生活環境が変わることによって、これほど文章を書かなくても自分がいられるのだと、これは驚きもある。
気付くと、一人の時間が、僅かな電車内でしかないことに気付く。
そして、一人の時間じゃなきゃ、ブログは書けない。
書けなくはないはずだけど、書けないのだ、これはどうしても。
平日は相も変わらず帰りが遅いし、休日も彼女と過ごしていると、書けない。
別に、書かなくてもいいじゃないか。
しかし、僕は、イライラしようが、楽しかろうが、このブログの、ある重大な問いを考えないことは、自分にとって負債を清算しない行為に感じられるのだ。
なにかを失って、人はようやっと気付く。
そんなものかもしれない。それが、いまわの際まで知らなければ、別にそれでもいいとも思う。
でも、果たして、
働くこと、生きることに、何があるのか
僕は、誰だったのか。
これが人なのか、こういうのが人間なのか
まぁ、これでいいのか
本当か?
俺は、本当に後悔しないのか?
問うているのか? 本当に?
ともかく。セインの二巻を読了。面白かった。
魔女王と、ダークヒーローのズァグ氏の謁見シーンに震えた。なんつー駆け引きだ。なまじ戦闘シーンなんかより、よっぽど熱い戦いだった。
ああ、こう、現在の自分の力では及ばない中で、今あるリソースをギリギリで使い、自分よりも強く体制も磐石なものに向き合っていくってのは、やっぱりかっこいいものだな。
が、しかし、今の俺は、そういった戦いに本当に辟易してしまっている。
この先のみちしるべを感じられないでいる。
どうしたらいいのか分からずに、日々、そして、流されていく。
気付くと、一人の時間が、僅かな電車内でしかないことに気付く。
そして、一人の時間じゃなきゃ、ブログは書けない。
書けなくはないはずだけど、書けないのだ、これはどうしても。
平日は相も変わらず帰りが遅いし、休日も彼女と過ごしていると、書けない。
別に、書かなくてもいいじゃないか。
しかし、僕は、イライラしようが、楽しかろうが、このブログの、ある重大な問いを考えないことは、自分にとって負債を清算しない行為に感じられるのだ。
なにかを失って、人はようやっと気付く。
そんなものかもしれない。それが、いまわの際まで知らなければ、別にそれでもいいとも思う。
でも、果たして、
働くこと、生きることに、何があるのか
僕は、誰だったのか。
これが人なのか、こういうのが人間なのか
まぁ、これでいいのか
本当か?
俺は、本当に後悔しないのか?
問うているのか? 本当に?
ともかく。セインの二巻を読了。面白かった。
魔女王と、ダークヒーローのズァグ氏の謁見シーンに震えた。なんつー駆け引きだ。なまじ戦闘シーンなんかより、よっぽど熱い戦いだった。
ああ、こう、現在の自分の力では及ばない中で、今あるリソースをギリギリで使い、自分よりも強く体制も磐石なものに向き合っていくってのは、やっぱりかっこいいものだな。
が、しかし、今の俺は、そういった戦いに本当に辟易してしまっている。
この先のみちしるべを感じられないでいる。
どうしたらいいのか分からずに、日々、そして、流されていく。
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コメント
みゅうさん、コメントありがとうございます!
ずいぶん久方ぶりなのに嬉しかったです。
はい、なんとか元気ではおります。もう少し生活を落ち着けて、またじっくり考える時間をもちたいと思ってます。
みゅうさんもお元気で。これからもまったりとでもお付き合いいただけたら嬉しいです。
ずいぶん久方ぶりなのに嬉しかったです。
はい、なんとか元気ではおります。もう少し生活を落ち着けて、またじっくり考える時間をもちたいと思ってます。
みゅうさんもお元気で。これからもまったりとでもお付き合いいただけたら嬉しいです。
posted by 遠藤at 2018/05/16 21:06 [ コメントを修正する ]
なんとかなっているようで何よりです。
一人でなければ書けない、というのは良く分かります。
私も、ブログや小説を書く時は自分一人で集中できる環境や状態でなければ思ったように進められない性質です。
同じ部屋に誰かがいても、こちらを気に留めない状態で集中できる状態であればまだ書けるんですが、こちらが何をしているのか気にしてきたり、自分が相手を気にかけてしまう状況だと集中できないんですよね。
仮に、同じように創作関係を嗜んでいる相手だったりすれば同じ場所にいても書くことに集中できそうな気はするのですが……。
そして流されることが悪いことではないというのが大前提として、結局は本人がそれを「ま、いっか」と思えるかどうかかなーと。
人生や世界に正解なんてないと思いますし、「これでいい」と思えるのならいいんじゃないかなと思います。
もしそうでないのだとしたら、その状態を続けるのは危ないのかもしれないな、と私は思ってしまいます。
一人でなければ書けない、というのは良く分かります。
私も、ブログや小説を書く時は自分一人で集中できる環境や状態でなければ思ったように進められない性質です。
同じ部屋に誰かがいても、こちらを気に留めない状態で集中できる状態であればまだ書けるんですが、こちらが何をしているのか気にしてきたり、自分が相手を気にかけてしまう状況だと集中できないんですよね。
仮に、同じように創作関係を嗜んでいる相手だったりすれば同じ場所にいても書くことに集中できそうな気はするのですが……。
そして流されることが悪いことではないというのが大前提として、結局は本人がそれを「ま、いっか」と思えるかどうかかなーと。
人生や世界に正解なんてないと思いますし、「これでいい」と思えるのならいいんじゃないかなと思います。
もしそうでないのだとしたら、その状態を続けるのは危ないのかもしれないな、と私は思ってしまいます。
posted by 白銀at 2018/05/18 21:52 [ コメントを修正する ]
白銀さんありがとうございます。
一人でなければ書けない、って、やっぱりそうですよね。
私の場合は、話しかけられたり、気にされてなくても、同一空間にいるとやっぱりダメなようなのが分かりました。まぁこれは、前の人と一緒に暮らす経験からの心的影響な気もしますが……。
でも確かに、まったく知らない第三者だけの空間(図書館とかカフェとか)なら書けますし、同じ創作をするメンバーとかなら大丈夫な気がしますね。
流されることも、確かに悪いことではないですね。忘れていました。
どうしても、時間を置くと、その、「流されること」というのが、悪いことに思ってしまう自分の感性がありそうだなと思いました。
流されるとは何なのか。
僕は、きっと、自分の意思が介在しない状況で生活が進むことをそう思っている気がします。
いやまぁ誰かと会ったり仕事をしたりというのは自分の意思なのかもしれませんが、それはあくまで自動的な行動であって、本当にやりたいこと、的なサムシングではない。
かといって、本当にやりたいこと、ってのも分からないから、日々、答えのない時間が過ぎて行っている気がするんだろうなぁと思います。
とはいえ、まったく分からないわけではなくて、最近(ここ数年)で、ブログ書いたり小説書いたり、音楽作ったりその他創作活動しているときは、苦しかったり、面倒だったりするけれど、やっぱり、それに時間を使っててよかったなぁと、思うんだなと。
……うーん、やっぱりそうなんだよなぁ。
だから、それら(創作)と、仕事と、(彼女との)生活とを、どのように考えて、時間的配置をするかということを考えて決めて実践しなければならないのだろうなぁ……。
といったことさえあまり意識することができない現状でしたが、少し現状を穿つきっかけになったような気もします。
いつもありがとうございます。
まぁもう少し(2、3か月)すると、仕事のほうが少し落ち着きそうなので、そうすると時間的余裕はまた復活するような気がしています。
一人でなければ書けない、って、やっぱりそうですよね。
私の場合は、話しかけられたり、気にされてなくても、同一空間にいるとやっぱりダメなようなのが分かりました。まぁこれは、前の人と一緒に暮らす経験からの心的影響な気もしますが……。
でも確かに、まったく知らない第三者だけの空間(図書館とかカフェとか)なら書けますし、同じ創作をするメンバーとかなら大丈夫な気がしますね。
流されることも、確かに悪いことではないですね。忘れていました。
どうしても、時間を置くと、その、「流されること」というのが、悪いことに思ってしまう自分の感性がありそうだなと思いました。
流されるとは何なのか。
僕は、きっと、自分の意思が介在しない状況で生活が進むことをそう思っている気がします。
いやまぁ誰かと会ったり仕事をしたりというのは自分の意思なのかもしれませんが、それはあくまで自動的な行動であって、本当にやりたいこと、的なサムシングではない。
かといって、本当にやりたいこと、ってのも分からないから、日々、答えのない時間が過ぎて行っている気がするんだろうなぁと思います。
とはいえ、まったく分からないわけではなくて、最近(ここ数年)で、ブログ書いたり小説書いたり、音楽作ったりその他創作活動しているときは、苦しかったり、面倒だったりするけれど、やっぱり、それに時間を使っててよかったなぁと、思うんだなと。
……うーん、やっぱりそうなんだよなぁ。
だから、それら(創作)と、仕事と、(彼女との)生活とを、どのように考えて、時間的配置をするかということを考えて決めて実践しなければならないのだろうなぁ……。
といったことさえあまり意識することができない現状でしたが、少し現状を穿つきっかけになったような気もします。
いつもありがとうございます。
まぁもう少し(2、3か月)すると、仕事のほうが少し落ち着きそうなので、そうすると時間的余裕はまた復活するような気がしています。
posted by 遠藤at 2018/05/21 12:35 [ コメントを修正する ]
>流されること、悪いこと、本当にやりたいこと
この辺りを読んでふと思ったのですが、もしかして「明確な自分の意志を持って行動しているという自覚」が遠藤さんにとってはキーポイントになっているのかなと。
日々の生活をするために必要な仕事であったり、家での生活であったりも、厳密には自分で考えて行動していることではあるのでしょうけれど、「心底やりたい」と思っていない、あるいはそういう認識を抱けていないが故に「流されている(=現状維持以上のために必要だからしているだけ)」と認識し、そこに明確な熱意といったものがないと感じられているから、「こんなことでいいのだろうか?」という疑問がわいて、「悪いこと」という認識に結び付いていっているのではないでしょうか。
本当にやりたくてやっていると思える状態だと自覚できないことが、遠藤さんにとってはしっくりこなかったり、それを自覚している状態にあることこそが正しい状態だという認識があるのかもしれません。
だから、そういった感覚の伴わない要素があると「悪いこと」と感じてしまったり、周囲に対して「それでいいのだろうか?」と疑問を抱いてしまったりして、かつそうではない状態を求めて「何かはまだ分からないけど答えが必要」と思って探し続けているのかも……。
この辺りを読んでふと思ったのですが、もしかして「明確な自分の意志を持って行動しているという自覚」が遠藤さんにとってはキーポイントになっているのかなと。
日々の生活をするために必要な仕事であったり、家での生活であったりも、厳密には自分で考えて行動していることではあるのでしょうけれど、「心底やりたい」と思っていない、あるいはそういう認識を抱けていないが故に「流されている(=現状維持以上のために必要だからしているだけ)」と認識し、そこに明確な熱意といったものがないと感じられているから、「こんなことでいいのだろうか?」という疑問がわいて、「悪いこと」という認識に結び付いていっているのではないでしょうか。
本当にやりたくてやっていると思える状態だと自覚できないことが、遠藤さんにとってはしっくりこなかったり、それを自覚している状態にあることこそが正しい状態だという認識があるのかもしれません。
だから、そういった感覚の伴わない要素があると「悪いこと」と感じてしまったり、周囲に対して「それでいいのだろうか?」と疑問を抱いてしまったりして、かつそうではない状態を求めて「何かはまだ分からないけど答えが必要」と思って探し続けているのかも……。
返信遅くなりました。白銀さんありがとうございます。
>>流されること、悪いこと、本当にやりたいこと
> この辺りを読んでふと思ったのですが、もしかして「明確な自分の意志を持って行動しているという自覚」が遠藤さんにとってはキーポイントになっているのかなと。
> 本当にやりたくてやっていると思える状態だと自覚できないことが、遠藤さんにとってはしっくりこなかったり、それを自覚している状態にあることこそが正しい状態だという認識があるのかもしれません。
多分、そうなんだろうなぁと思いました。
そして、「明確な自分の意志を持って行動しているという自覚」イコール、熱意をもっての行動というのが、創作活動だったり、それは分かってきたはずなのに、それに十分に迎えていないのが、「流されている」という感覚につながっているのだろうと。
うがった書き方をすると、これは、「逃げ道」をつくりたいという弱小な心とも思えます。
何事にも本気になれず……ならず、何か失敗したとしても、「本気じゃなかった」「俺の本当にやりたいことはこれじゃあない」といったように、言い訳の余地を残している、とも。
しかし、まぁその、人一般はわかりませんが、少なくても自分は、劇的に何か変わることはできないのだなぁという実感が積みあがってきたので、明日からはもうふっきれて不安も心配も焦燥もなく人生思いっきりやってやるぜ、って感じには到底ならないと思うので、こういった分析をしていただけること、自分自身考えることができるこの場を大事にしたいと思っています。
とかなんとか、きれいごと的なのがどうにも性に合わない自分がいて困ってしまいます(笑)。
うーん、なんだか、問題なら問題、課題なら課題として、明確にしたいという気持ちもあります。一方もういっそ、「だらだら流されて生きることが正解だ!」と吹っ切れてしまいたいような気も。
が、まぁ、しかし、それにしても書く時間がなかなか取れない。これは結構、普段は意識できないものの、じわじわ苦痛な感じがします。
取り敢えず直近できることは、仕事の時間を短くして、帰る時間を早くして、考える時間や書く時間を増やせるようにすることだと思うので、えっと、好きな言葉じゃあないですが、頑張ります!
>>流されること、悪いこと、本当にやりたいこと
> この辺りを読んでふと思ったのですが、もしかして「明確な自分の意志を持って行動しているという自覚」が遠藤さんにとってはキーポイントになっているのかなと。
> 本当にやりたくてやっていると思える状態だと自覚できないことが、遠藤さんにとってはしっくりこなかったり、それを自覚している状態にあることこそが正しい状態だという認識があるのかもしれません。
多分、そうなんだろうなぁと思いました。
そして、「明確な自分の意志を持って行動しているという自覚」イコール、熱意をもっての行動というのが、創作活動だったり、それは分かってきたはずなのに、それに十分に迎えていないのが、「流されている」という感覚につながっているのだろうと。
うがった書き方をすると、これは、「逃げ道」をつくりたいという弱小な心とも思えます。
何事にも本気になれず……ならず、何か失敗したとしても、「本気じゃなかった」「俺の本当にやりたいことはこれじゃあない」といったように、言い訳の余地を残している、とも。
しかし、まぁその、人一般はわかりませんが、少なくても自分は、劇的に何か変わることはできないのだなぁという実感が積みあがってきたので、明日からはもうふっきれて不安も心配も焦燥もなく人生思いっきりやってやるぜ、って感じには到底ならないと思うので、こういった分析をしていただけること、自分自身考えることができるこの場を大事にしたいと思っています。
とかなんとか、きれいごと的なのがどうにも性に合わない自分がいて困ってしまいます(笑)。
うーん、なんだか、問題なら問題、課題なら課題として、明確にしたいという気持ちもあります。一方もういっそ、「だらだら流されて生きることが正解だ!」と吹っ切れてしまいたいような気も。
が、まぁ、しかし、それにしても書く時間がなかなか取れない。これは結構、普段は意識できないものの、じわじわ苦痛な感じがします。
取り敢えず直近できることは、仕事の時間を短くして、帰る時間を早くして、考える時間や書く時間を増やせるようにすることだと思うので、えっと、好きな言葉じゃあないですが、頑張ります!
posted by 遠藤at 2018/06/06 21:47 [ コメントを修正する ]
やはり、形而上学的なことよりも、現実的なことに取り組み、何よりも配偶者や家庭を持って忙しくも懸命に生きていったほうが人生の意味を知らないで目的を達せられると思いますよ。ご健勝お祈りしてます!