今日の一言「僕たちはお米の奴隷なのだ」
ちょっと今、何も見ずに、覚えていることをまとめてみようか。
○種は、生殖で繁殖する生物同士の集まり。属は、先祖を同じくする種の集まり。えっと、科って何だっけ……? 何か、もっと広い共通する集まり。
○サピエンスは、認知革命(虚構の言語)の使用により7万年前ごろから爆発的に発展した。東アフリカに達して、ネアンデルタール人とかは絶滅した。1万年~3万年前ぐらいまでの間に、サピエンスが唯一の人類となった。
○サピエンスは、その多くを狩猟採集によって生活していた。狩猟採集は、危険もあったが、狩りは三日おきぐらいでよかったし、採集も毎日数時間でよかった。現代人のように一日中働かなくてもよかった。
○狩猟採集生活は、100人程度の集団であった。その集団は、様々な信仰や様々な生活様式がありえた。一様に論じることはできず、非常にバラエティに富んでいた。例えば、20世紀の暴力による死者は5%ぐらいである。狩猟採集民の中では、部族の中でほとんど暴力で死んだと見受けられない集団もあれば、4%に匹敵するほどの暴力による死者がいた集団もあった。
○狩猟採集民も、30メートルもの巨大な石柱を建てたり、宗教的な活動をしていた。
などが、印象に残っているポイントかな。
今日読み進めた部分では、危険な種ということで、オーストラリア大陸に到達したり、北アメリカ大陸に到達して、2000年かそこらで大型動物を絶滅においやった張本人だということだ。
大型動物の絶滅は、気候変動だとする学者もいるが、人類の関与を覆い隠すことはできないという。
現代にも続く、農耕社会の基盤は、約1万年前に積み上げられたものだということは、既にあった知識であるけれども、この本で学んだこととしては、そもそも、何故狩猟採集民が、農耕に精を出そうとしたのか。
それは、農耕が優れた生存手段だったからではない。
むしろ、農耕は、モノカルチャー(単一作物)に頼ることの旱魃等へのリスクや、狩猟採集生活のおおらかで余裕のあった(本当にそうかは別として、働く時間は少なかったとされている)生活を手放さざる得なくなった。
焼き畑農業で、適当に種をまくよりも、地中深くに種を埋めて、せっせと水くみをして、雑草を取り除き……。
豊かになるはずの生活は、他集団との抗争にも発展したり、子供が増えると養うためにもっと多くの食料を必要としていった。
……と、農耕社会の負の側面が描かれている。
インターネットや電子メールは、不特定多数の、即座の、コミュニケーションを可能にしたが、それによって私たちの時間に余裕はできたのか。必ずしもよいことだけではなかろう、と。
となると、よくある環境保護論者と同じになってしまうが、この辺りへの苦言も中々面白い。というのは、狩猟採集民は、上で書いたように、恐ろしく大規模に、多くの動物たちを、自然を破壊していったのだ。
農耕民も言うに及ばず、家畜化した動物たちへの虐げは中々のものである。ある部族では、豚の所有が身分の高さ、富の高さを象徴していた。ので、豚の鼻をそいだり、目をくりぬいたりして、豚を逃げ出さないようにするとか、そもそも、今の畜産業への言及も、いうにおよばず。
とはいえ、個々の生物的には、別に農耕することが、今後ますます自分たちを奴隷化させていくなどとは、思ってもみなかったろう、というわけだ。
そのうち、狩猟採集の生活様式を覚えている人たちもいなくなり、今目の前にある農業、小麦をどう育てるか、収穫量をどう増やすか、盗賊や他集団の敵から守るために環濠を築き監視をおいて戦うための武器をつくるか、……そうした、「前向きな」考えが心をとらえたことだろう。
先日書いた通り、虫、キモチワルイ、長野のアルプスで新種のゴミムシが見つかったというが、ものすげー興味がない。狩猟採集民は好んでタンパク源である昆虫も食べたろうが、そんな生活をしたいとは一切したいと思わない。
ただ、重要な視点を、この書籍が与えてくれるのは、生物学的な「進化」と、個々の幸福や満足とは、関連しない、ということである。
ウシ、ヒツジ、ニワトリといった家畜たちは、稀にみる大発展を遂げた。ウシヒツジ10億、ニワトリは250億もいるという。先日、鳥インフルエンザが流行ったということで、数万羽ものニワトリが殺処分されたとみて、「おぉ……」と思ったが、そもそも、世界中に250億羽もいるのか。1%にもみたないというわけか。
でも、それって、「進化」的には大成功なわけだ。
人間の都合で数万、数億単位で殺され、自然的な欲求とはかけ離れた生涯しかおくれないとしても、生物的には成功なのだ。それって、なんという皮肉だろうか。
しかしこの問題は、哀れな家畜たちだけではない。
僕らもまた、70億人の人々のうちの、たった一人でしかない。
矮小な存在でしかない。家族とか、会社組織とか、国民国家とか、そんな大きな枠組みに自分をコミットしたところで、結局、人類といった大きなフレームの中では、歯車ですらないのである。
会社社長はちょっとは影響力があるかもしれない。国家規模の資産をもつ資産家たちは個人の影響力は強いかもしれない。
しかし、古今東西存在し、反映した帝国、英雄たちも、いまや伝説として残るか、残らないかに過ぎない。その陰には、歴史にすら残らなかった名も知れない多くの無価値なサピエンスの屍に溢れていることだろう。
俺は、別にその選択を決して無視しない。
むしろ、考え抜いて、その上での自死は、平凡な生涯を送り、悩み多い人生を長い時間過ごし、人類という発展のため寄与するよりも、よほど、人間的で尊厳的な在り方なのではないかとすら思う。
だがもちろん、そうではない生き方だってあるはずで、人類の発展への寄与が悪いことであるという確固たる根拠だってない。
どちらにせよ、「考え抜いて」……このブログで言うところの、徹底して、という形容表現に未だ到達していないとしたら、どちらの道も自信をもって選ぶことはできない。
だから、こうした表現すべては、厭世的でもなければ、諦念でもなく、新しい価値や創造のための試金石、思考実験なのだけれども、多分、多くの人に誤解というか(いやそれは決して誤解ではなく、恐らく、「その人にとっての真実」なのだろうが)不安や恐怖を与えてしまうことだろう。
その可能性を、決して、6歳の少年ではないのだから、分かっているのであって、それは対人コミュニケーションにおいて、自動的にストップが、自分の中でかかる。すげーこれが、めんどくさいと思う。しかもこれ、正常に働けば働くほど、他者に興味がなくなるという危険極まりないトラップだ。ので、せめて「徹底して」考えるときぐらいは、すべてのリミッターを外してやろうと思うのだ。
(ものすごい関係ないことを書けば、東京マグニチュード8.0で、「僕だってパパやママが無事じゃないかもしれないなんてこと、分かってるよ!」と姉にぶつける少年、感動した)
しかし、時間切れだ、取りあえず、非常に気に入った表現を最後に書いておく。
農業革命は、人類を、小麦の奴隷(家畜)にしたのだ、と。
つまり、風に種子を飛ばして偶発的に発展するしかなかった小麦や稲やジャガイモやカボチャたちは、人間たちにせっせと世話をさせることで、稀に見る発展を遂げたのだ、ということだ。
先ほどのウシやヒツジやニワトリといった家畜との同じロジックだが、植物はより単純な生物ということで、より分かりやすいように思える。「小麦たちの幸せを思えば、偶発的に生息していた方が自由で良かった」とはあまり思えないから。
いやぁ面白い本だと思う。ようやく上巻の半分ぐらいだ。ただ、どちらかというと、この、人類の発展的な部分が、ここ数年一番調べたいというか、興味をもっていた部分だったから、この後の流れはどうなんだろうかとも、若干懐疑的でもある。(一般的な世界史的な書物は読んだことがあるけれども、このサピエンス以前から、狩猟採集民としての生活部分をこれほどの紙面を割いて説明しているのは初めて知った)
サピエンス全史ようやく農業革命へ
遅読にもほどがある。ようやく紀元前1万年あたりの農業革命に到達する。ちょっと今、何も見ずに、覚えていることをまとめてみようか。
○種は、生殖で繁殖する生物同士の集まり。属は、先祖を同じくする種の集まり。えっと、科って何だっけ……? 何か、もっと広い共通する集まり。
○サピエンスは、認知革命(虚構の言語)の使用により7万年前ごろから爆発的に発展した。東アフリカに達して、ネアンデルタール人とかは絶滅した。1万年~3万年前ぐらいまでの間に、サピエンスが唯一の人類となった。
○サピエンスは、その多くを狩猟採集によって生活していた。狩猟採集は、危険もあったが、狩りは三日おきぐらいでよかったし、採集も毎日数時間でよかった。現代人のように一日中働かなくてもよかった。
○狩猟採集生活は、100人程度の集団であった。その集団は、様々な信仰や様々な生活様式がありえた。一様に論じることはできず、非常にバラエティに富んでいた。例えば、20世紀の暴力による死者は5%ぐらいである。狩猟採集民の中では、部族の中でほとんど暴力で死んだと見受けられない集団もあれば、4%に匹敵するほどの暴力による死者がいた集団もあった。
○狩猟採集民も、30メートルもの巨大な石柱を建てたり、宗教的な活動をしていた。
などが、印象に残っているポイントかな。
今日読み進めた部分では、危険な種ということで、オーストラリア大陸に到達したり、北アメリカ大陸に到達して、2000年かそこらで大型動物を絶滅においやった張本人だということだ。
大型動物の絶滅は、気候変動だとする学者もいるが、人類の関与を覆い隠すことはできないという。
農業革命
食糧生産革命ともいう。現代にも続く、農耕社会の基盤は、約1万年前に積み上げられたものだということは、既にあった知識であるけれども、この本で学んだこととしては、そもそも、何故狩猟採集民が、農耕に精を出そうとしたのか。
それは、農耕が優れた生存手段だったからではない。
むしろ、農耕は、モノカルチャー(単一作物)に頼ることの旱魃等へのリスクや、狩猟採集生活のおおらかで余裕のあった(本当にそうかは別として、働く時間は少なかったとされている)生活を手放さざる得なくなった。
焼き畑農業で、適当に種をまくよりも、地中深くに種を埋めて、せっせと水くみをして、雑草を取り除き……。
豊かになるはずの生活は、他集団との抗争にも発展したり、子供が増えると養うためにもっと多くの食料を必要としていった。
……と、農耕社会の負の側面が描かれている。
インターネットや電子メールは、不特定多数の、即座の、コミュニケーションを可能にしたが、それによって私たちの時間に余裕はできたのか。必ずしもよいことだけではなかろう、と。
不可逆的な発展
だから、自然の、過去の、豊かな自然との共存を目指しましょう!となると、よくある環境保護論者と同じになってしまうが、この辺りへの苦言も中々面白い。というのは、狩猟採集民は、上で書いたように、恐ろしく大規模に、多くの動物たちを、自然を破壊していったのだ。
農耕民も言うに及ばず、家畜化した動物たちへの虐げは中々のものである。ある部族では、豚の所有が身分の高さ、富の高さを象徴していた。ので、豚の鼻をそいだり、目をくりぬいたりして、豚を逃げ出さないようにするとか、そもそも、今の畜産業への言及も、いうにおよばず。
とはいえ、個々の生物的には、別に農耕することが、今後ますます自分たちを奴隷化させていくなどとは、思ってもみなかったろう、というわけだ。
そのうち、狩猟採集の生活様式を覚えている人たちもいなくなり、今目の前にある農業、小麦をどう育てるか、収穫量をどう増やすか、盗賊や他集団の敵から守るために環濠を築き監視をおいて戦うための武器をつくるか、……そうした、「前向きな」考えが心をとらえたことだろう。
前向きな生き方とは
この記事は、インプット目的のものなので、あまり自分の感想をはさむ余地はないが、「戻ることもできないが、ただ、目の前の課題にだけコミットしていては、結局我ら人類が農耕を始めてしまった計算違いと同じ過ちを繰り返すだけではないか」という感覚である。先日書いた通り、虫、キモチワルイ、長野のアルプスで新種のゴミムシが見つかったというが、ものすげー興味がない。狩猟採集民は好んでタンパク源である昆虫も食べたろうが、そんな生活をしたいとは一切したいと思わない。
ただ、重要な視点を、この書籍が与えてくれるのは、生物学的な「進化」と、個々の幸福や満足とは、関連しない、ということである。
ウシ、ヒツジ、ニワトリといった家畜たちは、稀にみる大発展を遂げた。ウシヒツジ10億、ニワトリは250億もいるという。先日、鳥インフルエンザが流行ったということで、数万羽ものニワトリが殺処分されたとみて、「おぉ……」と思ったが、そもそも、世界中に250億羽もいるのか。1%にもみたないというわけか。
でも、それって、「進化」的には大成功なわけだ。
人間の都合で数万、数億単位で殺され、自然的な欲求とはかけ離れた生涯しかおくれないとしても、生物的には成功なのだ。それって、なんという皮肉だろうか。
しかしこの問題は、哀れな家畜たちだけではない。
僕らもまた、70億人の人々のうちの、たった一人でしかない。
矮小な存在でしかない。家族とか、会社組織とか、国民国家とか、そんな大きな枠組みに自分をコミットしたところで、結局、人類といった大きなフレームの中では、歯車ですらないのである。
会社社長はちょっとは影響力があるかもしれない。国家規模の資産をもつ資産家たちは個人の影響力は強いかもしれない。
しかし、古今東西存在し、反映した帝国、英雄たちも、いまや伝説として残るか、残らないかに過ぎない。その陰には、歴史にすら残らなかった名も知れない多くの無価値なサピエンスの屍に溢れていることだろう。
厭世的になろうというのではない
だから、生きていても意味はないんだ、死のう。俺は、別にその選択を決して無視しない。
むしろ、考え抜いて、その上での自死は、平凡な生涯を送り、悩み多い人生を長い時間過ごし、人類という発展のため寄与するよりも、よほど、人間的で尊厳的な在り方なのではないかとすら思う。
だがもちろん、そうではない生き方だってあるはずで、人類の発展への寄与が悪いことであるという確固たる根拠だってない。
どちらにせよ、「考え抜いて」……このブログで言うところの、徹底して、という形容表現に未だ到達していないとしたら、どちらの道も自信をもって選ぶことはできない。
だから、こうした表現すべては、厭世的でもなければ、諦念でもなく、新しい価値や創造のための試金石、思考実験なのだけれども、多分、多くの人に誤解というか(いやそれは決して誤解ではなく、恐らく、「その人にとっての真実」なのだろうが)不安や恐怖を与えてしまうことだろう。
その可能性を、決して、6歳の少年ではないのだから、分かっているのであって、それは対人コミュニケーションにおいて、自動的にストップが、自分の中でかかる。すげーこれが、めんどくさいと思う。しかもこれ、正常に働けば働くほど、他者に興味がなくなるという危険極まりないトラップだ。ので、せめて「徹底して」考えるときぐらいは、すべてのリミッターを外してやろうと思うのだ。
(ものすごい関係ないことを書けば、東京マグニチュード8.0で、「僕だってパパやママが無事じゃないかもしれないなんてこと、分かってるよ!」と姉にぶつける少年、感動した)
しかし、時間切れだ、取りあえず、非常に気に入った表現を最後に書いておく。
農業革命は、人類を、小麦の奴隷(家畜)にしたのだ、と。
つまり、風に種子を飛ばして偶発的に発展するしかなかった小麦や稲やジャガイモやカボチャたちは、人間たちにせっせと世話をさせることで、稀に見る発展を遂げたのだ、ということだ。
先ほどのウシやヒツジやニワトリといった家畜との同じロジックだが、植物はより単純な生物ということで、より分かりやすいように思える。「小麦たちの幸せを思えば、偶発的に生息していた方が自由で良かった」とはあまり思えないから。
いやぁ面白い本だと思う。ようやく上巻の半分ぐらいだ。ただ、どちらかというと、この、人類の発展的な部分が、ここ数年一番調べたいというか、興味をもっていた部分だったから、この後の流れはどうなんだろうかとも、若干懐疑的でもある。(一般的な世界史的な書物は読んだことがあるけれども、このサピエンス以前から、狩猟採集民としての生活部分をこれほどの紙面を割いて説明しているのは初めて知った)
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コメント
こんにちは。コメントありがとうございます。
銃病原菌鉄の作者もこの書をおすすめしてるみたいで、逆に僕はそちらの銃の本が気になりました。そういえば、以前ヒストリーチャンネルで同タイトルのをくえさんにおすすめ頂いた気がします。
生きてくのに必要な考え方か否か、非常に大事な視点と思います。この軸というか結節点をもたないと、何ら無益な思考の渦でつぶれてしまいそうです。
小麦自らの意思で、改良され、進んで食べられやすいように奴隷となる、うーんありえなそうですね(笑)
しかしこの、意思という表現についてもう少し突き詰めると、近い将来は夢想ではないきもします。
何だか、書いてる内容がしっかり伝わっているコメントというのは、全然関係ないコメントでも嬉しいですが、嬉しいものですね!
ほぼ、推敲も考えもしてなくても伝わるというのはクエさんの読解力というか行間理解力が高いためなのか……
銃病原菌鉄の作者もこの書をおすすめしてるみたいで、逆に僕はそちらの銃の本が気になりました。そういえば、以前ヒストリーチャンネルで同タイトルのをくえさんにおすすめ頂いた気がします。
生きてくのに必要な考え方か否か、非常に大事な視点と思います。この軸というか結節点をもたないと、何ら無益な思考の渦でつぶれてしまいそうです。
小麦自らの意思で、改良され、進んで食べられやすいように奴隷となる、うーんありえなそうですね(笑)
しかしこの、意思という表現についてもう少し突き詰めると、近い将来は夢想ではないきもします。
何だか、書いてる内容がしっかり伝わっているコメントというのは、全然関係ないコメントでも嬉しいですが、嬉しいものですね!
ほぼ、推敲も考えもしてなくても伝わるというのはクエさんの読解力というか行間理解力が高いためなのか……
posted by 遠藤at 2016/12/14 07:37 [ コメントを修正する ]
人が小麦の世話をするね。なるほどね、確かに、家畜化された結果、「繁栄」しているとは言えるよね。逆に人類は「奴隷」になった。なるほど面白い。
資本主義経済の発展と同じ香りがする。資本主義経済の発展によって、人間はお金に働かさせるようになった。資本家の資本+労働力=更なる資本。僕等は資本家の回し車を回すための鼠に過ぎないのだ。
数が増えすぎたって言うのも結構面倒で疫病なんか、数が少なければ大流行もしないのです。一定の数が無いと疫病そのものが存続し得ないからね。まぁ、ここら辺の話は銃・病原菌・鉄って本を読んでくだされ。
小麦については、人間が奴隷って言う解釈でいいと思うよ。人間にとって必要である限り、永遠にお世話してくれるよ。ただ、生きていく上で必要な考えかただとは思わないけどね。いや、もし小麦を奴隷をすることが出来れば必要な考えなのかもしれないなwww
小麦が勝手に増えて、人間の食料になってくれるならそれこそ革命かもしれんね。人間が研究しなくても、優れた品種に改良され、自らを刈り取り出荷される。そんなバカなwww