人型で、自律して動けば、アンドロイドということが分かった。じゃあ、動かない人型のものは何というか?
人形だ。
ちなみに、フランケンシュタインに出てくるのは、人造人間であり、ここまでの定義で行くとアンドロイドと言ってもよいが、フランケンシュタインは、ちょっとマイナスイメージというか、ホラーイメージが強すぎて、アンドロイドとは言いづらい気がする。というか、死体を切りばりして造ったんだっけか? だとしたら、有機体ということで、バイオロイドということになるのかな。
ちなみに、フランケンシュタインは、人造人間(怪物)を造った博士の名前で、人造人間(怪物)の名前ではない。
以下、連載。
人形だ。
ちなみに、フランケンシュタインに出てくるのは、人造人間であり、ここまでの定義で行くとアンドロイドと言ってもよいが、フランケンシュタインは、ちょっとマイナスイメージというか、ホラーイメージが強すぎて、アンドロイドとは言いづらい気がする。というか、死体を切りばりして造ったんだっけか? だとしたら、有機体ということで、バイオロイドということになるのかな。
ちなみに、フランケンシュタインは、人造人間(怪物)を造った博士の名前で、人造人間(怪物)の名前ではない。
以下、連載。
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今日の一言「やっぱり楽しいこと探さなきゃ」「PCの不具合は契機か」
こういう記事を書ける人は、やっぱり、非常にとっても貴重に思う。僕がこの方を知ったのは、この頃だったか。ちょうど一年前で、わんさかプライベートで揉めていた頃である。いやー早いもんですなー。
僕はかなり頑固である。自分では柔軟性がある人間だ、とか思っているが、他者からの評価はよく言えば信念をもっているといわれ、悪く言えば頑固である、といわれる。
しかし、僕にしてみれば、心外ではある。頑固なのではなく、僕をちゃんと納得させられるだけの価値観(や論理)を示してほしいだけである。
もっぱら、ターニングポイントという言葉や「結節点」という言葉を主に使っていたが、最近、ある方からパラダイムシフトという言葉を教えて頂いた。直観的にインプットされた。素直に自分の瑕疵が認められた。心底、そういった提示ができる方を尊敬した。
そんな尊敬できる方の一人が、上の精神科医さんのブログである。
全部が全部の記事を万歳三唱して心服する信者ではないが(ワイン好きの方のようだが、僕はあまり好きではない)、それでも、その多くには共感を覚える。
僕は、あんまり、心底尊敬できる人というのに、出会ってこなかった。いやもちろん、ある分野で優れる人や、先達先人には敬意をもっているし、エポケー状態でSUGEEEと思うことは数多い。けれども、前にこれも書いた気がするが、「価値観レベル」ですごい、と思うことがあんまりなかった。
そういった、尊敬できる人を、いっぱいもてることは幸せなのだろうか? 尊敬できる人が少ないというのは、不幸なことなのだろうか?
とかやってしまったが、あんまり、興味のある疑問ではなかった。なんというか、「僕は、イケメンとして生まれて来た方が良かったのだろうか?」とか、そんな低次元の疑問に過ぎない気がする。
そう。僕は、結構強固にもっている価値観として、「他者と比べても意味ないっしょや」というのがある。(そうなんだけど、ついつい比べてしまう、という現実問題は別として)
だから、尊敬できる人が多かろうが少なかろうと、そもそも、多い少ないを何に比して考えるのかってこったである。
なので、考えるべきは、「心底たのっしいぃぃぃ!(白目)」になるようなことである。
ここ数週間、ずっと考えていたことではある。ただ、直近でよくないことが重なってきているため、余計、その必要性を強く思っているところである。
余談:PCがやはり起動しない。メモリの抜き差しを繰り返すも、今日は駄目だった。舌打ちをしながら、今度は、グラボを外して、オンボード接続にしたら起動した。なんだそりゃ。原因が余計不明である。いっちばん初めに試したときは駄目やったやーん。
やっぱり、一度、たった一度きりの人生なんだから、一つでもいい。誰にも評価されなくてもいい。短くてもいい……いや、ある程度の長さは欲しいが、とにかく、心の深淵から、可能であればパラダイムシフトやターニングポイントとなるような、心底面白いって思えるような作品を創ろうではないか、と、思った。
プロ作家は、商業的に成功する必要がある。
が、そんな必要はない。とにかく、妥協もせずに、本気でおもしれーって、すげえって、感動できるような、そんな作品を創ろう。
それって、でも、自分でできるんだろうか。
取り敢えず、自画自賛という言葉があるけれども、むちゃくちゃ面白いと自分で思える作品って、自分自身でつくることは論理的に可能なのだろうか?
世の中の(僕にとっての)駄作たち(単に感性が合わないという意味でもある)。しかしそれは、それぞれの作者にとっては、最高傑作のそれなのだろうか?
その作者の頭の中には、素晴らしい物語が流れているけれども、それを言語という媒体に落とし込む過程において、表現問題と他者との解釈問題によって、その珠玉の輝きが失われているだけなのだろうか?
最近、非常に面白い作品を描ける方が、「自分で自分の作品が面白いか分からねえぇぇこれは笑えるのか? どうなんだ、ぁぁあああ」と仰っているのを見て、うーむ、確かに自分の作品の良し悪しってのは、自分で分かるのは難しいってのがある。なので、「面白いか分からないですが投稿してみました!」とかいう作者コメントは、「何? おめー作品なめてんのか?」と思う人もいるのだろうが、でも、気持ちは何となくわかる。
問題はもう一つ。そもそも、作品に触れるタイミングの問題。やっぱり、現実環境ってのは重要だったりする。どんなに素晴らしい恋愛作品だったとしても、失恋直後だったら面白いと思えないこともあるかもしれない。
あとは、作者自身の問題。作品自体は面白いけど、作者の人となりが好きじゃないと、何となく作品に入り込めなかったり。そういう意味では、クレヨンしんちゃんの臼井さんという作者さんは、「漫画家ってのは感動を売る仕事なので、顔出しはしない」というポリシーを貫いた方だったそうだ。ただ、WEB小説とかだと、読者からの感想への作者コメント自体が面白くて、何となく読者を手放さないとかいった場合もある。まぁ色々だ。
小説は、表現と、ストーリーが面白さを決める。
(キャラクターとか、声優の演技とか、漢字の当て字とか、レトリックとか技法とかいろいろあるだろうが、やっぱりストーリーは大事だと思う)
しかし、何だ、その心底面白い物語ってのは。
ちょっと真面目に考えてみよう。恥ずかしいとかそんなの考えずに、正直に挙げてみよう。
一発目で思いついたのは、Fateだった。(まぁ、面白さは順不同である。あと、連載中とか、完結していない作品は敢えて外そう)
Fate/zeroも良かったけれど、stay night、こいつは本当に感動した。ヘタレな選択肢を選ぼうものなら挽肉にされるという鬼畜ストーリーというかゲーム性もさることながら、やっぱりシロウくんの「正義感」が心を打った。「正義」って言葉、あんまり好きじゃあないんだけどね、ああいう熱い在り方っていいなと思った。
最近取り上げているEDEN~It's an endless world!~も面白かった。理由は省略。


Gunslinger Girlもよかった。理由はこれも何となく書いた気がするから省略。


映画で言えば、クレヨンしんちゃんの、戦国大合戦も面白かった。ストーリーの起伏、場面転換など、構成がほんとソツがないと思う。
君が望む永遠。最終兵器彼女は何となくパラダイムシフト(?)のせいで面白く感じられなくなったけれども、君望の、主人公のヘタレっぷりというかウラヤマけしからんというか、あの鬱具合が何とも良い。メインキャラのエンディングは全部みたなぁ。
小説だと、キャッチャーインザライ。村上春樹訳。これも、ある方から紹介してもらった作品。その方とは音信不通になってしまったが、そのころやってた僕のSNSの記事を読んで、なんか色々コメントくれたり、褒めてくれたりしてくださった。ほんといま思い出したけれども、その方にコメントもらったおかげで、まぁ、僕のこんな役に立たないとしか思えなかった記事も、ちょっとは書いてもいいんだなって、思わせてくれたような気がする。そのころ僕はまだ20代で、その方は30代ぐらいだったか。あぁ、今の僕は、あのときのあの方と同じぐらいの歳になったんだなぁ……。そんなこと思うと、なんかセンチメンタルである。って、面白い作品のことだったな。


死に至る病とかも、物語として(とか書くと怒られるが)ふつーに面白いのだけれども、それは別か。
あとは、そう、ヘルマンヘッセのシッダールタ。これは感想記事も書いた気がするけれども、読み終わってから、しばらく茫然自失するような作品って、あんまりないよね。


無職転生。何を隠そう、小説系の自サイトを復興させようと思わせてくれたのはこの作品のおかげといって過言ではない(それだけではなかったけれど)。なんというか、こう、一人称の作品だが、主人公と一緒に旅しているような、成長していくような、そんな感覚を与えてくれる作品というのも出会えないものだろう。今でも思い出すけれど、本当の敵の正体にせまったときの、あの緊張感というか、まるでホラー映画でモンスターが突然現れるかのようなゾクッとする感覚とか、女の子の可愛さにデレデレするのとか、感情移入できるという点でとてもよかった(ので逆に主人公に共感できないと何が面白いか全然分からないだろう)。


(WEBでも読める)
夜天を引き裂く。面白い小説ってのは、絶対感情移入できるものじゃないとだめだ、とかいう固定観念は完全崩壊、いやぁもうぶっ飛んだ主人公である。そしてその獰猛な主人公に平伏さない重厚なストーリーである。これも以前取り上げたことがあった気がするし、ストーリー等で書くべきことは書ききった気がするからもう書けないが、敢えてもう一つ書き足すとすれば、説明と表現(描写)は違うってことを実力を示されている作品にも思える。随所で、脳神経細胞に直接ぶちこんでくるような、鮮明な映像を浮かび上がらせてくれる。長いから、何分割かで読み切ろうと思っていたのは甘い考えで、よく覚えていないが、2分割か3分割ぐらいで一気に読んでしまったほどである。
僕は勉強ができない。山田詠美の作品。ターニングポイントというほどではないが、それでも、「真面目に生きる」という生き方以外を知ったという意味では大きかったかもしれない。僕が、イケメンはイケメンとして価値がある、とか時折いってるのは、これも今思いついたが、この作品の影響が少なからずあるかもしれない。


他にもなんかある気がするけれども、取り敢えずパッと思いつかないからここまでにしておこう。
で、だーな、土日の予定もそこそこ入っていると、何だか気分も乗らないのかもしれない。
あーしかし、そうだな、自分の中での傑作を創りたいという気持ちは強くなってきた。
今書いている作品の完結も当然目指したいけれども、非公開前提でもいいから、本気の奴も書き始めたいな。「本気」というと、それ以外の奴が手抜きなのかというような表現になってしまうから修正すれば、本気で面白いと思える奴、ということなんだけど、……それって同じか。
うーむしかし、面白いと言っても、種類もいろいろあるしなぁ。バトル的な熱い作品で面白いというのもあれば、郷愁的頽廃的な面白さというのもある。
それら総合して面白いというのもあるだろう。
王道的に快感的に面白いというのもあるだろう。
非常にやっかいだ。そもそも、「こういう作品を描きたい」というのが先にあってから、通常はじゃあこんなエピソードかな、的に創っていくのが普通だろう。そもそも、スタートが、「面白い作品を創りたい」というのは、天地ひっくり返ってる考え方じゃあなかろうか。
いやいややめろ、そうじゃあない。ブレーンストーミング大事。批判からはいっちゃいかん。
取り敢えず、そんな創りたいという思いが生じたということを潰しちゃあいけない。それをどうやってふくらませるか、芽吹かせるか。
(眠くなってきた、強制終了。そして明日もPCの修理から必要になるのだろう)
生きていくのに必要な能力
ある精神科医さんの記事は、僕にとってタイムリーであった。こういう記事を書ける人は、やっぱり、非常にとっても貴重に思う。僕がこの方を知ったのは、この頃だったか。ちょうど一年前で、わんさかプライベートで揉めていた頃である。いやー早いもんですなー。
僕はかなり頑固である。自分では柔軟性がある人間だ、とか思っているが、他者からの評価はよく言えば信念をもっているといわれ、悪く言えば頑固である、といわれる。
しかし、僕にしてみれば、心外ではある。頑固なのではなく、僕をちゃんと納得させられるだけの価値観(や論理)を示してほしいだけである。
もっぱら、ターニングポイントという言葉や「結節点」という言葉を主に使っていたが、最近、ある方からパラダイムシフトという言葉を教えて頂いた。直観的にインプットされた。素直に自分の瑕疵が認められた。心底、そういった提示ができる方を尊敬した。
そんな尊敬できる方の一人が、上の精神科医さんのブログである。
全部が全部の記事を万歳三唱して心服する信者ではないが(ワイン好きの方のようだが、僕はあまり好きではない)、それでも、その多くには共感を覚える。
僕は、あんまり、心底尊敬できる人というのに、出会ってこなかった。いやもちろん、ある分野で優れる人や、先達先人には敬意をもっているし、エポケー状態でSUGEEEと思うことは数多い。けれども、前にこれも書いた気がするが、「価値観レベル」ですごい、と思うことがあんまりなかった。
そういった、尊敬できる人を、いっぱいもてることは幸せなのだろうか? 尊敬できる人が少ないというのは、不幸なことなのだろうか?
どうでもいい疑問
なのだろうか?(キリッ)とかやってしまったが、あんまり、興味のある疑問ではなかった。なんというか、「僕は、イケメンとして生まれて来た方が良かったのだろうか?」とか、そんな低次元の疑問に過ぎない気がする。
そう。僕は、結構強固にもっている価値観として、「他者と比べても意味ないっしょや」というのがある。(そうなんだけど、ついつい比べてしまう、という現実問題は別として)
だから、尊敬できる人が多かろうが少なかろうと、そもそも、多い少ないを何に比して考えるのかってこったである。
なので、考えるべきは、「心底たのっしいぃぃぃ!(白目)」になるようなことである。
ここ数週間、ずっと考えていたことではある。ただ、直近でよくないことが重なってきているため、余計、その必要性を強く思っているところである。
余談:PCがやはり起動しない。メモリの抜き差しを繰り返すも、今日は駄目だった。舌打ちをしながら、今度は、グラボを外して、オンボード接続にしたら起動した。なんだそりゃ。原因が余計不明である。いっちばん初めに試したときは駄目やったやーん。
そうだ物語を創ろう
そして思った。やっぱり、一度、たった一度きりの人生なんだから、一つでもいい。誰にも評価されなくてもいい。短くてもいい……いや、ある程度の長さは欲しいが、とにかく、心の深淵から、可能であればパラダイムシフトやターニングポイントとなるような、心底面白いって思えるような作品を創ろうではないか、と、思った。
プロ作家は、商業的に成功する必要がある。
が、そんな必要はない。とにかく、妥協もせずに、本気でおもしれーって、すげえって、感動できるような、そんな作品を創ろう。
それって、でも、自分でできるんだろうか。
取り敢えず、自画自賛という言葉があるけれども、むちゃくちゃ面白いと自分で思える作品って、自分自身でつくることは論理的に可能なのだろうか?
世の中の(僕にとっての)駄作たち(単に感性が合わないという意味でもある)。しかしそれは、それぞれの作者にとっては、最高傑作のそれなのだろうか?
その作者の頭の中には、素晴らしい物語が流れているけれども、それを言語という媒体に落とし込む過程において、表現問題と他者との解釈問題によって、その珠玉の輝きが失われているだけなのだろうか?
最近、非常に面白い作品を描ける方が、「自分で自分の作品が面白いか分からねえぇぇこれは笑えるのか? どうなんだ、ぁぁあああ」と仰っているのを見て、うーむ、確かに自分の作品の良し悪しってのは、自分で分かるのは難しいってのがある。なので、「面白いか分からないですが投稿してみました!」とかいう作者コメントは、「何? おめー作品なめてんのか?」と思う人もいるのだろうが、でも、気持ちは何となくわかる。
問題はもう一つ。そもそも、作品に触れるタイミングの問題。やっぱり、現実環境ってのは重要だったりする。どんなに素晴らしい恋愛作品だったとしても、失恋直後だったら面白いと思えないこともあるかもしれない。
あとは、作者自身の問題。作品自体は面白いけど、作者の人となりが好きじゃないと、何となく作品に入り込めなかったり。そういう意味では、クレヨンしんちゃんの臼井さんという作者さんは、「漫画家ってのは感動を売る仕事なので、顔出しはしない」というポリシーを貫いた方だったそうだ。ただ、WEB小説とかだと、読者からの感想への作者コメント自体が面白くて、何となく読者を手放さないとかいった場合もある。まぁ色々だ。
面白い物語とは
漫画やアニメは、絵と、ストーリーが面白さを決める。小説は、表現と、ストーリーが面白さを決める。
(キャラクターとか、声優の演技とか、漢字の当て字とか、レトリックとか技法とかいろいろあるだろうが、やっぱりストーリーは大事だと思う)
しかし、何だ、その心底面白い物語ってのは。
ちょっと真面目に考えてみよう。恥ずかしいとかそんなの考えずに、正直に挙げてみよう。
一発目で思いついたのは、Fateだった。(まぁ、面白さは順不同である。あと、連載中とか、完結していない作品は敢えて外そう)
Fate/zeroも良かったけれど、stay night、こいつは本当に感動した。ヘタレな選択肢を選ぼうものなら挽肉にされるという鬼畜ストーリーというかゲーム性もさることながら、やっぱりシロウくんの「正義感」が心を打った。「正義」って言葉、あんまり好きじゃあないんだけどね、ああいう熱い在り方っていいなと思った。
最近取り上げているEDEN~It's an endless world!~も面白かった。理由は省略。
Gunslinger Girlもよかった。理由はこれも何となく書いた気がするから省略。
映画で言えば、クレヨンしんちゃんの、戦国大合戦も面白かった。ストーリーの起伏、場面転換など、構成がほんとソツがないと思う。
君が望む永遠。最終兵器彼女は何となくパラダイムシフト(?)のせいで面白く感じられなくなったけれども、君望の、主人公のヘタレっぷりというかウラヤマけしからんというか、あの鬱具合が何とも良い。メインキャラのエンディングは全部みたなぁ。
小説だと、キャッチャーインザライ。村上春樹訳。これも、ある方から紹介してもらった作品。その方とは音信不通になってしまったが、そのころやってた僕のSNSの記事を読んで、なんか色々コメントくれたり、褒めてくれたりしてくださった。ほんといま思い出したけれども、その方にコメントもらったおかげで、まぁ、僕のこんな役に立たないとしか思えなかった記事も、ちょっとは書いてもいいんだなって、思わせてくれたような気がする。そのころ僕はまだ20代で、その方は30代ぐらいだったか。あぁ、今の僕は、あのときのあの方と同じぐらいの歳になったんだなぁ……。そんなこと思うと、なんかセンチメンタルである。って、面白い作品のことだったな。
死に至る病とかも、物語として(とか書くと怒られるが)ふつーに面白いのだけれども、それは別か。
あとは、そう、ヘルマンヘッセのシッダールタ。これは感想記事も書いた気がするけれども、読み終わってから、しばらく茫然自失するような作品って、あんまりないよね。
無職転生。何を隠そう、小説系の自サイトを復興させようと思わせてくれたのはこの作品のおかげといって過言ではない(それだけではなかったけれど)。なんというか、こう、一人称の作品だが、主人公と一緒に旅しているような、成長していくような、そんな感覚を与えてくれる作品というのも出会えないものだろう。今でも思い出すけれど、本当の敵の正体にせまったときの、あの緊張感というか、まるでホラー映画でモンスターが突然現れるかのようなゾクッとする感覚とか、女の子の可愛さにデレデレするのとか、感情移入できるという点でとてもよかった(ので逆に主人公に共感できないと何が面白いか全然分からないだろう)。
(WEBでも読める)
夜天を引き裂く。面白い小説ってのは、絶対感情移入できるものじゃないとだめだ、とかいう固定観念は完全崩壊、いやぁもうぶっ飛んだ主人公である。そしてその獰猛な主人公に平伏さない重厚なストーリーである。これも以前取り上げたことがあった気がするし、ストーリー等で書くべきことは書ききった気がするからもう書けないが、敢えてもう一つ書き足すとすれば、説明と表現(描写)は違うってことを実力を示されている作品にも思える。随所で、脳神経細胞に直接ぶちこんでくるような、鮮明な映像を浮かび上がらせてくれる。長いから、何分割かで読み切ろうと思っていたのは甘い考えで、よく覚えていないが、2分割か3分割ぐらいで一気に読んでしまったほどである。
僕は勉強ができない。山田詠美の作品。ターニングポイントというほどではないが、それでも、「真面目に生きる」という生き方以外を知ったという意味では大きかったかもしれない。僕が、イケメンはイケメンとして価値がある、とか時折いってるのは、これも今思いついたが、この作品の影響が少なからずあるかもしれない。
他にもなんかある気がするけれども、取り敢えずパッと思いつかないからここまでにしておこう。
色々調べてたら時間が過ぎる
おぉ……もうこんな時間か。やっぱり、平日に何か活動的なことをしようというのは体力的精神的に厳しいのかもしれない、が、平日を上手く活用しないと、上手く時間を捻出できない。で、だーな、土日の予定もそこそこ入っていると、何だか気分も乗らないのかもしれない。
あーしかし、そうだな、自分の中での傑作を創りたいという気持ちは強くなってきた。
今書いている作品の完結も当然目指したいけれども、非公開前提でもいいから、本気の奴も書き始めたいな。「本気」というと、それ以外の奴が手抜きなのかというような表現になってしまうから修正すれば、本気で面白いと思える奴、ということなんだけど、……それって同じか。
うーむしかし、面白いと言っても、種類もいろいろあるしなぁ。バトル的な熱い作品で面白いというのもあれば、郷愁的頽廃的な面白さというのもある。
それら総合して面白いというのもあるだろう。
王道的に快感的に面白いというのもあるだろう。
非常にやっかいだ。そもそも、「こういう作品を描きたい」というのが先にあってから、通常はじゃあこんなエピソードかな、的に創っていくのが普通だろう。そもそも、スタートが、「面白い作品を創りたい」というのは、天地ひっくり返ってる考え方じゃあなかろうか。
いやいややめろ、そうじゃあない。ブレーンストーミング大事。批判からはいっちゃいかん。
取り敢えず、そんな創りたいという思いが生じたということを潰しちゃあいけない。それをどうやってふくらませるか、芽吹かせるか。
(眠くなってきた、強制終了。そして明日もPCの修理から必要になるのだろう)
今日の一言「途中まで書いてたの消えた」「眠れないから書こう」
友人からアドバイスをもらい、メモリの抜き差し(およびアルコール系で拭き清掃)を実施。だめ。8GB(DDR4)×2構成だが、×1にして起動。あ、動いた。
原因は、メモリの可能性もある、が、8GB(DDR4)×2は、1万5千円ぐらい。マザーボード不具合の可能性もあるのであれば、メモリを試しで購入するというのはリスクが怖い。
そんなこんなで、24時オーバー。
何だか意識が朦朧とし、まとめ系サイトのサーフィンをしてしまった1時間半は虚しき哉。
先日の、結果を出さなきゃだめだ、という記事は、あれは何だったのか。イライラして書いた、後悔はしていない……いや本当か?
たまに、むしゃくしゃしながら書いた記事が、案外、あとから読んで(同じタイミングでむしゃくしゃしているときは)面白かったりするのだけれど、今は到底読みたいと思わない記事である。
映画のロボジーを見た。結構面白かった。中盤のダレ感が気になって、飛ばしてみようかと思ったが、このダレダレの状態から、どうやって後半オチを付けるのだろうかと気になって、頑張って見続けた。なるほど、よい感じでまとめてきたな、といった感じだった。ヒロイン的な子が仲間になって一緒に研究をするようになってハッピーエンド、といったところから、結局同じ道を辿ることになってしまうという二段階オチにもなっていて、よかったと思った。
とかって書いていたら、途中まで書いていた記事を操作ミスで消してしまった。これは、PC不具合とか関係なく、完全に僕のミスだけれど、ショックはショックだ。
街中でトラブルに巻き込まれたり(かなり嫌な思いをした。が、まぁ後続の生活に影響するレベルではなかった)もするし、最近、ツキまわりがよくない気がする。
けれども、僕に言わせたら、つらい人生、どうしてあなた方は、ちっぽけな「幸せ」的な奴で満足しつつ生きていられるのですか? といった感じである。これは傲慢な感情なのか?
死刑執行前の気持ちは如何なるものだろう。先日、そんな感じの夢をみたと仰っていた方がいた。
いやぁ相当悪夢だと思う。
僕は、「死ぬ」夢をみたことがある。死ぬというか、「死んだ」夢だ。死者になった夢だ。意識だけはある、だが、死んでいるので、何もできない、何も見えない。何も感じられない。それでも、おぼろげな意識だけはある。自分が誰かも思い出せない、何もできない、身体の感覚も無い、それでも、意識だけはある。
これ、僕が生きてきた中で、これ以上の悪夢はない。まだ、上司にいびられたり、恋人にふられたり、借金を背負ったりとか、そんな夢の方がましだ。それらのつらい出来事は、まだまだ救いがある。「死」という救いがある。
死んだ夢には、救いがない。完璧な閉塞。完全なる絶望。
僕は以前、「死は無であって欲しい」と書いた。この意味は、意識だけが残ってしまった場合、これほど恐ろしいことはないからだ。ネットで、10億年ボタン? とか、そんな動画だか記事だかがあったと思う。あれもものすごく怖い。
概念的に、「意識の残った死」ほど怖いものはないと思う。
ここ数年で、大切な人の死をまた経験したけれども、本当に、安らかに眠って、いやその眠りとは、決して夢などみないように、深いノンレム睡眠であって欲しいと思う(いやはや、ネットでちょっと調べたら、ノンレム睡眠中でも夢は見ているのだそうだ、それが覚醒したら思い出せないだけだということだそうだが、まったく、いろんな説があるものだなぁ)。
最近うまい具合に生活がコントロールできていない(アンコントロール的な事象が多く起こっているせいだ)。
人は、コントロール感によって、生きる実感を得ているという表現も聞いたことがある。
自分の人生は、自分でコントロールできるということ、これが重要なことなのだ。そして、そのコントロールの範囲や多寡については、「お金」というものが大きくかかわってくる(人脈的なのもお金による! 社会関係資本! なんたることだ!)。
ので、なんだか夢とか希望とか、目標とか目的とかない人でも、取り敢えずお金が欲しくなる、というのは、そのコントロール感を得たいからだと言える。それは、本能に近いものである。生きたいという脳神経細胞の本能と、知りたいという本能によってつくり出されているのだろう。
うん、まぁその、コントロールできることも重要だが、取り敢えず、目下、今後、1か月でも、3か月でもいいから、この先々で、とっても面白いようなことが欲しい!
31歳、32歳、33歳、34歳、35歳、36歳、37歳、38歳、39歳……と、30代というのはそれほど多くはない。
なんか、35歳でも、40歳でもいいけれども、なんか希望的な、この歳になったらこんなことがある! 的な、楽しいイベントはなかろうか。
入学、卒業、大学デビュー、車、マイホーム、結婚、子ども、まぁ、昔のライフイベント的なのはそんな感じだ。うーむ、どれも魅力がない。全然ない。
で、調べてみると、DELLのエイリアンウェアとか、見た目がかっこよい(ネーミングセンスは好みではないが……)。
そもそも、グラフィックボードは、「黒い砂漠」という3Dゲームをサクサク遊ぶために、GeForce980tiという、当時10万近くした気がする高価な装置を購入したわけだけれども、それが壊れているわけではどうやらなさそうなので、グラボがついていない状態でBTO(カスタマイズ通販パソコン)で購入し、後付けするのもいいかもしれない。
この際、自作を始めてみるのも楽しいかもしれない。
いやいや、そもそも、ホームページの開発環境(PHP言語)や、小説書くだけだったら、サーフェスとか、もっとスマートなPCとかタブレット的な奴でもいいかもしれない。
まぁそんなこと考えて、欲しいものを検討するというのは、ちょっと楽しい。
そう、欲しいものを買う、ということが、あんまり僕はないのだ。
物欲にまみれていなくてよいね、と言われるかもしれない。そんな気もする。だが、やっぱり、この資本主義社会というか、消費社会において、物を買うというのは、楽しいことであるべきなのだ。でなければ、楽しく社会を生きていけないのだ。欲しいものがあるから面倒でも働いて、お金を貯めて、買う。このサイクルが楽しい! って人は、別に「生きる意味」とかどうでもいいんだと思う。
僕も、必要なものは買う。でもそれは、必要にせまられているから買うだけであって、買ったときにカタルシスはない。ただお金が減っただけ。生活が激変するわけでもなく、まぁ変わらない。最新機種や装置になったとしても、いまや、別に感動するほど機能や性能が増えるわけじゃあない。(980tiはもうほとんど主流ではなくなったが、最新のグラボにもそこそこ迫る性能ではある。もっとも、消費電力とかそのあたりの付加要素はいろいろあるわけだが)
まぁ、ここしばらくは、パソコン買うのを検討することを楽しみに当座しのぐとしようかな。
まぁ、しかし、買って結局何をするのか、というと、今と何も変わらないわけで、そういう意味だと、結局、「必要に迫られて買う」程度のことでしかない。
あーなんか、欲しいものないかなぁ。
得たいものでも、成し遂げたいことでも、もらいたい評価でもいい。
なんかないかなぁ……。
ってのは、ほんと、ダメ人間だと思う。そんなこと思うのって、ほんとひどい話だと思う。
そう、そう思って、いつぞやか以前、「ダメ人間」カテゴリのブログ村登録をしようと思ったけれども、どうやら、一般に「ダメ」というのは、ギャンブル依存とか、なんか借金せおったとか、ニートとか、対人恐怖症とか、そういう系統でないと許されないらしい。
ダメ人間にもなれず、意識高い系にもなれず、エリートにもなれず、俺はいったい何なんだ、となる。
普通人間だ。
そう、僕は、ごく普通の、一般大衆、衆生に向けて常に語りかけているのである!!
と書くと、いやいや、お前そもそも、ちょっと変わってるねとか言われたりするだろう、と。
やっぱり、普通なんかじゃあないんじゃないか、と。
じゃあ一体なんなんだ、と。
なんなんだ、というのは、これはこれで一つテーマではあるけれども、それより、目下緊急、喫緊の必要なことは、楽しいことってないかなぁってことである。
(ああ、もう、こんなこと考えてしまうことがそもそも嫌気が指す! なんか違う方向に梶切してから終わりたいが、もう眠い、終わり!)
近況メモ
パソコンの調子が悪い。ASUSロゴから、フリーズ。F2またはDELキーでBIOSセットアップにうつれるが、キーも反応しない。友人からアドバイスをもらい、メモリの抜き差し(およびアルコール系で拭き清掃)を実施。だめ。8GB(DDR4)×2構成だが、×1にして起動。あ、動いた。
原因は、メモリの可能性もある、が、8GB(DDR4)×2は、1万5千円ぐらい。マザーボード不具合の可能性もあるのであれば、メモリを試しで購入するというのはリスクが怖い。
そんなこんなで、24時オーバー。
何だか意識が朦朧とし、まとめ系サイトのサーフィンをしてしまった1時間半は虚しき哉。
先日の、結果を出さなきゃだめだ、という記事は、あれは何だったのか。イライラして書いた、後悔はしていない……いや本当か?
たまに、むしゃくしゃしながら書いた記事が、案外、あとから読んで(同じタイミングでむしゃくしゃしているときは)面白かったりするのだけれど、今は到底読みたいと思わない記事である。
映画のロボジーを見た。結構面白かった。中盤のダレ感が気になって、飛ばしてみようかと思ったが、このダレダレの状態から、どうやって後半オチを付けるのだろうかと気になって、頑張って見続けた。なるほど、よい感じでまとめてきたな、といった感じだった。ヒロイン的な子が仲間になって一緒に研究をするようになってハッピーエンド、といったところから、結局同じ道を辿ることになってしまうという二段階オチにもなっていて、よかったと思った。
とかって書いていたら、途中まで書いていた記事を操作ミスで消してしまった。これは、PC不具合とか関係なく、完全に僕のミスだけれど、ショックはショックだ。
街中でトラブルに巻き込まれたり(かなり嫌な思いをした。が、まぁ後続の生活に影響するレベルではなかった)もするし、最近、ツキまわりがよくない気がする。
死んだ夢
なんか、「生きる意味なんて、考える意味わかりませんけど? かっこワラ」とか仰る方は多い。けれども、僕に言わせたら、つらい人生、どうしてあなた方は、ちっぽけな「幸せ」的な奴で満足しつつ生きていられるのですか? といった感じである。これは傲慢な感情なのか?
死刑執行前の気持ちは如何なるものだろう。先日、そんな感じの夢をみたと仰っていた方がいた。
いやぁ相当悪夢だと思う。
僕は、「死ぬ」夢をみたことがある。死ぬというか、「死んだ」夢だ。死者になった夢だ。意識だけはある、だが、死んでいるので、何もできない、何も見えない。何も感じられない。それでも、おぼろげな意識だけはある。自分が誰かも思い出せない、何もできない、身体の感覚も無い、それでも、意識だけはある。
これ、僕が生きてきた中で、これ以上の悪夢はない。まだ、上司にいびられたり、恋人にふられたり、借金を背負ったりとか、そんな夢の方がましだ。それらのつらい出来事は、まだまだ救いがある。「死」という救いがある。
死んだ夢には、救いがない。完璧な閉塞。完全なる絶望。
僕は以前、「死は無であって欲しい」と書いた。この意味は、意識だけが残ってしまった場合、これほど恐ろしいことはないからだ。ネットで、10億年ボタン? とか、そんな動画だか記事だかがあったと思う。あれもものすごく怖い。
概念的に、「意識の残った死」ほど怖いものはないと思う。
ここ数年で、大切な人の死をまた経験したけれども、本当に、安らかに眠って、いやその眠りとは、決して夢などみないように、深いノンレム睡眠であって欲しいと思う(いやはや、ネットでちょっと調べたら、ノンレム睡眠中でも夢は見ているのだそうだ、それが覚醒したら思い出せないだけだということだそうだが、まったく、いろんな説があるものだなぁ)。
楽しいこと探そう
ああ、もう、駄目だ駄目だ!最近うまい具合に生活がコントロールできていない(アンコントロール的な事象が多く起こっているせいだ)。
人は、コントロール感によって、生きる実感を得ているという表現も聞いたことがある。
自分の人生は、自分でコントロールできるということ、これが重要なことなのだ。そして、そのコントロールの範囲や多寡については、「お金」というものが大きくかかわってくる(人脈的なのもお金による! 社会関係資本! なんたることだ!)。
ので、なんだか夢とか希望とか、目標とか目的とかない人でも、取り敢えずお金が欲しくなる、というのは、そのコントロール感を得たいからだと言える。それは、本能に近いものである。生きたいという脳神経細胞の本能と、知りたいという本能によってつくり出されているのだろう。
うん、まぁその、コントロールできることも重要だが、取り敢えず、目下、今後、1か月でも、3か月でもいいから、この先々で、とっても面白いようなことが欲しい!
31歳、32歳、33歳、34歳、35歳、36歳、37歳、38歳、39歳……と、30代というのはそれほど多くはない。
なんか、35歳でも、40歳でもいいけれども、なんか希望的な、この歳になったらこんなことがある! 的な、楽しいイベントはなかろうか。
入学、卒業、大学デビュー、車、マイホーム、結婚、子ども、まぁ、昔のライフイベント的なのはそんな感じだ。うーむ、どれも魅力がない。全然ない。
魅力のある生き方
パソコンの調子が悪い。で、調べてみると、DELLのエイリアンウェアとか、見た目がかっこよい(ネーミングセンスは好みではないが……)。
そもそも、グラフィックボードは、「黒い砂漠」という3Dゲームをサクサク遊ぶために、GeForce980tiという、当時10万近くした気がする高価な装置を購入したわけだけれども、それが壊れているわけではどうやらなさそうなので、グラボがついていない状態でBTO(カスタマイズ通販パソコン)で購入し、後付けするのもいいかもしれない。
この際、自作を始めてみるのも楽しいかもしれない。
いやいや、そもそも、ホームページの開発環境(PHP言語)や、小説書くだけだったら、サーフェスとか、もっとスマートなPCとかタブレット的な奴でもいいかもしれない。
まぁそんなこと考えて、欲しいものを検討するというのは、ちょっと楽しい。
そう、欲しいものを買う、ということが、あんまり僕はないのだ。
物欲にまみれていなくてよいね、と言われるかもしれない。そんな気もする。だが、やっぱり、この資本主義社会というか、消費社会において、物を買うというのは、楽しいことであるべきなのだ。でなければ、楽しく社会を生きていけないのだ。欲しいものがあるから面倒でも働いて、お金を貯めて、買う。このサイクルが楽しい! って人は、別に「生きる意味」とかどうでもいいんだと思う。
僕も、必要なものは買う。でもそれは、必要にせまられているから買うだけであって、買ったときにカタルシスはない。ただお金が減っただけ。生活が激変するわけでもなく、まぁ変わらない。最新機種や装置になったとしても、いまや、別に感動するほど機能や性能が増えるわけじゃあない。(980tiはもうほとんど主流ではなくなったが、最新のグラボにもそこそこ迫る性能ではある。もっとも、消費電力とかそのあたりの付加要素はいろいろあるわけだが)
まぁ、ここしばらくは、パソコン買うのを検討することを楽しみに当座しのぐとしようかな。
まぁ、しかし、買って結局何をするのか、というと、今と何も変わらないわけで、そういう意味だと、結局、「必要に迫られて買う」程度のことでしかない。
あーなんか、欲しいものないかなぁ。
得たいものでも、成し遂げたいことでも、もらいたい評価でもいい。
なんかないかなぁ……。
ってのは、ほんと、ダメ人間だと思う。そんなこと思うのって、ほんとひどい話だと思う。
そう、そう思って、いつぞやか以前、「ダメ人間」カテゴリのブログ村登録をしようと思ったけれども、どうやら、一般に「ダメ」というのは、ギャンブル依存とか、なんか借金せおったとか、ニートとか、対人恐怖症とか、そういう系統でないと許されないらしい。
ダメ人間にもなれず、意識高い系にもなれず、エリートにもなれず、俺はいったい何なんだ、となる。
普通人間だ。
そう、僕は、ごく普通の、一般大衆、衆生に向けて常に語りかけているのである!!
と書くと、いやいや、お前そもそも、ちょっと変わってるねとか言われたりするだろう、と。
やっぱり、普通なんかじゃあないんじゃないか、と。
じゃあ一体なんなんだ、と。
なんなんだ、というのは、これはこれで一つテーマではあるけれども、それより、目下緊急、喫緊の必要なことは、楽しいことってないかなぁってことである。
(ああ、もう、こんなこと考えてしまうことがそもそも嫌気が指す! なんか違う方向に梶切してから終わりたいが、もう眠い、終わり!)
今日の一言「言葉だけの人間は信用されない」「言葉で表現できない場合は評価されない」
むさくるしい、こんな、自己啓発的な冒頭は、僕の嫌いなところであるけれども、いつもどおり本音本心マックスファイアーでいこう。
・エロマンガ先生のアニメを少しだけ見たが、結構面白そう
・クレヨンしんちゃんのアマゾンオリジナル作品を見たが、エイリアンと戦う奴はいまいちだった(とはいえ結局ENDING気になって最後まで見てしまった)が、おもちゃウォーズは面白かった。なんというか、おもちゃ系に僕は弱いのかもしれない。涙がこぼれた。
・PCの調子がすこぶる悪い。先日、CMOS初期化(電池はずして付け直し)したらなおったと書いたが、結局またASUS(エイスースと読むらしい)のロゴでフリーズ。CMOS電池をはずすとまた動くけれども、毎回グラボのネジはずして、グラボはずして……とかやってられない。「CR2032」というマザーボード用の電池を交換してみる。これでしばらくよくなるといいのだが……。
おっと、近況のメモはともかく、そう、結果が大事だ。
なんというか、僕は、言葉を優先する……(思考で現象をとらえようとする)のだけれども、いや、それはまぁ今回の記事と直接的に関係しないが、結局のところ、何らかの「結果」がない場合、他者にはゼロとしかうつらない、ということだ。
なるほど、あるコンサルタントの話しで、ある黒い会社で、手を止めて考えているような社員がいたら、「さぼるな! 働け!」と怒号が飛び交う会社があったという。いやはや、ライン仕事だったり、パンチャーの仕事じゃあないのだから、タイピングの指がとまって、画面とにらめっこする時間だって必要だろう。
ただ、そんな極端なことはともかくとして、何らか、「かたち」に見えるようにならなければ、人は、人を、価値ある存在としてみなさないのである。
いやいや、そんなことないよ! 生きているだけでみんな、価値があるんだ!
なるほど、そういった標語は必要だろう。確かに、価値あることだけを絶対視するような社会システムは、遊びのないアクセルやブレーキペダルのようなもので、危険極まりないだろう。
が、それは概念的な話であって、実際問題、「無価値な人間」という存在が、尊敬されたり、大事にされたりすることがあり得るだろうか?
否。
まず、この前提は認めるべきである。
いやはやすぐさま、その「価値」とは何ぞや、という問いが浮かぶのであるが、それはここではわきに置いておこう。取り敢えず、「価値がある」ことは重要だ。
さて、般若心経においては、「舎利子よ、よく聞きなさい。この世は、空(縁起)なのですから、生まれるでもなく、滅するでもなく、清いでもなく汚いでもなく、増えるでもなく減るでもないのですよ」と言われるが、まぁ、まちたまえ。
美人と、ブスと、どちらがよいか?
この二者択一は、美人、である。ここで、「性格の悪い美人」とか、「内面は美しいブス」とか、そんな形容は一切無視する。取り敢えず、美しいものと、汚いもの、どちらがいいのか? きれいなものだ、当たり前だ!
その当たり前を、まず前提とおく勇気があるか、否か。
そんな、当たり前だけど、みんな中々おおっぴらには言えないこと。それらを、まず根底としておくことが重要である。その前提がないと、言葉は、創造は、システムは、どうにもおかしなことになる。
そのうえで。そうはいっても、「美人」といったって、人の好き好みは様々だとか、効率を重視して中間管理職を省いたら組織が停滞するとか、そういう積み重ねた議論がようやく生じるのである。
だが、議論が積み重なればなるほど、その「根本的な価値観」がなおざりになっていく。
「お客様のためです!」「国民のためです!」
営業とか、政治家とかは言う。それは本心かもしれない。が、その根本的な価値観は何だ? もうけたい、お金が欲しい、人から尊敬されたい、認められたい……結局、そんなマズローの五段階欲求……いやもっといえば、性欲食欲睡眠欲の三大欲求に還元されてしまうようなものかもしれない。
ここで、頭のいい人たちは、「そうはいっても」という。「そうはいっても、たかだか三大欲求と、人のためになりたいという、承認欲求や自己実現欲求とは、次元が違うのだ。愛のあるセックスは、ただの生殖行為とは違うのだ」と……。
メメント・モリ!
ああしかし、すべての芸術は、「死」という事態からの、単なる逃避でしかないと言ったある哲学者(?)よ。彼のその言は、一瞬で人々の息の根を止める呪文である。悪魔の囁きである。禁断の魔術だ。
しかし光あれ! しかし屈しはしない。人の、生きたいと思う心、良き存在でありたいと希うその魂の叫びは、邪知妄執を振り払うのである。
「結果を出せる人間が信用を得る」
だから、何だ?
結果とは何だ? それがどうした? 当たり前ではないか?
いやそもそも、信用とは何だ? 誰からの信用だ? 何のために必要なのか?
ネットサーフィンしていたら、胸糞悪い記事にであった。若いころは遊びほうけて、ちやほやされて、お金もあって好き放題やっていたが、40歳過ぎて、なんか人生うまくいかなくなった、死にたい死にたい……とか。
はぁ? 俺は若いころからずっと悩み考えてきて、今も生きたいか死にたいかよくわからないってのに、やっぱり、世の中の人たちは、それなりに楽しんで生きてるってんだな。そいでもって、お金もなくなって、保険もなくて、資産も無くて、ただ、年を取ったら年金くれ、金をくれ、パチンコに行かせてくれとか、ふざけんのもたいがいにしやがれ!! ……というよりも、いやしかし、「凡人」としての生き方としてはまさしく、いや本当に正しい庶民としての生き方なのかもしれない。
俺もまぁ、本当に、ひがみかもしれないが、「好き勝手」生きてみたかった。思考何て、そんな金にもならない、只周りの人から変人扱いされるようなモノなんて、好き好んで手に入れたわけではない。
そうしなければ、現実と、自分との存在が、距離感が、規定がおかしくなってしまっていた。少なからず、調整する必要があった。僕は、「僕」としての存在であることを許されなかった。
とかって表現。いかがだろう? 誰かの心に、響くことはあるのではなかろうか。
いや、上の表現が「ウソ」なわけではないけれども、じゃあ、普遍的に僕の心を完璧に、余すことなく表現できたかというと、きっとそうではないのだ。あくまで、「表現」に過ぎないのである。
それでも。
16歳ぐらいの若い男の子に、何だか学校でもうまくいかなくて、勉強も友人も恋人とも上手くいかなくて、それでも、生きてかなきゃいけないけれども、何だか違和感がずっとまとわりついている少年に、少しは、「あぁ、こんな人もいるんだな」って、思ってもらえるんじゃなかろうか。
いやもちろん、「うわ、おっさんきめえ(わら)」とか思う少年も多いことだろう。
で、これは、エピソードなのだけれど、上のようなことも、「結果」といっていいんじゃないかと思っている。
上のようなことというのは、僕の書いた文章もそうだし、僕を胸糞悪い気分にさせてくれたブログ記事もそうだ。それも「結果」だ。
つまり、「結果」というのは、世界に、目に見える形にアウトプットすることである。
テストの点数をとるのも結果。
プレゼンをしてお客さんを納得させるのも結果。
資料をつくるのも結果。
プログラムを書いてツールやアプリを作るのも結果。
小説を書くのも結果。
ブログを書くのも結果。
人を笑わせるとか、情報を伝えるとか、それらも全部結果、ではある。
だが、僕が言いたいのは、できるだけ、「カタチ」にのころものを重視したいということである。
コピペできる情報ではなく、自分だからこそできること。
僕は、私は、こんなことが「できる」人間なんだと。そういった積み重ね、総体こそが、人、そのものだと思う。
そして、その「できること」が多くなっていったとき、それを紐づけて、より価値を高めてくれるのが、「言葉」であるのだ。
「私は、他人を幸せにすることができます」といったら、怪しげな宗教だが、マザーボードに使用するコンデンサーを作って、みんなが使うパソコンやスマホの基盤を支えることで、人々に笑顔を与え幸せにしますとか、……例が陳腐でアホらしいけれど、でも、なんというか、「できること」を、他者に伝わるように変換して(言葉にして)表現するということは重要である。
そして今日も僕は筋トレを少しだけ続ける。
体調不良だった数日間はできなかったが、それは免除規定該当のため問題なし。かれこれ、一応230日以上続けられている。このように、そのやってることの中身はともかく、「続けられること」というのも、立派な「できること」の一つである。
そして、「愚痴を言うこと」も「できること」である。
そう。何らかの生産行為は、それがポジティブなことであろうとネガティブなことであろうと、良いことでも悪いことでも関係ない。全部「結果」だ。
で、その「結果」の先に、どういったことが発生するのか。
その発生したことに対する原因を担うというのが、「責任を負う」という言葉の意味である。
そして僕は、この記事では、ポジティブなことと、ネガティブなこと、良いこと悪いこと、美人ブス、きれいなもの汚いものが、具体的にどんなものか、何なのかは一切示していない。
繰り返しになるが、この記事は、「結果」が大事である、という主張までである。
この意味についてくんでくれた未来の僕に、次に書いた方がよいことの判断を託す。
(最初、「目的・目標」カテゴリだったけど、途中から「イライラ対処」カテゴリに変更になった。理由はいわずもがな。ああ……面倒なことが多いものだ……)
バランスよりもまずは根源
結果にコミットしよう。むさくるしい、こんな、自己啓発的な冒頭は、僕の嫌いなところであるけれども、いつもどおり本音本心マックスファイアーでいこう。
・エロマンガ先生のアニメを少しだけ見たが、結構面白そう
・クレヨンしんちゃんのアマゾンオリジナル作品を見たが、エイリアンと戦う奴はいまいちだった(とはいえ結局ENDING気になって最後まで見てしまった)が、おもちゃウォーズは面白かった。なんというか、おもちゃ系に僕は弱いのかもしれない。涙がこぼれた。
・PCの調子がすこぶる悪い。先日、CMOS初期化(電池はずして付け直し)したらなおったと書いたが、結局またASUS(エイスースと読むらしい)のロゴでフリーズ。CMOS電池をはずすとまた動くけれども、毎回グラボのネジはずして、グラボはずして……とかやってられない。「CR2032」というマザーボード用の電池を交換してみる。これでしばらくよくなるといいのだが……。
おっと、近況のメモはともかく、そう、結果が大事だ。
なんというか、僕は、言葉を優先する……(思考で現象をとらえようとする)のだけれども、いや、それはまぁ今回の記事と直接的に関係しないが、結局のところ、何らかの「結果」がない場合、他者にはゼロとしかうつらない、ということだ。
なるほど、あるコンサルタントの話しで、ある黒い会社で、手を止めて考えているような社員がいたら、「さぼるな! 働け!」と怒号が飛び交う会社があったという。いやはや、ライン仕事だったり、パンチャーの仕事じゃあないのだから、タイピングの指がとまって、画面とにらめっこする時間だって必要だろう。
ただ、そんな極端なことはともかくとして、何らか、「かたち」に見えるようにならなければ、人は、人を、価値ある存在としてみなさないのである。
いやいや、そんなことないよ! 生きているだけでみんな、価値があるんだ!
なるほど、そういった標語は必要だろう。確かに、価値あることだけを絶対視するような社会システムは、遊びのないアクセルやブレーキペダルのようなもので、危険極まりないだろう。
が、それは概念的な話であって、実際問題、「無価値な人間」という存在が、尊敬されたり、大事にされたりすることがあり得るだろうか?
否。
まず、この前提は認めるべきである。
いやはやすぐさま、その「価値」とは何ぞや、という問いが浮かぶのであるが、それはここではわきに置いておこう。取り敢えず、「価値がある」ことは重要だ。
さて、般若心経においては、「舎利子よ、よく聞きなさい。この世は、空(縁起)なのですから、生まれるでもなく、滅するでもなく、清いでもなく汚いでもなく、増えるでもなく減るでもないのですよ」と言われるが、まぁ、まちたまえ。
美人と、ブスと、どちらがよいか?
この二者択一は、美人、である。ここで、「性格の悪い美人」とか、「内面は美しいブス」とか、そんな形容は一切無視する。取り敢えず、美しいものと、汚いもの、どちらがいいのか? きれいなものだ、当たり前だ!
その当たり前を、まず前提とおく勇気があるか、否か。
二進法ではない世界
美人がいいし、イケメンがいいし、お金はある方がいいし、きれいなものがいいし、効率がよいほうがいい。そんな、当たり前だけど、みんな中々おおっぴらには言えないこと。それらを、まず根底としておくことが重要である。その前提がないと、言葉は、創造は、システムは、どうにもおかしなことになる。
そのうえで。そうはいっても、「美人」といったって、人の好き好みは様々だとか、効率を重視して中間管理職を省いたら組織が停滞するとか、そういう積み重ねた議論がようやく生じるのである。
だが、議論が積み重なればなるほど、その「根本的な価値観」がなおざりになっていく。
「お客様のためです!」「国民のためです!」
営業とか、政治家とかは言う。それは本心かもしれない。が、その根本的な価値観は何だ? もうけたい、お金が欲しい、人から尊敬されたい、認められたい……結局、そんなマズローの五段階欲求……いやもっといえば、性欲食欲睡眠欲の三大欲求に還元されてしまうようなものかもしれない。
ここで、頭のいい人たちは、「そうはいっても」という。「そうはいっても、たかだか三大欲求と、人のためになりたいという、承認欲求や自己実現欲求とは、次元が違うのだ。愛のあるセックスは、ただの生殖行為とは違うのだ」と……。
メメント・モリ!
ああしかし、すべての芸術は、「死」という事態からの、単なる逃避でしかないと言ったある哲学者(?)よ。彼のその言は、一瞬で人々の息の根を止める呪文である。悪魔の囁きである。禁断の魔術だ。
しかし光あれ! しかし屈しはしない。人の、生きたいと思う心、良き存在でありたいと希うその魂の叫びは、邪知妄執を振り払うのである。
情報ではなく技術や結果が重要だ
さてこの記事の目的は何だ?「結果を出せる人間が信用を得る」
だから、何だ?
結果とは何だ? それがどうした? 当たり前ではないか?
いやそもそも、信用とは何だ? 誰からの信用だ? 何のために必要なのか?
ネットサーフィンしていたら、胸糞悪い記事にであった。若いころは遊びほうけて、ちやほやされて、お金もあって好き放題やっていたが、40歳過ぎて、なんか人生うまくいかなくなった、死にたい死にたい……とか。
はぁ? 俺は若いころからずっと悩み考えてきて、今も生きたいか死にたいかよくわからないってのに、やっぱり、世の中の人たちは、それなりに楽しんで生きてるってんだな。そいでもって、お金もなくなって、保険もなくて、資産も無くて、ただ、年を取ったら年金くれ、金をくれ、パチンコに行かせてくれとか、ふざけんのもたいがいにしやがれ!! ……というよりも、いやしかし、「凡人」としての生き方としてはまさしく、いや本当に正しい庶民としての生き方なのかもしれない。
俺もまぁ、本当に、ひがみかもしれないが、「好き勝手」生きてみたかった。思考何て、そんな金にもならない、只周りの人から変人扱いされるようなモノなんて、好き好んで手に入れたわけではない。
そうしなければ、現実と、自分との存在が、距離感が、規定がおかしくなってしまっていた。少なからず、調整する必要があった。僕は、「僕」としての存在であることを許されなかった。
とかって表現。いかがだろう? 誰かの心に、響くことはあるのではなかろうか。
いや、上の表現が「ウソ」なわけではないけれども、じゃあ、普遍的に僕の心を完璧に、余すことなく表現できたかというと、きっとそうではないのだ。あくまで、「表現」に過ぎないのである。
それでも。
16歳ぐらいの若い男の子に、何だか学校でもうまくいかなくて、勉強も友人も恋人とも上手くいかなくて、それでも、生きてかなきゃいけないけれども、何だか違和感がずっとまとわりついている少年に、少しは、「あぁ、こんな人もいるんだな」って、思ってもらえるんじゃなかろうか。
いやもちろん、「うわ、おっさんきめえ(わら)」とか思う少年も多いことだろう。
で、これは、エピソードなのだけれど、上のようなことも、「結果」といっていいんじゃないかと思っている。
上のようなことというのは、僕の書いた文章もそうだし、僕を胸糞悪い気分にさせてくれたブログ記事もそうだ。それも「結果」だ。
結果の行く末が責任である
短い記事になったが、ここでまとめよう。つまり、「結果」というのは、世界に、目に見える形にアウトプットすることである。
テストの点数をとるのも結果。
プレゼンをしてお客さんを納得させるのも結果。
資料をつくるのも結果。
プログラムを書いてツールやアプリを作るのも結果。
小説を書くのも結果。
ブログを書くのも結果。
人を笑わせるとか、情報を伝えるとか、それらも全部結果、ではある。
だが、僕が言いたいのは、できるだけ、「カタチ」にのころものを重視したいということである。
コピペできる情報ではなく、自分だからこそできること。
僕は、私は、こんなことが「できる」人間なんだと。そういった積み重ね、総体こそが、人、そのものだと思う。
そして、その「できること」が多くなっていったとき、それを紐づけて、より価値を高めてくれるのが、「言葉」であるのだ。
「私は、他人を幸せにすることができます」といったら、怪しげな宗教だが、マザーボードに使用するコンデンサーを作って、みんなが使うパソコンやスマホの基盤を支えることで、人々に笑顔を与え幸せにしますとか、……例が陳腐でアホらしいけれど、でも、なんというか、「できること」を、他者に伝わるように変換して(言葉にして)表現するということは重要である。
そして今日も僕は筋トレを少しだけ続ける。
体調不良だった数日間はできなかったが、それは免除規定該当のため問題なし。かれこれ、一応230日以上続けられている。このように、そのやってることの中身はともかく、「続けられること」というのも、立派な「できること」の一つである。
そして、「愚痴を言うこと」も「できること」である。
そう。何らかの生産行為は、それがポジティブなことであろうとネガティブなことであろうと、良いことでも悪いことでも関係ない。全部「結果」だ。
で、その「結果」の先に、どういったことが発生するのか。
その発生したことに対する原因を担うというのが、「責任を負う」という言葉の意味である。
そして僕は、この記事では、ポジティブなことと、ネガティブなこと、良いこと悪いこと、美人ブス、きれいなもの汚いものが、具体的にどんなものか、何なのかは一切示していない。
繰り返しになるが、この記事は、「結果」が大事である、という主張までである。
この意味についてくんでくれた未来の僕に、次に書いた方がよいことの判断を託す。
(最初、「目的・目標」カテゴリだったけど、途中から「イライラ対処」カテゴリに変更になった。理由はいわずもがな。ああ……面倒なことが多いものだ……)
じゃあ、ロボットとアンドロイドの違いは何だろうか? ロボットは、自律して動く機械である。自律というのは、人工知能みたいに、「考えて動く」ことではなく、ベルトコンベアーで流れる食品を自動でラッピングする機械も、ロボットといってよい。お掃除ロボット「ルンバ」は、掃除を自動でしてくれるロボットだ。つまり、ロボットというと、人型をしている必要は無いのだ。
人型をしていて、自律して動けば、アンドロイド、またはヒューマノイドになる。
以下、連載。
人型をしていて、自律して動けば、アンドロイド、またはヒューマノイドになる。
以下、連載。
