今日の一言「22時頃帰宅」
そうして、うまくコミュニケーションが取れなかったことに、さらにイライラするという、「僕あるある」である。
「よい自分」
を演じなければいけないという強迫観念があるから、そもそも、コミュニケーションが好きではない、という自分に対しての分析評価は外れていないと思う。
ただ、アナ雪のようにありのままでいるわけにはいかないのだ。――いや、そもそもそういった表現が無限遡及なのだ。意味があるものではない。いやだって、ありのままでいいなら、「よい自分を演じられなくてイライラしている自分」のだって、ありのままで良いじゃないか、となるのだから。ありのままでいい、というのは、何も表現していないことに他ならない。せいぜい、「その局面では感情に従ったっていいじゃないか」レベルの話だ。
FC2ブログをご使用と思いますが、左下の方の、ツールのところの「データバックアップ」から、全記事の一括バックアップができますよ!(ご存じでしたらすみません)
ただ、全部消えてしまった後に、再度アップロードするか、する気持ちになるか、というのは確かに別ですよね。膨大すぎて自分でも何を書いたか(読めば思い出すものもあるにせよ)管理しきれませんし……。
面白い!! ――ですが確かに、手動感あふれてますね(笑)。
――というよりも、「ログイン」というのが、そもそもPCへのログインのことですかね。なるほどそれであれば納得。PC初期化までする、というのは、ミッションインポッシブル的で面白いですね!
まぁ、死後に傷つけられて困るような大層な名誉などないので、そんな心配は杞憂と思いながら、死後を思えるというのも、やや矛盾ですが生きているからこそですね。
死んだらすべて無になる――という死生観だとしたら、死を恐れることすら不要なはずなのに、死後を憂う。不思議な気がします。
まえがき
上司からの話に対して滅茶苦茶不機嫌というかマイナスの様相で返答をしてしまった。先日も、「そんなことまでさせられたら困ります」的なことを言ってしまった。めちゃくちゃ、イライラしていたのだ。タイミングが悪かったのである。別件仕事で上手くいかないことがあり、イライラしていたのだ。状況がよくなかったのである。そうして、うまくコミュニケーションが取れなかったことに、さらにイライラするという、「僕あるある」である。
「よい自分」
を演じなければいけないという強迫観念があるから、そもそも、コミュニケーションが好きではない、という自分に対しての分析評価は外れていないと思う。
ただ、アナ雪のようにありのままでいるわけにはいかないのだ。――いや、そもそもそういった表現が無限遡及なのだ。意味があるものではない。いやだって、ありのままでいいなら、「よい自分を演じられなくてイライラしている自分」のだって、ありのままで良いじゃないか、となるのだから。ありのままでいい、というのは、何も表現していないことに他ならない。せいぜい、「その局面では感情に従ったっていいじゃないか」レベルの話だ。
コメント返信について
なんと嬉しいことにさらにコメントを頂いたので、過去コメントに対しての返信は、またお休みさせていただき、直近コメントに対して書く。それ以前の記事データはバックアップしていないものも多くあるように思いますし(かと言って全部ログのバックアップを取っていくか、というとそれも面倒)。
それに、ログを取れているからといって、消失した部分の期間にもよるでしょうけど、全部投稿し直す気があるか、というとまた別の話な気もしてきますし。
FC2ブログをご使用と思いますが、左下の方の、ツールのところの「データバックアップ」から、全記事の一括バックアップができますよ!(ご存じでしたらすみません)
ただ、全部消えてしまった後に、再度アップロードするか、する気持ちになるか、というのは確かに別ですよね。膨大すぎて自分でも何を書いたか(読めば思い出すものもあるにせよ)管理しきれませんし……。
だいぶ前だったと思うのですが、「一定期間放置していたら自動的に各所へ自身の死亡(あるいは引退等)を伝えるプログラム(あるいはPCやストレージ内容の初期化)」みたいなものを見かけたことがありました。正常、というか普段の生活が維持できていて、生きて活動している間はその自動プログラムのタイマー設定を適宜引き伸ばして行く、という手動感溢れる手間のかかるものだったので自分でやろうとはあまり思えなかったのですが。
面白い!! ――ですが確かに、手動感あふれてますね(笑)。
他にも、「ログイン画面が遺書や遺族・友人へのメッセージ的なものになっていて、本人しか知らないログイン操作以外の何らかの入力あるいは選択肢を選ぶと遺書やメッセージの続き、死亡連絡をして欲しい各所の情報などを表示しつつPCデータを初期化する」おぉ、そういった仕組みもあるんですね、面白い……と思いつつ、後者の仕組みは具体的イメージがわきませんでした(苦い笑い)。本人が使っていたサービスのログイン画面までは、何らかの方法で周囲の人がたどり着ける前提……ということでしょうかね。
――というよりも、「ログイン」というのが、そもそもPCへのログインのことですかね。なるほどそれであれば納得。PC初期化までする、というのは、ミッションインポッシブル的で面白いですね!
まぁ、死後に傷つけられて困るような大層な名誉などないので、そんな心配は杞憂と思いながら、死後を思えるというのも、やや矛盾ですが生きているからこそですね。
死んだらすべて無になる――という死生観だとしたら、死を恐れることすら不要なはずなのに、死後を憂う。不思議な気がします。
あとがき
(かっこ書きである。「死」という話が出たが、おそらく、仕事なんかしているよりも、もっと、もっといえば、最も重要なんじゃないかと思うぐらい大事な概念に思える。トップダウンで考えろとか、ゴール(目標)から遡って考えろとか一般に言われるが、最大のゴールってのは、「死」だと僕は思っている。これは割と早いころから。中高生ぐらいかなぁ。これは幸せなことである。日々死と隣り合わせの生活の場合は、そんな風に思うことはできないはずだ。死がすぐ目の前にあるのだから、今生きること、生き延びることだけが重要になるはずだ。一方で、安全が担保され、死が遠ざかったとき、人は何を望むのか。もっともっと死を遠ざけたいと願うはずだ。もっと安全に、もっともっと安全に。そうすることで、もはや、一日や二日ぐらいでは、死は誰にでもやってくるものだという自明の理を信じることができないまでになる。さぁどうしよう、それが現代病である。ところで、昨日、リアル知人に知らせる動機がないと書いたが、そういった心情を、分人的だとか、キャラだとか、選択的だとか、そんな風に、心理学や社会学ではいうようだ。そういう分析は、おうおうにして、異質なものに対する興味というか、批判的ニュアンスをもつような気がするのは被害妄想なのかもしれないが、「自分を使い分ける」ということ自体は、特段昔からしても、目新しいことではないように思える。家での顔、仕事の顔、父の顔、(親に対して)子供の顔、など、状況や他者によって、見せる自分というのは変わってくるのである。これは別に、新しいことではない気がする。いえることがあるとすれば、SNS等ネットによって、他者存在のバリエーションが増えて、同世代の中でも見せる自分が異なってくるような、そうした島宇宙化というかガラパゴス化というかは起こっているのだろう。それが即ち人間関係の希薄化に紐づけたいヤカラとか、リアルコミュニケーションが非リアルに勝る論者とか、そういうのは若者言葉で言えば「うざい」と思う。大人言葉で言えば、「面倒くさい」になるだろうか。意識高い系言葉で言えば、「無駄」)PR
なんか久しぶりですね。忍者ブログ結構不安定なこと多くって、またかと思ってたんですが、今回は長かったですね。遠藤さんがこのブログを消すわけないと思ったので、待ってました。治ってよかったです。
ぼくが死んだらぼくのPCのデータ削除は遠藤さんがやってくださいwwwwwwwww