直近三日間ぐらいの苛立ちが今日、最高潮に達した!
しかし、帰ってきたぞ、俺は、帰ってきたぁ! 帰り、いつもvolume10ぐらいのWALKMANからカナル型イヤホンを伝って流れる音楽を、倍のvolume20ぐらいに爆音にして、ユーロビートとかハードロックを流してきた。
周囲の音が一切聞こえなくなって危ないことこの上ないが、この方法、初めて試したけれども、もうどうしようもなく心がざわついているときは、有効な手段な気がした。耳の鼓膜へのダメージはプライスレスだ。
そんな狂ったテンションのまま風呂に入って、ルーチンをこなす。うん、だんだん、少しずつ落ち着いてきた。しかし、何か、何もする気が起きない。……酒だ、酒をもってこい! こんなときは、キンキンに冷やしたグラスに、大きなロックアイスを転がし、ビーフィーター24を注ぎ、グレープフルーツジュースを入れ、最近購入した金属製のちょっとカッコいいマドラー(100均だけどな!)でステア。そして飲む。うん、美味い。落ち着いてきた。
ログ、ローカルな日記を掘り起こす。こういうとき、探してみるのは、同じ月の何年か前の日記。2004年までさかのぼった。
いやぁ、いいこと書いてるじゃないか。え、そうでもない? そうかもしれない。でも、少なくても、10年後の俺は、過去の君の記事が、面白いと思ったよ。
(――なんて、書き方まで似てきた気がする!)
うん、これ、同じようなことが、つい最近も頭をよぎっていた気がするけれど、一週間前に書いた記事と、やっぱり10年前に書いた記事では、重みが違うよ。その重みってのは、書いた瞬間の心の傾けようという意味ではなく、今の自分に跳ね返ってくるずしりとした重み。
それでいて、一応成果をだしているという、結果もあるから、本当に頭が下がるもんだ。
今の俺はどうや? なんかやってるのか? がんばっとっか?
その成果というのが、だいぶ、疲れ果てる原因でもある、というのは、結局、赤門の東京大学ぐらいじゃないと、「頑張ったね」とはならない、という事実。比較してもきりがないのだけれど、自分として頑張ったとしても、ああ、その程度なのね、的な。この感覚、伝わるだろうか、はっきりいって、これ、中卒だろうが何だろうが、このループにかかると、「成果」すべてが無価値になってくる。
小説書いて、アクセス44人ぐらいあって、うれしーな、とか書いている。
この今のブログのアクセス数から考えると、いや確かにすごいんだろうけど、その数字のしょぼさ、ってのは、もう明らかである。いかに、過去はネット利用者も少なかったとか、そんな説明をいくらしようとも、過去の武勇伝なんて、誰もすごいとは思わない。
この流れの記載が、その証左であろう。
「楽しいことする、やりたいことする、それが人生でしょ」
「うん、そりゃあ分かってんだけど、何だかやりたいことが見つからないんだよね……」
「そんなわけないじゃん! 人間、必ず欲求ってのがあるんだよ!」
と、そんな脳内会話だったのだろう。
というか、ほんと、笑っちゃうぐらい、寂しい人間だなぁ。このブログ記事は、いま一応公開してるけれど、上の引用記事って、ほんと、どこにも公開する気も、そんなこと思ってもいなかったわけだ。よくまぁ、飽きずに、ホント書き続けていたもんだ。
いやぁ、その大会、いったい何を基準に審査するんだろうな。
書いた文量?
経験年数?
それとも、1時間以内とか、決められた時間にどんだけ面白い文章書けるか、とか?
最初に決めたテーマから、関連性は損なわさずに、どれだけ全く関係ない思考に展開できるか、とか。
惨めさとか可哀そうさをどれだけ醸せるかとか。
――ものすごーく、生産性ない大会だなぁ(かっこわらい)。
とにかく、もう苛々して仕方がないときとか、何もやる気が起きなくて、でも眠くもないようなときは、
・無心でルーチンをする
・爆音で音楽を聴く
・過去ログをあさってみる
・くだらないとか気にしないで書き続ける
と、対応してみるのは如何かと、提案しておこう。
いやでもさっきまで、本当に、イラついていたんだ。
過去中学か、高校かぐらいに、「おめーマジ使えねーから消えろよ」と言われたのに匹敵するほどムカついてい……いや、うーん、それらと比べると、全然大したことない気もするな。
このやり方、あんまり好きじゃないんだけどなぁ。いわゆる、他者とか、過去とかと比較して、「ああ、今って結構マシじゃね?」的に慰めるという方法。有効なのは分かるんだけど、何というか、好きじゃないんだよな。何か、「真理的」じゃない。うまく表現できないが、よい方法とは思えない。
じゃあ、爆音で音楽ながして耳を悪くするのがいい方法なのか、と言われると、それは違う気もするのだけれど……。
でも、この、比較思考は、常に自分より下の人間を探し続けるとか、逆に、常に自分より上の人を妬み続けるとか、落ちぶれていく原因だと思うのだ。
ようは、バランスよく使ってみましょう、という、くだらない結論でしかないのだけれど、できるだけ使いたくないと思うわけだ。
……しかし、落ち着いたはいいが、やっぱり、10年前に思った通り、何だか、何をやりたいか、やっぱりよく分からない。
しかし、帰ってきたぞ、俺は、帰ってきたぁ! 帰り、いつもvolume10ぐらいのWALKMANからカナル型イヤホンを伝って流れる音楽を、倍のvolume20ぐらいに爆音にして、ユーロビートとかハードロックを流してきた。
周囲の音が一切聞こえなくなって危ないことこの上ないが、この方法、初めて試したけれども、もうどうしようもなく心がざわついているときは、有効な手段な気がした。耳の鼓膜へのダメージはプライスレスだ。
そんな狂ったテンションのまま風呂に入って、ルーチンをこなす。うん、だんだん、少しずつ落ち着いてきた。しかし、何か、何もする気が起きない。……酒だ、酒をもってこい! こんなときは、キンキンに冷やしたグラスに、大きなロックアイスを転がし、ビーフィーター24を注ぎ、グレープフルーツジュースを入れ、最近購入した金属製のちょっとカッコいいマドラー(100均だけどな!)でステア。そして飲む。うん、美味い。落ち着いてきた。
ログ、ローカルな日記を掘り起こす。こういうとき、探してみるのは、同じ月の何年か前の日記。2004年までさかのぼった。
やっぱり楽しいことをしなくちゃ!人生、たった一度の人生、誰のものでもない。ボクだけの人生。幸い、ルックスも、運動能力、頭の回転だって悪いけれど、僕にはこの、“思考”がある。なんだって可能にする思考が。勉強とは、頭を鍛えることだ。大学に行くために勉強しているんじゃない。自分が一番したいことをする。これこそ生きる意味ではないだろうか。それがないから困っているんだって? そんなはずはないよ。人間には、必ず、生まれつき、“欲望”という能力が備わっているんだから。生まれたとき“オギャー”って泣いたでしょ?おっぱい飲みたいって思ったでしょ?
生きたいって思ったでしょ?それが人間だ。 これはみーんな同じ。人間の成長とは、欲望の変質の過程といえるのかもしれない。食べたい、寝たい、排泄したいというだけの欲望から、次第に認められたい、愛されたいというものに変わっていくのだ。
感情はないけどやっぱり自分
10年以上前に書いた記事に、ちょっと勝てないと思ったよ。いやぁ、いいこと書いてるじゃないか。え、そうでもない? そうかもしれない。でも、少なくても、10年後の俺は、過去の君の記事が、面白いと思ったよ。
(――なんて、書き方まで似てきた気がする!)
うん、これ、同じようなことが、つい最近も頭をよぎっていた気がするけれど、一週間前に書いた記事と、やっぱり10年前に書いた記事では、重みが違うよ。その重みってのは、書いた瞬間の心の傾けようという意味ではなく、今の自分に跳ね返ってくるずしりとした重み。
それでいて、一応成果をだしているという、結果もあるから、本当に頭が下がるもんだ。
今の俺はどうや? なんかやってるのか? がんばっとっか?
その成果というのが、だいぶ、疲れ果てる原因でもある、というのは、結局、赤門の東京大学ぐらいじゃないと、「頑張ったね」とはならない、という事実。比較してもきりがないのだけれど、自分として頑張ったとしても、ああ、その程度なのね、的な。この感覚、伝わるだろうか、はっきりいって、これ、中卒だろうが何だろうが、このループにかかると、「成果」すべてが無価値になってくる。
小説書いて、アクセス44人ぐらいあって、うれしーな、とか書いている。
この今のブログのアクセス数から考えると、いや確かにすごいんだろうけど、その数字のしょぼさ、ってのは、もう明らかである。いかに、過去はネット利用者も少なかったとか、そんな説明をいくらしようとも、過去の武勇伝なんて、誰もすごいとは思わない。
頑張ることへの心労
と、さも、今考えましたーといったように書いているけれど、恐らく、いや、過去記事読んでいた確信したけど、こいつ、絶対同じこと考えてた、思ってたと思う。>自分が一番したいことをする。
>これこそ生きる意味ではないだろうか。
>これこそ生きる意味ではないだろうか。
>それがないから困っているんだって?
>そんなはずはないよ。人間には、必ず、生まれつき、“欲望”という能力が備わっているんだから。
>そんなはずはないよ。人間には、必ず、生まれつき、“欲望”という能力が備わっているんだから。
この流れの記載が、その証左であろう。
「楽しいことする、やりたいことする、それが人生でしょ」
「うん、そりゃあ分かってんだけど、何だかやりたいことが見つからないんだよね……」
「そんなわけないじゃん! 人間、必ず欲求ってのがあるんだよ!」
と、そんな脳内会話だったのだろう。
というか、ほんと、笑っちゃうぐらい、寂しい人間だなぁ。このブログ記事は、いま一応公開してるけれど、上の引用記事って、ほんと、どこにも公開する気も、そんなこと思ってもいなかったわけだ。よくまぁ、飽きずに、ホント書き続けていたもんだ。
駄文選手権
うん、何だか、全く自慢にならないけれども、先日書いた、「俺、くだらないことなら永遠にずっと書き続けてられるよ」ってのは、あながち嘘じゃなさそうだ。何やっても一位になれない中途半端な人間だけれども、何だか駄文選手権でもあったら、全国大会とか世界大会に出場してもいいせんいくんじゃなかろうか(かっこわらい)。いやぁ、その大会、いったい何を基準に審査するんだろうな。
書いた文量?
経験年数?
それとも、1時間以内とか、決められた時間にどんだけ面白い文章書けるか、とか?
最初に決めたテーマから、関連性は損なわさずに、どれだけ全く関係ない思考に展開できるか、とか。
惨めさとか可哀そうさをどれだけ醸せるかとか。
――ものすごーく、生産性ない大会だなぁ(かっこわらい)。
でも落ち着いた
まぁ、この、記事の中身自体に一切意味はなくとも、一つ事実として実感として書けるのは、今、ようやく落ち着いたよ、ということだ。(酒のおかけじゃね? いや、違う、やっぱり、こうぐだぐだ書いたことによる効能と思う)とにかく、もう苛々して仕方がないときとか、何もやる気が起きなくて、でも眠くもないようなときは、
・無心でルーチンをする
・爆音で音楽を聴く
・過去ログをあさってみる
・くだらないとか気にしないで書き続ける
と、対応してみるのは如何かと、提案しておこう。
いやでもさっきまで、本当に、イラついていたんだ。
過去中学か、高校かぐらいに、「おめーマジ使えねーから消えろよ」と言われたのに匹敵するほどムカついてい……いや、うーん、それらと比べると、全然大したことない気もするな。
このやり方、あんまり好きじゃないんだけどなぁ。いわゆる、他者とか、過去とかと比較して、「ああ、今って結構マシじゃね?」的に慰めるという方法。有効なのは分かるんだけど、何というか、好きじゃないんだよな。何か、「真理的」じゃない。うまく表現できないが、よい方法とは思えない。
じゃあ、爆音で音楽ながして耳を悪くするのがいい方法なのか、と言われると、それは違う気もするのだけれど……。
でも、この、比較思考は、常に自分より下の人間を探し続けるとか、逆に、常に自分より上の人を妬み続けるとか、落ちぶれていく原因だと思うのだ。
ようは、バランスよく使ってみましょう、という、くだらない結論でしかないのだけれど、できるだけ使いたくないと思うわけだ。
……しかし、落ち着いたはいいが、やっぱり、10年前に思った通り、何だか、何をやりたいか、やっぱりよく分からない。
PR