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嫉妬について(イミフさん(10月30日)へ返信)
2020/01/13 15:43 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「13時半ごろ起床」

まえがき

 今日は、特に予定がない。家の片づけなどを進めよう。その前に、日課更新を行おう。

コーヒーもつけてほしいへ返信

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 アップルパイが美味しい、とのコメントへのコメントを受けてのタイトル。センスがいい。そしてアップルパイが食べたくなる。今日買いに行ってこようかな。まだ売ってるものだといいな。

 さて、引用する。

>ギャップ
人のことを理解することなんて無理なんだから、理解されることもそもそも不可能として割り切ってしまえばいい、と私は思っています
だから、私の場合、人から見た自分の性質と私から見た自分の性質に差異があっても違和感はないですね
つまり、自分にフォーカスを当てます

 人のことを理解するのも、されるのも無理。というのは、私も至極最もだと思います。共感するところです。一方で、「何だか寂しいな」という気持ちも、自分の中にあるような気がしています。若いころは――という表現が適切かはともかく、10代20代ぐらいのときは、それは自分の中で認められない感情だった気がします。

 ジョハリの窓、というのが、心理学なのかな、自己啓発なのかな、分かりませんが、そういう考え方があります。自己を開放、秘密、盲点、未開、に分けて考えるというもの。目指すべきは、すべて開放していけ、という方向性なのだと思います。実際難しいのでしょうが。

 そもそも、閉ざされた部分――自分も他者も知らない部分が人にはある、とすれば、そもそも「理解」というのは永遠に不可能なもののように思われます。にもかかわらず、理解されないことを「寂しい」と思うのは、感情エラーに思うのですよね。

 と、同時に、隠した部分――自分は知っているが他者は知らない部分については、むしろ敢えて隠しているのだから、知ってほしいとは思っていないはず。そこも理解してもらいたいと思うのであれば、言動矛盾に思われます。

 とすれば、問題になるのは、自分は開示しているのに、分かってくれない! という状態でしょうか。ただ、僕においては、特にそういうのはない気がします。むしろ、分かってもらわなくてもいい――というか、「偽りの自己」というと表現がマイナスですが、「外面上の自己」をその通りに理解してもらえていれば全然問題ないですね。
 具体的に書けば、「こういうことが起きた時、こいつはこういう感情を抱くのだ」「――こういう行動をするのだ」といったもの。そうしたセルフマネジメントが成功していたほうが、「感情的な理解」をしてもらうよりも、僕はいいなと思っている。
 ――それがむしろ、「何だか寂しいな」なのかもしれない。そうした必死にマネジメントしていることも含めての理解を、誰かにしてもらいたいのか。そうかもしれない、そうでないかもしれない。

要約できないことについて

>要約できない
要約できないっていうことは、無駄なことではなく、単純にコミュニケーションを取ることが難しいということだと、今何となく思いました
つまり、コミュニケーションを取る必要がないなら無駄ではないということです。自己消化、単為生殖。

 自分の場合、「イライラ対処」カテゴリのときはまさにそれですね。自己消化、単為生殖、――もう一つ足すなら自己満足でしょうか。

 僕は、中学校3年生か高校1年生ぐらいから、日記的(※)なのを始めたのですが、――って文体がまた変わっている。「である」調で統一するのだ。「素」を出してはいけない。敢えて「である」調にしているのだ。
 えっと、日記を書いていた。で、それは、ブログを始める前、もっと細かく書けばMIXIをやる前までは一切公開などしていなかったので、完全なる自己消化だったわけである。
 ただ今は、一応公開しているので、それは、「一般的な他者」に対しても、読んで何となくでも、主旨が分かるようになっていなければならないと思われる。意味が分からなくても、共感ができなくても、「何について考えているのか」ということは分かるようにしなければならないと思っている。

 そこが、単なる自己消化のものと違う、と僕は考えている。それが成功しているか、別。
 とあるブログにおいては、怨嗟を日々書き連ねている。最初はイイネ、と思ったのだが、あまりにも表現が単調すぎて、「同じ話題」(過去に発生したことについてを繰り返し述べる)に終始しているがために、面白くないと思ってしまった。
 いや僕のブログも同じようなものかもしれない。同じようなことを繰り返し書いているだけかもしれない。ただ、「表現」は変わっていると思う。コピペなどしていないので、毎回タッチタイピングしているのだ。そこに何らか意義があると思っている。

 イライラ対処カテゴリにおいても、単に「得体のしれない感情」の可視化というか、表現に終始しているので、「コミュニケーション」は必要としていないと思われる。しかし、それでも、「何についての話なのか」については分かるようになっていなければならないと思う。

 そうしなければ、今後の、未来の自分が読んだ時も当然意味が分からなくなるので、まったく意味不明な文章になってしまうからだ。意味不明な文章は、価値がない。


※ 今日あったことを書くというよりも、思いついたこと、感情的なことを書いていたという意味で、「的」という表現をした。それも含めて日記なのであれば、単に日記。僕は単純な日記と区別するために「ログ」という表現もしていた。特に深い意味はない。中2病的行為であり微笑ましい。

嫉妬について

>嫉妬について
話が変わるんですが、遠藤さんは最近誰かに嫉妬したことってありますか?
最近じゃなくてもいいけど。
 嫉妬。ジェラシー。妬み。法界悋気(自分と関係ない人へのやきもち)――はちょっと違うか。
 
 そうだなぁ……ある意味、全人類に嫉妬している気もする。どうしてみんなそんな楽しく人生謳歌しているんだ!! っと(かっこ笑い)。
 嫉妬って、僕が思うに、「自分の軸」がしっかりしている人じゃないと、抱きようがないものだと思うのですよね……ってまた文体がぶれる。思う。
 自分の軸というのは、こういう考え方が正しい、とか、こういう生き方が望ましい、とか、この道に成熟したい、とか。

 そういう目指すべき姿というのがあって、そして、それを体現している人がいたときに、「ああ、この人はなんてすごいんだ」と嫉妬が生じるのではないかと思います。違うかな、今思いました。というのも、嫉妬ということを考えたことがそもそもありませんでした。

 恋路……という意味では、そうだなぁ、好きになった人と他の人が付き合うことになったとき、「いいなぁ……羨ましいなぁ」と思ったことはあった。それも嫉妬なのか。ただそれは、もう「最近」レベルじゃあない。

 結論から先に書かないとビジネスでは怒られるが、ご質問回答としては、「最近はありません。過去にはあったと思いますが記憶が定かではありません」となりそうだ(面白味が全くねぇえ)。

 所見というか言いたいこととしては、「嫉妬とは、自分が得たいと思う事物を得ている人に対して発生する感情の一つである」というのが僕の中の定義なのだろうということ。それに依れば、僕は最近嫉妬したことはない、となる。何故ならば、「自分が得たいと思う事物」が漠然としていて(生きる意味を得ること……?)嫉妬以前の問題になってしまうからだ、と。

あとがき

(かっこ書きである。なんやかんや、1時間この記事に使った。ジョハリの窓とかうろ覚え部分を検索していた時間もあったけれども、ほぼノンストップで書いていた。推敲は殆どしていない、すんません。そう考えると、まぁその、10月30日にコメント頂いてから、2か月以上経過したわけであるが、すぐに返信ができなかったのも仕方がないと、……自己弁護の感が沸き起こる。物理的な時間はあるはずなのだ。しかし、それでもできないことを、僕は非常にストレスになる。「物理的にできるなら、やれよ、ほらやれよ」と思うのだ(自分に対して自分で)。ただ、体がいうこときかないのである。それを「怠慢」と僕は思うのであって、それがさらにストレスになるのだが……こうやって、数値を見せると(最近の帰宅時間の記録とか)、「まぁ、仕方がないか」と思えなくもない。――人間はアナログな生き物であるが、しかし、数値はやはり大事だなと思う)

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