ページ、ということであった。
現在、120ページほどまできた。
今週末までに、180ページまでいかなければならない。
で、ルーチンと絡めて、音読をしているのだけれども、だいたい平均すると、1ページ3分弱ぐらいであることが分かった。2ページで5分ぐらいである。
ということは、残り60ページなので、あと三日ぐらいで150分必要である。単純に3で割ると、一日50分。平日に確保するには、最近では厳しい時間である……。
と、こうやって分割していけば(これをエレファントテクニックとか言うらしいが、まぁ名前なんてどうでもいい)、より詳細なスケジュール感として、自分がこのタイミングに何をしなければいけない、という意識(動機)を向けていくことができる、というわけだ。
これが、PDCAサイクルの、チェックとアクションの部分である。
小まめにチェックするのも大切だけど、そもそもの、「目標」を意識することを忘れてはならない。
ので、この目標については、紙に書いて机に貼ってある。いやでも目に付くわけだ。
目標よりも大切なこと
と、まぁ、上のようなことは、書店で新書を探したり、ネット検索すれば、いくらでも仕入れることができる。が、その、目標を達成する(小手先の)テクニックよりも重要なことがある。
(と、何か大きなことを書くような前ふりをしつつ、まぁこれだって探せばいくらでも手に入る情報でしかない(※1)だろう)
それは、目的(動機)の意識化である。
そもそもこれ、何のためやってるんだっけ?
という、強烈な問い、WHY、WHY、WHY!!! というのを、「は? バカじゃね?」「○○だからに決まってんじゃん」と磨り潰し退けられるような、強烈な目的(動機)を、常に意識していなければならない(※2)。
その強い目的(動機)がはっきりと、明瞭になっていないと、眠いとか、お腹空いたとか、今日は苛々して気分がのらない! とか、そんな生理的欲求に忽ちに負けてしまうのである。
(この生理的欲求対処、としては、「環境構築」も重要であることは言うまでもない、とかいいつつ書いてるけど)
※1:この、「しかない」という考えが浮かぶことが、「病的である」という指摘なのが、フランクルさんの「人間とは何か」で述べられている、気がする。まだよく分からないが、これに対しての見解について、是非読み取りたいと思う。読み取れたら記事にして、それを音読して、ウォークマンに入れてきいて、繰り返しインプットしたいと思う。
※2:これとは別に、何かを実現させる方法は、実はある。それがルーチン(決まりきった定常的な行動)である。ただし、ルーチンとは、それ自身が目的化した目的的行動である、とも言い換えることが可能だ。甚だ詭弁的だが、そう考えれば、結局大事なのは目的、となる。
コメントありがとうございます
最近、コメントとか拍手とかをしてくださる方々が多く、大変嬉しい限りである。コメントについては、拍手コメント含めて、すべて拝見・拝読させて頂いております。この場を借りて、改めて厚く熱く御礼申し上げます。
ところで、神経症的な私としては、すぐさまレスポンスができないことについて、大変申し訳ない感覚が生じるのである。さらに、この記事を含めて、最近はある方を参考にして、若干のタイムラグ(予約投稿)になっていることが多いのである。
ということは、コメントを当日18時に頂いたとして、19時に予約投稿で記事が投稿された場合に、「おい、俺のコメント差し置いて記事書いてんのかよ。ちょー不快だぜこいつ」と思う方もいるだろうと思うのである(いないかもしれない、ただ、様々なブログなんかを見ていると、まぁそんな人も少なくない)。
そもそも、コメント(その他投稿サイトに対する感想など)に対して、作者が必ず返信しなければならない、というルールは、実際には存在しないと僕は思っている。
とはいえ、それは、ある意味においては、暗黙のルールだと実は思っている。感想やコメントをくれた方に対して、例えその内容が、自分の意図に反するものであったとしても、感想やコメントをくださった方への感謝の気持ちは、表明すべきだと思うのだ。
いやもちろん、「ある意味で」と書いたのもあるが、その感想やコメントが、「害毒」であること当然ありえる。
害毒……例えば、誹謗中傷だったり、「いやいや、その考えは間違っている」だとか、「絶対こうしたほうが面白いよ!」だとか、そうした、「決めつけ」的なものである。
(あー、まぁ、僕は結構そういうのも慣れているから、別にそういった感想やコメントをもらっても問題ないけど、それが嬉しいかというと、多分そんなことはなさそうだ)
逆に、である。
誹謗中傷とか、「荒らし」に対して、無視するのが一番良い、というのは、まったく至極論理的である。筆者著者作者からのレスがあると、感想やコメントを書いた人は嬉しいのだ。その嬉しいというのは、荒らしの人であっても、同様だ。むきになって反論してくる様が、逆に面白かったりするのである。
だから、「おい無視すんなよカスが!」とか言ってくるとしても、完全無視していればそのうち飽きてしまうだろう。まぁ、エスカレートすると、DOS攻撃とか物理的に攻撃をしかけてきそうであるが。まぁそこまでいけばそりゃ犯罪だ。
逆に、である。
感想やコメントに対して、返信しない人には、なんか、それなりの対応でいいのかな、って思うのである。これは仕方がない。それに、感想やコメントをそれほど欲さない人もいる。単にアフィとか収益が目的なら、PVだけあればよかったりするし、その目的じゃなくても、単に「読みましたー」的な意味があるだけで、満足する人もいるのである。
まぁ、そんな一般論的なのはどうでもよく。
僕は、どうかといえば、そうだなぁ……やっぱり、自分の書いたこと(思ったこと)について、それが相手にどう伝わったのか、どういった感情を与えられたのか、というのを、やっぱりPVとか数字じゃなくて、それを言葉で、文章で欲しいなと、そう思う。
いやまぁ、ボイスレスポンス(音声による返信)とか、そんな機能があればそれでもいいけど。ただ、どこでもいつでも性を考えると、聞くの面倒そうだな(かっこわらい)。
おぉ……かなり厳しい時間になっている。寝よう。
(睡眠不足解消と思考整理とどっちを優先すべきか)
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コメント
私はめんどくさがりなのもあって、ある程度の目的や自分で決めた方針でもなければ、自分の中での重要度の低いものは放置してしまう傾向にあったりするんですよね……ダメ人間だ。
で、本題の「コメント」に関して。
投稿した作品や記事にコメントを貰えるのは私も嬉しいですし、可能な限り「コメントありがとう!」と反応したいとは思っています。
ただ、全てのコメント(誹謗中傷や害悪なものは除く)に反応するとなると、コメントへのレスに対して律儀にレスをくれる人の場合、そこにレスがあればまたレスを……と、終わりがなくなってしまうんですよね。引き際が難しいというか……。
投稿サイト等ではこれがある種の問題になっているところもあるようで、「コメントしたのにレスをくれないなんて!」とさわぐ人もやっぱりいるようです。レスが途切れたことに文句言う人もいるとか。
私が思うに、投稿作品へのコメントや、ブログ記事へのコメントって、それ自体がまず「書き手に対する返信」なのではないかなと。
いわゆる、元の記事や作品は単行本であり、コメントはその作者へのお便りみたいなイメージですね。
返信に返信をすることは何ら悪いことではありませんし、互いに反応があると嬉しくなるのも分かりますが、単一のコメントに対して繰り返される返信の応酬は、最終的にほとんどチャットや雑談みたいなものになっていく気がします。中身がなくなっていく、と言いますか、趣旨がズレていく、と言いますか。延々と同じ記事(コメントでの雑談等が目的ではないもの)に対してレスのツリーが(中身もなく)伸びていくのは果たして良いことなのか、と考えてしまうわけで。
投稿している作品に関するものであれば、コメントはそりゃあ嬉しいものですが、あれこれ返信をしているうちに作者自らネタバレしてしまっては本末転倒ですし、中身がなくなってしまうような流れなら、続きを書くのに時間を割いた方が、とも思うんですよね。
「コメント自体がレスである(レスにレスをする必要はなく、反応するかは当人次第)」というのはtwitterとかを見ていてたまたま見かけた意見だったのですが、「まぁ、その通りだよね」と私は思ったのです。
中には「読んだと意思表示はしたいけど、コメントを書くと辛口で辛辣なものになりがちで、気が引けてしまう」なんて人もいるでしょうし、「コメントなどの反応に対する感謝は作品(続きの投稿)で返す!返信は完結してからだ!」という、逐一レスをしないスタンスの人もいるかもしれません。
そういう意味では「読了ボタン」や「いいね」システムって、気軽な良い機能なのかなーと思いました。
ここまで書いてて思ったのですが、「創作は力なり」の方の新機能として、「コメントに対する『著者閲覧済み』マーキング(著者がチェックボックスにチェック入れて判定するのか、コメントページ開いたら判定するかは考えどころ)」なんて機能があったら「コメントに反応がない!」って人の不満も減ったりするんでしょうかね?
で、本題の「コメント」に関して。
投稿した作品や記事にコメントを貰えるのは私も嬉しいですし、可能な限り「コメントありがとう!」と反応したいとは思っています。
ただ、全てのコメント(誹謗中傷や害悪なものは除く)に反応するとなると、コメントへのレスに対して律儀にレスをくれる人の場合、そこにレスがあればまたレスを……と、終わりがなくなってしまうんですよね。引き際が難しいというか……。
投稿サイト等ではこれがある種の問題になっているところもあるようで、「コメントしたのにレスをくれないなんて!」とさわぐ人もやっぱりいるようです。レスが途切れたことに文句言う人もいるとか。
私が思うに、投稿作品へのコメントや、ブログ記事へのコメントって、それ自体がまず「書き手に対する返信」なのではないかなと。
いわゆる、元の記事や作品は単行本であり、コメントはその作者へのお便りみたいなイメージですね。
返信に返信をすることは何ら悪いことではありませんし、互いに反応があると嬉しくなるのも分かりますが、単一のコメントに対して繰り返される返信の応酬は、最終的にほとんどチャットや雑談みたいなものになっていく気がします。中身がなくなっていく、と言いますか、趣旨がズレていく、と言いますか。延々と同じ記事(コメントでの雑談等が目的ではないもの)に対してレスのツリーが(中身もなく)伸びていくのは果たして良いことなのか、と考えてしまうわけで。
投稿している作品に関するものであれば、コメントはそりゃあ嬉しいものですが、あれこれ返信をしているうちに作者自らネタバレしてしまっては本末転倒ですし、中身がなくなってしまうような流れなら、続きを書くのに時間を割いた方が、とも思うんですよね。
「コメント自体がレスである(レスにレスをする必要はなく、反応するかは当人次第)」というのはtwitterとかを見ていてたまたま見かけた意見だったのですが、「まぁ、その通りだよね」と私は思ったのです。
中には「読んだと意思表示はしたいけど、コメントを書くと辛口で辛辣なものになりがちで、気が引けてしまう」なんて人もいるでしょうし、「コメントなどの反応に対する感謝は作品(続きの投稿)で返す!返信は完結してからだ!」という、逐一レスをしないスタンスの人もいるかもしれません。
そういう意味では「読了ボタン」や「いいね」システムって、気軽な良い機能なのかなーと思いました。
ここまで書いてて思ったのですが、「創作は力なり」の方の新機能として、「コメントに対する『著者閲覧済み』マーキング(著者がチェックボックスにチェック入れて判定するのか、コメントページ開いたら判定するかは考えどころ)」なんて機能があったら「コメントに反応がない!」って人の不満も減ったりするんでしょうかね?
>寝ることは大事だよ。生活の質に関わってくるから、1日に8時間くらい寝ておこう。
8時間が自分の必要睡眠量だと思います。ただ、最近5時間ぐらいですね。通勤と昼休みで+1時間ぐらいは寝ていますが、足りない気がします……。(寝てない自慢乙! いやまぁ、睡眠時間が少ないというのは、自己管理できていない証拠とか、能率が悪い証拠とか、できない人間の証明なんでしょうがね。愚痴ブログだからいいのです!(ひらきなおり!))
>体鍛えてるんだっけ?ルーチンの事?
そうです。毎日少量の筋トレとストレッチを課しております。まぁ、「鍛えてる」といわれるとお恥ずかしい程度なんですがね! 体組成計でも買って、体重とか筋骨量とかグラフにしたらもっと面白いというか頑張れるかなぁ。
8時間が自分の必要睡眠量だと思います。ただ、最近5時間ぐらいですね。通勤と昼休みで+1時間ぐらいは寝ていますが、足りない気がします……。(寝てない自慢乙! いやまぁ、睡眠時間が少ないというのは、自己管理できていない証拠とか、能率が悪い証拠とか、できない人間の証明なんでしょうがね。愚痴ブログだからいいのです!(ひらきなおり!))
>体鍛えてるんだっけ?ルーチンの事?
そうです。毎日少量の筋トレとストレッチを課しております。まぁ、「鍛えてる」といわれるとお恥ずかしい程度なんですがね! 体組成計でも買って、体重とか筋骨量とかグラフにしたらもっと面白いというか頑張れるかなぁ。
posted by 遠藤at 2017/02/03 23:06 [ コメントを修正する ]
白銀さんコメントありがとうございます。
おお、「コメントがそもそも返信である」というのは、目から鱗というか青天の霹靂というか、なるほど感心しました。
ファンレターみたいなもん、と考えると、なんだか気持ちがスーッとする感じですね。良い考え方を頂いたなぁ。
>コメントへのレスに対して律儀にレスをくれる人の場合、そこにレスがあればまたレスを……と、終わりがなくなってしまうんですよね。引き際が難しいというか……。
あはは、これは、コメントのみならず、電話やラインや対面お喋りやら、結構当てはまって悩みどころになりそうですね。
違う点は、仰るとおり、コメント、というのは、リアルタイム性のない双方向のコミュニケーションなため、それこそ永遠に続けることが可能となってしまう。そしてそのことが、相手にも、「続けることができる」という可能性になって、「終わり」の線引きが難しくなってしまう、と。
そういう意味で、ラインのスタンプは使い方によっては便利でもあります。ただし、「スタンプ爆弾」とか爆撃とか、結局そんな感じになることもあるようですが。
>投稿サイト等ではこれがある種の問題になっているところもあるようで、「コメントしたのにレスをくれないなんて!」とさわぐ人もやっぱりいるようです。レスが途切れたことに文句言う人もいるとか。
まさに、大きな問題の一つです。
コメントに対して、レスを必須としているサイトさんなども少なくないようですね。ただ、敢えて私はルール化をするつもりはありません。そこは、インタフェースというか、ユーザビリティというか、アフォーダンスというか、アーキテクチャというか、なんというか、――「そうしたい」「そうしたほうがいい」「なんとなくそうする」的な感じにもっていきたいと思っています。
そのため、コメントに対してのイイネ機能的な奴の仕様を考えていたところでしたが、さすが白銀さん!
>コメントに対する『著者閲覧済み』マーキング
いいアイディアと思います。別観点となりますが、コメントに対する評価的なのものがあってもいいかなとも思っています。
>続きを書くのに時間を割いた方が、
>ネタバレとか中身がなくなる
そうですね、これもあると思います。
ので、やっぱり、返信するかどうか、それをルール化するのは難しいと思います。ルール化したところで、「コメントありがとうございました、以上」だったら、それもそれでどうなの? と思ってしまいますし。
この辺の仕様とか機能実装とかは、おいおい詰めていきたいと思っています。
コメントでネタバレ、的なのになってしまいますが、そのコメントの「求め具合」を、まずは作者にはっきりさせてもらおうと思っています。一言二言の感想でよいのか、そもそも感想は求めていないのか、厳しい意見が欲しいのか、自分の現状に合わせてワンランクアップを目指しているのか、貶されたいのか(マゾ?!)、投稿する人の思いって、いろいろあると思います。
それがはっきりしていると、コメントする人のハードルも下がると思うんです。「コメントしたいけど、ついつい辛らつになっちゃうんだよなぁ」って人も当然いると思います。その人が、「激辛辛辣コメント可です!」というのが予め分かっていたら、ある程度遠慮なくコメントできると思います。(まぁこの、激辛と誹謗中傷の違いについても難しいところで、この辺りの線引きをちゃんと言語化しておかないと、後々まずいかなぁとも。この辺りはブログに触れながら明確化していこうかなぁ)
おお、「コメントがそもそも返信である」というのは、目から鱗というか青天の霹靂というか、なるほど感心しました。
ファンレターみたいなもん、と考えると、なんだか気持ちがスーッとする感じですね。良い考え方を頂いたなぁ。
>コメントへのレスに対して律儀にレスをくれる人の場合、そこにレスがあればまたレスを……と、終わりがなくなってしまうんですよね。引き際が難しいというか……。
あはは、これは、コメントのみならず、電話やラインや対面お喋りやら、結構当てはまって悩みどころになりそうですね。
違う点は、仰るとおり、コメント、というのは、リアルタイム性のない双方向のコミュニケーションなため、それこそ永遠に続けることが可能となってしまう。そしてそのことが、相手にも、「続けることができる」という可能性になって、「終わり」の線引きが難しくなってしまう、と。
そういう意味で、ラインのスタンプは使い方によっては便利でもあります。ただし、「スタンプ爆弾」とか爆撃とか、結局そんな感じになることもあるようですが。
>投稿サイト等ではこれがある種の問題になっているところもあるようで、「コメントしたのにレスをくれないなんて!」とさわぐ人もやっぱりいるようです。レスが途切れたことに文句言う人もいるとか。
まさに、大きな問題の一つです。
コメントに対して、レスを必須としているサイトさんなども少なくないようですね。ただ、敢えて私はルール化をするつもりはありません。そこは、インタフェースというか、ユーザビリティというか、アフォーダンスというか、アーキテクチャというか、なんというか、――「そうしたい」「そうしたほうがいい」「なんとなくそうする」的な感じにもっていきたいと思っています。
そのため、コメントに対してのイイネ機能的な奴の仕様を考えていたところでしたが、さすが白銀さん!
>コメントに対する『著者閲覧済み』マーキング
いいアイディアと思います。別観点となりますが、コメントに対する評価的なのものがあってもいいかなとも思っています。
>続きを書くのに時間を割いた方が、
>ネタバレとか中身がなくなる
そうですね、これもあると思います。
ので、やっぱり、返信するかどうか、それをルール化するのは難しいと思います。ルール化したところで、「コメントありがとうございました、以上」だったら、それもそれでどうなの? と思ってしまいますし。
この辺の仕様とか機能実装とかは、おいおい詰めていきたいと思っています。
コメントでネタバレ、的なのになってしまいますが、そのコメントの「求め具合」を、まずは作者にはっきりさせてもらおうと思っています。一言二言の感想でよいのか、そもそも感想は求めていないのか、厳しい意見が欲しいのか、自分の現状に合わせてワンランクアップを目指しているのか、貶されたいのか(マゾ?!)、投稿する人の思いって、いろいろあると思います。
それがはっきりしていると、コメントする人のハードルも下がると思うんです。「コメントしたいけど、ついつい辛らつになっちゃうんだよなぁ」って人も当然いると思います。その人が、「激辛辛辣コメント可です!」というのが予め分かっていたら、ある程度遠慮なくコメントできると思います。(まぁこの、激辛と誹謗中傷の違いについても難しいところで、この辺りの線引きをちゃんと言語化しておかないと、後々まずいかなぁとも。この辺りはブログに触れながら明確化していこうかなぁ)
posted by 遠藤at 2017/02/03 23:29 [ コメントを修正する ]
正直な話、コメントは無視してもいいくらい。体調管理を優先してほしいわ。
体鍛えてるんだっけ?ルーチンの事?