当面の目標、記事の整理を行おう。
唐突になんだ、整理が重要だ、テーマだ、目的だ、お前は何をいってるんだ?
他の方の作品や記事を読んだりしていて、やっぱり、このダラダラ書き続けるのは良くない。
そろそろ量が多くなってきて、全部ストーリーとして追っていくのが自分にとってもキツくなってきた。
仕事もまた甚大な話に巻き込まれてきて、これは舵取りを間違うと致命的に取り返しがつかない、それは、今後何年かにもひびくだろう。
頭も要領もよくない自分が今後どうやって問題を切り抜けていくのか、もしくは潰れるのか、今後のご期待である。
前向きか後ろ向きかなんて、俺は常に前向きである。ポジティブでしかありえない。
口に出すこと、行動、書くことは、マイナスばかりだけれども、真のポジティブとは何かを知っているだけだ。
例えば、いや、例える必要性を僕は思わないが、あえて書けば、宗教的だけど、仏陀さんって、ポジティブなのか、ネガティブなのか?
さぁどっちだと思う?
俺の解釈は、超ポジティブ、だと思う。
しかし、一般的に、一切皆苦、とか言っちゃう人が、妻子捨てて修行始めちゃう人が、果たしてポジティブなのだろうかと、疑問だろう。
あまり詳しくないけれども、失敗を覚悟で書けば、キリストさんは、右のほほをぶたれたら左のほほを差し出しなさいとか、一匹の迷子羊を探すために他の多数の羊は放置してもいいとか、ネガティブっぽくないだろうか?
でも、キリストさんを卑屈、なんて言う人はいないだろう。
逃げたっていい、戦ったっていい、どっちでもいい。
ただ、祈りだけで、環境が何とかしてくれるみたいな生き方は否定する。
もちろん、行動第一主義というのも否定する。
世界は、
人生は、
自分は、
物理環境と思考との相互関係の因果によって成り立つ。
他者、そして自分、関係ない、その相互依存性が成り立つ。
誰かの作品で自分の感情が変化したとき、それは自分だけでは起こり得なかった結果であり、かといって、それは他者だけの力かというと、それも違う。
感受という、他者を、環境からのフィードバックをインプットできる能力が働いたのだ。それはまた、自分に他ならない。
ブログをやめるというのではない。ただ、ちょっとばかし、多分、書いてる内容はそれほど大きく変わらないだろうが、もう少し読みやすくしようと思う。
その方策が、カテゴリ、テーマをわけることだ。ちょっとチャレンジ。
仕事について
生きる意味について
イライラへの対処について
人間関係について
学習、勉強、インプットについて
思考すること、書くことそのことについて
ポジティブ思考について
目的や目標設定について
恋人や恋愛や結婚について(異性関係)
その他人間関係について(知己、友人)
ゲームやその他の趣味について
創作について
ここで、映画、漫画、小説その他のエンターテイメントについても、カテゴリ分けできるかと思ったが、次の理由で却下した。
その作品の批評や分析が目的ではなく、それによって私が何を思い感じたのか、それが重要であり、その内容は、どれかカテゴライズ可能と思うからだ。
こんなもんかな。
考え付くのはこれくらいかな。
これからの作業としては、現在の思考カテゴリと日常カテゴリの分類精査である。
おそらく、困難になるのは、その複合的な内容の場合である。
生きる意味と目的設定とか関連性深いし、イライラとポジティブ思考は関係深いし、それ以外も散財していることだろう。
ちなみに、この記事は、整理について、というカテゴリか、当ブログについて、という内容になるだろう。
おそらく、そんなことしても、誰も過去記事を読み直すなんてことないし、誰のためにもならない無駄作業である。
だが、
今後も徹底して考える、というタイトルを続けるなら必要な作業だ。
そして、この作業は、今年中を目指す。
ようやく、今年の目標が決まった。もう師走ちかいのに笑える。
来年、仕事、くそ忙しいと予測されるが、
もう1つ目標たてるなら、
絶対に忙殺されんようにすることだ。
真剣に、真面目に取り組んで、成果もあげて、
結局口がうまい人に成果をとられ、悪くなった失敗や問題は俺のせいにされて、と。
まるで漫画みたいなことに巻き込まれる可能性は、真面目さとか純粋さとか、ポジティブさとか、その他自己啓発的なうんたらでは、絶対に避けることはできない。
仕事へのコミットは、決して人を幸せにしない。
一方で、すぐさま書くべきは、仕事じかんちゅう、ずっといやいや苦しんで耐えてるってのも間違いだと思う。
誰かの記事で、忘れたが、仕事を楽しいと思ってるうちはそれは仕事しゃない、とあったが、それは言い当ててるようで、ちょっと違う、ああ、ああ、じかんぎれ、この辺りもまだまだ書ききれてないことなんだ。
この、様々書ききれてないことを、もう速やかになくしていくのが、今回の記事の主旨である、カテゴリ分けの必要性の提案なわけだ。
唐突になんだ、整理が重要だ、テーマだ、目的だ、お前は何をいってるんだ?
他の方の作品や記事を読んだりしていて、やっぱり、このダラダラ書き続けるのは良くない。
そろそろ量が多くなってきて、全部ストーリーとして追っていくのが自分にとってもキツくなってきた。
仕事もまた甚大な話に巻き込まれてきて、これは舵取りを間違うと致命的に取り返しがつかない、それは、今後何年かにもひびくだろう。
頭も要領もよくない自分が今後どうやって問題を切り抜けていくのか、もしくは潰れるのか、今後のご期待である。
前向きになった?
前向きか後ろ向きかなんて、俺は常に前向きである。ポジティブでしかありえない。
口に出すこと、行動、書くことは、マイナスばかりだけれども、真のポジティブとは何かを知っているだけだ。
例えば、いや、例える必要性を僕は思わないが、あえて書けば、宗教的だけど、仏陀さんって、ポジティブなのか、ネガティブなのか?
さぁどっちだと思う?
俺の解釈は、超ポジティブ、だと思う。
しかし、一般的に、一切皆苦、とか言っちゃう人が、妻子捨てて修行始めちゃう人が、果たしてポジティブなのだろうかと、疑問だろう。
あまり詳しくないけれども、失敗を覚悟で書けば、キリストさんは、右のほほをぶたれたら左のほほを差し出しなさいとか、一匹の迷子羊を探すために他の多数の羊は放置してもいいとか、ネガティブっぽくないだろうか?
でも、キリストさんを卑屈、なんて言う人はいないだろう。
困難への対処
逃げたっていい、戦ったっていい、どっちでもいい。
ただ、祈りだけで、環境が何とかしてくれるみたいな生き方は否定する。
もちろん、行動第一主義というのも否定する。
世界は、
人生は、
自分は、
物理環境と思考との相互関係の因果によって成り立つ。
他者、そして自分、関係ない、その相互依存性が成り立つ。
誰かの作品で自分の感情が変化したとき、それは自分だけでは起こり得なかった結果であり、かといって、それは他者だけの力かというと、それも違う。
感受という、他者を、環境からのフィードバックをインプットできる能力が働いたのだ。それはまた、自分に他ならない。
カテゴリ分け
ブログをやめるというのではない。ただ、ちょっとばかし、多分、書いてる内容はそれほど大きく変わらないだろうが、もう少し読みやすくしようと思う。
その方策が、カテゴリ、テーマをわけることだ。ちょっとチャレンジ。
仕事について
生きる意味について
イライラへの対処について
人間関係について
学習、勉強、インプットについて
思考すること、書くことそのことについて
ポジティブ思考について
目的や目標設定について
恋人や恋愛や結婚について(異性関係)
その他人間関係について(知己、友人)
ゲームやその他の趣味について
創作について
ここで、映画、漫画、小説その他のエンターテイメントについても、カテゴリ分けできるかと思ったが、次の理由で却下した。
その作品の批評や分析が目的ではなく、それによって私が何を思い感じたのか、それが重要であり、その内容は、どれかカテゴライズ可能と思うからだ。
こんなもんかな。
考え付くのはこれくらいかな。
これからの作業としては、現在の思考カテゴリと日常カテゴリの分類精査である。
おそらく、困難になるのは、その複合的な内容の場合である。
生きる意味と目的設定とか関連性深いし、イライラとポジティブ思考は関係深いし、それ以外も散財していることだろう。
ちなみに、この記事は、整理について、というカテゴリか、当ブログについて、という内容になるだろう。
誰のための作業か?
おそらく、そんなことしても、誰も過去記事を読み直すなんてことないし、誰のためにもならない無駄作業である。
だが、
今後も徹底して考える、というタイトルを続けるなら必要な作業だ。
そして、この作業は、今年中を目指す。
ようやく、今年の目標が決まった。もう師走ちかいのに笑える。
仕事について
来年、仕事、くそ忙しいと予測されるが、
もう1つ目標たてるなら、
絶対に忙殺されんようにすることだ。
真剣に、真面目に取り組んで、成果もあげて、
結局口がうまい人に成果をとられ、悪くなった失敗や問題は俺のせいにされて、と。
まるで漫画みたいなことに巻き込まれる可能性は、真面目さとか純粋さとか、ポジティブさとか、その他自己啓発的なうんたらでは、絶対に避けることはできない。
仕事へのコミットは、決して人を幸せにしない。
一方で、すぐさま書くべきは、仕事じかんちゅう、ずっといやいや苦しんで耐えてるってのも間違いだと思う。
誰かの記事で、忘れたが、仕事を楽しいと思ってるうちはそれは仕事しゃない、とあったが、それは言い当ててるようで、ちょっと違う、ああ、ああ、じかんぎれ、この辺りもまだまだ書ききれてないことなんだ。
この、様々書ききれてないことを、もう速やかになくしていくのが、今回の記事の主旨である、カテゴリ分けの必要性の提案なわけだ。
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