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うごごご(ねみぃ)
2019/12/05 01:46 | Comments(0) | 創作について
今日の一言「眠い」

前書き

 毎日、進捗を挙げる。ただそれだけのために、俺は生きる。
 今日は、25時09分家到着だった。電車の遅れもあったとはいえ、遅かった。自分の仕事としては21時ぐらいで終わっていたが、別の仕事をお願いされて23時ぐらいになった。
 ちなみに、忙しい自慢では全くない。単に書くことがないから日常の日記になっているだけだ。

 今日は晩飯を松屋の肉たっぷりすき鍋膳だったとか書いてもしかたがないだろう。
 洗濯ができていなかったせいで明日着るものがなくて洗濯を急ぎかけなければいけなくなったとか、書いても仕方がないだろう。

 そのせいで、洗濯が終わるまで待って、干してからじゃないと寝れないとか、そんなこと、どうでもいいだろう……。

進捗

 それでも、なんか、進捗ゼロ文字、というのはなんかヤなものだ。ほんと、「毎日」進捗グラフを挙げる、というのは、悪い方法ではないと思う。
 なんかこう、「義務感」的になってしまうが、しかし、忘れてはいない、僕は、仕事よりかはよほどこっちのこと(感想書くこと)のほうが大事だと思っているのである。うそっぽいか。偽善っぽいか。しかし、僕は――まぁともかく、進捗だ。





 くそざこナメクジモードになっている。
 だが、前書きとかでかいた、帰りが遅い、ということについては、言い訳封印の儀式の詠唱でもあるのだ。
 というのは、25時帰宅でも200字ぐらいはかけたのだから、じゃあ、もう少し早かったら――わかるよな? といったもんだ。

あとがき

(かっこ書きである。眠い。まぁ、この進捗更新を「毎日」と課していなかったら、早々に計画倒れだったろう。体力的にはつらいが――しかし、もうこれ以外に方法はない気がする。これ期限を、来年1月とか伸ばしたとしても、状況が好転するとも思えないしな。であれば、もうこの勢いで、2019年という区切りの中で、突っ走っていくしかない気がする。だが俺は、これに関しては、「つらい」とはあんまし思っていない。むしろ、2019年中に自分の満足のいく作品(感想)ができたら、まぁ2019年もいろいろあったが、しかし、なんか終わりよければALLOK的な、そんな満足感が得られるのではないか、そんな気すらするのだ)

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ままならない世の中よ
2019/12/04 01:47 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「早速計画倒れしそうである」「KI★A★I」

前書き

 今日は、24時半帰宅だったが、更新するぞ!!
 毎日更新すると決めたからな、昨日。

 ぶっちゃけ、まぁ今日は、自分の仕事的には、19時ぐらいには終わっていた。
 しかし、関係する仕事の進捗がよくなかったため、サポート対応していたらこうなった。

 ――サポート、というが、まぁその、担当ではある。それに、役職的な意味的には、責任があるといっていいだろう。
 だが……まぁ、その……。

内容





 なんか、かなり進捗があるようだが、昨日更新した分と合わさっている。今日の進捗はそれほどいってない気がする。

あとがき

(かっこ書きである。正直……毎日更新はかなり厳しい。まぁその、感想の進捗があればまだいいが、更新ゼロなのに、ゼロの結果をブログ更新するというのは、眠気と疲れの中では心が折れそうだ)


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感想を書く
2019/12/02 23:38 | Comments(1) | 創作について
今日の一言「毎日進捗を挙げていこう」「毎日とするのが大事」

前書き

 前回のとおり、シロガネ⇔ストラグル
の、感想を書いていく。

内容1

 毎日更新するというのは、ある意味挑戦的である。
 書くことをある程度定型化したほうが良い。
 まず、進捗グラフのアップロードだ。


あとがき

(かっこ書きである。早いよ! かっこ書き早いよ! 内容が無いよ。しかし、22時帰宅で云々していると、これぐらいが限界な気がする。30分感想書いて、ブログ書いて、風呂入って、寝る、24時、てな感じか。うーむ……、仕事が、邪魔だ。いやそれはどうなの。仕事、大事でしょ! しかしなぁ……。まぁその、営業職の部長職の人のサラリーマンブログなんか読んでても、めっちゃ仕事できる人っぽいけど、「仕事嫌いだし、仕事を好きだとか必要ない」って言ってた。そういう人もいるよな。昨今の若者は、仕事で、「成長」しているか、を重視するという。何故かと考えてみれば、分らんでもなくて、というのは、「所詮今やってる仕事も今後も残るか分からないし、そもそも会社自体もなくなるかもしれないし」という前提が、意識または無意識で存在しているからだ。信じられるのは己の力――となったとき、社内の評価とか社内での出世とかが大してモチベーションにならないのは当たり前だ)



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残り一か月をどう過ごすか
2019/12/01 20:17 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「僕は予定を立てるのが苦手なのだろう」

前書き

「いやもう正直言っちゃうと待つ身はわりとしんどいです。」
――螺旋のモノリス


 しんどくさせてしまっていることを反省した。

 ――いや、反省とかよりも、レビューをさっさと取り掛かって終わらせろ、ということになる。

内容1

シロガネ⇔ストラグル

 という作品がある。2016年11月13日に投稿され、2019年4月30日に完結した、53万字の大作である。

 そのレビューをする。しなければならない。そう決めてから、もう半年以上が経過してしまったのだった。

内容2

 今年中に終わらせるべく、取り掛かろう。
 しかし、平日は、時間が取れないだろう。
 そうすると、残りの土日は、7日~8日、14日~15日、21日~22日、28日~29日のみである。
 しかし、年末は、29日~31日までは休みだ。

 すると、取り掛かれはするはずだ。時間はある。

内容3

 しかし、時間があっても、どれぐらいで終わるかが検討のつかない作業である。
 取り敢えず、進捗をみえるようにしたほうが、モチベーション的にもよいだろう。

創作進捗グラフ作成ツール

 ↑を活用しよう。



あとがき

(かっこ書きである。人は、他者の作品に対し、「あら」(悪いところ)を見つけるのは簡単にできる。それは至極簡単なことなのだ。「感覚」は誰もが自然に持っているからだ。しかし、はた、それを「表現」できるかというと、それは簡単なことではない。感想とは、面白かった、面白くなかった、大きく2つに分けられるものではあるが、それほど単純なものではない)



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ルーティーン!!
2019/11/25 23:12 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「タイトルひどい」「コメントありがとうございます」

前書き

 後手後手過ぎる……。
 先んじて、計画を立てて物事を進めたいところ。

 少し、仕事が落ち着きを見せ始めている。このまま、新しいことが発生しなければ、たまった負債(後回しにしてきたこと)を片付け始められる気がする。

 負債――という意味では、後回しにしていた仕事を早くしなさいと怒られた(注意された)……。素直に反省である。

内容

 小見出しも適当である。
 仕方がない、先週何を書いたかも、まったく思い出せない。
 ――流し読みする。エリート意識および歩きたばこへのイライラ、並びに未来の自分からのアドバイス、という3本立てだったようだ。

 何ら、関連したことが浮かばない。いや、上のイライラについては、引き続きである。
 よくあることだ。
 特筆することはない。先週書いたことの繰り返しになるだろう。それ以上に新しい表現は生まれないだろう。まぁそれでも、書き出すと、新しいことになったりするのだが。

 新しい、ということで言えば、プラトン氏流に言えば、僕らが触れているものはすべて虚構なのだそうだ。
 というのは、「イデア」という真なる存在があるからだ。僕らは、真なる存在それ自体ではなく、その陰(洞窟の比喩)を見ているようなものなのだ。
 美しい、とか、善いといったものにも、「イデア」は存在していて、僕らが感じる美しいとか善きことかな、というのは、イデアの片りんがその事物に表れているからなのだ。

 そして僕らは、そうしたものを「知っている」。かつてイデア界で存在していた人間の魂は、美しいとか善いとかのイデアに直接触れていた。
 それが今は、下界で暮らしているが、しかし、僕らはイデア界でのことを覚えている。そしてそれを想起することができる。


 ――といった考えに基づけば、何ら「新しい」ということは無いのではないか。
 真なる存在というのがあって、それは完全な姿をしていて、何ら足りないものはない。完璧。僕らはそれを、新しく知る、のではなくて、知っていたことを思い出すだけなのだ、と。

 神という概念を持ち出さず――いやもはやそれは神のようなものだが。イデア界とはそのまま天界、神の世界のようではないか――そうした完全なる存在を考えた、というのは、プラトン氏はすごいなと思う。

 しかし僕らは、特に日本人は、イデアを想像することはできても、信じることはできない気がする。

内容2

 特に、内容1は、何に関係するということではない。ふと本をぱらぱらと読んでいて思った。
 内容2は、映画「ランボー」を観た。
 全部みるつもりではなく、たまたま、アマゾンプライムの動画であったので、そういえば、名前はあまりに有名だが、見たことはなかったなと流し見する程度に思ってクリックしたのだ。

 曲。「It's a long road」
 序盤に、インストロメンタルで流れる。「ああ、これ、これだ、聞いたことある! 懐かしい」と思った。アニメとかもそうだが、曲だけ知っているというのは、僕はよくある傾向だ。そして、いい曲が使われている作品は、作品自体もよいことが多い。(最近でいえば、エンジェルビートとか)


 さてランボー。ランボーだ。これはもうランボーだった。
 意外に、1作目で暴れる「世界」は、小さな田舎町であって、スケールは思ったよりも小さいなと思った。
 しかし、面白かった。

 これ、1982年の作品らしい。ストーリーとして飽きさせない作りで、名作とうたわれるだけある。ベトナム戦争の批判的作品といったテーマ性もあることもポイントが高いのだろうが、そういったことは別としてアクションとしても古臭さは特に感じさせなかったと思う。

 まぁ、異様に保安官一派が好戦的というか、――まぁランボーの不貞腐れ感も悪いのだろうが、まぁそのヤケになってしまう理由は最後に爆発的感情で表現される。

あとがき

(かっこ書きである。時間切れ。面白くない記事だと思う……。っまぁでも、書かないとゼロなので……。ルーチンなので……と、言い訳してしまう。だめだなぁ。じゃあ、どんな記事をかければ、「最高のモノを書いた!!」となるのか、と思う。そんなもん書けるわけないのだ。と、いうことはだ、やはり、ゼロではなく、イチ! にすることが大事だと思う。だから、進捗が70%でも、相談してどんどん進めていくことが大事、と言われるのだ。だが、その理論も所詮バランスを意識する必要はある。70%ということは、所詮70%なのだ。残り30%があるのだ。じゃあ、その30%はだれがいつどうやってやるのか。70%で相談する、というのは、方向性が正しいか、ということの確認が必要な場合があるからだ。――話がズレた。そんなことはどうでもいい。完璧な記事とは何か。イデア界に存在するのか。そんなものは、ない、と思う。だったら、今回のこの記事が、人生最高級なものなのかもしれない。いやそれはない。じゃあ何位なのか。まて。すべてを0か1で、又は点数化できるものではない。今この時、この瞬間に生み出された、そのこと自体に価値があってはいけないのか。赤ん坊は、何もできない。いや泣くことはできるが、それだけだ。ただそれだけだが、元気いっぱいに泣くというのは、無価値なのか。「幼刺嘆齢」(オーシャンマナブ)をグラーヴェにしてきたスライムが、「生まれたこと自体を無価値というのか」とかって言われて爆殺されたが、まぁその、価値は多様である。で、結論は? と言われると、「特にねぇ! なんか文句あっか!!」となる)



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