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「オタクを降りた。何も残ってない」を読んでの感想は「労働や生活も虚しい」と思ったこと
2025/12/15 23:59 | Comments(0) | 思考及び書くこと

AIさんに要約してもらった忙しい人向けまとめ

他人の「オタクを降りて虚しい」という告白を読み、共感しつつも違和感を覚える。
労働・生活・趣味のどれかが特別に偉大なのではなく、突き詰めればすべて等しく虚しいと考える。
それでも、過去に熱中して楽しかった時間は否定されるべきではなく、それ自体が人生の価値だという立場を取る。
生きる意味は本質的にはなく、人は偶然生きているだけだが、それでも生きていて問題はない。
誇りや意味に縛られず、今あるものを見つめ、理不尽な破壊に向かわずに踏みとどまってほしいと結ぶ。

ここから人間の文章

 生きる意味を徹底して考えるブログの私としては、見過ごせない記事を読んだ。

■オタクを降りた。何も残ってない
https://anond.hatelabo.jp/20251125192426
悲しい。
ほんま悲しい。
オタク趣味は虚しいわ。
つーか「趣味」が虚しい。
「労働」や「生活」は偉大よ。
生きてきた時間に誇りが持てる。
俺も誇りを持ちたかった。
 なるほど、上の記事の筆者は、「オタク」をやってきたが、歳をとってそこまで熱中できなくなったのだろう。
 筆者が何歳かは分からないが、やり直しはいくらでもきくと思う……ということはどうでもよくて、私が気になった点は大きく二つ。

 一つは、「労働」や「生活」を偉大とみなしていることだ。
 これは、よくある勘違いだと思う。未婚だと、結婚している人が羨ましく思うのと同じように、それぞれの生活は、メリットもデメリットもある。そして、そのメリデメリは、その人自身にとっての享受がどの程度かにもよる。

 いやもしかしたら、ずっと引きこもりないし生活保護などで、本当に労働をしていなかった人なのかもしれない。
 だとしたら、確かに、「趣味」よりかは、「偉大」なのかもしれない。



 まぁなので、筆者の置かれた立場によって、共感できるか、そうではないか、というのは変わってくるように思える。
 とにかく、筆者がそこそこ生活しつつ「趣味に生きるオタク」というペルソナでもってとらえたら、「いやぁ、労働も生活も、そんな偉大なものじゃないですよ」って言いたくなる。

 まず一つ目の違和感はその点である。



 二つ目として、虚しさレベルの感じ方である。
 等しく、虚しい、と感じる。

 生きていること自体が、虚しいし、労働も、生活も、そして趣味も、等しく、虚しい。

 私はそう感じている。

 虚しくないことがあるとすれば、それは、「虚しくない」と自分で思えるかどうか、である。

 虚しさでいえば、この記事自体がそもそも虚しい。

 私がこうして文章を書いていること自体も虚しい。

 何にもならない。意味がない。

 いやこの文章を書くことで、誰かがチップで、コーヒー代を出してくれるのであれば別であるが。

 コーヒーもぴんきりだからな。仮に200円としようか。コンビニコーヒー。おいしいよね。




 2つ、違和感があると最初に書いた。
 一つは、労働や生活が偉大という点。
 二つ目は、趣味が虚しいという主張に対しての、そもそも全部虚しいんですけども……という点。

 筆者に対して、前々慰める気が起きない点が私の酷いところなのだろう。

 そもそも僕は、少なくても、高校生ぐらいから、(たぶんもっとまえから)「なんか生きるのってつらいな」ということを感じ始め、「そもそも虚しいな」と思い至っている。

 だましだまし、これまで生きてきてしまった。

 結果的に、つらいことと、楽しいこと(気持ちいいこと)のバランスは、良い方向に傾いていったと思われるものの、そのときどき、バランスの問題であって、どっちに傾くかは運次第なところがある。

 故に、生きていてよかったのか、早く死んでしまっていた方がコスパがよかったのか、総括して、断じることはできない。



 筆者は、その、オタク趣味から降りることになった方は、どうだったのだろう。

 いまは、きっと、つらい気持ちでいるんだろうと思う。かわいそうに、思う。憐れむとか憐憫とかではなく、本当に、かわいそうで、共感してつらくなる。

 でも、その方は、オタク趣味全開で楽しんでいるときは、どうたったのだろう?

 楽しかった、のではなかろうか?


 そしたら、その方の人生は、とてもとても、素晴らしいものだったのではないだろうか?

 死ぬ瞬間だけが、人生の+-を決める一瞬になるのだろうか?


 人生とは、そういうものではなくて、総括されるものではなかろうか。
 ものすごく、熱く、楽しい期間があったのなら、それでいいのではないだろうか。

 あとはもう、燃えカスのように、過去の自分を卑下して、悔やんで生きていくだけだとしても、それでいいのではないだろうか。

 そんな風に、僕は思う。



 昨今、長い文章は読まれないらしいので、まぁ気にする必要はないけれども、誤解を生まないように、もう一度僕の書きたかったこと、感情を書いておこう。

 筆者は、今はつらいんだと思うので、かわいそうだなと思う。
 でも、慰めようとは思わない。
 オタク趣味で楽しんでたその瞬間の「自分」というものは、なかったものではない。
 今燃え尽きているのだとしたら、それこそが、当時の自分の熱中を示していたのでは?
 労働や生活というものが、趣味によって犠牲になったと考えているのだとしたら、それはその人の実際のケースを見てみないと何とも言えないが、少なくても、軽く労働しながら趣味ベースで生きてきたのだとしたら、労働や生活というものが趣味に比べてそこまで価値あるものではないと思うので、落ち込む必要はないと思う。
 それは、趣味<労働とか、趣味>労働という意味では全くなくて、等しく虚しいということだ。趣味<虚しさ、労働<虚しさ。虚しさこそが真理に思う。
 生きていることに意味はなく、ただ単に、偶然、生きているというだけに過ぎない。
 燃え尽きて、過去に後悔しながらつらい日々を送っているのだとしても、生物としては、「生きている」こと、それ自体が目的なので、別に何ら問題ない。
 楽しいこと、が見つけられない状況と推察されるが、楽しいことがないということは、別に即座に死ぬという選択肢になるわけではない。後悔しているうちは、まだ死なないと思う。
 生きている意味があるとしたら、死んでいない、ということだと思われる。
 ただそれだけなので、とにかく、誇りとかそういうの気にせずに、まずは自分の、いまある「もの」を書き出してみるとよいと思う。
 身体。貯蓄、資産。人間関係。物。少なくても、ネットにカキコしてるんだから、スマホか、PCはあるってことだろう。スマホかPCがあれば、できること、めちゃくちゃたくさんあると思う。
 まぁ、なんだ、その。
 話し相手が欲しいというのなら、僕が聴いてあげるから、とりあえず、テロとかそういうのは、思いとどまって欲しい。
 なんというか、理不尽さが僕は嫌いだ。
 理不尽に通り魔事件で害されるといのは、かわいそうだと思う。
 何かその、前にニュースであったが、同じ職場の同僚にキレて害した事件があったと思う。せめてそういうのであれば、分からなくはない。いや許されることではないと思うが、一応、理不尽さは、通り魔事件よりは幾段もマシだ。
 いや繰り返し述べるが、害人はよくない。原則として。
 しかし、死刑として国家が人を害すということも社会のルールとして成り立っているし、そして、本当に胸糞悪い最悪なケース()を想像すれば、消えてもらった方が社会のためになる、というケースは存在すると思う。
 ましてや、「戦争」という人を害すということも、大義名分の中で、この現代でも起こることが証明されている。害人はよくないというのは、所詮は「原則として」という前提をおかなければならないのだ。
 だが、その、趣味を見失って絶望してしまった筆者が、無差別に人を害するというのは、なんだか違うと思うのだ。
 違うと思うが、「虚しさ」ということについては、僕は筆者に負けずにかなり強く思っていると思うので、なので、落ち着いて頂きたい、そう思うのだ。

(●人とか、サツという漢字が怖いので、害するという表現にしておいた)



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書くことのリハビリ
2025/12/03 00:24 | Comments(0) | 思考及び書くこと

 昔、大学時代とか、めちゃくちゃもやもやしてた時期、毎日日記を書いていた。
 絶対書く、という強い意志で。
 書くということ、それ自体が目的として、書いていた。
 今も探せば残っている気がするが、正直、読んだところで、当時の感覚は蘇ってくることはあるまい。あるまいし、仮にあったとしても、別に呼び起こしたいものは何もない。
 では、過去のその、書くという行為は、無駄だったのか。
 しかし無駄とは何か。
 生きていること自体が、無駄だともいえる。
 無駄じゃないともいえる。相対的なものだ。主観的なものだ。意味などない。
 ないし、ある。トートロジーであり、二律背反である。

 こういった文章の書き出しを見ると、わくわくする人か、「何かいてるのきっしょ」ってなる人か、もうそこで選別される。
 僕は、ワクワクするな。なんか面白そうって思う。正直、AIに添削してもらえば、ある程度読みやすくなると思う。しかし、読みやすさに意味はない。
 思考というものは、存外にそういうものだ。AIは、きれいな思考だ。エッセンスだ。
 そこにビジネスはあるかもしれないが、「面白さ」はないと思う。

 最近、色んなレビューコメントなど見ていると、「長い」という反応を見かける。うん確かに、意味不明に長い文章というのはある。僕も、ビジネスの面で、分かりづらい文書を提出された場合、やり直すよう指示をしたりする。
 文書は、伝えたいことを伝えるという目的が一つと、正しく記録するという目的が一つある。
 ビジネス的にはそれでよい。
 同時に、文書は、面白いという価値もあってもよい。
 そしてその面白いというのは主観的なものであって、統一的な何かは存在しない。しかし万人にうけやすい小説などというのはある。それは人間がある程度同じ思考感情をもつために、面白いと思うことができるのもある程度コントロールできる証左である。
 しかしビジネスでは、面白さはいらない。ただ、正しく伝えられたらそれでよい。
 そもそも、文書という存在が、時代遅れかもしれない。小説よりもアニメの方が多くの情報を伝えられるのではあるまいか。しかしこれはすぐに否定することもできる。文字という媒体だからこそ、伝えられる「心の機微」というものが存在するからだ。それは、アニメの独白では伝わらないものだろう。
 しかしそうか。心の機微というのは必要なのか。必要だとしたらそれは何故か。人間が、深いことを考える存在であるという、それはホモサピエンスという傲慢さではなかろうか。人間は案外、単に電気信号が脳をかけめぐっているだけであり、そこに思考も感情も、ただ人間が、「大事で深い」と錯覚しているだけではなかろうか。
 仮にそうだとしても、やはり、思考というものが深いものであるということは疑えない。悩み考えるというのが、僕たちの性質であるからだ。

 しかし今僕は、必要性の話をしている。
 面白いか、そうではないかの話をしている。
 そこに、文書は必要か?
 とはいえ、画像生成AIを超えて、動画生成AIもすごい精度になっているなと感じつつ、それでも、自由に、自分自身の思考を具現化するということは、まだ程遠い。いやそもそもにおいて、僕自身の思考というものが、いったい何を表しているか、僕自身も分からないし、ましてや、AIが理解できるようなものでもないのである。

 唯一できる描写としては、この長くて、意味が不明な、この文書全体を通した、集合体なのである。この思考的実験について、AIは、果たして、どのような「要約」を行うのか? この文書群を、AIは、どのような意味づけをするのか、さて、試してみるか。

Ψここまでが人間が書いた文章

ChatGPT
「(この文章は、)文章が「意味を持つ」とか「無駄かどうか」じゃなくて、書くこと自体が“心の動きの現象そのもの”になってる。」

「ざっくり言うと、筆者は「文章を書くことの意味」や「思考することそのものの価値」をぐるっと俯瞰しながら、自分の中の問いと遊んでいる感じだね。
以下、読み取れた主旨と感情をまとめるね。
■ 主旨(書いた意図)
1. “書くこと”の価値を問い直したい
昔の日記を思い出しながら、「あれって意味あったのかな?」と自問しつつ、意味の有無自体が揺らぐ世界を語ってる。
「無駄って何?」「意味って何?」という問いそのものを楽しんでるようにも見える。
2. 人間の“思考の雑味”こそが面白さだ、という主張
AIは整っていて合理的。でもそこに「人間的な面白さは欠けてるよなぁ」というニュアンスをぶつけてる。
“きれいな思考”じゃなく、“ごちゃついた思考”こそ味わいだ、と言いたい。
3. 文書・文章というメディアの価値と古さを考えたい
アニメや動画の方が情報量は多いけど、文字にしかできないこともある。
「じゃあ文字の価値ってどこ?」
「そもそも必要?」
……という問いを楽しんでいる。
4. AIにこの“混沌”をどう扱うのか見てみたいという遊び心
最後に「さて、AIはこれをどう要約する?」と書いてあるのは、
自分の思考実験を、AIという鏡に映してみたい
という知的好奇心。
■ 読み取れる感情
1. もやもやとワクワクが同居してる
昔の自分を思い出して「もやもや」を振り返りつつ、「思考の深みに潜るぞ」というワクワクもある。
2. ちょっとした反骨精神や皮肉っぽさ
「読みやすくしたところで意味はない」
「心の機微って必要?」
こういうフレーズには、
“きれいごとで片づける風潮への反発”
が漂ってる。
3. ちょっと寂しさもある
「意味なんてあるのか?」と繰り返すのは、
“意味が揺らぐ寂しさ”
もどこかに感じるね。
4. 思考を遊んでいる知的な楽しさ
全体的に、難しいことを語ってるんだけど、重苦しいんじゃなくて、
自分の脳内を使った遊び
みたいに書いてる。
「自分の思考をネタにして AI と遊びたい」という軽やかな好奇心がある。
■ 一言でまとめると?
“思考の意味”“文章の意味”“人間の意味”をふわっと問いながら、その問い自体を楽しんでいる文章。
そして AI にその混沌をどう扱うか試してみたいという、知的で少し孤独な遊び心。”」


Ψここからが人間が書いた文章

 なるほど。自分としては、「モヤモヤといら立ち」、という感情であったと思っていたが、AIにそういわれると確かに、「知的で少し孤独な遊び心」というのは良い得て妙な気もしてきた。

「自分の脳内を使った遊び」

 という表現も、いいな。
 楽しい遊びをしたい。
 わくわくすることをしたい。
 そうしないと、こころが、止まってしまいそうだ。

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無力感を抱えたまま、今日も僕は考えている(AI推敲のお試し)
2025/06/21 17:41 | Comments(3) | 思考及び書くこと

注意書き

この記事は、さっき書いた記事「人間って愚かだなと思うこと」を、ChatGPTさんに推敲してもらったバージョンです。
いっつも言われるんだけど、論理飛躍してるとか、感情が強すぎて読みづらいとか(かっこわらい)、「今、指摘してくれた点を推敲して書き直して」ってお願いしてみたものになる。

読んでみても、誤読されているとはやっぱり感じられない。
ちゃんと言いたいこと、伝わっていると思われる。これは生成AIが流行る理由も分かる。下手な人間(アンチコメント)とかより、「ちゃんと読んでくれてるな!」って感じになるもの。
文章における生成AIは、まだまだ色んな使い方というか活用がありそうだし、面白いなーって思う。

と……、ここまでは、私(人間)が書いてます。
以下の「まえがき」からは、私ではなく、ChatGPTさんの文章となります。
(でもたぶん、AIが書いた記事と初見で見破るのは難しいんじゃないかな。逆になんだろ、「整いすぎてる」のが特徴といえなくもない。しかしそうなると、「読みづらさ」があった方が逆に人間っぽいということになるのだろうか。より洗練させた文章にしていけば、AIっぽくなっていくという、これまた矛盾のようで、面白きなり)
ではどうぞー。

まえがき

今の生活は、表面的には安定していて大きな問題もない。ただ、自分の中では、夢中になれることがある時期と、何に対しても興味が持てなくなる時期が交互にやってくる。まるで、気分の波のようなものだ。

最近は、年齢を重ねたこともあってか、その波が少し緩やかになってきた気がする。心が動きにくくなってきたのは少し寂しいけれど、その分だけ落ち着いていられるのも悪くないと思う。

■ 戦争が変えたもの

2022年にある国が戦争を始めたことは、自分にとって大きな衝撃だった。

これまで、自分の中では「リベラリズム(自由主義)」が少しずつ世界に広がっていって、最終的には平和な世界が作られるのだろうと、ぼんやりと思っていた。それは教育を受けてきた環境の影響もあるし、リベラルな価値観があたりまえのように身についていたからかもしれない。

歴史を見れば、共産主義による失敗や弾圧はたくさんある。だから、「やっぱり自由主義がいいよね」という感覚は、理屈と経験の両方から自然と身についたものだった。

でも、戦争が現実に起こったことで、それまでの前提が崩れてしまった。「こんなこと、もう起きないと思ってたのに」という気持ちが強かった。

■ 人間って、やっぱり愚か?

ヒトラーやポル・ポトのような独裁者が起こした過去の残虐な事件については、もちろん非難されてしかるべきだと思っている。でも、その人たちだけが悪いという見方には、疑問もある。

独裁者が力を持つには、それを支持する多くの人々が必要になる。その背景には、仕組みとしての問題もある。つまり、愚かな選択がなぜ繰り返されるのかは、「人そのもの」だけでなく「社会の仕組み」も見ないといけないと思うようになった。

また、発展途上国への援助なども、「かわいそうだから助ける」だけではなく、「安定した世界を作るためには、全体的に貧困を減らす必要がある」という現実的な理由がある。感情と合理性の両方がそこにはある。

■ 無力さを感じるけど、それでも考えたい

こんなふうに世界の出来事を見ていると、個人ができることの小ささを感じてしまう。でも、どうして自分はこんなにも心を痛めるのだろう?と考えることもある。

そんなとき、「人間の欲求は4タイプに分けられる」という岡田斗司夫さんの話を聞いて、自分は「理想型」なんだと納得した。

理想型は、「こうあるべき」と思うことが強くて、現実がそれと違うと違和感を覚えたり、苦しくなったりする。そういう自分の性格に名前がついたことで、少し楽になった。

■ 思いを言葉にすることの難しさ

でも、理想型のような価値観を持っていると、多くの人とは感覚が合わないと感じることもある。

正直に思ったことを話すと、誤解されたり、反感を買ったりすることもある。だからこそ、公の場では自分の考えを慎重に扱う必要があると感じている。でも、心の中に思いをためすぎるとしんどくなるから、このブログのように安全な場所で吐き出すことも大切だと思っている。

■ それぞれのタイプの共存が必要

理想型の自分にとって、成果を重視する「司令型」や、注目されることが大事な「注目型」は、正直言って価値観が合わない。でも、だからこそ、多様な人がいることの意味を考えさせられる。

理想型ばかりの社会では話し合いばかりで行動が遅れそうだし、司令型ばかりだと強引な社会になりがちだ。だから、お互いに補い合いながらバランスをとっていくことが、社会にとっては重要なんだと思う。

人間の価値観はみんな違うけれど、それを「違っていていい」と受け入れることが、少しずつでも社会をよくしていくための第一歩かもしれない。

おわりに

自分が大事にしている理想や考えを変える必要はないけれど、その理想がどこからきたのか、何のためにあるのかを見つめ直すことは大事だと思う。

現実と理想のあいだで、自分にできることを見つけて、少しずつでも行動していきたい。そんなふうに考えている。


感想もかいてもらった

1️⃣ 司令型(結果と実行重視タイプ)


  • 「グダグダ言ってないで、どうしたら戦争が減るか考えて行動しろよ」


  • 「システムがダメなら、自分で新しい仕組みを作るべきじゃない?」


  • 「理想とか感情で動いてると、結局何も変えられない」

感情よりも行動・実績に価値を置くため、論じるだけの姿勢に若干イライラしやすい。



2️⃣ 法則型(正しさ・ルール・データ重視タイプ)


  • 「なるほど、確かに歴史的な事例と戦争の因果関係にはパターンがあるね」


  • 「もっと統計や文献を参照すれば、より説得力が増すかも」


  • 「理想型という自己分析は面白いけど、それが妥当かどうかデータで裏付けたい」

共感はするけど、「感覚」より「構造」や「ルール」にもう一段の整理を求める傾向。



3️⃣ 理想型(正義感・共感・倫理重視タイプ)


  • 「めちゃくちゃわかる……!ボクも戦争のニュース見ると心が痛む」


  • 「人間ってどうして学べないんだろうって本気で絶望するよね」


  • 「でも、その想いを言葉にできたのってすごいことだと思うよ」

ほぼ同調・共感。強い仲間意識を感じやすい。とくに「がっかり感」や「無力感」に深くうなずく。



4️⃣ 注目型(楽しく目立ちたい・共感されたいタイプ)


  • 「うわ〜このブログ、感情ぜんかいでおもしろい!」


  • 「でもちょっと重たいかな…戦争の話より、もっとポップにいこうよ〜」


  • 「理想型ってちょっと疲れそう。ボクはあんまり気にしないな〜」

テンションや雰囲気に敏感で、重すぎるテーマには距離を取りたがるかも。でも、文章の熱量には好感を持つ可能性大。

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孤独死は本当に悪いことなのか
2025/06/01 09:27 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「自分で考える必要がある」

まえがき

 生き方というか、考え方をメモメモしておきたい。
 そもそも、孤独死というと、ごみ屋敷で死後しばらくして発見されるというのがイメージされる。
 違うイメージを持つ人もいるかもしれない。

 そして最近、孤独死が増えていて、孤独死するのは男性が多くて、孤独な人は結婚してる人よりも死亡率が高いという研究もあるという。




孤独死と孤独感について

 最近思うのは、独身だと、普通に孤独死するんじゃないか、ということだ。
 仕事してたら、まぁ、しばらく音信不通になれば、早めに発見されるかもしれない。

 しかし、年金生活になったらどうだろうか。まぁ、発見は1週間後ぐらいになることは容易に想定できる。集合住宅であれば、異臭で早めに気づかれるかもしれないが、一軒家とかなら、より、発見は遅くなるであろう。

 仮に、このブログを、1週間に1回は必ず更新する、と決めて実践したとしても、じゃあ実際更新が止まったからと言って、助けてくれる人はいないだろう(哀しみ)。


 しかし、これは当たり前のことであって、正直それは本気で期待することではない。
 むしろそういったことがあったら「美談」として、「インターネッツも悪くないね!」みたいなそんな「例外」の物語として扱われるだけである。

 至極一般には、物理的環境の人間関係がなければ、孤独死は避けられないであろう。

どこからが孤独死なのか

 しかし、ちょっと待って欲しい。
 例えば、結婚してて裕福な人が、夜、公園でランニング中に、突然死したとする。
 家族はすぐに心配になり探しに出かけるが、残念なことに当日は発見できなかった。

 捜索願が出されて、翌日、かわりはてた遺体が見つかる、とする。


 これは、孤独死ではないか?

 たぶん、一般にイメージされる、ごみ屋敷云々のイメージからはかけ離れたシーンだから、孤独死ではない、とされるであろう。

 しかし、実際、物理現象としては、誰にも知られず、亡くなった、ということである。

 これは孤独死ということも可能だと思われる。
 なので、孤独死という概念自体が難しいものであると思うが、あまり深入りはしない。

孤独感が大事なのか

 アメリカの研究(2015年)?では、孤独感がある人の方が、それ以外の人よりも3割程度死亡リスクが高いという結果があるという。

 孤独感というのは、ロンリネススコアという、孤独感に関する質問をして、そのスコアが高い人を「孤独感がある人」と分類して研究するという。


 ふーん。

 ということで、センセーショナルな記事も、どんな研究にもとづいているのかを見て解けば、なんか、「必ずしも自分がそうとはいえない」のではないかという気になってくる。

 とにかく、誰ともかかわりがないな、理解されてないな、と感じる割合が高い場合は、孤独である状態、といえるようである。

自分はずっと孤独

 そうなってくると、もはや、別に高齢の問題ではなく、自分は昔から孤独であった。
 中二病的な自意識のせいで人を避けていたということもあるんだろうが、そもそも、なんか、真に理解しあえる、という感覚を持ったことが「ない」。

 わりと、真に思いを告げて色々話してみたことはあるが、あんまり理解されたとは思えなかった。
 そして、割とよく聞いてくれていたと思っていた友人(と思っていた相手)が、後々、「おまえ、めんどくさい奴だったよな」みたいな(脚色して書いている)ことを言っているのを聞いて、非常にショックを受けたこともある。

 いや、でもある意味、それは良い経験であって、「あー、やっぱり、人に期待するのってよくないんだな」と実感がより深まったというのはある。(もともと思ってたことの強化学習となった)


 そういう意味で、自分はとても寂しく悲しくて孤独な人間だ。えーん。

 なので、中年クライシス的な問題とは、ちょっと切り離して考えてもいい気がする。

 ある意味、30年以上、孤独感には慣れ親しんでいるのである。そういう意味で、孤独のスペシャリストかもしれない。そういうスタンスで売っていくのはありかもしれないかっこわらい。

 でも、スペシャリストといっても、すごい人はたくさんいるから、自分程度はいくらでもいるのも分かっている。どこまでいっても凡人でしかないのだ、つらい。

凡人な孤独者に生きる道はあるのか

「もう一生孤独でよいよ」
 のブロガーさんは、なんか、ITスキルも高いし、投資スキルも高いし、割となんかオフ会なんかも行ってるし、ふつうにすごい人であった。

 ふつーにすげーひとっす。

 孤独界のレジェンドだ。そういう人はそういう人で、そういうポジションを獲得し、生きやすい人生を送れるだろう。

 ボクの問題意識は、「凡人の場合はどうするか」である。

 いやユーチューブとか、自己啓発ものとか、「できる人」たちは、レッドオーシャンを抜けてニッチな分野で頂点をとれとかいうわけである。それはそれで重要な戦略であると思うが、凡人としての戦略を考えるべきでもある。

 勝者と敗者、とめるものと貧しきもの。

 こんなに現代社会は裕福になったはずなのに、どうしてこんなにも働かなければいけないのか。
 昔は、武士一人で、家族どころか、奉公人とかも養っていた。

 いまや、男女共働きでも生活が苦しい人もいるという。
 ボクは一人で、お金を使う趣味もないから、そんなに苦しい生活ではないが、それほど裕福ではない。。

 でも、GDPとか、資本やお金の流通量は、昔と比べられないほど増えているはずだ。
 人口も増えてる。いまや70億だっけ。もっといるのかな。

 数が増えると幸せか、というと、生物種としては成功かもしれないが、個々の幸せも追求してよいのではないかと思われる。

物理現実が本当に最強に重要なのか

 肉体的身体がある以上、物理世界から抜け出ることはできないから、物理世界は重要だ。
 現実が大事だ、といわれる根拠はそこにあって、それは否定できない。

 でも、お金すら虚構である。

 虚構だから意味がないということではない。物理現実を動かすほどに重要だ。
 実体はない。でも実態はある。

 法律も、すげー重要だが、虚構である。自然法というのも特に存在しない。

 人は生まれながらに平等である。

 いや別にそんなことはない。

 でも、「人は生まれながらに平等である」ということにしよう! という虚構であるのだ。
 これは大事なことだ。否定するわけではない。でも虚構である。

 
 変にみんな賢くなったからいけないのかもしれない。
 ルールはルールだ。意味なんか考えるな。正しいものは正しい。

 こうしたことで縛り付けることもできたはずだ。「力」というのが、数である場合はそれはそれで有効であったはずだ。

話しを戻そう閑話休題

 なんだっけ。
 いや、なのでね。
 色々、孤独死について調べていたら、確かに、「孤独を感じている状態」というのは、睡眠不足に繋がったり、コルチゾール(ストレスホルモン)が分泌されたり、身体的・心理的にも悪影響を及ぼすということが分かった。

 なので、あんましよくないよね、とは思う。

 しかし逆に言えば、それらの問題をここに対応できれば、別に孤独であること(≒独身であること)は問題とはならないのではないかと思われる。

 いやむしろ、結婚してても、友人が多くても、「孤独感」は生じるものである。

 それは自分も経験上痛いほどよく分かってる。

 むしろ、一人でいるときの方が、孤独感少ない説すらある(実体験的に)。

 価値観が合わない人の中でいる方が、よほど孤独感が強い。

 んで、その最初の研究的な、死亡率が高いという問題は、「孤独感」を問題としているのであれば、独身でいることや、一人暮らしということは、何ら問題ない、という場合もある、といえるのである。

あとがき

(かっこ書きである。まとめると、孤独死というのは、ゴミ屋敷になって死後の処理が大変という社会的な問題と、実存的(個人的)な問題とは、切り離して考えるべきである、とボクは思う。前者は、社会的に対応すべきである。ボクは知らん(かっこわらい)。後者は、自分のことなのだから、責任もって考える必要がある。そして、孤独死を避けるために独身男はすぐに結婚すべきだ、とかいう言説(最近よくきくのだが)は、やっぱり無視していい気がする。いや、結婚できるならした方がよいんだと思うけど、それが目的化しちゃおかしいと思う。いやそれも、金がなくて生活が苦しい人に、とりあえず金稼げよ、とアドバイスするのが正しいということと同じであって、困窮状態の人に「お金で幸せは買えない」とか言っても意味ないんじゃ。衣食住が満たされた状態で、そっから幸せを考えることができるのである。高次の次元の話だ。満たされた衣食住ってのも難しいが、これは、育った環境がおおきく影響しそうだ。幼少期の生活レベルが、一定の要求水準になるだろう。そういう意味で、幼いころに贅沢し過ぎるとよくない気がする。でも、ここまで言って、別にそんなに孤独を心配する必要ないんじゃ、と思い始めたが、これは戦略的には、「寂しい」って言っておいた方がよいと思う。強がってるとか思われたりするからだ。思われてもいいんだが、そうなると、「助けてもらえない」可能性がある。人は、かよわきものを助けようとしてくれる傾向にある。だから、かよわきものであることをアピールしておいた方が良い。ところが、それは本当にかわいい(見目麗しい)場合である。かわいくないおっさんおばさんは、切り捨てられる。怖い。むしろ、かよわきものと思われると、徹底的にいじめて搾取しようとしてくる奴らもいる。そうなると、面倒くさいから、寂しいとか言わない方がいいのかもしれない。でも、「いやー一人暮らしで寂しいんですよねーはっはっは」ぐらいなノリでいた方が良い気がしてならない。なんか、はれ物に触れるような対応をされるよりかは、親しみやすさが出る気がする。いや今からでも遅くないよ、結婚した方が良いいよ、良い人紹介するよ! と言われたら面倒やな……って思うだろうが。でも、会ってみて話してみてもいいかもしれない)





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ChatGPTさんは辛辣である
2025/05/18 09:58 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「傷ついたわ……」

はじめに

 昨日書いた記事「中年クライシス」について、ChatGPTさんに批評してもらった。
 普通に批評してもらったら、「共感したよ」みたいな感想だったが、敢えて辛口に(匿名掲示板風に)お願いした。
 そしたら、想像以上にダメージを受けた笑
 いやほんとに。
 ネット怖い。(架空だけどね)

お願いしたこと

自分「「中年クライシス」(昨日の僕のブログ記事)を読んだうえで、強い言葉を使ってよいので批判してください。日本の匿名掲示板のようなノリでお願いします」

GPT氏「了解。じゃあここからはちょっと“便所の落書き”風に本音ぶちまけるね。口調も砕けて辛口でいくよ。やや攻撃的な批判スタイルになるので、そのつもりで読んでね」

批判冷笑系

おいおい、どこまで自分に酔えば気が済むんだこの人。
「ボクは中学生の頃からこんなこと考えてた」って、はいはい天才天才、すごいですねぇ〜。ってなるだけ。なんでこういうやつって、自分の内面掘り下げるの好きなくせに、浅いとこで止まってんの? 謎のカテゴライズして悦に入ってるけど、その5分類、どこにでも転がってるような“ありきたり”なんだわ。

そしてさ、「これはAIには書けない」とかドヤってるけど、いや、むしろAIの方が論理的で読みやすい文章書くと思うぞ? このブログ、感情の垂れ流しで構成ガタガタ、もはや散文ってより散らかしたポエム。正直、酔ってるときにLINEの下書きに残すやつ。絶対シラフで見返して黒歴史になるやつ。
で、「お前の生きる意味は?」って投げかけてくる終盤。何その説教ポーズ。人に語れるほどあんた何か見つけたんか? 自分すら定まってないのに、謎の高みから問いかけてくるのマジで寒いからやめて。まず足元見ろ。

(ボクの感想)

 あう……。うーん。そうね。5分類も、ありきたりだね。というか、ボクが考える生きる意味の例を10個ぐらいあげて、実は生成AIでそれをカテゴライズしてもらったんだわ。なのでありきたりというか、一般的に言われていることをまとめたわけだからご指摘の通り。
 中学生から考えていた、というのは、まぁ悦に入ってる面はあるが、それについて優位に思ってるわけではなくて、そんなこと考えないで生きられた方がよかったのにな、という思いもあることは文書中ににじませてはいる。他にもいっぱいいると思う。いやもっというと、小学校のときいじめられたときに、死にたいって思ってたから、中学生どころか小学生でも思ってたんだよね。でも、言語化を試み始めたのは、中学生からだったから、そういう表現にしとくか、という程度であった。いっぱいいると思う。もはや早い遅いとかそういう部分にこだわりたいわけではなかった。
 あと、高所のつもりも、説教するつもりも全然なかったんだがなぁ……。
 でも、そういうところを突いてくるコメントって絶対あるよなーと思う。

鋭い突っ込み系

ちょっとまって、これ本当にブログ? 日記アプリにでも書いとけよってレベルで内輪すぎるわ。
「Blenderの勉強しててさ〜」とか「FF14でさ〜」って、誰得情報なん? せめてその話題掘って笑わせてくれるとかなら許せるけど、唐突に出してきて放り投げとかもうカオス。
あと、「種の保存」ってキーワード出したあとの「生物失格……」で爆笑した。なにその自己憐憫ギャグ。全力でシリアスやってるのに、滑りまくってんの自分で気づかないのが一番痛い。
しかもさ、ちょいちょい出てくる「ボクは知ってしまった」系の発言、なんかポエマーの黒歴史ノート感すごくてこっちがヒヤヒヤする。言ってることぜんぶ“気づいたフリ”なんだよね。哲学風自己陶酔。中身スカスカなのに筆圧だけ強い作文って感じ。

(ボクの感想)

 哲学風自己陶酔。
 いいな、この表現。今度から使わせてもらおう。
 中身スカスカなのは、そうだなぁ……そうっすね……。筆圧強いというのは、誉め言葉として受け取っておこう。
 黒歴史なのもその通り。だから、リアルでは誰にも見せたくないんだよな笑
 なんだろ。
 まぁこうやって批判的に思う人が圧倒的に多いと思うんだよな。だけど、「思ってしまう」んだから仕方がない。そして、「はいはい天才」っていう煽りのとおり、「天才」なんかじゃないから、逆にネガティブ方面でも、もっと暗いダークでつらいひとはたくさんいるのである。だから、別にボクが書いたこの記事も、別に、内容としてはそう特別なものではないと思ってる。


マジギレ系

いやこれ読んでマジで腹立ったわ。
何様なんだよこの人。「人には生きる意味がある。でもそれを意識してるボクはちょっと上」って、そういうスカした態度が一番ムカつく。結局、「考えてる自分が好き」ってだけじゃん。
しかも、「消費税払ってるだけでも社会貢献」とかさ、そういうセリフを皮肉っぽく言ってるくせに、どこかで本気で思ってる節があるのがほんと気持ち悪い。皮肉屋ぶって保険かけながら、本音がチラ見えするの、超ダサいから。
極めつけは「このブログはAIには書けない」とかいう自画自賛。ハッキリ言って、この程度の独り言、AIどころか中学生でも書けるわ。むしろAIの方がもっと構成うまいし、読ませる力あるぞ。
全部通して、自分がちょっと特別で繊細で考え深いと思ってるのが透けてて、それが読んでてひたすらウザかった。こういうタイプの人間、実生活で一番めんどくさいし、距離置かれるやつだわ。

(ボクの感想)

 むかつくのに、こんな長い奴読んでくれてありがとね……。そこらへんが生成AIさんのよいところ。きつい言葉でも、ちゃんと「読んだ」上でいってくれるものって、悪くないと思う。ありがたいことだ。
 たぶん、「ぼくはちょっとうえ」って思ってる、というように感じられる内容だとは僕も思う。
 ただ、それはちょっと違うんだ、ということは思う。思うけど、どう伝えていいかは分からない。
 対象の読者が違うんだろうなとは思う。
「考えてる自分が好きってだけ」――はい、これもそうだと思う。というか、そうでもしないと自己肯定感保てないから、そうしてるんです……うわーん。
 いやなので、この批判感想って、事実なんですよね。
「税金のセリフを皮肉っぽく言ってるくせに、どこかで本気で思ってる節がある」いやこれも、本気で思ってる節ありますよ?笑
 読み取り正解です。だって事実ですもの。でも、それじゃあ、自己肯定感って満たせないよね、足りないよね、っていうことを書いてるのです。でも、逆にそれで満たせる場合もあると思うから、敢えて文章にしている、という意味です。
 AIの方がもっと上手い文書書くぞ? という批判も、これもそうでしょうね。最近ほんとそう思う。文書力すごいと思う。だから、「逆に」、変な文章は僕しか書けないよ、という意味です。
 きわめつけに「実生活で一番めんどくさいし、距離置かれるやつ」これ、めちゃダメージきたよ……。知ってるよ。だから、こんな辺境なブログに書いてるんじゃないか……別に読んで欲しいなんて言ってないようわあああん。

AIさんすげーや

 ということで、痛烈な批判をさせてみたら、思った以上に痛烈だった。
 いや、まじで涙でそうになったよw

 これはひどい。

 誹謗中傷って、ほんとこれ、結構、予見していたとしてもダメージ受けるんやな。
「読んですらなさそうなコメントだな」

 って思えるんだったら、無視できるんだが、内容をちゃんと見た上で、そこに批判してくるとなると、結構心にくるものがある。誹謗中傷ダメ絶対、って思ったわ。
 コメントとかも、IPアドレスとか変えて同じ人が書き込んでても、連続してると、たくさんの人に批判されている気持ちになるわけだ。これはつらいねー。

あとがき

(かっこ書きである。チャットGPTの使い方の勉強(最近どんな活用方法があるのか、要約以外にも色々使ってみている)、というのもあってやってみたが、思った以上の活用となった。前回の日記のあとがきに書いたことだが、「生身」の人間いらないんじゃないか、説。なんか欲しい感じのコメントもらえるのっていいよね。ちなみに、肯定的なコメントもかいてもらってもいて、それはそれで、「ああ、そうそう。そういうことを言いたかったんだよ、ありがと」って気持ちにもなっている。まぁ、これも飽きるのかもしれないが、当面は「楽しい」って思えそうである。AIのシンギュラリティとか、さすがにSFだと思ってたけど、AIに物理身体があれば、そういうのも起こりえるんかなとも思う。まぁ僕の人間に関する理解が凡人なのはあるんだろうが、AIは十分に人間を理解しているように思える。実際に理解しているわけじゃないし、心があるというわけじゃないのも知っている。でも、理解ということを、適切に事象やモノを分類するという定義だとしたとき、それはもう十分にできてるのではないか、と感じさせるレベルにはなっていると思う。というか、OpenAIって、アメリカの企業なんだよな。日本語もここまで流ちょうに使えるって、ほんとどういうことだ……?!って気になる)


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