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創作進捗グラフ作成ツール
2017/05/15 23:00 | Comments(2) | 創作について
今日の一言「面白そうだったので作ってみた」「後悔はしていない」

バージョンアップVer.0.3(5月15日)

あとは文字数を自動で数える機能があったら便利ですけど、人によって使ってるエディタ違うだろうし、難しいでしょうかね。
 早速ご意見をいただいたので、対応してみることにした(レスポンスを即座に頂けるので非常にやりがいのある仕事である)。

 とはいえ、「文字数を自動で数える」ってどういうことだろうかと帰りの電車で頭を悩ます。
 ご意見の通り、エディタはおそらく人それぞれ。
 であれば、ツール上に作品を、各自のエディタからコピーしてもらって、それをツールに貼り付けると自動で文字数のカウントをする機能であればどうだろうと思いつく。
 しかし、エクセルのセルの文字数上限を調べてみると、3万文字ぐらいであった。ヘビーな作品を書かれる方が浮かぶ。とてもじゃ無いが足りない。
 であれば、「ユーザーフォーム」機能をこの際覚えてみるか、と調べながらやってたら、できた。

使い方

 ツールを起動すると、入力フォームが表示される。入力欄に作品をコピーして頂くと、「入力日」(当日の日付を自動貼付)に該当するシートの日付に、ペタッと貼り付けられるようになった。
 一応、メニュー画面でも、各シートにおける「入力フォーム起動」ボタンでも、どちらからでも該当日にペタッと貼りつく。結構楽になったのではなかろうか、と自画自賛。

01画像:起動すると入力フォームが自動起動する


02画像:入力欄に各自のエディタから作品をコピーして「登録」ボタンを押下すると、


03画像:「入力日」欄と同じ日付に文字数が貼りつく。なお、「入力日」欄は手動で修正も可能。


※なお、フォームからの入力は、事前に入力シート(シート名が「YYYYMM」型)が作成されていることが条件となります。

バージョンアップVer.0.2(5月14日)

 標記ツールについて、早速使ってくださっている方もいるようで、ありがたい限りです。
 そのため、以下点を修正しました。

創作進捗グラフ作成ツールVer.0.2(←DLはこちら)

1.累計グラフ出力機能(ボタン)を追加
2.日単位グラフ出力機能(ボタン)を追加
3.データ入力欄が空白(NULL)の場合、各データ要素を繋げてグラフを作成するように修正

3.については、更新をしない日を「空白」とした場合、グラフをきれいに表示できない(データが点と点になってしまい、グラフ線を引けない)ことが分かったため修正しています。
 =更新しなかったとき、文字数(累計)を入力しなくても大丈夫ということです。


※データ移行については、お手数ですが、旧ツールの入力欄をコピーして、新ツールの入力欄に貼り付けて頂きたいと思います。
※原本をそのままコピーして使用することも可能ですが、シート名については「YYYYMM」(※※)形式にして頂けると、今後追加予定の年次集計機能が使えると思います。(メニューの「シート追加」ボタンでシートを追加するとその形式になります)

※※ YYYY:西暦、MM:月(二ケタ整数)



(以下、公開時の記事)


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近況のメモ(命は光陰に移されて暫くも止め難し)
2017/05/14 22:56 | Comments(0) | 思考及び書くこと
今日の一言「何だか気持ちが曇っているときは、とにかく書いていきましょう」「面白くないことを書いてしまうことの不安や恐怖もまた生ず」

当たり前の生活

 5月も中旬である。
 エアコンが不要になってから久しい。新入生、新入社員も、新しい環境に慣れ始め、五月病が深刻化している時期である。
 気づけば、こんな時期である。

 月日が経つスピードに唯々圧倒される。

 そういえば、昨年の今頃は、「いろいろ」あった。主に、生活面で変化が大きかった。
 一睡もできない日々が続いた、と書けたら分かりやすいけれども、厳密な徹夜は若いころから全然できない。ただ、1~2時間で目が覚めて、みたいな状態はあった。

 離婚、以外に、大事な人との永遠の別れもちょうど重なった。いろいろ、であった。

 けれども、終わってみると、何とあっけないものであろうか。



 ふと、数日間、異なる環境で生活していたけれども、いつもと違う人たちと生活すると、「ふつう」「常識」という言葉が、相当、かなり、自分の人生というものに対し影響していると気づかされる。

 
 例えば、学校に行って、部活動をして、友人をつくって、大学に行って、恋人をつくって、バイトをして、就職して、車を買って、部下を育成し、昇格して、結婚し、マイホームを買って、子どもをつくって、育てて、子どもとキャッチボールをして、両親の介護をして、二人目をつくって、退職をして、両親とお別れをして、孫をみて、……死ぬ。

 その順番とか、内容の深度とかは兎も角、なんとなく、地元で暮らしていた頃はそんなことを、当たり前だと思っていた、気がする。
 そいで、まぁ、そんなルートに外れないようにと、せっせと、「頑張って」いた気がする。

 小学生低学年の頃までは良かった。思考というものは殆ど生じていなかった。それ以降、その時々で、「当たり前」というのに、亀裂や懊悩が生じ、翳りを見せ始めていった。何とか、修正しようと試みた。しかし、それを「努力」と呼ぶことの、なんと哀しいことか。

幼いころの夢

 上のようなことを書いてしまうのは、自分はテレビを殆どみないけれども、テレビを長時間見る機会があったからだと思う。
 特に、若者の将来について、大人が夢を語るような、そんな番組をみた。

 それ自体は面白かったし、高校生や大学生が、真剣に議論する様は、応援したい気持ちになった。

 若者には未来がある。

 俺には、無い。


 いや、俺にも夢はあった……のか?
 漠然と、俺は、悩んでいる人に寄り添って、助けてあげたかった。生きていていいんだ、つらいのは貴方だけじゃないんだ、って、そんな風に励ましてあげるような、見守ってあげられるような、そんな仕事をしたかった。そういった仕事をして、お金をもらって生きていけたらいいなって思った。

 けれども、どこまで真剣に考えたかは置いておいて、そういった「導ける人」ってのは、根本から「明るい人」じゃないとダメなんだなって、そう思わされた。楽天的な人というのか、「人は何故生きるのか?」なんて考えないような人。そういった、カリスマ性がある人。ルックスや、腕力で人を納得させられる人。

 俺はどうやら、そういう人間ではないようだと、気づかされた。
 せいぜい、馴れ合い程度しかできない。「つらいんだね。僕もつらいんだよ」と、共感するぐらいしかできない。しかし、それは本当の意味での「救い」ではない。結局何も変えられない。


 だったら、悩んでいる人への救いは、そうした、カリスマ性のある人に任せる。俺には、向いていないのだ、と。

何故生きるのか、生きているからだ

 同語反復的に、自己言及的に生きよ、というのを、本で読んだ。

 宮台さんは、終わりなき日常を生きろという。

 フランクルさんは、人生に意味を求めるのではない、人生から意味を問われているのだ、と仰っている。

 ある方は、「生きる意味を考えるというのは、自分自身を知ることである」と仰っていた。その方は、自分を見つめる中で、自分のしたいことを漠然とした中で、少しずつ具体化していっている。

 俺は、まだ立ち止まっているのか。

 
 
 余談だが、俺はこう、夜更けに、もしくは黄昏時に、一人思索に耽っているのが好きだ。
 毎週バイトだり、出かける用事があったり、忙しい日々が続き、ふと予定がなくなった日などとても良い。
 窓から差し込む燃ゆる夕陽が、部屋に明暗の縞をつくる様など、思考を止めて侘寂の思いを生じさせる。
 ただ、こうした思いは、日々の生活の「切れ目」にあるからこそ、静かに心を打つのであって、その「日常」が無いときには、黄昏の思いは生じないのではないかと思う。


 閑話休題。

 5月は、あっという間に終わるだろう。

 一年は、あっという間に過ぎるだろう。


 気づけば、いろんなものを手にして、そしてそれ以上に無くしているのだろう。

 お金は大事。だが、それ以上に、時間が大事。

役に立つことを書きたい

 と、まぁ、つらつら書いていくのはいつものことだけれども、まぁ、公開する以上は、なんらか、役に立つことを書きたい。

 役に立つというのは、そう、別に、お金になる儲け話とかじゃなくてもいいし、ライフハック的な何かじゃなくてもいい。
 ただ、誰かに、何らかの影響を与えられるような、そんな可能性が欲しい。

 その影響は、できれば、プラスのものであったら嬉しい。
 いやむしろ、マイナスな影響何て与えたくない。

 よし、何か最近のことメモをしてみるか。

笑うセールスマン

 笑うセールスマンNEWをアマゾンプライムで見た(無料の奴だけ)。オープニングの曲とアニメーションのセンスがいいと思った。NEWというか、NEWじゃない奴はみたことないのだけれど。
 話は、うーん、見たやつがたまたまだったのかもしれないけれども、世にも奇妙な物語とかの方が話の深さ的には面白いと思う。ただ、何か作業中に見るのはいい気がする。

アラビアの夜の種族

 一巻を読了す。
 アニメーションと同じで、途中まではちまちま読んでいて、後半が近づくにつれて一気に読んでしまう。電車から降りても中々やめられず、そのまま立ち尽くしながら読んでいた。それだけ引き込まれていった。
 序盤は、詳細な歴史の教科書を読んでいるようで、少々退屈であった。章立てのタイトルも分かりづらい。きっと意味があるのだろうけれども、一巻を読み終えてもまだ分かっていない。「読者諸氏に置かれては、主人公の人となりについて、まずはこのような描写に止めておくことで満足されたい」とか、そんな視点(書き方)も気持ちを倦厭させた。時折入る訳注は、確かに、アラビア(イスラム圏)についての知識が足りない自分にとってはありがたかったものの、何だか物語の趣向を削がれてしまう。

 おそらく、某氏の勧めがなければ、書店で手に取ったとしても購入することはなかったであろう。しかし、一巻を読み終えた今だから分かる。これは面白い。ということで、二巻、三巻の購入も決定した。

 しっかし。一巻に登場する稀代の魔術師である主人公は、なんとも醜悪な男である。
 途中までは、ルックスから疎まれ、蔑まされた王子が知略をもってし成り上がる話だと思っていたが、――いやその予測はある意味当たってはいたのだが――とんでもなかった。

 だがこの物語はまだ始まったに過ぎない。二巻、三巻とどのように展開していくか楽しみである。

創作進捗グラフ作成ツール

 どうやら、さっそく使ってくださっている方がいるようなので、バージョンアップをしてみた。
 ブログ公開用のグラフ画像をワンクリックで出力できる機能を追加。
 現状、一か月おきの集計なので、半年ぐらいしたら、年次のグラフを出力できる機能を追加して、ひとまず完成ということにしようかと検討している。

 そして、某WEBサイトでも、大きな改修を近々に行うことを宣言したため、これもスケジュールを組んで対応していきたいと思う。

黒い砂漠

 相変わらずストーリーや戦闘(狩り)によるレベルアップを進める時間がなく、単に放置でできる料理とか、野菜果物栽培、まき割りと、生活をしている。
 まとまった時間があれば、いろいろ進めてみたいと思いつつ、平日とか、優先度はどうしても低くなる。

役に立たないこと

 うーむ。最近、何だか、某氏に教えてもらって気に入って使っているブラウザ「スレイプニール」がもっさりしている。
 文字がかなり綺麗に見えるし、クロームで書いていて頻発したクラッシュ問題も一度も起こったことがなくて気に入っていたのだが……。試しに、クロームを起動したら、やっぱりサクサク動く。となると、やはりブラウザに原因がありそうだ。他にも、クリックごとに新しいタブが開いたり、使いづらい点が多かったりするが、だが、文字の表示のきれいさは、段違いである。やはりスレイプニールを使いたい。遅い原因を探ろう。

 そして、次回は、「コンプレックス」について書こう。もう時間がなくなってしまった。

 役に立つ情報とは、「客観的」なものだ。つまり、事実であれば再現性があって、思考ならば論理性が求められるものである。
 それ以外のものは、一人称に過ぎず、つまり、「あー、君がそう思うんなら、そうなんじゃないの」程度のものである。

 仕事って、そういうものである。感情は、唾棄される。

 コミュニケーションとかいうけれど、それは、再現性と論理性を円滑にまわしていくための「技法」に過ぎない。本当の、人間的な、カオスの、アナログな、複雑な感情というのは、もともとノーサンキューなのである。

 という観点でいけば、僕のブログの役に立つ度は、0.001%に満たないだろう。

 唯一、かどうか分からないが、真理に近いのは、「唯一絶対普遍の真理など存在しない」というものであるが、じゃあこれが「論理的」かというと、そうではないし、むしろ、真理に対する否定である命題のため、甚だ役に立つか不明である。

 だがここで、僕は一つ言いたくなることがある。「役に立つ情報」=「客観的」(=再現性があり、論理的であるもの)という等式が、果たして役に立つのか。

 もちろん、「役に立つ情報」∋「客観的」(※1)というのは正しいだろう。その逆は疑問だ。客観的であれば、必ず役に立つかは疑問だからだ。
 必要条件というのと、十分条件という言葉が、何回覚えても忘れてしまう(※2)が、「役に立つ情報」と「客観的」というのは、

 (1)役に立つ情報 ⇒ 客観的
 (2)客観的 ⇒ 役に立つ情報

 結局どちらも成り立たないから、必要条件でも、十分条件でもないってことか。
 つまり、反例が一つでもあればよいので、(1)は、役に立つ情報が、必ずしも客観的ではないこともあるから、偽。
 (2)は、同じく、客観的であるからといって、必ずしも役に立つとは限らないから、偽。



 じゃあ、役に立つ情報って、なんだよ!

 となったとき、それは、「人の心を動かすもの」(感動させるもの)ではなかろうか。
 些末な情報だとしても、「へー、そうなんだ」と少しでも思わせたなら、それは感動したということであり、何らかの影響をその人に与えられたということだ。「よくわらかない」「つまらなかった」というのは、確かに「なんの役にも立たなかった」と言いたくなってしまうが、しかしそれでも、感動ではある。
 ということは、「あれはつまらなかった」ということが分かったということで、それは一種、「役に立つ情報」と言えるのではなかろうか。

 ということは、以下の図式が成り立つ。

 役に立つ情報 ⇒ 感動する

 逆に、

 感動する ⇒ 役に立つ情報

 とも言えるのではなかろうか。ということは、感動させる情報というのは、役に立つ情報の「必要十分条件」なのではなかろうか。



※1 A∋B としたとき、BはAに属する、つまり、包含されること(BはAの要素であること)を示す。

※2 p⇒(ならば)q が真のとき、「pは、qの十分条件」「qはpの必要条件」となる。
 例)遠藤⇒人間 は真
   人間⇒遠藤 は偽
   この場合、「遠藤⇒人間」が真なので、遠藤は人間であるための十分条件。
   人間は、遠藤であるための必要条件。(=遠藤であれば、必ず人間である)



(だから何だ? という突っ込みが生じたところで、今日は終わり)

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ガンダムを知らない人の鉄血のオルフェンズ感想
2017/05/07 12:00 | Comments(4) | 創作について
今日の一言「やっぱり最後はまとめて一気に見てしまう」
※本記事はネタバレを多分に含むために注意願います。

鉄血のオルフェンズ第二期視聴完了

 見終わった。
 ああ、なんだか、良い作品が終わると、黄昏時の気分になる。ラスト8話ぐらい一気に見たため、どっと疲れがおしよせて、23時に寝るという目標を立てつつも床に倒れこんで寝てしまった。

 この作品は、以下の点において、忘れられない作品になったと思う。

・ガンダムシリーズで初めて面白いと思った(ただし、本作を除き、初代の劇場版しかみたことはない)

・ほぼネタバレ状態で見た

・二期まである作品を短期間で見終わった(というよりも、二期まである作品で最後まで見ることができたのって、攻殻機動隊以外ないかもしれない。ガンスリ、おめーは駄目だ(※))



※ガンスリンガーガール:一期は名作。あの重苦しくも健気な雰囲気がよい。原作漫画も、後半はなんだかぐちゃぐちゃ感があったけど、全体的に良かった。二期目の方向転換は残念だった。なんだか、最初は「おとな」向けの作品だったのを、モンハンとかデジモンとかの低年齢向けにしたような……。いや、いい大人がアニメなんてみるなということなのか。

傑作かどうか

 自分の中で敢えて評価をするのなら、上位にランクインするのは間違いないだろう。ただし、傑作か、名作かどうか、とか、そういった基準はあまり意味がないだろうとするレビューというか感想のとおり、様々な要素が詰め込まれているので、様々な感想があるんだろうなぁと思う。

 ある方が挙げられていた第二期の問題点、

・ラストバトルに挑む主人公たちの動機の薄さ

・マクギリス・ファリドことマッキーの肩透かしによる後半の一本調子

 であるが、僕は、一気にまとめて見たのも影響するかもしれないが、一点目については特に気にならなかった。

 確かに、演出がおざなりじゃあないかと、そんな感覚もあると思うし、
早急な結果を求めるあまり、自分のものではない主事主張に乗せられて受動的に戦争を始めてしまったことへの、これは因果応報を描いたものだったのかもしれない。だがしかし、やはり俺は、どのような理屈があろうと最終決戦に主人公陣営が挑むときに切実な動機がないことは正当化されるべきではないと思う。――螺旋のモノリス
 という、「切実な動機の不在」というものが、物語(創作)においては必要だというのも最もに思える。

行き当たりばったり感

 でも、なんか、鉄華団の面々は、一期目から、必ずしも切実な動機(この表現を、合理的判断と読み替えるとより僕の表現したいことに近い気がするが)のもとに戦ってきたわけじゃあない気がしていた。いってみれば、行き当たりばったり感がずっと付きまとっていた。

 名瀬のアニキと、結果的に義兄弟になったとはいえ、最初は「俺の傘下に入らないか?」と持ち掛けられていたが、「鉄華団の仲間たちをバラバラにするわけにはいかねぇ!」とオルガ団長は足蹴にしたり、メルビットさん(大人の女性)からは何度も、「戦わない道もあるのでは……?」と諫められつつも、結局、「俺たちは戻るとこなんかない。前に進むしかねーんだ!」と突っ走り続ける。(そしてそれを後押しする三日月主人公とその仲間たち(※))

 僕はそれを「攻めの人生」と表現して、「んー、なんか、違和感があるなぁ」と書いたけれども、結局彼らは、最初から最後まで、自分たちの「筋を通した」のではなかろうか。


 そういった意味で、オルガ団長のあの無意味であっけない死というのも、
 私は、この48話と49話を観ていた二週間、かなり苛立っていました。制作側が「どんな物語をやりたいのか」は伝わってくる。けれども「どう物語を魅せたいのか」が伝わってこない。キャラクター達の死亡フラグ管理は整然としているけれども、その死に、説得力が伴っていない。そんな説得力不在の物語のきわみに、オルガのあっさり風味な銃撃があったと私は感じました。なんだよ、オルガまでこんなにぞんざいな手つきで殺しちまうのか、と。――シロクマの屑籠
 と、ぞんざいな感じはあるとはいえ、僕は、「立ち止まるんじゃねーぞ」と言い残して倒れるその姿には感動を覚えた。
 いやむしろ、このあっけなさというのは、もっと他のシーンでもあったではないか。ある女性パイロットが、ひと仕事を終え、これから違った人生を歩んでいこうと、恋心を抱いた男性とも今は別れを決意し、でもその人の面影がみえるテディベアを手に取った、その瞬間、あっけなくマフィアの凶弾に倒れる。
 さらにその女性は、モビルスーツに乗っては、才能あふれ強かった。それが、道端で、ふつーの鉄砲で殺されてしまうのだ。主要人物は(敵ですら)モビルスーツに乗ってるときに何らか命を散らすものだと、あまりロボットものを見ないからなのかもしれないが、そんな先入観が自分にあったことを確認したその瞬間に完全に砕け散るという非常に面白い体験だった。


※しかしその仲間たちの中には、突っ走るしかないその危なっかしさについて、一期で参謀役を努めていたビスケットくんとか、二期で妹との生活のために鉄華団を辞める決意をしたタカキくんとか、「おめーら、こんなわけわかんねー戦いに参加するなんて、頭悪すぎだろ!」と戦闘前に出ていったザックくんとか、気づき、行動していた人たちもいた。
 そういった人物も描いているということは、鉄華団全体としては、戻ることができなく、戦うしかできない子供たちという表現だろうと思う。

マッキー

 一点目は、一期から短期間で一気に見たのと、毎週毎週じわじわと見ていったのによっても、感覚が違うところがあるだろうし、鉄華団の面々も、途中で「なんかやべーな」と気づき始めた描写もあったし、何か気づいた時にはもう引き返せなくなってたということで、僕はあまり気にならなかった。

 ただ、二点目の、マッキーの戦略のなさには、確かにもはや「不思議」な感覚すら覚えた。
 まぁそれも、彼の生い立ちとか、「アグニカ」という伝説を頼るしかなかった幼少期のことを思えば、伝説の機体バエルに期待が大きくなっていたということで、仕方がなかったようにも思える。
 しかし確かに、一期目の、あの冷徹沈着、先を見通す戦略性などの印象とは異なり、戦力がどんどん削がれて不利になっていくなか、なんか言い訳じみた感じで鉄華団に、「君たちらしくないな」とか言って戦力をあてにしている様は、あれ、本当にこれ、同じ人だっけ? ぐらいに思わせられた。

 幼妻に背徳を罵られ、ナイフを突き付けられた際のシーンとか、カッコよかったんだけどなぁ……。



 たぶん。
 勝手な感想だけれども、ヒロインの一人、クーデリアもまた、世界を改革したいと考える一人であって、その人も、「革命の乙女」の「物語」を自らの根拠としていた。
 マッキーも、現政治体制(軍事組織)の創立者とされる「アグニカ」の「物語」を根拠としていた。

 両者は似ている。
 しかし、マッキーは、他者を頼ることができなかった。
 自分に恋心を寄せてくれる女性(権力もあり、自身もモビルスーツのパイロット)をも捨て駒にし。
 自分に憧れをもってくれて、良き理解者たりたいと願う幼馴染をも捨て。
 ――ただ絶対的な力だけで世界の改革を望んだ。

 そういう意味では、敵組織の親玉は、戦略性もさることながら、人脈も盤石たるものだった。
 いくら理念が素晴らしいものでも、「こころ」が伴わない暴力では、世界を救うことはできないと、そんなことが表現したかったのではなかろうか。いやー軽い言葉を吐いてるなぁ。まぁ単なる戯言であろう。



追記:某氏の仰るマッキーサードガッカリ事変とは、幼馴染の友との最後の会話ではなかろうか。最後まで信念を貫いて果てるというよりも、多分「憧れ」とか「嫉妬」の感情でしかなかったところがガッカリなのかもしれない。まぁでも、そういうキャラというか、立ち位置だったんだろうなぁと、全体を見てからだと思ってしまうところが少し哀しき哉。

いい作品だった

 いろいろ書いたけれども、なんだか、もっと書きたいと思ったことがあった気がする。
 一気に見ると、その感覚が全体感として薄まってしまう点が問題である。

 とはいえ、「いろいろ思った」ってことは、それは、僕の中の基準では、名作・傑作であったということになる。

 こういった、いろいろ思いを馳せられる作品を次から次へと消費していくというのもいいなぁ。


 いやいや。

 それはきっと、いずれ行き詰りに陥るだろう。

 エンタメと現実を同一視しなけりゃならないとか、そういうことではないけれども。
 エンタメはエンタメ。
 現実は現実。

 仕事は仕事。
 遊びは遊び。

 そんな風に、「人生」という総体を、その時その時で分割して生きてくというやり方。
 フェイスブックとかでアカウントを変えて、そのサークル(集団)ごとに役割(ロール)を変えて適切な「個性」を選択して生きていくってのが、上手い生き方なのかもしれないが、俺はやっぱり、そういった生き方はできない気がしてなない。
(精神的、技術的にはできるし、そうやってうまくやってきた面も多くあるわけであるけれど)

 で、まぁそういうのもいいんじゃないかと思う。「俺はこれはできない」というのは、逃げだったり、老害だったりするわけだけど、でも、「自分」ってのを貫き生きてくのって、やっぱりかっこいいと思う。
 ああ、いや、その、かっこいいかどうかはどうでもいいけれども、僕自身、やはり、憧れあているということなんだろうか。


(さてここで問題です。では「自分」とは何でしょう? ある方のコメントのとおり、自分とは、「変化するもの」であるとも言える。で、あるならば、「自分を貫く」というのは、一体全体本当に可能なことなのだろうか? そうした問いは、本記事ではやめておこう。とにかく、今は、良い作品を見終わった後の、感傷的な気分に浸っていたい。なに浸っちゃってるの? ウケるんだけど(わら)という批判はもっともだけど、いやそうなのだ、浸っていたいのだ。これはとても、贅沢な時間の使い方だよ)

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純粋性と無垢について
2017/05/06 10:19 | Comments(0) | 対人関係
今日の一言「ひとのこころはおもしろきかな」

理想のヒロイン像

 鉄血のオルフェンズ(ガンダム)のクーデリアお嬢様とアトラさんは駄目で、進撃の巨人のミカサとハンジさんは良いのは何故か?
 先日書いた時にはよく分かっていなかったが、モリエールという作家の「守銭奴」という話と、「ドン・ジュアン」という話のあらすじを読んで、ふと思った。
 これは、性格気質の「純粋性」が問題なのではなかろうか、と。

 クーデリアさんたちは、内面葛藤を抱えていながら頑張っていて、ミカサは命を救ってもらった主人公のエレンを守ることのみを生きがいとしているという点。どっちも頑張っている点は同じだけれども、後者はより特化しているというか、ある意味病的ですらある点に好印象だということだ。

 と、書いて、んじゃあ、アトラさんは駄目なの? 彼女も、命を救ってもらった主人公の三日月くんを支えることを生きがいにしてるんじゃあないの? と思った。確かに、そうだ。でもなんか違うんだ。こんなこと書くと、アトラさんファンに石礫を投げられそうだが、ブレているというか、中途半端というか、微妙なのである。
 何故そんな風に思ってしまうかというと、まぁ、序盤の登場からの印象がよくなかったというのもあるが(なんか、ちっちゃくて可愛い女の子だしときゃいいんだろ、みたいなテンプレ臭を思ってしまった。ただこれは偏見に過ぎなかろう)、当初は、「三日月のそばにいられるだけでいいんです」的な感じで、クーデリアさんの方が似合ってるだろうなぁとか言っているのに、段々と、「(クーデリアと)一緒に三日月をつなぎとめましょう!」となって、「あなたの子供が欲しい!」となる。
 まぁ、言うなれば、ふつうの、かわいらしい、少女の恋愛が描かれているわけであるが、……いやだから、嫌いだとか見てられないとか、そういう文脈で書いているのではなくて、「理想のヒロイン」というか、心がきゅんとなるか、という意味においては、オルフェンズの女性陣にときめくことがなかったということである。

純粋性とは

 ヒロインの話と、タイトルにある「純粋性」とに、何の関係があるのか、ということだけれども、もっといえば、それと「てめーが生きる意味」というのと何の関係があるのか、ということだけれども、大事な要素がある気がしている。

 まず、ユーモア、お笑いというのは、ある種、人間の性格を極端に増幅ピックアップしたときに面白くなってくる。先に挙げたモリエールさんの喜劇というのは、「守銭奴」という性格類型だったり、「無神論者(好色家)」という性格類型だったりする。そういった極端な人格と、周囲の(ふつうな)人たちとのかけあい、軋轢なんかが面白かったりするのである。

 物語には悪が必要だ、と言われたりする。その悪が巨大で、醜く、とことん突き詰められているとストーリーに起伏がつけやすい。それに立ち向かう主人公陣営も魅力的に描きやすい。その「悪」が、「いや実は、こうこう、こういった事情がありまして……」的な感じのが最近多い気がするけれども、「いやーそうですか、貴方にもそういったご事情があるんですねぇ」「そうなんですよーあっはっはー」的な感じになってくると、何だか肩透かしに思えてくる。いやおめーよぅ、その程度で和解できるんだったら、はなっから話し合いでもなんでも他の方法があったんじゃねえかよ。


 それでだ、話を「純粋性」に戻すと、みんな、誰でもそもそも、純粋なものって好きなんじゃあないかと思う。
「不純物ゼロ! 純粋に素材を活かした商品です!」
 いやそれ、ただの水でしょ、みたいな。それは極端か。
 他には、ヤリマンビッチよりも処女の方がいいとか。
 そういった「純なるもの」への憧れって、どこかしら人の根源になかろうか。

 例えば信仰とか。
 神への信仰は、時に、疑うこと自体を悪とされる。そもそも聖書では、楽園エデンで暮らしていた男女が、知恵の実を食べてしまうことによって、純粋性を失って、神様から怒られてしまった。これは、逆説的に、純なるもの、無垢なることへの憧れの表れなのではなかろうか。


 まぁ、僕は別に処女信仰をもっているわけではないけれども、それでも、純粋な女の人の方が好きだ。その純粋なというのは、性交経験ではなく、性格特性としてのものである。じゃあその、純粋な性格特性って何なんだ? ということで、ようやくこの記事の本題に近づいていく。

分かるということ

 その前に、「わかる」ということについて、書いておく必要がある。

 この「わかる」とか、知識をもつとか、そういったことと、純粋性とは、切っても切り離せない問題だ。

 わかるとは何か? 端的に答えるならば、それは、「分類できる状態」、もっと平易に書けば「わけられる」ということだ。


「答えを出せる状態」
 という表現もできるかもしれないが、それはやや具体性にかける表現である。

 確かに、何かの問い、問題、課題があったときに、適切な答えを出せるというのは、その問い等について、「分かっている」といえるだろう。

 では、その答えを出せるというのは何か?
 言語上であれば、YES/NOだったり、善悪だったり、AタイプorBタイプだったり、何からの分類ができて、そこに整合性が保たれている状態、それが答えということだ。

 ということは、つまり、その問い自体について、「わかっている」必要があるわけであり、ここでいつもお決まりの無限遡及が生じる可能性を見出せるのだけれども、そもそも、言語というもの自体、カオスな自然状態を、適切に生活するために便宜上「区切っている(わけている)」のである。
 その根源を辿れば辿るほど、いつまでたっても答えがでないという状態に陥るのは、仕方がないことであるともいえる。

思考実験の意味について

 ちょっと蛇足だけれど、カントという哲学者さんは、形式的な倫理(定言命法)を重視したといわれている。有名な例として、自分の親友Aが殺人鬼に追われていて、自分の家にやってきて、匿っていた。そこへ、殺人鬼が自分の家にきて、「Aはいるか!」と訪ねてきた。嘘をついてはいけないという倫理観がある場合は、一時の感情やその状況に応じて変えてはならないのであり(仮言命法)、親友のAはここにいる、と殺人鬼に言わなければならない、という話である。
 これは、倫理的・道徳的になんかおかしいから、カントの言ってることは矛盾だよね、といった文脈が多いように思う。

 けどまー、その場の対処はいろいろあると思う。
「Aはここにいる! が、お前には引き渡さない!」
 とインターホンで対応して、そもそも玄関のドアを開けないのだっていいし、すぐに警察よんでもいいし。

 功利主義の正義の問題とか、暴走列車で、Aの引き込み線では3人、Bの引き込み線では1人死ぬとしたら、Bが正しいとか。でもなんでそんな暴走した大事件発生中にもかかわらず未だ線路上に人がおるん? とか。


 こういった議論というか、仮定というのは、その時々のシチュエーションにおける対処をその場で、瞬時に選ばなければならなくて、結局言語上の、思考実験に過ぎない。
 たぶん、あんまり「正義」とか道徳とか考えていない人だったら、3人と1人という選択ができる状態にあったとしても、「何もしない」という選択をとることだって考えられる。それは、どちらを「選んでも」それは、自らの選択で人を殺めた、という解釈もできるからだ。そうしたとき、人は思考停止に陥って、合理的な判断ができない可能性だってある。
 だから、思考実験と、実際に僕らの生き方・選択という問題は、実は関係してそうで関係していない場合があることを、忘れてはならない。

 話がずれた。

無垢な少女

 汚れを知らない、うら若き乙女。
 うーむ、陳腐な表現である。ともかく、「少女」という言葉がもつ響きには、どうにも、「純なるもの」という意味が込められているような気がする。

 じゃあその「純なるもの」って何なの? ということを表現することによって、理想のヒロイン像を明らかにしようというのがこの記事の試みである(そうだったのか!)。


 聖書の創世記に出てくるエヴァはどうか(この文脈では、アダムでもいいが)。
 明らかに、蛇にそそのかされて「知恵の実」なるものを食べる前は、「純真無垢」であったのだろう。では、無垢とは、知恵の反義語ということか。

 いつものごとく、辞書をひいてみる。別に無垢と知恵が対称関係にあるとか、そんなこと書かれてはいない。

 ただ、無垢というのは、「まじりけがなく、完全であること」のように表現されている。純粋という語においても似たり寄ったりである。

 ふむふむ、なるほど、もしかしてこれって、最近よく表現しているものに似ているのではなかろうか?


 それは、「無」である。なーんにもない、ということだ。思考も感覚も無い、絶対無の状態。それが無垢である。
 そうしたとき、思考のもととなるモノ、――すなわち「知恵」というのが、まさにその無垢の、純粋性の対義語ではなかろうか。



 知恵がないというのは、それは、「バカ」ともいえる。なるほど、では僕らは、できるだけ思考をすて、馬鹿になっていく必要がある! 考えることは悪だ、思考は悪だ!

 そして、理想のヒロイン像というのは、「アホの子」なのだ! 知的だったり、努力家だったりする必要はないのだ。ただ馬鹿であればいいのだ!

ハンジさんはどうか

 いやでも、進撃の巨人のハンジさんはどう考えても知的キャラではないですか。

 いやそうか? ちょっと待ってほしい。彼女の巨人に対する研究心は、明らかに度を越している。自らの命の危険なんてしょっちゅう度外視されている。副官のモブリットさんが大変そうである。
 その持ちえたる知識、頭の回転の良さ、判断力、そして行動力。どれをとっても馬鹿ではなかろう。
 ただし、その巨人の生態を明らかにしたいという思い、それへのひた向きさは、「バカ」と表現しても構わないような、そんな一途さを感じられる。

 それもまた、「純粋性」といっても構わないのではないだろうか。

 としたとき、一つ新しい定義がわいてでてきている。つまり、純粋性とは、決して、「知恵がないこと」「何も知らないこと」である必要がないということだ。

 ある「モノ・コト」に対して、わき目もふらず、ただ一途にそれを目指し続ける、それが「純粋」というものなのではなかろうか。



 ミカサは、幼馴染のエレンを守ることだけを目的としている。
 だから、同じく幼馴染のアルミンと、カリスマ的指導者の命が天秤にかけられる場面に出くわしたとき、アルミンを助ける決断を諦め、いち早く身を引いた。これは、非情なのではない。ミカサにとっての第一義は、エレンの存在なのである。これが、エレンとカリスマ的指導者の命の天秤であれば、ミカサは何らためらいもなく、周囲の同僚をも下手したら殺害してでも、エレンを助けただろう。

(と、いった感想というか解釈をもっているので、進撃の巨人の実写版のキャラクターメイキングというか、ストーリー構成は納得いかなかったというか、つまらなかった。まぁ単に好みの問題だろう)

現実にいないだろうそんなヒト

 といったわけで、僕の変態な嗜好を垂れ流してきたわけであるが、これ、いったい、何の役に立つ奴じゃ?

 一つ言えるのは、お笑いコントは、喜劇は、物語は、その「極端さ」(純粋性)をピックアップできるがゆえに、「面白い」という感動を与えるのである。

 でも実際、僕は、人間という存在について、そこまで楽観的な感覚を頂けない。
 時に両価性の感情をもつことだってあるのが人間である。
 好きという感情の中に、憎しみだって内包できる高度で複雑な「こころ機能」。

 これを「わかる」ためには、「こころ」ということそれ自体の分析をしても足りないのであって、その「問い」が放たれる状況、文脈の理解……しかもその理解は、刻一刻と変わっていく「こころ」を正確にとらえるために、瞬時に、リアルタイムに行われねばならないのだ。

 原理的に無理じゃないかと思う。
 だから、誤る可能性はあるにせよ、「たいていは、こういう状況において、人はこういった感情をもつ」という、何となくの感覚を総動員してコミュニケーションを図っているのである。

 コミュニケーションをするってのは、とってもすごいことなのだ。そんなことを、何の気なしに、僕らはやっているのである。
 だから、コミュ障とか最近よく聞くけど、それも、当たり前っちゃあ当たり前なのだ。だって難しいことやってるんだから。



 だから(この「だから」は、いささか強引な気がしている。ただ、今回の記事としては、いったん締めくくっておこう(※))、ある程度のテンプレ(物語)が必要なのである。

 えーと、しかし、そうなってくると、純粋性というのもまた、単に「解釈」上の話に過ぎないのだろうか。
 だとすると、この記事はなおのこと何の意味があるんだということになってくる。
 そもそも、分かりやすく、お前は、純粋性というものに賛成なのか、反対なのか。善なるものだと思っているのか悪だと思っているのか。目指したいのか唾棄すべきなのか。どっちなのだ?

 うーん、でもやっぱり、みんな、純粋になるっきゃないんじゃないかなぁ。そういったものが価値あるものだと、共通認識がもたれるような世の中になっていく必要があるんじゃないかなぁ。


(なんやかんや、中途半端ではあるが、しかし、何かのたたき台にはなりそうな記事になった気がする)





※原理的に人の心を瞬時に完璧に理解してコミュニケーションしていくのは不可能だろうということ。であるなら、「こういうときはこうだ」「こうすればこうなる」というのを、自分の中である意味勝手に解釈するしかないのである。このことについて、「人はもはや、信じることしかできないのである」表現で書いたことがあった。だまされようがなんだろうが、結局他者というのは、自分の解釈の中での存在であるということだ。
 しかし、この感覚にがんじがらめになってしまうと、色々な弊害に見舞われるのはすぐにわかることである。


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ゴールデンウィークin2017
2017/05/05 22:28 | Comments(0) | 目的・目標
今日の一言「やっぱりあっという間」「充実した時間は過ごせた」

引きこもりはできなかった

 明るい記事を書こう。結構アクティブに過ごしてしまった。「しまった」との表現は、当初立てた、「完全に引きこもろう」という目標が完全崩壊であったからだ。まぁそれは悪くなかった。やっぱり、「本音」でコミュニケーションできるってのはとても楽しいことである。
 とはいえ、

 もう一つ、一般書を読もうと思う。そして、概念記憶を一つ増やそうと思う。
 もう一つ、音楽を一つ創ろうと思う。
 もう一つ、小説を一つ書きすすめようと思う。
 もう一つ、7時に起きて、23時前に寝ようと思う。
 もう一つ、料理をしようと思う。そして、一日三食食事をしようと思う。フルーツを食べようと思う。外食に出向こうと思う。
 もう一つ、買い物をしようと思う。鞄と靴が欲しい。漢字が似ている。
 もう一つ、坐禅を一日15分以上しようと思う。
 もう一つ、ルーチンを続けようと思う。
 もう一つ、ピアノで弾ける曲を増やそうと思う。
 もう一つ、日本株で購入したい銘柄を調べようと思う。
 もう一つ、ブログを書こうと思う。
 もう一つ、カラオケに行こうと思う。
 もう一つ、ボウリングに行こうと思う。
 というのの、殆どはできていない。さて残りの時間を、どう過ごそうか。

 

一つでも多くやってやろう

 よし、できるだけ多くチャレンジしよう。
 まずは、ブログを書いて、23時前に寝て、7時に起きるってところからだな、もう幾何かも時間がないが。

 あとは、買い物系か。靴、鞄、株……うーん。欲しいって思いは強いんだけど、中々よい商品が見つからないんだよな。

 あとは、そうだな、オルフェンズ、これ、面白いんちゃう?

 どのシーンか具体的に分からないけれども、テイワーズというマフィア的組織の下部組織であるタービンズの面々が、内輪もめに巻き込まれて、散り散りなってく様のどこかにおいて思わず泣いてしまったよ。アニキぃ……。

 なんか、某スゲー方が自身のブログで、「オルフェンズの二期って、一期で成しあがった仲間たちが、一人、また一人と倒れていく様を見せられる拷問ッスよ」などと述べられていて、ようやく意味が分かってきた。いやぁなるほどその通り。全き秀逸な表現である。

 残念なのかどうか分からないが、ネタバレとして、もう仲間たち(鉄華団とゆかいな仲間たち)の未来は分かっている。それがなかったら、また違った思いをもって見ていたのだろうか? 例えば、その一人一人と退場していく中で、それでもきっと、どこか救いはあるのだろうという思いが生じていたのだろうか。

 でも、そのネタバレがあったからこそ、非常に楽しめているような気もしないでもない。某氏が感想というかレビューにおいて描かれたシーンが、実際にどのような文脈で、どのような表現がされているのかという「確認作業」というのが、これが意外に意外性をもって僕の感性に飛び込んできたりして、面白いのである。

所与の条件で最大限を目指す

 そして、その作品が、最近思う、「与えられた条件下で、精一杯やるっきゃない」ということの一つのあり方を見せられているようで、なんともタイムリーに思う。

 なんだか色々書きたいこともあるのだけれども、なんだかブラウザがやけに重いのと、さっそく23時前に寝るという目標をもとに、この記事は終わらせるとしよう。


(たまには短い記事も……ま、いっか。こいつは中身がない記事だよね)



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