今日の一言「未定」
目的の重要性と多様性の不可避
矛盾したことを書いている。
僕は、目的を持つのは大事だと書いている。思っている、素直に。
一方で、多くの人が普遍的に抱ける目的なんて存在しないと書いている。思っている。真剣に。
相反する意見である。
対立したとき、どのように調整するのかというと、「次元」調整である。
アリストテレスのアクラシアの話を思い出してもらいたい。
(エピクロスの「アタラクシア」といっつも混在したキーワードが浮かんでしまうのは、僕の凡人たる所以なのだが、ここでは全く関係ない)
わかっちゃいるけど、やめられない。
アリストテレスは「真理」という概念を示したが、実際に紀元前から「駄目だと分かっていてもやってしまう」ということを人はやってしまっており、これは矛盾ではないか、と。
しかし、ある様相においてはOKであって、他のその高次の様相ではNG、という風に考えればいいんじゃないか、と、社会学者の大澤真幸氏が書かれていた。
下手な引用したせいで逆に分かりづらくなった気がするが、要は、「目的」にも次元があるということだ。
個人の、集団の、組織の、社会の、世界の。
当たり前といえば当たり前である。
が、強調したいのは、より高次の目的に「合わせる」ことが必ずしも重要ではなかろう、ということである。
何故ならば、原理的に無理だからだ。
人は多様な存在であったのだ。
忠義や忠節が大事だと思われてきた。神への信仰が大事だと思われてきた。
実は、人間はそんなもんじゃなかった。カオス、混沌がその真性だったのだ。
(かっこ書きである。未定)
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