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他者のアドバイスが役に立たない理由
2017/12/29 09:55 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「時間制約の中で書くので表現よりもポイント重視」「それはいつも心掛けたい」

人生とは浮き沈みの連続である

 スクールカーストという言葉がある。カーストというのはインドの身分制度であるが、バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラという4つの区分けと、さらに「ジャーティ」という何千にも分化する身分の区分けがある。

 スクールカーストというのは、そのカースト制度を学校組織にあてはめたものだ。スポーツもできて勉強もできてイケメンの上位カーストと、いじめの標的にされることもある下位カースト。下位に属すると学校生活を謳歌などできない。


 その後、何らかの努力で、身分を向上させることができるかもしれない。
 上位カーストに位置づくものも、何らかの失敗で下位に陥るかもしれない。


 学校だけではない。人生のあらゆる面で、――例えば資本を多く持っているかどうかや、優良企業に勤めているかや、よい伴侶に恵まれるか等など、人生は浮き沈みの連続である。

 良いこともあるし、悪いこともある。それが人生だ、と。

 悟りきったことをいう人たちに、僕は異議と不満をぶつけたい。

出発点が違う

 人生が浮き沈み、波のようなものだということに、特に異議はない。確かに、良いことだけの人生なんてのはありえないだろう。

 けれども、まずは下の(簡易な)グラフをみていただきたい。



 左から右へ、時間軸を表していると考えていただき、上下は、その人生の良い悪いであると考えていただく。

 そうしたとき、曲線グラフが3本ならんでいる。

 最初にカーストの話をしたのは、これを分かりやすく説明するためだ。つまり、人生の出発点は、みんな違うということだ。
 親や環境、身体、思考能力、手先の器用さ、生まれた国や地域、その他もろもろの条件によって、人は生まれながらにして差異にあふれている(差別ではない)。


 このグラフにおける、0(ゼロ)地点は、可変であろうと思う。明確に、このラインを超えたら良いとか悪いとかはいえないだろう。結局、「主観」的なものだと思う。

 ただ、概念として人生とはこういったものだ。
 上のグラフで重要なのは、真ん中の(緑の)グラフは、ゼロ地点を行き来している。
 一方で、下のグラフの人は、ゼロ地点を超えられていない。

他者のアドバイスが空虚になりがちな件

 例えば、ミステリーとか小説を書くときに、実際に人を殺してみないと殺人犯の気持ちを描写できない……とするのは早計である。殺人犯にはなれなくても、殺人犯を描くことはできる。その理由は、マックス・ウェーバーの「理解」という言葉の説明を読めば、何となく納得できる気がするが、僕が覚えている理由を書けば、解釈するのは他者である、ということだ。つまり、ある事象に対して、「それが何故起きたのか?」と問うとき、その因果関係を導こうとする。それは、直接的に事象を引き起こした人物・事物の主観的な原因は、あくまで発生した事象の一つであり、その因果関係は環境要因(社会的な条件)にまで広げて考えなければ、一面的な理解になってしまうということである。

 上の例えばは、あまり本旨とは関係なかった。ただ、次に書くことの補足として考えておきたかった。
 要は、上のグラフの一番上の(オレンジ)グラフの人が、一番下の(青い)グラフの人へアドバイスすることは、不可能ではないが、それは空回りになることが多いだろうということだ。

 確かに、違う世界の人たちの考え方や行動原理、価値観を、「想像」することはできる。「理解」することはできる。

 それはそれで、役に立つことだ。自分が生きる環境と異なる環境が広がっているのだと、世界は広いのだと感じられることはとても有意義である。

実存として生き方

 一方で、その、価値観が大きく異なった人からのアドバイスといったものは、実存問題の解決には、殆ど役に立たないと考えるべきだ。

 いやだからこそ、抽象的な、「客観的な」アドバイスというもの……本記事においては、「人生とは波のようなものだ。悪いこともあれば良いこともあるんだから、頑張ろうよ!」といったもの、これは、確かに「波のようなもの」という点に普遍性はありながらも、実際問題どーでもいい言葉である。空虚である。

 その「悪い」ことというのが、どれほどその当人において、悲痛で懊悩たるものだろうか。

 不幸を経験した人は、その自分の不幸と照らし合わせて、他者の不幸をはかろうとする。
 だが、それがいかほどに、当人の苦しみを緩和させるのか。

 苦しみなんてのは、人を殺したいほど憎いと思ったことがある人とない人では分かりあえないように、本当は理解されうるものではないのだ。

 だからこそ、再び「客観的な」アドバイスというものが登場する。「自分の道(人生)は、自分で決めるんだ」というもの。人生は決断の連続だ、的なのでもいい。

 どうでもいいアドバイスだ。時間の無駄だ。そんな、「普遍的な」アドバイスなど、どうでもいい。興味をもてない。

 アドバイスが役に立つとしたら、個々具体的なものでしかない。誰にでも使えるアドバイスなどない。一人ひとり向き合って、そのとき、その瞬間で必要なものでしかない。タイミング……そうこの時機(タイミング)というもの、これが何と重要なことであろうか。

補足:感想や共感は全く別の話である

 僕は本記事で否定したのは、あくまでも、助言(アドバイス)であって、感想や共感は全然違う。他者との関係性がとても重要で、生き生きとしたものになる瞬間である。

 感想等と、助言の違いについては……まぁ書くまでもあるまい。

 時間がなくなってきたので、もう少し絞って書くと、ボトムアップで抽象化をしたいということだ。
 他者の助言というのは、トップダウンである。

 僕は、社会的に、他者的に、客観的に正しくあろうなんて思っていない。思ってはいけないとすら思うが、その理由はいつぞやか書いた気がするが、要は「真理などない」といった「感想」にもとづく。

 だから、僕の書く記事は、あんまし具体的なことが出てこないし、宙に浮いた表現が多く登場したりする。ただ、僕はあくまで、今の自分(実存)を重要視している。どこまでいっても、己として生きるしかない。死んでもいいかもしれないが、どちらにせよ、決めるのは、動くのは、考えるのは自分だ。

 そこら辺の考えに、「お前は人の話を聞かない」と言われる所以があるかもしれない。聞いていないわけではない。
 ただ、「助言」としては聞いていない。ただ単に、「そういった価値観や世界もある」という「知識」として聞いているだけ……という表現が正しいかもしれない。
 世界(人物・事物)を軽んじているわけではないのだ。それは確かに、広大で深遠だ。でもそれがゆえに、自分が理解できる範囲なんてのは、現時点の自分のレベルによるものであるし、「変身」して別人になれるわけでもない。

 上のグラフの、一番下の青が、相当な努力によって、上のオレンジに近づくことはあるかもしれないが、それは決して「飛び級」ではない。「連続性」によるものだ。

 だから、どこまでいっても、僕らは、自分と向き合って生きていったり、死んだりするしかない。それを、「孤独」という表現にするかどうか、それすらも自分で決めたらいい。


(かっこ書きである。この記事は、あまり面白くなかった。でも、必要性はあった。いや記事がどうこうではなく、掲載したグラフを前々から書いておきたかった。自己卑下する人も、したり顔でアドバイスしてくる人も、僕は端的に書けば嫌いだ。ただそれも、「自己の連続性」の理解をしている人であれば、それは反転、面白い人だと思うようになる。「努力しても無駄だ」という人は嫌いだが、僕は、「努力しても無駄だ」と思っている。この矛盾した表現は、「出発点」の問題と、「主観」の理解ができていれば、簡単である。だから、同じことを言っていても、「あいつが言うと何か納得できない」というのは、それは「同じことを言っていない」のである。自分は変えられる――だが、自分というものを再構築することはできない。僕は10代前半ぐらいから当たり前だと思っていたが、いつも、どうにも理解していないのではないかというような人を多く見かける。――まぁそれこそ、他者がどうこうは、あまり重要ではないのだが。ただ、どうしても、知らない人とかと話をすることがあると、本記事のような、僕が「面白い」とようやく感じられるスタート地点に戻って話さないといけないようなことに陥ったりするので、一度整理しておきたかった。でも、あまり整理できたとはいえないし、面白くもなかった。悔しい、びくんびくん。なんだろ、一言で書けないけど、「価値観レベルの助言なんて何の役にもたたない」ということだし、「一方で個々具体的なアドバイスや解決策はとっても大事」だし、「人は現在の自分を無視して変化などできない」のだし、「一方で努力(行動)によって自分など何歳であっても変えられる」のである。まぁでも、飲み会とかフランクなくだけた場において、価値観レベルのぶつけ合いといった会話がなされることがあっても別によいと思うし、絶対無駄だとかそう思っているわけでもない。つまらなそうな顔をしてしまっているかもしれないが。んで、次回かどうか分からないが、一方でこの「価値観レベル」をぶつけ合わないといけない場合もある、ってことを書いておいてもよいかもしれない。一言で予告すると「家族」や「恋人」たる存在の場合)

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