余裕は無いが大した問題ではないのは、想定外ではないからだ。
大変なのは自分の能力の問題で、であるなら尺度は身体性に帰属するのだから、思考は意味をなさない。
日付変更前に帰れるなら余裕だとしていたので、早く帰れてよかったと思う。
思った以上に周囲がつらそうだが、であればどこまでも明るくいる元気がでる。
というよりむしろ切り替えが不要どころか害になる。身体的影響がなければ気持ちの切り替えは容易だが、敢えて維持すべきだ…と言い切れば、やや結果が気になるものの、余裕はないということにしておこう。
甘えた気持ちが残っているのが残念だ。仕事としても人間としても尊敬できるなら、全力でトレースする。
大変なのは自分の能力の問題で、であるなら尺度は身体性に帰属するのだから、思考は意味をなさない。
日付変更前に帰れるなら余裕だとしていたので、早く帰れてよかったと思う。
思った以上に周囲がつらそうだが、であればどこまでも明るくいる元気がでる。
というよりむしろ切り替えが不要どころか害になる。身体的影響がなければ気持ちの切り替えは容易だが、敢えて維持すべきだ…と言い切れば、やや結果が気になるものの、余裕はないということにしておこう。
甘えた気持ちが残っているのが残念だ。仕事としても人間としても尊敬できるなら、全力でトレースする。
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だいたい世界は思い通りになる。
ただし、それを自分で望んだかどうかは知りえない。
「まぁ大丈夫だろう」
と思うと大丈夫じゃないし、
「いける!」
と思うとダメだったりする。
マイナスの思念など、普通はコントロール不能だ。「死にたい」という気持ちが生の希求であるように。
同様に、絶望的感覚が、美しく世界を彩ることもある。
果たして、再びのこの配置換えを如何に捉えるか、瞬間的に7つぐらいの感覚や感情、思考を取り出すことは容易である。
縦と横、それぞれの繋がり、そして縦横無尽的な繋がり。
駅ではキスをしているカップル、自分の歩行スピードでは顔すらまともに見えない、女性同士だったのかもしれない。
例えば、満員電車に乗るとき、向ける体や場所とうで、人の感情や行動を変化させることができる。
本当だろうか。
因みに重要なことだが、努力の多寡など自分で決めることではない。
帰属させる意識は、絶対に自分にしてはならないのも同様だ。
行動の利他性を感じとる能力は、誰しも高いといってよい。
これを「一般人の怖さ」ともいう。
まぁ単に、睡眠時間が心配なだけだったりする。
最近の現象も、こうした結果を引き寄せる一要因だったのだろう。
ただし、それを自分で望んだかどうかは知りえない。
「まぁ大丈夫だろう」
と思うと大丈夫じゃないし、
「いける!」
と思うとダメだったりする。
マイナスの思念など、普通はコントロール不能だ。「死にたい」という気持ちが生の希求であるように。
同様に、絶望的感覚が、美しく世界を彩ることもある。
果たして、再びのこの配置換えを如何に捉えるか、瞬間的に7つぐらいの感覚や感情、思考を取り出すことは容易である。
縦と横、それぞれの繋がり、そして縦横無尽的な繋がり。
駅ではキスをしているカップル、自分の歩行スピードでは顔すらまともに見えない、女性同士だったのかもしれない。
例えば、満員電車に乗るとき、向ける体や場所とうで、人の感情や行動を変化させることができる。
本当だろうか。
因みに重要なことだが、努力の多寡など自分で決めることではない。
帰属させる意識は、絶対に自分にしてはならないのも同様だ。
行動の利他性を感じとる能力は、誰しも高いといってよい。
これを「一般人の怖さ」ともいう。
まぁ単に、睡眠時間が心配なだけだったりする。
最近の現象も、こうした結果を引き寄せる一要因だったのだろう。
失敗した、それは大した問題ではないかもしれないが、あとあと響いてくるかもしれない。
まぁそれはいい。どうにもならなくなれば、覚悟を決めるだけだ。
ゆえに、問題は、現状認識と客観視の乖離にある。感覚のことだ。理性的な理解は、ときになんら役に立たない。
手遅れだ。
いやむしろ、運命は既に決まっている。
自分の自由意志など、どれほど信じられるのか。
それでも仕方がない。
たとえ待ち受けるのがジゴクであっても、もはやなせるすべは何も無い。
そうであるならば、焦燥や不安といった感情に、一体なんの意味があるのか。
思考のための道具でしかないとすれば、意味のないことだ。
敢えてその感覚を味わうのも手だ。であればむしろ足りない。もっと多くの意味を喪失しなければいけない。
さてと、不適合、不適当であれば捨て去ろう。笑い事であって、そんなこと不可能だろう。だからこそこの視野狭窄が有効なのだ。
意味記憶の喪失にはあまりにも足りない、楽な経験、体験だ。
まぁそれはいい。どうにもならなくなれば、覚悟を決めるだけだ。
ゆえに、問題は、現状認識と客観視の乖離にある。感覚のことだ。理性的な理解は、ときになんら役に立たない。
手遅れだ。
いやむしろ、運命は既に決まっている。
自分の自由意志など、どれほど信じられるのか。
それでも仕方がない。
たとえ待ち受けるのがジゴクであっても、もはやなせるすべは何も無い。
そうであるならば、焦燥や不安といった感情に、一体なんの意味があるのか。
思考のための道具でしかないとすれば、意味のないことだ。
敢えてその感覚を味わうのも手だ。であればむしろ足りない。もっと多くの意味を喪失しなければいけない。
さてと、不適合、不適当であれば捨て去ろう。笑い事であって、そんなこと不可能だろう。だからこそこの視野狭窄が有効なのだ。
意味記憶の喪失にはあまりにも足りない、楽な経験、体験だ。
生きていることがつまらないのは、そう思考してしまうからだ。
そんなこと当たり前だが…。
そんなことにも気付かないのは、生きているのが楽しいかつまらないかということは自分が決める
ことだったんだ。
たとえ幻想でも信じ抜くことが出来れば、孤独でも独りでも楽しくなれるはず。
という記事を読んだ。
それに対して、
「毎日楽しいだけ、なんて人なんてどこにもいないよ! そうしたアピールが上手い奴ってのはいるけど」
という意見、それに続いて、
私は毎日が楽しくて仕方がありません。
でも、別に楽しくなくてもいいと思っています。生きている必要さえないと思っています。
「どうなろうと構わない」
生きている以上、「死ぬ」という逃げ道があるのだから、人生はとても優しいと思います。
死んでもなお苦痛が続く可能性があるので、死ぬのは怖いです。
といった考えは、若いとありがち。歳をとるにつれて、死ぬのが怖くなる。
今がよければそれでいい。今がよくなければどうでもいい。
という書き込み。
変わることって、誰しも怖いことだと思う。
でも結局、変化をしない人間なんていない。僕は、それを分かっているから、ロボットやAIなどに憧れるのかもしれない。
(ただし、昨日見た『WALL・E(ウォーリー)
だったら、変化をすべて受け入れたらいいと思うのは、とても短絡的な考えだ。
実際、そんなこと不可能に近い。なにせ、その「受け入れる」主体というのが、一体どこにいってしまうのか、疑問だ。
そう、だから、その主体そのものを取っ払ってしまえばいい。
「自分」というものに拘ることが、どうしても苦痛の原因になる。
いやその主張は、「いじめ」を続けられても、それを「笑い」「ネタ」にし続け、結局崩壊、自殺した子どもたちを見捨てることになる。絶対的に、自己と環境は、切っても切り離せないと思う。
つまり、自分と環境を常にいったりきたり、アクション&フィードバックさせ続ける、そうした試みが必要だということだ。
いやもちろん、そんなこと、誰しも自然にやっている。しかし、それを敢えて意識的に、もう一人の自分を作成し、そいつが常に自分をモニタリング(監視)するようにする。徹底的な客観視。
自分がある程度、どう見られているかを「自覚」「分析」する。自己分析というものだ。
それは、エントリーシートに書くような、文面だけのものではない。自分の話し方、ルックス、身長体重、匂い、そうした全情報を要素としてインプットする。
「自分を変える」というのを、よく、資格をとるだとか、勉強するだとか、そうした「後付け」のことのように感じてしまう人が多い。
変えるというのは、根本的にだ。整形しろというわけではないが、それくらいの覚悟は必要のことだ。(まぁ、整形がそれほど覚悟がいるかどうかは、また別の話。整形が覚悟がいる、というように考えてしまう「自分」がいるということだ。)
常に変えろ、というのでもない。変える必要が無いと「判断」できたのなら、する必要など無い。
ここで、その「判断」が、如何にされるか、それが問題になる。
それこそ、「自分」だけだ。
変わり続ける自分、だが、その面、そのときそれぞれに現れる「自分」というのは、確かに存在する。
そいつに聞けばいい。
「今、僕(私)は、大丈夫なのですか?」
そうした考えが、「無責任すぎる」と批判もされようが、しかしながら、その時々の自分は、確かに「自己責任」を取っている。
セダンに乗って、旧式の銃、マスケット銃のようなものを、もって、ダンプカーを追っていた。
ダンプカーには男が二人見える。ダンプカーが襲ってくる。自分の車を踏み潰そうと。
俺は逃げた。――いや、殺さなければ、殺される。
坂を下ったところで、路地に入り、ダンプをやり過ごそうとする。
しばらく待ったところで、ダンプは、やり過ごすどころか、突然目の前に現れる、バレていたのだ……!
再びアクセル全開で逃げる。
今度は、農道のようなところで、車を止め、ダンプを銃で連射し、すぐに弾切れになった。
観念して車から降りた所で、大男が現れた。
「殺すなら殺すがいい」
「殺すのは、君の方だよ」
男は、何か悟った風にいった。
そして、走りよってきた女性と子どもに手をやって、「妻と娘だ」と言った。
「そんなことは分かってる、そうじゃなくて……」
僕は気付いた、これは「ゲーム」だったのだと。
「なら、この後、どうなるんです?」
「再度行われる。もう少し多くの弾薬を渡されて」
男は、こちらを真っ直ぐ見据えて言う。
「初めは皆、ここに入って、最高の楽園だと思う。最初のうちは。だが、何年、数十年経っていき、同じように思える奴はいない」
「――分かってる! そんなことも分からない俺じゃない。だけど、だけど、一体どうしたらいいんだ!」
男は少し優しい目になって、木の上の、男の隠れ家のような所に案内された。
ダンプカーには男が二人見える。ダンプカーが襲ってくる。自分の車を踏み潰そうと。
俺は逃げた。――いや、殺さなければ、殺される。
坂を下ったところで、路地に入り、ダンプをやり過ごそうとする。
しばらく待ったところで、ダンプは、やり過ごすどころか、突然目の前に現れる、バレていたのだ……!
再びアクセル全開で逃げる。
今度は、農道のようなところで、車を止め、ダンプを銃で連射し、すぐに弾切れになった。
観念して車から降りた所で、大男が現れた。
「殺すなら殺すがいい」
「殺すのは、君の方だよ」
男は、何か悟った風にいった。
そして、走りよってきた女性と子どもに手をやって、「妻と娘だ」と言った。
「そんなことは分かってる、そうじゃなくて……」
僕は気付いた、これは「ゲーム」だったのだと。
「なら、この後、どうなるんです?」
「再度行われる。もう少し多くの弾薬を渡されて」
男は、こちらを真っ直ぐ見据えて言う。
「初めは皆、ここに入って、最高の楽園だと思う。最初のうちは。だが、何年、数十年経っていき、同じように思える奴はいない」
「――分かってる! そんなことも分からない俺じゃない。だけど、だけど、一体どうしたらいいんだ!」
男は少し優しい目になって、木の上の、男の隠れ家のような所に案内された。
