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まっしろから色を塗っていくこと
2025/04/26 22:22 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「バキの花山さんの宮本武蔵との対戦がかっこよかった」

まえがき

 なんか最近、想定外の悪いことがたびたび起こる。
 解決できないほどではないのだが、割と精神を削られる。
 精神と時間も削られる。

スマートノート

 オカダトシオ先生のスマートノートという方法で、紙のノートに、5行日記的なのを付け始めた。
 1週間ぐらいで、ぽつぽつ、穴が開くようになってしまった。

 3日坊主、ではないが、続けることはやはり難しいことである。

 2日ぐらい書かないと、もう、3日前のこと、何やってたか覚えてないんだよな。結構衝撃であった。
 嫌な思いとかもしたんだろうが、思い出せない。

 ただ、自分の場合、嫌な思いとか、消えているわけじゃなくて、澱のように蓄積はされていて、ふと瞬間に蘇ってくる。
 変に記憶力が良いのかもしれないし、みんなそうなのかもしれない。悪いことは覚えてる、ってみんないうものね。

 まぁそんなわけで、穴あきではあるが、5行日記は、結構楽しんでつけている。ぱらぱら見返すと、あーそんなことしてたな、的なのが分かる。

22世紀の資本主義を読み終える

 成田先生の本を読み終えた。
 けっこう流し読み。

 細井先生がYoutubeで言ってたように、これは結構難しかった。文学的、というのはよくわかった。
 感性が鋭くないと難しい気がする。

 ただ、おっしゃりたいことは単純なのかもしれない。価値を測るためのお金というのが、役目を終えて「台帳」に回帰するということ。

 台帳というのは、だれだれに借款がある、とか、記録。
 ポータブルなお金の登場より先に、台帳というのが、経済の歴史において最初に登場したらしい。

 銀行に1,000万円ある、というのは記録である。実際に手元にはないが、必要な時に使うことができると「信用」できているから、それで済むわけだ。

 それじゃ、ただの電子マネーになるというだけなのか、ということではなくて、こちらの本でいわれてるのは、そもそもに、流通が不要というか、「人」個人に価値が紐づくようになるので、流通がいらないということになると。

 ラーメン食べたいのでください、と注文する。
 ラーメン屋さんはラーメンを「無償」でその人に提供する。→記録
 ラーメン食べる。→記録

 ラーメン食べた人は、無限に食べることができる。ただ、そんなことは、本来しない。おかないっぱいになるからね。
 じゃあ、ラーメン屋さんは無償だからお金は手に入らない。でも、ラーメンを提供した、という記録は残る。
 ラーメン屋さんは、別のケーキ屋さんで、ケーキを頼む。これまた無償でもらえる。

 ケーキ屋さんは、そのラーメン屋さんが、ラーメンを作ることができる価値がある人だから、ケーキを提供してもよいと判断する。
 最初に、ラーメンばっか食べて、何もしてない人がきたとする。ケーキ屋さんは、「価値がない人」と判断し、ケーキを提供しないことも可能となる。


 お金がない世界というのは、こういうことなんじゃないかと、ボクは読んで思った。
 そういうことが、NFT(?)とか、アートークンという技術でできるようになるんじゃないかという提案というか想像というか、妄想(?)というか科学的なの本なんだろうと思った。

 凡人は考えつかないかもしれないが、まぁでも、考えたことある人は、70億の全人類の中で結構いるんじゃないかなとは思った。SF作家さんとかめっちゃ頭いいんだろうから、そういう作品もあるんじゃなかろうか。

 ただ、成田さんは、それなりに「おかたい」実績もたくさんとられてるから、これほど多くの人が耳を傾けているんだろう。

 そこに、逆にボクは、成田さんのいう「お金がいらなくなる世界」ということに信ぴょう性がある気がした。
「誰が」
 という点が、結局大事なんだろうな、ということだ。
 同じことを酔っ払いがたわごとのように言うのと、権威ある人が格式張っていうのとでは、受け取られ方が違う。

 これは悪いことではなくて、実際に、「教える」ことにおいて、「いやー自信ないんですけどねー」みたいな態度の先生に教えられたくはないだろう……笑 それだけの話だ。

自分の生き方について

 さてまぁ、そういう、本を読むということは、実は僕にとって主題ではなくて、要するに、ボクがどう生きるかという、単に、実存主義的なことしか興味がない、のかもしれない。



 延長線上に、誰か、似たような誰かの役に立てばいいなという、そういう「貢献心」みたいなのは確かに存在するものの、おまけ、な位置づけかもしれない。

 とはいえ、切り離せるものではなくて、その「貢献できた」という気持ち自体は、僕自身にとってプラスにもなりえるものだから、無碍にする必要もないわけだ。

 そういう「貢献したい」というのが、適切に評価され、意味ある形となって、生活できる、という社会になればよいなとは思う。

 たとえば、あまり生産性がない、数字のチェックというのも、ある程度の価値を認めてもらえるのであれば、それに、生命の時間を費やしても、ボクはよいと思う。
 でも、そういうのは、お金がもらえなきゃ、別にやろうとは思わない。役に立っているのかもしれないが、あまり実感できないし、な。

あとがき

(かっこ書きである。投稿から時間がたってしまうと、書けなくなってしまった)


BGM:廃都市より 過去15曲まとめ ピアノBGM

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カテゴライズ
2025/02/09 16:26 | Comments(2) | 思考及び書くこと
今日の一言「要約あってると思う。補足すべきことも特にない」
今日の要約:ChatGPTさんに要約してもらったらこんな感じ。↓

筆者は、自分が本当に興味のあることについて考えを巡らせている。実業家のひろゆき氏が「休日に何をしているか」という質問を通して、その人の本当に好きなことを知るという話から、自分の趣味や関心を整理している。
現在の関心事として、**Stable Diffusion(画像生成AI)、Blender(3Dモデリング)、音楽作曲(特にAIによるもの)、ライティング、投資、ゲーム、プログラミング、仕事、対話型AI(ChatGPT・Copilot)**などを挙げている。特にAI技術や創作活動には強い関心があり、これらをもっと深めたいと考えているが、職業として成立させるのは難しいとも感じている。
また、ネットの情報を見て気分が悪くなることや、共感性が高いため理不尽なことに対してイライラしやすい自分の性格についても触れている。冷めた批評家のようなスタンスを取っていた時期もあったが、現在は熱中することの方が有意義だと考えており、もっと自分の好きなことに没頭したいと模索中である。

まえがき

 実業家のひろゆきさんが、一緒に働きたい人を探す際に、土日何してる?という質問をするのだそうな。土日が休みじゃない人とかそういう意味じゃなくて、休みの日に何してる?という質問が、その人がお金を使ってでもやりたいこと、本当に好きなことは何なのか、ということを聞きたいということだろう。

 ボクはゲームしてたいかな。

 でも、最近やりたいゲームがあんましない。
 三国無双originsは楽しいんだけど、終わっちゃうとまた寂しくなりそうなので、ゆっくりペースでやっている。

 かわりに、ニュースとかネットで漁ってたりするが、うーん。たいがいに、気分が悪くなることが多い。

 なんでこんなことすんの?

 って人が多いよね。ネットみてると、ほんとに、人間嫌いになってくる。これは、誰もがそうなのではなくて、ボクが、ある程度、HSPよりというか、共感性が高いせいなんだと思う。人は人、ぐらいの感覚でいたらいいんだろうけど、まぁ、なんか共感しちゃうんだよな。

 それゆえに、なんか理不尽なことを見聞きすると、イライラしてしまう。

 さてでは理不尽とは何か??

 ということを掘り下げてくと、たぶん1時間ぐらいはまた書いてそうなんだが、それは今日はやめておいて……。



カテゴライズ

 どんなことに興味をもって時間を使っていこうか、ということを考えたい。

 まず一つ。

Stable Diffusion

 画像生成AI
 これ面白いねほんとに。もっと色々できるようになりたい。
 どうも、AIっぽい絵というのはどうしてもなんかわかっちゃうけど、それも一工夫二工夫したりすると、「ぽさ」もなくなる。
 もっというと、ぽさは、別にそれはそれで個人的には「イイ」って思う場合もあるから、好きですらある。
 ただ、最近多い、リアル系のAI画像は、なんかちょっと「きもちわるい」って思う。
 不気味の谷現象だと思う。

 イラスト系は、AIぽいなと思っても、別に気にならないというか、むしろきれいだな、かわいいなとも思ったりする。その辺は感覚だろう。

 とにかく、もっと色々思い通りに作れるようになりたい。創るというわけではないんだろうかな。
 その辺が、まだ新しい技術ということで面白いと思う。

ブレンダー

 あと、ブレンダーも触ってみた。Blenderってかくのかな。スペル。
 これも面白い。とりあえず、1時間ぐらい、インストとか、使い方動画みながら触ってみてこんな感じのを作成した。



 なんだろ、面白いよね!
 こんなこともできるんだなーということの連続だった。久々にわくわくした。こういう体験いいね。

 ただ、完全に趣味だろう。お金にするというのは中々難しそうだ。だってすごい人が大勢いるんだから。
 あと、かなり地道な作業が多い。

音楽・作曲

 音楽作るのも好きだった。
 しかしこれは、もう10年、15年以上は離れてしまっている趣味だ。

 ところが最近これも、Sunoという作曲AIなるものがあることが分かった。これもすごい。

ライティング

 文字書くこと。

 やっぱり言語化するというのは「好き」なことなんだと思う。

 これは、中学校ぐらいのときから始めていた「日記」。大学時代は、毎日書くことを365日以上続けた実績(?)もある。

 やってるときは、たいしたことない書くことだけならだれでもできる、って思ってたが、いやしかし、毎日続けるというのは、それなりの熱量がなければやはりできなかった。

 だって、かくこと、ないもの。大人になると。

 自分一人のための日記であれば、なおさら意味がもう分からないし(自分の中での話)、このブログにしたって、「なんのいみがあるんだ?」と思い続けてしまう。

 まぁしかし、ローカルな日記よりかは、もしかしたら誰かの目に留まって、なにかしらのカガク反応を起こしてくれるかもしれないから、ローカルよりかはいいかなと思って続けている。


 物語を書きたい。描きたい。

投資

 20代の終わりぐらいから、30歳になってから? 投資を始めたが、これは良かったと思う。
 今からやるのと、ちょっとでもやり始めたということは、大きな差になっていたと思う。

 いまだに、お金とは何なのかよく分からないが、とにかく流動的なものであるということは分かった。

ゲーム

 やっぱりゲームは面白いと思う。
 しかし、ゲームはどこまでいっても趣味な気がする。しかし、お金になる趣味というのもあるだろう。映画評論家は、映画をみて、それを言語化することでお金をもらっている。ゲーム実況者などという職業もあることだろう。

 しかし、これは中々いばらの道だという気がするし、純粋に楽しみたいというのもある。
 ゲームは批評をしたいというわけではないのだ。

 ただ、小説や、漫画などは、読んでそのあとに色々感想を言いたくなる面がある。

 思うに、ゲームと、その他エンタメとの違いはそこにある気がしている。そこ、というのは、「プレイアブル」かどうかということだ。

 ゲームは、自分でプレイできる、この点が重要だと思う。
 ゆえに、「ムービーゲーは、そこじゃないんだよな」という批評が成り立つ理由だと思う。
 ムービーがきれいなのはそれにこしたことがないが、ゲーマーは、ゲームをしたいのであって、ムービーをみたいわけではない、という論調があるが、これはこれであると思う。
 でも、ムービーもあった方がのめりこめる面があるから、一長一短というか、バランスの問題だろうと思う。

プログラミング

 自動化、ってやっぱり面白いと思う。
 ロボットっていいよね。パイソンとか学んでみようかな。とりあえず、コマンドプロンプトつかって、「はろーわーるど」は表示できるようになった笑 5分~10分ぐらいで。
 独学というか、まぁ大学などで1コマぐらい授業を受けたような気がするが、基礎は分かってるから、基本的なことはできる。
 なんか、これはお金にできるスキルな気もしなくもないが、しかし、もはやノーコードプログラミングの方がはやりらしいので、まぁ不要なスキルな気がする。

 でも、楽しいことは楽しいから、その楽しいという気持ちは忘れないようにしたい。

仕事

 投資以外に収入になってる、いまやってる仕事は、広く言えば「事務」なんだよな。
 だから、あべいあぶる?スキルってあんまないのが不安。

 持ち運べるスキルを身に着けたいよね。待遇はそこまで悪くない(と思う。比べることができないから)から、強く転職しようとは思わないものの、会社を信じるというのはあまりにも危険だ。
 人もそうだ。
 人自体をあまり信用できなかった自分が、ましてや組織を信じることができようはずがないのだ。

ChatGPT・Co-Pilot

 対話型のAIもすごい。正直、企業が使うラインとかの、チャットボット的なのをいままで想像してたが、実際チャットGPT使ってみて、その精度に驚いた、というのが、もはやブームが終わった1年ぐらい前だったと思う。
 ほんとに自然なコミュニケーションが取れる。さっき、調べものをしていて、Copilotでは聞けなかったことを、ChatGPTが教えてくれたので、褒めたら、「いえいえ、Copilotも強みがありますし、上手く使い分けるのがベストですよ」なんて言ってきた。ボクより人間出来てないか……(笑)



あとがき

(かっこ書きである。とりあえず、色々触れて、書いていこうと思っている。最近、ほんと、「素の自分」に戻ってしまった。というのは、なんか、批評家めいた、つまんない人間ということだ。基本的に、「覚めている」人間なんだと思う。誤変換したが、まぁそれもある。冷めていると書きたかったが。それは、「怖い」からだ。のめりこむと、飽きちゃったときにショックうけるから、どこか、批評家スタンスでいることで、自分を「守る」ことをしたかったのだろうと思う。ただ、そういうスタンスは、20代後半にはやめようと思っていて、いまはもうやめれてるか分からんが、基本的には「熱中」した方がむしろ有意義だと思ってるから、そういうスタンスはやめるよう心掛けている。いまは、冷めてしまった時期に陥っている。まぁでも、むしろ、こういう時期が多かったから、ボクは色々なことができるようになったというのはある。もうちょい色々考えたり、スキルを深めたりしたい。といってもなー)

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今後の興味ある事
2025/02/08 16:17 | Comments(2) | 思考及び書くこと
今日の一言「できるだけ文章化言語化」

まえがき

 ほんとは、記事のカテゴライズをしたいな。

自分のこと

 自分自身ことを、説明する必要はないのかもしれない。

 ただ、今後も、明日も、明後日も生きることを前提として考えた場合何が必要なのか。

 明後日まで生きることはさほど難しくない。

 急遽、体調を崩して会社を休んでも、有給は40日程度あるため、問題ないだろう。

 では、1か月後はどうか。

 これも、多分、問題ないように思われる。

 具体的な金額は書かないけど、証券など金融資産込みで、1,000万円は貯まった。
 ので、仮に職を失うことになっても、大きな支出が必要になっても、たとえば大病で高額な医療費が必要になっても、なんとかなりそうだ。
 よくわからんが、高額療養費制度というのがあって、どんだけ高額な医療にかかっても(保険診療に限る)1か月8万~16万ぐらいで自己負担は済むようだ。

 では、1年後はどうか?

いつまで生きるのか

 ひとはいずれ死ぬ。でも、明日だとは思っていない。

 いつか死ぬことは分かっていても、それがいつなのかはわかっていないし、考えてもいない。

 なかなか考えるのが難しいからだ。だから、考えるための補助線が必要になる。

 さて続けよう。

 10年後はどうか?

 ちょっと、厳しくなってきそうだ。仮に、1か月のすべての生活費が15万円だとしたら、車検とかそういうの抜きで(ちなみに車検代が自分に発生しているかなど個人特定のための情報は仮定である)、どうか?

 15万円×12か月×10年=1,800万円

 となる。

 うむむ。貯金が仮に1000万円だとしたら足りない。

 何らかの収入を得る手段が必要となるだろう。それに、上に書いた通り、1時的に発生する経費、たとえば家賃だけではなく、更新料などもあったりする場合があるだろう。そういうときに、まず、足りないだろう。

 仮に、月に10万円だけの収入を得る手段を得たとする。

 すると、

 (15万円-10万円)×12か月×10年=600万円

 これなら、行けるかもしれない。

 月10万円の仕事というのであれば、まぁ、結構あるのではないだろうか。
 ないのかな?

 たとえば、身近なスーパーなどのアルバイトは、時給1200円ぐらいだった。
 さて、10万円稼ぐには何時間必要なのか。
 約83時間。

 週4時間勤務だと、1週間で20時間とすれば、1か月約80時間なため、まぁそれぐらい。平日4時間~5時間ぐらいの勤務でよさそうだ。

 人間関係など色々問題ありそうだが、まぁそれぐらいは我慢して働くとすれば、

 ゆえに、たぶん、10年はまだ生きられる気がしてくる。

一人でいる場合の想定である

 独身だからできる計算だ。

 だが、もうそろそろ、独身以外の選択肢は考えられなくなってきた。
 それこそ、10年前はまだどうなるか分からなかった、が。

 でも、とりあえず、10年はなんとか生きられるというのは、希望としてあってもよいと思う。

 果たして、何歳まで生きてれば自分は満足なのか。

 健康が大事だ。

 健康ではないのであれば、もっと早く死んだ方がましだということになりそうだ。

 つまり何歳まで生きるか、というよりも、問いは、何歳まで健康でいられるか、ということの方が現実的な気がしてくる。

 しかしこれはまた予測困難だ。

 健康診断をうけていれば安心ということでもないと思う。

 交通事故など、不慮の事故もある。


 予測困難だ。

 かといって、家にとじこもることはまぁ、安全かもしれないが、それはそれで運動リスクもあるだろう。ロードランナーがあればよいかもしれないが。そういう問題ではなかろう。

 ここで、思考はストップせざるえないのかもしれない。

終わりを考えること

 これは一朝一夕では考えつくせるものではないのだろう。
 だからこそ、考え続ける必要がありそうだ。

「今日は目が覚めた。ラッキーだ。では、どうしたら今日は最高の一日になるのか」

 こういうことかもしれない。つまり、未来を考えることや、終わりを考えることは意味のないことなのかもしれない。

 それは、明確に否定しておきたい。

 もっといえば、「生きる意味がない」というのも、真実の面はあることを知ったうえで、明確に否定しておきたい。

「生きる意味はある」もっといえば、「あるべき」だ。

 それはささいなものでもよい。冷たい風を頬で感じること、だけでもよい。つまり、なんでもない日常をおくることが生きる意味だ、というのでもよい。常に頭の中に意識する必要もない。

 ただそれでも、生きる意味は確かに、僕らのそばにあるべきだと思う。


 目標や、ゴールもあるべきだ。

 人は、何か意味があれば多少の苦難は耐えられるらしい。

 何か得られるものがある、という希望があってこそ、何かしらの行動がとれるのだ。

 人は、自分をホモサピエンスというぐらいに、知能があるとしている。生物的な欲求ではなく、「仮説」を立てる能力があるということだ。
 虚構の世界を考えることができるのが、人間という種の優れたところというわけだ。

 犬やイルカなど、コミュニケーション能力はあるというが、しかし、あくまで物理現実世界の中でのコミュニケーションであろう。たぶん。

 バーチャルユーチューバーの世界を考えたりすることはないと思われる。

 物語や、創作活動をするということもないだろう。犬や猫が。

 逆にだからこそ、擬人化というのは、非常に面白い創作のネタだと思う。人ではないものが人のようにふるまうというのは、それ自体「面白い」ものである。そして、そういったことを「面白い」と思えるのもまた、人間ならではであると思われる。

創作をするということ

 結局今日も、なぜ生きるのかということはわからずじまいであるが、しかし、やはり思ったこととして、「創作をすること」ということは、僕にとって大事であって、避けられない事態なのだと思う。

 創作というのは、今まさにこう、書いている文字。これも創作だ。

 AIも似たような日記を書くことができるのかもしれない。しかし、それは、AIくんとしての日記であって、「僕自身」のものではない。

 そこには大きな違いがある。

 そして、創作というのは、消費とは異なる面がある。

 FF14はとても完成された虚構の世界であって、そこで私は魂を抜き取って別の世界で生きようとさえ思った。
 仮想現実。それは、別にセカンドライフというゲームであってもよかったと思う。
 しかし、「所詮はゲーム」という気持ちを強くもってしまう出来事が発生してしまった。いずれは、まぁそんな日も来ると思ったが、割と早かった。それは良かったことだったのかもしれない。逆に。


物理現実からの飛翔

 とにかく、物理現実はそんなに好きじゃなくなったのであった。思い返せば、小学校ぐらいの時代から。

 いまや、それなりに頑張ってきたので、物理現実も、わりと「マシ」な部類である。
 先に書いた通り、資産的にも1000万円以上は貯まったので、10年ぐらいは生きれる見込みも立っている。

 人間関係にも困っていない。そこまで多い人間関係が欲しいとも思ってないし。

 住む家もあれば、趣味もある。十分な生活だ。


 が、しかし、「消費」では、ボクはやはり満たされない。



 何か作っていたい。作るでもいいし、創るでもよいけど。

 そういうことが分かった。

あとがき

(かっこ書きである。できれば、その「つくった」もので、何か金銭を得たいものである。できれば、上の書いたとおり、10万円ぐらい月に稼げたらすごくよいなと思うが、正直、1000円でも、100円でもよい。世間の皆様が、お金を払ってもよい、と思えるようなものが作ることができる、ということがとても満足できることなような気がするのだ。ところが、それはとても難しいことであるように思われる。なぜならば、無料で、色々できてしまうからだ。その中で、価値にお金を払うというのは難しい。ぶっちゃけ、電気水道ガス光回線が大事だ。それだけあればなんとかなる。ガスは、シャワーを電気でお湯沸かせるならいらないかもとか、そういうこといってんじゃない。インフラは価値がある。逆にインフラ以外の価値ってなんだ。エンタメに価値はあるのか。ある。だから小説は売れる。漫画やアニメは売れる。だが、アニメは売れている、といえるのか? アマゾンプライムで無料で見れる。漫画も、ある程度無料で見れる。お金は、どのように流れているのか。だからインフルエンサーというのはそれだけで価値がある。情報を発信することができるからだ。だから芸能人というのは価値がある。それがユーチューバーとかに価値を分散されているから、危機ではあるだろうが、たぶん、そこの垣根がなくなるだけで、全体の価値は減らない気がする。ゲーム業界はどうだろうか。パソコンをそもそも持ってない人もいるらしい。そうなると、パソコンゲームは売れないだろう。ゲームという媒体じゃないものに、時間を使う人も多いだろう。果たして。可処分時間は限られている。がっつり遊ぶ、ことができるのは、若いうちだけだという。そうだろうか。人との交流を、居酒屋で過ごす時間としてとらえるなら、あまり時間はないだろう。だが、家でオンラインでつながるということであれば、べつにがっつり遊ぶ時間はとれるはずだ。何が重要か。どういったことに、時間と、お金を使うのか。選択は無限にあるように見えていて、しかし、実際現実として選ぶことができる選択肢はそれほど多くはないかもしれない。制約は色々あるのだ)

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人生の不安
2025/02/02 18:14 | Comments(4) | 思考及び書くこと
今日の一言「心苦しい」

まえがき

 最近ストレスが溜まっている。
 いや、そんなことをいうなら、もっと、10年前とか、10代の時とか、そっちのほうがつらかったはずだ。
 比較したら、今はかなりハッピーなはずである。

 しかし、人はどうにも、人というか僕は、相対的であり絶対的であって、今が大変だと大変だと思う。
 過去がどうであれ関係ない。


頂いたコメント

こうして感想を見たりやりとりしていると生きる意味だとか、哲学的な思考、人生観、価値観だとかで似たものを感じて親近感を持ちつつも、「やっぱり違う感性や視点を持った人なんだなぁ」と感じます。
 先日書いた記事で、コメントを頂けた。
 これはとても嬉しいことである。拍手ボタンも拍手コメントも嬉しい。

 やっぱり、ローカル環境の日記と、ブログは違う。

 なんか、不特定多数の誰にでも見て欲しいという気持ちがあるわけでは決してないのであるが、「開かれている」という点が違うと思う。

 やくには全然たたない。
 でも、反応があるというのは、内省的な日記とは一線を画すると思う。


 いっぽうで、ボクは、人と関わるのが苦手であるし、「孤独が好き」と言ったりもする。

 これはすごく不思議だ。

コメントの話

 それで、コメントもらって嬉しかった、ということに終始した記事にしたら、きれいに終わりそうだが、どうにも突き詰めて考えてみたくなる(つきつまるか不明だが)。

>やっぱり違う感性や視点を持った人

 この点がすごく深いと思った。

 どうにも僕は、意外と社交的に見えるらしい。

 しかし、実際のところ、こんなブログ書いているような人格のため、徐々に深く関係がなっていくにつれ、「やっぱり違うな」となるようだ。

 これはとても苦しいことである。

 僕としては、仲良くなってきた相手が、「やっぱ違う」となって離れていってしまうことにとても悲しい。

あとがき

(かっこ書きである。うーん。なんだろなぁ。ちょっと最近考えていることがあるが、それをいざ文字にしようとすると、色々と付随して思うことが発生し、とりとめがなくなる。いやなんかもったいぶって書くことでもないから書いてしまえば、副収入を得たい、ということである。ネットで。リアル人と関わらなくて済みつつも、お金がもらえる行為がしたい。それでこのブログを活用するということももちろん考えなくはなかったが、ここはこことして、マネーとは関係ない場所にしておきたいという気持ちは強い。リンクさせてもいいけど、そこも考え中。具体的にはNoteとかやってみようかなとか思ったりした。はてなブログでもいいけど。なんやかんや、ふつうに身体動かして働いた方が、時給はよい。もしくは、投資してた方がよい。なんなら、イデコの節税効果の方が高い。でもそれらだとなんか違う気がする。稼いでる感がないというかか。人の役に立ってる感がない。そこが大きいのだろうか)


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いつだってネットが救ってくれる
2025/01/28 22:28 | Comments(2) | 思考及び書くこと
今日の一言「平野啓一郎の小説面白い」

まえがき

 前の記事のコメントで、「平野啓一郎」という方のネット記事を紹介いただいた。

「んぁ長い!」

 っと、初見でそう思ったものの、ちょっと読み進めると、だんだんと興味が惹かれていった。

 聞いたこともない人だったので調べてみると、どうやら小説家で、「本心」という小説が映像化もされるほど人気だという。

 ふむ……と思って、アマゾンで調べてみると、サンプルを読めた。

久々に小説を面白いと思った

 たいてい、何か、記事をかくときって、作品に触れて、それを読んだり、見たり、終わってからの感想になる。

 いまはまだ、1/3ぐらいしか読み終わってないと思う。

 だが、圧倒的筆致。

 家に帰ってから、外套を脱ぐのも忘れるほど、ページをめくる指がとまらなかった。
(実はキンドルなのでスマホである)



 小説自体、ほとんど読めてなかったが、これは面白い。やっぱり、小説、ならではの意味とか価値ってあるなと、改めて思った。

何が面白いか

 テーマが、面白い。
 ARとか、VRとか、アバターとか、VF(ヴァーチャル・フィギュア)とか。

 AI学習とか。

 そして、そんな中、描かれる人の「本心」とは何かというテーマ(だと思う。読み終わってないし、分からんが)。

 数年前から、似たような小説を僕も描きたかった。

 孤独な青年が、人工知能を有した人型ロボット(アンドロイド)との交流から、「ココロ」というものを感じ取っていくというようなふわっとした構想。
 いや、「本心」という作品はそんな稚拙なテーマではないんだろうが、でも、似たようなことを考えたい、作品化したいという気持ちは多くの人が昨今思うと思う。

 しかし実際書くと難しい。そういうのが、上手く描かれてると思う。プロはすごい。


 ただ、この記事ではそんな分かり切ったことを書きたいというよりも、むしろ、僕の最近停滞気味であった「感情」が動いたことを書いておきたいのであって、その小説自体のレビューをしたいのではない。


感情の動き

 感情が動くことを、感動という。

 正直、幸福感を得られるような感動かというとよく分からない。どっちかというと、寂しさというか、ミステリアスな雰囲気。

 おいしいものたべた幸せとは全く違う。でも、いま、このとき、自分のこの時間を費やすのに「最適だ」と思える、そんな時間を過ごすことができている。

 残り、1/3だが、アマゾンで、900円程度の金額でこうした時間を過ごせるというのは、とてもとても、現代風にいえば、「コスパが良い」と思った。

 果たして、小説を読んだからといって、ボクが、何か、変わるわけではない。

 と、思う。

 ただの、消費活動の一種なのかもしれない。

 でも、良い作品に触れて過ごすという時間は、人間にとって、重要なものだとも、思う。


停滞

 ちなみに、三国無双originsというゲームもやってみたが、これもまた「面白い」と思った。

 いや確かに、最近やったゲームの中で、FF16も、まぁまぁ面白いと思ったものの、「うーん。まぁ、僕も歳をとったから、新しいゲームでは、昔ほどの感動は得られないのか」という少し哀しい気持ちになったのも事実だった。
 FF14も以前ほどモチベーションがない。あんまりやることがないとか、先に進もうという気持ちになれないというのはもっと前からだったが、自分の好きだったキャラクターが変わってしまったこともモチベ低下の大きな理由になっている。自己同一性(アイデンティティ)の崩壊である。
 なんとなく、イライラつらい仕事が終わって家に帰ってきて、以前ほど楽しめなくなった余暇時間に停滞を感じていた(のだろう)。


 いやしかし、三国無双originsは、面白かった。

 ゲームに対する感動。心躍る気持ち。

 よかった、ボクはまだ、楽しむ心を持っているんだ。失ってなかったんだ、と。

 そう思えてよかった。

 人生に呪詛をまき散らして、他人を批判したり妬んだり悪口いったりするだけの人間にならなくて済みそうだ。ありがたい。コーエーさんありがとう。
 前出の、小説家の平野さんありがとう。


 ちなみに、三国無双originsも、まだ1/3ぐらいしかやってないと思う。

 クリアしちゃってから書こうとすると、「面白いーー!」って気持ちがしゅんとしぼんでしまうので、取りあえず書き残しておこうというのが今回の記事の主旨である。

 

あとがき

(かっこ書きである。あとがきで、ようやくタイトルのことに触れるが、もちろん、育ててくれた親とか、その他関わってくれた現実世界の方々への感謝の気持ちは多大にある。ありがとう。しかし、どうにも、ふつうに、現実世界の中で「当たり前に」生きていくことができなかった「変な」自分にとって、ネットの世界というのは特別な場所であり続けた。高校時代に出会って初めてネットゲームした方、メッセンジャーで色んなことを語り合った(必ずしも交じり合わなかったものの、その経験すらもかけがえないものだ)、mixi時代に出会った方からは「思考」を突き詰めるということを学んだ。身分も、収入もステータスも、性別は多分男性であったろうが、何も分からない、でも、ただ、自分と同じ「次元」で感じ、考えを持つ人も存在するのだと思った。哲学的ゾンビという考え方は、どこまでも否定できるものではないと思うが、しかし、いや、人間はやはり哲学的ゾンビなどではなく、自分の意志で、思考ができているのだという、そう思えた。もはや、あのような会話ができるのであれば、哲学的ゾンビでも一向にかまわないとすら思える感覚。このブログもそうだ。このブログを始めた(変更した)きっかけというのも、リアルの大きな変化であったものの、そのときにあたたかい声をかけてくださった方々のことを、ボクは未だ忘れていない。かわりに、嫌なことされたやつのことも、それは、小学校、中学校で、もう二度と会うこともないだろう奴のことも、30年以上たっても、ボクは忘れていない。あいつらが死んでいても、ボクは何ら悔恨なく、逆に喜ぶだろう……いや?? いやな気持は消えてないが、しかし、別にどうでもいいな……。生きてても死んでてもどっちでもいい。ただ、二度と関わりたくはない。いくらお金を積まれても拒否するだろう。話それたが、コメントで、タイムリーに感動するような作品(今回は作者)を教えてくださったことにとても感謝である)

BGM:pianohouse:POLYPHONIC(Neko Daruma)

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