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何かしていないと書くことも浮かばん
2019/07/29 00:50 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「何とか更新はしよう」

前書き

 シロガネ読み終わる。
 外は暑かった。
 資格の勉強をする。
 ドライブは気持ちがよかった、暑かったが。

一人でいる時間がないとブログは書けない

 なんか、こう、空いてる時間にちょろっと書く気に全然なれんのである。

 先日、「1年前の今頃リンク」をはっつけたわけだが。

blogがさっぱり更新できなくなって、はや数ヵ月。といっても、半年は経ってないんだな。
諸氏は、こやつ、飽きたんだな、と思われるだろう。断じて違う。光速に否定する。かきたい気持ちは高まっている。コメントにも返信したいし、他の方のblogなどにもコメントしたい気持ちが沸き上がっている。
しかし、かけない。
原因は、環境にある。物理的な時間が問題なのではない。
ので、ノートパソコンなど欲しいなって気もする。
ああしかし、いったいどうしたらいいのだ。
悩む。
 という、まぁ、同じようなことを書いていた。
 成長、ないな、という気がする。

スランプ状態のときにどうすべきか

 仕事が忙しいのである。
 これが問題だ。

 先日、会社の人たちに、愚痴も多数話しをしたわけであるが。
 愚痴っても解決するもんじゃないが、しかし、「あれ、君、意外とそういうことも思ってるんだね」的な感想を抱かせたのではあるまいか。

 俺も、悩ましい。
 いやつまり、「本来求める姿」を求めたときに、多分、それは上手くいかないんだろうということである。

「自分らしく」

 なんて言葉が大嫌いである。現実と理想とを漸近的に擦り合わせていく以外に人生はありえないのである。
 急激なダイエットも、男性器増大もそんなもんありゃしないのである。


 何の話だ。
 スランプである。

 何のだ? 「思考」のである。


ルーチンしないとダメだな

 全然だめだ。
 何がダメって、その、「書けない」のである。
 書こうとすると、いろいろ浮かんできて、イライラする。

 いや、本来、それもまたよかったのだ。イライラすることで、それで書けていたことは少なくない。
 今は、イライラだけ進んで、書けないのだ。


 うーむ……。

 うーむ。

 ああ、そうだ。とある友人が、仕事を辞めて実家に帰るらしい。
 お疲れ様でした。

 ――いいや、そう、俺はふと思った。思い出した。

「どういう反応が正しいのか」

 ということをやはり、考えてしまうのである。

少しのってきた

 そう、「面倒くさい」という思考が溜まりまくっている。
 本当にもう、遊んでいたい。gta5なりarkなりしまくって遊んでたい。

 そうもいかない。

 仕事はしないといけない。

 しかし、「ほどほどに」仕事をしたいのである。
 いや逆に、「ほどほど」だったら、もう少し、「頑張る」気にもなる。

 いや何か上手く表現できていない。まぁいいや。最初に浮かんだ表現なんだから仕方がない。

 なんか、こう、頑張りたくないんだけど頑張らなきゃ、ってなる。
 というか、頑張りたくないわけじゃないんだけど、何をもって頑張ることになるかが皆目分からん。

 それなんだよな。

 頑張る方向性が分からん……ていうか、先日、いろいろ、会社の人たちと話しても思ったが、結局分からんのである。

 わからん中でやっていくしかないのである。

 いやいやいや、訳が分からない。

混乱期

 何かこう、まとまったことを書こうと思えば思うほどドツボにはまる。

 いや、落ち着け、まずもって、「ルーチン」が壊れ始めているから良くないのだ。

 浄土宗じゃないが、念仏を一心不乱に唱えることが重要なのだ。
 別に念仏でなくてもいいが、筋トレでも、ブログ更新でも、「どんな時でも続ける」ということが無ければならないのだ。

 ……しかし、これは難しいことであるということは、理解はしておくべきだ。
 そもそも、最近の平日を振り返ってみるがいい。22時~23時帰宅ばかりである。

 ほぼ寝るだけ。

 土日にイベントがあるときは別としても、まぁ、昼まで寝たりするわけだ。

 すると、日曜日にかけても、十分な活動ができなくなる。悪循環。


 今回の記事も中身がないが、目的はただ一つ、「書くこと」である。

あとがき

(かっこ書きである。酒をあおる。ああ、旨いな。しかし、飲みすぎると明日頭が痛くなってダメだろうな。良薬口に苦し、違うか。「ぐだぐだ」言ってるが、あれだ、「真剣さ」が足りないな。すまない。「明日死ぬとしても、今その行動をするのか」、この問いに、俺は十分に答えられないだろう。だが、今、こうして「書いている」ことは、否定しない、できない。ほんと、自分の7年、8年前の記事など、読んでもさっぱり分からない。だが、「何かは書いていた」のだ。――しかし、何故俺は、こうも「書く」ことに執着するのか。無執着が真理だと言ってなかったろうか。何故、「口に出す」ことではなく、「書く」ことなんだろうか。おそらく、ボイスログ、も、本質は同じ気がする。だが、「再現性」で書くことに及ばないからではないか。再現性というのは、確かに、そのときの声色的には、そっちのほうがいいだろう。だが、その再現の粒度ではなくて、「ばーっとよむ」ことができるから、書いておいたほうがいいのだ。どこでも読めるしな。いや、その媒体的な問題じゃなくて、なぜ、過去の自分の思考なんてものを重要視するのか、ということだ。でも、自分って、「記憶」じゃなかろうか。ふと、24時がまわって、静かな時間が訪れるが……「死」って怖いなと、やはり思う。そういえば、昼過ぎまで寝ているときに、そんな、死に直面するような夢を見ていた気がする。ああ……少し、落ち着いてきた。訳が分からない混乱が整理されてきたようだ。「死を思う」ことが、少しだけ、明確性があるのである。仕事を頑張る、ことは悪いことではないだろう。しかし、「訳が分からない」ことなのである。誰のための仕事なのか、何のための仕事なのか、これが何の役に立っているのか、分からないことだらけだ。しかし、「死」だけは、自然だ。明確だ。明らかだ。分かりやすい。だからイイ。誰にも、平等に訪れるであろう死は、とても素晴らしいものですらあるのかもしれない。「ある。」と、書ききってしまいそうだが、「蓋然性」を書いた。死が素晴らしいものであろうなどと、まったくもって、害悪である。失言である。断罪される。しかし、そういう意味ではないのだ。「死を思う」ことは、生きていなければできないことなのである。「死」という概念は、「生」があってこそ成り立つのである。――ここまで、2時間ぐらい費やしたろうか。ようやく、「戻ってきた」。思考している感じになってきた。ああ、ほんと、この記事の本文書いているときはつらかったわ。まぁ、その、2時間かかるのか。やる気がなくても、2時間かければ、段々戻すことはできるのか。しかしコストパフォーマンス悪いな。23時帰宅して2時間はかけられんしなぁ。昼過ぎまで寝てから、家事も何もされてない状態で、2時間使う気にならんしなぁ……っと、そういう分析もようやっと、できるようになる。よし、ここは、もう眠りにつくために布団に入り、筋トレをしてから、朝5時ぐらいに起きられたら続きを書いてみよう。きっと95%無理だろう)

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ゲームだけではない
2019/07/22 05:29 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「免除規定……全部がそうとも言い切れないが」

前書き

 前回記事が、「ark楽しすぎてヤバイ」だったので、ルーチン更新もせずに遊んでいたのだろうと思われたことであろう。

 違う、と、明確に言えたらいいが、絶対にできなかったか、と、自分に問いかけると、あいまいな返事となるであろう。

 ただ、土日の家に(一人で)いる時間が少なかった、という点で考えると、免除規定といえるだろう。


 ただ、言い訳がどうであれ、久しぶりに書くとなると、もう書くスピードが、思考のスピードが、格段に目に見えて落ちるのである。
 もう少し、免除規定の適用も厳格にやったほうがよい気がした。
 とにかく、今回の記事は、近況を書いていくのに終始するだろう。

近況

 arkやる。
 旅行行く。
 シロガネ(小説)読み進める。(第二次侵攻を過ぎたあたり)
 仕事大変。

 振り返ると、これ、である。
 ううむ……。もっと書くことあるような。

 しかし、平日は、久々に読んでみようかと思ってアマゾンで買った本を、すっかり買ったことを忘れて返品になったとか、新しい経験をするほど、思考に余裕がなかったといえる。


 以前書いた通り、100%のうち、60%ぐらいで問題を処理できるのが望ましい。
 余裕をもって対処したいものである。
 だから、その、100%を高めておくことは必要だから、成長も、貢献心も必要だと思うのである。

 やはり思うのは、「出世したい」とは思わない、ということである。
 その、60%で処理できるようになるために、出世したほうがよいなら、そのほうがよいと思うが、その選択は、常に100%を求められるようになるんじゃないかと思うのである。

 ここで、熱血には、「120%を目指してこそ成長するんだよ!」ということかもしれないが、馬鹿か、100%は絶対なのである。100%を超えたら数字の意味がなかろうが。

 まぁ、60%という数値も適当なのであるが、要は、自分の限界ギリギリを発揮しつつ、それで成功するかどうかも五分五分的な状況がずっと続くというのは、どうにも、モチベーションと精神状態の維持に不適切であると思うのである。

100%発揮しているのか

 じゃあ、先週、先々週は100%だったのか、と問われたら、まぁ、100%という数値をたたき出す自体が、余裕が一切ない状態ということで、まずもって次につながらなかろう。

 余裕、ゆとりと書いてもいいが、じゃあ例えば、睡眠時間が4時間なら、100%なのか、ということである。
 諸氏においては、徹夜でやることも可能な方もいるかもしれない。それに比べたら100%ではなかろう。ただ、そういう問題でないのは明白だろう。

 とかく、自己評価するならば、89%ぐらいではあったろうと思う。
 目標の、60%をはるかに超えてはいるのである。

 まぁ、ボーナスも入ったし、その額も昨年よりも増えているし、残業代も相応額が出ているし、給与面に不満はない。

 ないが、それよりも、もう少し、やるべきことが少なくなってくれたほうがよほどよい。
 よい……し、別に、じゃあ、他の同じ世代の人たちと待遇がさほど良いかといえば、別にそういうわけでもなかろう。


 いや、そういう問題でもないか。
 とにかく、お金があっても、特に使い道がない。(と、書くと、さも、たくさん余っているようであるが、そういうことでもない。単に、平日家に帰って寝るぐらいだと、インフラと食費ぐらいしか使い道がなかろうということだ)

何か他に書くことはあるのか

 30分過ぎた。
 明らかにペースが遅いし、気持ちが乗らない。

 そう、そもそも、ブログの週間更新についても、忘れていたわけではなかったのだ。
 だが、やる気が起こらなかった、というのが正しいだろう。

 免除規定は、100%言い訳とはいえないが、まぁ言い訳な気がする。書くための、30分ぐらいの時間は、先週も、先々週も、取ることはできたはずなのだ。

 だが待ってほしい。

 確かに、使う時間は30分かもしれない。
 しかし、その30分に至るまでの、助走時間についても考えなければいけない。

 電話をかけて、顧客に不利な条件というか内容を、納得させないといけない仕事があったときに、その電話自体は1時間で済むかもしれないが、それに対しての準備は、到底1時間では済まない、という話である。

 まぁ、そういう仕事を最近している。
 なんかこう、お互いハッピーになるような道筋があるようなことだったらいいが、お互い、いやな気持ちになるしかないような仕事を最近している。

 勉強にはなるが、つまらないというか、精神的にはダメージは多い。
 サイコパス(他者への共感が欠如)だったら向いている気がする。
 いや、むしろそういう気持ちで臨んだほうがよいのかもしれない。

 数をこなせばなれていくもんなのかね。

あとがき

(かっこ書きである。今回の記事……短いからすぐ読めるけれども、短い上に、内容がない……。いや、じゃあこれまでの記事が、長くて濃密なのかといえば、そういうことではないが、少なくても、「鬱屈度」の表現としては高かったと思う。「感情」があった。「いらだち」があった。「負のエネルギー」があった。――今回は、そういったものも少なかったと思う。ただ、「いやぁ……ここで今日すら書かなければ、また数か月の更新ストップになりそうだな」という思いから、「繋ぎ」としての思いがあった。そして、その結果自体は、間違いではない。絶対、短くて内容が薄くても、書いたほうが良い。それは間違いない。いやだって証拠として、書くことが久しぶりだと、タイピングすら遅くなっている気がする(かっこ笑い)。というか、思考が断裂している感じがする。頭が回っていない。感情を引き出せていない。気持ちがのってきていない。ゾンビになっているようだ。だから書かないとダメなのだ。ダメなのだが、「よし、来週の土曜日は、予定通り書くぞ。書くための時間も、ちゃんと、1時間以上も確保しよう」とまでは、今は、全然思えていない。筋トレも、続けてはいるものの、「よーっし! やるぜ!」という気持ちではなく、「めんどくせぇなぁ……でもルーチンだからやるか」的な感じである。――まぁ、やる気はともかく、続けていることは大事である。――いやいやむしろ、ルーチンってなんで大事かというと、「めんどくせぇ……」というときにも、一定程度の作業ができるというメリットである。やる気があるときにやれるのは、当たり前なのだ。やる気がでないときに、どう自分をコントロールするか。それが大事なのだ(きりっ)。とか書きながら、別にやる気が起きるわけでもないという。ううむ……しかし、来週の自分に期待したい)

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創作進捗グラフツールv1.1
2019/07/08 02:22 | Comments(6) | 思考及び書くこと
今日の一言「ゲーム漬けだった」「文字数ツール最新版を公開してなかったかも」

文字数カウントツール

たすけてくらはい

 天から声が聞こえたので、考えてみる、が、具体的な症状が分からなかった。
 実際のファイルを送っていただければすぐに分かると思いながら……そもそも、新しいツールで始めて頂くのはどうでしょう! と思って、過去記事を探す。

 あれ、v1.0はあったけれども、最新版だろうv1.1が見つからなった。

創作進捗グラフ作成ツールv1.1


 ↑ということで掲載。タイトルは、「メニュー」シートの項目を設定すれば、シートを追加しても反映される設定だったはず。

(試してみる→反映された。おお、割とちゃんと動くじゃないか。ただ、月間累計とか、なんだこの機能、シート消してみるか、消す、バグる、といった、まぁ、ユーザがどんな操作しても大丈夫、ってわけじゃあないみたいだ。まぁ、フールプルーフ(想定外の操作しても大丈夫なように設計すること)を作りこみすぎるときりがないしコスト(費用・時間……ここでは費用は発生しないから時間だけだが)が必要機能に比較して割に合わなくなったりする)

ルーチン更新忘れてたごめんなさい

 そして、まず、反省せねばなるまい。
 こんな時間(午前1時)に書いているのは、言い訳できない。

 この土日は、ゲーム漬けでしたすみません。
 24時間ずっと、というわけではないけれども、食料調達と洗濯したぐらいで、起きている時間はほぼゲームしていた。

 起きている時間、というのも、昼寝というには長すぎる――9時から15時からとか、昼夜逆転的なこともしており、今何時かよくわからなくなった。何時かわからない、というよりも、眠るべき時に眠れず、眠りたくないときに眠かった。

 眠気はもうどうしようもないが、しかし、遊びまくったのはどうだったのか。


 まず、何を遊んでいたかというと、「Ark」というゲームだ。Steamでダウンロードできる。
 マインクラフトみたいなサバイバルゲームだが、なんといっても魅力は恐竜たちだ。

 裸一貫でとある島に投げ出されたプレイヤーは、まずはピッケルを作り、石やわらを手にすることで拠点を作っていく。焚火など、火の取り扱いは重要だ。
 マイクラと違うのは、水分の要素もあること。割とこれも重要。水辺の生活では気づかなかったが、いざ少し冒険に行こうとすると、脱水症状に悩まされる。じゃあ川にいって水を飲もうかとすると、巨大なワニや大蛇に殺される。


 いやほんと、めちゃくちゃやることが多いし、どう攻略して、大事な拠点を守りながら生活圏を広げていくかを考えるのは超楽しかった。

他にやることないんかい

 と。
 この文章を書くまでは、正直、「遊びすぎた……勉強も、小説も読めてない、ダメダメだ……」と、かなり罪悪感で落ち込んだ。

 たぶん、まだ眠くならないので、明日の仕事にも差支えが出るかもしれない。社会人としても失格だ。ダメなやつである。


 が。
 上の、ゲームのやったことを書いて、俺は思った。いや、ふつーに楽しかったぞ、と。

 確かに、いい歳の大人が、ゲームで昼夜逆転生活なんて、何やってんだ、ということである。


 だが、しかし、正直、めちゃくちゃ夢中になっていた。
 こんだけ夢中になるってのは、モンハンとか、三国志シリーズ(13は、1万円ぐらいで買った割に、いまだにプレイ時間10分である……)のときとか、GTA5とか、まぁ色々あったかもしれないが、久しぶりである。

 いやこれは、ゲームがやはり、ただの暇つぶしじゃないことの証明である。

ゲームやるために生きている

 中学生(小学生)ぐらいから、何で生きてんだろ、的なことを思い始めたということは前々からかいたことがあったと思う。そんな時期に、
「そうだ、ボクは、楽しいゲームをやるために生きてるんだ」
 なんてことを思った。

 今思うに、めっちゃ恥ずかしいのかもしれないが、しかし、部活的なのではいじめられ、失恋したりで、現実はクソつまんなかったので、仕方がなかったかもしれない。

 現実がクソ楽しかったら、ゲームはきっと単なる暇つぶしでしかなかろう。


 まぁ確かに、後ろめたいというか、健全さに欠けるだろうが、だが、「夢中になる」というのは、とてもとても、大事なことである。

 著名な精神科医、シロクマ先生も仰っている。
「次のライブのために生きている、週末にアニメをみるために生きている、そんなんだっていいじゃない」と。

 クソ真面目に、「生きる意味」なんてのを考えずに、次から次へと、めちゃくちゃ「夢中になれる」ものをトッカエひっかえ得続けていけば、それが十分「生きる意味」だろうて。

いや違うバランスが大事

 違う。
 それは、難しい問題だ。
 上のシロクマ先生をさらに引用すれば、「オタクであり続けるのも体力がいる。難しい」と仰られている。

 年齢的な、精神・身体の変化は、非常に重要だ。

 そのときに、何か一つに夢中になり続けるというのは、いざそれへの興味が失われたとき、取り返しがつかない場合がある。

 分散投資。これが人生の方策の基本方針である。



 そして何より、身体が大事。健康が大事。
 規則正しい生活を送って、睡眠時間をしっかりとることは何より重要だ。
 ――が、しかし、まて、規則正しい生活は可能なのか?


あとがき

(かっこ書きである。いつもいつもまとまりがないな。いやだが、一度布団に入ってから、案の定眠れずに、あああそうだ、ルーチン更新してねえじゃん、と、そのとき何を書こうか思ったのは、そのゲームやりまくってすみません、ということだった。というわけで、まぁその、目的達成である。あと、歯が痛い。先週後半から。黙ってると大丈夫だが、何か冷たいものを食べたり飲んだりするとしみる。痛い。困ったなぁ、虫歯じゃなきゃいいが。この前歯医者いったときは大丈夫って言われたのになぁ。――で、そう、先週の話だ。仕事がんばったのである。大分危険な状況だったのを、「ふつー」に持ち直したといってよい。とある関係者からは、「君の話は中々分かりやすいね」と言われたりして、よかった。分かりやすいのは、自分が、中学生レベルぐらいの内容にかみ砕かないと理解できないからである。あと、全部自分の言葉で置き換えて理解しているからだ。それぐらいまで、くそ面倒なことをやっているから、まぁ時間がかかって、昨今のぐろーばるですぴーでーな世界では合わないのであるが、まぁ、イザという場では役だったりするのである。俺のやり方が間違っているわけでもないが、すべてにおいて最適解でもない。そこら辺をいかんとするかというのも考えて対応しなきゃならんが……大変だな。そう、大変なのは、規則正しい生活とか書いたが、そもそも、予想・予定通りに仕事が進まないのもよくない。話の進め方によっては、まったく違う方向に進むかもしれないのだ。そもそも、何をすると正解かも決まってないような話も多い。たびたびかかってくるクレーム対応も、簡単ではない。簡単ではないが、いくつかこなしているうちに、ある程度自信にはなったかな。それは良かったことだと思う。――思うが、こればっかりは、慣れるもんでもない。解決できるだろうある程度の自信はついても、それは絶対じゃないし、そもそも怒り狂った人の相手をするのは疲れる。――しかし、ぜんぶとはいわないが、その怒り狂った人たちの気持ちも分かる場合がある。そもそも、俺が最初から対応してたら、そこまで怒らせなかったのに、というような、クソみたいな対応をされた人が回ってくるのである。かわいそうだなとも思う。それが逆に、逆にというか、俺の精神を病む。かといって、同情の余地の必要のない、ただ怒りたいだけの人の相手も、それはそれで疲れるし、とにかく……疲れる。ああ疲れる。――ってな感じなのが、土日の他に何もやりたくねえモードを作りだしたともいえる。そういう風に説明(言い訳)すれば、まぁ、仕方がなかったともいえる。ああなんと壮大な言い訳か。そして、俺はいったい、誰に言い訳をしているのか。まずは自分だろう。まずは、自分さんが、「お前は小説も読まず資格の勉強もしなければ部屋の片付けもせずに何をやっとんじゃあああ!」お怒りだったのだ。僕も大変なんです……許してほしい……。許してくれ、というと、自分さんは、「お前さ、そもそも、仕事が予定通りにいかないとか、それも甘えだからね。予定通りにいかないことも踏まえた予定を立てないからいけないんだろ。それに、もっと時間を意識して、つめられるところはつめてけば、もっと早く帰れるだろ」とか言うのである。おっしゃる通りだが、しかし、じゃあ、早く帰ればいいかというとそういう問題でもない。確かに、明日にまわしてもいいこともあるかもしれないが、結局、気がかりな案件を残していると、家に帰るまでも、帰ってからも気がかりなことが消えなかったりする。そうすると、家でも十分な精神休養が取れない。――それだ! 書いておこうと思ったのは、時間的拘束だけじゃなくて、精神的拘束がつらいんだ、ということである。……詳しくは、もしまだ覚えていたら今度書こう)

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読書の必要性
2019/06/23 07:36 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「体調が悪い」「眠れない」

前書き

 焦燥や不安といったネガティブな感情も、生きていくのに必要なものである。
「完全に満ち足りてネガティブな感情が一切生じない状態」ということが想定し得ない以上、漸近的に「良くしていく」ことに努めなければいけない。

 ポイントは、漸近的、であることだ。徐々に。緩やかに。

 そうした意味で、「頑張る」ことは、否定されなければいけない。

 同時に、非常時と、平常時を分けて考えなければいけない。
 敵の軍靴が迫る中で、悠長にコーヒーを飲んでいる時間はない。



 世界を、文章で叙述できるとするのは、非常に傲慢な考えだ。
(点線は、事象の量を長さで示す)

自然(森羅万象)(を以下の点線で示したとき100%としたとき)
 -------------------------------

社会(慣習、思考、感情、また非言語コミュニケーション)
 ---------------------


文章(科学・文学)
 -------------

 
 といった関係になるだろう。
 文字が示せているのは、自然の、ほんの一部に過ぎない。

 その、「ほんの一部」の部分が、テクノロジーの進展によって、広がっては来ているだろう。だが、100%にはならない。

内的体験

 てなことを、本ブログでも度々登場する、ジョルジュ・バタイユの『内的体験』を読んでいたら思った。
 そもそも、体調の悪さで眠れずに、いつも、この本を手に取ると、わけが分からなくて、段々眠くなっていくから、ちょうどいいかと思ったのだったが(かっこ笑い)。


 上のことを思ったのは、メモしておけば、
第二章 刑苦
Ⅰ~Ⅱ(ローマ数字1~2)

 までの十数ページを読んでのことだった。

 しかし、それだけでは、きっと想起されなかったことだろう。
 直近の、コメント頂いた内容や、体調の悪さや、その他経験によるものも、無視できるものではないだろう。


 漠然とした不安、というものがある。
 これについて、対処法的には、紙に不安を書き出せ、となるだろう。

 これは非常に難しい。
 紙に書きだせるような不安になった段階で、その不安は、形式を与えられているのだ。

 書き出しただけで不安が解消するものではない。ただし、形式化されることによって、不安の輪郭があらわになり、不安と向き合えるようになるのである。

 漠然とした不安。
 これが恐怖であるのは、その漠然さ故である。

 無理やり書き出した不安が、偶然にもその輪郭に適するものであればよいが、的外れなものであれば、不安の解消どころか苦痛は増すことになる。不安が、ますます得体のしれないものに思えるからだ。

 蛇足。そういえば、キルケゴール氏は、『不安の概念』という著作も出していた。これは、不安は、キリスト教の原罪と結びついている――といった流れであり、あまりピンとこなかった。

読書の必要性

 そうだった、この記事は、読書の必要性について書くものだった。

 虚無、に囚われてしまっているのは、読書が足りないからだ――インプットがたりないからだ、と思った。

 虚無、と書くと大げさだが、要はモチベーションの低さである。
 何に対してのモチベーションか。言うまでもなく生活についてだ。「生」と書くと、これまた大げさになるだろう。

 そもそも、こうして悠長に思考ができたり、体調の悪さを言い訳できるのも、バタイユ氏が看破したように、ありとあらゆる人間の芸術は死からの逃避なのだ、と。
(もしかしてハイデガー氏だったか、忘れた)

 人は死へと向かうのだから、ダス・マン(ただの人)ではなく、ダーザインたれ、というのはハイデガー氏である。


 しかし、しんざき氏もおっしゃるように、人間の決意なんてのは、たいていあてにならない。

 大事なのは、環境だ、空間(動線)だ。

インターネットとの違い

 ニュース記事を読んでいるだけでは、到底思考力はつかない。

 きやつらは、「分かりやすい」ように作られている。

 分かりやすい文章など、大したことはないのである。

 法律が難しいのは何故か。「厳密に」書こうとするからである。本来、ルール、規則なのだから、分かりやすいはずなのだ。月の残業時間を45時間とする。それだけでいいはずなのだが、条文にすると以下のようになる。

---抄-----------------------------
五 労働時間の延長及び休日の労働を適正なものとするために必要な事項として厚生労働省令で定める事項

 前項第四号の労働時間を延長して労働させることができる時間は、当該事業場の業務量、時間外労働の動向その他の事情を考慮して通常予見される時間外労働の範囲内において、限度時間を超えない時間に限る。
 前項の限度時間は、一箇月について四十五時間及び一年について三百六十時間とする。
 第一項の協定においては、第二項各号に掲げるもののほか、当該事業場における通常予見することのできない業務量の大幅な増加等に伴い臨時的に第三項の限度時間を超えて労働させる必要がある場合に おいて、一箇月について労働時間を延長して労働させ、及び休日において労働させることができる時間並びに一年について労働時間を延長して労働させることができる時間を定めることができる。
 この場合において、第一項の協定に、併せて第二項第二号の対象期間において労働時間を延長して労働させる時間が一箇月について四十五時間を超えることができる月数(一年について六箇月以内に限る。)を定めなければならない。
--------------------------------

 そもそも、労働基準法の改正のため、労働基準法の立て付けについてよく理解しておかないと、よく分からない。
 あと、様々な業種によって、特別な事項を定めているから長くなる。

 何の話だっけ。そうそう、ネットの記事と読書の違いだ。

 ネットは、高レスポンスが求められる。
 独自性があり、様式を守って、分かりやすいものが評価される。

 長々と要旨が捉えられない文章なりサイトなりは評価されない。

「要するに」

 が大事だ。
 仕事も割とそうだ。

 結論、どうなのか、が上司への報告で大事だとされる。

 自然って、そもそも描写できるのか、ってことである。


 できますまい。
 そして自己も、自分自身も、「要するに」などと換言できるものではありますまい。

そして眠りへ

 1MBが、50万字だという。当該ブログのバックアップをとったら、6MBだった。記事数は1000。メタ文字などあるだろうけれども、単純計算で、300万字である。1記事3000字ぐらいと考えれば、ああ、それぐらいかな、とも思う。

 単行本1冊が、10万字ときくので、30冊分ぐらいである。

 まぁまぁ書いてきたものだ。

 それだけ書いてきても、まだまだ書ききれないのは、それだけ高度な生活をしてきたというわけでは全くなくて、そもそも、表現できることなど、ほんの僅かなのだということだ。


 ちなみに、少し関係ないが、世界(自然)の認識を、やはり僕は「言語」で行っている気がする。
 高速に、言語化を試みている気がする。
 つまり、「考えて」行動している気がする。

 これは、「俺思慮深くてすげーだろ」という意味では全くなくて、むしろ、感覚的に動けたほうが断然幸せで有能である。

 どんだけ高速で思考しても、感覚よりも遅い。

 こういう場合はこうする、ということを、体で覚えたほうが楽なのだ。

 それが、できない。
 こうしたらこうなる、こうなったらああなるから、こうしてああしよう、ということを思うのである。

 ――だから、ひとづきあいがつかれる、というのはあるかもしれない。

 つまり、考えることが好きなのではなくて、そうなってしまうがゆえに、疲れるのである。

 考えたくない。何も考えずに生きていきたい。――しかしそれは、生きているといえるのか。


(かっこ書きである。眠くなってきた。もう7時を過ぎている。ここで寝ると、また夕方に目が覚めるパターンで、夜眠れなくなって、月曜日も変な時間から起きて……と悪循環が目に見えているので、寝ないぞ。今日は寝ない。お昼寝は13時から14時までの一時間にするっ! あーそれにしても具合悪いな。だが、のどの痛みはひいてきて、鼻水がメインになってきている。いつものパターンだ。喉→咳→鼻水→治る、と。もしくは、咳と痰がしばらく続くパターンもあるな。とにかく、言えることは、体調はプライオリティ高い。間違いなく。次点で、書くことだろう。次点で、読むことだろう。しっかし、満員電車で、読書はおろかスマホ開くのすら大変だし、そもそも、睡眠が十分でないと、頭痛にとにかく耐えるしかないという悪循環。会社近くに引っ越すというのは手だが、しかし、初期費用、手間、運用費用を考えても、やる気が全く起きないな。しかし冷静に、他に何か手はないものか……)

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週間更新っていいね
2019/06/22 12:18 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「つみたてNISA口座が開かない」「体調が悪い」

前書き

(1)
 つみたてNISAを検討していると前回書いた。
 口座申し込みのボタンをNET上で押して、翌日ぐらいには書類が届いていたが、いざ書類を書いて投函してから3日営業日ぐらい立つが、まだ開設準備中のままだ。
 その間、どの商品を購入するか検討するべきということなのか。

 eMAXIS Slim全世界株式
 と
 ニッセイ・インデックスバランスファンド(4資産均等型)

 の組み合わせにしようか。知らなかったが、複数の商品を組み合わせることもできるようだ(証券会社によって本数が異なる)。


(2)
 体調が悪い。

 これが一番の問題だ。免疫力の低下を感じる。
 仕事からもう少し早く帰れるといいんだが。

 しかし、思ったのは、通勤中のストレスがこれまで以上に大きい。経路が変わって、所要時間は若干減ったぐらいである。しかし、乗り換えが増えたのと、電車の混雑具合がきつい。

 駅構内を歩いているときも、大量の人が埋め尽くして流れていく様を見るだけでも具合が悪くなるってもんである。

 そういった、仕事と、それの周辺に属することが、じわじわとストレスになっている気がする。

多様性

――「皆それぞれ意見があるよね」は確かに正しいのだが、そんな中で「その意見は認められない!」という人がいたとして、その人に「いやいや、間違った意見など存在しないでしょう」とかなんとか言うことが正しいのか――

 某友人のブログの一文を引用させて頂いた(何があったかは皆目つかない)。
 とても興味があるテーマである。


『進撃の巨人』
 という作品が、それについて言及していると思っている(勝手に)。
 進撃の巨人は面白いが、やはり、「つまらない」と感じる人も多いようである(NETのレビューなど)。

 すかっと巨人化して悪い奴を一掃。
 という作品だったら、僕は早々に購入を止めていたと思う。

 全然すかっとしないところが気に入っている。
 壁の中の巨人を、血なまぐさい犠牲と努力ですべて倒しつくすことができた。しかし、それは新たな悲劇の始まりでしかなかった、というのが単行本での最新刊(25~28巻)あたりか。


 これに対して、僕は、以下のように思う。

 ルールと価値観(共通の価値)は別物だということだ。

――内部リンク

言いたいことが違う

 と、ここまで書いて、引用元での論点と、僕が書こうと思ったことが全然違っていることに気づいた。


 これが僕の悪い癖な気もする。
 人の話に飽きてしまうというのは、逆に書けば、違うことに興味をもってしまう、ということでもある。

 まぁいい、全然まとまらないが、とにかく、エレンとアルミンの決別である。
 どういうことかというと、アルミンは、「話し合うべきだ」と主張する。しかし、もう時間がないと判断したエレンは戦う意志と行動を示す。



 まぁまぁ、人はみな違うんだから、いろんな意見をもっていいじゃないか。

 というのは正しい。
 一方で、「その意見は間違っている」ということも正しい。

 その矛盾が成り立つのは、ルールという次元と、価値観という次元が混在するからである。(混在とかいたが、別々に切り分けられる、という感じもする)

ルールと価値観

 ルールは、脅かしてはいけない。
 ルールは、守らなければいけない。
 しかし、ルールは変えることも可能である。

 価値観は、人それぞれの来歴によって醸成される。
 価値観は、不変ではないが、すぐさま変わるようなものでもない。
 価値観に善悪はない。

 善悪が生じるのは、ルールとの「ズレ」が発生した時である。

「人の本能は闘争であり、争いでのみ本当の自己を解き放てる」
 という価値観を抱くことは間違っていない。

 しかし、ルールに基づかない闘争は犯罪だ。それは悪だ。

 ボクシングや野球は、人間の闘争心を鎮火、浄化? 昇華? してくれるものかもしれない。だから、人の本能は闘争であり、適度な争いや競争がなければ堕落する、というのは、納得できる部分もなかろうか。

 だからといって、ところかまわず力をふるってはダメだし、権力を笠にして弱いものを虐げてもダメだろう。

 だが、それが「ダメ」なのは、そういうルールを、人間たちが「共通価値観」によって作り出したからだ。

共通価値観

 ルールは可変だ。
 しかし、そのルールの可変を担保するのは何か。
 僕らが一般的に抱き得るだろうという「共通価値観」によってだ。

 それを、システムとして組み込んでいるのが、選挙であるのは言うまでもない。
 だから、選挙の投票率が下がれば、そのシステム自体の信頼性が揺らぐので、多くの政治家は投票を呼び掛けるのである。自身に票を入れてくれ、というだけではない。まぁ、投票年齢を下げるのは、若者のほうが御しやすいと考えているからなのかもしれないが、それは分からない。


感情も無視できない要素だが

 ――ほら、ぜんぜん関係ない話しになってしまった。

 しかし、まぁ、週間更新っていいな。体調が悪いとか、忙しいとか、様々な理由をつけて「やらないこと」はできるけれども、その言い訳をすべて断じるのがルーチン、週間、習慣である。


(かっこ書きである。とりあえず、体調を治さないとなぁ。体の治りが遅くなっているような。30代である。そして、きっとすぐに、40代になるだろう。その前に終わるかもしれないが。若いうちに、何をやっておけばよかったのか。不思議と、後悔はない。そりゃあ、小さな後悔はたくさんあるが――あの場面で、ああ言っておいたほうが印象がよかったはずだ、とか、あの人の感情をもっと良くさせられたのに、とか――じゃあ、大きな、何かしておいたほうがよかったことがあるかというと、特にないと思う。って、上の「たとえば」で書いたことを読んで思ったが、やっぱり、「他者に興味がない」といいつつ、過剰に人の反応等を気にしているのだな。そういう、過剰な気遣いをしなくなれば、人付き合いも嫌じゃなくなるのか。違う、と思う。「過剰」と僕が思うことは、ふつーの人は、ふつーにできるようなものなのだ。僕は、「意識」しないとできないのだ。そこがハンデで、ひでーなぁっていつも思う。僕のふつーをしているだけじゃあ、ふつーの人のふつーにはならないんだなってのが、いつも苛々させられる。頑張って、ようやくゼロになるってのは、気力がなくなる。とかって愚痴だ、愚痴を、どこかには言えないと、つらいのだ。ふつーの人は、友人と居酒屋で愚痴を言い合うのかもしれない。しかし、その手は僕は使えない。それすらも気を遣う可能性が高いからだ。……でも、本当にそうだろうか。そこまで気を遣う必要などあるのだろうか。……いや、いやいや、そうじゃない。別に人と会うこととか話すことはそこまで嫌なわけではない。ただ、「誰かと一緒に何かする」ということがないと、飽きるのである。何か一緒になって遊んだり、――だから、ゲームしたりとかは、めっちゃ楽しい。一人で遊ぶのもいいが、みんなでスマブラするのもいいよね。そこが問題だ。そこに別に「会話」(いやもちろん、ゲームしてても会話はあるが、ちょっと違う)は必要ないのだ。みんなと何か一緒に作るのも悪くない。だが、その「作る」工程自体は、やはり一人の作業なのではなかろうか。ってな、中学生レベルの思考でも、ちゃんと書いて、理解しておかねばなるまい。遠回りのように見えて、そもそも近道などない。本来的に、「無駄なこと」などない。無駄と判断するのは自分の意思である。他者にとっては無駄でも、自分が得た経験という意味では、無駄なことなどないのだ。例えば、最愛の人に気に入られようと努力しても結局みのらなかったとしても、その努力は無駄ではないのだ。からくりサーカスは、そんな些細なズレから、大きなズレに繋がってしまう人の業というのを、少年誌なはずなのに描いているのがすごいよなぁ。アニメは取り敢えずみている。いい場面など多い。しかし、やはり、漫画版のディテールは捨てがたいよなぁ)

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