また、文脈無視である。シュタインズゲート・ゼロ、結局全然やれてないしな!
電磁気学について、学びたいと思って、本など読んでいたのも、もう何年も前になってしまった。
つまり、魔法、という言葉を使いたくなかったけれども、ファンタジーを書きたかったのである。
その点、無職転生は、ハーレム要素があるから問題とはいえ、その魔法という論理体系が序盤から整理されているなぁと感じて、読み進めることができた作品であった、、、とか上から目線で書けるだけの創作力もなければ、読解力も、知識もないのだけれども、まぁ好きなように書く。
そもそも、電気、天災の雷でもいいが、これは、存在自体魔法といってよい。
何せ、得たいのしれないものなのだから。
それを、科学という名前がついているが、電磁気学として、系統立てて整理して、その発生の機序を操って、インプットとアウトプットを制御できるようになったとしたら、それは魔術といってよいではないか。
科学者は、とんでもない、というだろう。学問と魔法を一緒にするな! と。
しかし、素人にとって、分子の運動が熱なのだといわれたり、光とは光の粒の波の運動だと言われてもやっぱりピンとこない。
電車が何故動くのか。パソコンで文書を作れるのは何故なのか。
突き詰めればそれなりに答えはわかる。パソコンの文字は、文字コードといわれる体系で決められた数字やアルファベットの組み合わせで表現されており、それらはビットと呼ばれる1か0の信号の集合体である。1か0というのは、電気信号のオンオフにより表現される。だから、その1と0の両方を保持できる量子コンピューターってのはものすごい処理能力をもつ、とか。
とはいえ、パソコンを使うのに、そんな知識は必要ない。
アルファベットと、ローマ字の知識と、キーボードの打ち方、パソコンの電源の位置とアプリケーションの起動が分かってれば、まぁ要はすませられる。
昔、ファンタジー世界の魔法も、同様という設定で考えてみた。要するに、術者としては、細かい魔法の体系などはよくわかっていないけれども、身体や思考をどのようにすれば、どういった結果……すなわち、炎や雷を発生させられるということは、分かっている、ということである。
こういった、設定であれば、まぁ細かい体系や知識は不要である……のだけれども、そうするとやっぱり、表現としてつまらなくなるのである。
ので、これも一年も前になりそうだが、イラストで物理法則を描く本を買って、流し読みしてまぁ面白かったけど、しっかり読めていない。
脈絡なく続ける。
雷って、やっぱり、電流であると考えられる。
雷撃となれば、凄まじい電流を生じさせ、敵を貫く魔法だろう。
そうしたとき、電流とは何かを考える。
電流とは、電子の動きである。
伝導体、電子が流れることができる物体を通じた、電子の移動の量が、電流である。
陰極線の実験とか、中学とかであった気がするが、真空でも、電子が流れる。
その、電子を操るのが、雷魔法の使い手である。
んじゃあ、電子ってなんぞ?
電子って、物体を構成する素粒子である。
有機物の、炭素とか酸素とかにも電子は含まれる。ので、僕らの体にも電子が含まれている。
まぁ、脳の体を動かす信号も電気だというから、電子で体か構成されているというのもそれほど不思議ではないのかもしれない。けれども、僕はまぁまぁ違和感があるけれど。
とはいえ、電子という目に見えない存在も、ありふれている物質なのだ。珍しくはない。
けれども。
だからといって、それらを操るってのは、一体どうしたらいいのか?
それが、電磁気学である、と、僕は勝手に思ってる。
電気、電子を考えるにあたって大事なのは、
場
という考え方だといわれる。
僕はどうにも、高校物理のときはよくわからなかったけれども、今のところ、向きと、移動スピード(加速度)が決まる場所、という理解である。
その、場、というのが、日常用語でもあるので分かりづらいが、専門用語として考えた方がよいのかもしれない。
とにかく、場という考え方が必要なのは、目に見えない大量の物質を扱うからだ。
電子なんて、さっき書いた通りありふれているから、一個二個と数えていてはきりがない。
その一個よりも、他の強い大きな一個によって、全く別の運動になるかもしれない。
だから、アンペアとかボルトとか、あんまし実感がわかない単位が登場する。これらは、そういうもの、として覚えないと勉強が進まない、でも、あんまし納得したり、イメージできないまま、数式だけ、公式だけ覚える勉強は苦痛である。
話がそれた。
場の、話。
恐らく、雷魔法の術者は、電子の運動を支配する場、を操ることができるのである。
電子は、マイナスの電荷をもち、プラスの方向に流れる。
雷魔法で敵を貫くのであれば、ブラックホールのように、強力なプラスの電荷を空間に生じさせればよい。そのプラスの電荷が生じる場所に、大量の電子が流れ込み、激しい熱運動をともない、敵の身体を構成する電子をも巻き込み、再生不能なほど損傷を与えるのだ!!
科学的には、電位(ボルト)の差を作り出すといえる。電位差魔法だ。
脇道にそれるが、電気が流れるところに磁場が生じる。というの提唱したのがマクスウェルで、電気学と磁気学があわさって、電磁気学といわれている。
ということは、電子の制御に重きをおいて鍛練を積んできた魔術師に対抗して、磁場を生じさせることでレジスト(打ち消す)したりする展開も面白そうだ。
しかしそもそも、術者は、どうやってその場なるものを、制御できるのか。
自分とは離れた空間に適切に作り出せないと、結局自爆しそうである。
空気のように目に見えないもの、といったところで、真空以外であれば、それは、大気が存在し、大気とは気体、ガスの集まりである。
ファンタジーでは、マナとか、魔素とか、超常物質が存在したりする。
そういった物質を媒介に、魔法という現象を生じさせる……といった説明を読んだりする。
しかし、それでは説明になっていない、と、思う。
超常現象を、超常物質の導入で説明しては、それは同語反復、トートロジーではなかろうか。
考えなければならないのは、その術者と、世界法則の関係性である。
何故その術者は、世界に対してアクセスできるのか。干渉できるのか。
通常は、物理的身体によって干渉する。
しかし今は、魔法という、離れた場所においても、直接触れなくても事象を起こす自体を考察せねばならないのだ。
しかし、ここでそもそも、最初の電気や磁気というのは、直接物質同士が触れなくても、発生している事象ではないか。
例えば、磁石同士を近づけると、触れていないのに反発しあったりする。
文脈無視だが、もっといえば、言語。
空気の振動によって、音という現象を生じさせ、他者の感覚器官である耳にはいることにより、新たな思考や行動を引き起こさせる。
そう、言語、言葉というのも、遠隔作用する魔法の一種なのではないだろうか。
……とかとりとめなく書いていたら時間切れ。
電磁気学について、学びたいと思って、本など読んでいたのも、もう何年も前になってしまった。
つまり、魔法、という言葉を使いたくなかったけれども、ファンタジーを書きたかったのである。
その点、無職転生は、ハーレム要素があるから問題とはいえ、その魔法という論理体系が序盤から整理されているなぁと感じて、読み進めることができた作品であった、、、とか上から目線で書けるだけの創作力もなければ、読解力も、知識もないのだけれども、まぁ好きなように書く。
そもそも、電気、天災の雷でもいいが、これは、存在自体魔法といってよい。
何せ、得たいのしれないものなのだから。
それを、科学という名前がついているが、電磁気学として、系統立てて整理して、その発生の機序を操って、インプットとアウトプットを制御できるようになったとしたら、それは魔術といってよいではないか。
科学者は、とんでもない、というだろう。学問と魔法を一緒にするな! と。
しかし、素人にとって、分子の運動が熱なのだといわれたり、光とは光の粒の波の運動だと言われてもやっぱりピンとこない。
電車が何故動くのか。パソコンで文書を作れるのは何故なのか。
突き詰めればそれなりに答えはわかる。パソコンの文字は、文字コードといわれる体系で決められた数字やアルファベットの組み合わせで表現されており、それらはビットと呼ばれる1か0の信号の集合体である。1か0というのは、電気信号のオンオフにより表現される。だから、その1と0の両方を保持できる量子コンピューターってのはものすごい処理能力をもつ、とか。
とはいえ、パソコンを使うのに、そんな知識は必要ない。
アルファベットと、ローマ字の知識と、キーボードの打ち方、パソコンの電源の位置とアプリケーションの起動が分かってれば、まぁ要はすませられる。
昔、ファンタジー世界の魔法も、同様という設定で考えてみた。要するに、術者としては、細かい魔法の体系などはよくわかっていないけれども、身体や思考をどのようにすれば、どういった結果……すなわち、炎や雷を発生させられるということは、分かっている、ということである。
こういった、設定であれば、まぁ細かい体系や知識は不要である……のだけれども、そうするとやっぱり、表現としてつまらなくなるのである。
ので、これも一年も前になりそうだが、イラストで物理法則を描く本を買って、流し読みしてまぁ面白かったけど、しっかり読めていない。
脈絡なく続ける。
雷って、やっぱり、電流であると考えられる。
雷撃となれば、凄まじい電流を生じさせ、敵を貫く魔法だろう。
そうしたとき、電流とは何かを考える。
電流とは、電子の動きである。
伝導体、電子が流れることができる物体を通じた、電子の移動の量が、電流である。
陰極線の実験とか、中学とかであった気がするが、真空でも、電子が流れる。
その、電子を操るのが、雷魔法の使い手である。
んじゃあ、電子ってなんぞ?
電子って、物体を構成する素粒子である。
有機物の、炭素とか酸素とかにも電子は含まれる。ので、僕らの体にも電子が含まれている。
まぁ、脳の体を動かす信号も電気だというから、電子で体か構成されているというのもそれほど不思議ではないのかもしれない。けれども、僕はまぁまぁ違和感があるけれど。
とはいえ、電子という目に見えない存在も、ありふれている物質なのだ。珍しくはない。
けれども。
だからといって、それらを操るってのは、一体どうしたらいいのか?
それが、電磁気学である、と、僕は勝手に思ってる。
電気、電子を考えるにあたって大事なのは、
場
という考え方だといわれる。
僕はどうにも、高校物理のときはよくわからなかったけれども、今のところ、向きと、移動スピード(加速度)が決まる場所、という理解である。
その、場、というのが、日常用語でもあるので分かりづらいが、専門用語として考えた方がよいのかもしれない。
とにかく、場という考え方が必要なのは、目に見えない大量の物質を扱うからだ。
電子なんて、さっき書いた通りありふれているから、一個二個と数えていてはきりがない。
その一個よりも、他の強い大きな一個によって、全く別の運動になるかもしれない。
だから、アンペアとかボルトとか、あんまし実感がわかない単位が登場する。これらは、そういうもの、として覚えないと勉強が進まない、でも、あんまし納得したり、イメージできないまま、数式だけ、公式だけ覚える勉強は苦痛である。
話がそれた。
場の、話。
恐らく、雷魔法の術者は、電子の運動を支配する場、を操ることができるのである。
電子は、マイナスの電荷をもち、プラスの方向に流れる。
雷魔法で敵を貫くのであれば、ブラックホールのように、強力なプラスの電荷を空間に生じさせればよい。そのプラスの電荷が生じる場所に、大量の電子が流れ込み、激しい熱運動をともない、敵の身体を構成する電子をも巻き込み、再生不能なほど損傷を与えるのだ!!
科学的には、電位(ボルト)の差を作り出すといえる。電位差魔法だ。
脇道にそれるが、電気が流れるところに磁場が生じる。というの提唱したのがマクスウェルで、電気学と磁気学があわさって、電磁気学といわれている。
ということは、電子の制御に重きをおいて鍛練を積んできた魔術師に対抗して、磁場を生じさせることでレジスト(打ち消す)したりする展開も面白そうだ。
しかしそもそも、術者は、どうやってその場なるものを、制御できるのか。
自分とは離れた空間に適切に作り出せないと、結局自爆しそうである。
空気のように目に見えないもの、といったところで、真空以外であれば、それは、大気が存在し、大気とは気体、ガスの集まりである。
ファンタジーでは、マナとか、魔素とか、超常物質が存在したりする。
そういった物質を媒介に、魔法という現象を生じさせる……といった説明を読んだりする。
しかし、それでは説明になっていない、と、思う。
超常現象を、超常物質の導入で説明しては、それは同語反復、トートロジーではなかろうか。
考えなければならないのは、その術者と、世界法則の関係性である。
何故その術者は、世界に対してアクセスできるのか。干渉できるのか。
通常は、物理的身体によって干渉する。
しかし今は、魔法という、離れた場所においても、直接触れなくても事象を起こす自体を考察せねばならないのだ。
しかし、ここでそもそも、最初の電気や磁気というのは、直接物質同士が触れなくても、発生している事象ではないか。
例えば、磁石同士を近づけると、触れていないのに反発しあったりする。
文脈無視だが、もっといえば、言語。
空気の振動によって、音という現象を生じさせ、他者の感覚器官である耳にはいることにより、新たな思考や行動を引き起こさせる。
そう、言語、言葉というのも、遠隔作用する魔法の一種なのではないだろうか。
……とかとりとめなく書いていたら時間切れ。
PR
コメント
「高度に発達した科学は魔法と同じ」という考え方は色んなところで見受けられますね。
要するに、「自分には理解が及ばないけど結果の出ているもの」は魔法と言っても差し支えないとするものです。
遠藤さんも今回の記事中で述べていますが、PCの原理は0と1、オンオフのデジタル信号で全て成り立っていて、文字入力やプログラムコードなども突き詰めていけば0と1の配列で表現できる。けれど、それら全てを0と1で表記することが出来る人間は極僅かでしょうし、それとは別に機械構造(PCパーツの構成、電気信号の流れ、はたまた物質の原子配列)を100%熟知して扱っている人もほぼいないでしょう。
言うなれば、PCは「杖などの道具」であり、文字入力などの作業は「詠唱などの発動準備作業」であるわけです。結果得られる動作(ファイルの完成など)が「発動した魔法」に当たる、というわけですね。
使う側が全てを理解していなくても結果が得られる、という概念を魔法と呼ぶなら、今の世の中は魔法が普及していると言えなくもないですね。
で、それはそれとして、創作における「魔法」という概念については私も毎回頭を悩ませるところではあります。
>超常現象を超常物質の導入で説明~
これ、創作する側としては一番やり易くはあるんですよね。
何せ、「この世界ではそういうものと定義することが出来る」から。
そしてそこにモヤっとするのも分かるんですよ。だって「じゃあそれで全部説明できてしまうじゃないか」「もはや何でもありか」となるわけですから。
私がハリーポッターの映画シリーズがあまり好きではない理由がコレで、魔法で何でもできてしまう割にそれで解決しない場面が多く、制限や理屈が説明されないから、その時に魔法を使わない理由が分からないから。
で、自分で創作する際には、少なくとも自分が納得できる形での理屈を構築したりするわけです。
その時にやりやすいのが「そういうもの」をその作品世界に存在させてしまう方法なわけですが。
ファンタジーと言ってもリアル思考と非リアル思考のファンタジーがあると私は思っていて、前者はいわゆる現実世界寄りの法則により成り立つ世界観で、後者は魔法的なもの=非現実的なものがある世界観だと思うわけです。
そして非現実的な世界観を考える際、「現実的な思考を持ち込み過ぎない」というのもある程度は必要なことなのかなと思ったりするわけです。
ここがまさに「超常現象を超常物質の導入で説明」を肯定する部分でもありまして、「その世界観においてはそれが自然法則、物理法則になっている」という考え方もあっていいのではと思える部分なわけです。
ぶっちゃけた話、私も理系ではありましたが物理法則や物理科学について完璧な知識は持っていませんし、専門書を読んだところで直ぐに理解し切れるとも思いません。現実世界の物理法則や自然科学においてもそうなのに、自分で考えたとはいえ創作世界の創作法則を、現実世界に住む人向けに現実世界的理屈で100%説明できるものを考えろというのも無茶なのでは?と思ったりするわけです。
言ってしまえば、「現実世界における電子の存在は、創作における超常物質ではないのか」という考え方です。
「電子の動きにより電流が起きる」と表現するのと「魔素の動きにより電流が起きる」と表現するのでは、後者の表現が気になると思いますが、その世界観で電子にあたる概念(それが動くことで物理干渉が起きるもの)が魔素と呼ばれていたりするのであればこれはこれでありなんじゃないかなと。
個人的には、「読んでいて納得できるか」の方が重要かなーと思ったりするわけで、多少ふわっとした設定であっても読んでいて違和感を抱かせずに面白いと思わせられたら十分なんじゃないかなと。
逆にそういう細かいところが気になってしまうようだと作りが甘いのかなと思ったり。
私も自分のブログで触れてみようかな(笑)
要するに、「自分には理解が及ばないけど結果の出ているもの」は魔法と言っても差し支えないとするものです。
遠藤さんも今回の記事中で述べていますが、PCの原理は0と1、オンオフのデジタル信号で全て成り立っていて、文字入力やプログラムコードなども突き詰めていけば0と1の配列で表現できる。けれど、それら全てを0と1で表記することが出来る人間は極僅かでしょうし、それとは別に機械構造(PCパーツの構成、電気信号の流れ、はたまた物質の原子配列)を100%熟知して扱っている人もほぼいないでしょう。
言うなれば、PCは「杖などの道具」であり、文字入力などの作業は「詠唱などの発動準備作業」であるわけです。結果得られる動作(ファイルの完成など)が「発動した魔法」に当たる、というわけですね。
使う側が全てを理解していなくても結果が得られる、という概念を魔法と呼ぶなら、今の世の中は魔法が普及していると言えなくもないですね。
で、それはそれとして、創作における「魔法」という概念については私も毎回頭を悩ませるところではあります。
>超常現象を超常物質の導入で説明~
これ、創作する側としては一番やり易くはあるんですよね。
何せ、「この世界ではそういうものと定義することが出来る」から。
そしてそこにモヤっとするのも分かるんですよ。だって「じゃあそれで全部説明できてしまうじゃないか」「もはや何でもありか」となるわけですから。
私がハリーポッターの映画シリーズがあまり好きではない理由がコレで、魔法で何でもできてしまう割にそれで解決しない場面が多く、制限や理屈が説明されないから、その時に魔法を使わない理由が分からないから。
で、自分で創作する際には、少なくとも自分が納得できる形での理屈を構築したりするわけです。
その時にやりやすいのが「そういうもの」をその作品世界に存在させてしまう方法なわけですが。
ファンタジーと言ってもリアル思考と非リアル思考のファンタジーがあると私は思っていて、前者はいわゆる現実世界寄りの法則により成り立つ世界観で、後者は魔法的なもの=非現実的なものがある世界観だと思うわけです。
そして非現実的な世界観を考える際、「現実的な思考を持ち込み過ぎない」というのもある程度は必要なことなのかなと思ったりするわけです。
ここがまさに「超常現象を超常物質の導入で説明」を肯定する部分でもありまして、「その世界観においてはそれが自然法則、物理法則になっている」という考え方もあっていいのではと思える部分なわけです。
ぶっちゃけた話、私も理系ではありましたが物理法則や物理科学について完璧な知識は持っていませんし、専門書を読んだところで直ぐに理解し切れるとも思いません。現実世界の物理法則や自然科学においてもそうなのに、自分で考えたとはいえ創作世界の創作法則を、現実世界に住む人向けに現実世界的理屈で100%説明できるものを考えろというのも無茶なのでは?と思ったりするわけです。
言ってしまえば、「現実世界における電子の存在は、創作における超常物質ではないのか」という考え方です。
「電子の動きにより電流が起きる」と表現するのと「魔素の動きにより電流が起きる」と表現するのでは、後者の表現が気になると思いますが、その世界観で電子にあたる概念(それが動くことで物理干渉が起きるもの)が魔素と呼ばれていたりするのであればこれはこれでありなんじゃないかなと。
個人的には、「読んでいて納得できるか」の方が重要かなーと思ったりするわけで、多少ふわっとした設定であっても読んでいて違和感を抱かせずに面白いと思わせられたら十分なんじゃないかなと。
逆にそういう細かいところが気になってしまうようだと作りが甘いのかなと思ったり。
私も自分のブログで触れてみようかな(笑)
バールさん当記事読んでいただいてありがとうございました。また、それ以上に深いブログの考察記事、大変興味深く読ませていただきました。
後ほど白銀さんも書いていただいておりましたが、「納得できれば良い」というのと「面白ければよい」というのが前面にあるんだと僕も思うわけです。
というと、論理とか、理屈ってのがいらないか、ということになってしまいますが、そうではなくて、やっぱりバランス感なんだろうと思います。
バールさんほど物語にたくさん触れて、理解して論理構成力が高ければ高いほど、物語への要求度は高くなってしまうわけで、そうすると、当然自身の物語への要求度も高くなって、悩んでしまうのだろうなと思います。読者はそこまでついてきてないかもしれない。それでも求道してしまうその姿にいつも尊敬の念を感じずにはいられません。
ええと、なんというか、このコメントの意図としては、アギュギテムないしはシロガネ、更新ずっとずっとお待ちしておりますということ(プレッシャー!?)となります。
後ほど白銀さんも書いていただいておりましたが、「納得できれば良い」というのと「面白ければよい」というのが前面にあるんだと僕も思うわけです。
というと、論理とか、理屈ってのがいらないか、ということになってしまいますが、そうではなくて、やっぱりバランス感なんだろうと思います。
バールさんほど物語にたくさん触れて、理解して論理構成力が高ければ高いほど、物語への要求度は高くなってしまうわけで、そうすると、当然自身の物語への要求度も高くなって、悩んでしまうのだろうなと思います。読者はそこまでついてきてないかもしれない。それでも求道してしまうその姿にいつも尊敬の念を感じずにはいられません。
ええと、なんというか、このコメントの意図としては、アギュギテムないしはシロガネ、更新ずっとずっとお待ちしておりますということ(プレッシャー!?)となります。
posted by 遠藤at 2018/07/29 16:03 [ コメントを修正する ]
ハリーポッターの部分について、「うんうんわかるわかる!」って思いながら読んでました(笑)。コメントありがとうございました。
電子も、ある意味「魔素」じゃないか
というのも、なるほど! っと膝を叩いてました。科学が一般人に魔法みたいなものだとしたら、電子は確かに魔法の要素って感じがしますね。
おっしゃる通り、物語を批判する、という立場ではなくて、物語を創作するという立場であれば、「ふわっとしても違和感がなければよいし、違和感を抱かせるなら甘い」ということだと思います。そして、その違和感発生レベルは、物語にたくさん触れた人(または現実世界の構造の理解が高い)ほど抱きやすいのであって、バランス感が難しいように思えます。
その納得感(違和感を抱かないこと)という点において、やっぱり映像効果って有効と思わざるをえない。
先日、今までやったことがなかった聖剣伝説2というゲームを冒頭だけ触ってみましたが、オープニングとかストーリー的には「王道!」って感じに思いました。これをそのまま小説で表現しようとすると、きっと僕は序盤で放り投げてしまって、読み進められないと思いました。
ラノベで挿絵は重要だ、とかって言われているのを聞いて、昔は違和感があったのですけど、やっぱり絵とか映像って大事だろうなぁと思ったりしました。白銀さんはイラストも描けるので、昔から羨ましいなぁと思っていましたが、自分も表現方法として少しでもできるようになりたいなぁと思います。
電子も、ある意味「魔素」じゃないか
というのも、なるほど! っと膝を叩いてました。科学が一般人に魔法みたいなものだとしたら、電子は確かに魔法の要素って感じがしますね。
おっしゃる通り、物語を批判する、という立場ではなくて、物語を創作するという立場であれば、「ふわっとしても違和感がなければよいし、違和感を抱かせるなら甘い」ということだと思います。そして、その違和感発生レベルは、物語にたくさん触れた人(または現実世界の構造の理解が高い)ほど抱きやすいのであって、バランス感が難しいように思えます。
その納得感(違和感を抱かないこと)という点において、やっぱり映像効果って有効と思わざるをえない。
先日、今までやったことがなかった聖剣伝説2というゲームを冒頭だけ触ってみましたが、オープニングとかストーリー的には「王道!」って感じに思いました。これをそのまま小説で表現しようとすると、きっと僕は序盤で放り投げてしまって、読み進められないと思いました。
ラノベで挿絵は重要だ、とかって言われているのを聞いて、昔は違和感があったのですけど、やっぱり絵とか映像って大事だろうなぁと思ったりしました。白銀さんはイラストも描けるので、昔から羨ましいなぁと思っていましたが、自分も表現方法として少しでもできるようになりたいなぁと思います。
posted by 遠藤at 2018/07/29 16:17 [ コメントを修正する ]
既存のファンタジーを読んで、なんとなくモヤっとしていた感覚をすっきり代弁してもらいました。
そうだよ!(便乗)
そもそも電気とは「原子の電位差にともなう電子の移動」を意味しているのであって、「電気」という物質が存在しているわけではない。
この事実と、『シロガネ⇔ストラグル』の魔法設定は根本的に矛盾している。
この問題については自ブログで考えてみようと思います。
『無職転生』……きっと読めば面白いんだろうと思うのですが、ハーレムか……