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1000字で書くということ(2)
2018/01/31 00:00 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「今後しばらく毎週水曜日更新予定とする」

忙しいことを認めた後で

 前回の文章は、とってもサイコパス的だし、非人道的で、人間失格だ。
 しかし俺は、誰かを傷つけたいなんて一切思ってないし、むしろ、人の役に立つことをしたい。
 矛盾? 偽善?
 なんと言われようが、そこは問題ではない。
 要は、「俺は、どのように行動するか」である。
 思考的なこと、抽象的なことを書いているが、抽象論に興味をもてないのはその点にある。
 簡単に書くと、「実存」を重要視しているのだ。
 世の中の真理がどうであろうが、それは正直どうでもよいのだ。どうでもよい、と書きつつも、世の中の仕組みを無視しては生きていけない。
 ああ、面倒である。
 ここら辺の感覚を、簡単に、うまい具合に伝えたい。分かってもらいたい。だが、表現として僕は全然伝わらないだろうことが「わかる」。
 要するに、僕は「大人」になりたいのである。
 が、その「大人」とは何なのだ?
 こういうことを言うと、「大人になんてならなくていいんじゃない?」とかいったアドバイスも発生したりする。くだらない、そうじゃないんだ、そこが問題じゃないんだって。
「大人」
 というのは、単に言葉の器である。
 僕がなりたいのは、「大人」であって「大人」ではないのだ。トートロジー。
 先日表現した、「いい人」ってのもそうだ。僕は「いい人」になりたいし「いい人」にならなくてもいいのだ。
 表現を変えれば、「なるべき存在」になりたいのである。自我がぐちゃぐちゃになってるな。
 しかし、「考え続けるのが正解だ」的なのは退けたいのである。


(かっこ書きである。次回2/7(水)更新予定「仕事が楽しくないからいけないのか」。今回は、他者や世界がどうであるかは置いておいて、「俺自身はどうするのか」という点に目を向けなおした。要するに、「なるべき存在」を目指したいということであるが、その概念の中身が現在不明である。大人とかいい人とか、役に立つ人とか、まぁいろんな表現はあるわけだが、中身の伴わない言葉は空虚だ。次回は、その中身について考えてみたい)

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