今日の一言「お金があっても大変なもんは大変だ」
一言、書かせて頂こう。仕事が、忙しい。
僕の今までの感覚でいくと、70点ぐらいをとるにも、残業を避けられない。
そりゃね、仕事の内容にもよるが、スピード感というのは大事なので、7割り程度でも、先に進めていくことも必要だから、100点に拘ってやたら時間をかけるのは間違っている。
しかしながらその、7割り程度をこなすためにも、対応案件が多すぎる。いやもちろん、僕の処理能力不足、と言われたらそうなんだが、取り敢えず現状、どうにもこうにも手詰まり感がある。
ここまでをこの日までにやろう、としていても、方向性が変わったり、追加案件が発生したりで、アンコントロールである。
問題は、思い通りにいかないことが多いと、僕は段々イライラしてきてしまうことだ。
他者への態度にも出てしまう。悪循環である。他者への態度が悪くなってしまうことそれ自体が、ストレスになるからだ。
とそんな感じでイライラしていたある日、とあるお客さんと会話する機会があった。その方が、とてもお金持ち、というか、資産をもっていた。不動産関係だが、軽く億をこえているという。仕事はしているが、不動産投資の方がメインとのことだ。
投資と、リターンが、もう、けた違いで、僕の全財産が維持コストみたいなレベルである。
そんな方がおっしゃるには、サラリーマンなんてやって、時間を切り売りしてるなんてばからしいと。もっと大きな考え方をして、夢をもたなきゃダメだと。
おー、やっぱりこんな人がモテるんやろうなぁ。
そんなお金持ちさんのお子さまたちも、やっぱり考え方がビッグだという。そもそも、子供の頃から高級な食べ物や服を与えられていたから、金銭感覚もそれなりだという。
そういう親に育てられたら、なおさら、サラリーマンとかやってらんないね、ってなるのだろう。
教育の重要性だ。
育ってきた環境の重要性だ。
で、まぁ、そういうのに憧れる人もいるのだろう。
ただ、負け惜しみにしかならないが、色々な人とかかわり合って、だましだまされ努力して、良い車や旅行を楽しみに頑張って、というのは、リターンが大きい点はまったく違うが、お金持ちもまた、色々大変なんだなぁ、と感じさせた。
冒頭の忙しさへの対処についてであるが、これはそろそろ、考え方の転換によって対応すべきかもしれない。
つまり、忙しいことを当たり前にするということだ。
最近、ノー残業デーとか、プレミアムフライデーとかそんな、長時間労働はいけないものだという風潮が広まっている。
ので、僕も、僕の実感からも、長時間労働はよくないことだと思うので、早く切り上げようと効率化を考えてはいるが、しかし、前述の通りがんがん、追加案件が発生するのだ。
それを、やらないようにするとか、他の人に押し付けるとか、まぁそんな方針をたてたりもしたが、この考え方を変えてしまってはどうか、ということである。
忙しいのは当たり前。21時から23時が定時であると考えるのだ。
そうしたら、仮に20時で終わったらよく頑張った! となる。
社畜乙とか、効率悪いとか、頑張ってる感出してキモいとか、そりゃもう、時代に逆行することをいってるから、いくらでも批判可能である。
それはそうなんだが、取り敢えずアンコントロール状態なら、劇的に状況を変えることなどできないのだから、考え方の転換をして、感情制御に努めたほうがましである。
もちろん。頑張って頑張った果てに、汚名を着せられたこともあるので、決して頑張ることを肯定するのではない。無理をするつもりもない。成果を求めるつもりもない。ただ、やるべきことをやるだけだ。
大事なことは、人のせいにも、上司のせいにも、会社のせいにも、社会のせいにも、国のせいにもせず、すべて自分のことであると、人生を引き受けることである。
と、書くと、じゃあ、人のせいにしてくるくだらない奴との対応はどうしたらよいか? ということが問題になる。そういうやつらとの対応も含めて、それらに対する行動もあわせて、自分で引き受ける必要があるのだ。
(この記事は抱負とかメモ的なものなので、あまりというか、ぜんぜん深い意味はない)
せこせこ働いてどうするのか
一言、書かせて頂こう。仕事が、忙しい。
僕の今までの感覚でいくと、70点ぐらいをとるにも、残業を避けられない。
そりゃね、仕事の内容にもよるが、スピード感というのは大事なので、7割り程度でも、先に進めていくことも必要だから、100点に拘ってやたら時間をかけるのは間違っている。
しかしながらその、7割り程度をこなすためにも、対応案件が多すぎる。いやもちろん、僕の処理能力不足、と言われたらそうなんだが、取り敢えず現状、どうにもこうにも手詰まり感がある。
ここまでをこの日までにやろう、としていても、方向性が変わったり、追加案件が発生したりで、アンコントロールである。
問題は、思い通りにいかないことが多いと、僕は段々イライラしてきてしまうことだ。
他者への態度にも出てしまう。悪循環である。他者への態度が悪くなってしまうことそれ自体が、ストレスになるからだ。
セレブとの会話
とそんな感じでイライラしていたある日、とあるお客さんと会話する機会があった。その方が、とてもお金持ち、というか、資産をもっていた。不動産関係だが、軽く億をこえているという。仕事はしているが、不動産投資の方がメインとのことだ。
投資と、リターンが、もう、けた違いで、僕の全財産が維持コストみたいなレベルである。
そんな方がおっしゃるには、サラリーマンなんてやって、時間を切り売りしてるなんてばからしいと。もっと大きな考え方をして、夢をもたなきゃダメだと。
おー、やっぱりこんな人がモテるんやろうなぁ。
羨ましいがしかし
そんなお金持ちさんのお子さまたちも、やっぱり考え方がビッグだという。そもそも、子供の頃から高級な食べ物や服を与えられていたから、金銭感覚もそれなりだという。
そういう親に育てられたら、なおさら、サラリーマンとかやってらんないね、ってなるのだろう。
教育の重要性だ。
育ってきた環境の重要性だ。
で、まぁ、そういうのに憧れる人もいるのだろう。
ただ、負け惜しみにしかならないが、色々な人とかかわり合って、だましだまされ努力して、良い車や旅行を楽しみに頑張って、というのは、リターンが大きい点はまったく違うが、お金持ちもまた、色々大変なんだなぁ、と感じさせた。
コペルニクス的転換
冒頭の忙しさへの対処についてであるが、これはそろそろ、考え方の転換によって対応すべきかもしれない。
つまり、忙しいことを当たり前にするということだ。
最近、ノー残業デーとか、プレミアムフライデーとかそんな、長時間労働はいけないものだという風潮が広まっている。
ので、僕も、僕の実感からも、長時間労働はよくないことだと思うので、早く切り上げようと効率化を考えてはいるが、しかし、前述の通りがんがん、追加案件が発生するのだ。
それを、やらないようにするとか、他の人に押し付けるとか、まぁそんな方針をたてたりもしたが、この考え方を変えてしまってはどうか、ということである。
忙しいのは当たり前。21時から23時が定時であると考えるのだ。
そうしたら、仮に20時で終わったらよく頑張った! となる。
評価を気にしないことと気にすること
社畜乙とか、効率悪いとか、頑張ってる感出してキモいとか、そりゃもう、時代に逆行することをいってるから、いくらでも批判可能である。
それはそうなんだが、取り敢えずアンコントロール状態なら、劇的に状況を変えることなどできないのだから、考え方の転換をして、感情制御に努めたほうがましである。
もちろん。頑張って頑張った果てに、汚名を着せられたこともあるので、決して頑張ることを肯定するのではない。無理をするつもりもない。成果を求めるつもりもない。ただ、やるべきことをやるだけだ。
大事なことは、人のせいにも、上司のせいにも、会社のせいにも、社会のせいにも、国のせいにもせず、すべて自分のことであると、人生を引き受けることである。
と、書くと、じゃあ、人のせいにしてくるくだらない奴との対応はどうしたらよいか? ということが問題になる。そういうやつらとの対応も含めて、それらに対する行動もあわせて、自分で引き受ける必要があるのだ。
(この記事は抱負とかメモ的なものなので、あまりというか、ぜんぜん深い意味はない)
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