今日の一言「余裕は割とあったはず」
精神的な張りつめも緩かったように思う。
にも関わらず、ブログというか、イラストに対してのモチベーションはそれほど高くなかった。
とはいえ、イラストは、描き始めると、ゆうに1時間は超える。
1時間が超えて、以下のようなぐらいしかできないのだが……。
というか、おそらく、イメージがいまいちなんだとは思う。
絵を描くというのは、思考イメージを具現化するのによい訓練だと思う。
絵の下手な人の特徴……ということで、大きく三つ挙げられていた。
まず資料を見ないこと。何も見ずにかくというのは、全然すごいことではないということ。ちゃんと資料をみて、方向性(かっこいいのか、かわいいのか)などを定めようということだ。
もう一つは、絵を寝かせること。できあがった瞬間は、テンションがあがっているので、直すべきところを見つけられない。冷静になると見つけられる。ただこれは、プラスアルファというよりも、普通ならば気づけた、今の自分の能力に応じた部分の修正ができるということ。
最後に、個性をなくすこと。これについては、賛否あるということだが、説明を聞いていたら、なるほどなと思った。これは一言で説明すると本質が消失するのであえてかかない。動画をみてみることをおすすめする。
上のようなことは、イラストの分野だけではないよなぁと思った。小説でも同じような気がした。
まえがき
先週のだるかった土日に比べて、13時ぐらいには起きられていたので、今週は余裕があったといえる。精神的な張りつめも緩かったように思う。
にも関わらず、ブログというか、イラストに対してのモチベーションはそれほど高くなかった。
とはいえ、イラストは、描き始めると、ゆうに1時間は超える。
1時間が超えて、以下のようなぐらいしかできないのだが……。
椅子に座るイラスト
ぜんぜん、こうイメージしたのをアウトプットするというのができない。というか、おそらく、イメージがいまいちなんだとは思う。
絵を描くというのは、思考イメージを具現化するのによい訓練だと思う。
絵の下手な人の共通点
プロのイラストレーターさんの動画をみた。絵の下手な人の特徴……ということで、大きく三つ挙げられていた。
まず資料を見ないこと。何も見ずにかくというのは、全然すごいことではないということ。ちゃんと資料をみて、方向性(かっこいいのか、かわいいのか)などを定めようということだ。
もう一つは、絵を寝かせること。できあがった瞬間は、テンションがあがっているので、直すべきところを見つけられない。冷静になると見つけられる。ただこれは、プラスアルファというよりも、普通ならば気づけた、今の自分の能力に応じた部分の修正ができるということ。
最後に、個性をなくすこと。これについては、賛否あるということだが、説明を聞いていたら、なるほどなと思った。これは一言で説明すると本質が消失するのであえてかかない。動画をみてみることをおすすめする。
上のようなことは、イラストの分野だけではないよなぁと思った。小説でも同じような気がした。
あとがき
(かっこ書きである。前にコメントも頂いたが、続けることは大事だと思う。最近のイラストの話でいけば、描き方講座とかみて、新しい発見だらけである。んで、そういう知識を実際にいかすことができるのかどうか、実際にペンタブ広げてやってみると、技術との乖離がすごいことが分かる。ほんとにうまくなれるのか……いやになってくる。――嘘である。いやになるほどまだまだ全然描いていない。とはいえ、アップロードしているもの以外にも実は描いているものはある。クリーチャーもしくはワールドエンド状態になっているため、公開がはばかられるものなのである。いままで挙げてきた作品は、いちおう、自分の100%に近いできばえである。だからまぁ、下手なのは仕方がないと割り切れる。だが、30%ぐらいの出来栄えの奴は、挙げられない。そういうものである。その「差」が、プライドというものなのかとふと思った。プライドの数値化。本当はこれくらいはできるのだ、その思いが認められないとき、「プライドが傷つく」という状態になるのだろうか。であれば、「本当はこれくらいできるのだ」というのを、低く、小さくすれば、生きやすい状態になるのではないだろうか。しかし、その「本当は○○……」というのは、別に理屈上で思っているものではなく、深層心理的に生じるものである。だから、それを騙すというか変えるのは簡単ではない。というか、たぶん、無理だと思う。それは、周囲の人から、そうじゃないといわれても、簡単に認めることはできないものだと思う。プライドというのは、自己の一部なのだと思う。自己が失われたとき、そこに、自分自身は存在しないのではないか。例えば不老不死になったとして、数億年生きたときに、はたして、変わらない自己というのは存在しているのか。もし自己が変質しているのであれば、それは、生きているといえるのか。別人になってしまったのではないか)PR
私も学生時代に授業中、ノートや用紙の端によく落書きをしていたりしましたが、誰かにあげたり、自分のサイト等にアップロードしたり、「人に見せても良い」という思いを持って描いた絵以外は公開しようとは思わないのですよね。
紙に向かって手癖で落書きする分には結構あれこれ描いたりできるんですが、公開する用に描こうとすると手が止まってしまったり、公開するにはどこか気に入らなかったりして、破棄こそしないけれど手元に置いておくに留める。
こうした、「誰かに見せても(見られても)良いと思えるもの」に、少なくとも自分の中では出来ていないとイラストにせよ小説にせよブログ記事にせよ更新できない性質なのですよねぇ……。
そしてそれ故に頻繁に更新するのが苦手で、億劫になっていくという悪循環も……。