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いろいろ視聴および高い勉強代
2017/04/02 20:07 | Comments(0) | イライラ対処
今日の一言「いろいろ!」「借金しない程度の金で解決できる失敗はいろいろした方が良かろう」

お金が吹っ飛んだ

 詳しくは書いている時間がないから、結論だけ書こう! お金が、数万円、無意味に消失した!
 原因は、判断ミス! ……なのか?
 うーん、そうなんだろうなぁ、結局は。「あそこで、ああしておけば……」というのは、判断ミスに他ならない。だが、今回は、結構前から「やばいかも」と思っていたが、足を踏み入れた時点で、引き返すことができなかった。引き返すこともまた、既にリスクと化していた。そうであれば、進む! 戦うしかなかろう!(※)

 ただ、命を失わなかっただけ良かった。下手したら、まぁ死にはしなくても大けが的な……ああ、いや、ホントに下手したら死んでたかもしれんな。死にゃあせん、という思いは、まだまだ慢心である。

 だがそれでも、過ぎ去ってしまったことは、どうにもならない。過ちをしないのにこしたことはないが、その過ちをどう対処するかというのが、人間としての真価を試されるだろう! ……とか、空虚な言葉は嫌いだ。

 ただな、まぁ、終わったことをくよくよ後悔しても仕方が無いだろう。発生している苛立ちや哀しさを抑え込む必要はないが、かといってそれに囚われても仕方がない。


※追い詰められたときの行動が自分というものなのかもしれない。そうすると、僕は、「進も危険、引き返すも危険」とか「戦うもリスク、逃げるもリスク」とかいった状況になったときは、戦略的撤退をするよりは、失敗覚悟で突撃するタイプなのかもしれない。いっつも、文章的には、口語的には、対人的には冷静ぶっているが、実際は猪突猛進、いい言葉であれば勇猛果敢、悪い言葉では匹夫の勇タイプなのかもしれない。

まどかマギカは仏教的作品である

 そして、そのイライラのせいか知らないが、じっくり見ていこうと思っていた魔法少女まどか☆マギカを、一気に12話まで見てしまった。

 これは久方ぶりに面白かった! アマゾンのレビューみたくなってしまってカッコ悪い気がしてしまうが、「絵柄で倦厭してたけど、見てみたらストーリーが深くて面白かった」となる。うーん、小並感(初めて使ってみる)である。。。

 多分、今更、2011年の作品だから、きっと多くの方が述べているだろうが、まどマギは、非常に仏教的に感じた。
 何故か。
 因果応報という言葉の意味を深く表現していたからだ。希望は、絶望の相対であるという「インキュベーター」のキュウベエさん。過去や未来の少女たちは、叶えたい願いをかなえられるのと引き換えに、呪いや絶望を背負わせられていく。

 んでまーその目的が、「感情エネルギー」の蒐集により、宇宙のエントロピー増大による破滅を回避しようということ。当然、そんな高次元の目的なんて、「そんな訳の分からない理由で、私たちを戦わせてきたのね!」と少女たちはキレる。あたりめーだ。しかし、崇高な次元で生存するキュウベエさんたちは、逆に、そんな低次な「感情」に振り回される人間たちを理解できない。
 作品中「サイコパス」という言葉すらでてこなかったが、キュウベエさんは完全にサイコパスである。人間なら当たり前にもっているはずの「感情」が理解できないのだ。(もちろん、サイコパスは、生物学的な人間に対して使う言葉であるのだから、宇宙生命体であるキュウベエさんに当てはめるのは適切では無かろう。)

 愛くるしい見た目と、耳障りのよいもの言いから、初回登場時点で怪しい奴だと思っていたが、まぁその通りだった(笑)。
 だが、キュウベエさんも、「悪」というわけではない。いやまぁ、少女たちからしたら「悪」なのだけれども、彼(そして彼らの類)は、悪を成そうとして悪たらんとするのではないのである。それゆえに、人類との相容れなさ、理解のできなさが、余計に不気味さを掻き立てているのがまた面白いポイントである。


 うん、ともかく、面白かった。上から目線だけれども、久々によい作品をみることができた。この「よい」というのが、非常に難しいのである、とくに昨今。
 少なくても、「君の名は。」とか、「ソードアートオンライン・オーディナルスケール」よりも面白かった。
 やっぱり、作品は、絵柄だけじゃないな。こうして、絵柄で倦厭していて、見てみたら面白かった作品は、JOJOシリーズに引き続き二作目となったのであった。

あとはもういろいろ

 なんだか、あと三つぐらいは、書いておこうと思ったことがあった気がしてならない。
 が、思い出せない。
 そう、リアル世界(ブログ世界との比較)でいろいろあると、何だかよく分からないまま過ぎ去るのである。

 だが。

 そういうもんなのか?
 もしかして、「ふつーのひと」的には、こうやって、日記的に、振り返ったりしないものなのかもしれん。
 ただ、人と話して、悩んで、おいしーもの食べて、笑って、一日を終えて、よーし今日も頑張るぞ的な感じで、10年、20年とやっていくのかもしれない。



 まぁ、それができたら、それでもよかった。
 だが、俺は、そんな風にはなれなかった。そこは、繰り返し書いているけれども、もう、こうやって考えることや、書き残すことをなくして、俺は俺で無いのではないか、ということは、刷り込んでいっても、信じても、開き直ってもいいんじゃないかと、思う。

 それが例えモテなくても、理解されなくても、「サイコパスだ!」と言われようとも、仕方がない、俺は生きてきてしまった。


 んー。なんて、書いていると、後から読んで、面白くないかな? カッコ悪いかな? 気持ち悪いかな? どうなんだろう。

 だが先日、隙間時間にいつぞやの自分の書いた記事を読んでいたが、いい暇つぶしにはなった。

 そう、やっぱり、面白い記事はあるのである。
 ただ、僕が面白いと思ったのが、他者にとって面白いと思うかどうかは別問題だ。たまたま一致することもあれば、歯牙にもかからない場合もあろう。

面白い記事とは

 そんでは、せっかくなので、この記事の序盤の内容と絡めてみよう。

 ええと、つまり、俺が面白いと思うのは、「レーゾンデートル」(存在理由、生きる意味とか)に絡まった奴とか、縁起因縁に絡まった奴とか、そんな要素があると面白いのかもしれない。

 面白い、とは。

 興味があるとも言い換えられる。即ち、それは、今本当に自分が求めているものに他ならない。

 イイ女を抱きたいとか美味しいものを食べたいとか皆から称賛されたいとか、そういった欲求は俺もあるに違いない。
 だが、存在規定とか縁起とか空とかいった事柄は、欲望として求めているのではなかろうか。
 欲求は、足りてないから欲しくなることだとすれば、後者の生きる意味といったものも、僕にとっては足りていないのだろうから、欲求に他ならないのかもしれない。ただ、後者の「欲」は、本当に満たすことができるものなのだろうか?

 そもそも、「欲望」といったものは、根源的に満たされるということが無いのではなかろうか。無限遡及、充たせども充たせども、尚階下へ続く永遠の螺旋階段のようなものではなかろうか。足りていようがいまいが、兎に角求め続けてしまうもの、そうしなくてはいられないもの、それが「欲望」なのではなかろうか。

 そう考えると、ちょっと身震いをするのだが、「生きる意味」というものが、「欲望」規定とされているのであれば、それは、延々と「自分とは何か?」を追い求め、終わりなき無間地獄に陥るようなものではなかろうか。

 まどマギのほむらさんは、大切な友達、まどかを守るために戦い続ける、しかし、その戦いが続くほどに因果が強まり、望みは、徐々に絶望へと変わっていく……そんなようなものではなかろうか。(←無理やり、作品と関連付けて書き残そうと努力する図)



 ……。
 うーん、しかし、結局書きなぐっても、モヤモヤした気持ちはなくならなかった。体調もよくないし、もう寝よう……。

(とはいえ、少しは気持ちも緩和したからよしとしよう。)

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