22時近くまで仕事があると、帰って12時を過ぎる。
10月16日、日曜日が、基本情報技術者試験の受験日だ。
ちょうど、仕事の忙しい時期と重なるが、一発合格したい。
この時間に帰って、勉強をできるようにならないと、合格できないだろう。
いまのところ、一週間に十五分程度の勉強量だ。
資格の有無が、人間の価値ではない、とか、そういった中学生的な、いわゆる何で勉強しなきゃいけないの? 的なことを、僕は思うのではない。
何で勉強を、ということを思ったのは、確かに中学生くらいだったが、それよりも何よりも、何で生きてるんだ、と、実存の危機は小学校高学年からである。
思えば、学校が終わったあと、クラブというか部活というかが始まるまでの、16時半か、17時までの時間が、ものすごく苦痛だった。
児童館みたいなところで、漫画を読めていたが、ああ、そこで金田一少年の事件簿とかみて、怖かったのを覚えているが、その漫画を読んでいる時間も、迫ってくるクラブの時間が、とてつもなく嫌だった。
高校ぐらいから、ログを書き始め、その内容にふれることはやってきた。
が、小学校高学年、4年生の頃に、親友に、死にたいと思ったことある? と、通学路の帰り道、坂の途中で尋ねたとき、まさか、そんなことあるわけないじゃないか、と言われて、ショックを受けた記憶、ここまでは、書いてきた。
そもそも、何故、小学校四年生、10歳の子どもが、死にたいなんて思ったのか、このことを、僕はいまのいままで、しっかり考えたことがなかった。
いちご同盟という小説の冒頭で自殺した少年は、12歳だったか。それより若いのだ。
その10歳以前の記憶は、いま少し考えたが、思い出せない。であれば、僕という自己が生まれたのは、その頃であったか。
僕のことを忘れてしまった、おばあちゃんが、通学路の途中まで一緒に着いてきてくれて、そのことでからかわれて、嫌な気持ちになったというのも、その頃か、もう少し前か。
いま考えると、そこらにいる小学生たちをみていると、到底そのころの僕の気持ちなんて、そんな感情があるなんてわからないくらい、ばか騒ぎして、笑顔で、はしゃいでいる。
そういうのが、小学生という時代なのか。
これらは、不幸自慢なんてことではなくて、フロイトの精神分析の自分でやってみた、みたいなものだ。
まぁ、こうかいても、自慢に聞こえるだけだろう。寝てない自慢みたいなものだ。
周りの人は、あっそ、自己管理ができてないのね、みたいに思うだけという、よくあるそれと同じことのように思えるだろう、それは分かっているが、逆に、今まで四年生に触れてこなかったことが、今回の記事の新しいところ。
僕、という存在を意識したのが、その、死にたいと思ったことであるならば、いまなお、生きる意味を探していることも、何ら疑問はない。
さすがに、それはまずいだろうと、意識に蓋をしていたのか。
まぁもう、なにも隠すこともない。考えてみよう、まぁでも、小中高と、思い出せる楽しかったことはないな。
高校生の終わりぐらいから、ホームページをつくって、楽しかったりしたけれども、むしろほとんど大学生に近い時期だ。
10歳から18歳の終わりまで、地元の、実家で暮らしていた時期がつまんねぇ時代だったというのは、感謝もして大事な両親や家族に対して申し訳ない気もするのだけれども、まぁ、年齢があがるにつれ、家にいる時間よりも外にいる時間が多くなるのだから仕方がないかもしれない。
とはいえ、これは親とかには見せられないな(笑)
という構造になるのであれば、誰にも相談できず、一人で抱え込んで、自殺してしまう子どもたち、というのも、よく分かる。
何で相談してくれなかったのかと、両親や、親友たちは嘆くかもしれない。けれども自殺した彼らは、むしろ、君たちを大事に思っていたから、相談できなかったのだ。
しかし、その死が、より深い哀しみを与えるだろうことは、思いやれるだけの力がなかったのか、それを考えるだけの余裕がないほど疲れはてていたのか……。
この次元の話は、殆どの人は必要としないのだろう。
にもかかわらず、人間理解とか、コミュニケーションとか、生きる力だとかのたまうひとたちの多いこと。
もう何年も前に、そういうものだとは思っているので、特になにも期待してはいないけれども、掘り下げて書いていけば、やっぱり、他者への期待のなさがあらわれている、このことが、昨日の記事にある、他者を頼る、ことの希薄さになり、頼らないから頼られないみたいな状態となっているのだとしたら、やはり特段、この辺りは考える必要性を感じない。
もよりの駅に着きそう。時間切れだ。目もまたはんびらき。最近身体が疲れてくると、特に目が疲れて、あかなくなってくる。
とりあえず、五分だけは勉強した。
10月16日、日曜日が、基本情報技術者試験の受験日だ。
ちょうど、仕事の忙しい時期と重なるが、一発合格したい。
この時間に帰って、勉強をできるようにならないと、合格できないだろう。
いまのところ、一週間に十五分程度の勉強量だ。
資格の有無が、人間の価値ではない、とか、そういった中学生的な、いわゆる何で勉強しなきゃいけないの? 的なことを、僕は思うのではない。
何で勉強を、ということを思ったのは、確かに中学生くらいだったが、それよりも何よりも、何で生きてるんだ、と、実存の危機は小学校高学年からである。
思えば、学校が終わったあと、クラブというか部活というかが始まるまでの、16時半か、17時までの時間が、ものすごく苦痛だった。
児童館みたいなところで、漫画を読めていたが、ああ、そこで金田一少年の事件簿とかみて、怖かったのを覚えているが、その漫画を読んでいる時間も、迫ってくるクラブの時間が、とてつもなく嫌だった。
ずっと封印していた記憶
高校ぐらいから、ログを書き始め、その内容にふれることはやってきた。
が、小学校高学年、4年生の頃に、親友に、死にたいと思ったことある? と、通学路の帰り道、坂の途中で尋ねたとき、まさか、そんなことあるわけないじゃないか、と言われて、ショックを受けた記憶、ここまでは、書いてきた。
そもそも、何故、小学校四年生、10歳の子どもが、死にたいなんて思ったのか、このことを、僕はいまのいままで、しっかり考えたことがなかった。
いちご同盟という小説の冒頭で自殺した少年は、12歳だったか。それより若いのだ。
その10歳以前の記憶は、いま少し考えたが、思い出せない。であれば、僕という自己が生まれたのは、その頃であったか。
僕のことを忘れてしまった、おばあちゃんが、通学路の途中まで一緒に着いてきてくれて、そのことでからかわれて、嫌な気持ちになったというのも、その頃か、もう少し前か。
いま考えると、そこらにいる小学生たちをみていると、到底そのころの僕の気持ちなんて、そんな感情があるなんてわからないくらい、ばか騒ぎして、笑顔で、はしゃいでいる。
そういうのが、小学生という時代なのか。
これらは、不幸自慢なんてことではなくて、フロイトの精神分析の自分でやってみた、みたいなものだ。
まぁ、こうかいても、自慢に聞こえるだけだろう。寝てない自慢みたいなものだ。
周りの人は、あっそ、自己管理ができてないのね、みたいに思うだけという、よくあるそれと同じことのように思えるだろう、それは分かっているが、逆に、今まで四年生に触れてこなかったことが、今回の記事の新しいところ。
自己の発生が死
僕、という存在を意識したのが、その、死にたいと思ったことであるならば、いまなお、生きる意味を探していることも、何ら疑問はない。
さすがに、それはまずいだろうと、意識に蓋をしていたのか。
まぁもう、なにも隠すこともない。考えてみよう、まぁでも、小中高と、思い出せる楽しかったことはないな。
高校生の終わりぐらいから、ホームページをつくって、楽しかったりしたけれども、むしろほとんど大学生に近い時期だ。
10歳から18歳の終わりまで、地元の、実家で暮らしていた時期がつまんねぇ時代だったというのは、感謝もして大事な両親や家族に対して申し訳ない気もするのだけれども、まぁ、年齢があがるにつれ、家にいる時間よりも外にいる時間が多くなるのだから仕方がないかもしれない。
とはいえ、これは親とかには見せられないな(笑)
という構造になるのであれば、誰にも相談できず、一人で抱え込んで、自殺してしまう子どもたち、というのも、よく分かる。
何で相談してくれなかったのかと、両親や、親友たちは嘆くかもしれない。けれども自殺した彼らは、むしろ、君たちを大事に思っていたから、相談できなかったのだ。
しかし、その死が、より深い哀しみを与えるだろうことは、思いやれるだけの力がなかったのか、それを考えるだけの余裕がないほど疲れはてていたのか……。
この次元の話は、殆どの人は必要としないのだろう。
にもかかわらず、人間理解とか、コミュニケーションとか、生きる力だとかのたまうひとたちの多いこと。
もう何年も前に、そういうものだとは思っているので、特になにも期待してはいないけれども、掘り下げて書いていけば、やっぱり、他者への期待のなさがあらわれている、このことが、昨日の記事にある、他者を頼る、ことの希薄さになり、頼らないから頼られないみたいな状態となっているのだとしたら、やはり特段、この辺りは考える必要性を感じない。
もよりの駅に着きそう。時間切れだ。目もまたはんびらき。最近身体が疲れてくると、特に目が疲れて、あかなくなってくる。
とりあえず、五分だけは勉強した。
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