前の記事にて、努力とは何かについて述べたので、それについて抜粋し、より洗練させてまとめる。
努力とは何を指すのか。「苦労=努力」と考えるのは適切ではないだろう。釈迦も苦行が無駄であると悟っている。敷衍して考えれば、「自分の嫌なことをすること」は、努力でも何でもない。本当の意味での「努力をする」とは、「前向きに物事に取り組むこと」と、「自分の成長にプラスに働く行動をすること」である。主体性と自己成長の、両義を努力は含んでいる。
では、今の私は努力をしているのだろうか。主体的に生きているとかと問われたら、今の自分は素直にYESと答えられる。しかし、自己成長しているかと問われたら悩ましい。もちろん、広い意味での自己成長はしている。人との関わり合いを学んだり、生活リズムを安定させるなど、以前の自分とは違い、とても楽しみながら生活し、学べている。しかしながら、明確な目標を制定し、それに向けての行動をしているとはいえない。つまり私は、今、本当の意味での努力をしていないのだ。
では、今の私は努力をしているのだろうか。主体的に生きているとかと問われたら、今の自分は素直にYESと答えられる。しかし、自己成長しているかと問われたら悩ましい。もちろん、広い意味での自己成長はしている。人との関わり合いを学んだり、生活リズムを安定させるなど、以前の自分とは違い、とても楽しみながら生活し、学べている。しかしながら、明確な目標を制定し、それに向けての行動をしているとはいえない。つまり私は、今、本当の意味での努力をしていないのだ。
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