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シュタインズゲート・ゼロ
2018/06/21 18:00 | Comments(0) | 思考及び書くこと
注意:前回までの文脈全く関係ありません。

主張:シュタインズゲート・ゼロが面白い。


要は上のとおりなのだが、もう少し書きたいので、書く。

<前置き>

シュタインズゲートという作品・アニメーションが自分作品ランキング上位に躍り出た、とは前に書いた。もうそれも一年前ぐらいなのだろうか? スマホからだと調べるのが大変だから分からない。

それで、プレイステーションビータを買って、シュタインズゲートのゲームと、今回話題にしたいシュタインズゲート・ゼロを買ったわけだが、シュタインズゲート(以下無印とする)のゲームは、途中までやるものの、やはりアニメでネタバレしているため、あまり進めるきになれなかった。積みゲーになってしまっていた。

シュタインズゲート・ゼロ(以下ゼロ)は、パッケージの透明袋を開けることすらなく積んでいた。

ゼロについては、今年度、オーバーロードと同じく、アニメになるということで、まぁ、ゲームやらなくても、後々アニメでも見るか、と思っていた。



そんなとき、先日、思いがけず、トラブルが発生し、身動きがとれない状況になった。そんなとき、たまたまビータと、ゼロが手元にあった。



暇潰し、程度にやってみた。

→くっそ面白い。いまここ。
状態になったわけである。

<はまり込む>

とはいえ、最近はあまり時間をとれず、進められていないのがげんじょう。とはいえ、逆に、これは真面目に、細切れではなく、まとまった時間がとれるときに、本気で取り組みたいと思ってるので、まぁそれはいい。とにかく、あのゲームをやり終えるまではまだ死ねない!っと、いい大人がバカみたいだが、わりかしマジで思うのである。



んじゃあ、何がそんな面白いかというと、恐らくこれは、やっぱり無印が好きだからなんだと思う。 
ゼロから初めて触れた人は、正直話についていけないのではないか。

無印ヒロインのアーティフィシャル・インテリジェンスが登場したりするが、その郷愁というか、懐かしさというか、切なさというかは、間違いなく無印あってのものである。
無印がなければその感動も、哀愁も味わえないのだ。



ということが、この作品シリーズ全体にいえることなのだ。
この点が非常に重要。

<前作シュタインズ・ゲート>

どういうことかというと、この、郷愁という感情が、非常にうまく引き出せている。
というのは、まさに、シュタインズ・ゲートの作品は、「時間」をテーマにしていて、やり直したい過去などを変えてしまうことが、一旦は、可能である。
しかし、その変革は、タイムパラドクスを起こさないために、世界線の変動(本作品独自ワード)によって、すべての過去、現在、そして未来までが書き換えられるのである。


その世界線の変動については、一般人は分からない。なんの疑問も抱かない。だから過去が変わっているなんて認識はもてない。

一方、主人公オカリンは、その世界線の変動を観測することができる。それゆえ、周りの友人たちとの記憶相違などによって孤独を感じたりもするが、問題はそれだけではない

世界の因果律である。
いくら世界を変革、タイムリープなどで変えたとしても、発生する事象は、世界に決められているのである。運命。
そこに到達する手段は違えど、到達する結果は同じ。

発生した運命、事実は、必ず起こる。
無かったことにはできないのだ。



その上で、主人公は選択を迫られた。
というのが無印の話。
起こり得る可能性を徹底的に体感し、それは頭の中で想像するなんて生易しいものでなく、文字通り体験し、体感した現実。
それにもかかわらず、運命は変えられないという無力感。

これは相当恐ろしいものである。
例えば、恋愛で考えてみよう。
好きな人ができた、その人をデートに誘うことができた、デートにいった、何らかの自分の台詞に腹をたててデートは失敗してしまった。と。

それでは、と。
タイムリープマシンを使用して、過去に戻る。失敗した言葉を発しないように注意する。

今度は、
何だか本心で話してないね。私たち合わなさそうだね。
といわれる。

それでは、と。
タイムリープマシンを使用して、過去に戻って、失敗した言動をとらないようにする。

しかし、やはり同じように、別の理由で、デートは失敗した。


何度も。何度も何度も何度も!!

失敗し続けるのである。
これと同じような場面が、無印でもある。主人公の努力むなしく、悲しい結末に収束する。

世界の因果律。
変えられない運命。
定められた運命。



その運命を、無印では、とある方法で打破するのだ。

……が、今回のゼロは、むしろ、その運命に抗うことを諦めてしまった場合の話なのである。




ちなみに。
この、諦める、ということに、僕は何ら悲観的な意味を感じない。
すぐに諦める、という形容がつけば別だが、しかし、どうしようもないことは、ある。

諦めた方がよいことは、ある。

しかし、その諦めなきゃいけないことが、自分のレーゾンデートルに関わるようなことだったら?

そんなとき、死よりも恐ろしいことが爆誕し、自らを縛っていく。
と同時に、物語に強烈な命が吹き込まれるのだ。ここでいう物語というのは、エンターテイメントだけでなく、我ら人生においても。


話が少しずれた。

スマホにしてはよくここまで書いた。



その、なんだっけ。複数日に分けて書いているので、最初に「書きたい!」と思った強い感情がどこにあったのか、分からなくなってくる。
こういったことを避けたいから、ゼロも、次がいつになるか分からないが、まとまった時間が取れるときにやることとしたい。

その、なんだ、「なかったことにはしてはいけない」という、「Hacking to the Gate」というOP曲の歌詞にあらわれていることが、とても心を打つのである。

無駄な過去なんて無いんだ。

失敗も、苦痛も、怒りも、憎しみも、全部ひっくるめて、なかったことにはできない。全部、つながっている。それは、時間という次元の壁をこえたとしても変えることのできない真理なのだ。

Fate Stay nightをやった後に、Fate Zero という、前日譚という作品を楽しめるのだろうか?

と、かなり昔思ったことがあったが、当然(?)そんなことは全くなかった。どちらも超面白かった。
これと同じことが、シュタインズ・ゲートゼロでも同様だった。

あー、しかし、もう時間切れ。とりあえず、というのは大変失礼なのは承知の上でとりあえず投稿しよう。多分、自分の受けた衝撃を全然表現できていないが、これ以上書いてもダメそうだ。

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