今日の一言「やらなあかんことがあるんだが」
薬買わないとと思ってたら忘れた。
高いんだよな、アレルギーの薬。かといって病院に行ってもらうのも面倒だし、初診料とか検査費用を含めると、おそらく一般薬を買ってもさほど変わらない気がする。
その中で、MMORPGというジャンルがある。何の略かは、忘れた。たくさんの人が集うオンラインのRPGという意味だ、確か。調べてもいいが、調べてもすぐ忘れる気がするのでもはや調べない。
ウルティマオンラインとかリネージュとか。聞いたことはあるけれど、僕はやったことがない。
ファイナルファンタジー14というのを最近始めた。
友人に勧められて始めたが、まぁこれ、面白い。
黒い砂漠というMMORPGもやったことがある。あれはあれで面白かった。
しかし、2週間ぐらいやってみて、FF14の方が面白いと思った。
グラフィックは正直、少し物足りない。黒い砂漠の方がきれいな気がする。
しかし、それ以上に、ストーリーがちゃんとあって、面白い。変な言葉かもしれないが、ちゃんとRPGしている気分にさせてくれる。
グラフィックについては、PS5版では強化されるらしい。是非PC版でも強化してほしい。先日購入したハイスペックなRTX3080グラフィックカードの全力……(全力だと熱暴走するかもしれないので、80%ぐらい)を見せてほしい。
仕事は、ちょっとモチベーションが上がらない……というより、やること多くて辟易するが、しかし、週末に遊べると思うと、少し気持ちが回復した。
ので、これから書くことは、自分が体験したことではないが、以前からふれておきたかったので、今回を機に書いておく。
二つの日記(ブログ)がある。
オンラインゲームのチームが、お互いをブロックしあう最悪の結末を迎えて崩壊した話。
雨宮紫苑さんという方が、2020年に書かれたブログだ。
もう一つ、これはFF14の日記(ロードストーン)だ。
ありったけの勇気を振り絞って発言した結果
こちらは、Miki Hikaruさんという書かれた日記だ。
どちらも、僕がオンラインゲーム、とりわけ、MMORPGに対して抱いていた印象である。
一言でいうと、「ギスギスオンライン」。
前者の日記は、どのゲームかについてこそ触れられていないが、僕は、なんとなくFF14のことなんじゃないかと思っていて、実際FF14を始めて、ほぼ確信した。(8人パーティで挑む高難易度コンテンツ、かつDPSチェックという単語から)
もっと邪推すれば、マイディーさんのブログでは、バハムート(ツインタニア?)戦のことを大繩跳びと表現されていて、それのことなんじゃないかとも思う。
……逆にいえば、そんな高難易度なものだからこそ、「光のお父さん」で、見事クリアしたという記事をみて、僕は感動したのだった。
しかし、なんとか社会人として30代まで生きてきたので、最低限のコミュニケーションは取れる。
しかし、しかし、会社でのコミュニケーションは、……いやプライベートでさえも、完全にメンタルフリー(自由)ではない。
この人にはこういっちゃいけないかな、こういう場面だとこう思われちゃうかな、こういう根回ししたほうがいいかな、とか考えてしまう(いや考えなければいけないのだろうが、しかし、考えなくてもできる人のことを、僕はコミュニケーション能力が高い人、という認定をしている。ま、そんなのは目に見えるものではないのだが。いくら円滑なコミュニケーション取れていても、水面下のアヒルのようにもがいている人だっていると思うのだ)
唯一、ブログを書くときぐらいは、自由な気がする。
自由に書ける、というのは、本当に素晴らしいことだ。
弱者に厳しいかもしれないが、資本主義社会の最大の利点に思う。いや共産主義社会でも、思想信条の自由を実現することは可能かもしれないが、かなり困難な気がする。資本主義の中で共産主義っぽいことはできるが、共産主義のなかで資本主義はできない気がする。(テキトーな思い付きである。こういうテキトーなことも書けるのが自由の良いところかもしれない)
そんで何を言いたいかというと、その、難しいコミュニケーションをリアル世界ではやってなきゃいけないが、ブログとか、ゲームとかでは、自由なわけだ。
しかし、なぜそんな限られた自由な楽しいゲームの世界まで、ギスギスするかもしれないという恐怖の中でコミュニケーションしなきゃいけないんだ、そう思ってたというわけだ。
完全に一人、というのは、どういうことか。
無人島に一人だけ、という事態かもしれない。
10億年ボタンのように、何もない空間のことかもしれない。
とにかく、「面倒くさい」と思いつつも、しかし、レースゲームだって、エースコンバットだって、RPGだって、「人」が登場しないゲームはない。
いや、ゲームどころじゃない。アニメも漫画も映画も、そこで生み出される様々な物語も、また人が紡ぐ物語である。
現に、このブログも、「公開」している。それはどこか、人とつながりたいと……つながりたくないと思いながら、つながりたいと思う二律背反の思いがあることの証左な気がする。
日本語がおかしい。しかし、より自分の気持ちを適切に表現している気がする。
楽しいけど怖い、ではない。楽しいから怖い。
FF14が、楽しくなければよかった。あーやっぱり、俺にはMMORPGは合わないんだな。で、終わっていただろう。
しかし、なまじ、楽しかったがゆえに、最初に挙げた、2つのブログのようなことが怖い。
まだ、そんなことには出会っていない。
でも、今後そういうことに出会うかもしれない。
現に近しいことは既にあった。(コンテンツファインダーという、見知らぬ人とパーティを組んでダンジョンに挑む仕組みにて)
・なんで30LVなってるのに、白魔導士なってないの? と言われた(※)
※ 初期は、幻術士という「クラス」しか選べないが、レベル30になって、特定のクエストをクリアすると、より強力な「ジョブ」である白魔導士にチェンジできるのだ。僕はそのとき、30レベルにはなっていたが、必要なクエストが終わってなかったのでクラスチェンジできなかった。が、そうした説明するのも面倒だったし、言ってきた人も親切で、クラスチェンジってあるんですよーと教えてくれる主旨だったのかもしれない。そこらへん分からないが、僕は、半々ぐらいの可能性があると、まず「悪い方」の可能性であることを信じがちである。ちなみに、既に白魔導士にクラスチェンジできるようになったが、レベルが低いダンジョンに行く際(レベルシンクという仕組みで、レベルやステータスが低いレベルに適正化される)も、ジョブの方がなんらか有利なのだろうか。ステータスというより、使える技や魔法が多いから有利ってことかな。と、いうか、上の「レベルシンク」が発生してるのに、どうして30レベルになってるのに……ってその人は分かったんだろう。そこらへんも不思議。
よく考えると、何事も悪い方向に考えがちな性格がよくない気もするな。
仕事中もそれによってびくびくしている気もする。
というのは、たぶん、「いいかっこしい」なのだろうな。「よく見られたい」という卑しい思いが強いのかもしれない。まぁでも、悪くは思われなくないのは間違いない。悪く思われる、ということは、その相手に嫌な思いをさせた、ということに他ならない。自分も嫌な思いはしたくないが、相手にもさせてくはないものだ。
――そうやって自分の殻に閉じこもるのはよくないよ!
――他人なんて、そんなに君のことなんて気にしてないよ!
というアドバイスが適切なのだが、まぁ、そういった一通りのことは一応「知識」としては分かっている。ただ、どうしても「悪い方向に思いがち」という傾向がある。そういう傾向があるから、どうしてもコミュニケーションが苦手、という意識があるのだ。
それは煎じ詰めるに、「怖い」という感情が原因なのではないか、などと今日は思う。
もっと敷衍すれば、「生きる意味を考える」というのも、「死ぬ」ということが怖いから、考えたくなるのかもしれない、というのは、昔からなんとなく思ってる。
基本的にこのブログはダークである。
イラストはじめてデザインを白っぽくしたけれど、中身は基本的にダークである。
ダークがいいんだ。ダークな場所も必要なんだと思うんだ。
会社やプライベートでは、ダークになってられないんだ……。
それはそうと、イラストコーナーである。
FF14でフレンドさんがプレゼントしてくれた傘をイメージ。
傘さすと、ちゃんと雨に濡れなくなるんですよーとも教えてもらった。
すごいな。なんかそういう細かいところがちゃんと作られているから、ストーリー性を感じるというか、ロールプレイしている気持ちになれるんだろうな。
んで、イラストはというと、やっぱりレイヤーのフォーマットをちゃんと作っておくのが時短になる気がする。
前僕は、
・線画のフォルダ(レイヤーをまとめて置くフォルダ。以下同じ)
・色のフォルダ
に大きくフォルダ分けてしていて、色のフォルダはさらに以下のように分けていた。
上
・髪の色
・目の色
・服の色
・肌の色
下
色のフォルダの中身は以下のようにしている。
上
・ハイライトのクリッピングレイヤー
・2影のクリッピングレイヤー
・影のクリッピングレイヤー
・ベース
下
(クリッピングレイヤーは、下のレイヤーの色が塗られているところだけを塗ることができる。ので、はみ出さずにぬれて便利)
PCを新調したせいで、そのフォーマットもなくなってしまっていたが、あるとないのとだと全然違うことを実感。
やっぱり枠組みがあると、あー次はこれをやらなきゃな、というのが感覚的にわかる。
何もないと、次に何をしていいのか分からなくなる。
イラストのクオリティはともかく、前回よりは気持ちのハードルは低めに作業できた。
来週は週末も少し予定が入りそうなため危険だが、なんとかイラストの更新もできるようにしたい。どうしてもだめなら、せめてブログ更新だけでもしよう。
まえがき
うーむ。花粉症……? がつらい。目がかゆいのと、鼻水がたくさんでる。薬買わないとと思ってたら忘れた。
高いんだよな、アレルギーの薬。かといって病院に行ってもらうのも面倒だし、初診料とか検査費用を含めると、おそらく一般薬を買ってもさほど変わらない気がする。
MMORPG
オンラインゲームというのは、インターネットを通じて、世界中の人と一緒にプレイできるゲームジャンルだ。その中で、MMORPGというジャンルがある。何の略かは、忘れた。たくさんの人が集うオンラインのRPGという意味だ、確か。調べてもいいが、調べてもすぐ忘れる気がするのでもはや調べない。
ウルティマオンラインとかリネージュとか。聞いたことはあるけれど、僕はやったことがない。
ファイナルファンタジー14というのを最近始めた。
友人に勧められて始めたが、まぁこれ、面白い。
黒い砂漠というMMORPGもやったことがある。あれはあれで面白かった。
しかし、2週間ぐらいやってみて、FF14の方が面白いと思った。
グラフィックは正直、少し物足りない。黒い砂漠の方がきれいな気がする。
しかし、それ以上に、ストーリーがちゃんとあって、面白い。変な言葉かもしれないが、ちゃんとRPGしている気分にさせてくれる。
グラフィックについては、PS5版では強化されるらしい。是非PC版でも強化してほしい。先日購入したハイスペックなRTX3080グラフィックカードの全力……(全力だと熱暴走するかもしれないので、80%ぐらい)を見せてほしい。
ギスギスオンライン
楽しい。仕事は、ちょっとモチベーションが上がらない……というより、やること多くて辟易するが、しかし、週末に遊べると思うと、少し気持ちが回復した。
ので、これから書くことは、自分が体験したことではないが、以前からふれておきたかったので、今回を機に書いておく。
二つの日記(ブログ)がある。
オンラインゲームのチームが、お互いをブロックしあう最悪の結末を迎えて崩壊した話。
雨宮紫苑さんという方が、2020年に書かれたブログだ。
もう一つ、これはFF14の日記(ロードストーン)だ。
ありったけの勇気を振り絞って発言した結果
こちらは、Miki Hikaruさんという書かれた日記だ。
どちらも、僕がオンラインゲーム、とりわけ、MMORPGに対して抱いていた印象である。
一言でいうと、「ギスギスオンライン」。
前者の日記は、どのゲームかについてこそ触れられていないが、僕は、なんとなくFF14のことなんじゃないかと思っていて、実際FF14を始めて、ほぼ確信した。(8人パーティで挑む高難易度コンテンツ、かつDPSチェックという単語から)
もっと邪推すれば、マイディーさんのブログでは、バハムート(ツインタニア?)戦のことを大繩跳びと表現されていて、それのことなんじゃないかとも思う。
……逆にいえば、そんな高難易度なものだからこそ、「光のお父さん」で、見事クリアしたという記事をみて、僕は感動したのだった。
コミュニケーション
僕は、コミュニケーションが苦手である。しかし、なんとか社会人として30代まで生きてきたので、最低限のコミュニケーションは取れる。
しかし、しかし、会社でのコミュニケーションは、……いやプライベートでさえも、完全にメンタルフリー(自由)ではない。
この人にはこういっちゃいけないかな、こういう場面だとこう思われちゃうかな、こういう根回ししたほうがいいかな、とか考えてしまう(いや考えなければいけないのだろうが、しかし、考えなくてもできる人のことを、僕はコミュニケーション能力が高い人、という認定をしている。ま、そんなのは目に見えるものではないのだが。いくら円滑なコミュニケーション取れていても、水面下のアヒルのようにもがいている人だっていると思うのだ)
唯一、ブログを書くときぐらいは、自由な気がする。
自由に書ける、というのは、本当に素晴らしいことだ。
弱者に厳しいかもしれないが、資本主義社会の最大の利点に思う。いや共産主義社会でも、思想信条の自由を実現することは可能かもしれないが、かなり困難な気がする。資本主義の中で共産主義っぽいことはできるが、共産主義のなかで資本主義はできない気がする。(テキトーな思い付きである。こういうテキトーなことも書けるのが自由の良いところかもしれない)
そんで何を言いたいかというと、その、難しいコミュニケーションをリアル世界ではやってなきゃいけないが、ブログとか、ゲームとかでは、自由なわけだ。
しかし、なぜそんな限られた自由な楽しいゲームの世界まで、ギスギスするかもしれないという恐怖の中でコミュニケーションしなきゃいけないんだ、そう思ってたというわけだ。
しかしオフラインもまた人である
が、しかし、完全に一人がよいか、というと、そうではない。完全に一人、というのは、どういうことか。
無人島に一人だけ、という事態かもしれない。
10億年ボタンのように、何もない空間のことかもしれない。
とにかく、「面倒くさい」と思いつつも、しかし、レースゲームだって、エースコンバットだって、RPGだって、「人」が登場しないゲームはない。
いや、ゲームどころじゃない。アニメも漫画も映画も、そこで生み出される様々な物語も、また人が紡ぐ物語である。
現に、このブログも、「公開」している。それはどこか、人とつながりたいと……つながりたくないと思いながら、つながりたいと思う二律背反の思いがあることの証左な気がする。
楽しいから怖い
――だから、このブログで何が言いたいかというと、「FF14楽しいから、「怖い」な」ということである。日本語がおかしい。しかし、より自分の気持ちを適切に表現している気がする。
楽しいけど怖い、ではない。楽しいから怖い。
FF14が、楽しくなければよかった。あーやっぱり、俺にはMMORPGは合わないんだな。で、終わっていただろう。
しかし、なまじ、楽しかったがゆえに、最初に挙げた、2つのブログのようなことが怖い。
まだ、そんなことには出会っていない。
でも、今後そういうことに出会うかもしれない。
現に近しいことは既にあった。(コンテンツファインダーという、見知らぬ人とパーティを組んでダンジョンに挑む仕組みにて)
・なんで30LVなってるのに、白魔導士なってないの? と言われた(※)
※ 初期は、幻術士という「クラス」しか選べないが、レベル30になって、特定のクエストをクリアすると、より強力な「ジョブ」である白魔導士にチェンジできるのだ。僕はそのとき、30レベルにはなっていたが、必要なクエストが終わってなかったのでクラスチェンジできなかった。が、そうした説明するのも面倒だったし、言ってきた人も親切で、クラスチェンジってあるんですよーと教えてくれる主旨だったのかもしれない。そこらへん分からないが、僕は、半々ぐらいの可能性があると、まず「悪い方」の可能性であることを信じがちである。ちなみに、既に白魔導士にクラスチェンジできるようになったが、レベルが低いダンジョンに行く際(レベルシンクという仕組みで、レベルやステータスが低いレベルに適正化される)も、ジョブの方がなんらか有利なのだろうか。ステータスというより、使える技や魔法が多いから有利ってことかな。と、いうか、上の「レベルシンク」が発生してるのに、どうして30レベルになってるのに……ってその人は分かったんだろう。そこらへんも不思議。
よく考えると、何事も悪い方向に考えがちな性格がよくない気もするな。
仕事中もそれによってびくびくしている気もする。
というのは、たぶん、「いいかっこしい」なのだろうな。「よく見られたい」という卑しい思いが強いのかもしれない。まぁでも、悪くは思われなくないのは間違いない。悪く思われる、ということは、その相手に嫌な思いをさせた、ということに他ならない。自分も嫌な思いはしたくないが、相手にもさせてくはないものだ。
――そうやって自分の殻に閉じこもるのはよくないよ!
――他人なんて、そんなに君のことなんて気にしてないよ!
というアドバイスが適切なのだが、まぁ、そういった一通りのことは一応「知識」としては分かっている。ただ、どうしても「悪い方向に思いがち」という傾向がある。そういう傾向があるから、どうしてもコミュニケーションが苦手、という意識があるのだ。
それは煎じ詰めるに、「怖い」という感情が原因なのではないか、などと今日は思う。
もっと敷衍すれば、「生きる意味を考える」というのも、「死ぬ」ということが怖いから、考えたくなるのかもしれない、というのは、昔からなんとなく思ってる。
イラストコーナー
と、まぁ、暗い感じの記事である。基本的にこのブログはダークである。
イラストはじめてデザインを白っぽくしたけれど、中身は基本的にダークである。
ダークがいいんだ。ダークな場所も必要なんだと思うんだ。
会社やプライベートでは、ダークになってられないんだ……。
それはそうと、イラストコーナーである。
FF14でフレンドさんがプレゼントしてくれた傘をイメージ。
傘さすと、ちゃんと雨に濡れなくなるんですよーとも教えてもらった。
すごいな。なんかそういう細かいところがちゃんと作られているから、ストーリー性を感じるというか、ロールプレイしている気持ちになれるんだろうな。
んで、イラストはというと、やっぱりレイヤーのフォーマットをちゃんと作っておくのが時短になる気がする。
前僕は、
・線画のフォルダ(レイヤーをまとめて置くフォルダ。以下同じ)
・色のフォルダ
に大きくフォルダ分けてしていて、色のフォルダはさらに以下のように分けていた。
上
・髪の色
・目の色
・服の色
・肌の色
下
色のフォルダの中身は以下のようにしている。
上
・ハイライトのクリッピングレイヤー
・2影のクリッピングレイヤー
・影のクリッピングレイヤー
・ベース
下
(クリッピングレイヤーは、下のレイヤーの色が塗られているところだけを塗ることができる。ので、はみ出さずにぬれて便利)
PCを新調したせいで、そのフォーマットもなくなってしまっていたが、あるとないのとだと全然違うことを実感。
やっぱり枠組みがあると、あー次はこれをやらなきゃな、というのが感覚的にわかる。
何もないと、次に何をしていいのか分からなくなる。
イラストのクオリティはともかく、前回よりは気持ちのハードルは低めに作業できた。
来週は週末も少し予定が入りそうなため危険だが、なんとかイラストの更新もできるようにしたい。どうしてもだめなら、せめてブログ更新だけでもしよう。
あとがき
(かっこ書きである。何か主旨が分かりにくい記事なのだが、――いやそれはいつもか。そういったことを気にせず書けるのがこの場のよいところだ。その利点がなければ、意味がない。んで、色々書いたけれど、FF14面白い、ってことである。人とのかかわりも含めて、だ。これは、オンラインじゃないと味わえない楽しさだ、と思う。いや確かに、甲子園を目指して仲間と努力して頑張る、というのも、同じような――いや同じにしたらひどいか、それ以上の達成感や喜びがあるんだろう。が、しかし、多くの人は「球拾い」であることを忘れてはならない。球拾いじゃなくても、二軍のベンチで、もしくは、観客席で、声をはりあげて応援するだけかもしれない。観客席の3年生が、レギュラーメンバーと肩を抱き合って涙するような場面もあったりするだろうが、僕は、それは「楽しい」とか「達成感」とは思わないだろう。――所詮ゲーム、と言われるかもしれない。多くの人はそういう感覚しかないだろう。しかし、観客席の3年生よりかは、オンラインゲームで仲間と一緒に敵を倒した方が「楽しい」と思う。しかしそれでも、それは「まがいもの」という人がいるだろう。絶対いるだろう。いなくはならないだろう。でも、そうじゃないんだと、ゲームであっても、そこでの思い出や感情は、それ自体は嘘じゃないんだと。そういった主張をずっとされてたのが、マイディーさんだと、「光のお父さん」を読んで、見て、僕は思った。――なんだろう、現実は現実で大事なんだけど、でも、「現実」って、嘘っぽいんだよな。現実なのに、嘘。なんだろう、言いたいこと、誰かに伝わるだろうか。伝わらないだろう。でも、僕がゲームも含めて、「物語」が好きな理由がそこにある気がする。物語の方が、逆に「真実」であり、「純粋」な気がする。何故なんだ。それは人の多面性が故に)PR
コメント
コメントありがとうございます。
なんだか、一つ記事にさせていただきたいほどの内容で、ほんと嬉しくありがたく思います。
◆イラストのレイヤー
レイヤーが多ければよいわけではない、とプロの方も仰ってますし、気にすることはないと思います。最小限の方が、描くスピードも速くなるし望ましいようですよ。
自分の場合は、書き損じや、ちょっとイメージ違ったなぁ、ということが多いので、そのときにレイヤーが分かれていると修正のしやすさはかなりあります。
ただ今回、修正しやすさ、という観点だけではなくて、フォーマットというか、テンプレ的な描きやすさにも繋がるんだなぁというのも気づきました。
◆ギスギス
やはり相容れない人と会われたこともあるんですねぇ…。一期一会のCFとかが多いのでしょうか?
FC内で何か問題があったら、もっと大変なんだろうなとも思います。なので、人数が多いFCのマスターとかされてる方たちはほんとすごいなと思います。
◆嫌になったらやめる
確かにそれができるのがオンラインのよいところかもしれません。
だからこそ、自分勝手か言動する人が多い確率が高いのかもしれませんね。
現実は本能的なモノが働く、というのもなるほどなと思いました。
◆続ける理由
良い人も多いし、今しかできないことを体験する、というのは、やはりオフゲーではないことですね。もちろん自分の体調や状況によって、今しかできないということはあるかもしれませんが、それ以上の蓋然性があるのがオンゲーだと思います。
私は、GTA5というゲームで、四人パーティーで高難易度のコンテンツを数日かけてクリアした時のこと、もう数年前になりますが今でも覚えています。
まぁ、それをクリアした後に、リアル状況の変化もありながら、なんか燃え尽き症候群的になって遠ざかってしまったのはありますが…。
あのときのメンバーとも、もう会う手段がなくなってしまいました。
◆ロドスト
そういった意味で、ff14は、プラットフォームが異なってもみんなで遊べるという点や、ロードストーンの存在が大きいと思います。ゲーム内でフレンドなったひとのことを、スマホから日記を読んだりできるのはすごいなと。
日記閲覧は、Google検索とかにもひっかかる公開設定も可能なこともすごいなと思います。
◆サーチコメント
存在を知りませんでした!
早速追加してみてみたり(笑)
なんだか、一つ記事にさせていただきたいほどの内容で、ほんと嬉しくありがたく思います。
◆イラストのレイヤー
レイヤーが多ければよいわけではない、とプロの方も仰ってますし、気にすることはないと思います。最小限の方が、描くスピードも速くなるし望ましいようですよ。
自分の場合は、書き損じや、ちょっとイメージ違ったなぁ、ということが多いので、そのときにレイヤーが分かれていると修正のしやすさはかなりあります。
ただ今回、修正しやすさ、という観点だけではなくて、フォーマットというか、テンプレ的な描きやすさにも繋がるんだなぁというのも気づきました。
◆ギスギス
やはり相容れない人と会われたこともあるんですねぇ…。一期一会のCFとかが多いのでしょうか?
FC内で何か問題があったら、もっと大変なんだろうなとも思います。なので、人数が多いFCのマスターとかされてる方たちはほんとすごいなと思います。
◆嫌になったらやめる
確かにそれができるのがオンラインのよいところかもしれません。
だからこそ、自分勝手か言動する人が多い確率が高いのかもしれませんね。
現実は本能的なモノが働く、というのもなるほどなと思いました。
◆続ける理由
良い人も多いし、今しかできないことを体験する、というのは、やはりオフゲーではないことですね。もちろん自分の体調や状況によって、今しかできないということはあるかもしれませんが、それ以上の蓋然性があるのがオンゲーだと思います。
私は、GTA5というゲームで、四人パーティーで高難易度のコンテンツを数日かけてクリアした時のこと、もう数年前になりますが今でも覚えています。
まぁ、それをクリアした後に、リアル状況の変化もありながら、なんか燃え尽き症候群的になって遠ざかってしまったのはありますが…。
あのときのメンバーとも、もう会う手段がなくなってしまいました。
◆ロドスト
そういった意味で、ff14は、プラットフォームが異なってもみんなで遊べるという点や、ロードストーンの存在が大きいと思います。ゲーム内でフレンドなったひとのことを、スマホから日記を読んだりできるのはすごいなと。
日記閲覧は、Google検索とかにもひっかかる公開設定も可能なこともすごいなと思います。
◆サーチコメント
存在を知りませんでした!
早速追加してみてみたり(笑)
posted by endoat 2021/03/11 23:33 [ コメントを修正する ]
「Massively Multiplayer Online Role-Playing Game(大規模多人数同時参加型オンラインRPG)」の略だそうです(ググってコピペ)
>黒い砂漠
ちょっとやってみたことはあったんですが、色々とシステム的にリアリティはあるものの不便過ぎてカジュアルに遊ぶのがきついというのが続けられなかった一番の理由ですかね……。
>ギスギス
こういう事例がどうしてもこの手の「人との関わり方が濃い目のゲーム」には付き纏いますね。
人間は元々、生存本能から不快・不愉快な体験・情報は自分が行きていく上では危険なものとして捉えてしまうので、「ネガティブなものは強く印象に残る」という性質があります。SNSなどでの炎上やメディアの取り上げ方なんかもその仕組が影響していると思います。
で、ゲームにおいても、どれだけそれまでに楽しく良い思いをしていても、たった一度嫌なことがあっただけで辞めたくなってしまう、辞めてしまう、なんてことは簡単に起こります。
色んな人と一期一会ででも接する機会が増えれば増えるほど、ポジティブだけではない面に触れる可能性や確率も増えて行ってしまう。
どれだけ正しいことや良いことを言っても、聞き入れてくれない、話が通じない人は確かにいます。
私自身もFF14をやっていてそういう「相容れない人」と遭遇したことは一度や二度ではありませんし、いわゆる嫌な思いをしたこともあります。今やオンラインゲームとしてはかなりの人口になっていますから、母数が増えれば相対的にそういう問題のある人もそれなりに存在してしまうことになります。中には愉快犯的に「現実じゃないんだから自分本位に振る舞う」なんてのもいてしまうわけですが、まぁ、現実でも悪い奴はいますから、オンランゲームもある種現実との合わせ鏡とも言えるのかもしれません。
それでも続けている理由は「ゲーム自体が楽しい/好き(ストーリーとか音楽とか世界観とか)」というのもありますが、「そうではない人もたくさんいるから」ということや、「物凄く濃い体験をすることもある」「その時にしかできないその時だけの体験をしている感が強い」からだと思います。
加えて、私は「他人に期待はしない」というのが意識にあります。詳しく書くとまた長くなるので簡潔に書きますが、「良い人だったらラッキー」「嫌な人だったら運が悪かった」で最終的に思考や感情を断ち切れるように準備しているとでも言いましょうか。
当事者がその出来事や相手の言い分などに納得できるかはともかく、「色んな人が遊んでるんだからまぁ中にはそういう考え方する(相手の事情や思考に思いを巡らせない、自分にはどうしても理解できない)人もいたりするか」という形で飲み込んでしまえるようになっておくのが対策と言えるかもしれません。
だからと言って、私だってそういう事象に遭遇しても全く気にならない、気にしないなんてことはありません(ゲーム内のフレンドに愚痴ったりしたこともある)し、遭遇したいとも思いませんけどね。
チームやパーティでの揉め事だとかも、結局のところは関係者間の意思統一や状況把握が出来ていないのが根本原因だったりしますし(CFは意思統一できない前提で存在している)、「何事も言わなきゃ分からない」ってところもあるんですよね。「言って分からない」ならもうどうしようもないんですけれど_(┐「ε:)_
この手の事象って、100%防ぐには良い関係を築けそうなフレンドや身内のみといったような少人数グループで遊ぶぐらいしかないんですよね。それですら、何かのボタンの掛け違いで関係が悪化してしまうことがないとも言い切れないし。
まぁ、遊び方はそれぞれではありますから、「嫌になったらやめる」も別に間違ってはいないんですけどね。
「楽しいからこそ怖い」という葛藤はそれだけあの世界を魅力的に感じてもらえてるということでもあるので嬉しく思ってしまうところもあります。
>Lv30
今ってほんとレベル上がるの早いんですよね……。メインクエスト進んでないのにサブクエストや復習などでIDに行くとどんどんレベル上がっていってしまう。現役プレイヤー的にもちょっと悩ましい問題だったりします。
レベルシンクがかかる低レベル時のジョブの恩恵は今だと正直あんまりないですかねぇ……。レベルシンク上限が30にかかっているダンジョンとかではジョブになれているかどうかで使えるアクションが増減する(ジョブクエスト習得アクションはジョブでないと使えない)ので、ジョブになっておくことが好ましいですけれど。
他人のレベルについては、キャラクターを右クリックした際に出てくるサブメニューで「サーチ情報を閲覧」を選ぶと、そのプレイヤーの全ジョブのレベル状況や一言コメント(※サーチコメントと呼ばれる)が見られるのですが、そのサーチ情報には「その人の本来のレベル」で表示されるので、誰でも知ることができます。
また、ロードストーンでキャラクター名で検索したりしてもその人のジョブ育成状況などは確認できてしまいます。
>甲子園の例え
そういえばこの手の例えでつくづく思うことなんですが、仲間内で揉め事があったり、メンバーや教師、外部の人間などに飛び抜けて嫌な奴や問題ある奴がいて部活が崩壊の危機に瀕したり崩壊してしまったりってこともあると思うんですけど、そういう「ダメだった事例」だってオンラインゲームと同じようにあるだろうに全く考慮されないで「サクセスしている面、上手く行ったであろう人たち」だけ引き合いに出されるの納得いかないんですよね。甲子園で言えば勝ったチームがいるなら負けたチームもいるわけで。
私が単純に現実のスポーツあんま好きじゃないってのもあるかもしれないんですけど(笑)
>イラスト
そんなにレイヤー細かく分けてたとは。私まだ全然ツール使いこなせてないんだなぁ……。
>現実って「嘘」っぽい
現実だからこそ、というか「何らかの致命的な失敗=自分の生命的・社会的な死」がちらつきやすいことで、自分の本心を曝け出して生きたり、心の底から何もかも好きなように生きることが難しいのはあると思います。私もそうです。
色々なものが複雑に絡まり合って形成されている現代社会において、「まず自分が生きていくこと」を優先するには「現実的に生きていくこと」を達成し続けなければならず、そのためにはその複雑な絡まり合いの中に自分を置かなければなりませんし、それ故にそこに生き苦しさを感じたりしても抜け出すことも吐き出すこともしにくいと思っています。
仕事などの社会生活の中での他者との関わり合いは良い例だと思います。
心にもないこと言って嫌われたりするのを避けたり、損得を考えたり、自分の社会的立ち位置を失わないようにする立ち回りは今の社会にとっては「今の世の中を生きるのに重要なこと」になっています。
一部の人の中にはそういった枠から抜け出して好き勝手生きているように見える人もいますが、実際にその人からしたら抜け出せているのかは見ている側には分かりません。出来ていたとしても相当なエネルギーと覚悟なり意思が必要だと思いますし、「そういう役回り」を求められたり与えられたりしたからやっているだけなのかもしれません。
「現時点での科学的・技術的・物理的な限界」とかの制約も現実の方が多いですし、そういった一切合財のしがらみを気にせずに目や耳や手足で味わうことのできるエンターテイメントの物語の方が「純粋」に「そうありたい/あって欲しい真実」を描いている、描けていると思います。
だからこそ、私も「書く側でもありたい」と思ってしまうわけで。