もう遅い時間だから、思いつくままにダッシュでメモ。
先日の記事とか、暗いなーっと読むと思ったりするけれども、どうか、読者の方は、心配をするとか、一緒に沈んだ気持ちになるとか、とにかく、負の状況にはならないで欲しいと思う。
決して、書いている本人として、人生絶頂楽しい嬉しい幸せだぜ、と感じているわけはないのだけれども、それ(暗い感情)と、書くということとは、全く別次元、といっていいほどのことだ。
むしろ、書いていた方が、よほど、気持ちが落ち着くし、悪い状況(負の感情というものがダメなものだというのであれば)から抜け出すことができるようなものなのだ。
ある女性たちとの飲み会。最近、B6サイズのメモ帳を持ち歩いているが、できる限り早急にメモしておくことが、精神衛生上にも、実用的にも有用であると思った。
そのメモは、プライベートも仕事も、些末なことも重要なことも、とくに気にしない。自分が知らない、新しいことだと思ったら、メモをする。それは、例えば、ある人が、ネコを好きだとか、服飾関連の仕事をしているとか、そんなこともそうだし、本当に心躍ること、感動してすごいな、と思ったこともそうだし、明日仕事で資料のアノ部分を直そうとか、そのレベルであってもよい。
玉石混交。そして、メモは、見返す、という部分もあるが、これのすごいな、と思ったことは、書いてあることが、記憶されるということだ。
逆に、書いていないことが、もう最近は本当に、猛スピードで消えていく。
この記憶力の低下、特に、瞬間記憶力というのか、それとも、中期記憶への移行力の低下なのかは分からないが、いやそもそも、今までもそうだったけれども、気にしていなかっただけなのか、とにかく、そういった心配事が、メモによってある程度解決されるのである。
このブログが「暗い」ということと、メモが何が関係あるのか、というのは、書くまでもないが、メモ的な意味もあるということだ。
そして、感情を掘り下げることが、やはり、会話の「ネタ」になることは間違いない。ある事象について、どう感じ、どのように対応したのか、どう発言したのか、行動したのか、どう考えたのか、そのこと自体が、その人そのものであり、「他者へ興味を持つ人たち」にとっては、面白いと感じる部分なのである。
本当にこまめに保存しないとだめだな。ネットワーク通信が一時的にきれるのでもダメなのかもしれない。その点は、FC2はローカル環境での文字が一時保存されていたのか、安全性が高かったなぁ。なんとなく、複数のブログが同じアカウントで作成できる、という点以外は、FC2の方が使いやすかった気がする、ということで、また話がズレ。
とにかく、いつも読んでくれてありがとうございます、と思った瞬間に、何だか、申し訳ないなぁ、とも感じたのである。
もちろん無理に読んでもらう必要はないし、もし読んでいただいたとき、暗い気持ちになってもらう必要もなければ、心配してもらう必要もない。
もちろん、気にかけて頂けることは、間違いなく、嬉しい感情なのだけれども、少なくても、書いている自分自身は、楽しんでいる、と規定して読んでもらいたい、ということだ。
それが、現実ワールドにおいて、じゃあ楽しく嬉しく生活できているか、ということは全くもって違っていて、そうでない場面はありながらも、この、書いていること自体は楽しいのだ、というイメージと思う。
なんだろう、これって、ある事象に対して、斜に構えるとか、一歩引いてみるとか、俯瞰してみるとか、そういう物事を客観視できる俺ってカッコイイ、的な、みたいな(笑)。
なのかもしれない、から、当然ながら、あまり表に出せるようなものではない、のだからこそ、こうして、好き勝手書くことができる時間、場所、そして、その場を通ってくれるか、立ち止まってくれるかは分からないが、そういった人たちがいるということは、とても貴重で嬉しいことなのである。
そういえば、「理系のための恋愛論」とか読んで、ポイントを整理してできることは実践したりと、そんなことやっていたこともあったものだ、今も連載しているのだろうか。
だから、僕は、卑屈になって引きこもったり、自信喪失して哀しんだりとか、社会を恨んだりとか、周囲の環境を批判したりとか、そういうことを推奨するのではないのであって、決して、「暗い」とか「ネガティブ」とか、そういうものではない……というのは、あくまで僕の中の定義であって、それは、一般に「おかしい」と言われることはあるのだろうが、そういうことに気付かない人もいて先日挙げた記事の中の人はやり玉に挙がっていて可哀想だったが、僕はそれを気付いているから少し上なのだとか、まぁ、こういった思考が同時に起こるので、何が何だか、自分って何だか分からなくなった。
話しがズレた、だから、ネガティブとかいう、というのではなく、努力して、成功して、楽しい思いをして、その上で、じゃあだから何? と言われたとき、どうしようか、ということを僕は考えているわけだ。
そういった、自己との対話、成長、見守り、安心、再構築といったこと、それを、「生きる意味を考える」という表現をすることも可能と思う。
ここで、思考の罠に陥ってはならないのは、自己もまた「総体」であるということだ。
いくら考えても、身体のフィードバックがなければ精神は存在しないし、
自分一人であった場合もまた、精神は沈潜し、やがて枯れ果てるのである。
様々なフィードバック、相互作用というものにおいて、自己は成り立っている、なーんて、したり顔でいっていたら、きっと、そんなことわかってるよ、てか、今更? などと嘲笑されることだろう。
ただ、常に気を付けなければいけないのは、「知識」と、身につくこと、腑に落ちること、人に教えられること、実践できること、は全く別物なのである。
今かってな思いつきだが、このブログはまた、「訓練」であるともいっていいだろう。
ただしい思考、というものが、どこにあるのか、どれにあたるのか分からないけれども、正しい思考を統一し、精進することが、重要に思われる。
だって、これが、30代の男が書いているから嘲笑なのであって、中学生ぐらいでここまでかけたら、すごくないか?(かっこわらい)
大体において、現実ワールドのコミュニティでは、ある一定の基準、が存在するから、その基準に到達しないものは、「レベルが低い」「努力が足りない」とか、排斥や叱咤の対象となるのである。
が、しかし、そうはいっても、人それぞれの基準は、決して、ある一つのコミュニティ内で完結するものではない、このことが、イジメの問題を根本解決する唯一とも思える手段、つまり、コミュニティの再構築や、もしくは逃避という手段なのだけれども、現実的には簡単ではないことである。
そういった意味において、WEB、インターネットという部分は、すなわちそこは、もう自分の家ではなくて、例えば、全裸でキーボードを叩いていたとしても、身体は別として、精神は外の世界へと解き放たれているのである。
だからこそ、閉鎖的コミュニティまたは失敗コミュニティからの、脱出となりえるのである。
まぁ、本来的には、こうした記事を読んで、「この人面白いな! 一緒にこれから生きていきたいな!」と思ってくれるような女の子がいりゃあいーんだけど、それを実現するための、潜在意識への語りかけは、相当困難をアラームしている(笑)
・B6メモは記憶面も精神面からも有効
・飲み会お疲れ様でした(自分へ)
先日の記事とか、暗いなーっと読むと思ったりするけれども、どうか、読者の方は、心配をするとか、一緒に沈んだ気持ちになるとか、とにかく、負の状況にはならないで欲しいと思う。
決して、書いている本人として、人生絶頂楽しい嬉しい幸せだぜ、と感じているわけはないのだけれども、それ(暗い感情)と、書くということとは、全く別次元、といっていいほどのことだ。
むしろ、書いていた方が、よほど、気持ちが落ち着くし、悪い状況(負の感情というものがダメなものだというのであれば)から抜け出すことができるようなものなのだ。
ある女性たちとの飲み会。最近、B6サイズのメモ帳を持ち歩いているが、できる限り早急にメモしておくことが、精神衛生上にも、実用的にも有用であると思った。
そのメモは、プライベートも仕事も、些末なことも重要なことも、とくに気にしない。自分が知らない、新しいことだと思ったら、メモをする。それは、例えば、ある人が、ネコを好きだとか、服飾関連の仕事をしているとか、そんなこともそうだし、本当に心躍ること、感動してすごいな、と思ったこともそうだし、明日仕事で資料のアノ部分を直そうとか、そのレベルであってもよい。
玉石混交。そして、メモは、見返す、という部分もあるが、これのすごいな、と思ったことは、書いてあることが、記憶されるということだ。
逆に、書いていないことが、もう最近は本当に、猛スピードで消えていく。
この記憶力の低下、特に、瞬間記憶力というのか、それとも、中期記憶への移行力の低下なのかは分からないが、いやそもそも、今までもそうだったけれども、気にしていなかっただけなのか、とにかく、そういった心配事が、メモによってある程度解決されるのである。
このブログが「暗い」ということと、メモが何が関係あるのか、というのは、書くまでもないが、メモ的な意味もあるということだ。
そして、感情を掘り下げることが、やはり、会話の「ネタ」になることは間違いない。ある事象について、どう感じ、どのように対応したのか、どう発言したのか、行動したのか、どう考えたのか、そのこと自体が、その人そのものであり、「他者へ興味を持つ人たち」にとっては、面白いと感じる部分なのである。
すぐに忘れてるということ
タイトル、書こうと思ったことと、書いていることがまた違う気がする、そもそも、またスマホで書いていて、しばらく中断してもう一度起動したら消えていた。本当にこまめに保存しないとだめだな。ネットワーク通信が一時的にきれるのでもダメなのかもしれない。その点は、FC2はローカル環境での文字が一時保存されていたのか、安全性が高かったなぁ。なんとなく、複数のブログが同じアカウントで作成できる、という点以外は、FC2の方が使いやすかった気がする、ということで、また話がズレ。
とにかく、いつも読んでくれてありがとうございます、と思った瞬間に、何だか、申し訳ないなぁ、とも感じたのである。
もちろん無理に読んでもらう必要はないし、もし読んでいただいたとき、暗い気持ちになってもらう必要もなければ、心配してもらう必要もない。
もちろん、気にかけて頂けることは、間違いなく、嬉しい感情なのだけれども、少なくても、書いている自分自身は、楽しんでいる、と規定して読んでもらいたい、ということだ。
それが、現実ワールドにおいて、じゃあ楽しく嬉しく生活できているか、ということは全くもって違っていて、そうでない場面はありながらも、この、書いていること自体は楽しいのだ、というイメージと思う。
なんだろう、これって、ある事象に対して、斜に構えるとか、一歩引いてみるとか、俯瞰してみるとか、そういう物事を客観視できる俺ってカッコイイ、的な、みたいな(笑)。
なのかもしれない、から、当然ながら、あまり表に出せるようなものではない、のだからこそ、こうして、好き勝手書くことができる時間、場所、そして、その場を通ってくれるか、立ち止まってくれるかは分からないが、そういった人たちがいるということは、とても貴重で嬉しいことなのである。
男女交際
もうしばらく忘れてしまったが、新しく連絡先を交換して、そっからどうやって関係を深めていくのだろうか。そういえば、「理系のための恋愛論」とか読んで、ポイントを整理してできることは実践したりと、そんなことやっていたこともあったものだ、今も連載しているのだろうか。
もう読者へではなく独り言
だから、僕は、卑屈になって引きこもったり、自信喪失して哀しんだりとか、社会を恨んだりとか、周囲の環境を批判したりとか、そういうことを推奨するのではないのであって、決して、「暗い」とか「ネガティブ」とか、そういうものではない……というのは、あくまで僕の中の定義であって、それは、一般に「おかしい」と言われることはあるのだろうが、そういうことに気付かない人もいて先日挙げた記事の中の人はやり玉に挙がっていて可哀想だったが、僕はそれを気付いているから少し上なのだとか、まぁ、こういった思考が同時に起こるので、何が何だか、自分って何だか分からなくなった。
話しがズレた、だから、ネガティブとかいう、というのではなく、努力して、成功して、楽しい思いをして、その上で、じゃあだから何? と言われたとき、どうしようか、ということを僕は考えているわけだ。
そういった、自己との対話、成長、見守り、安心、再構築といったこと、それを、「生きる意味を考える」という表現をすることも可能と思う。
ここで、思考の罠に陥ってはならないのは、自己もまた「総体」であるということだ。
いくら考えても、身体のフィードバックがなければ精神は存在しないし、
自分一人であった場合もまた、精神は沈潜し、やがて枯れ果てるのである。
様々なフィードバック、相互作用というものにおいて、自己は成り立っている、なーんて、したり顔でいっていたら、きっと、そんなことわかってるよ、てか、今更? などと嘲笑されることだろう。
ただ、常に気を付けなければいけないのは、「知識」と、身につくこと、腑に落ちること、人に教えられること、実践できること、は全く別物なのである。
今かってな思いつきだが、このブログはまた、「訓練」であるともいっていいだろう。
ただしい思考、というものが、どこにあるのか、どれにあたるのか分からないけれども、正しい思考を統一し、精進することが、重要に思われる。
だって、これが、30代の男が書いているから嘲笑なのであって、中学生ぐらいでここまでかけたら、すごくないか?(かっこわらい)
大体において、現実ワールドのコミュニティでは、ある一定の基準、が存在するから、その基準に到達しないものは、「レベルが低い」「努力が足りない」とか、排斥や叱咤の対象となるのである。
が、しかし、そうはいっても、人それぞれの基準は、決して、ある一つのコミュニティ内で完結するものではない、このことが、イジメの問題を根本解決する唯一とも思える手段、つまり、コミュニティの再構築や、もしくは逃避という手段なのだけれども、現実的には簡単ではないことである。
そういった意味において、WEB、インターネットという部分は、すなわちそこは、もう自分の家ではなくて、例えば、全裸でキーボードを叩いていたとしても、身体は別として、精神は外の世界へと解き放たれているのである。
だからこそ、閉鎖的コミュニティまたは失敗コミュニティからの、脱出となりえるのである。
まぁ、本来的には、こうした記事を読んで、「この人面白いな! 一緒にこれから生きていきたいな!」と思ってくれるような女の子がいりゃあいーんだけど、それを実現するための、潜在意識への語りかけは、相当困難をアラームしている(笑)
まとめ
・読者の方は無理をされないで欲しい・B6メモは記憶面も精神面からも有効
・飲み会お疲れ様でした(自分へ)
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