今日の一言「スマホからなど違う環境でも書けるようになった方がよい」
明日は、せめて、8時ぐらいには目覚めて、何か有意義なことをしたいものだ。
完璧な行動を相手に求めるということを、仕事を教えるということであるならば、それはもうプログラミング、ロボットの方が適しているということになると思います。RPAという、パソコンでのルーティン操作を自動化してくれるソフトウェアも広がりを見せているようです。
判断をする、というのは、確かに人間の最も人間たる能力であるように思えますが、僕はそれには懐疑的な面があります。受動意識仮設とか。無意識が意識に与える影響といったフロイト氏の話ではなくて、物理的接触が多いほうが親密になるとか、そういった人間の機械的(物理的)な面の話に惹かれるものがあります。
かといって僕は、人の情緒的な面を捨てきれない、というか逆に求めている面があります。
要するに、人間という存在については冷酷であると思いながら、人間の理想というものは信じているという、相反する心情というわけです。
仕事の話に戻せば、「考えてやれ」というのは、もう少し分解できる言葉に思えます。
あ、その前に、仕事の場合、「答え」がある場合と、ない場合があり、果たしてその上司同僚たる人が、「考えてやれ」と言って指示したのは、まずどちらかを考える必要があります(――という、考える前に考える必要があることを、実は教えてくれる人は少ない)。
答えがある場合は、その答えにたどり着くための方法を「調べろ」という意味に分解できます。答えがあるのだから、「答え」を考える必要はないのです。答えにたどり着けばいいのです、それが求められていることなのです。でなければ、答えを教えてくれたらいいのに、あえて教えない理由がありません。
答えがない場合――もしくはその指示した人自身が持ち合わせていない場合も往々にしてあります――は、答え自体を作ってほしいということです。もしくは、答えにする(要するにこれが判断するということ)ための材料を集めてほしいということです。
ロボットの話につなげると、答えがあることについては、さっさとプログラミングするかRPAに教え込ませて、自動化したほうが、引継ぎで面倒なことになるとかそういったことも防げて、どんどん人がいらなくなって効率化するでしょう。
まえがき
最近、休日、よく寝てしまう。何時間も。たまに目が覚めてトイレに行ったりするが、戻ってきたらまた寝てしまったりする。目を覚めさせようと、漫画を読んだりする。しばらく読んでいて、そしてまた眠くなって寝たりする。勉強のための本(テキスト・参考書)を読んだりする。眠くなって寝る、そんな繰り返しで、もう日は暮れている、というのが続いている気がする。明日は、せめて、8時ぐらいには目覚めて、何か有意義なことをしたいものだ。
コメント返信
忖度も気遣いも同じようなことで
相手がこう思っているだろうな、という推測の元の行動であり(というか忖度というのはパワーバランスが一方に傾いていて、弱い立場にいる人がすること)、本当かどうかは動いてみないとわからないことでもある。
人の本質・性質の6要素たる、強者は弱者に配慮する、と関連する内容に思いました。そして仕事でも同じ。新しい仕事を始めた時は「~しといて」といわれても、と、わからないことだらけであり間違っていたり、失敗したら困るのであんまり動けない人が多いと思います。(てか、僕もそうです)だから僕は仕事に関して「考えてやれ」というのはある部分では宜しくない言動だと思います。というのも仕事に関する情報が少ない場合であれば考えて行動するための元がないということになりますからね。ただ、ある程度、慣れている人に関しては考えてやって欲しいという希望や期待というものが生まれるということに関しては否定しないですが。だから、本来(希望か期待か)はできる人ができない人に対する理解を示すという行動、思考が必要なのだと思います。それと最後にあとがきに対しての返信ですがある次元においては生きる意味のないことは分かっていると仰っていました。それを見る前は次の結論部分を書き込むことを躊躇っていたのですが書き込んでもいいかなと思えました。次の内容としては「葛藤」についてですかね。
完璧な行動を相手に求めるということを、仕事を教えるということであるならば、それはもうプログラミング、ロボットの方が適しているということになると思います。RPAという、パソコンでのルーティン操作を自動化してくれるソフトウェアも広がりを見せているようです。
判断をする、というのは、確かに人間の最も人間たる能力であるように思えますが、僕はそれには懐疑的な面があります。受動意識仮設とか。無意識が意識に与える影響といったフロイト氏の話ではなくて、物理的接触が多いほうが親密になるとか、そういった人間の機械的(物理的)な面の話に惹かれるものがあります。
かといって僕は、人の情緒的な面を捨てきれない、というか逆に求めている面があります。
要するに、人間という存在については冷酷であると思いながら、人間の理想というものは信じているという、相反する心情というわけです。
仕事の話に戻せば、「考えてやれ」というのは、もう少し分解できる言葉に思えます。
あ、その前に、仕事の場合、「答え」がある場合と、ない場合があり、果たしてその上司同僚たる人が、「考えてやれ」と言って指示したのは、まずどちらかを考える必要があります(――という、考える前に考える必要があることを、実は教えてくれる人は少ない)。
答えがある場合は、その答えにたどり着くための方法を「調べろ」という意味に分解できます。答えがあるのだから、「答え」を考える必要はないのです。答えにたどり着けばいいのです、それが求められていることなのです。でなければ、答えを教えてくれたらいいのに、あえて教えない理由がありません。
答えがない場合――もしくはその指示した人自身が持ち合わせていない場合も往々にしてあります――は、答え自体を作ってほしいということです。もしくは、答えにする(要するにこれが判断するということ)ための材料を集めてほしいということです。
ロボットの話につなげると、答えがあることについては、さっさとプログラミングするかRPAに教え込ませて、自動化したほうが、引継ぎで面倒なことになるとかそういったことも防げて、どんどん人がいらなくなって効率化するでしょう。
あとがき
(かっこ書きである。時間切れのため強制終了。「葛藤」ということについて、次回書きたい)PR