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何でもかんでも死刑にして良いという言説(削除候補)
2017/01/17 19:00 | Comments(6) | イライラ対処
今日の一言「まぁいろんな人がいますわな」

驚きの短絡思考

 何でもかんでも、すべての犯罪は、死刑でよい。現行法制度は手ぬるい。万引きや違法駐車など、軽犯罪であっても全部死刑にすべきだ、ということを本気で思ってます、というブログを拝見した。

 おおぅ……そうか、やっぱりそういったことを思っている人はいるんだろうなぁ。そしてきっと、少なくないのだろう。ニュースかなんかで、加害者の人権が守られ過ぎてる! とかいう言説をみてきっと思っているのだろう。

 恐らく、そういう方々は、絞首刑を見たことないだろうし、どっかの国の処刑動画、首をナイフで切り落とされたり、人が死ぬということを見たことは無いだろうし、ましてや、自分自身が、その処刑を自らやろうともしないだろう。
 てなことを書くと、お前は死刑廃止論者か、とすぐに突っ込まれるから、先に書いておけば、別に死刑廃止も賛成も特に僕は無い。それらは、社会と法によって決めていけばいいものだが、その論議に参加するほど今の僕には到底余裕はない。
 というよりも、人が死ぬその残虐な情報を知っていてもなお、街でぶつかってきて舌打ちしやがるクソ野郎は死んでしまえ! と僕だって思うわけだが(ただ、それだって、本当に、そいつを殺しても、何ら罪をうけないとして、手軽にボタンをポンと押すだけで殺せる状況があったとしても、いざその瞬間になったとき、僕はそのボタンを押せるのか? これはなってみないと分からない。まぁそもそも、そんな状況の仮定がありえないから、思考実験にすらなっていないが)。

 ただ、驚きを隠せなかったのは、その、軽犯罪でも何でも、悪いことしたら即死刑! という発想の貧困さである。
 そして、恐らく気づいていないだろう、その「悪いこと」の定義がいかに難しいかということへの、理解をしようとできない態度である。

社会悪

 一度、「サイコパス」という作品を見てみるといい。いや、多分みても理解できないのだろう。

 ちなみに、そのブログの作者さんは、ネガティブ思考で、無職の女性だということだけれど、ネガティブだったり無職だったりするのも、今の世界では「悪いこと」とされている。じゃあ即死刑なのか? んなわけねーだろう。

 もう一つ、社会復帰できないようなクソサイコ犯罪者野郎もいるだろうが、そもそも、人間って、そんなに完璧で美しいものか?
 これは、お前(俺)自身が汚れてるからそう思うだけだ、とか言われそうだけど、だが、アリストテレスだって、「アクラシア」といって、「わかっちゃいるけどやっちまう!」的な、間違いを犯すものだと言っている。それらを、片っ端から消去していけばいいというのか? そもそも、死刑を執り行うコストというものだって存在する。社会秩序は、「何となくみんなルールを守ってる」状態が「信じられている」から上手くいっている面があって、神の裁きのように、完璧に罪を裁こうとすると、これはもう大変な作業になるのである。

(こんなこと書いていると、じゃあお前は何かやましいことでもあるのか? 犯罪者の味方なのか? キモチワルイ奴だな! とかコメントが沢山くるのである。まぁそんなことより気になるのは、そう思っている人が、果たして本当の意味で多数派なのか、少数派なのか、ということだけれど。)

愚かな人への説得

 上の小見出し、そもそも、「愚かな人」という定義もまた、難しいのであって、そもそも、社会って共同幻想で成り立ってるんだよ、ということを信じているというか、理解している人は、どれほどいるのだろうか?

 このことは、別に気付く必要もないのだけれども、エリート層とか、支配者層とか、経営者とか、統治者とか、上司とか、先生とか、そういう上に立つ人たちがそれに基づいて色々考えてくれないと、本当に大変なことになるのである。

 人任せ、だけれども。いや本当は、民主主義なのであれば、人民がちゃんと、その政治的思考、正義とは何か、悪とは何か、ということについての、基礎的な「合意形成」が図られるべきなのだけれども、実際、発展した国家であればあるほどに、「政治的無関心」は避けられない。

 だから教育が重要なのだけど……ただその教育って、「美しい国、美しい道徳、美しい人格を目指しましょう!」というのが中心であって、いやその、「美しいもの」は重要なのだけれども、ただ、それを形成するために必要なこと、そもそも、その「美しい」の定義は多様な価値観のもとで醸成されるものであるとか……もろもろの大切なことを、ちゃんと伝えられているのだろうか?
 伝えられていないから、結局、「美しくない犯罪者は消し去りましょう!」という思考体系になってしまう。

選挙の重要さ

 だから、選挙って本当は重要なわけだ。上のような頭のおかしい(というわけではないと思う。単に教養が足りていないだけ)の人が政治家にならないように、民衆はちゃんと監視して責任をもたなければいけないのだ。
 というのは当たり前なのだけれど、でも、その立候補者が、どんな思想信条をもってるかなんて、簡単に分かるはずもないわけだ。だから、マスメディアが、政治家たちの発言の節々をとらえて、大げさに報道したりするのだけれども、まぁ、そういった細かい言動からしか、判断材料が無いのだから、仕方がないともいえる。ただ、そんな情報しかないと、やっぱり選挙とかに興味をもてない人は多くならざるをえないと思う。

本ブログの主旨と合致する記事か?

 さて、驚きのあまり書き連ねたものの、この記事は、このままだと正直消してもいいかな。自分自身の生きる意味、について、あまりにも関係ない気がする。

 うん、まぁ、1年ぐらいは残しておこうか。見返してみて、何を思うか、それはまた気になるところだ。

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コメント

 死刑制度に賛成か反対か、その辺り、私はぶっちゃけ「どっちでもいい」というのが本心だったりします。
 「犯罪者は害悪だから皆殺しにせよ!」みたいな過激なことを言う人の中にはまぁ、短絡的に、反射的に、言っている人もいることでしょう。
 私個人として思うことと言えば、「抑止論的にはまだ存在するべきなのかなぁ」といったところでしょうか。
 「犯罪をしたから死刑」ではなく、「犯罪をさせないために、犯罪をした者を死刑にする」という逆の考え方ですね。
 犯罪をすると死刑になる、という図式を作っておいて、犯罪をしようとする人に対して「それやると死刑になるから止めなよ」と言う意図にする。それでも構わない、死刑になってもいい、というのならどうぞご自由に、みたいな。
 何かしら、犯罪に該当することをした者にはペナルティを課すのは、本質的にはそのペナルティを避けるために犯罪をしないように意識誘導する抑止の意図があると思うんですよね。そのペナルティを過剰に大きくすることで、抑止の意図を強める、という意味合いなら私は肯定するかもしれません

 自分の手でやれるか、と言われたら私の場合はケースバイケース、としか答えられないでしょうね。
posted by 白銀URLat 2017/01/24 18:27 [ コメントを修正する ]
コメントありがとうございます!
私もほぼ同じ立場というか感覚です。で、その抑止力というのが、死刑廃止派は無いという主張をするわけで、賛成論者は廃止すると犯罪が増えると主張します。まぁ不毛になることが多い部分ですね。

 犯罪をしないように誘導するという意味と、もうひとつ、悪い子とした人は死刑になるということにより、一般の善良の人への安心感、という意味もあると思っています。社会秩序の、安定性と、安全性のための、ストッパーみたいなイメージです。恐らく、死刑があってもなくても、人が人を殺す的な事件はなくならないでしょう。抑止力が働くのは、多分グレーゾーンの動機の人間であり、それが多いか少ないかの科学的な証明は難しいでしょうし、できたとしてそれがどこまで信憑性があるのか。
 なので、死刑があってもなくても、犯罪をおかす人はいるしなくならない前提としたとき、じゃあどっちがいいの? というのは、結局人それぞれの価値観、感覚に過ぎないと思います。そういう意味で、僕はこの議論はどっちでもいい。自分にとって不快な人が、罰せられて社会に出てこないなら、死刑だろうが終身刑だろうが、実害はないのです。

 なので、むしろ、経済的な面で、死刑を廃止して終身刑にします、としたときの費用面において、終身刑のほうが安上がり、というなら死刑廃止でもいいかな、と思います。

 この僕の記事で、つまらないこと考える人がいるなぁ、と思ったのは、軽犯罪でも何でも死刑にするということは、最初に書いた、一般人においても、安心感に恐慌が発生することが避けられないと思うからです。

 もうひとつは、記事の中でも書いてますが、悪いことの定義の困難さについて。マナーの悪い自転車はしんじまえ! と私も時おり思いますが、じゃあ歩きスマホはどうか? 電車でお年寄りに席をゆずらないのはどうか? これは、あれは、悪いことなのかどうか? 一回でもやっちゃったら即死刑。おいそれと町に出られなそうです。いや引きこもりも死刑、、最近のニュースでありましたが、休み時間に読書してる子供は死刑、とか(笑)

 先程の費用面でも大変なことになりそうです。

 なので、少年法の厳罰化とか、それの是非の議論で、子供でも何でも、精神鑑定の責任能力とか云々別として、みんな人を殺したら極刑にすべきだ、とか、まだそういう意見主張なら、まともに思えるのですが、先日読んだ方の記事は、なんとも面白くないなぁ……と思ったわけでした。またスマホからの投稿で推敲なくだらだらとすみません。
posted by 遠藤at 2017/01/24 23:01 [ コメントを修正する ]
すべて死刑にすればいいというは反対ですね。すべて死刑にすることで得られるメリットよりデメリットの方が大きすぎるからです。

メリット
・犯罪への抑止力が高い
・即時死刑に出来るなら刑務所は不要になるのでコスト削減になる(出来ないなら、死刑執行までは大抵時間がかかるので収監施設が膨大になりかえってコスト増となる)
・裁判などにかかるコストが減る

デメリット
・国民が減っていくので国力が減少する(軽犯罪でも死刑なら)
・海外からの観光客が減る可能性が高い


国民が減っていくことで、国力が下がってしまうっていうデメリットが大きいから反対ですね。人間の生産には多大なコストがかかりますから。軽犯罪ごときで殺してしまったら凄い損失です。
posted by QUWEat 2017/01/25 01:03 [ コメントを修正する ]
 なんでもかんでも死刑にすべきかどうかというのは確かに問題で、どの程度の線引きで死刑を適用するのかは決めなければなりませんね。
 ルール(法)を絶対化するために厳罰化を進めていけば、あれもできないこれもできないディストピアに向かっていってしまうわけで、短絡的にちょっとした軽犯罪まで死刑を適用していくとなると、QUWEさんも言っていますがそれこそ国力低下に繋がりますし、人も離れていくでしょうから。
 コスト面から終身刑を即刻死刑に置き換えるかどうかの議論の方がマシな気がしますね。終身刑を労働力として対価に見合う生産性が得られるならどうかというところでしょうか。

 抑止になっているのかいないのか、実際のところは双方のパターンを実測して比較するしか明確な答えは出ない気がしますね。
 これは死刑に限らず、アダルト作品やゲーム・マンガなどの昨今の表現に対する規制に関しても言えるかなと思うんですが。
 死刑制度がない他国、表現規制のない他国、とそれらがある国を比較しても、その比較対象の国それぞれに文化や歴史、思想、宗教などの違いがあれこれあるなら単純比較はできませんから、同じ国で条件を変えなければ明確な答えにはならないと思うんですよね。多少の推測やら予測やらはできたとしても。

 個人的には表現規制は作品の元の形が何かしら歪められてしまうように思えるので嫌なんですけどね。
posted by 白銀URLat 2017/01/25 14:36 [ コメントを修正する ]
QUWEさん
 読みやすい! メリットデメリットにすると分かりやすいですね。国力低下という点もそうですね。また、現在は死刑になってから、執行までラグがかなりあるそうですし、収監ばかり増えて、実際は執行されずにそのまま、といった社会現象なども起きそうですね。

白銀さん
 おぉ、さすがですね! おっしゃる通り、比較調査というのもかなり難しいと思います。特に人の価値観が影響する分野、人文系の科学は、調査結果そのものが調査に影響する可能性もあるので判断が難しい。
 表現規制は特に私は反対ですね。カフェインレスコーヒーじゃないですが、危険なもの、気持ち悪いものを極限まで排除しようとするのもまた、何でもかんでも死刑、というのと同じような短絡さを感じます。
 とはいえ、表現の規制は、表だって反対を表明しづらい分野もありますよね(笑) つまり、その気持ち悪い表現を支持する人間だというカミングアウトに受け取られる危険がある。そういう次元の話ではないのですが、明確に論理立てて反論しづらいから歯がゆいところです。程度の問題もありますし。
 ただ、現実にフィードバックさせるかどうかを別にしたら、私は、すべての表現にかかる規制は、なくてもよいと思います。できるだけ人間の自由意思を信じたいということなんですかね。
posted by 遠藤at 2017/01/25 23:30 [ コメントを修正する ]
QUWEさん
 読みやすい! メリットデメリットにすると分かりやすいですね。国力低下という点もそうですね。また、現在は死刑になってから、執行までラグがかなりあるそうですし、収監ばかり増えて、実際は執行されずにそのまま、といった社会現象なども起きそうですね。

白銀さん
 おぉ、さすがですね! おっしゃる通り、比較調査というのもかなり難しいと思います。特に人の価値観が影響する分野、人文系の科学は、調査結果そのものが調査に影響する可能性もあるので判断が難しい。
 表現規制は特に私は反対ですね。カフェインレスコーヒーじゃないですが、危険なもの、気持ち悪いものを極限まで排除しようとするのもまた、何でもかんでも死刑、というのと同じような短絡さを感じます。
 とはいえ、表現の規制は、表だって反対を表明しづらい分野もありますよね(笑) つまり、その気持ち悪い表現を支持する人間だというカミングアウトに受け取られる危険がある。そういう次元の話ではないのですが、明確に論理立てて反論しづらいから歯がゆいところです。程度の問題もありますし。
 ただ、現実にフィードバックさせるかどうかを別にしたら、私は、すべての表現にかかる規制は、なくてもよいと思います。できるだけ人間の自由意思を信じたいということなんですかね。
posted by 遠藤at 2017/01/25 23:47 [ コメントを修正する ]

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