忍者ブログ
   
初夢が悪夢というのは良いことなのか
2017/01/06 06:21 | Comments(2) | 思考及び書くこと
今日の一言「悪夢で眠れない夜に」

夢のもつ感動さ

 最近、特に、書き出しが憂鬱である。何だか、とてつもなく面白くない話しにしかならないのではないかという強迫観念。あぁ、その、先日書いたように、面白い面白くないというのは、所詮は究極の自己満足に過ぎないわけで、不特定多数を気にしては仕方がないというのはその通りと思いつつ、ここで思う憔悴した気持ちというのは、ごく僅かな人に対しても、そして自らに対してもそう(面白くない)のではという気持ちである。

 ただ、久しぶりの感覚――、これは、離婚を突き付けられたような時よりも、よほど精神的にダメージが与えられたため、その感覚はメモしておいた方がよい気がしたのだ。明け方に、目が覚めてしまったしなぁ。


 いやもちろん、その持続性、現実生活への影響と比べてみれば、単純に、一時的な、昔の「夢」(寝たときにみるやつ)は、今こうして覚醒状態にあってみれば、幻に過ぎないことは重々認識できるのであるけれども、この心の動き(と、書いてしまうと、「感動」という表現になる。まぁ間違っていない気がする。ただ、振れ幅は、完全にマイナスに向けてずどーんと動いた感じ)は、ここ数年において苛々するようなことは沢山あったけれども、そんなの完全超越しているよね、と思わざるをえない。

初恋への執着は美しい?

 ものすごーく、気持ちの悪いことである。生理的嫌悪を与えるだろうそんな文章になるだろう。そんなの、何故公開するん? という思いは同時に当然ありながら、これは、先日読んだある精神科医さんのブログ記事にも、(ある意味悪い方向で)勇気づけられたことである。


私は『秒速5センチメートル』に心酔してしまった“咎人”だ

cf.シロクマの屑籠


 上の作品に共感するような奴はダメな奴だ! という記事である(大いに脚色粉飾したまとめ)。
 秒速5cmという作品は、いわゆる初恋の人に対する思いを、ずーっと持ち続けて今を生きられなくなってしまった男の末路を描く作品であって、その虚しさや気持ち悪さというものを、新海誠さんは、それをまるで神の愛のように神々しく価値のある美しいものとして描いたのであった。

 この作品は、結構有名なので、アニメーション映画をあまり見ない人も、結構知っている。その場合において、評価は大きく分かれる、というよりも、あんまり現実的な関係の人と話したときに、この作品が「面白い」と思ったという人に出会ったことが無い。

 上の精神科医さんの言葉を用いると、「非モテマインド」の踏み絵的なもんじゃないか、と思うわけである。

本題どうした?

・好きな人の恋愛相談に笑顔でのっていた
・昔の親友に声をかけたら忘れられていた(あろうことかその人が彼氏に!)

 結論先に書いてしまうと、夢を見て、明け方に目が覚めましたと。その夢というのは、とっても自分にとっては、悪夢でしたと。

 そういう記事である。

 ああ、でも、可愛かったなぁ……と、先日帰省して、卒業アルバムなんつーものをみたりしたのも、時間差攻撃となったような気もする。まぁしかし、その時は、その諸悪の根源(なんつー書き方だ!)をみても、それほど感慨は無かったのであった。まぁ確かに、一般的に可愛いような気もしないでもないが、じゃあクラスでトップをはれるか、というとそうでもなかろう。それにも関わらず、相手のことが気になって、あっていないときも脳内占有率を高め、些細な一言や動作に一喜一憂し、感情の高鳴りを抑えられなかった日々を、朝も夜も日柄ずっと過ごしていたというのは、いわゆるそれは「恋」という状態であったと思う。

 こんな気持ちの悪いことを敢えて書くというのは、本当に珍しいというか、ここ何年も、いや10年近くなかったような、そんな気さえしたからである。と書いてみると、まぁ恐らく、何年かおきぐらいに、こういった夢はあった気がするから、ちょっと大げさな気もする。ただ、その時は文字通り憔悴してしまって、記事は残っていないと思われる。逆にもったいないよね。そんな精神ダメージを受けて、一人悶々としていたなんて、それは、誰にも分からないことであった。それは、今の自分、即ちその時における未来の自分にさえも、伝えることが叶わなかった哀しき思いなのである。

 はっきりいって、
「こういうことだから」
 と、離婚を突然突き付けられたときよりも、ダメージは大きかったように思える。それは、ひどいことを書いているのは間違いないが、多分、「恋」という状態ではなかったからなのだろう。いわば、生活の基盤の一つが失われるような、そんな喪失感の一つに過ぎなかったのではないかと、そんな邪推である。

落ち着いてみると

 30代のおっさん(おっさんとは何か。最近、「老人」という概念もなくそうという動きがあるようだ。死ぬまで現役! みたいな)が、「恋」について書いているというのは、うん、全く持ってキモチワルイとしか思えないだろう。

 しかし、あの頃を思えば、逆に異常だったのではないか、とも思う。一人の人への執着、「愛」ということについて、恐らく、ああまで狂わしく思い続けるということは、あまり人は無いものなんじゃあないか。
 これは、簡単に成就してしまったのなら、きっとそれほど自己の肥大化みたいなことは起こらないと思われる。仲良くなって、好きになって、気付くと自分の友人と仲良くなっていて、付き合っていて、恋愛相談とかされてそれを笑顔で聞いて必死でその人のためを思ったり、そんなことしているうちに、だんだんおかしくなっていくような類のものだと思う。

 そんなバカげた思い、行動、思惟、感情、それらを現代風に表現したのが、前述の秒速5cmだったのだろうと思う。

 このキモチワルイ文章は、しかし、重要な(おそらく自分にとってのみ)ことを教えてくれる。例えば、その秒速5cmという作品、かなりヒットしたとはいえ、共感した、面白かった、という人と、そうでない人は分かれてしまうということである。普遍的な作品を検討することの、虚しさを感じさせてくれはしまいか。その作品があったから、ある精神科医さんは記事を書いてくれたし、自分もそれを読むことができた。
 そのせいで夢をみてしまったのかもしれないが、ただ、過去の狂ったような感情は確かにあったわけで、それに対する「解釈可能性」を与えてくれたことは、非常にありがたいことだと思う。

 もっと書けば、こうした文章表現を、僕がずーっとしてきたというのは、その、恐らく「恋」という状態のカオスさを、いかにして表現するか、感情のコントロールをするかという、長年の自分の心との戦いであったようにも思われる、今にしてみれば。

よいわるいの評価はここではない

 それが良いことだったのかどうか、そんなの分からない。「恋」なんてしなくても、それなりに人と付き合って、セックスして、結婚をして、子どもをつくって、大変ながら育て上げて、幸せな生活を送る、という人は大半なことだろう。
 無駄な時間を過ごしたと、僕はただ過去を悔恨し頭を抱えるだけなのか?

 くしくも、某国の残虐な処刑動画や、首つり自殺の一部始終を移した映像などをみて、ああ、死ぬの怖いなと思ったその翌日ぐらいに、過去の夢をみて、本当に死にたいくらい惨めな気持ちになった。

 夢だし、過去のことさえも記憶が曖昧だから上手く書けないけれど、本当に好きになった人から、その人が好きになった人のことを楽しそうに話されて、それを辛い気持ちで聞きながらも、ああやっぱり可愛いなぁとか思っている状態というのは、まー、NTR(ネトラレ)とかいうジャンルもあるようだから、これも残念なことに別に珍しいことではないのだろうけれども、それでも、精神的にはよろしくない状態に思える。特にそれが何年にも渡った場合にはそうだろう。
(いやぁまぁ、ゲーテさんのウェルテルくんの悩み、みたいな作品もあるから、まぁやっぱり別に珍しくない。ただ逆に、その「純愛」的なものが、自死に繋がる可能性もあるんだよ、という示唆というのは、やはり古典、名作と呼ばれる所以に思える)

 逆に、それ以来、「恋」というのは、してなかったのかもしれないな、とふと漠然と思った。
 それが、よいことなのか、わるいことなのかは、正直全然分からない。

 ただ、2017年としての目標として、「婚活をして素敵な女性と付き合う!」という目標よりも、「燃えるような恋をする!」という目標の方が、断然ハードルが高いような気がするのは、きっと気のせいではないだろう。

 とはいえ、仕方がないだろう、生きる意味を徹底して考える、というのであれば、こういった気持ちの悪い感情についても、十分に吟味する必要があるだろう。今ようやく衝撃体験からしばらくして、明け方に目が覚めて、二度寝して無かったことにしようなど、しなくてよかったと、そう思う(ものすごく眠くなってきたが……)。



 良い悪いの判断は、今じゃない。
 それも、所詮は主観的な問題に過ぎない。

 その長期間精神をすり減らした過去の経験があったから、離婚というまぁ日本人の1/3しか経験しないと言われることになっても、比較的早く立ち直れた(というよりも、そもそも、立ち直るとは、どっからもって、「正常に戻った」という意味で用いるのか。何を異常とするのか)とも換言(還元)できるのである。

 ――もちろん、当時メッセージくれた方々のおかげで、そもそもこのブログというか記事を書くことができる場を維持できたことが、実は、とてつもない奇跡というか、ラッキーだったと思っていて、こうしたより気持ちの悪い記事を書くたびに、同時に感謝の念がわきあがってくるというのも、またいと面白き。眠い。


蛇足

 んでまー、有名なブログさんとかになると、恐らくすごい批判コメントとかくるわけだよね。文字通り「キモイ」「死ね」みたいな。そんなこんなで、コメント欄を閉鎖しているブログさんたちは沢山いるわけだ。
 もったいないよなぁ。無駄だよなぁ。「キモイ」という感覚というのは、逆に、別に、悪いことじゃないと思うわけだ、ただ、その感覚を、ただその程度の言語表現しかできず、コメントに残すというのに、いったい何の意味があるというのだろうか。まぁ、その「キモイ」というのが、筆者が気付いていない場合も往々にしてあるから、それを気づかせてあげるという意味はあるのかもしれないが、その「キモイ」という感覚を、是非うまい具合に表現して欲しいと、僕は思う。

 どれもこれも、それがよいものだろうが悪いものだろうが、長期的に見れば間違いかもしれないし危険なことかもしれないが、瞬間的に生じたソレ(感情)は、人間の嘘偽りのない思考感情なのだろう。それ自体に、「よい」も「わるい」もないと思う。ただ、それを上手くコントロールして、社会的に、家族的に、上手い具合に円滑に関係をまわしていくために必要な「感情」というのはあるのだろうから、それに向けて「修正」することもまた必要だろうと思う。

 その、円滑さに対しての基準からズレたときに、「キモイ」という感覚、感情がわきおこるのだろうけれども、僕がもし唯一悩める人に傲慢にもアドバイスできるとしたら、その悩んでいる状態における「感情」というものに対する価値判断というのを、意識的にストップすることが、手始めに重要であると、そんなことかもしれない。などと、蛇足であった。まずはてめーがしっかりやれや。

拍手[1回]

PR

コメント

感情って時間をかけて忘れてしまうよね。人間は変わっていく生き物だから、過去をいつまでも覚えていてそこに引きずられるのって一般的じゃないのかもしれない。だから、そういう変化しないものへの憧れを持ってしまうんじゃないかな。

話が全然違うけど、サピエンス全史?って有名だったんやね。テレビで取り上げられていたよ。
我々は技術などの発展によって幸せになったのだろうか?狩猟採集の方が幸せなのでは?という問いについて考えると、今の自分の現状について言われているようで考えさせられました。
posted by QUWEat 2017/01/07 00:40 [ コメントを修正する ]
 こめんとありがとうございます!
>過去をいつまでも覚えていてそこに引きずられるのって一般的じゃない
 なるほど……。そういう基準でしたら、やはり今が正常で昔が変だったんだろうなぁ。実際今は、この記事書いてた時に感じてた感情が全く無いのです(悲しいことなのか、良いことなのか……、それも分かりませんが)。

>サピエンス全史
 ベストセラーということは知っていましたが、テレビでも取り上げられていたのですね! テレビ全くみないので驚きました。
 まだ私は下巻の途中なので、技術の進歩が必ずしも幸福につながらない、というテーマの理由まで読み解けていません(何となくは推測しています)が、また感想なり書いていこうと思います。
posted by 遠藤at 2017/01/07 13:34 [ コメントを修正する ]

コメントを投稿する






Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字 (絵文字)



<<整理整頓掃除の違いとそのやり方 | HOME | 息をするように面白い記事を書けないものか?>>
忍者ブログ[PR]
アクセスランキング