今日の一言「え、もうこんな日付・時間なの?!」
先週の日曜日以来だろう。
早いねぇ。時間が過ぎるのが早い。先週は、睡眠時間も毎日4~5時間ぐらいだった。
それが長いか短いか、まぁ結局人の感じ方によるものだろう。月に残業200時間だとしても、「若いうちはそれぐらい普通だよな!」とかどっかの偉い教授さんが言っていたということも聞く。
ほんっとに、人と比較することって、むなしいよな、とよく思う。
それなのに、やれ競争だ、資本主義だ、お金だ、とか。
あ、いやいや、そういうことを書きたいのではなく、とにかく、これらを書く暇が殆どなかったということだ。
やっぱり、ブログを書くことができる時間があるというのは、恵まれている状態だといえるだろう。ブログでも、ローカルな日記でも何でもいいが、書くということをしていないと、何だかとてもとても、自分というものが消えていくようにすら思える。
ある方は、「ブログ何て書いている暇があったら、小説書いてた方が有意義に思えてしまうんですよね」と仰っていた。僕もそう思う、小説でなくても、別のもっと有意義なことをした方がいいんじゃないか、とすら思う。
思うが、しかし。
というのは、例の、何だかいいこと書かなきゃいけない症候群的な奴だと思う。
ああ、そう、最近ある方が記事にされていたのだけれども、「妄想テレパシー」という4コマ漫画が、ものすげー面白かった。
他者の心の中、頭で考えていることを分かってしまう女子高生の物語。
なんというかな、とある場面、2か所ぐらいで、泣いてしまったよ。俺、なんつーかな、これまた表現が難しいけれど、嫌なこととか哀しいことって、結構慣れているから、あんまそういうので涙することないんだよな。だから、そういうんじゃない、何というか、あたたかいというか、切ないというか、きれいだというか、そんな感じで、泣いてしまったよ。
その記事にされていた方は、「さくって読めて面白い」って表現されていたけれど、僕はとても感動したね、うん。一気に読んでしまった。それがゆえに時間がないのか、なるほどな~(放心)。
そんな当たり前のことが、僕は結構重かったりつらかったりするんだよなぁと、ふと思った。
その主人公の女の子じゃないけれど、結構、他者の考えていること「分かる」んだよな。いや、「今頭に思い浮かべた数字を当ててみなさい」というのは違うけれど、喜怒哀楽的な簡単な感情から嫉妬とか憎しみとかちょっと発展した感情という話し。別に僕だけじゃなくて、誰でも分かることだ。何故なら、感情とは、そもそも、人が上手く生活を送るために脳がつくりだした機能だからだ。感情が、他者に一切伝わらないものだとしたら、それは、何ら役に立つ機能ではない。
何だっけ? また脱線したな。
ええと、あれだ、基本的に、このブログは、99.9%ぐらい、心の声を反映している。
リアルタイム筆記である。
0.1%というのは、タイピングスピードと思考とのラグだったり、文章表現と思考表現との違いだったりするけれども、基本的に、思い浮かべたことをありのままに記述しているつもりだ。もちろんそれでも、自分の知らない部分があるかもしれないから、100%そのまま表現できるなんてできないと思う。
ただ、僕がここで、楽しかった、と書けば、それは本当なのであり、無理して友達たちにあわせて、笑顔を作っていたりなんて、そんなことはないのだ。
優しい嘘、悪意のある嘘、それらにかかわらず、人は思ったことを口にしない。
その場で適切な振る舞いをする。当たり前だ、そうやって人は社会生活を送る。
仕事中めんどくせえとか言ってたら、速攻首だ!
と、言いながら、そもそも、その「めんどくせえ」とかいう感情だって、言語ラベリングされたものに過ぎない。
めんどくせえ、って、何? その面倒さって、ひたすら資料をコピーとるめんどくささと、お客さんに分かりやすい資料にするにはどうしたらいいんだろうと頭を悩ませるめんどうくささと、同じだろうか?
一言で面倒、といってしまうと、その機微が分からなくなる。
だから、感情言語は、非常にデリケートに扱った方がいい。
……とかいう話しの流れで、満足できればいいのだが、僕はさらに疑問になる。
デリケートに扱う? でもさ、感情って危機を避けるためにあるものでもあって、「これはこういう感情なのだろうか?」なんて考えていたら、危険回避に遅れてしまうかもしれない。
喜! 怒! 哀! 楽! と、明確に、単純に、自分を判断して行動した方が、よっぽど役に立つのではなかろうか。(特に生きるか死ぬかの戦闘において)
本当に疲れたのか? もっとやれるんじゃないか? もっと頑張れよ、ほら!
あーうるさいなぁ、もう。
今日は、クレジットカードの住所変更を行い、クリーニングを出したり、目薬を買ったり、生活費の口座間調整をしたりと、それなりに活動したじゃないか。いいじゃないか。
部屋のカオスさは広まってきているが……。
取りあえず、明日も予定があり早いし、今日はもうルーチンやって寝るとしよう。
そういや、ルーチンも続けられているな。次の壁は、3か月目あたりだろう。
あぁ、この記事面白くないだろうなぁ……。
久しぶりのブログ記事
ものすごく、久しぶりにブログを書いている気がする。先週の日曜日以来だろう。
早いねぇ。時間が過ぎるのが早い。先週は、睡眠時間も毎日4~5時間ぐらいだった。
それが長いか短いか、まぁ結局人の感じ方によるものだろう。月に残業200時間だとしても、「若いうちはそれぐらい普通だよな!」とかどっかの偉い教授さんが言っていたということも聞く。
ほんっとに、人と比較することって、むなしいよな、とよく思う。
それなのに、やれ競争だ、資本主義だ、お金だ、とか。
あ、いやいや、そういうことを書きたいのではなく、とにかく、これらを書く暇が殆どなかったということだ。
やっぱり、ブログを書くことができる時間があるというのは、恵まれている状態だといえるだろう。ブログでも、ローカルな日記でも何でもいいが、書くということをしていないと、何だかとてもとても、自分というものが消えていくようにすら思える。
ある方は、「ブログ何て書いている暇があったら、小説書いてた方が有意義に思えてしまうんですよね」と仰っていた。僕もそう思う、小説でなくても、別のもっと有意義なことをした方がいいんじゃないか、とすら思う。
思うが、しかし。
書きたいことと書くべきこと
久しぶりだと、何だか、何を書こうか、少し困ってしまう。というのは、例の、何だかいいこと書かなきゃいけない症候群的な奴だと思う。
ああ、そう、最近ある方が記事にされていたのだけれども、「妄想テレパシー」という4コマ漫画が、ものすげー面白かった。
他者の心の中、頭で考えていることを分かってしまう女子高生の物語。
なんというかな、とある場面、2か所ぐらいで、泣いてしまったよ。俺、なんつーかな、これまた表現が難しいけれど、嫌なこととか哀しいことって、結構慣れているから、あんまそういうので涙することないんだよな。だから、そういうんじゃない、何というか、あたたかいというか、切ないというか、きれいだというか、そんな感じで、泣いてしまったよ。
その記事にされていた方は、「さくって読めて面白い」って表現されていたけれど、僕はとても感動したね、うん。一気に読んでしまった。それがゆえに時間がないのか、なるほどな~(放心)。
感情という機能
なんというか、心の中の言葉と、実際に発言する言葉って、人間みんな違うわけじゃないか。そんな当たり前のことが、僕は結構重かったりつらかったりするんだよなぁと、ふと思った。
その主人公の女の子じゃないけれど、結構、他者の考えていること「分かる」んだよな。いや、「今頭に思い浮かべた数字を当ててみなさい」というのは違うけれど、喜怒哀楽的な簡単な感情から嫉妬とか憎しみとかちょっと発展した感情という話し。別に僕だけじゃなくて、誰でも分かることだ。何故なら、感情とは、そもそも、人が上手く生活を送るために脳がつくりだした機能だからだ。感情が、他者に一切伝わらないものだとしたら、それは、何ら役に立つ機能ではない。
何だっけ? また脱線したな。
ええと、あれだ、基本的に、このブログは、99.9%ぐらい、心の声を反映している。
リアルタイム筆記である。
0.1%というのは、タイピングスピードと思考とのラグだったり、文章表現と思考表現との違いだったりするけれども、基本的に、思い浮かべたことをありのままに記述しているつもりだ。もちろんそれでも、自分の知らない部分があるかもしれないから、100%そのまま表現できるなんてできないと思う。
ただ、僕がここで、楽しかった、と書けば、それは本当なのであり、無理して友達たちにあわせて、笑顔を作っていたりなんて、そんなことはないのだ。
優しい嘘、悪意のある嘘、それらにかかわらず、人は思ったことを口にしない。
その場で適切な振る舞いをする。当たり前だ、そうやって人は社会生活を送る。
仕事中めんどくせえとか言ってたら、速攻首だ!
と、言いながら、そもそも、その「めんどくせえ」とかいう感情だって、言語ラベリングされたものに過ぎない。
めんどくせえ、って、何? その面倒さって、ひたすら資料をコピーとるめんどくささと、お客さんに分かりやすい資料にするにはどうしたらいいんだろうと頭を悩ませるめんどうくささと、同じだろうか?
一言で面倒、といってしまうと、その機微が分からなくなる。
だから、感情言語は、非常にデリケートに扱った方がいい。
……とかいう話しの流れで、満足できればいいのだが、僕はさらに疑問になる。
デリケートに扱う? でもさ、感情って危機を避けるためにあるものでもあって、「これはこういう感情なのだろうか?」なんて考えていたら、危険回避に遅れてしまうかもしれない。
喜! 怒! 哀! 楽! と、明確に、単純に、自分を判断して行動した方が、よっぽど役に立つのではなかろうか。(特に生きるか死ぬかの戦闘において)
疲れた……
その、疲れたってのもそうだ。本当に疲れたのか? もっとやれるんじゃないか? もっと頑張れよ、ほら!
あーうるさいなぁ、もう。
今日は、クレジットカードの住所変更を行い、クリーニングを出したり、目薬を買ったり、生活費の口座間調整をしたりと、それなりに活動したじゃないか。いいじゃないか。
部屋のカオスさは広まってきているが……。
取りあえず、明日も予定があり早いし、今日はもうルーチンやって寝るとしよう。
そういや、ルーチンも続けられているな。次の壁は、3か月目あたりだろう。
あぁ、この記事面白くないだろうなぁ……。
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そして、そうか、ひっこしたんやな