今日の一言「一言じゃあまとまらないよ」「書くことにもう少し意識を戻した方がよさそう」
疲れた。
またしばらくブログを書く時間が取れなかった。いろいろあった。いろいろあったと思うのだけれども、何も思い出せないし、思い出したくもない。
仕事でつらかった夢をみた。いや――夢だったのか、寝る前に思い浮かんで考えていたことだったのか。
起きた後に、それ以上につらい目にあった後輩の話をきいた記憶がよみがえった。なんとかしてやりたいと思ったし、できる限り話をきいて、思ったことを話したりした。
つらかったら、人に話すというのは有効だと思う。
ただ、僕は、その話した人を不快にさせたり、「めんどくさい」と思わせたり、「だったら〇〇したらいいじゃん」と思わせたりすること自体も不快である。
そういう意味で、相談というのは、親身になってくれる人が必ずしもよいとは限らないと思う。そういう意味というのは、「近しい人」であればあるほど、それを「自分(相談者自身)のもの」として感じたり考えたりする。その共感性はとても相談する側としては嬉しいものになることがあるが、それは「負荷」である。
人との関係について、「負荷」という言葉を使うのは、誤っていることは分かっている。
そういう重さも含めて人間関係なのである。
ただ、こういった記事やこんな記事を読んでいると、僕はとても憂鬱になる。
子育てとか、夫婦関係についての記事だ。
インターネットの記事の真偽を論じても無駄であるので、真実が書かれているとして。人の書く文章の感情面における真偽(没入感)を論じても無駄であるので、真実が書かれているとして考える。
それに、お子さんがいる方のお話を聞いたりしていると、上に挙げた記事の内容があながち嘘なんかじゃないことも分かる。 そもそも、友人に相談をしたのは、僕が、「無気力である」という前提で、どうしたらよいか、ということであった。実際、僕は無気力なのだろうか?
もう一つ、よく訪れているブログさんから一つ引用。
いや、実際、上のブログの著者のように、「苦難」が今の僕にあるかというと分からない。
最初にとりあげた子育て系のブログのように、後輩が直面した困難のように、大変なことなんてのはたくさんある。
しかし、「だからこそ」、思うに、人生は、良いこともあれば悪いこともあるのだ。
確かに、その、「悪いこと」を避けるように、「気分の悪い状態」を減らすように努力することはできるだろう。それはある程度――いやそれどころか、とても大きな可能性をもっていて、成果を出すことはできる。
こっからなのだ。いつも、この手の書きたいことを思うと、ここまでの議論というか、話というかでいっぱいいっぱいになり、この先を書けない。
正直、ここまで書いてきた、「日々のたくさんの大変なこと」とか、「気持ちをゆっくり休める方法」とか、「楽しく充実した毎日の送り方」とか、そんなものに、もう僕は興味がないのである。
そんなもの――と書くと卑下忌避しているようだが、その価値を貶めるものではない。
ただ、それよりもっと喫緊の重要なことがある(俺にとっては)ということだ。
しかし、やる気は戻らなかった。
やる気、モチベーション、気力、……。
ひとつ、予定が詰まっていることが嫌な気分を引き起こしている気がする。締め切り……大事なものなのだが、どうにも、自分で決めたもの意外の締め切りは好きではない。
ルーチンとか、ノルマとか、タスクとか、自分で決めたものを達成することはできる。やり通せる。――といいつつ、創作ルーチンはつぶれてしまった。もう一度仕切り直しが必要だ。
音読もたまにやる程度は続けられている。腕振り運動も、毎日500回はできなくなってしまったが、100回は続けられている。
気力、気力、どうしたら戻ってくるのか。
追記:とても縦に長い記事になったため、「続きを読む」を久々に使う。
気持ちがとげとげしたような
とても大切なことは人それぞれあると思う……なんて書き始めは好きじゃない。いや、他者がどうであろうとかいうのは、「自分の悩み」を、一般化して、共感してもらいたいというただの甘えである。疲れた。
またしばらくブログを書く時間が取れなかった。いろいろあった。いろいろあったと思うのだけれども、何も思い出せないし、思い出したくもない。
仕事でつらかった夢をみた。いや――夢だったのか、寝る前に思い浮かんで考えていたことだったのか。
起きた後に、それ以上につらい目にあった後輩の話をきいた記憶がよみがえった。なんとかしてやりたいと思ったし、できる限り話をきいて、思ったことを話したりした。
つらかったら、人に話すというのは有効だと思う。
ただ、僕は、その話した人を不快にさせたり、「めんどくさい」と思わせたり、「だったら〇〇したらいいじゃん」と思わせたりすること自体も不快である。
そういう意味で、相談というのは、親身になってくれる人が必ずしもよいとは限らないと思う。そういう意味というのは、「近しい人」であればあるほど、それを「自分(相談者自身)のもの」として感じたり考えたりする。その共感性はとても相談する側としては嬉しいものになることがあるが、それは「負荷」である。
人との関係について、「負荷」という言葉を使うのは、誤っていることは分かっている。
そういう重さも含めて人間関係なのである。
ただ、こういった記事やこんな記事を読んでいると、僕はとても憂鬱になる。
子育てとか、夫婦関係についての記事だ。
インターネットの記事の真偽を論じても無駄であるので、真実が書かれているとして。人の書く文章の感情面における真偽(没入感)を論じても無駄であるので、真実が書かれているとして考える。
それに、お子さんがいる方のお話を聞いたりしていると、上に挙げた記事の内容があながち嘘なんかじゃないことも分かる。
体力と精神力の低下
上の記事にいろいろ感じるところはあったけれども、全部書いていると、今日も明日も予定があるが、結局消化不良になって、より更に精神状態が悪くなりそうなので、一つだけ引用する。体力、精神力の前借りの話これは育児に限った話じゃないんですけれども、体力って、無限のリソースでないのと同様に、精神力も無限のリソースじゃないんです。デスマーチの末倒れて、10年間の人生を無駄にした自分がいうから説得力あります。
で、無理をすると、無理を出来るんですけれども、それって、実際は、先に使える分の精神力とか体力を先食いしてるみたいなもんなんです。後で返さないといけない。ちょうど、借金して、借金しながら生活するみたいな感じなんです。上の記事とは別に、ある友人と会話したとき、「ちゃんと休むべきだ」とアドバイスをもらった。
ぼくがいっている、いい状態っていうのは、落ち着いたっていうことなんよ。悪い状態は浮ついたっていうことなんだわ。僕は身体感覚としての疲労の有無と、心の浮つきと落ち着きがリンクして感じられている。決して、充実感があるような状態だからよいというわけではないんだわ、僕の感覚では。たのしいぞ、最高だって感じることは、実は心としてはいい状態ではないんだよね。
もちろん、僕も充実しているのは素晴らしいと思う。〇〇をやっていて、最高に興奮するし、楽しいとも思うでも、それを突き詰めて突き詰めてやっていくと、すごく疲れる。でも、たのしいししたいからする。それでいいんだけど、辛くなったら素直にやめるっていうことをする。ようするに、興奮して楽しいことはいいことだけど、いいことじゃないんよ。だから、自分が辛くなったらやめればいいんよ。
なんだろ、本当は落ち着いた状態で喜びを感じることもできるはずなんよ。僕はそうなりたいけどね、〇〇に関しては。充実しているとか無気力っていう測りをいったんおいて、自分の気持ちは、落ち着いているか、それともざわついているかっていう基準で、気分の気持ちをかんじてみたらいいかもしれん。
――友人との会話の一部。
もう一つ、よく訪れているブログさんから一つ引用。
そもそも、何で人生の意味を考えるかというと、それは、今生きてるこの人生が悩み多く苦難も多い日々なので、さっさと自殺した方がマシなのか、それとも、耐えて生き続けるべきか、考えるために、人生の意味を考えているのだ。考えることを放棄して早く片をつけた方がいいのかましれないと自暴自棄になりそうな時も少なくないけれど。――無題感覚としては、こっちが近いと思った。
いや、実際、上のブログの著者のように、「苦難」が今の僕にあるかというと分からない。
最初にとりあげた子育て系のブログのように、後輩が直面した困難のように、大変なことなんてのはたくさんある。
しかし、「だからこそ」、思うに、人生は、良いこともあれば悪いこともあるのだ。
確かに、その、「悪いこと」を避けるように、「気分の悪い状態」を減らすように努力することはできるだろう。それはある程度――いやそれどころか、とても大きな可能性をもっていて、成果を出すことはできる。
こっからなのだ。いつも、この手の書きたいことを思うと、ここまでの議論というか、話というかでいっぱいいっぱいになり、この先を書けない。
正直、ここまで書いてきた、「日々のたくさんの大変なこと」とか、「気持ちをゆっくり休める方法」とか、「楽しく充実した毎日の送り方」とか、そんなものに、もう僕は興味がないのである。
そんなもの――と書くと卑下忌避しているようだが、その価値を貶めるものではない。
ただ、それよりもっと喫緊の重要なことがある(俺にとっては)ということだ。
時間をおいて整理
先週は、早く帰れた日もあった。しかし、やる気は戻らなかった。
やる気、モチベーション、気力、……。
ひとつ、予定が詰まっていることが嫌な気分を引き起こしている気がする。締め切り……大事なものなのだが、どうにも、自分で決めたもの意外の締め切りは好きではない。
ルーチンとか、ノルマとか、タスクとか、自分で決めたものを達成することはできる。やり通せる。――といいつつ、創作ルーチンはつぶれてしまった。もう一度仕切り直しが必要だ。
音読もたまにやる程度は続けられている。腕振り運動も、毎日500回はできなくなってしまったが、100回は続けられている。
気力、気力、どうしたら戻ってくるのか。
追記:とても縦に長い記事になったため、「続きを読む」を久々に使う。
(以下続き)
何かを強く「やりたい」と思うことが希薄化している気がする。とりあえず、こういうときは、何か一つの曲を無限リピートするに限る。今回選んだ曲は↓こちら。
THE PRISONER / LETTER
さらに時間をおいて
優先度を決めよう(唐突)。いろいろごちゃごちゃ、頭の中が整理できないときは、タスクをとりあえず書き出す必要がある。
タスク……言い方がそもそも嫌である。なってない。本当は「やりたいこと」であるべきなのだが。
・仕事
・投資
・創作(小説)
・創作(作曲)
・創作(WEBサイト)
・読書(歴史)
・読書(物理・素粒子・光工学・電磁気学)
・読書(小説・魔獣狩り・夢枕獏)
・読書(哲学・実存主義)
・デート
・ブログ
・インターネット(ブログ巡り)
・食事
・睡眠
・筋トレルーチン
・音読
・腕振り運動
・ゲーム(RTS・RISE OF NATIONS)
・ゲーム(シュタインズゲートシリーズ)
・ゲーム(ペルソナ4・ゴールデン)
・ツーリング・キャンプ
・映像作品鑑賞
・友人とのおしゃべり
(順不同)
とても縦に長いブログになってしまった。
うーん、上に書いたこと、全部、おおよそ、優先度というか、「やりたい度」が均質化してしまっている。
ルーチンは少し除外してもよいかもしれない。筋トレについては、もう歯を磨くレベルで習慣化したので、「タスク」としては除外できそうだ。音読と創作ルーチンはつぶれてしまっている。昔は英語音読・単純計算練習(100マス計算的な)も3か月とか半年とかやっていた時期があったが、それもつぶれてしまっている。が、そっちは復帰させる気があんまりない。
うーむ。
一番下に書いた友人とのおしゃべりだが、得るものがとても多い。自分の意志を、意思を明確にもっていて、人生を自分の力で取り戻し、進んでいこうというエネルギーを強く感じる。学ぶことも多い。多いから、これに時間を多く割当てようか、とも思うが、僕の持論として、レベルがかけはなれた人から学ぶのは相当な精神力を使うので、大変であるし、逆に、体力・精神力を十分にかけられないと、時間帯効果的にあんまり学べないという事態になる。
うーん。
ゲームも、やりたい……のだけれども、やっぱり、時間が1時間~3時間とかまとまってとれないと集中できない。
集中できないとあんまり楽しくない。ゲームに時間を使いすぎて睡眠とかが短くなると、仕事にも影響するし、体調の悪さが悪循環を生む。
同時にいろいろできないんだよな。
頭の切り替えが下手なのである。
ただ、これは持って生まれた性質というのも関係するが、プライオリティ(優先順位)を明確にインプット(銘記)できていないことが原因の大半であることを、もう一度思い出したほうがよい。
タスクを洗い出せただけましか
この記事も、前回記事のように、なんだかまとまらずに不甲斐ない思いである。が、まぁ、書かないとダメだ。
未来も不透明で、自分自身、自己なんてわからないが、一つ確信できるとしたら、俺は、書くことでしか頭を整理できないということだ。
頭を整理、というか、「落ち着く」ということができない。
それは、楽しいおしゃべりやゲームであっても、僕に十分な満足……満足? なのかは分からないが、とにかく、「落ち着いた」感覚を与えることができないのである。何故か?
ここで何故を問うても答えはでないだろうからおいておく。たぶん、このブログが何らかの理由で続けられなくなっても、俺は他のブログを始めるか、ローカルでも書き続けるんだろう。パソコンが無くなっても、紙とペンで書き続ける……そんな気が今はする。
よし決めた。明日も予定はあるが、なんとか時間をとって、ちゃんと書こう。何を書くかはわからないけれども、でも、書こう。明日の予定はなんだか気が乗らないが、不思議と、「書こう」という気持ちになると、少し落ち着いた気がする。不思議だなぁ。
(かっこ書きである。メイドインアビス全話視聴する。あれ、これ13話で終わりだったんだ。13話の最後が、「やけにエンディングっぽい演出するなぁ……。でもまだ物語はじまったばっかりだし、伏線も何も回収されてないしなぁ……それにしてはすごい凝った演出するなぁすごいなぁ」とかって思っていたら、本当に終わってしまった。マジか……騙された感がなんかある(笑)。ええと……この作品、古くから付き合いのある友人(僕が勝手に思ってるだけ)のブログで、「ナナチかわいい」って書かれていて興味をもって見始めた。申し訳ないが、序盤~中盤はそんなに引き込まれていたわけではなかった。絵のタッチもあまり好みではなかった。家で食事するときに食べながらみるのにちょうどいいなぁぐらいに思っていた(シュタインズ・ゲートは正座してみてましたよ!(誇張))。なのであるけれども、迷宮に入ったころから、徐々に面白くなっていった。これまたある友人(僕が勝手に思ってるだけ)がブログで「いやリコはん、それ自殺ちゃいまっか? 周りの友達も応援するとか言うし、死生観渇きすぎやろ」と仰っており、いやはや僕もそう思った。動機はまぁあるのだろうけれども、あまりにも無謀だろうと思った。いや、最初からバーニングファイアーと無茶苦茶頑丈なロボットレグ君をあてにしていたなら少しわかるけれども、一人でも行こうとしていたところが不思議に思った……が、まぁ、少年少女の冒険譚ってそんなもんか、そうしなきゃ物語すすまないし、とか思っていた。まぁそんな序盤はよいのだ。迷宮だ。なんか、キャンプしながら、時に動物を狩ったり、下に下にと降りていくのは冒険って感じで面白かった。けれども、それだけなら、きっとしばらくしたら見たことも忘れてしまうぐらいの作品になってしまったかもしれない。しかしやっぱり、見どころはナナチだと思った。いやそれゆえに、登場から数話して終わってしまったことが物足りなかった。ナナチ……というか、彼女と、その友人とのエピソード、そしてその後の結末……(それは何となく想像できてはいたけれども)。あるシーンでは、つい胸が熱くなり、涙をこぼしてしまった。なんだろう、ベタといえばベタである。そういう境遇というのも、そういう方法というか結末ってのも、すぐに思い出せないけれど、見たことや読んだことある気がする。ただ、なんか良かった。んあー)
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コメント
>歌詞
検索して見つからなかったので、全部手打ちしたので何だか大丈夫な気がしてしまっていましたが、よく考えると何が大丈夫なのかわかりませんね。個人情報、著作権には配慮してきたつもりなのにお恥ずかしいです。ご指摘ありがとうございます!
>優先順位
あ、書こうと思ってかけてませんでした。この一覧は順不同です。適当にあげていって、関連するのはグルーピングしただけですね。
といっても、最初に仕事が浮かんだのは、確かに事実なのかも……。
検索して見つからなかったので、全部手打ちしたので何だか大丈夫な気がしてしまっていましたが、よく考えると何が大丈夫なのかわかりませんね。個人情報、著作権には配慮してきたつもりなのにお恥ずかしいです。ご指摘ありがとうございます!
>優先順位
あ、書こうと思ってかけてませんでした。この一覧は順不同です。適当にあげていって、関連するのはグルーピングしただけですね。
といっても、最初に仕事が浮かんだのは、確かに事実なのかも……。
posted by endoat 2017/10/22 08:07 [ コメントを修正する ]
順不同でしたか、がってんしました
歌詞については、ダメだと思っているわけじゃないんですよね
ただ、外部からがやがや言われて嫌な思いをする前に、消しておいたほうがいいかなって思ったのです
歌詞については、ダメだと思っているわけじゃないんですよね
ただ、外部からがやがや言われて嫌な思いをする前に、消しておいたほうがいいかなって思ったのです
posted by QUWEat 2017/10/22 09:25 [ コメントを修正する ]
一番仕事の優先順位高いな
もっと創作の優先順位上げてもいいんじゃないのかな