今日の一言「やっぱり最後はまとめて一気に見てしまう」
※本記事はネタバレを多分に含むために注意願います。
ああ、なんだか、良い作品が終わると、黄昏時の気分になる。ラスト8話ぐらい一気に見たため、どっと疲れがおしよせて、23時に寝るという目標を立てつつも床に倒れこんで寝てしまった。
この作品は、以下の点において、忘れられない作品になったと思う。
・ガンダムシリーズで初めて面白いと思った(ただし、本作を除き、初代の劇場版しかみたことはない)
・ほぼネタバレ状態で見た
・二期まである作品を短期間で見終わった(というよりも、二期まである作品で最後まで見ることができたのって、攻殻機動隊以外ないかもしれない。ガンスリ、おめーは駄目だ(※))
※ガンスリンガーガール:一期は名作。あの重苦しくも健気な雰囲気がよい。原作漫画も、後半はなんだかぐちゃぐちゃ感があったけど、全体的に良かった。二期目の方向転換は残念だった。なんだか、最初は「おとな」向けの作品だったのを、モンハンとかデジモンとかの低年齢向けにしたような……。いや、いい大人がアニメなんてみるなということなのか。
ある方が挙げられていた第二期の問題点、
・ラストバトルに挑む主人公たちの動機の薄さ
・マクギリス・ファリドことマッキーの肩透かしによる後半の一本調子
であるが、僕は、一気にまとめて見たのも影響するかもしれないが、一点目については特に気にならなかった。
確かに、演出がおざなりじゃあないかと、そんな感覚もあると思うし、
名瀬のアニキと、結果的に義兄弟になったとはいえ、最初は「俺の傘下に入らないか?」と持ち掛けられていたが、「鉄華団の仲間たちをバラバラにするわけにはいかねぇ!」とオルガ団長は足蹴にしたり、メルビットさん(大人の女性)からは何度も、「戦わない道もあるのでは……?」と諫められつつも、結局、「俺たちは戻るとこなんかない。前に進むしかねーんだ!」と突っ走り続ける。(そしてそれを後押しする三日月主人公とその仲間たち(※))
僕はそれを「攻めの人生」と表現して、「んー、なんか、違和感があるなぁ」と書いたけれども、結局彼らは、最初から最後まで、自分たちの「筋を通した」のではなかろうか。
そういった意味で、オルガ団長のあの無意味であっけない死というのも、
いやむしろ、このあっけなさというのは、もっと他のシーンでもあったではないか。ある女性パイロットが、ひと仕事を終え、これから違った人生を歩んでいこうと、恋心を抱いた男性とも今は別れを決意し、でもその人の面影がみえるテディベアを手に取った、その瞬間、あっけなくマフィアの凶弾に倒れる。
さらにその女性は、モビルスーツに乗っては、才能あふれ強かった。それが、道端で、ふつーの鉄砲で殺されてしまうのだ。主要人物は(敵ですら)モビルスーツに乗ってるときに何らか命を散らすものだと、あまりロボットものを見ないからなのかもしれないが、そんな先入観が自分にあったことを確認したその瞬間に完全に砕け散るという非常に面白い体験だった。
※しかしその仲間たちの中には、突っ走るしかないその危なっかしさについて、一期で参謀役を努めていたビスケットくんとか、二期で妹との生活のために鉄華団を辞める決意をしたタカキくんとか、「おめーら、こんなわけわかんねー戦いに参加するなんて、頭悪すぎだろ!」と戦闘前に出ていったザックくんとか、気づき、行動していた人たちもいた。
そういった人物も描いているということは、鉄華団全体としては、戻ることができなく、戦うしかできない子供たちという表現だろうと思う。
ただ、二点目の、マッキーの戦略のなさには、確かにもはや「不思議」な感覚すら覚えた。
まぁそれも、彼の生い立ちとか、「アグニカ」という伝説を頼るしかなかった幼少期のことを思えば、伝説の機体バエルに期待が大きくなっていたということで、仕方がなかったようにも思える。
しかし確かに、一期目の、あの冷徹沈着、先を見通す戦略性などの印象とは異なり、戦力がどんどん削がれて不利になっていくなか、なんか言い訳じみた感じで鉄華団に、「君たちらしくないな」とか言って戦力をあてにしている様は、あれ、本当にこれ、同じ人だっけ? ぐらいに思わせられた。
幼妻に背徳を罵られ、ナイフを突き付けられた際のシーンとか、カッコよかったんだけどなぁ……。
たぶん。
勝手な感想だけれども、ヒロインの一人、クーデリアもまた、世界を改革したいと考える一人であって、その人も、「革命の乙女」の「物語」を自らの根拠としていた。
マッキーも、現政治体制(軍事組織)の創立者とされる「アグニカ」の「物語」を根拠としていた。
両者は似ている。
しかし、マッキーは、他者を頼ることができなかった。
自分に恋心を寄せてくれる女性(権力もあり、自身もモビルスーツのパイロット)をも捨て駒にし。
自分に憧れをもってくれて、良き理解者たりたいと願う幼馴染をも捨て。
――ただ絶対的な力だけで世界の改革を望んだ。
そういう意味では、敵組織の親玉は、戦略性もさることながら、人脈も盤石たるものだった。
いくら理念が素晴らしいものでも、「こころ」が伴わない暴力では、世界を救うことはできないと、そんなことが表現したかったのではなかろうか。いやー軽い言葉を吐いてるなぁ。まぁ単なる戯言であろう。
追記:某氏の仰るマッキーサードガッカリ事変とは、幼馴染の友との最後の会話ではなかろうか。最後まで信念を貫いて果てるというよりも、多分「憧れ」とか「嫉妬」の感情でしかなかったところがガッカリなのかもしれない。まぁでも、そういうキャラというか、立ち位置だったんだろうなぁと、全体を見てからだと思ってしまうところが少し哀しき哉。
一気に見ると、その感覚が全体感として薄まってしまう点が問題である。
とはいえ、「いろいろ思った」ってことは、それは、僕の中の基準では、名作・傑作であったということになる。
こういった、いろいろ思いを馳せられる作品を次から次へと消費していくというのもいいなぁ。
いやいや。
それはきっと、いずれ行き詰りに陥るだろう。
エンタメと現実を同一視しなけりゃならないとか、そういうことではないけれども。
エンタメはエンタメ。
現実は現実。
仕事は仕事。
遊びは遊び。
そんな風に、「人生」という総体を、その時その時で分割して生きてくというやり方。
フェイスブックとかでアカウントを変えて、そのサークル(集団)ごとに役割(ロール)を変えて適切な「個性」を選択して生きていくってのが、上手い生き方なのかもしれないが、俺はやっぱり、そういった生き方はできない気がしてなない。
(精神的、技術的にはできるし、そうやってうまくやってきた面も多くあるわけであるけれど)
で、まぁそういうのもいいんじゃないかと思う。「俺はこれはできない」というのは、逃げだったり、老害だったりするわけだけど、でも、「自分」ってのを貫き生きてくのって、やっぱりかっこいいと思う。
ああ、いや、その、かっこいいかどうかはどうでもいいけれども、僕自身、やはり、憧れあているということなんだろうか。
(さてここで問題です。では「自分」とは何でしょう? ある方のコメントのとおり、自分とは、「変化するもの」であるとも言える。で、あるならば、「自分を貫く」というのは、一体全体本当に可能なことなのだろうか? そうした問いは、本記事ではやめておこう。とにかく、今は、良い作品を見終わった後の、感傷的な気分に浸っていたい。なに浸っちゃってるの? ウケるんだけど(わら)という批判はもっともだけど、いやそうなのだ、浸っていたいのだ。これはとても、贅沢な時間の使い方だよ)
※本記事はネタバレを多分に含むために注意願います。
鉄血のオルフェンズ第二期視聴完了
見終わった。ああ、なんだか、良い作品が終わると、黄昏時の気分になる。ラスト8話ぐらい一気に見たため、どっと疲れがおしよせて、23時に寝るという目標を立てつつも床に倒れこんで寝てしまった。
この作品は、以下の点において、忘れられない作品になったと思う。
・ガンダムシリーズで初めて面白いと思った(ただし、本作を除き、初代の劇場版しかみたことはない)
・ほぼネタバレ状態で見た
・二期まである作品を短期間で見終わった(というよりも、二期まである作品で最後まで見ることができたのって、攻殻機動隊以外ないかもしれない。ガンスリ、おめーは駄目だ(※))
※ガンスリンガーガール:一期は名作。あの重苦しくも健気な雰囲気がよい。原作漫画も、後半はなんだかぐちゃぐちゃ感があったけど、全体的に良かった。二期目の方向転換は残念だった。なんだか、最初は「おとな」向けの作品だったのを、モンハンとかデジモンとかの低年齢向けにしたような……。いや、いい大人がアニメなんてみるなということなのか。
傑作かどうか
自分の中で敢えて評価をするのなら、上位にランクインするのは間違いないだろう。ただし、傑作か、名作かどうか、とか、そういった基準はあまり意味がないだろうとするレビューというか感想のとおり、様々な要素が詰め込まれているので、様々な感想があるんだろうなぁと思う。ある方が挙げられていた第二期の問題点、
・ラストバトルに挑む主人公たちの動機の薄さ
・マクギリス・ファリドことマッキーの肩透かしによる後半の一本調子
であるが、僕は、一気にまとめて見たのも影響するかもしれないが、一点目については特に気にならなかった。
確かに、演出がおざなりじゃあないかと、そんな感覚もあると思うし、
早急な結果を求めるあまり、自分のものではない主事主張に乗せられて受動的に戦争を始めてしまったことへの、これは因果応報を描いたものだったのかもしれない。だがしかし、やはり俺は、どのような理屈があろうと最終決戦に主人公陣営が挑むときに切実な動機がないことは正当化されるべきではないと思う。――螺旋のモノリスという、「切実な動機の不在」というものが、物語(創作)においては必要だというのも最もに思える。
行き当たりばったり感
でも、なんか、鉄華団の面々は、一期目から、必ずしも切実な動機(この表現を、合理的判断と読み替えるとより僕の表現したいことに近い気がするが)のもとに戦ってきたわけじゃあない気がしていた。いってみれば、行き当たりばったり感がずっと付きまとっていた。名瀬のアニキと、結果的に義兄弟になったとはいえ、最初は「俺の傘下に入らないか?」と持ち掛けられていたが、「鉄華団の仲間たちをバラバラにするわけにはいかねぇ!」とオルガ団長は足蹴にしたり、メルビットさん(大人の女性)からは何度も、「戦わない道もあるのでは……?」と諫められつつも、結局、「俺たちは戻るとこなんかない。前に進むしかねーんだ!」と突っ走り続ける。(そしてそれを後押しする三日月主人公とその仲間たち(※))
僕はそれを「攻めの人生」と表現して、「んー、なんか、違和感があるなぁ」と書いたけれども、結局彼らは、最初から最後まで、自分たちの「筋を通した」のではなかろうか。
そういった意味で、オルガ団長のあの無意味であっけない死というのも、
私は、この48話と49話を観ていた二週間、かなり苛立っていました。制作側が「どんな物語をやりたいのか」は伝わってくる。けれども「どう物語を魅せたいのか」が伝わってこない。キャラクター達の死亡フラグ管理は整然としているけれども、その死に、説得力が伴っていない。そんな説得力不在の物語のきわみに、オルガのあっさり風味な銃撃があったと私は感じました。なんだよ、オルガまでこんなにぞんざいな手つきで殺しちまうのか、と。――シロクマの屑籠と、ぞんざいな感じはあるとはいえ、僕は、「立ち止まるんじゃねーぞ」と言い残して倒れるその姿には感動を覚えた。
いやむしろ、このあっけなさというのは、もっと他のシーンでもあったではないか。ある女性パイロットが、ひと仕事を終え、これから違った人生を歩んでいこうと、恋心を抱いた男性とも今は別れを決意し、でもその人の面影がみえるテディベアを手に取った、その瞬間、あっけなくマフィアの凶弾に倒れる。
さらにその女性は、モビルスーツに乗っては、才能あふれ強かった。それが、道端で、ふつーの鉄砲で殺されてしまうのだ。主要人物は(敵ですら)モビルスーツに乗ってるときに何らか命を散らすものだと、あまりロボットものを見ないからなのかもしれないが、そんな先入観が自分にあったことを確認したその瞬間に完全に砕け散るという非常に面白い体験だった。
※しかしその仲間たちの中には、突っ走るしかないその危なっかしさについて、一期で参謀役を努めていたビスケットくんとか、二期で妹との生活のために鉄華団を辞める決意をしたタカキくんとか、「おめーら、こんなわけわかんねー戦いに参加するなんて、頭悪すぎだろ!」と戦闘前に出ていったザックくんとか、気づき、行動していた人たちもいた。
そういった人物も描いているということは、鉄華団全体としては、戻ることができなく、戦うしかできない子供たちという表現だろうと思う。
マッキー
一点目は、一期から短期間で一気に見たのと、毎週毎週じわじわと見ていったのによっても、感覚が違うところがあるだろうし、鉄華団の面々も、途中で「なんかやべーな」と気づき始めた描写もあったし、何か気づいた時にはもう引き返せなくなってたということで、僕はあまり気にならなかった。ただ、二点目の、マッキーの戦略のなさには、確かにもはや「不思議」な感覚すら覚えた。
まぁそれも、彼の生い立ちとか、「アグニカ」という伝説を頼るしかなかった幼少期のことを思えば、伝説の機体バエルに期待が大きくなっていたということで、仕方がなかったようにも思える。
しかし確かに、一期目の、あの冷徹沈着、先を見通す戦略性などの印象とは異なり、戦力がどんどん削がれて不利になっていくなか、なんか言い訳じみた感じで鉄華団に、「君たちらしくないな」とか言って戦力をあてにしている様は、あれ、本当にこれ、同じ人だっけ? ぐらいに思わせられた。
幼妻に背徳を罵られ、ナイフを突き付けられた際のシーンとか、カッコよかったんだけどなぁ……。
たぶん。
勝手な感想だけれども、ヒロインの一人、クーデリアもまた、世界を改革したいと考える一人であって、その人も、「革命の乙女」の「物語」を自らの根拠としていた。
マッキーも、現政治体制(軍事組織)の創立者とされる「アグニカ」の「物語」を根拠としていた。
両者は似ている。
しかし、マッキーは、他者を頼ることができなかった。
自分に恋心を寄せてくれる女性(権力もあり、自身もモビルスーツのパイロット)をも捨て駒にし。
自分に憧れをもってくれて、良き理解者たりたいと願う幼馴染をも捨て。
――ただ絶対的な力だけで世界の改革を望んだ。
そういう意味では、敵組織の親玉は、戦略性もさることながら、人脈も盤石たるものだった。
いくら理念が素晴らしいものでも、「こころ」が伴わない暴力では、世界を救うことはできないと、そんなことが表現したかったのではなかろうか。いやー軽い言葉を吐いてるなぁ。まぁ単なる戯言であろう。
追記:某氏の仰るマッキーサードガッカリ事変とは、幼馴染の友との最後の会話ではなかろうか。最後まで信念を貫いて果てるというよりも、多分「憧れ」とか「嫉妬」の感情でしかなかったところがガッカリなのかもしれない。まぁでも、そういうキャラというか、立ち位置だったんだろうなぁと、全体を見てからだと思ってしまうところが少し哀しき哉。
いい作品だった
いろいろ書いたけれども、なんだか、もっと書きたいと思ったことがあった気がする。一気に見ると、その感覚が全体感として薄まってしまう点が問題である。
とはいえ、「いろいろ思った」ってことは、それは、僕の中の基準では、名作・傑作であったということになる。
こういった、いろいろ思いを馳せられる作品を次から次へと消費していくというのもいいなぁ。
いやいや。
それはきっと、いずれ行き詰りに陥るだろう。
エンタメと現実を同一視しなけりゃならないとか、そういうことではないけれども。
エンタメはエンタメ。
現実は現実。
仕事は仕事。
遊びは遊び。
そんな風に、「人生」という総体を、その時その時で分割して生きてくというやり方。
フェイスブックとかでアカウントを変えて、そのサークル(集団)ごとに役割(ロール)を変えて適切な「個性」を選択して生きていくってのが、上手い生き方なのかもしれないが、俺はやっぱり、そういった生き方はできない気がしてなない。
(精神的、技術的にはできるし、そうやってうまくやってきた面も多くあるわけであるけれど)
で、まぁそういうのもいいんじゃないかと思う。「俺はこれはできない」というのは、逃げだったり、老害だったりするわけだけど、でも、「自分」ってのを貫き生きてくのって、やっぱりかっこいいと思う。
ああ、いや、その、かっこいいかどうかはどうでもいいけれども、僕自身、やはり、憧れあているということなんだろうか。
(さてここで問題です。では「自分」とは何でしょう? ある方のコメントのとおり、自分とは、「変化するもの」であるとも言える。で、あるならば、「自分を貫く」というのは、一体全体本当に可能なことなのだろうか? そうした問いは、本記事ではやめておこう。とにかく、今は、良い作品を見終わった後の、感傷的な気分に浸っていたい。なに浸っちゃってるの? ウケるんだけど(わら)という批判はもっともだけど、いやそうなのだ、浸っていたいのだ。これはとても、贅沢な時間の使い方だよ)
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コメント
返信遅くなりました!
鉄華団と話のスケール、私もそう感じました。そのジレンマというか矛盾というか狭間の中で、それでも何らかの答えを出して進んでいかなきゃならないという彼らの生きざまに何だか感動を覚えていたのだと思います。
私の場合、初めのうちは鉄華団のみんなにあまり共感というか思い入れがなかったので、そんな滅びの美学的な感じで良かったのかもしれないと思いました。
いやもちろん、二期になって個々の人物にもどんどん引き込まれていったのですが。ダレインスレイブを、ラスタル様に最後のチャンスで放って、そして外してしまう瞬間は、じゅりえったああああああてめええええ!!! と思いました(笑)
オルガさんのカリスマ性は、なるほど確かにそれが不幸でもあったのでしょうね。二期で転身してスーツ着て事務方の仕事にも励むオルガさんの努力は素直にかっこいいと思いましたが。
なんか、完全に暴論なんですが、鉄華団とラスタル軍団との戦いは、旧日本軍と米帝との戦いのようにも思いました。鉄華団は戦法レベル(スモーク張って突撃したり)や下士官レベルでは優秀でも、結局、戦略と物量を誇るラスタル軍団を根本から覆すことはついにできなかった、的な。いやはやしかし、それは個人の力や努力だけでは如何ともし難いですなぁ。
んで、マッキーはドイツ帝国的な同盟軍! 結局孤立してやられちゃう、みたいな。
マッキーサード事変はあたってましたか!! 逆にガエリオさんの持ち株があがった感じでしたね。
そうですよねぇ。やっぱりなぁ……個人のルサンチマンに起因する動機は、何事かも大成させない、というテーマもあったのでしょうか……。
いやはや、見終わってしばらく経ちましたがそれでも色々覚えている。やはり中々よい作品でございました。ご紹介等々感謝しております。
白銀さんに紹介いただいたオーバーロードも見たいと思ってるんですが、プライムではないんですよねぇ。
鉄華団と話のスケール、私もそう感じました。そのジレンマというか矛盾というか狭間の中で、それでも何らかの答えを出して進んでいかなきゃならないという彼らの生きざまに何だか感動を覚えていたのだと思います。
私の場合、初めのうちは鉄華団のみんなにあまり共感というか思い入れがなかったので、そんな滅びの美学的な感じで良かったのかもしれないと思いました。
いやもちろん、二期になって個々の人物にもどんどん引き込まれていったのですが。ダレインスレイブを、ラスタル様に最後のチャンスで放って、そして外してしまう瞬間は、じゅりえったああああああてめええええ!!! と思いました(笑)
オルガさんのカリスマ性は、なるほど確かにそれが不幸でもあったのでしょうね。二期で転身してスーツ着て事務方の仕事にも励むオルガさんの努力は素直にかっこいいと思いましたが。
なんか、完全に暴論なんですが、鉄華団とラスタル軍団との戦いは、旧日本軍と米帝との戦いのようにも思いました。鉄華団は戦法レベル(スモーク張って突撃したり)や下士官レベルでは優秀でも、結局、戦略と物量を誇るラスタル軍団を根本から覆すことはついにできなかった、的な。いやはやしかし、それは個人の力や努力だけでは如何ともし難いですなぁ。
んで、マッキーはドイツ帝国的な同盟軍! 結局孤立してやられちゃう、みたいな。
マッキーサード事変はあたってましたか!! 逆にガエリオさんの持ち株があがった感じでしたね。
そうですよねぇ。やっぱりなぁ……個人のルサンチマンに起因する動機は、何事かも大成させない、というテーマもあったのでしょうか……。
いやはや、見終わってしばらく経ちましたがそれでも色々覚えている。やはり中々よい作品でございました。ご紹介等々感謝しております。
白銀さんに紹介いただいたオーバーロードも見たいと思ってるんですが、プライムではないんですよねぇ。
posted by 遠藤at 2017/05/11 07:44 [ コメントを修正する ]
オルフェンズに関しては、私個人の感想は「可もなく不可もなく。割と楽しめたかな」という感じでした。
結局のところ、オルフェンズは最初から最後まで「そうするしかできない人たち」を描いていたんじゃないかなと思いました。
宇宙世紀以外のガンダムで一番好きなのってガンダムXなんですよね、私。
結局のところ、オルフェンズは最初から最後まで「そうするしかできない人たち」を描いていたんじゃないかなと思いました。
宇宙世紀以外のガンダムで一番好きなのってガンダムXなんですよね、私。
白銀さんご訪問ありがとうございます!
ガンダムって、若者の成長物語、という側面もあるのだそうです。今作は白銀さんの仰るとおり、そうあるしかない人たちが描かれているようですのて、その点が物足りないという人もいるのでしょうなぁ。別にこれガンダムじゃなくてもよくないか? といってる方もみかけ、ほぼ初作品であった私としては、ほほーそういう見方もあるんだなぁと感心していました。Xなども機会があれば見てたいと思います。
連載の方もありがとうございます! というか、すみません、完全に間違えております。自動更新が裏目にでました……。近々、修正、対応したいと思います。
ガンダムって、若者の成長物語、という側面もあるのだそうです。今作は白銀さんの仰るとおり、そうあるしかない人たちが描かれているようですのて、その点が物足りないという人もいるのでしょうなぁ。別にこれガンダムじゃなくてもよくないか? といってる方もみかけ、ほぼ初作品であった私としては、ほほーそういう見方もあるんだなぁと感心していました。Xなども機会があれば見てたいと思います。
連載の方もありがとうございます! というか、すみません、完全に間違えております。自動更新が裏目にでました……。近々、修正、対応したいと思います。
posted by 遠藤at 2017/05/14 10:09 [ コメントを修正する ]
言われて見れば一期の時点でも、クーデリアはんの動機にのっかる形で戦ってたような気がしてきました。
自分が一期ののっかりは許せて二期ののっかりがダメな理由って何なんだろうなぁ、と考えてみると、話のスケールが世界を云々する規模にまで達したのに鉄華団だけが相変わらず過ぎたことが、なんかアレだったのかもしれません。ストーリーに主人公陣営が置いて行かれている感。
でまー、思うにオルガはんは小隊~中隊規模の人数の指揮官としては優秀だった(ちょいちょい一期見返してますが、モビルワーカーに乗って指揮を執っているオルガはんは実に生き生きしていた)んだけど、政治的な存在にまでなった二期鉄華団のトップを張れるような器の持ち主ではなかったように思えます。そのわりにカリスマだけは分不相応にあったのが、オルガはんの、そして鉄華団全体の不幸であった気がします。
三日月パイセンが暴力装置に徹している以上、ドラマパートで主人公の役割を果たせる人物はオルガはんしかありえないわけで、もうちょっといいとこが見たかったなぁ……(遠い目)
>マッキーサードガッカリ事変
お察しの通りでありますww
結局お前もその口なのかよ!! いやそれがウケるのはわかる。わかるがしかし「怒りの中で生きてきた!」と語る一期のマッキーは輝いていた……あれが強がりだったなんて信じとうないんや……