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いやなことむかつくこといらつくこと
2015/11/14 00:42 | Comments(0) | ポジティブ思考
ある程度のイライラの時は面白い文章がかけて、完全に超越するとどうなるんだろう。

人はストレスで死ぬのだろうか。理不尽なことに人は耐えられない。俺は特にそうだ。
自分の力でなにか解決できるならいいが、それもできない問題がふりかかったら、逃げ出すしかないだろう。
まぁ、それでも、命のやりとりじゃないだけ、紛争地帯と比べると大した問題ではない。

いや違う、問題の大きさは、それをどの程度自分で感じるかだ。すなわち、実存の問題でしかない。
比較の慰めは意味をなさない。それで解決する程度なら、自分で解決しろというものだ。

繰り返せば苛立ちは限りなく大きい。
だからといって、ぶつける相手もいない、いや、いるのだが、「大丈夫君が悪いんじゃないよ」って言われて回復する程度なら、そもそもこのような文章にしたりしない。

前に書いた通り、誰かに愚痴をいうことは瞬間的な対処であり、根本原因が厳然とある以上、解決の糸口はみえない。


まぁ、これもコミュニケーション能力が高い奴が勝つに過ぎない。
ゆえに、自分の能力のなさと不運さを嘆くだけでよい。

そう、運が悪かっただけなのだ。
誰も悪くはない。その環境がいけなかったのだ。
まぁ故に、だ、恨みはするまい。

しかしながら、同時にこの苛立ちはをどうすればいいのか!



とにかく書き続けるしかないだろう、しかしそれは、瞬間的な自慰に過ぎないと先ほど扱き下ろした愚痴を他者に話すすととなんら違いがあるのか! 愚の骨頂である。それどころか、害悪ですらある。



結局はそう、世界のすべての問題など、解決することはないのだ。根本的な解決を望み、理不尽さに苛立つ私は、単にヒーローに憧れるお子ちゃまなだけなのだ。

だがしかし! そんな、諦念、失望や絶望のみがこの世界で生きる手段であっていいのだろうか。
夢や理想はもってはいけないのか。
仕事に生き甲斐を見いだしてはいけないのか。人生を謳歌してはいけないというのだろうか!


断じて、否。人は楽しむために生きている。それは中学生で見いだした真理。その楽しむという定義を現実と理想のギャップにあると看破した大学生以降。

いまはただ、そのことを全力で実現するだけである。
欲をもて。欲は必ずある。それを見いだせないのは、安全を維持する諦念が働いているからだ。スタビライザー。しかし、その安定機自体が不安定な場所まで引きずり下ろされたとき、安定機の努力が何と何と虚しいことか。憐れだ。


であれば戦う。本来あるべき姿を望む。理想の形をイメージする。

もはや安定は望むべくないことが分かる。苛立ちは、安定の亀裂を告げる警鐘であったのだ。

なおそれに耳を傾けず、崩壊した土台のうえにボロボロなスタビライザーの働きに期待するのは、小学生以下の哀れなるゴミだ。

お前はゴミ虫か? それとも自らの意思をもつ人間か?


(帰宅中スマホより書き散らす)

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