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2012年思索(3)「目的設定の重要性について(「幸せな家庭を築く」という目的の空洞化)
2012/01/02 07:00 | Comments(0) | TrackBack() | 思考及び書くこと
「このよからきれいにきえたい」
なんというか、僕はまだ説明が上手くできていないのだ。なにせ、「目的と目標、その対策と投入資源、それの効果の測定が重要だ」といいながら、「終わりなき日常を生きろ」という宮台氏の言葉に共感を覚えるからだ。
今いえるのは、単に、「目的」というものを、他者から与えられる時代は終わった、ということなのである。「幸せな家庭」といったとしても、その言葉が意味するものが空洞化している、そうした時代を僕達は生きているということなのだ。「幸せな家庭」という言葉をきいたときイメージできる情景、それが「ない」。もしくは、各々個人でばらばらであったり、そもそも生涯未婚率(50歳時点において一度も結婚したことのない人の割合)は年々あがっている。90年代より上昇に拍車がかかり、2030年には、30%近くになるとのことだ。
2005年においても、女性は7%ぐらいだが、男性は16%をこえている。2030年、18年後、僕が40代のころの世界である。なので、僕より10歳上のひとが集計対象であって、僕が50代になるころには、もっと増えていると推測される。日本人の半数が結婚しない(できない)時代が近々きそうだということだ。
そうした中で、「幸せな家庭」という言葉のもつ意味が、まさかそのままと思うひとはいないだろう。「結婚」という制度自体が見直されることもあるのだろう。非嫡出児にも相続権が与えられるようになったり、養子制度が発展するなど、様々考えられる。
だから、単純に「幸せな家庭を築く」という目的設定はそもそも、目的としての意味すらなしてないのであって、「子どもを二人育て、大学進学した上で就職させる」と、ここまで具体的にして、ようやく「目的」レベルの設定は満たせるのである。
昔、「お父さん死なないでーうわーん」を、目的にしたことがあったが、それはそれで具体的である。もし、僕が本当にそれを「理想」として、目的として許容するのだとしたら。
もちろん、「目的」は、変更できないものではない、が、可能な限り変更すべきではない。なぜならば、判断に手間がかかるからである。目的がしっかりしていて、それに対する目標と対策も打ち出せている場合、判断は迷わない。(アクラシアの事態は考えられるがここでは触れない)

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2012年思索(2)「言動の目標・対策への体系化について」
2012/01/02 06:30 | Comments(0) | TrackBack() | 思考及び書くこと
行動方策の面においては、「面倒くさい言動」をとらないようにしようと思う。言い換えれば、自己保存的な言動。たとえば、飲み会でギャグが滑ったとしても、「どうせ面白くないと思ってるんでしょ」なんていわないことだ。そうした言動=「そうじゃないよ」というフォローが欲しいということになるためである。あとは、相手の裏の意図、言外の意味に気付いたとしても、気付かないようにすることだ。これは、「整理」に位置付けられる。無駄な行動を省くということだ。
こうした、「○○しよう」と、2012年においても、感じることがあると思うが、「継続」という観点から考えたとき、「整理」「アウトプット」という二つの目標に合致させる「説明」が不可能な場合、切り捨てる(整理する)判断が必要になる。
「可能性」というものを、僕はまだ「信じてしまっている」。これは本来ポジティブな意味なのだけれども、僕自身を納得させる説明のためには、「可能性なんて無い」と言い切ってしまうことが重要なのだ。

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2012年思索(1)「目標に対するアウトプットという対策について」
2012/01/02 06:00 | Comments(0) | TrackBack() | 思考及び書くこと
2012年の目的を達成する手段(対策・方策)として、アウトプットを一つ掲げている。アウトプットは、必ずしも、文章としての表現にとどめるつもりはなくて、分かりやすい図を瞬時に描けるか、それもまた方策の一つである。
インプットの目的は、情報の集約と積み上げが重要になるのに対して、アウトプットについては、表現の容易さ、即ち、他者への伝達力が重要となる。まわりくどく長文をかいたとしても、それは自己のカタルシスになるかもしれないが、他者への伝えることはできない。
もちろん、レビューを、購入の判断材料とするか、もしくは、感想の「共有」にもとめるか、それは目的の差異であって、長文自体の否定では決して無い。
ただし、思考の過程を示す長文というものは、アウトプットを目標と掲げる場合、容認できないものである。

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残り僅かな日数の中で
2011/12/28 00:36 | Comments(0) | 生きる意味
忙しくて今日も今が帰りという事態だが、思うに、忙しい状況に陥ることがミスであり、能力不足という認識はある。

下請け会社をいじめてグレーゾーンに買いたたきしわ寄せがくるという事態に、下請け会社に非はないといいたいが、個人レベルでは、その会社に就職したことがミスである。


思うに、事象を他者のせいにする人間ばかりである。

環境も含めて自分の責任とする。
そうした主体性がない人ばかりである、そうした批判もまた他者のせい環境のせいにするその他大勢と同じである。


津波は防げなかった、ということを政府がいってはならないが、個人がいうのは自由とすることもできる。


思うに、戦国時代と思うのだ、下手な君主に仕えると、個人の裁量むなしく打ち首となる。

三国志などでは忠臣が美しく描かれるが、実際問題弱小劉備に仕えるのはリスクでしかない。


とはいえ、ここで短絡的に戦国時代と現代の戦国時代を比べてはいけない。ワーカホリックとの言葉はあれど、武人の最高の死に場所は戦場なのだ。

戦で死ぬ価値観が本当に普遍的な時代があったのかは分からない。とはいえ、自分の尻拭いを配下の首をはねることでとる者もいるし、同じようにも思える。


ところで現代の武器は、蛇矛ではなく言葉であり情報であるが、人脈が重要なのはいうに及ばない。

結局一旗あげるのは、個人の能力ではなく、大きな潮流に思える。

だから、中卒でも年収何億とかいうのはあながちでもない。


みもふたもないが、バランスに過ぎない。ルックスも声も、親の名声も、頭の良さも体つきも、笑顔の上手さも価値観や考え方、感情さえも、すべて構成要素にすぎない。

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マイナス思考によるサステナブルな人生観について
2011/12/21 21:58 | Comments(0) | ポジティブ思考
死にたい
むかつく
めんどうだ
思い通りにならない
痛い
苦しい


快状態を人生の目的にしたとして、その破綻は目に見えているわけだ。

かといって自暴自棄は持続可能ではない。
バランス感覚が重要となるが、その抽象性は実運用に意味をなさない。


ゆえに、コミュニケーション能力だとかクリエイティブだとか、そうした能力が重要だとする新人材観に惑わされてはならない。
空気をよむのは、正直大の苦手だが、モデルパターンの構築と経験の記憶照合をかけることで、ルーチン化することは可能だ。
次に、その対策の実行力が問題となる。その実行に対して(ここではやるべきことと、やるべき目的もはっきり認識しているとする)、効果と結果がプラスかどうかの判断だけでは、快の階層構造(アクラシア)によりノンサステナブルである。


目的や目標を立てることは重要で、その対策をたてることまではよくされる。実行のレスポンスと影響まで考慮し、その対策まで視野に含めることが重要である。

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