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アイビーリーメソッド(忙しいとは)
2020/08/23 16:34 | Comments(4) | 思考及び書くこと
今日の一言「気がかりなことがあると十分に楽しめない」

まえがき

 何だろう、一応、毎週ブログを書くということは続けられているのか。なんか、指が痛いな。どこが痛いかよく分からないが、右手の指のどこかが、タイピングすると痛い気がする。キーボードを数か月前に買い替えてから――それがいつのことだったかもさっぱり思い出せないが、とりあえず、今年の、半年以内だったとは思う。確か、ブログにも書いたから調べたら分かるだろう。アマゾンの注文履歴を調べても分かるだろう。調べたら分かることを記憶する必要はない。ただ、そうすると、記憶するべきことなんて、一体何が残るのだろう。

 毎週一応続けられているのか。ブログを書くことと、イラストを描くこと。不思議な感覚だ。
 こうやって、ブログを書き始めると、不思議な気持ちになる。非常に、久しぶりな気がするのだ。一週間というのが、長いような短いような分からない感覚。
 先週書いたことが全く思い出せない感覚。

夜天を引き裂くがアマゾンで販売

参照

 お気に入りの作品が、アマゾンで販売開始された。
 NOTEで販売開始されたときも購入(投げ銭?)したが、今回はKINDLEに入れられるということと、イラストも追加されているということで(NOTEでもあったのかも)、即購入した。

 縦書きになるとまた印象が違うなと思った。最近、キンドルアプリだと、タブレットでも見れることが分かって、試してみた。背景を黒くして、文字を白くしたらいい感じに思った。ただ、タブレットだと、横向きの画面にしたとき、上下空白が調整できずにいまいちに思った。

 イラストだけ見ようかと姑息なことを思って流し読んでいたら、また最初から熟読し始めて、眠れなくなったのは内緒の話である。
 それはそうと、「惨殺死体を始めてみたが」については、数年前に感想書いたときに触れた気がしていたが、「千切って鼻毛」のように味がある気もした。
 とにかく、怠惰な自分に努力ということの大切さを分からせてくれる作品である。

「怠惰な無能だけが『葛藤』とやらを神聖視する」

 とか、どうやったらそんなかっこいい台詞思いつくんだぜ……。

イラスト

 某作品の主人公をかいてみる。――版権イラストって、かいちゃいけないんだっけ。まぁでも似ても似つかないから問題なかろう。




 所要時間、参考画像探す時間含めて45分くらいかな。似ないものであるな。しかし、なんか、割と下書き線の時のほうが割と雰囲気が出ている気がするのは気のせいか。


 色なかったり、ぼやけていたほうが、想像力で補完されるということだったりしたりして。もっと面長にしたほうが似ていた気がする。目を書いているうちに横に伸びがちになる傾向がある気がした。かといって、輪郭を先に書いてからだと、目のバランスをとりづらくなる。今後、下書き時の顔の円○を、自分のイメージよりもやや縦長に描くように試してみよう。

アイビーリーメソッド

 忙しい。
 気持ちが落ち着かない。
 毎日が追われている。
 不安だ。
 一生懸命やらなきゃいけない。
 疲れる。
 心配。

 だいたい、毎日こんな気持ちである。同時に、たぶん、上司も同僚も、そんな風には思っていない気がする。
 まぁ仕方がない、自分の能力が低いからなのである。みんな優秀だから僕が30分かかることを5分でやれるのである。だから、これぐらいは余裕なのだと思っているのである。


 まぁしかし、そういった、他人がどう思っているか、という点はいったん除外する。そんなこと気にしてもきりがない。

 問題は、上のような感覚。一言でいえば、「忙しい」という状態の解決が必要だ。

 忙しい原因で調べてみると、「アイビーリーメソッド」というのが見つかった。

 忙しいというのは、やることがたくさんある、ということではない、という点が自分の中で新しい考え方だと感じた。

 忙しいというのは、何か作業を取り組んでいる際に、別のことが頭の中に浮かぶ状態だという。
 10個タスクがあっても、順番に一つずつ集中して取り組んでいられる場合は、忙しいという(感情)状態ではないのだ。という。

 なるほど。
 そうかもしれない。そういう意味で、僕は間違いなく忙しいということを実感した。作業している間に、「あれもやっとかないと……」といった感じで、気になることが多くでてくる。

忙しい状態

 アイビーリー・メソッド(以下IBM)は、夜に6つ、紙にやることをかいて、一個ずつやるということ。
 優先順位をつけて、翌日はそれに基づいて順番にやる。
 できなかったらすっかり忘れる。また夜に6つ挙げる。

 ということ。会議、とか、来客とか、そういったブックドされているスケジュールは書かないで、タスクとしてやることをかくということだ。


 やってみよう、と思うが、当面、6つじゃあ、終わらないし、6つだとしても、一日で終わる量ではない。
 その、「タスク」の区切り方を、もう少し学ぶ必要があるな。


 最近の状況としては、日中帯に、想定外の事態か、タスクが発生する。例えば、問い合わせとか、ミーティングとか。
 そこで僕は、二つの選択が可能だ。発生したタスクを別にスケジュールするか、当日に終わらせてしまうか。

 別の日に回すことをした場合、それが新たなタスクになるので、別の日が苦しくなる。
 当日に終わらせた場合は、その分、本来の予定タスクのための時間がなくなるので、その日が苦しくなる。

 まぁそれでも、終電まで時間を延ばしてやっていれば、その負債も片付けられていたが、最近は、終電までやっても終わらない状況になってきた。そうすると、「忙しい」という気持ちがますます加速して、疲れる。

 まぁもっとも、土日も仕事すれば、平日は余裕がとれるんだろうが。

休日と平日

 でも、思うのだけれども、仮に休日もサービス残業で仕事して、平日に気持ちは余裕が出たとして。
 まぁ、今週とか、今月はよいかもしれない。でも、結局、それが常態化したら、なんのために働いているんだという気になってくる。

 不安な状態は嫌だ。
 まぁ、その、失敗した結果は、怒られるだけなのかもしれないけれども、そもそもそういう状態になるということ自体が嫌である。

 忙しくて疲れるのも嫌である。しかし、失敗したり、できなかったりするのも同じように嫌である。

 これぐらいはできるだろうという、他人の見積もりもあることだろう。それは置いておいたとしても、自分の中でも、これぐらいはできるだろうというものがある。それが達成できないと、落ち込む。嫌である。難儀だ。

あとがき

(かっこ書きである。うーむ、やはり、指が痛いな。中指と薬指あたりか。キーボードがやっぱり、前使っていたやつより、キータッチが重い気がする。そのせいなのかは分からないが。とりあえず、今週と、来週が終われば、気がかりな仕事のことは2つ終わる。問題は、終わっても、また新しい問題があるだろうということである。なんか、終わらなさが面倒である。休んだところで、その仕事が終わるわけではないので、解決しないし。やっぱり、高い山を見上げているよりかは、一歩でも進むしかないということか。いやまぁその、山を越えたら、また次の山が現れるという、そこが問題である。20代はがむしゃらに山を登ったのだろうが、そもそもそれじゃあもう駄目じゃないか。ってことも、たぶん、20代のときから思っていたのだろうが、思ってはいても、「まぁ20代だし」といった甘えがあったような気がする。小説を書いて、サイトで公開し、販売し、アマゾンでも販売しと、着実にステップアップしている人がいる一方で、僕はずっと停滞している。それも、誰のせいでもなく、自分のせいで。いやむしろ、身体も、思考も衰えていくなか、停滞どころか、崖から転げ落ちているのではないだろうか。どういった状態が、果たして、望ましいのだろう。分からない。いったい、僕のこの膨大なブログ記事の中で、こんな気持ちの際に参考になるのは、どれなのか。すぐに探し当てられないこのブログに何の価値があるのか。思いつくこととしては、楽しい、満足した、充実した、嬉しい、こうした感慨を得る状況というのを、忘れないようにしたほうが良い。最近、ごはん食べるときに、至高の料理だ最高に旨いと思うようにしている。そうしたほうがなんか幸せだろう。家で食べるときは孤独のグルメを流したりして雰囲気を作ったり。オリジナルカクテル作ったときも、BAR風の音楽を流したりして。って飲食だけかい! 行きつくところ、人間の幸せとは飲食なのだろうか。しかしそれは、消費行動に思われる。創造価値がなくてよいのか。なんだろう、やっぱり、自分の中だけで完結する幸せというのは、それだけでは、人間は満足できないのだろうか。生きたい、知りたい、仲間になりたいというのが人間の脳が求める本能であるので、人は一人では生きていけないのか。――でも、なんだろう。こう、多くの人の中で、――部活だったり、飲み会だったり、そういった集まりの中で、「面倒くさい」「つまんない」といった感覚があったことも、同時に僕は覚えていて、いわゆる「リア充」的な行動原理について、全肯定はできなかったりする。どこかしら、こう、無為に文章を書いている時間が、尊いものだと僕は感じている気がする。それはきっと、誰かを幸せにするような類なものではないにも関わらず。まぁいいや。この土日で、そしてこの記事で、少し思考と体調は回復したので、もう少し、頑張ってみるか。最悪は退職金もなしで仕事を辞めることだろうが、そうなったとしても、1年くらいは同程度の生活水準で生活はできる。いやむしろ、土日はほぼ寝ているケースがあるため、逆に消費も少ない気がする。都心のランチは高いのである。そう考えると、都心のコンビニって、郊外と同じ値段で弁当とか売ってる気がする。コーヒーとかは同じ値段だし。そうすると、なんかすごい気もする。売り上げ量、回転率の問題か。というか、退職金って、出るのだろうか。退職金の所得税の控除額は、確か、40万円×年数(月単位は繰り上げ)だったと思う。10年働いていれば、400万円は税金がかからないということだ。そもそも、どんぐらいなのか。ぐぐると、10年で会社都合だと300万ぐらい。自己都合だと200万ぐらいらしい。そうすると退職金にかかる所得税って、割とやさしめなのね。――と、自分、こうやって段々余計なことを気になって調べたり考えたりしているから、仕事が遅いんだろうなとも思う。しかし、完全に余計なことか、というと、たぶんそうでもなくて、逆にそこで調べていたことが別の会話で重要になったり、別の件の解決のポイントになったりしたりする。その確率は非常に低いのであるが)

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コメント

>始めてみた

グワーッ!! 直してると思ったら直してなかった!! 恥ずかしい!! セプク!!

>とにかく、怠惰な自分に努力ということの大切さを分からせてくれる作品である。

ウレシイけど、むしろ遠藤さんにはもっと怠惰になってほしい……仕事やりたくてしょうがねえというならともかく。いやだいぶ大きなお世話を言っているのは自覚しているのですが、一日の疲れを明日に残さざるを得ないような暮らしが常態化しているのなら、それは改められるべきです。いつか必ず体か心を壊しますし、壊れて働けなくなってからでは遅い。健康を損なってまで果たすべき義務などこの世に存在しません。
posted by バールat 2020/08/23 20:35 [ コメントを修正する ]
IBMはある程度することが少ない状況にあるなら効果を発揮しそうだけど、いまの状況だとそれよりもすることを減らすことのほうが効果が大きそうですね。

>>バールさん

>壊れて働けなくなってからでは遅い。健康を損なってまで果たすべき義務などこの世に存在しません。

これね、自分が経験しているからっていうのもあるんだけどマジ同意www
ゲームとかだとHP0になって蘇生しても、HPの最大値とか能力値変わんないじゃん。でも実際はHP0にならなくってもHP30%を下回っても解除が難しいデバフがかかるし、最大HPもMPも減る。まじで合理的じゃないなって思うんだけど、渦中にいるとそこから抜け出せないっていうのはあるよね。

そこらへんは自分もわかるんだよね。もうだめだって思ってから実際に仕事辞めるまでに5年間かかっている。この5年間がなかったら金も今より数百万は多かったと思うとつらいwww


ただ、思うことは自分の場合、仕事を辞めたことが非常に良かったけど、自分がやりたいと思ったことは仕事続けていても関係なくやっていただろうなってこと。仕事しながらでも株はやっていたし、たぶん、仕事続けていても株はやっていたはず。

遠藤さんの場合も、仕事辞めても続けていてもどうせ創作はするんだろうし、ええんやないかって思うけど。


正直、仕事辞めたら創作が捗るっていう理由で辞めるのは、お勧めしないっす。仕事やっていても創作しているから、仕事辞めても創作するんだと思います。(遠藤さんはそういう意味で言っているんじゃないんですが、自分が勝手に言っているだけです)
posted by いみふat 2020/08/23 21:13 [ コメントを修正する ]
 つい最近、ツイッターで簡単な日常の行動を「RPGのクエストリスト風」にしている人を見かけました。
 「○時までに起きる」「朝食・昼食・夕食を食べる」「○時までに布団に入る」みたいなものをチェックリスト化して、一週間のうちの達成数や、全部達成できた日数によってご褒美として「ラーメン1回食べてよし(外食OK)、アイス1回食べてよし(間食OK)」、みたいな感じでした。

 仕事に関しては、「対価以上の仕事はするべきではない」ということを言っている人もいました。
 能率は人それぞれだとしても、できるからという理由で対価以上の仕事をすると、「対価に見合わない仕事量が回されるようになり、それが普通=基準になってしまう」からだという話です。これには、できる人にできない人の分の仕事を回して全体の量を保つ、みたいなものも含まれると思います。
 経営者側の視点からすれば、当然ながら「同じ対価でも多くの仕事量をこなせる人」を選びたくなるわけですが、それはつまるところ仕事の対価を下げたい、働き手の価値は低い方が利益が出るのでありがたい、ということでもあるため、働き手側からすると安い給料のまま仕事が増やされる形になりやすいわけです。
 適材適所とは言いますが、体を壊したり精神をすり減らしたり、負荷の大きい仕事に見合う対価はもらえているのか、というのは割と重要な部分だと思います。

>イラスト
 特徴は捉えられていますよ。誰を描いたのか分かります。
 版権イラストについては、それを商業的に利用しようとしなければファンアートということで大丈夫じゃなかろうかと……(私もあれこれ描いたもの自サイトにありますし)
posted by 白銀URLat 2020/08/28 16:22 [ コメントを修正する ]
●バールさん
>怠惰
 いやぁ……割とどころか、根っからの怠惰な性質だなぁと思っております。モチベーション常時低い低燃費人間。のわりに忙しい部署を転々としている気がします。何故だろう。もっと低燃費で済むところに行きたい。しかしそんなこと言ってたらすぐFIREになる気もする。どうしたらいいんだ。
 とにかく、健康を損なうことは避けなければと思います。

●イミフさん
 HP0になってからだと遅いってのはなるほどなと思います。体はアナログで、元気と不健康の状態は完全に分けられないと思います。
 やめるのが早かったほうが金も多かっただろうというのは、治療に要した費用も多かったからということでしょうか。無理してでも仕事続けていいことあるといえばお金の面ぐらいに思いますが、それもなおマイナス面が強いとなると本当にいいことないですな。

>ただ、思うことは自分の場合、仕事を辞めたことが非常に良かったけど、自分がやりたいと思ったことは仕事続けていても関係なくやっていただろうなってこと。仕事しながらでも株はやっていたし、たぶん、仕事続けていても株はやっていたはず。

 私も、仕事辞めたとしても創作はしていくんだろうなと思います。あとゲームもしているだろうな。投資とか、お金になる何があっても続けたいことがあるといいんだけれども。

●白銀さん
 仕事の量と能力は比例しそうですよね。能力が高まれば高まるほど仕事量も増える。100あった仕事を70%ぐらいの時間で終わらせられるようになって、給料も増えたらやりがいありますが、30%分新しく仕事が入って、給料も変わらないのが現状な気がします。昔はそれでも、その頑張りが出世や給料に結び付くモデルがあったんでしょう。今はそういったモデルが薄弱ですし、仮に給料や出世に結びついていたとしても、正直それ自体にメリットがなさげ。
 末端兵士のままだと前線で使い捨ての駒になるってなら誰しも必死に出世しようと思うのでしょうが。まぁそういう恐怖とか不安をモデルとした社会や世界ってのがもう古いと思いますし、人類の目指すところでもない気がします。

>適材適所とは言いますが、体を壊したり精神をすり減らしたり、負荷の大きい仕事に見合う対価はもらえているのか、というのは割と重要な部分だと思います。

 このあたり難しくて、僕の中では「大変だ」「忙しい」という感覚が強いですが、先日、工事現場で重機ごと転落して死亡したニュースを見て、そういった命の危険はない仕事なので――通勤途中の交通事故ぐらいがリスク――安全の割に給料はよいのではと思ったりします。そうだとすれば、多少の不都合も我慢すべきなのかとも思ったり……。と、これがいつも忌避したくなる比較思考なのですが、やっぱり思っちゃいますね。

>イラスト
 ありがとうございます! 商用は全く関係ないので、大丈夫そうですかね。似てるか似てないかはおいておいて、やっぱり好きなキャラクター描くのは楽しいですね。
posted by endoat 2020/08/30 23:18 [ コメントを修正する ]

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