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好きな人について(加古歩さんへ返信)
2020/01/18 21:24 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「昨日は、免除だったのか」「帰るなり寝てしまった」

まえがき

 22時ぐらいの帰宅だった気がしたが、疲れが半端ない状態であり、寝てしまっていた。電気もエアコンも付けっぱなしだった。寝るつもりはなかった。
 パソコンの前に座ることができる、というのが更新条件の一つだから、まぁ、免除ということでよいだろうと思う。

返信について続けよう

引用

>で、好きな人となったときに大きく分けると3タイプあるのですね。まず、その一つめから話すとしてそれがどういったものかというと「ドキドキする」といったものですね。そんでね、これに関してなかなか言っていることは正しいなと思える内容が書かれていた本があってその内容とは恋愛というものは自分の穴を埋めることだというものなんですね。
 恋愛とは、自分の穴を埋めること。
 ふーむ、自分の穴とは、何か。なんだか、概念としては分かる気がするが、いざ自分に当てはめようと思うと、よく分からない。
>でね、それだけじゃあ、よくわからないと思うので僕の過去の好きになった人の例を出して説明したいと思います。

 ありがたい。(この、読者への配慮能力の高さがコメ主の頭の良さを感じさせる)
>で、僕は高校生、大学に入りたてくらいのころは可愛い、美人な人が好きでした。というのも僕は当時、顔にコンプレックスがあってイケメンな人を見たりすると「かっこよかったら幸せだったのに」(といった思考停止もあります)と思っていました。

 私は今でも「かっこよかったら人生イージーモードだったのに」といった思考停止は割と生じます(かっこ笑い――の中に真剣な目つき)。
>そしてとあることで僕の顔に対するコンプレックスは消え次に好きになった人は真面目で普通な人でした。―中略―僕はぐちゃぐちゃな生活をしてきて普通、真面目ということに羨ましさを感じていたときだったんですね。
 なるほど……。自分に足りないものを他者に求めるというか、それを羨ましいと感じることは自然に思えます。それが恋愛の一つのきっかけということなのか、という話の流れを予測しつつ次を読んでいきます。
>恋愛とは自分の穴を埋める行為だというのはそのときにコンプレックスに思っていること(コンプレックスというものはある意味、~だったら良かったのに、でも僕は~だ、といった、ある意味、自分の幸、不幸の源泉というかなんというか)を埋める目的があるということなんだと思います。で、あることにコンプレックスがあってそれを思い起こす女性と接するとそのコンプレックスを思い起こしそこを承認されるか、どうか不安でドキドキするってことなのかな?と思っています。

 なる……ほど。まず、そもそもコンプレックスとは、「〇〇だったら良かったのに(でも自分は違う)」と自分が感じること。それについて「〇〇である」人に出会ったとき、自分との差異が認められるか心配になるのが「ドキドキ」であると。
 ここで、疑問というか思ったこととしては、「女性」であるかが関係なく、同性であっても発生する可能性がある理論な気がします。先般他の方からコメント頂いた際の、「嫉妬」に関連するものなのかもしれないと思いました。
>(恋愛のどきどきについては、二つ目の理由が性欲であり、)三つ目はこれは男友達とも被る部分がありますが「信仰」です。まあ、「目的」と言い換えてもいいでしょう。というのも自分にとってこれが正しい、これで良いと思うものが共通しているとき人と人は繋がります。その繋がりの中でできた人間関係というものが友人であると思うんです。

 恋愛の話から「信仰」に繋がる流れにやや頭がおいていかれてしまったものの、当初の話の、「好きな人」ということに戻って思い返すと、確かに関係するのかなと思いました。

>で、友人がどういう関係で変わるのかと書きましたが、それは過去に繋がりのあった人か、現に繋がっている人か、その繋がりの形の違いがあるのだと思います。それと同様に女性に関しても同じ目的を持つ人は協力するために繋がります。ある意味これは一つ目の穴を埋めるというよりは一緒に協力して目的を達成するための仲間といった感じかなーと思います。

 目的、良いと思うことの一致――それが起こる関係が、「好きな人」という関係。価値観の一致という表現も可能でしょうか。
 

コメント全般について

 性欲、というものは、何か特別な、時にイヤらしい感情のように取り扱われるが、喜怒哀楽といった様々な感情の中の一つに思われる。心は、仏教の説一有部という宗派の、心心所相応説では、46個か、75個に分けて考えられるという。その中に性欲が含まれているかは分からないが、人間の心の働きはとにかく複雑怪奇であることは誰しも認めるところであろう。

 そこに、「好き」というラベルを貼るわけであるが、逆に、大きく、できるだけ抽象的に心の分類をするのであれば、「好き」か「嫌い」か、の2分になると思われる。
 脳科学的には、情動をつかさどる扁桃体が、入ってきた情報について、好きか嫌いのラベリングをする。心理学(?)的には、視線のカスケード現象(長く見ていたほうを好きと判断する)が起こる。

あとがき

(かっこ書きである。と、思った。という返信であった。実は、コメントの返信は難しい気がした。しかしこれは、「コメントの返信」が難しいのではない。コミュニケーションそのものの難しさであるといえる。要は情報伝達なのであるが、サバイバル環境下において大切なこととは何か? 敵が来た! 猛獣が近づいてきている! といった情報を伝えることは重要だ。だが、それは、複雑な言語表現を必要としないだろう。僕らが、日常生活でも、仕事でもいいが、伝えるべき情報とは何なのか。知的好奇心を満たしてくれる人が「好き」となるのだろうか。僕らは、何を伝えればいいのか。小説家が伝えるのは、「感動」だ。僕らのこの経済的営みにおいて、本当に必要なことは何なのか。環境保全家は、持続的な地球資源の活用を求めているのか。地球そのものは重要なのか。地球そのものが重要ならば、人間は絶滅した方がいいのか。違う、人の命こそ何よりも尊いのだ、であれば、家畜のように、ディストピア状態(管理された社会)でも構わないのか。違う、自由こそ、人類が血なまぐさい歴史の中で叡智を振り絞って手に入れたスキームだ。自由な活動と、環境保全、弱者の保護、「大人の社会は難しい」と言われる所以は、要するに「複雑」であるからだ。問題は複雑。その複雑な問題をシンプルに説明してくれる人を、「好き」と思うのかもしれない。しかしそれは、「思考する」という人間の大切な営みを鈍化させることになりかねない。最短ルートの生き方は資産を増やすのには適切だろうが、果たしてそれは楽しいのか、感動するのか、僕は少々懐疑する。都心の1億円のタワーマンションに住めたら確かに幸せかもしれない、しかし、郊外の1500万ぐらいの一戸建てでも幸せかもしれない。狭くても通勤時間が短くなれば幸せかもしれない。よく分からないが、「時間」は、人生から減っていっていることだけは事実に思う)

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